038→【兄】
《12》
運んでもらっている分際で我儘を言った。
行きたいところがある、と注文を付けた。
「んじゃ、ここらでいい?」
「オーケーオーケー、サンキュー真尋。これこそ顧客が本当に必要だったものだよ」
福禄マンションがある高級住宅街から十分程度移動した、河川敷。
休日はジョギング・散歩のコースとなる道に沿い休憩用のベンチがあり、そのうち一つに俺たちは並んで腰掛ける。
「ワガママ兄貴が、ったく。わかってるだろうけど、あたし、あんたを無事に連れて戻れって言われてんだからな。フローラさんにシャルロットさんに、あと、大銀河流星丸にも」
「ああ。ちょっと疲れただけだからさ、少しだけ休んだら、出発するよ」
「はいはい、つってもどーせまたあたしが担いでくんだけどなー」
星が出ている。
意図的に電灯から遠ざけられた、背の部分が楕円を描くベンチのデザインは、夜、見上げる光を楽しむ為のものだ。
地理か気候によるものか、南河は昔から星がよく見られる場所として観光客の招致活動を行っている。
この河川敷もそうしたスポットのひとつだが、花火大会などの大きなイベントと重ならない時期は絶好の穴場となり、海に漂うような静けさを過ごせることは地元民だけの秘密である。
「あー……いいわ、やっぱ」
地上の事情は地上の事情。
彼方の星はそんな些末に関わらず、澄み切った満天に、それぞれの思うさま、思うがままに瞬いている。
眼を満たす輝きと、耳に沁みるせせらぎ。
思わずこのまま、目を閉じたくなるような、満足感。
「なあ」
と、いうわけにもいかない事情が、口を開く。
「どっから予想通りだったワケ?」
「ん?」
「最初っから、自分が浚われるかもしんねーとか、そんなこと考えてたのかよ」
「まあ、ヤバいなやつらだってのは知ってたからな。最初に考えたのは、そういう時の反撃の手筈だったよ」
今俺は、シャツの襟にフローラさんが用意したマイク付き発信器を身に着けている。
クラブから出た時点で追跡を開始し、以降相良杜夫の動向は逐一モニターされていた――音声も含めて。
「監視の警護もつけようか、って言ってもらったんだけどな。俺自身は無防備で、目障りで、かつ、いかにも食いつきやすそう・処理が楽そうに見えることが重要だった」
「――呆れた。そんじゃ、兄貴」
「一日で組織を潰すなんざ、ちまちま地道に捜査や証拠集めなんてしてたら、とても間に合わ
ないからな。したらばそこは、潜入捜査っきゃねえだろう」
奇しくも、俺が今朝に体験したのと、要点は同じだ。
【相手が防御を固めているなら、鎧は無視して、堅さでは無効化出来ない攻撃をする】。
「これ見よがしな囮に引っかかって、ざまあみろ、奴らまんまと毒を飲んだ。俺をアジトに連れ込んで、絶対安心だとかつけあがって、好き勝手にやったのだが運の尽きだ。もしあそこで火が出なかろうと、発言を録音された時点で詰んでんだよ、セーヤさんは」
がはははは、と笑い、襟をまさぐり、
「…………んん?」
ない。
あるはずの発信器が、手に触れない。
「あたしが、大銀河流星丸――変装して会場に潜り込んでた山田が、合コンの後、正体をバラしながら言ってきた最初の一言はな。【杜夫が浚われた。発信器もバレて、壊された】だよ。バカ兄貴」
「…………はえっ?」
「白芸大で消息絶って、自動車に乗せられたらしい速度で移動し始めたのが最後だったってよ。クルマん中で見つかって、捨てられたんじゃね?」
今更ながらに冷や汗が出る。
浚われて、見覚えのあるフローリングに転がされて、【よっしとりあえずこの状況になれば最低限の目標は達成かなー】とか考えてた自分が、どんなに甘かったのかを知る。
「移動経路が、多分高級住宅街のほうに向かってるってことだったから、あたしはとにかくそのあたりまで来て、手当たり次第に探してた。けど、結局何もわからないし、ガキ一匹が何のアテも無くうろついてたところで、マンションに入って調査なんて出来るわけも無くて、途方に暮れてた。――そしたらさ、」
あの火事が起こったのだと、真尋はその時の不安を思い出すように言った。
「わらわら出て来てんのが金業の連中だってのはエンブレムを見りゃすぐにわかった。ちょいとお話を聞かせてもらったら、中にはボスとゲストが残ってるとかって話じゃん。守衛連中もわけわかんねー非常事態で混乱してたから、その隙を突いて忍び込んだんだ」
「……はは。良かったよ、おまえがいいトコにいてくれて」
出来るだけ、演技と気取られないように言った。
知恵を絞って必死に駆け付けてくれた真尋には申し訳ないが、俺が組んだのはどちらか片方でも成立すればそれで御の字の計画だった。
マイクが壊されようと、アジトが燃えれば悪事が明るみに出る。アジトに運ばれなかろうと、マイクさえ稼働していれば言質が取れる。どちらにせよ、白城哉彦の陰謀は頓挫する。
なので、実際、意味は無い。
今日の事件で相良真尋が正答に辿り着いたことでの収穫は『相良杜夫が救出できる』という点しかないのだが、それこそが爆笑ものの徒労であり、無駄なことをさせてしまって本当に申し訳なくもある。
ほら、何せさ。
相楽杜夫は、どうやったって、もうすぐにでも。
「本当、助かった。こりゃあ今夜から、おまえにはとても足向けて、」
「いつからだよ」
虚ろな言葉を、突き破り。
「兄貴があたしに、嘘つくようになったのは」
真正面から、本音が来た。
泣きそうな目と、怒りに満ちた、そんな声で。




