069→【教祖様御役目終了御疲様】
「しかし、そういう見通しだったか。こんな資産価値も碌に無い山、大枚叩いて買わせやがって何のつもりだ近々高速でも通って地価がハネ上がるのかだったらもっとうまい儲け方もあるだろうがと密かに期待していたんだが、これの準備だったとはな、氷雨」
実に忌々しそうに、不機嫌を主張するように紫煙を吐く。
「迅速な避難と、万が一にも第三者を巻き込まない為? ふざけんな。馬鹿馬鹿しい。仮にも法力持ちの権現様が、金で結界張ってんじゃねえぞ。元手がかからんほうでやれ」
「知っているでしょう、浄権」
先程までの説法、演説とまるで違う、教祖の仮面を脱ぎ去った男に対し、
「そうしたことができる力はついさっきまで預けていたし、折角の貯蓄を“普通の人間ができる程度のこと”で崩すわけにはいかなかったもの」
権現の役目を止めた少女は平然と、小悪魔めいて微笑んだ。
「私、よい子ではないの。人のことを平気で騙すし、自分勝手に嘘も吐く。やりたいことを、やりたいようにしかしない。――ごめんなさいね、共犯者?」
「ああ勿論、八年前から分かってたよ」
煙と一緒に唾を吐くように言い放ち、破戒僧がポイ捨てした煙草を踏み潰す。
「おまえはまったくこわい女で、利用されているのはこっちの方だ。……おい。相楽杜夫」
「え、あ、」
「心底同情するよ。えらい奴を惚れさせたな。こういうのも何だが、こんなマーラと付き合ってたら――命がいくつあっても足りんぜ?」
「お生憎様」
「べ」と舌を出し、腕に絡みついてくメメ子。
「その、ひとつしかない大事な命を、これから真心こめて守るの。そのために私がいるの。ね、がらくん」
「お、おう」
なんだろう。
八年間、八年間ってすごいなあ。会いたい相手に会えなかった日々は、人をこうも変えてしまうのだなあ。
というか、デレデレのメメ子、略してデレ子に激しい違和感があって焦るんだけど。
いや、そりゃあ初恋の相手なんだけどね? この子に告白するために、ここまで来たんだけどね?
その、再会しても、あの頃みたいな冷たい反応ツーンと返されると思ってたから、メメ子側からこんな受け入れゴーサインが出ると思ってなくて今でも心の準備がね!?
「あーあー見せつけてくれやがる。共犯者としての義理は果たし終えたし、そろそろこっちも悪僧退散といくか。……で、氷雨。今後は事前の取り決め通り」
「宗教法人・水天岐神楽果堂は解散するけれど、資産についてはご自由に。私の取り分なんて余計な重荷は一切無用、あなたが好きに切り分けて、雲隠れでも高飛びでもしなさいな」
「おは。相変わらず話が分かって」
「ただし。最低限、水天岐神楽果堂が信者から取り上げた物の返還と、活動する上で散々に踏み荒らした伝統文化・民俗学方面の後始末を済ませた後でね。それもまた、私たちが交わした契約だったわね、常善?」
彼女が中空に指を振れば、浄権が投げ捨てた吸い殻がすっ飛んで奴の額にぶつかる。
「“来た時よりも綺麗にしましょう”。追跡される遺恨を残していくのでは、次の稼ぎもみすみす潰す三流以下よ」
「……話がわかって、道理がわかり過ぎちまうガキだ、昔から。一言言わせてもらうが、そういうよい子じゃなくてもわるい子にさえ成りきれん半端具合だと、この先、大人になってから随分と苦労するぞ?」
「ええ」
うんざりした呆れ顔に向かって、メメ子は不敵なウィンクをひとつ。
「そういうことをしていこうと、この人に惚れて私は決めたの。無理のない人生、何でも楽勝の平坦なんて、氷雨芽々子は、八年前から沢山よ」
歩くなら。
大好きな人と登るなら。挑みがいのある、空に続く坂道がいいと、彼女は、夢見るように笑った。
「さようなら、親愛なる小悪党。あなたとの出逢い無くして、私の計画は成り立たなかったわ。お互いにいい取引が出来たこと、心より感謝します」
「あばよ、おっかない超能力者。今回の仕事はそこそこの稼ぎになった。金に困ったら連絡しろ、両親にさせられてたよりはいい働き口を紹介する」
最後、一秒だけ、二人は互いの前途を祈るように視線を交わす。
そして極めて乱雑に、憂さを晴らすように豪奢な僧衣を脱ぎ捨てた征流院浄権――先程メメ子に常善と呼ばれた男は、その下にライダースーツなんぞを着込んでいて、本殿に併設されていた小さな蔵からゴッツいバイクを引っ張ってくると、フルフェイスのメットを被って跨り、矢のように愛車を飛ばして山を下る。
「久瀬常善。二十年を御山で過ごした元・住職の常善和尚で、教えに背いて破門された現・詐欺師よ。人は真実と無欲では絶対に救われないから、嘘と欲を以て救うしかない――なんてのが、私への口説き文句だったわね」
どんな人間にも、積み重ねた事情がある。
これもただ、それだけのことだ。
悪だけの人間、善だけの人間、どちらも共に存在せず。
白も黒も混じり合って、誰もがこの世で、変わりながら生きている。
「あいつ自身は、素質がなかったせいか信心に曇りがあったせいか法力の類に目覚めなかったけれど、私に重要なことを教えてくれた」
「重要なこと……?」
それはね、とメメ子が答えようとした瞬間だった。
水汲山山頂部、水天岐神楽果堂、その神聖なる本堂に――
――前兆も無く、要因も無く。
まるで理不尽に、落雷が落ちた。
「――――え、」
状況を理解するのが、一瞬、遅れた。
炎上する本堂、次いで更に、二回、三回、轟音と破壊が、俺たちの周囲に起こる。樹を裂き、地面を抉り、地獄絵図が生まれていく。
そんな中で、こうしてのんきに物事を観察する余裕があるのはなぜか。
本来俺たちにも及んでいるはずの、人間程度軽くぶっ飛ばすだろう風圧も衝撃も、一切感じていないからだ。
挙句、焼けながら飛散した木の枝が、不自然に俺たちの周囲で、壁にぶつかったように弾き飛ばされた。
……どんな馬鹿でもどうにことか気が付くし、こんなのもう笑うしかない。
落雷の軌道が、逸らされている。
相楽杜夫と氷雨芽々子の周囲、直径五メートルほどが、見えない力で守られている。
「能力は鍛え上げられる。一度は届かなかった望みだろうと、叶えられるようになればいい」
見下ろす隣、九歳の姿のメメ子が、こちらを見上げ、誇らしげに笑う。
「あなたの命日を知ってから、八年間、霊峰の力を取り込むために、地下に篭もって一歩も出ずに修行をしたの。今度こそ――納得のいかないものは、たとえ【神様の決めた宿命】だろうと覆せるようにね、がらくん」
その顔が、何かを求めているようなので、困惑しつつも頭を撫でた。
古来【神鳴り】と呼ばれ、人智を超えた現象として崇め恐れられていたそれをいとも容易く防ぐ童女は、顎を撫でられる猫のように恍惚とした。
空が光り、地が揺れる、奇想天外な状況の中で。
念願の、待ち望んだ陽だまりへ辿り着いたように。
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