017→【十回目、“タイムカプセル”の一周忌】
《5》
『私には、恩人が二人います』
青空の下。
あの頃よりずっと背の伸びた彼女が、向けられたマイクに答えた。
『一人は、小学校の恩師、武中先生。あの人が私の手を握ってくれたから、沢山の困難、悩みや不安、外からの力に押し潰されることなく、私はここに立つことが出来ました
表彰台の上。最も高い場所、自らで勝ち取った位置で堂々と、真っ直ぐに前を見る。
『もう一人は、卒業生のお兄さん。一年前、私が一番苦しかった日に、偶然に出逢った人』
小学校時代の恩師については、聞き及ぶところもあったのだろう。
だが、どうやらこの【もう一人】については、取材陣も寝耳に水だったらしい。一層の注目と質問が集まっているのが、録画の画面越しにもわかる。
『私はその日まで、彼のことを、全然、知りもしませんでした。けれど多分、あの人にとっては、違ったんだと思います。同じ町に住んでいるし、私は一応、ちょっとだけ有名でしたから、向こうから知ることはあったんでしょうね』
その言葉に含まれる感情を、一年前の七月十九日にあったらしいことを、取材陣は聞き出そうとする。
まるで、早すぎるタイムカプセルを掘り出すように。
『不思議な人でした。私が誰にも打ち明けていないはずのこと、隠し通してきた心の中まで知っていた。楽になる為だけについていた嘘も、私から本音を聞いたみたいにお見通しだった。おかしくて、軽薄で、情けなくて格好悪くて――一緒にいて、すごく、すっごく楽しかった、一日だけの、私の友達。大好きな、お兄さん』
そこで、彼女は、ほんの少し、視線を、取材陣から上向きに傾けた。
それから、一瞬だけ唇を噛み締めて、泣きそうな顔をして。
振り切って、笑った。
晴れ晴れとした、あの日の空のような、笑顔だった。
『――――見てますか、もりおにーさん。私、たくましく、しあわせに、生きていますよ』
『っへぇー。イイはなしって、あるところにはあんだねー、っはは。こっちにはねえのに』
垂れ流しにされていたスポーツニュースの番組を、男が笑いながら変えた。
適当にいじられたチャンネル、映し出されたのは世界中の水辺に突如原因不明のサメが現れるという低予算洋画【シャーク・パンデミック】で、ちょうどタイミングがいいことに、プールサイドで行われていた表彰式にメガロドンが襲い掛かった。絶妙な符号に、それを見ていた五人からの若者が『ぶっほ!』と吹き出す。
『いやー、悲シー! やっぱこういうもんっすよねー人生って! どんなに頑張っても成功しても幸せになっても、どっからサメが現れてパクっと行かれちまうかわかんないっすわー!』
『そうそうそう、だから俺たちァそういうムダなことをせずに、いつサメが現れてもいいように、その日その日を精一杯、楽しく生きるのに全力ってわけだ!』
身勝手なことを言って笑う。先程のニュースの少女、一年間脇目も降らない猛特訓で念願を叶えた千波岬の意志を、スナック感覚で侮辱する。
『ああいう世の中の仕組みもわからん、ハズかしくはしゃいじゃう奴に比べたらさー』
ちらり、とそいつが目をやる。
『カシコサがダンチだよな、あの子は』
ちらかったリビングの隅、膝を抱え、顔を隠した、壁を背にする少女がいる。
『よく心得てるわ。クソッタレな人生の、どうしようもない正解ってのを』
『いやぁ、もう足抜き出来ねーってのもあるんでしょうけどねー』
酒と煙で満たされた、はぐれものたちの眩い暗がり。
その中に同類として混じる、実に違和感の無い様相。
『帰れねーっしょ。自分の火遊びのせーで、心配して探しに出た兄貴が死んだんですから』
『オモシレーよな何度聞いても! だってそんなん、あいつが殺したようなもんだろよ!』
同調して笑う有象無象。酒の瓶がもう一本開き、少女は微動だにしない。
『優しいのはセーヤさんだわマジにマジに。家飛び出してガッコにも行かなくなって、お先真っ暗のチューボーに自立のヤり方をわざわざイチから仕込んでやったんだから』
『はははははははははははっ! 五臓六腑に染み渡るわその面倒見の良さ! さすがセーヤさん、行き場無くした奴の世話役、クソッタレな人生のサイゴのトリデだわー!』
拾う。
俺は、拾う。
この場にあるものすべて。目に見えるものすべて。こいつらの話している断片的な内容から、推測・推理・収得が可能な、あらゆる情報。
詳細を洗う。
秘密を暴く。
何もかもを、頂いていく。
『おーい。暇なバカいるかー?』
