057→【たのしいたのしい、もしものはなし】
●○◎○●
「……え?」
俺の口から、間抜けな声が漏れる。
メメ子は、振り上げられた手を突き出す前に、その手に持っていた小刀を離していた。
「おや?」
浄権のとぼけた声を聞きながら、それが畳に刺さるのを俺は見て、次の瞬間、
「へぶっっっっ!?」
鼻っ柱に、衝撃を受けた。
メメ子が、小刀を捨てた手をグーに握り直して、思いっきり鉄格子を殴ったからだ。
「な、な、え、な、えぇえぇぇ……?」
「――――初恋。言ってくれたわね、がらくん」
……ふぅ、と。
メメ子が、溜息を吐きながら、やれやれと首を振った。
「は。なにそれ、またしても、私の勝ちだわ」
「んんん?」
「だって。私のほうが、その前から――二年生のあの日から、あなたに心底惚れているもの」
「んんんんんんんんッ!?」
「く、く、く、岐神権現んんんんっ!?」
俺も事態に追いつけていないが、浄権以下、信者たちの驚きはそれを遥かに超えていた。
「な、な、なに、何事です、その喋り方、その態度!?」
「ああ、これ? 何を驚く必要があるの、単に演技をやめたってだけじゃない。まったく、面白いからやめなさい。いい大人がみっともない」
「お、おお、おおぉおおおぉおおおおぉおああああぁあああああっ!?」
「く、岐神権現、御乱心んんんんっ!?」
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だこんなの嘘だぁぁぁぁぁぁっ!?」
……おぉう。信仰の対象がぐらぐらとされた時、人間はこのようになってしまうのか。
大の大人。本気の狼狽を見て俺が引いている中、再び静かに「がらくん」と呼ぶ声がある。
「ちょっと離れていなさい。危ないわよ」
「え?」
「――――ふっ」
刹那。騒動の最中、再び拾い上げていた小刀を、一閃。
あろうことか、それで、鉄格子を塞ぐ鍵を、彼女はあっさり壊してしまった。
「やっぱり、駄目ね。扉ごと壊すつもりでやったのだけれど、鍵しか効果が及ばないなんて」
「め、め、メメ子?」
「……いっつ、いりゅーじょーん」
びし、とポーズを決めるゴンゲンさま。
ざけんな、それで通るか、こんなモン……っ!
「言いたいことはあるでしょう。でもね、がらくん。やはりそれも、こちらの勝ち」
「わかった、わかったから少しぐらい説明をだな」
「いるんでしょう、わたし」」
「おうさ」
頭越しに呼び掛けられる、奇妙な言葉に応えたのは、誰あろう。部屋から見た死角の位置、じっと状況を傍観していた、神様だった。
てか、え?
今、メメ子、こいつのことを、何て?
「長らく、ご苦労だったわね」
「ひひ。やめんかくすぐったい。自分自身に労われるなぞ、なーんの意味も無かろうが」
「意味のない言葉など無いわ。それを私は、彼から教わったのでしょう?」
「――ふ。さすがは本体殿、そう言われると返す言葉も無いわ」
意外すぎるやり取りに、思わず口を挟む。
「本、体?」
その顔が、くるりとこちらを見て、いたずらがばれたように苦笑する。
それで、思い出す。というより、今まで、どうして、わからなかったのか。
彼女は――神様は。
その顔、その声、その姿は……。
「今日まで楽しかったぞ、モリオ」
「――メメ子、じゃん。お前も」
小学校の頃。
初めて会った時の、氷雨芽々子と、同じだった。
「くひ。色々と嘘をついて、すまんかったの。これにて去らばじゃ」
「か」
「はん。それにしてもおぬし、本当にお人よしよの。おまえの最期を見取りに来た、魂奪う怨敵を――結局最後の最後まで、おまえのせいで死ぬのだとか、たったの一度も恨み節を言いよらんかった」
「神様ッ!」
「達者でな。――ああいや、違うか。こんな言葉は縁起も悪い、そもそもワシの理由を間違う。……こほん、では、改めて」
こちらを見たまま。
俺を見守り続けてくれていた神様は、その手を、メメ子と繋ぎ。
「これからも、末永くよろしくね、がらくん」
微笑みながら、その身体が光となって、氷雨芽々子の中に吸い込まれていった。
「……なんだ、今の光は」
神様を見えていなかった水天岐神の連中が呆然と呟く。
その中でいの一番に動いたのはやはり、メメ子を誰より信仰する男、浄権だった。
「く、岐神権現! この事態、拙僧にもわかるようご説明くだされ!」
「決まっているでしょう、そんなもの」
彼女が答えた、その時だった。
どずん、と――凄まじい、破壊的な揺れが、周囲を襲った。
「お、おお、おぉぉぉっ!? 何だこれは次から次へぇぇぇぇっ、ぶげっ!?」
詰め寄っていた浄権が蹴倒される。
ゆっくりと、まるでラスボスの威容で、岐神権現が、メメ子が、長年引きこもってきたらしい座敷牢より外に出た。
「私は岐神権現だ。人の定めを決めるモノ、不幸をもたらさんとするモノに、その境で抗うヒト。なれば、その役割は、今成すべきは、たったのひとつ――」
言って。
彼女は、
いや、
嘘だろう、
相楽杜夫を引き寄せて、唇を奪った。
「――――あ、」
ファースト、ファーストのアレと、純情が今、なんか、嵐のように。
「いっつもいっつも上から目線で、高い位置から好き勝手、我物顔で大暴れする――【宿命】様を、ブチのめしてやることでしょう?」
はっと気付き、俺は現実逃避のように、引き寄せられたままスマホを確認する。
電波は届かないが、時間はわかる。
現在時刻、夜七時。
相良杜夫に、死が押し寄せてくる時間。
「ねえ、がらくん」
その表情が、懐かしい。
小学三年生の頃、何度も見た――それで惚れた、心の底から楽しそうな、いたずらっぽい、笑顔。
命が、輝いている表情。
「今日が、あなたの命日じゃなかったら、どうする?」
-------------------
第三章、【初恋告白】、中断。
十二度目の生→継続中。
第零章、【芽々子と杜夫】に続く。




