ルドルフの孫
「おいこらシェリー‼︎ お前またやらかしたな⁉︎」
「ひぃっ! すみませんでしたカドー主任っ!」
“株式会社サンタクロース”
ここは世界を股にかけるその大規模運送会社が、各地に持つ集荷場の一つである。そこでわたしは、上司であるカドー主任に雷を落とされていた。またわたしが、荷物を指定時間内に届けられなかったせいだ。
わたしが恐ろしい形相の主任に勢いよく頭を下げると、ガクンと頭に衝撃が来た。その理由に思い当たって、わたしは真っ青になる。
「っ‼︎ 危ねぇだろ⁉︎ 俺を串刺しにする気かお前⁉︎」
「ひぇぇぇっ! わ、わざとじゃないんですぅ!」
振り下ろされたわたしのツノを、辛うじて肉球のついた大きな手で受け止めた主任は、尖った歯を剥き出して唸る。
「そう言って何度目だお前⁉︎ まともに走れもしないのに、ツノだけは立派なの生やしやがって…」
そのままわたしのツノを掴んで離してくれない主任に、わたしは涙目で抗議した。
「あぅぅ、離して下さいよぉ! セクハラです…」
「お前ほんとにトナカイか? 牛なんじゃねぇか? トロい牛にこんなツノは不釣り合いだ。俺がへし折ってくれる」
主任の言葉に、わたしは思わず耳をペタンと倒して謝った。
「ごめんなさいぃっ! もう遅延させませんからぁ‼︎」
「ごめんで済んだら俺の両親は警察やってねぇわ!」
ハスキー犬独特の低い吠え声で、主任が怒鳴る。草食動物の性か、わたしの体は縮み上がった。
「全く、ほんとにお前は、あの “一晩で世界を7周する” と言われたルドルフさんの孫なのか?クリスマスだってのに、お前みたいな鈍足に足を引っ張られちゃかなわねぇよ」
そう言われてわたしは泣きたくなった。今日は、わたしが入社して初めてのクリスマスイブ。一年で一番忙しい日であるのと同時に、我が社にとって最も重要な日でもある。今晩から明日の朝にかけては、社長自らがソリに乗り、世界中にプレゼントを配達するのだ。
だけど主任の言う通り、今日もわたしは周りに迷惑をかけてしまうのだろう。会社の大株主であり、名誉会長でもあるルドルフおじいちゃんに問答無用で入社させられた今の仕事だけど、絶対わたしには向いてない。
「わたし、社長のソリ引き辞退します…」
「はぁ⁉︎ 今さら何言ってんだ! お前がやらなきゃ誰がやる?」
「しゅ、主任が代わりに…」
「あれはトナカイだけに許された、何より名誉な役目なんだぞ‼︎ うちの支部にトナカイはお前しかいない。つべこべ言わず…」
怒鳴っていた主任が急に押し黙り、勢いよくわたしのツノを突き放した。
数歩たたらを踏んでから主任を見上げると、主任は髪から突き出た尖った耳をピンと立て、表の方を見つめていた。フサフサの尻尾からは緊張が見て取れる。
「あの足音は……社長がいらっしゃったぞ。俺はお出迎えに行く。シェリー、お前はさっさと準備を済ませて来い」
そう言うと、主任は急いで玄関口の方へ行ってしまった。薄暗い集荷場に残されたわたしは、重たい気分を引きずりながら、とぼとぼと自分の仕事道具を取りに行く。
「明日こそ、もう辞めますって言おう…」
社長だってわたしのダメっぷりを知ったら、止めたりしないだろう。わたしが言わなくても、明日の朝にはクビにされてるかもしれないけど。
「こんばんは、今日はよろしくね」
そう言って微笑む今日の社長は、白髭の老人姿だ。この地域のクリスマスは冬なので、今はふわふわと分厚い、真っ赤なクリスマスの正装に身を包んでいる。
聖人として世俗から聖別されている社長は、歳をとらないし、外見年齢も思うままに変化させられる。普段仕事で見かける時は、体力のある青年時の姿である事が多いけど、今日ばかりはイメージを守るためにこの姿でいるらしい。
嫌でも特別な日なのだと思い知らされるその姿に、わたしは緊張しながら挨拶を返す。
「こ、こんばんは、社長。わたし、シェリーです。今日はよろしくお願いします!」
うっかりツノで突いてしまわないように気をつけながら頭を下げると、社長はフォッフォッと老人らしい笑い声を上げた。
「ああ、聞いているよ。ルドルフの孫だろう? アイツはしょっちゅう孫自慢をしているからな」
「社長…あの、わたし、まだ新人で、それで…」
孫だからといって期待しないで欲しい。おじいちゃんが何を言ったか知らないけど、祖父母の孫自慢なんて8割が誇張で2割は妄想だよ。
もうすぐ辞める決意をしたのに、社長に失望されたくなくて、ぐだぐだと言い訳してしまう自分に情けなくなった。
そんなわたしを見透かすように、社長は優しくわたしの頭を撫でる。
「誰だって新人の時期はある。あのルドルフだって、昔は散々いじめられて…いや、孫にこんな話をしたと知れたら、アイツにどやされるな。この話はやめておこうか」
いじめられていた? あのおじいちゃんが?
