054→【教祖、征流院浄権】
「ちゃちな詐欺で終わる素材ではない。巧く使えば神になれる器だぞ、あの少女は」
ぬらりと。
前方、進路の闇から現れたのは、枯れススキめいた痩せぎすの僧だった。
豪奢な正装を纏い、しかし、その格好は対外用の権威の意味しか持たない……人の手に依らぬ神など信じていないということが、表情から十分に窺えた。
「浄権……ッ!」
白城が口にした名で、おおよそ推測できていた正体が裏付けられる。
北峰の文化と人々を蝕む新興宗教、水天岐神楽果堂、教祖。
征流院浄権。
「よう、無駄飯学生。こんな穴蔵で何しとる。土竜の真似なぞ、一銭の得にもなるまいよ」
生臭僧侶が、顎の髭を撫でつつ笑う。こちらと奴は、懐中電灯の光の際で対峙しているが、嫌でもわかる――奴の後ろに、大勢の気配があることが。
「そら、回れ右、戻れすぐ。といってもな、ぬは、その先にあるのはムショの檻か」
おかしくてしかたがない、というふうに浄権が肩を揺らす。
「知ったぞ聞いたぞいや笑ったぞ! 貴君、南河に犯罪組織なぞ創っておったらしいなあ! ぐふふはははは、傑作! 馬鹿はこれだから面白い! 笑止千万滑稽千万、そのようなことで我が水天岐神楽果堂、打ち破れると思うたか!? 道踏み外すことも厭わず手も足も心までも泥に染める、悲壮の決意を以てすれば!?」
地面を突く錫杖の音が、土の通路を通り抜ける。
「嘗めるな小童。足りぬ届かぬまるで至らぬ、御山に挑むにゃ徳不足ッ! 左道で正道を越えられるかこの大戯け、信心新たに生まれ変わって出直せぇいッ!」
「――その口で、貴様のような痴れ者が、知ったふうに徳を語るなぁぁぁぁぁぁッ!」
握り締めた拳、食い縛った歯、赤熱した眼光。
止める間もあらばこそ。感情を剥き出しに、不要に突っ走った白城は……浄権、顎の指図を一つで背後の闇から現れた、行者姿の男たちに取り押さえられた。
「易い。本当に易い男よ、貴君は」
「ぐ、じょ、浄権……ッ!」
「猿でも乗らん誘いに乗る。悪心のままに身を揮う。あのなあ白城、おい猿未満。よもや、貴君がこの経路を知っておること、バレておらんと思ったか?」
愕然とする白城に、追い打ちの言葉が放たれる。
「先刻お見通しに決まっとろう、五年前のあの日から。岐神権現の一挙手一投足、言の葉一片までも拙僧は皆確認しておる。役立たずの頭で考えてみよ、金の卵を産む鶏に監視を仕込まぬ阿呆があるか?」
引き倒された白城の頭を、浄権が踏みつける。その光景は前回の俺、前々回の真尋に、奴自身がしたことを想起させた。
こうしたものを、確か仏教ではこのように言う。
善因楽果、悪因苦果。
「泳がせておったのよ、釣り餌にな。貴君など、それほど些細な蟻だった。安心したろう、菜畑佐一郎が罰されておらんから。自分にも追求がかかった気配がないから。してやった、とほくそ笑んだな、秘密の入り口が、埋め立てられもせなんだから。っく、くは、ぶはははははははっ! 浅慮、浅慮、浅慮、浅慮ぉっ! なんという馬鹿、度し難しッ!」
「うぉおぉおおおおおッ! 浄権んんんんんんんッ!」
激しく抵抗を試みるも、五人がかりで全身を押さえられて、抜け出せる訳もない。見れば、顔を垂れ布で隠した行者たちの、その体格の逞しいこと。先程の振る舞い、動きの見事さ隙の無さからして、奴らはおそらく、征流院浄権の私兵――僧兵に近しいものなのだろう。
「――――で、そこの」
そして。
それまで蚊帳の外で合った俺に、初対面の餓鬼一匹に、教祖が指と意識を向けた。
「ふむ、ふむふむふむ、ふむ」
全身を観察される。じろじろと見定められる。
「むふ。成程、仰られていた特徴の通りだ」
そして、薄気味悪く笑う。
「おい、小童よ。白城哉彦よ。これは礼を言わねばなるまいな」
「なっ……ん、だと……?」
「何たる牡丹餅。海老で鯛とはまさにこのこと。貴君はなあ、我等が長年追い求めた、客人を連れてきてくれたのだよ」
そこまでを聞かされ、白城は動脈を絞め落とされ、くたりと意識を失った。
「褒美として生かしてやる。元より貴君には御山を無事降り、罪人として逮捕されることで、神秘を解さぬ俗物を道連れにしてもらわねばならんのだ」
軽々と行者に担ぎ上げられる白城。俺は、この状況を見て、……僅か、半歩後退し、
「無理だよ、無理ぃ」
音もなく背後から迫っていた、屈強な男たちに羽交い絞めにされた。
「な、こ、こんな奴ら、一体どこからっ、」
「この山中螺旋地下道は、一般信者に知られぬよう、あの方の求めたものを届ける隠し通路であると同時に、誘き寄せられた阿呆を捕らえる罠だ。元はこの山を根城としていた野伏せりが使っていたもので、水天岐神楽果堂が功徳のために再利用している塩梅よ。伏兵の隠れる場所はあちらこちらにあったのだが、気づきもせなんだか」
俺たちは最初から、あの洞窟に入った時点で袋の鼠だった。こんなにも迅速に行動されるということは、入り口のどこかに、監視カメラでも仕込まれていたのだ。
「落ち着かれよ、貴君の望みは分かっている。会いたいのだろう、我らが権現に。御許へ直接繋がりしこの地下道、下手人が使うはそれ以外の意図などない」
「――だったら、どうした」
「会わせよう。岐神権現は、そなたをずっと待っておったのだ、贄守人よ」
焼き付きそうに頭が動き、それでも意味が掴めない。
この状況が――あいつの、芽々子の心が。
「権現は、当の昔に予知しておった。この日、霊峰水汲山に御降臨なされてから八年後の七月十九日――訪れし少年は、その身に【死の神】、【天命の導神】を宿せしものなり。それを自らの眼前で贄と捧ぐことにより、貴君の魂と、内に潜みし死の神を同時に取り込み、岐神権現の神力は、真に完成するものだとな」
耳鳴りがする。
頭痛がする。
目の前の、奇跡に陶酔した笑顔が、歪んで、とろけて、奇妙に見える。
「諦められよ、受け入れられよ。否、閉ざされし眼を開いて考えよ。どうせすぐにも失う命、我らが水天岐神楽果堂の糧となることを歓喜しながら捧げるがよい、贄守人」
その言葉を受けて。
俺は、欲望に笑う教祖の顔など見ていなかった。
その隣に立つ、和服を着た、座敷童みたいなおかっぱの、少女を見ていた。
万が一にも自殺などされないようにか、猿轡を噛まされ、目隠しを撒かれる。もう何も見えなくなるし、言えなくなる。
そんな俺を、神様は、どこか遠い、長い旅が終わったような目で見ていた。
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