大股の足音の後に、一等派手な男がリビングにやってきた。
グループの中、特別な立場、ヒエラルキーの最上位にいることを確信させる我物顔。
『あ、はーいはいはいはーい! いますいまーす、ヒマしてるバカいまーすッ! なんすかセーヤさん、新しい仕事すっかー!』
『おう、今回はな、一年半前から進めてる、デカいヤマの大詰めだ。いつものショボい変態相手の小遣い稼ぎとは訳が違うぞー』
煙やアルコールで判断力の欠如した連中が、次々に能天気な声と拳をあげる。
『んー、よしよしいぃい返事だ! さっすが俺のつるんでる愛すべきバカども! じゃあ行こうか、外にもうヤマクニさんたちのバン来てるから、テキトーに荷物だけ持って乗り込めー』
どやどやと立ち上がり、集団が下卑た騒ぎかたをしつつリビングを出ていく。
その中で、セーヤ、と呼ばれたリーダー格のスーツ男が、部屋の隅で、蛹のように動かない少女に近寄っていく。
『そんじゃ、オレたち、今日も君にゴハン食べさせたげる為の仕事に行ってくるから。その代わり、片付けといてな。色々とさ』
『――――――――はい』
『帰りは朝ンなると思うけど、夜にベツのツレ何人か遊びにくる予定入ってっからさ。も、そこらじゅう期待でパンパンにしてるだろうから、いつもみたいにオモテナシしてやってね? きみ、去年まで現役中学生だったってことぐらいしか、今は価値がないんだし。あはは、元空手部のエースだとか、鍛えた身体だとか、そういうの、所詮子供の自慢だよね。一回社会に出ちゃったら、笑えるぐらいなーんの役にも立たないんだから!』
『――――――――わかりました。セーヤさん』
『いい子いい子、シクヨロー。……でもおかしいな?』
髪を掴み。引き上げる。少女が小さく、短い悲鳴を迸らせ、しかし、男は加速する。
『呼び方、違うよね?』
『――――で、でも、』
『違うよねッッッッ!』
目を、殴る。一度。二度。三度、
『マヒロちゃん。俺、なんだっけ?』
『――――――――――――――――――――――――お、おにっ、お兄、ちゃん』
『うん、お兄ちゃんだよー。あー、やっぱいいよねこういうの。俺一人っ子だからさあ、ずっとずっと――マヒロちゃんみたいな、都合のいい奴隷が欲しかったんだッ!』
最後。思い切り腹を蹴って、高らかに笑いながらを【セーヤさん】は部屋を出た。
喧騒が失せた空間に、音が生まれる。
一人残された、長い金髪の、眼帯を付けた、身体に数えきれない痣のある少女は、呼吸困難の苦しみに咳いて、咳いて、咳いて、訛り切った手で床を掻きむしって、泣いて、枯れた声で、
『…………ごめん、なさい、兄貴……………』
それが最後だった。
相楽杜夫の命日から、一年後を映し出すテレビが切れた。
黒い鏡面に、俺の、静かな無表情が映った。
ノートは、取らない。そんなもの、見ながらすべて、手元を見ずに済ませた。
必要なことは、全部、全部、頭の中に、刻み終えた。
「ほう。ほのぼの満足に過ごした日中と違い、意外などんでん返しがあったな。それでも、此度の本題、命日の日におぬしがやった【タイムカプセル探し】は、しっかりと正しい結果に繋がったのう。おぬしの意志、自分の中にしかなかった心、考え方は、しっかりと新たなる場所に、伝わった。千波岬は、これより朗らかに生きる。その前途は輝かしく、また、困難が立ち塞がったとて、乗り越えるだけの強さを備えておろう。おぬしのおかげでな、杜夫。――このように。当初の目的も、気付いていなかった未練も無事に果たせたところで、」
―――これで、死ねるな?
胡坐を組んだ膝の中、無垢にしか見えない笑顔が、聞いてくる。知っていて、悪趣味に、訪ねてくる。
だから俺も、それに相応しく、笑顔で答える。
「そういえばさ、神様」
「うむ」
「俺ってば、合コンしたことなかったわ」
清々しく白々しい本音の隠蔽。
童女はおもむろに、箪笥の上の黒電話を指差し曰く、
「知り合いに獄卒ならばごまんとおるが。悪人の責め方、参考までに聞いてゆくか?」
●○◎○●
実にポピュラーで、ありふれていて、語るまでもない理屈をあえて語るが。
【死んでも死にきれない】と人が言う時。
未練の意味は、【何かを手に入れる為】だけでなく、【誰かに失わせる為】という方にも、伸びている。
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第一章、【タイムカプセル】、死亡。
十度目の死→未練発生。
第二章、【合コン参加】に続く。