今でも気まぐれに現場に出ては、1日分の荷物をたった1時間で配り終わらせたり、部下を鍛錬に引きずり出したりしている筋肉隆々のおじいちゃんの姿を思い浮かべて、わたしは首を傾げた。きっと何かの間違いだ。おじいちゃんの鼻が発する赤い光を見るでけで、会社のみんなは震え上がるのに。
「とにかく、そう気負わなくていいんだよ。私と聖夜の空を楽しもう。今日は楽しいクリスマス、だ」
社長はそう言ってソリに乗り込むと、雪のちらつく空を指差した。
「さぁ行こう! 子供たちがサンタを待ってる」
わたしは社長の言葉に促され、ソリの引き綱を腰につけると、ベルのついた首飾りと靴に魔法を込めて、空に足をかける。空中の見えない階段を登るように、ぐんぐん高度を上げて行くと、眼下に煌めく街並みが見えた。
普段は禁止されているので、夜に配達をするのは初めてだ。空から見る夜の街は、まるでわたし達の訪れを待ちわびて期待に輝いているようで、なんだかわたしもワクワクした気分になってきた。胸の上でベルが跳ねて、シャンシャンと楽しげな音を立てる。
「フォッフォッフォッ! メリークリスマス‼︎」
そう言って社長が魔法の袋を発動させれば、ソリの軌道下の家々に、それぞれの親が、子供の為に準備したプレゼント達が、光の筋になっていろんな家に降り注いで行く。その神秘的な光景に、わたしは思わずうっとりしてしまった。
「シェリー、見てみなさい。この光の数だけ親の愛があり、そして子供の笑顔がある。とても楽しいね」
「確かに……とっても素敵な気分です」
わたしは、これまで荷物を届けた先の事など考えたことがあっただろうか。わたしが届ける荷物に詰まった気持ちに、思いを馳せた事などあっただろうか。
わたしは今、愛と笑顔を届けているのだ。美しく降り注ぐ光の雨に、わたしは自然と笑顔になった。
数時間駆け続け、ふらふらになりながら集荷場に戻ると、外で帰りを待っていたらしい主任が駆け寄って来た。
「お帰りなさいませ、社長。その、うちのシェリーがご迷惑をおかけしませんでしたか…?」
尻尾を緊張させたまま、怖い表情でそう聞く主任の姿にわたしは気持ちが萎むのが分かった。やっぱり、今日も少し予定時間を過ぎてしまった。また怒られるのかな、と思って耳を倒していると、社長が呆れたように笑う。
「カドー、部下が心配でたまらないのは分かるが、こんな時間まで待っていなくても良かったのに。大丈夫、シェリーは立派にクリスマスの役目を果たしたよ。とても楽しい時間だった」
「そうですか……」
主任の尻尾から緊張が抜け、ゆらゆらと振られた。いつも怒っているような鋭い目に、嬉しそうな笑顔が見えて、わたしは意外に思う。
「シェリー、ありがとう。君のお陰で、明日の朝にはたくさんの子供達が笑顔になる。また来年も、楽しい時間を過ごそうね」
「はい」
わたしはその言葉に自然と頷いていた。大変なことは多いけど、わたしの足で、たくさんの人に笑顔を届けたい。
「よくやったな、シェリー」
次の現場へと足早に去って行った社長を見送った後、主任がぼそりと呟いた。滅多に聞けない主任の褒め言葉に、わたしは目を丸くする。
「え、でも、わたしまた、ちょっと遅れちゃったし、主任には怒られるものだと…」
そう言うと、主任は気まずそうに視線を逸らす。
「お前は普通の配達にすら慣れない内に、クリスマスの大役を果たさなければいけないのが分かっていたからな…。だから、新人には無茶な仕事もわざと割り振っていたんだよ。その、これまで悪かった」
「ええ⁉︎ じゃあ、主任が今までわたしばっかり叱ってたのって…」
「…クリスマスまでにお前を鍛えないと、と焦ってな。お前はなかなか優秀だ」
わたしは、不安そうに揺れる主任の尻尾を引っ張った。主任がびくりと飛び上がる。
「許しません! お詫びを要求します!」
「おい、尻尾を離せ。なんだ、謝っただろう?」
途方にくれたような主任の珍しい表情に、わたしはなんだか愉快な気分になった。
「主任からプレゼントが欲しいです。今日はクリスマスですから」
「…何が欲しい?」
「とりあえず、いっぱい褒めてください。クリスマスの間は目一杯!」
「おいおい、一日中か?」
「一日中です! これまで叱られた分を中和してもらわないと気が済みません」
「仕方ないな…」
わたしはそして、これまで一番素敵なクリスマスを主任からもらったのだった。