031→【明日への憧憬】
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「そうだそうだ、サトちゃんほいこれ」
「なんすかシャルさん……ぼふはッ!」
見せられたスマホの画面。そこは合コン会場らしいカラオケボックス、フリフリの可愛い少女服を纏い、満面の笑みで軽快に歌い踊る真尋の動画が映し出されていた。
凄え、どんだけ練習したんだ。
振付バリバリ完璧じゃねえか。
「あの子もあの子で、色々考えるところがあったんだろうねい。自分に似合わないこと、慣れたやり方から変わること――そういうのって、結構エネルギーがいるんだよにゃー」
「俺も出来ればその挑戦を手放し応援したいんですが……なまじあいつの昔を知ってると、成長するにつれ抑圧されていた深層意識の願望が普段と異なる環境に置かれることで爆発したみたいで中々複雑な気分ですね……」
そんなこんなで打ち合わせも済み、目的が設定され、手筈が共有された。
十六名はそれぞれが、達成に向けて行動を始める。
「うん。外は一応固めて置いたし、中のほうも、あの子が場を呑んでいる以上問題無し」
合コン会場への、万が一の為の根回しを電話で終えたシャルロットさんが、うぅんと区切りの伸びをする。
「獲物にも身内にもファンがいるなんてデタラメな状況じゃあ、あの子を出し抜いておいそれと小狡い連携も姑息な不意打ちも出来やしない。とりあえず、今回のSetsuna合コンから唆されたり拐かされる子たちが出る、っていう最悪は回避できたと考えていいかもね。参加者には解散後にこっそりと見送りもつけよう。そっちはぼくのファンより、姉さん側から人手を回したほうが確実かな」
つまり、この時点で相楽真尋の安全は、勝ち取れた。
今回の目標は、大方達成しかけたといえるだろう――
「――けど。状況は相変わらず、予断を許さない」
「まぁねぇ。きみとあの子が仕掛けたのは【桜庭組織】に対する明確な敵対だもん。だからこその偽名だろうが――煙幕として役に立つかは甚だ怪しいよなー。これは自慢だけど、あんな見るからに目立つ、王子みたいなイケメンそうそういないし。ちょいと調べればすぐに、謎のパツキンホスト大銀河流星丸が悪名高きヤマモリコンビのモテたいほうってバレますな」
大変なのは、“この後”だ。今日一日で出来得る限り――次は、そちらについての対策を進めなくてはいけない。
“七月十九日”で終わりの俺はともかく、あいつの為に。
「……すみません」
「んみ?」
「俺が、あいつを、厄介なことに巻き込んだ」
「――――にへ。困るなあ、そういうそそる顔すんなよ。ヨダレ出ちまうだろー」
俯いた俺の頭が、ぽんぽんと叩かれる。
「昔はちょいとその気があったし、さっきも少し、ノリでそんなふうなこと言っちゃったけど。ぼくはだね、他でもない――きみといる時のあの子を見て思い直したんだぜ、相楽杜夫くん」
「え、」
「ソロモンがどれだけ可愛くても、あの子はぼくらのお人形じゃない。いつまでも箱の中で、身動きさせずにいちゃあいけない、ってさ。この世の中には、思い通りにいかないからこそ清々しいことがある。自分の想像を超えて、目の届かないところにいくのが嬉しいなんて、あの子がきみと遊んでいるのを見るまで全然、気付けもしなかった」
「……シャルロットさん」
「ありがとう。きみにするなら、ただただ感謝さ。あの子の青春はきみ抜きでは語れない。きみがいてくれたから、きみと無茶をしている時が、一番楽しそうなんだ。あの子に必要なのは、自分のことを、傷一つつかないように愛で続ける家族より――一緒に馬鹿をやって、擦り傷を負いながら遊ぶ友達だったんだなあ」
言いながら、ナプキンの裏にさらさらと書き、渡されるメモ。
「これ、私のアドレスだから、登録ヨロシクっ! 件の隠れ家について、何か進展があったら連絡するよ」
「あ、じゃあ、俺のほうも」
「うんうん、よくできました。こっちから尋ねる前に思い付ける気配り、えらいぞー☆ 次は、あらかじめさっと渡せるように、気の効いた名刺でも作っておくのがベストかなっ」
「はは。ですね、気をつけます」
「シャルロットおねえちゃんのワンポイントアドバイス! 異性を落とすにはー、どれだけ出逢うまでに準備をしておけるのかだぜー、高校生っ☆」
彼女が立ち上がる。すると、すかさずその隣に日傘を持った男性が入ってきた。
