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メメントモリオ!!!!  作者: 殻半ひよこ
【第零章(#001) 芽々子と杜夫】
63/81

063→【相楽君枝、“靄”】



     ○●◎●○



 陽が沈み、星が出た。

 消灯の時間が過ぎて、巡回も一段落ついた後、私は病室を抜け出し、日のあるうちに調べておいた部屋へ向かう。

 控えめなノックに、柔らかい声が返る。


「どなた?」


 扉を開け、中に入ると、その個室には一人の女性が、沢山の管に繋がれて、脇に大仰な機材が置かれているベッドに横たわっていた。


「あら、かわいらしいおじょうちゃん。どうしたの、おへや、わからなくなっちゃった? 看護師さん、呼ぼうか?」

「ちがいます。あなたに、用事があって、きました」

「え?」

「わたし、氷雨、芽々子といいます」


 勇気を出して、話す。


「がらくん、――相楽杜夫くんの、トモダチです」

「あらまあ」


 深夜に訪れた、どこからどう見ても怪しい来訪者を、その人は、まるでお日様が上ったような笑顔で歓迎してくれた。


「うれしいわ。ご挨拶に来てくださったの。それはそれは、どうしましょう、ごめんなさいね、ろくなおもてなしもできなくて」


 ひどく痩せて、骨の浮いた手を、彼女は震えながら差し出した。

 私はそれを握る。

 それでわかる。


「はじめまして、芽々子さん。杜夫の母の、君枝(きみえ)です」


 これからもあの子と仲良くしてあげてね、と語るその人には、決定的に、時間が無かった。

 自らの死期を悟っている人の、命を振り絞る笑みだった。



     ○●◎●○



 色々な話をした。

 がらくんのお母さん、君枝さんが、彼の妹が生まれた直後に重い病気が見つかって、もうずっと入院をしていること。

 小さなころの大事な時期、子供たちにかまってあげられなくて、寂しい思いをさせてしまっているのが申し訳ないこと。


「二年生になってから、杜夫はよくお見舞いにきてくれるようになってね。危なくない、って聞いたら、二年生はもうオトナだから大丈夫だなんて強がるの。最近は水泳もやってるから身体が強くなった、それを見せに来てるんだって」


 確かに。

 出逢ったころはよくけほけほ咳こんでいた彼が、この頃はどうにも、はつらつとしていた。いかにも、心に身体が追い付いてきた、という感じだった。


「こんなことを言ったら、怒られてしまうのだけど。ずっと不安だったの。私は、あの子の人生の、邪魔になっているんじゃないかって。私を気にさせてばかりいるせいで、周りにはうんとたくさんあるはずのしあわせを、気付けなくさせているんじゃなかって」

「そんなことは」


 今は深夜で、わたしが勝手にここに来たことがばれてはいけない。


「ぜったい、ないです」


 それを自覚していながら、大声を出しそうになった。


「がらくんはいつも、楽しそうに、君枝さんの話をします。話してもらったことを、ぜんぶ宝物にしています。【君枝さんがいたせいで】なんて、たったのいっこもありません」


 行きの道、帰りの道。

 繰り返される日常の、些細な雑談。滲み出して、かすかに触れる、彼と、彼の周りの人々の世界。

 ……それを私は、今までどんなに――

「【あなたがいてくれたから】。がらくんが、君枝さんに思っているのはそれだけです。いつもうらやましい、ずるい、しあわせなことを聞かされていた、わたしがおやくそくします」


 ――憧れて、いただろうか。

 あたりまえに生まれ、あたりまえに生き、あたりまえに、人として普通に愛し愛される、その関係に。



「だから、おねがい、です。がらくんの、ためにも、そんなことを、言わないでください」

「……そう、」


 細い手。

 筋張った手。

 何よりも、優しい手。

 それが、涙を浮かべる私の頭を、そっと撫でる。


「ありがとう。あなたはとても素敵な子ね、芽々子ちゃん。ふふ、杜夫にはもったいないぐらいかも」

「――――っ、」

「あなたがいてくれるのなら、あの子も安心ね。それに――あの子が一緒なら、きっとあなたも、ずっと探している、ほんとうに欲しがっているものを、きっと、手に入れられるはず」

「……わたしが、探してる、欲しい、もの」

「芽々子ちゃん、杜夫のことよろしくね。あの子は人のためにがんばれる子だけど、それに一生懸命過ぎて、自分をあとまわしにしちゃう子だから。どうか、間違えそうになった時は、あなたが杜夫を叱ってあげて」

「――――はい。わたしが、がらくんを、叱ります」

「うん。いい顔だ、かわいいよ、めめちゃん」


 おそらく、弱った身体で、長く喋り過ぎたのだろう。君枝さんは目を閉じると、「今日はぐっすり眠れそう。肩の荷が下りちゃった」と笑い、寝息を立て始めた。

 伝えるべき言葉を伝え、欲しかった指針をもらった。

 私の本当の目的は、ここからだ。


「……………………ふう、」


 息を吐いて、眼を凝らす。

 そうすると、透けて見えてきた。

 君枝さんの中にある、黒く、不吉で、得体の知れない(もや)が。

 

 誰に説明されずとも、私は、直感でその正体を悟っている。これこそが、彼女を苦しめているものだ。君枝さんを弱らせ、そして、私があの坂道で見た白昼夢を、現実に変える原因だ。

 迂遠に言おうと事実は同じ。

 ならば私は、この靄を【死】と呼ぼう。

 

「君枝さんは、いいひとだ。がらくんが大好きなのもあたりまえな、本当にいいお母さんだ」


 静かに上下する、その胸に触れる。

 意識を集中し、私は、私の内側から、それを引き出す――私の手の先から、()()、と光が溢れ出す。


「取ってなんか、いかせるもんか。このひとから、出ていけ」

 

 その光――父によって【ヒーリング】と名付けられた、生き物を活性化させ、元気にする力が、君枝さんの奥深くに染みこんでいく。黒い靄が、命の光に包まれ消えていく。

 

 その作業は、日が昇り始めるまでかかった。全身の疲れ、気だるさは物凄いが、自分の病室に戻った私は、大きな満足感に包まれている。

 

 病室から帰る時、君枝さんの呼吸は、治癒を始める前よりずっと確かになっていた。これから体調も快方へ向かい、がらくんも喜ぶに違いない。いつもの時間が、自慢と喜びの話題で埋め尽くされてしまうかな。

 

 悪くない。

 そうしたら私も、言ってやるんだ。こっちにもひとつ、いいことがあったって。


 ずっとずっと、何のためにあるのかもわからなかった、やっていてつまらないだけだったことで、はじめて、嬉しいと思えたんだって。

 

 ――助けたい人を、助けられた。

 その感覚が、私を心地よい眠りに誘う。明日が楽しみだと感じる初めての気持ちが、どんな布団よりもふんわりと身を包む。

 

 この力があってよかった。

 生まれてきて、よかった。 


     ○●◎●○



 私が相良君枝の訃報を知ったのは、それから三日後の事だった。



     ○●◎●○



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