019→【怒られようと、嫌われようと】
得るべきものは得られた。しかし、痛みより、憂鬱の方が重い。
――こんな付き合い方しかできない。
――こんなやり方じゃないと、妹から情報を得られもしなかった。
「反省しろよ。最悪のダメ兄貴」
面を外す。呼吸が苦しい。思いっきり打ち付けた鼻から、今もダラダラと出血している。頭に巻いていたタオルを当てて鼻をかみ、とりあえずの処置とした。
邪魔な小手や胴を、何の防具としても機能出来なかった装備を脱いだ傍から放置しつつ、居間を横切り階段を昇る。
――おかしくって、しょうがない。
「はは、ひっでぇの。剣道、始めた意味、無かったなこりゃあ」
追いつきたかった。
どこかで勝っていたかった。
兄としての威厳。妹と、同じ分野でなかろうと、近しい話題で共通の、競える何かが欲しかった。
そんな妄想、思い上がりだったのだろう。
【武器を持てば相手になる】と。
【武器を持たなきゃあ勝てない】と考えた時点で――もう、威厳もクソもない。
「比べるとこ、そこじゃないんだよな」
妹の部屋のノブを捻るが、感触は固い。
いつのころから、真尋は外出時、部屋に鍵をかけるようになった。
その日曜大工を手伝ったのは、他でもない俺自身だった。
『こんな時だけ都合がいいな』と悪態を吐くと、『うぜぇな。金なら払うっつってんだろ』と真尋は言い、俺はそれにこう答えた。
『いらんいらん。妹に礼をせびる兄貴がいるかよ、格好悪い』。
「俺が中学生で、あいつがまだ、小学生のころだっけなあ」
合鍵などは勿論無い――なので、強引に、力任せに戸を蹴り壊した。
兄が兄として守るべき、最低限の礼儀ごと。
「そんなもん、まだあると思ってんのは、こっちだけかもしんないけどね」
鍵を取り付けたあの日を最後に、何年振りかに入る妹の部屋は、記憶と想像から随分と異なっている。
あると思っていたものがない。
この部屋にどっさりあると思っていた、少女漫画やファンシーグッズは、いつのまにか住処を追われていた。
「……はは」
本題の前の切り替えの為に、一度、すっきりずっしり痛感しておくことにする。
俺の知っている相楽真尋は、俺がこうであって欲しいと想像していただけの相楽真尋だ。
家族であっても、兄妹だろうと、全部を知れることなんてない。
兄は兄で、妹は妹で、変わっていく。
考え方も、付き合いも。
「腹に来るなあ、結構」
やっぱり、ああも躊躇無く、話も事情も聴いてもらえずやられたのは、それなりにショックが大きい。
……というよりも。
一番の問題は、
「――――ちゃんと話しても、絶対、納得してくれないから――強引、無理矢理に、腕ずくでも止めようってのが、そもそもおかしいんだろ、兄貴」
地味に。
【自分は妹に信頼されていない】【言ってもわかってもらえない】って、ごく自然に確信しちゃっていたことが、根深い倦怠として尾を引いている。
「うへえ。この感じ、死んでも引き摺りそう」
それら、他人から見れば些細なプライド、俺にとっては譲り難い宝物を自らの手で砕くことになろうとも、優先すべきことがある。
今日のことで、修復不可能なほどの不仲になっても。
あいつが、あんな目に合うよりかは――
――あんなふうになるよりかは、ずっとずっと、ずっと。
「……っは。ヘッタクソな弁明だ、まったく」
どんな理由があろうと、大喧嘩した兄貴にガサ入れなんかされたらどうなる? ――怒るだろうなあ。おっかなく。
しかし、申し訳ない。
謝りたい気は、そりゃめちゃくちゃあるんだが。
今日が俺の命日で、どんな理由で死ぬにせよ、お前にだけは殺されてやれない。
「いなくなってせいせいしたって、言えるぐらいだったら。うん、そっちのほうが上等だ」
確かなことがひとつある。
それが理由になっている。
駄目で馬鹿で格好悪い兄貴は、それはそれは当然のように、出来る妹に軽蔑されているが。
嬉しいことに――申し訳ないことに。
死んだ時に泣かれないほど、どうでもいいとは思われていないのを、俺はもう知っている。
「本当、なんてかわいい妹だ」
自身の、呟いた言葉で、思い出す。
『俺一人っ子だからさあ、ずっとずっと――マヒロちゃんみたいな、都合のいい奴隷が欲しかったんだッ!』
身に余る衝動。
身の内の灼熱。
それが、俺を笑わせる。
唇が、楽しみと、喜びに、裂ける。
「――――あんたに会うのが、本当に、本当に、待ち遠しいよ――【セーヤさん】」
その時に告げる言葉は、既に胸の中にある。
それを期待しながら、辿るべき線を探している。
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