「そいじゃあねーん。ぼくのアドレス、別にこの状況の進捗に関わることだけに使わなきゃいけないわけじゃないからさ。作画資料になりそうな筋肉ポージング画像とか、ソロモンとのごちそう絡みとかあったら、どんどん積極的にメールってくれたまえー」
ひらひらと手を振り、去っていく背中。
そこに、さっそく、お言葉に甘える。
メーラーを開き、文面入力、画像添付、送信。
――数秒後。
シャルロットさんの背中が、震え、それから、こちらを振り向き、笑った。
……成程。大勢に慕われるのも納得な、それだけで大切な人の席に居座りそうになる、たまらない可愛さだ。
「何を送ったんですか?」
「うぉおおぉっふっ!? いやちょっとした御礼というかね!?」
完璧に虚を突かれた。
思わず素っ頓狂な声が出て向き直れば、先程『そろそろお昼時ですし、午後の活動の為にも休憩を取っていきましょう』と席を外していた白城さんが戻ってきていた。
カフェ【Swan Song】は、自店の利用者のみならず白芸大自由市場の来客全体へテラス席を開放している。こうして別の屋台の商品を持ち込むのもアリで、休憩か食事でもその傍らにドリンクが欲しくなった時に利用してくれればありがたい、というスタンスなのだ。
「どうぞ、佐藤さん」
渡されたホットドッグは、ガイドブックにも掲載される白芸大自由市場の名物である。兼ねてから興味があり、もしも立ち寄ることがあったら是非に、と密かに目論んでいた。
「あぁどうもありがとうございます白城さん、ではでは頂きましょうか……!」
実食。
――これはこれは、ほうほうほう。うむうむ、噂に違わずだ。
焼きたてと思しきコッペパンの食感は、まるで雲を食べているように柔らかい。
こちらの味付けは実に素朴、鼻に抜けるバターの芳醇な香りが食欲を増進させ、そこにお待ちかね、直径三センチ全長二十センチはあろうかというソーセージの、ダイナミックな肉の味がガツンと来る。
張りのある皮の下、粗挽きの粒から溢れ出す濃厚な旨味の汁が舌に広がり、噛む顎が止まられない止められようはずもない。一口、一口、もう一口。
「これはっ……こいつはすげえっ……!」
そうか、パン自体の味付けが控えめなのはそういうわけか。ホットドッグを頬張る時、まず最初に舌に触れるのはパン――口の中に残っていた油をそれが吸い取ることで、何度でも、何度でも何度でもまたソーセージとの新鮮な出逢いが味わえるという寸法だ。
悟る。俺は今、山に登っている。凄まじい傾斜、魅惑の緩急、激変する天候。絡み合う肉汁・ケチャップ・粒マスタード。十分に堪能し喉の谷を滑り降り、口の中が空になれば、一息吐く間もなくまたかぶりつく。そこに理屈はない。何故食うのかと問われれば、迷わずこう答えるだろう。『そこにソーセージがあるからだ』。
「ぷふぅ……ごちそうさまでした……!」
あっという間に食べきり、佐藤さんが一緒に買ってきてくれていたコーヒーを飲む。ブラックの鮮烈な苦みは気を引き締めるのに有難く、しっかりとリラックスしながらも適度に目を冴えさせてくれた。
そのおかげだろうか。
今朝から――ともすれば、今日の夜からずっと張りつめていた意識が解れ、少し、周りを観察するだけの落ち着きが持てた。
「……そういえば。ちゃんと大学の構内に入るのって、初めてだな」
学校といえば皆一様に制服を着た学生――中高で築かれた先入観が、当たり前だがここではまるで通用しない。
自由市場は外来者への開放スペースである為、『この人はここの生徒だろうな』ということがどうにもこうにも推測し辛い。噴水前でパフォーマンスをしているピエロも、広げた茣蓙で不愛想に彫金作品を売っている髭もじゃも、許可を取った外部の人間な可能性もあるし、個性的な学生であるかもしれない。
その妙なおかしさが、改めて考えてみればいやに沁みる。
当然と思っていた考え方の外にも、いくらだって世界は広がっていて。
成長していくということは、どんどんと、その新しさの中に身を投じていくということで。
変化を重ねる日々。
知らなかった日常。
――それは、相楽杜夫とは、もう、どうしたって無縁なモノ。
どれだけ理想を追求しても、成功しても達成しても辿り着き得ぬ、ゴールテープの先の場所。
それが心底わかっているから。
この風景が、こんなにも楽しそうに、面白そうに、見えるのだろうか——。




