034→【セーヤさん】
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沈んだ意識を覚醒させたのは、衝撃と痛みだった。
状況に理解が追い付かず、わけもわからないまま疼く腹を押さえようとして、手も足も背面で縛られているのに気付く。
「ああ、起きた」
唯一自由に動かせる目が捉えたのは、乱雑に散らかったリビングと……整った笑顔。
「おはよう佐藤。気分はどうだ?」
白城哉彦。
奴はいかにも高級そうなソファにゆったりもたれかかっており、そして、俺の傍に立っている、今しがたこちらの腹を蹴り飛ばしてきたのであろう若者を「ご苦労様」と労った。
「ご苦労様。今日のことは、これで不問にしてあげよう」
「あ、あり、ありがと、ございます、セーヤさん……」
大粒の脂汗を流している若者には、見覚えがある。
――ビルの狭間、路地裏奥の広場にいた、金業メンバーの一人だ。
「次はこれをヨコバに渡してくれ。ちゃんと言うんだよ、『自分はやる側を選んだ』ってね」
「はい……はい……わかりました……っ」
リビングは、三つの別室と繋がっている。どうやらそちらのほうに、あの時の連中が待機しているらしい。
俺の腹を蹴った若者が部屋に戻り、ほどなく別のチンピラが出てきた。おそららくはこいつがヨコバで、その顔色は先の若者に負けず劣らず青白い。
「セ、セーヤさん、その、俺は、昼間、し、あなたがセーヤさんだって、知ってたら、絶対、あんなことは」
「ここは法廷じゃあない」
吹雪のような声と態度。ヨコバの動きが固まる。
「弁解や反論を聞く気はないんだ。その段階は済んでいる。たったひとつを選んでくれ、ヨコバタケル。君が所属するクラスタごと制裁を受けるか、それとも、そこの彼に“指示”を実行するか」
「だ、……って、そん、」
床に。
ポケットから取り出したものを、投げ落とす。
何の変哲も無い、どこにだってある百円ライター――それが、何故だろう。
異様な存在感と、圧力を持って見える。
「本人から聞いたよな。タキミはやれた。君はどうだ?」
「…………セーヤ、さん……」
ヨコバは震える手でライターを拾うと、幽霊のように歩き出し、俺の後ろへと回った。
「…………ぃ」
何事か言葉を発したようだったが、虫の羽音以下の囁きなど、未だ朦朧とする俺の耳には届かない。
「あと二秒」
極めて平然と、しかしこの上無く急かす声に、ヨコバはおそらく背を押された。
金属が摩擦する音。
そして、
「 ッアああああぁッ!?」
意識の靄が吹き飛んだ。
跳ねる、のたうつ、暴れ回る――多分、以前テレビで見た、生きたままフライパンで焼かれる海老が脳裏に過ぎる。
背中、背中を、ライターで、焼かれた。
「はい、おつかれさま。感動したよヨコバ。君も不問だ。部屋に戻り、次はナカエにバトンを渡せ。勿論その際にはきちんと、『タキミと同じ方を選んだ』と伝えることを忘れずにな」
たった数分のやり取りで憔悴しきった男が別室に戻り、それからまた新しい男が現れ、怯えた様子で白城と話し、それから【指示】を実行する。
それが三度繰り返された。
結果から言おう。
腹をナイフで切られ、足の親指と薬指の爪が剥がされ、最後の一人には得体の知れない薬品を注射された。
【贖罪】を終えた五人は生気の失せた表情で解放され、俺は再び遠のいていく意識を手放す。
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「死ぬかと思った?」
粘着く意識に、打鍵の音と、軽薄な声が纏わりついた。
俺が寝かされているのはリビングの隅にある簡易ベッドで、そいつ自身は変わらずソファに座り、何やらノートPCで作業している。
