023→【Alf Laylah wa Laylah】
《8》
昔、初めて出逢った時。最初の一度で、度肝を抜かれた。
そして二人になってすぐ、どういうことかと問い詰めた。
『あんなのが身近にいて、何を女にとんと縁がないとかぬかしやがるかこのやろう』。
中一の時に、そう食って掛かった俺に対して、山田は達観した目で、夕焼け空を見上げながら――苦み走った大人の顔でこう答えた。
『なあ、杜夫。ああいう人らと家族だった僕だからこそ、思うのさ。――女性は、キレイであればそれでいいなんてことは、絶対に無いんだ、ってね』
山田にそう言わしめた、奴の人生に深い影響を与えた異性。
それが今、俺の目の前に……否。
二の腕触れ合う真横にいる。
「久々だね、杜夫くん。高校入学の日に会った以来だから、かれこれ一年と三ヶ月振りかい。大きくなったな。かっこよくなったな。お姉さんは実に実に嬉しいよ」
委縮、以外の言葉など無い。
今、一介の童貞男子高校生の隣に座っているのは、日常で接する女子高校生の平均的な色気指数を百人合わせてなおその吐息一回分に及ぶかどうかというほどの色香を全身から惜しげも無く放つ、あと胸や太ももやあれやこれやが絶妙に際どく露出するセクシーな、けれど決して下品ではなく上品なドレスを普段着めいて着こなした、ド直球剛速球なホステスさんだった。
「先程、あの子から電話を貰った時には、いやあたまげたねえ、はにかんだねえ。私たちはあの子のことが大好きなのに、あの子からはとてもとても避けられていて、普段はメールの返信もないんだよ。悲しいなあ。切ないなあ。せっかくせっかく喜ぶと思って、ギリギリに諸々が露出してしまわない、その見えないところが逆にとってもいやらしくてむらむらして仕方がない自撮り写真を日夜送ってあげているのに」
なんとも言葉に詰まる衝撃の事実が今ここに。とりあえず後で見せてもらおう。
「だってそうだろう、そうだよね、そうだろうとも? 思春期の高校生が、えっちなことに興味がないわけないんだから。それに、お姉ちゃんのことが好きじゃない弟もいないんだから。これは当然の発想だ。チーズとトマトを合わせるぐらい問答無用の方程式だ」
自信を以て頷くホステスさん。その顔が一転して、弱気に染まる。ただでさえ近い距離なのに、その身を更に寄せてくる。
「けれど、なのに、私は何一つ間違ったことはしていないにも拘わらずあの子ってば、さっきもそっけなく要件を告げただけなんだ。肝心の、大事な、『どの写真が一番そそった?』という質問にも答えてくれなかったんだよ? なあ、君はどう思う? 下の兄妹、妹がいる兄としての見識で、私の行動は、別に別におかしくないよな? 極めて普通で常識的で、正解のお姉ちゃんだよな?」
握られる手、押し付けられる身体、否、肉。温度、感触、やわらかさ。
無理!
「はい、お姉さん。美人でグラマラスで自分のことを大好きな甘々お姉ちゃんが好きじゃあない年の離れた弟なぞ、この世に存在しません。今はただ、照れているだけでしょう」
『けどもしも俺が筋肉剥き出しの写真を仮に送り付けたとしたら、妹には筋肉が役に立たなくなるまで殴られると思います』とはあえて言わない。そうした処世が世にはある。
果たして、一縷の不安は払われ、その顔が本来の輝きを取り戻す。
亜麻色の髪が溢れる歓喜に跳ね、彼女は飛びつくように抱き着いてきた。
「Merciッ! ああよかった、心のつっかえが取れたよ! そうだよな、弟を信じずして何が姉か! 決して私は避けられてなんかいないとも! ただちょっと方針がズレていただけだ! これからはもうちょっと、セクシーよりキュートな路線で攻めようかな! 貴重な情報ありがとう、杜夫くん! 我が弟の親友にして、親愛なる私の知恵袋ッ!」
「――――――――いえ。こちらこそ、どう、いたしまして」
健全な男子高校生ならば夢見て止まない、平均的女子高生色気指数×100に匹敵するぽわぽわプリン(暗喩)が、現在相楽杜夫と接触している。こんなに嬉しいことはない。本部応答セヨ。我、男子ノ本懐、達成セリ。繰リ返ス。我、男子ノ本懐、達成セリ。
