037→【妹】
「な――――なんだとッ!?」
クールが売りのセーヤさんも、これにはさすがに顔色が変わる。
無理もない。福禄マンションが、白城が丹精込めて育てた悪の組織の心臓部だというのなら――この場所全体を巻き込む損失は、どんなに致命的だろう。
「かかか。早いところ説明してくれて助かったぜ、セーヤさん。一般の方々も住む普通の住宅だったら、早めに警告するつもりでいたが――ここ全体が、正攻法じゃあ捜査も出来ない、悪者専用のアジトってんならばまったくまったく丁度良い。潰れちまったほうが、世の為だ」
「これはまさか――君の仕業か、佐藤ッ!?」
「とぉんでもなぁい」
内線電話で一階の守衛と連絡し、余裕の失せた白城に言ってやる。
「ただ、予想はつくぜ。当ててやるよ。この火事、大方、火元がどこか、なんでこんなことになったのかわからない、ってなもんだろう?」
閉められていたカーテンを引きちぎるように開け、もうもうと上がりマンションを取り囲みつつある煙を確認し、振り返りながら奴が叫ぶ。
「おまえ、一体、何をしたッ!」
「何も?」
見た通り、その通り、俺は何にも出来やしない。手足は縛られベッドに括られおまけに麻酔も効いていて、喋るぐらいが関の山。
――そう。
時間稼ぎが、精々だ。
見た通り、その通り、俺は何にも出来やしない。手足は縛られベッドに括られおまけに麻酔もバッチリ効いて、喋るぐらいが関の山。
――そう。時間稼ぎが、精々だ。
「ただね。誠に遺憾じゃあるんだが、本人がどんなにコソっと隠れて大人しくしてようとも、放っといてくれない相手がいる。俺ってば悪いけど、モテてモテて仕方ねえんだわ」
「誰にッ!」
「死神」
七月十九日、現在時刻、七時二十八分。
この夜。相良杜夫は、必ず死ぬ。
原因は多岐に渡るが、十度の死に直しで検証を重ねるにつれ、浮き彫りになった事実がある。それは、運命……法則性と言ってもいい。
その一端こそが、これだ。
【七月十九日の夜。運命の時間】。
【安全な建築物内部にて活動を停止していた場合、原因不明の不審火にて死亡する】。
「おら。死にたくなきゃあ尻尾を巻きな、セーヤさん」
「……ぐ……ぐううっ……!」
「ただし、命以外は拾えると思うなよ。テメエらの悪事の拠点はこれで潰れるし、こんな大事で消防・警察が介入しないこたぁまさかない。現場検証が行われたんならば、どうやったって痕跡も、証拠の発見も免れない。そうなった時――さて、テメエの言う小心者の桜庭誠也が、我が身可愛い甘ったれが、【あいつに唆されたんです】と言わない保証があるかねえ?」
「佐、藤…………ッ!」
「言ってなかったな」
出来得る限りシニカルに。
捨て台詞こそ、格好付けて。
「佐藤は偽名だ、大マヌケ。それさえ見抜けなかったな。本名は相良杜夫で、さっきテメエが散々言った、相良真尋の兄貴だよ。」
「な……さ、がら……!?」
「悪いが、あいつの可愛いところも分かんねえような節穴の盆暗に、とても妹はやれねえな、おにいちゃん?」
「――――ッ!」
殴りつけてくる拳さえ気分がいい。
してやったりの心持ちで、口端から垂れる血を舐める。
「――――ははははははははッ! この状況、この盤面、どうやら俺の詰みってことか!」
頭を押さえ、ふらふらと出口に繋がる廊下へ歩いていく白城。
……当然ながら奴に、俺を助けようという気も、この後無事に逃げ果せて、下で要救助者の存在を伝えるつもりもないだろう。
まあ、もし仮にそうしたところで、俺はどっち道助からないのだが。
「初めてだよ、こんな気分、こんな屈辱、こんな敗退――こんな窮状ッ! 今まで俺の中に無かったものを俺は得た、今日以降の自分がどうなるか楽しみで楽しみで仕方ないッ!」
熱に浮かされた白城の、混乱と紙一重の興奮、錯乱に近い高揚。
「畜生。気付くのが遅すぎた」
奴が口にするのは妄言で、何にせよこれから終わる自分には聞く意味も無い負け惜しみで。
そのはずなのに。
死ねなくなる呼び方を、その口が吐いた。
「君が――あの子の言っていた、【がらくん】だったんだな?」
脳裏に、声と顔が、一瞬で蘇った。
『ばいばい、がらくん。また顔を合わしちゃう時まで、私はあなたを忘れるから。あなたも私のことなんて、次に会うまで忘れてね』
相楽杜夫を、がらくんと呼ぶ相手を、俺は、彼女しか知らない。
「そうかそうか、だとすれば納得する、了承する、受け入れる他に無いな、【運命】など!」
「お、おい、白城――おまえ、なんで、お前が、それを」
「だとすれば! 俺が最初に、あのどん詰まりの路地裏奥で、他の何を差し置いて、聞くべきはただひとつだったわけだ!」
「答えろ、白城ぃぃぃぃぃぃっ!」
「相楽杜夫」
負けたはずの白城が、勝者そのものの笑みで言う。
「この命日。妹を救出し、炎に巻かれる代替の死こそ、君の望んだ満足か?」
俺は叫ぶ。言葉にならない、意志だけの声を。
奴はそれに満足して背を向ける。尋ねるだけ尋ね、揺さぶるだけ揺さぶり、白城哉彦は部屋を出る。
俺はそれに、疑問と執着を抱え、囚われながら死を迎える――
――はずだった。
「ふぐっっっっ!?」
直後廊下から響いたのは、白城のそんなくぐもった苦悶の声。
「――――え?」
そして程なく、慌ただしい靴音が、部屋の中に飛び込んできた。
その顔を見た。
夢かと思った。
「…………なんで。ここに、こんなとこに、おまえが」
「そりゃあこっちの台詞だっつの」
はあ、と心底呆れた表情、溜息、後頭部を掻く仕草。全力疾走で、乱れた呼吸。
少女趣味のそれでなく、動きやすいシャツにハーフパンツの、ずっとずっと見慣れた姿。
「ったく。毎度毎度迷惑とか心配ばっかりかけやがって。こっちの身にもなれっつーんだ」
ベッドへ拘束していた縄を台所から持ってきた包丁で切り、よいしょ、その小さな身体で事もなげに俺を担ぎ上げる。
「警告は二点、乗り心地に文句を言わないこと、あと、絶対、絶っっっっ対、ムネとかケツとか触んねーこと。したら落として置いてくかんな」
「――――おう、了解」
「あとさ。さっきなんか気持ち悪りー顔して気持ちよさそうにあんたの悪口言ってた細っこい奴がいたから、とりあえず鳩尾ボコっといたんだけど。あいつ、誰?」
「……さぁてな。案外、おまえのファンかもしれんぜ」
「なんだ。どうでもいいやつか」
背に負ぶわれていく。
まったく威厳も何もあったもんじゃないが――恥ずかしいよりみっともないより、何となく、嬉しい。
「なあ」
「ん?」
「ありがとう、真尋」
「げーっ。急に何しおらしくなってるわけ。やめろよ、キモい」
煙を裂き、非常階段を駆け下りて。
「どう考えても、それ、こっちが言うことだろ」
近づくサイレンの音を聞きながら、どうにかその一言だけは、耳を澄まして、聞き逃さない。