「残念、道具は使い潰すまで捨てないのが俺の主義だ。傷にも応急処置は済ませてあるよ。しかし君、凄いな。全然取り乱さなかった。打つ側の方は気を失った姿を見て『セーヤさん話が違う!』って発狂せんばかりだったのに、その時も今もケロっとしたもんだ。はは、俺が言うのも何だが、少し頭おかしいぞ?」
うまく睨めない。全身の感覚、神経の連動が余所余所しい。
「大丈夫大丈夫。打ったのはちょっとした麻酔だよ。医学部の連中に譲ってもらった奴で分量を間違えれば後遺症も残るらしいが安心してくれ、君ぐらいの体重の奴に投与するのは慣れてるんだ。目は覚めても今日いっぱいはろくに身体も動かないと思うが、必要なことは代わりに済ませておいたから、ゆっくり休んでいるといい」
まったくふざけた発言だ。怪しい麻酔を投与され、その上ベッドに拘束までされている。
この状況で、俺に出来ることなんて、使えるものなんて、ひとつだけ。
「――――おまえは、何なんだ。白城、哉彦」
舌を動かすにも苦労、一言ずつを確かめるように発言する。
「セーヤでいいよ」
相手はモニターから顔も上げない。
「地元での昔からのアダ名でね。単純な読み替えの組み合わせさ。白城の城でセイ、哉彦の哉がヤ。考えられたのが小学校の頃だったから、子供が呼び易いように、セーヤ。金業の連中にこれっぽっちも愛着も信頼も無いが、スケープゴートと揃えたほうが紛らわしくて具合がいい。だから、あいつらにはそう呼ばせてる」
「桜庭、誠也は、」
「傀儡に決まってるだろあんな三流。本人は無能だが肩書と持ち物には力があるんで、そういうトコを利用してる。この隠れ家も、あいつに提供させたものだ」
思い出すのは、この場所に満ちる下卑た笑い声。金業の連中がたむろし、いつも通りだとばかりにひどく騒ぎしながら――どこからも、苦情の様子が無かった。
「時間稼ぎをしてるうちに“姫様”の取り巻きが駆け付けくれる、そういう期待は虚しいよ」
厳重に閉ざされたカーテンが、開くことはおそらくない。壁面に杭打つように、無数のネジがその挙動を制限している――中からは開かないようになっている。
「元南河市警幹部で現県議会議員、桜庭亮蔵の孫だよ誠也は。血の繋がった男児がずっと身内に欲しかったとかで、男孫のあいつは溺愛されてる。昔から度の越えた我儘で相当な無茶をしてきた誠也はその度に庇われて、叱られるんじゃあなくそういうことは弁えた場所でやるように、もしくは抑えがきかずボヤになりかけた時、ほとぼりが冷めるまで身を隠す場所として、ポンとここ、個人所有の福禄マンションを丸ごと与えられた」
福禄マンション――【ロクマン】。
「ここ絡みの苦情や通報は、警察も役所も握りつぶされる。警備の目も二十四時間体勢、部外者が不審に立ち入ろうとでもしようものなら、一階の守衛室から強面のムキムキがすっ飛んできてボコボコだ」
『まぁそういうわけで』と、バケツの中の釣った魚へ向けるみたいに軽く言う。
「ここに連れ込まれた時点で観念してくれ。いや、もう少し遡って、運と間と手を出そうとした相手の悪さかな。俺も驚いたよ。今朝、今夜にある金業の面倒くさい大集会に向けて県南に来た時に、ここらじゃあ有名なクラブのママがSetsunaの活動、所詮大学生の遊びを、大人げなく探ってるって知った時は」
それじゃあ、何か。
俺が山田に会い、山田がフローラさんに連絡した時点から既に……。
「イジワルして悪いね。でもさ、君もあんな見え見えに引っかかるぐらい鈍かったんだから、ここのところは、御相子ということで」
ぬけぬけとぬかし、白城――“セーヤ”が笑った。
悪びれた様子など、微塵も無く。




