020→【山田くんちに遊びにいこう】
《7》
命日を九度繰り返した。おかげで既に分かっている。
七月十九日、一学期終業式の日にそいつが家を出るのは朝七時半。
その前に辿り着くことが出来たなら、それがこの日、最も早いタイミングでの合流だ。
「よーう、親友っ!」
所用を切り上げての出発、愛用の自転車【雷鳴丸】にまたがり、最高速を叩きだしての到着は、七時二十九分五十二秒。
「っこ、こぉっ……こぉんなとこで逢うなんて、奇遇だねー!」
全速力の証明として汗だくだく、ふはっふはっとハンドルに体重を預けて肩で息をする俺に、「うん、僕もそう思う」とそいつは笑い、
「とりあえず、麦茶でも出すから上がりなよ。話はそれから聞かせてくれ。こんなにも心躍る演出、さぞ急いだ様子での御登場だ。さぞかし、面白い誘いがあるんだろう?」
くい、と親指で差す先は、外見から貫禄の、風格を感じさせること甚だしいアパート。
風呂共同トイレあり収納キッチン付き八畳間、お家賃二万七千円。
「ようこそ僕の城へ。女の子が呼び辛いこと以外には一切の欠点が無い、それはそれは素敵な場所だよ」
「知ってる知ってる。どんだけ通い詰めたと思ってんだよ。――あと、その項目にはエアコンがないことを足すべきだと思います」
「何を言ってるんだい、杜夫。扇風機と窓から入る風さえあれば、夏には十分な清涼だとも。ツンとデレはその黄金比こそがときめきを生むように、厳しい側面があらばこそ、快適さと季節の風情がぐっと際立つんじゃないか」
靴音を響かせて外階段を上がる。
ひとつふたつと扉を過ぎて、203号室の表札に、極めてありふれた、俺にとっては特別な苗字が書いてある。
【山田】。
「さあ、どうぞ。ちょっと散らかってるけど――ってのも、今更君に断ることでもないな」
「――――いや、そっちじゃないだろ、明らかに」
むわっときた。
玄関を開いた瞬間、篭もった熱気をモロに浴び、思わず顔をしかめてしまう。
さもありなん。
カーテンは開けっ放しの窓も閉じっぱなし、空気は留まり日当たり良好、蒸された室内は軽い我慢大会状態で、外よりか余程暑い。
「ああ、大丈夫。熱が心配な機械の類は、ちゃんと別に仕舞ってあるから」
「いやいや、この部屋の問題が分かってんなら、これは一体どういうわけだ……?」
「なあ、杜夫」
怯まぬ突入。
熱波の部屋に逡巡なく上った山田は冷蔵庫を開け麦茶を取り出し硝子のコップに並々注ぎ、
「女の子が汗を掻き、ブラが透ける現象以上に大切なことがこの世にあるか? 乾いた喉にがっつくように飲まれた麦茶の、唇から零れた珠玉の一滴が――巨乳の胸元に落ちて弾ける瞬間を見ずにしてッ! 僕らは高校二年の夏を、果たして終えれるものだろうかッ!」
それは。
閉ざされた部屋の熱気に負けない、一人の童貞男子高校生の、魂から迸る炎だった。青春という、決定的に限られたひと時の、その全力の謳歌にかける情熱だった。
一言で言おう。
この男、山田――世界一青春してるッ!
「なあ、山田」
「なんだい、杜夫」
「おまえ、夏の太陽より熱い男だよ」
「何よりの褒め言葉だ。僕は【北風と太陽】を読んで以来太陽に憧れている――何故って? こっそり本人も気付かれず服を脱がせることが出来るなんて最高だからだよ!」
俺は渡された麦茶をいっぺんに呷り、息を吐く――その際、喉が渇き過ぎていた為慌てて飲んだ麦茶が口端から零れ、俺のワイシャツの、その隙間から入って上着を濡らした。その瞬間を目撃し、俺たちは思わず顔を見合わせた。
仮説は間違っていなかった。実験は成功だ。この世は光に満ちていて、可能性は最も輝くほうへ開かれている――【熱帯六畳間汗透けブラ巨乳麦茶理論】は、悲しき童貞モンスターズの妄想では断じて無かった。今、極東の島国の片隅のアパートで、世界的、歴史的、人類的発見が、二人の高校生によって発見されたのだと、ここに高らかに宣言する――――!
「杜夫ッ!」
「山田ッ!」
互い、振り上げた右手を、全力でぶつけ合わせる――!
「【美女は絶対こんなところには来ない】ということを除けば作戦は完璧だねド畜生ッ!」
「とりあえずあっちぃから窓開けてもらっていいッ!?」
ハンドシェイク。
換気が行われ、扇風機が回る。
アパートの裏手には墓地と林を抱える寺があり、それがいわゆる驚きの家賃の一因なのだが、この風景だけでも女子は来辛いよなあと泣けてくる。
いや、案外スピリチュアルでオカルティックな手合いなら、『ここを研究拠点とする!』として毎夜窓際で肩寄せ合って人魂を探す弩奇弩奇イベントワンチャンあるか?
「しっかし、相変わらずすげえ景色だよな、これ」
「僕は案外気に入ってるけどね。越して三年だし愛着だって湧いてきたよ」
林を抜けた風が、前の道を越えてこちらの窓にも入ってくる。単に涼しいとは違う、視覚から得る印象の気配に、ぶるりと身を震わせる。
「あ」
日除けの番傘を差した喪服の女性が住職と何事かを話して頭を下げ、とある地蔵の前で止まり、丁寧に磨き始める。
ぱしゃり、ぱしゃり。
柄杓で丁寧に水をかける様にはそれとわかる慈しみが透徹しており、行う作業に慣れを感じさせた。
丁度陰になって、彼女の表情は見えない。
何の事情があって、一体、そこにあるものとはどういう関係で、そういうことをしているのかも、わからない。
――亡くなった誰か。
――残された縁者。
終わった命と、続いていく日。
今すぐに飛び出し色々と聞いてみたい衝動を、少しだけ苦労して抑えた。
「で、杜夫」
声を掛けられた、その時に丁度、
――――ちりん、と。
急かすように、目覚ましのように、風鈴が鳴った。
振り返る。
山田の手元のコップは、もう、とっくに空だった。
「普通に学校で会えただろうに。こんなに急いで、そんなにも格好良く腫らした顔で、僕に一体何用だい?」
夢から覚めるように、観念する。
楽しい時間は名残惜しいが、およそ多くの問題は、急かすように背に張り付く。
じゃあ。
口にするのも憂鬱な、本題の時間を始めよう。
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