035→【手も足も出せずとも】
「どこぞに情報提供を求められたふうな具合だがどうするか、町の慣習も知らない新任の刑事か身の程知らずの探偵か……集める兵隊の数は詳細を知ってから決めるかって思ってたら、あのマリーの逢引相手が君みたいな高校生で俺としちゃあ二度ビックリさ。あんまりにも意味不明で面白かったから、遊ぶことにした」
全部、演技だった。
あの、路地裏に連れ込まれるシーンから、既に――釣る為の、餌だった。
「――俺の、前で。わざと、襲われる、フリをして……同行を、希望した」
「話をしてわかった。君は何というか、鋭い。不愉快、いや、不自然……カンニングでもしてるみたいないびつさで答えに迫る。いけないなあ。実にいけない。この世で最もきつい目に合うのは誰だと思う? 半端に鼻がきいて、手に負えない大事に首を突っ込む阿呆だ」
顔面にまで唾を飛ばそうとして、出来たのはシーツを汚すぐらいだった。その無様さが、白城を更に楽しませたのが癪でならない。
「なにが、目的で、こんなことを」
「好奇心と研究心。あと、何より一番のモチベーションが、嫌悪感」
白城は手元のステンレス・タンブラーを傾ける。
「昔からの性分なんだ。寄り集まった人間ってのが、気持ち悪くてしょうがない。自分とはどこまでいっても無関係なはずの【他人の選択】で、どうしてあんなにも軽々しく影響を受けなくちゃあならないのか、腹が立って仕方がない。だからそれを、どうにかしたいと考えた」
「どうにか……?」
「テーマはコミュニティ内部に於ける同調圧力の抑制・抑止。異なって独立した自治体同士が隣接した際の文化・発達方法の侵食防止――掻い摘んで言えば、【余所は余所、自分は自分】として互いの異なる特徴を認め合わせ、それぞれの良さを歪まず育成させるにはどうするかの、民俗学的資料とデータに基づいた、足すこと心理学的アプローチってトコ」
胸を反らして伸びをする白城は、レポートを纏める途中の、普通の学生のようだった。
「Setsunaは正、社会から肯定される在り方として。金業は負、良識から廃絶される方法論で。肉付けこそ違えど、骨格は同じ原理で成り立っている。この二つは同様に、先行きの見えない不安を抱えた若者の受け皿であり、外部の概念を拒絶する結界に覆われたムラ社会だ。独自の禁則が存在し、それによって秩序を得ながら多様性を阻まれる」
打つ手を休めず、会話は続く。
「俺はな佐藤、悲しいことに若輩だ。理想を叶えるには見聞も実績も凄まじく足りない。だから、Setsunaや金業――どこぞの姫の流儀に倣えば【桜庭組織】と呼ばれるモノが、どのように破綻するのか、その経過を見たくて作ったんだ」
軽い調子で。白城哉彦は、あの組織、そこに所属する連中は、倒れる時にこそ価値があるドミノ倒しだと断言した。
「二つのサンプルを一から拵えた。互いが互いを不快に思い、危機感と敵愾心で増殖を続けていく構図を与えた。どちらでもいい、この状況で俺の望む方向に枝葉を伸ばしてくれる奴は現れるか? 【この中に属している以上合わせなければならない】という右倣えからの脱却――あるいは【我々が受け入れられない相手の文化もまた、侵されざる資格を持つ個性である】と暗愚の蒙を啓かれる第一人者は?」
打つ手が止まり、溜息を吐く。
「未だ不在だ。先の五人、今日の昼に俺を襲った連中も軽く折れた。三本の矢の故事と逆だな。失態が余所に及ぶとなれば、誰もが責任に委縮する。かと思いきや【あいつもやった】の一言だけで、簡単に罪悪感を投げ捨てる。傑作だ、俺は【同じことをやった】――【手紙の指示に従った】としか言っていないのに、君に行う傷害を『前の奴もやったこと』だと安心して実行した。自分がしているのは前の奴よりエスカレートしているなど知らず」
『【言葉】は不便だ。意図したことが伝わらず、いつも身勝手に解釈される』と、笑う声が聞こえる。
「参るよな。俺は人を縛りから解き放つ研究をしていたはずなのに、いつの間にか、人を縛りで動かす方法ばかり長けていく。たまに、こういうふうにも思うよ。この予期せぬ獲得を幸と見て、こっちを有効活用するほうに舵を切ればいいじゃないかって。いっそ、達成できない最初の目的なんか捨てちゃってさ」
ノートPCが閉じられる。ようやく俺と、そいつの目が合う。
「無理だよな。だって、それがどんなにうまいやりかたでも、俺がやりたいことじゃない。傍から見たらいらない苦労をしている馬鹿みたいに思えても、俺は胸を張って答えるよ」
『これでいいんだ』。
『これがいいんだ』。
白城哉彦は、そう言って笑った。
その瞳には、澱みしかなくて、逆にどこまでも純粋だった。。
「どれだけ馬鹿馬鹿しくても、人は、自分にとっての最善を目指さずにはいられない。俺もまだまだこれを、この研究と検証を繰り返すよ。なんとなくだけど……君なら、この気持ちを理解してくれるんじゃあないかな、佐藤」
