047→【インタビュー・コンティニュー】
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話に一区切りがつき、小休止になった取材の場。准教授は「炭酸が足りなくなりました。大至急補充しなければ」と席を外し、俺はトイレに向かった彼を追った。
「ありゃ」
戸を押し開くと、丁度、チャックを降ろしたところだった。
「なんだい。俺を追っかけてきたとか? もしや君、俺のファンか?」
「ええ、確かに惚れこむ理由はありますね」
中には、彼だけ。個室も空いている。その隣に立ち、こちらも同じくチャックを下ろす。
「白城さん。どうして、初対面の俺なんかに協力してくれたんですか?」
「へえ。君、人の親切の裏とか気になるタイプか」
「気にならない人っていますかね?」
違いない、と彼は頷く。
「別に。暇潰し。鳥見さんトコでも言ってたけど、俺今日の予定潰れちゃってさ。あーいや多分それだけじゃないな。色々やってたことが、作りかけのドミノが崩れたみたいに御破算になってるだろう。あー、ちゃんと調べりゃわかるんだろうが、知りたくないなー負けた理由を詳しくなんてー」
「本当にそれだけですか?」
「うん?」
「俺が、相楽杜夫って名乗った時。目の色、変えてませんでしたっけ?」
「へ?」
何言ってんだこいつ、という反応。それは自然で、違和感なく、けれど、俺は、更に押す。
今回、目の色など変えてはいなかったことを知りながら。
前回、あのマンションの中での反応を、知っているから。
「俺が“がらくん”だから。興味が湧いて、ちょっかいかけようとしたんでしょ――セーヤさん」
じょぼ。
排出が止まり、そして、水を流す音。
「参ったな」
背後に立たれる。
逃げ場は無い。
俺は動かない。
「何も。俺が今日知りたくて、肝心なところは全然。あんたがSetsunaと金業の黒幕で、右に倣えな集団心理が大っ嫌いで、今日用事が潰れたのは謎のタレコミのせいでロクマンが取り押されたからで、ギリギリ網張ってる南河には行かず済んだけど北峰に手が及ぶのも時間の問題で、そのせいか多少投げやりになってて、あと、無類の妹好きっていう、別にどうだっていいことぐらいしか知りません」
「くはっ」
冷たい感触が、俺の首元に添えられる。
多分、折り畳み式刃物の刃か何かだ。
「そっか。お前のせいか。この、まるで前兆も無かったゲームオーバーは」
薄皮が裂ける感触、首筋を伝い、血の雫が流れる。
「やってくれるね、クソガキ。こんな時、俺はどうすりゃいい? 祈ればいいのか。拝めばいいのか。それとも、呪えばいいのか悔やめばいいのか――手ぇ出しちゃいけない奴に関わった、何回かは知らないが“前”の俺に、文句でもつけにいこうかな?」
「白城哉彦」
「なんだい“がらくん”」
向き直る。
眼前には突き付け直された刃。
絶体絶命の場面で、やり直せない最終回――だからこそ、得る為に、踏み込む。
「俺の状況、【死に直し】を、あんたに教えたのは誰だ?」
「決まってるだろ」
掲げられた左手。
その指先が指し示すのは、空を遮る天井の向こう、ここより高く、彼方の果ての、
「水汲山の、岐神様」
奴がそう言った時だった。
トイレの外から、にわかに騒がしさが伝わってくる。
白城が舌打ちし、『静かにしろ』のジェスチャーをしながらそちらへ意識を集中させる。
『――――刑事さん。私やっぱり、そんなのって信じられません。まさか哉彦が、あの子はちょっとひねくれてるけど、でも――』
扉が開く音、探す声。何が起こったか、否応なしに伝わってくる。
「存外早いな、南河市警。どっちのラインで動かされたかな。筋も道理も通さんガキに好き放題やられてた夜の街の手回しか、それとも、遅まきながら事態を知って、孫を守るためにトカゲの尻尾切りを決めた桜庭のジジイか――は、どっちにしても絶対絶命だな、これは。神隠しにでも合わない限りは
駅前で会った柔和さ、黒川准教授と話していた時の善良な雰囲気が消え失せる。
今の白城に浮かぶのは、若者を操る二つの組織を結成し、その黒幕として社会を自在にしようとした男の、ギラついた野心と冷静な獰猛さだ。
「……当然だが。逃げられると思うなよ、白城」
それと相対し、俺もまた――あのマンションでのテンションを取り戻している。
「俺は、おまえが罠にかけようとしていた、相楽真尋の兄貴で千波岬の友達だ。何を隠そう前回は、この手できちんとブチのめしてやれなかったことが、ずっと心に残ってた」
「――へえ。どういう関わりをしてくれたんだか、前の俺は。興味があるよ。実に実にね」
扉を開ける音が、再び近くでもう一回。研究室に俺も白城もいないので、他の部屋を虱潰しに探しているのだろう。
時間は俺に利する。こうして喋っているだけで、白城を取り押さえていることになる。
「ふむ」
折り畳みナイフの刃に視線を落とす。明解な威圧のモーション、生憎だがそんなチンケでチャチな脅しにビビりはしない。
確か四回目だったっけなあ。コンビニ強盗に、包丁で腹を刺されたのは。
「決意に敵意、ガッチリバッチリ固めてるところ悪いけどね。相楽杜夫、君はやはり、今回も俺に傷一つつけることは出来ない」
「――大層な自信だな。そんなもん、やってみなけりゃ」
「何故なら」
白城は俺に背を向けてトイレの窓を開き、転落防止の柵を指先で打つ。
「君は今から俺の共犯で、ここから逃げる手伝いをするからだ」
「はぁっ!?」
こちらの混乱を余所に、白城は経年劣化し錆の浮いた格子を触って確かめ、『これならいけるな』と今度は鑢を取り出した。どこの四次元に繋がってるんだあのポッケ!
「三分。やり方は何でもいい、時間を稼げ相楽杜夫。俺はその間に格子を外して脱出する。落ち合うのは、そうだな。駅からここに来るまでに、古びた神社を過ぎただろう。そこの境内の裏、合言葉は【妹万歳】、尾行をくっつけてくるなんてマヌケな真似はしてくれるなよ」
「ちょ、ちょっ、ちょっと待て……!」
ぶんぶんと首を振る。差し出した掌はストップの意思表示だ。
「テメエ正気か? 往生際の悪さも大概にしろ、一体何をどう考えりゃあ俺がンな片棒担ぐって話に、」
「俺が行儀を良くしたら」
白城がこつん、と格子に鑢を添える。
「おまえは決して、岐神の元には辿り着けないだろうな」
「だ……っか、ら! その岐神ってのは、さっきから何のことで」
「決断しろ。この命日、悔いを抱えて終わるのか。それとも――憎き相手を利用してでも、約束を果たしに行くと決めるのか。ここで俺を逃がすのならば、恩に報い、今日、君がしようとしている“死に様”に、白城哉彦が手を貸そうじゃないか」
「な、」
「一回だけ背中を押そう、“がらくん”」
その、呼びかた。
俺を、相楽杜夫を、そういうふうに呼ぶ奴には――からかうように、呼んでいた奴は。
昔も、今も、一人こっきりしか、思い当たる節は無い。
「俺は、君が探している相手と、会ったことがあるんだ」




