056→【未練の終わり、最高の命日】
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「よっ、久し振り。会いに来たぜ、メメ子」
振り向けないので、そちらは見れない。
見えないが、しかし、こいつに心底感じ入っちまってるおっさんのことだ。きっと、ポテチを食った手でお気に入りの宝物をガキにいじられた顔をしているだろう。
知らない。知ったこっちゃない、そんなこと。
誰がこいつを神様と呼ぼうと。どんなすっげえ神力だかを持っていようと。
周りの事情がどうした。
俺たちには、そんなの関係ないことだ。
俺たちはずっと、そういう関係の友達だ。
けたけたと笑えば、息を飲む気配が、鉄格子のこちら側全員から伝わる。
「なにおまえ、そんなことになっちゃってんの。あの向かうところ敵なしのメメ子さんが、いい子ちゃんも極まっちまって、カミサマになってみんなのシアワセお手伝いってか? んはっ、はははははっ、マジ受けるっ!」
おおっと。首の両側をから挟む二本の刃物の、右っかわがチョイ刺さり。首から血ィが垂れてる垂れてる。ふむふむ、やっこさん、相当おかんむりらしい。
そうだよなあ、自分のトコの生き神様に、どこの馬の骨ともしれないクソガキがナマイキな口叩いちゃったらそうもなろう。
気持ちはわかる。
だけどすまない。
俺にとって、ここにいるのはクナトなんたらじゃなく、クラスメイトのメメ子さんなんだわ。
「かはっ。ま、いいわ。おまえの人生だしな。コスプレだろーとカミサマごっこだろーとも、どうぞお好きにってなもんだ。似合ってねーしカッコ悪いって感想ぐらいは言うけどもッ! あと、発育の悪さの件については心底同情致しますッ!」
「貴様ぁっ!」
左の奴も我慢が来た。
刃はそのままに横腹を殴られる。それが随分いいとこに入ったらしく、呼吸が詰まる。涙が出る。痛みより苦しさが、全身と思考を支配しようと巻き付いてくる。
「でよ、メメ子」
嘗めるな。
そんなもんに、負けると思うか、相良杜夫が。
こちとら、此処に来るまで、もう十一回は死んでるんだぜ?
この程度、マッサージにもなんねんだよ。
「今日はな、おまえに二つほど、言いたいことがあって遊びに来たんだわ」
その眼を見る。
さっきから、まるで時間が止まってるみたいな態度に、いざ、風穴を開ける決意で。
「一個目。ちょおーっと色々気になって、おまえのタイムカプセル、覚えてるかな小学三年の時埋めたやつ。あれ中身見ちゃったんだけどよ」
思い出す。死に場所と死に方を、茫洋と探していた繰り返しの中、転換の出来事。
坂の途中の別れ道、開けたカプセルに入っていたもの。
あの時、俺が見てしまった、彼女が未来に投げたメッセージ——
「『たすけて』って書いた紙だけ入ってたけど。どういう意味かと思って、聞きにきた」
一度も、弱いとこなんて、見せなかった。
何も、気にしないように、過ごしていた。
彼女は、俺の前では……相良杜夫と会う時だけは、無敵だった。
「しっかしまあ、あてつけだろ、あんなの。よりによって使ってる紙がよ、おまえ、あれ、俺がやったノートのページだろ? 間違いねえよ。クラスで使ってたのって俺ぐらいだったじゃん? 特撮の、変身ヒーロー――悪の現場に疾風見参、人馬合体チャンバライダー。ったく、あんなん見ちまったらさ、遠い昔に置いてきた正義の心が疼いて仕方ねえっての」
あれこれいちいち、カッコがつかない。疾風見参とはいかなかったし、打算の無いキラキラな心できたわけもないしな、俺。
でもまあ、とはいえ。
「おまえが、俺に向けて書いた、ってことだけは、わかったよ」
迂遠にも程がある。あんなの、普通に開けるタイミングは成人式の年で、そもそも本来は本人が開けて確認するものだ。
それでも、何の偶然か、他でもない俺が開けて俺が見た。それに、きっと、意味はある。
いや。
俺がそれを、どう勝手だと言われても、意味だと受けとる。
何度死んでも辿り着く。
そう決めた。
「あれから八年経っちまってさ、もう時期も何も過ぎちまってるかもしれねーけど。でも、もしかしたら何も手遅れじゃないかもしれないわけで、こりゃあ直接聞くしかないな、と思って、今日、おまえを捜してきた」
今の俺と今のこいつが、どういう状況かなんて関係ない。鉄格子越しに、片やおっかない刃物を膝に、片や首チョンパ寸前の有様だが。しかも、それを命じたのは目の前の発育悪い女だっつうオマケつきだが。
「あのさ、メメ子」
相楽杜夫が話しているのは、八年前の氷雨芽々子だ。
「俺はおまえのことなんて、いけすかないライバルだと思ってるし。仲間でも味方でも何でもないが、俺が助けになれることなら、なんだって手伝うよ。やって欲しいことがあんなら言え。こんな命でいいんなら、いくらだってかけてやる」
そうだ。
実のとこ、こんな絶体絶命は、俺にとってちぃとも大したことじゃない。
だって、元から今日が命日だし? ほっといたって、もうまもなく死ぬわけだし?
そんならば、それが最も役に立つ、悔いのない形で使い切れるのならば、本人は何も言うことがないのだ。死に際して、本当に、言い残すことさえないのだ。
「すっげーカミサマになるために必要だってんなら、おうおうどーんと持ってけ持ってけ。そんかわしいっこ約束しろよ、俺の命を持ってくからには、いいか、立派な神様になれ。そこの、欲塗れのおっさんとは手を切って、そうだな、昔からこの土地を愛してらっしゃる、民俗学の先生とかに気を配ってやってくれ。俺がこの何回かで関わったこんがらがりもどうやらその辺りから始まってるらしいから、そこを解決すりゃあ万事解決万々歳だ」
「き、ふ、ふざけたことを抜かすでないわ! 岐神権現、このような戯言に耳を、」
焦りを帯びた浄権の苦情が中断したのは、ゆらりとそいつが立ち上がったからだ。
その手に、小刀。
一歩、何をするにも届く距離に、そいつが、メメ子が、近づいてくる。
浄権が、勝ちを確信したみたいに、上擦った笑いをする。
「御絶ちあれ! いざ御絶ちあれ、岐神権現! そやつこそ、貴女様を縛り付ける楔! その命を呑み、異なる神を取り組むことで、貴女様の未来はこの山越えて、万里の彼方に届くのですぞ!」
誘い引かれるよう、一歩、二歩と、摺り足で、彼女が来る。
そしてついに、鉄格子を挟んで、俺たちはすぐそばにある。
全身を格子に押し付けられた俺は、身動きも取れない。
胸は、心臓が、その隙間から、実に刺しやすい位置に覗いている。
「いざ、水天岐神楽果堂、新生の時をぉぉおおぉおおおおぉおッ!」
そんな興奮した声を遮って、俺は言う。
「なあ、メメ子。これだけは、伝えて死のうと思ってたんだけどさ」
誰よりも近く、
神様でなく、
彼女自身の、
その眼を見詰めて。
振り上げられる、小刀を持った手に構わずに。
「俺、おまえのことが好きなんだ。今でもずっと、多分死んでも、この初恋は、終わらない」
最期の一言を、伝えきった。
そして――
死ぬ以上の未知が、これより起こる。
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