「よしよし、安心したところで、これでようやく話に入れる」
名残惜しくも身が離される。彼女は改めて俺に向き直り、居住まいを正し、
「杜夫くん」
その雰囲気が、一言で、境界を越えた。
「今、巷で人気な若者たち――Setsunaと事を構える武器が欲しいんだってね?」
「はい。ありがとうございます、閉店時間内にも関わらず、店まで開けてくださって」
「秘密の話は一番信用出来るところで、さ。単なる談話ならお勧め喫茶の当てぐらい十でも百でもあるんだが――私にとってはやはり、この店が一番、あらゆる話に向いている」
見渡す#店内。華美・高級・豪奢が基調、本来の営業では多くの賓客を夢中に招き、スタッフ一同一丸となって癒しもてなし蕩けさせる賑わい溢れるこの場所に、今は男女が一人ずつ。会話が止まれば怖いくらいの静寂があり、他の誰もその間を埋めることがない。
「移動中、車内で情報収集を進めて驚いた。喜びたまえ杜夫くん、奴らには確かに、君が訴えた通り、その眩さに等しいだけの裏があった。そしてその問題は、夜の街に生きる者として、決して他人事じゃあない。君がこの問題に対する嚆矢となるのならば、それを放つ為の弓に、私と私の店がなろうとも」
「――助かります。山田の奴にも、後で礼を言わないとな」
「是非そうしたまえ。あの子の益になるならば、私も手を貸す甲斐がある……しかし紛らわしいな、何しろ私も山田だし。君、あの子のこと、相変わらず名前で読んでいないのかい」
「本人たっての希望ですよ。この風貌で普通に呼ばれるのが面白くて楽しいんだ、って」
「ふぅん。そりゃあ、我が弟ながら実に可愛らしい弱気だ。相変わらずあの子、【自分が持って生まれたもの】に対して、負い目にも近い引け目があるんだなあ。あの年になっても――いや、思春期だからこそ、というべきかな」
溢れる愛情が悩ましい吐息となって口から出る。その仕草もまたこの上なく色っぽい。
「お姉さんはどうだったんですか?」
「私かい? 私はその頃にはもう、自分の武器を武器として意識的に使うのが、もう楽しくて楽しくて楽しくて。やはり私もあの母から生まれた女だ、性に合ってたんだな、愛されること、愛を注ぐこと、愛の糸を紡ぐことが。気づいたら、こんな店まで作っちゃったよ」
日のある内は営業時間外――夜の帳が訪れて、舞台の幕が上がるまで、ここは静かに時を待つ。
南河市繁華街で最も有名な、全国に常連客を持つ高級クラブ、【Alf Laylah wa Laylah】。
彼女こそ、その最高責任者にして、月が出る度方々からの寵愛を一心に浴びる夜の蝶。山田成春とクロエ・ヴェルヌの間に生まれた日仏ハーフ、山田フローラは、一代で築き上げた自らの城で堂々と宣誓する。
「生きることは楽しむことさ。存分に、一心に、己が能力を存分に用い、限界へ挑むことさ。あの子も早く、もっともっと奔放に、本能に従えばそれこそ、人生の目的とばかりに求めている“モテモテ”などまったく造作もないだろうに。全面的に愛しているが、そこのところだけは理解に苦しむよ、我が弟――ソロモンには」
「ええ」
本当に阿呆で。奇妙で。滑稽で。宝の持ち腐れで、もったいなくて、自分自身の長所を無駄にするような無茶しかしなくて。
誰に何と言われても、【それがいい】【これが楽しい】【この方法でなきゃあ意味がない】と、徹底的に傾いて嘯く。
それがヤマモリコンビの派手担当。
金髪、碧眼、長身、美声、運動能力抜群、頭脳明晰、彫刻のような身体の創り。
ありとあらゆる生まれ持ったモテ要素を台無しにすること余念なく呵々と笑い。
易々と行ける王道を横目に、モテ道の茨を鼻歌交じりに歩く男、山田ソロモン。
相楽杜夫の愛すべき悪友。
つるんでいて、ちょっと楽しすぎる馬鹿。
「本当、ちょっとぐらいの奇行で、どうしてあいつの良さに気付かないんだか。俺が女だったら、惚れてるところなんですけどねえ」
「その時はまず私があの子相応しいかどうか試すけどな?」
あはははは。
口笑ってるのに、目ぇ一切曲がってませんね、お姉さん?
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