「ふざけろ」
火を噴いた。
それ以外、選択肢など無かった。
「テメエの吐いた全妄言、一言一句共感するかよ。この傍迷惑勝手ぼっち」
痛みは何も治まらない。処置など何も意味がない。手に背中に腹に足、おまけに叫んで嗄らした喉も、一秒たりと遠慮せず大人しくしろと主張する。
知るか。
俺を止めたきゃ殺しても――
――いや。
殺されたって、また今日に来てやるよ。
「他人に合わせるのが苦痛? それぞれの良さを認めて肯定される社会作りぃ? 随分上から目線で甘えたこと言ってんじゃねえの、おりこうさん」
麻酔でふやけた頭が痺れる。狙いをつけるように、目の焦点が合っていく。
「人間なんざ、そもそも身勝手が当然だろうが。誰が何と言おうとも好きなもんは好きだし嫌いなもんは嫌いで上等、ただしそういう態度を表明するなら自分で自分のケツを持つ。結果を正しく受け入れる。それが普通で、常識だっつの。――だってのに、何だその目は」
そこが違う。絶対に違う。
白城哉彦に浮かぶのは、絶対的な自己肯定だ。自らの行いにとことん陶酔し、その言動には一切の罪悪感が無い。正当性に、微塵も疑いを持っていない。
「テメエの言い分ってのはつまるトコ、『無茶苦茶するけど許してネ、仕方ないじゃんこれも自分の個性なんだし』ときたもんだ。それをわざわざ、やれ集まった人間がどうたらこうたら、他人の選択の影響がうんぬんかんぬん――つまらん屁理屈こねくりまわして、っつーか、それでもしかして誤魔化し切れてるつもりかよ?」
真っ向から睨む。その、他人の在り方を受け入れず、自分の事情だけを及ばせようとする、ミラーグラスの瞳を。
「気付いてねえの? なら教えてやるよセーヤさん。おまえはこれっぽっちも、イカした黒幕なんかじゃあねえ。自分が気に食わないことを、もっともらしい正論もどきでケチつけやがる卑怯者――本当は誰よりも、“誰かと違う自分自身”を認めていない、表舞台に出ないんじゃなくて出る勇気も持てないだけの迷惑なガキ。それがテメエの正体だ、格好悪い格好付け」
俺も、あいつも。
間違っても自分を、自分のやってきた無茶苦茶を、間違ってないとは言いはしない。
いくら楽しくても。誤っていた部分、しでかした失態、それを否認することはない。
それこそが、俺の、俺たちの、絶対に譲れない一線だ。ヤマモリコンビは常識外れのはぐれ者で、活動の結果誰に嫌われることも、疎まれることも叱られることも是と受け止める。
苦情に対して、怒りに対して、『お前らが悪いからだ』とは。
そんな格好悪いことだけは、たとえ死んでも、出来やしない。
「ガッカリだな。どうやらおまえと俺たちじゃあ格が違うぜ、白城哉彦。悪童に負ける悪党とかたかが知れてるっつの。後ろめたさも抱えきれないような腰抜けとは、何積まれたって、状況が詰んでも組めないね」
「いくらでも吠えるといい」
ベッドの脇に屈み、視線を合わせ、白城は微笑む。
「矯正は、元が歪んでいればいるほどに楽しい成果が歴然となる。君がいずれ、広い空間に心から怯え、部屋の隅にしか座れなくなり、怯えた服従の目で俺を見て全ての言葉に従う時が来るのかと思うと、熱愛のように胸が高まるよ」
「は、簡単に化けの皮剥がしやがって。個性が認められるのが理想とかぬかした口で、人のこと好き勝手にするのはいいんですかァん、セーヤさぁん?」
「当然。個性の尊重と、教育の方針は別だろう。これまでにも何人か――俺が取り分け【放っておけない】と感じた問題児は、手ずから躾をしてあげてきた」
幻視する。
この部屋、この角度、この光景。見る影も無く蹲る、じっとしているのも苦手だったはずの、少女の姿。
「相楽真尋も、そうする気だったのか」
「おっ。君、あの子も知ってるのかい!? 目が高いね、さすが佐藤!」
好きな話題が出た時のオタクの反応。
饒舌が一層加速する。
「あの子はね、もったいないの代表例だ。輝く個性を持っていながら、伸ばし方と振る舞いに問題がある。有名なだけにああいうのは危険なんだ、愛する故郷の汚名に繋がりかねない。曲がって育ちそうな芽は、早め早めに道筋を立ててやるのが年長者の務めだろう。……そうそう、そういう意味では残念だったなあ、今日は。今回じゃなく、来年の候補も潰れるなんて」
「なに……?」
「いや、実はね。もう一人いたんだ、候補者が。来年には中学生、Setsunaの干渉範囲になるから、その時になったら即座に取り込めるよう下拵えをしておこうと思った、歪な個性の持ち主がね」
声の不吉が、思考を侵す。
こんな時に思い出したくない、こんな流れで出てはいけないはずの顔が、否応無しに思い浮かぶ。
「有名人だ。君も知っているだろう? 南河が生んだ山育ちの競泳選手、JOCアスリートの少女、千波岬ちゃんだよ」
昇る吐き気。激しい眩暈。それら不快に飲み込まれる、その直前に踏み止まる。
こいつ。
こいつが、あの子の、ことまで。




