018→【兄妹ゲンカ】
《6》
まだるっこしく見えようと、止むを得ない回り道というものがある。
それはたとえば【初恋の相手に告白するには、その情報を握る相手と穏便な関係を気付くことが必須となる】ということであり……同時に、今現在の俺の格好のことを指す。
「…………はぁ?」
朝イチの呆れ顔。心底訳が分からない、という意思表示を、まじまじと見る。
外見のパラメーターに時間も労力も振ることを嫌がるそいつは、服装のみならず身だしなみも、女子として必要最低限のことしかしない。
小学校の頃から、その髪型だってまったく変わっちゃいない――首元にかかるのも嫌がり、月に一度いきつけの床屋で切った髪をわしゃわしゃと手で適当に整えた、野性味さより子供感溢れるヘア・セット。
「残念だわ。身内じゃなかったら心置きなく爆笑できんのによ」
人に懐かず牙を剥く、小猫のような敵愾心。
だがしかし侮るなかれ。ミニマムな身体と内に秘めるパワーは、ぞっとするほど一致しない。
「オイ。こいつはどういう冗談だ?」
「知ってるだろ、真尋。お前の兄貴は、冗談に見える時ほど本気だよ」
正座の姿勢から立ち上がる。傍らの竹刀を手に取り、面・小手・胴、稽古着に垂に袴――剣道具足に身を固めた相楽杜夫が、今、獣の前途に立ち塞がる。
「きゃぁあ、おっかなーい」
真尋は馬鹿にするようにへらへらと笑い、肩に下げていた鞄を下ろし、
「朝から立派っつーか、朝だから元気ってか? 何サカってんだこのサルは。ガチガチにいきり立った先っちょ、妹相手に恥ずかしげもなく、ぶらぶら揺らして突き付けてくれちゃって。なんだかわかんねーんだけど、そんなにあたしとヤリてーの、兄貴?」
「俺も出来れば、乱暴な真似はしたくない。お前がひとつ、頼みさえ聞いてくれれば」
「スカートでもめくってみせろって?」
「今日一日は家から出るな。俺の望みはそれだけだ。残念だが、嫌だって言われても、」
「いくよ」
接近は、音も、時間も、気配も欠いて。
気が付けばもう、そこにいた。
「おら、何呆けてんだ。腰動かせよ――振れば届くぞ?」
咄嗟。
壁に沿うほど近く、片側を潰し左から踏み込んできた真尋の向かって右、逆胴を薙ぐ。
それが無様で、振る前から自嘲した。
腰も力も速度も覚悟も何一つ足りない。
「おっそ。経験不足、見え見えだわ」
互いの身長差すらろくに意識できていない薙ぎ払いなど、こちらの初動よりさらに早く、煽ることで行動を促した真尋の、床が抜けたような屈みに対応出来ない。
「ほいっと」
次の瞬間には、顔面から玄関の段差にぶつかっていた。
竹刀をかわし、手で床を打つ反動で跳ぶように立ち上がった真尋の、体操選手じみて高々と伸ばした足で首を刈られたのだ。
腿を鉤にして首へ引っ掛け、そのまま前方へと引き倒されたことを、倒された後で知る。
……流石は相楽真尋。
全国中学生空手道選手権大会、女子個人組手、二年連続ベスト3。
すごい師範の指導受けてるとか聞いたけど、今の技、空手の動きですらねえよね?
「あーあ、だーいじょーぉぶー? カッコ悪ぅ、せめて受け身ぐらいは取るもんだと思ってたのになー。防具つけてりゃケガしないとか、発想が甘すぎんだよなー」
鞄を拾い、ご丁寧に背中を足蹴に、文字通りに踏み越えられた。
ケタケタと笑いながら、真尋は玄関のチェーンを外す。
「ったく、最低の気分。朝からキモいモン見せてくれんじゃねえよ。アンタとあたしの実力差が、三倍程度と思ったワケ?」
「――――真尋、」
「んじゃーな。あたしを喜ばせたかったら、次は別のアプローチで」
「妙な集まりになんて、行くな。あいつらは、おまえの」
それ以上続けられなかった。真尋は反転し、俺の尻を思い切りスニーカーで蹴り付ける。
「死ねッ! ヒトの部屋、勝手に入りやがったなッ! 何見やがったクソクズ兄貴ッ! 覚えてろよ、コロすからな! 帰ってきたら絶対ボコボコにしてやっから!」
本気の軽蔑、全力の侮蔑を倒れたままの兄に浴びせて、最後、手加減無しのローキックをもう一発放ち、玄関をぶっ壊れそうな勢いで閉めて真尋は出ていった。
止められなかった。
この後、どういうことがあいつを待つか、わかっていながら。
「……貴重な情報、ごちそうさん」
――――――――さて。
ここまでは、予定通り。
「勝手に入りやがったな、ねえ。つまり――連中のヒント、今日のけしからんイベントの尻尾が、おまえの部屋に残ってるってことだよな、真尋」
元からそれが本当の狙い。だらしない兄貴じゃ、妹を力ずくでさえ止められない。
選んでいたのは次善策。たとえこっぴどくのされても、俺はこうして、“この後”に必要なものを、手に入れた。