045→【ようこそ北峰へ/因縁は引かれ合う】
《15》
朝八時発、峰河線快速電車に乗ること一時間。
クーラーのきいた車内から降りると、蝉の声と、夏の匂いが濃くなった。
一目でわかるのは、見通しの広さと、空の高さ、そして何より、色のバランス。
背の高い灰色のビルが視界を防ぐことはなく、自治体全体の取り組みとして環境保護を推進している地域だけに、どちらを見渡しても緑・緑・緑がある。広大な田の一面に揺れるのは、秋の収穫に向けて、この時期、この季節、燦々と注ぐ日光と、水汲山の湧水から始まる川に育まれる、名物米【しらはえ】のたくましき命。
「相っ変わらず、すげえ変化だよな、南と北で……」
南河が文化・商業的な分野で発展する一方、こちらは生産・農業的な方面に拡大した。豊かな自然から生まれる環境は勿論作農以外の役割を生み、取り分け夏場、森林・田畑が生む涼しさを求める人たちを迎え入れる避暑地となる。
川遊び、山遊び、森遊び、伝統保存会開催による行事体験――夏の大型連休には、県内外より多くの客が訪れる、時間のゆったりと流れる長閑な田舎。
それがここ。
南河市より、快速電車で一時間――同県、北峰市、水汲町。
東部には、地域すべてを資料と研究する、百年の歴史を持つ水汲農業大学があり。
そして西には、同じく過去よりの歴史を資料として学問する、北峰大学院がある。
「ではどちらに行くかの、モリオ」
「ああ。一応、アテっつーか、手掛かりについてなくはない」
まずはそのとっかかりを目指し、そこからどうするのかは得たもの次第、サイコロの出目次第となるだろう。何は無くともスピード勝負だが、
とはいえ。
「そこの冷やしおむすび屋、見た瞬間から目ぇつけてた」
「天才じゃな」
わし梅味噌味むすびな! と早くも判断力の早さを見せつける童女に“はいよ”と答え、テイクアウト式店舗に直撃する。
「すみませーん」
「はいいらっしゃい、何にしましょ?」
「えっと、こちらの梅味噌のやつと……塩とまとをいっこずつ。……あ、サイズは大で」
「はいよー梅味噌と塩とまとの両方大ね。二つで二百円になりまーす。しっかしお兄さん、食いしん坊だねえ」
店番に立っていた気風のいいお姉さんが、嬉しそうにからかうように笑う。
「ウチのおむすび、でっかいから。大を一人で二つもなんて、食べきれないかもよ?」
「モリオモリオモリオ! いいのう! 塩トマトとかシブいとこつくのう! ひとくちな! それ、わしにも一口な!」
「……そうっすねえ。んじゃ、食べきれそうになさそうな分は、神様にでもお供えしますよ」
「はは! へぇ、見たトコ観光の子っぽいけど、水汲山の岐神様なんてよく知ってるねえ」
噛み合っていない話を、愛想笑いで乗り切る。俺の傍らでは今も、俺以外に見えない童女が、期待に瞳を輝かせている。
「ところでお姉さん」
「あらやだお姉さんなんて上手だねお兄さん! そんなお世辞に私が乗ると思う!? ふふふ乗るんだなーこれが! 褒め言葉に滅法弱いのが北峰の女だから!」
冷汁もサービス、と紙コップに大鍋から並々注がれる。やったぜ。
ではなくて、
「お姉さん、この辺りの人ですよね? 今言ってらっしゃった、水汲山の岐神信仰について、何か知っていることがあればお話を伺いたいんですが、」
「やあ鳥見さん、いつものひとつ」
横から伸びてきたのは、声と手。
百円玉を置いた人物の腕を辿り顔を見て、
「っ!?」
「ぶっは!」
俺は思わず息を飲み、神様は笑いを堪えきれず吹き出した。
「はいよ海苔ワサビ大ね。ああ丁度良かったよ、おい、暇人大学生! この人さ、北峰に観光に来て、岐神様について調べてるみたいなの! 手伝ってやんなよ、どうせ暇でしょ!?」
「ちょっとちょっとぉ、人聞きの悪いこと言わないでよ鳥見さん! 俺がいつも外をぶらついてんのはアレ、フィールドワークで立派な研究の一環ですから! それに大学生じゃなくて、一昨年から院生! しかし悔しいな、今暇なのは確かにそうです! さっきね、今日遊びに行こうと思ってた相手から、急に用事が出来ちゃったんで来ないでくれってフラれちゃった! そんで仕方ないから、今まさに南河行きの切符払い戻してきたんだわ!」
そんなふうに、親しげに会話をする相手の顔を、俺がしげしげと見つめていると、
「ん? 君、どっかで会ったことあったっけ?」
「――いえ、無いです。ありません、ちっとも」
「そ。んじゃ、初めましてよろしくってことで」
冷汁を飲みながら、彼は――否、そいつは笑顔で手を差し出してくる。
「俺、北峰大学院民俗文化研究学科に通ってる白城哉彦ね。水汲山岐神信仰は教授と追ってるテーマなんだけど、調べてることってなに?」
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