第十三話 オオタ・リンク・フォース~Not enough to picaresque~
挿絵はビエラのイメージです。
『化物』=地上を闊歩し、人間を襲う存在。
『リンク・フォース』=荒廃した地上で物資補給のために化物と戦う部隊。
『リンク・メイト』=武器。
『完全栄養食』=粒状の食品。一粒で成人男性一日分の栄養を補給可能。
『人型』=強力な化物。
◆
悪々汰区に転属が決まったのはリンク・フォース入隊後三年目だった。皆が恐れる23区内への転属を、ビエラは寧ろ喜んでさえいた。それまで所属していた鉢殴似市の隊長は何かと「早く23区に行って一人前になって来い」と皆を叱咤したものである。
23区は市区とは比べ物にならないくらい過酷な場所と言われていた。化物の数も多く、なかでも強力な『人型』と呼ばれる化物もいるらしい。
いざビエラが鉢殴似を離れる晩に、彼女の私室に隊長が訪れた。
「鉢殴似の連中は23区内で充分やってけるさ。アンタらはそういうふうに育てた。だから、ビエラ。胸を張って行ってこい」
別れ際に隊長の激励を受け、不覚にも涙を零した。
◆◆
ビエラは誇りと緊張を抱えて悪々汰区隊長の部屋の前に立っていた。
これから自分は23区で力の限り戦い、より貴重な資源を回収するのだ。危険は織り込み済み。今は胸の高鳴りに素直になろう。
顔を引き締めてドアを開けると、耳をつんざくような鋭い音が鳴った。思わず身を震わし、肩を強ばらせる。
それは異様な光景だった。
室内には乱雑にソファが設置され、その上で男たちが身を乗り出したり、足を組んだり広げたり、様々な寛ぎ方をしていたが、目だけはビエラに注がれていた。
部屋の中央には頭の右半分を短く刈り上げて剃り込みまで入れているのに、左半分は長髪を編み上げた長身の男が立っていた。豹柄のコートの下は黒のタンクトップ、下はデニムパンツで、腰にはギラギラした装飾のベルト。深いブラウンのブーツ。顔立ちはいかにも冷淡だったが、目元はサングラスで隠されていた。
長身の男はビエラを一瞥さえしなかった。ひたすら自分の足元を見つめている。
頭から血を流して倒れた人間。彼はそれを見下ろしていた。その右手に握られた筒状の妙な武器からは薄い煙が上がっている。
ビエラは背筋を這い上がる寒気を感じた。――殺したんだ、このノッポが。
人間が人間を殺す事態なんてビエラの理解を超えていた。
不意に、ノッポがビエラを向いた。濃いサングラスの先に鋭い目付きが見えた。
すると彼は軽やかにステップを踏み、足元の男を壁際まで蹴り飛ばした。
そしてソファのひとつを武器で指し示す。「座んなよ、シスター」
もはやビエラの当初抱いていた意気は粉々に砕けていた。とんでもない場所に来てしまった。
◆◆◆
ノッポはダストと名乗った。本名ではないが気にするな、とも。ダストは悪々汰区の隊長であり、武器であるリンク・メイトは銃という古代の殺戮道具をモチーフにしているらしい。
「悪々汰区に配属された以上、お前はファミリーの一員だ」
ダストはソファに深く身体を沈めて言った。足を組み、気だるそうな雰囲気を出している。
ビエラはとりあえず「はぁ」と答えたものの、鉢殴似に帰りたい気持ちでいっぱいだった。唐突にファミリーとして迎えられても困惑してしまう。先ほどの光景を見た以上、彼らと同僚以上の関係になどなりたくなかった。
「ファミリーの掟は三つ」
ダストは胸元から手のひらサイズの、鈍い銀色のケースを取り出した。
「ひとつ、ファミリーを裏切らない事」
手元のケースを開くと、細長い棒を指で摘み上げた。
それが煙草である事はすぐに分かった。たまに廃墟の中で見かける遺物である。地上に遺された煙草はどれもボロボロで、嗜好品だなんて思えないような代物だった。しかしダストが摘んだそれは、作られてから何百年も経過しているようには見えないくらい綺麗である。
「ふたつ、手に入れた物は共有する事」
もうひとつ、ダストが取り出した物があった。銀に輝く小箱。
ダストは煙草を咥えると、小箱を口元に寄せてそれを開いた。
金属性の擦過音がして、小箱にパッと火が灯る。煙草の先がじりじりと赤く燃え、やがて箱が閉じられた。
オイルライター。打ち石も油も金具も、その全てが貴重な資源であるはずだ。それをダストは惜しげもなく消費している……。
彼が口から煙を吐き出すと、独特な臭気がビエラの鼻を刺激した。
「みっつ、転属されても掟を守る事」
ダストは新たに煙草を一本差し出した。拒否しようかとも思ったが、ここで呑まれたら後が困る。いっそ大物らしく振舞ったほうが得策だ、と彼女は考えた。
煙草を咥えると、ダストの手が伸びた。キィン、と鋭い音がして火が揺れる。
暫くしてライターを閉じたダストは、なぜか苦笑した。「吸った事ないんだな。やけに肝が座ってるから吸い方も知ってるかと思ったが」
ビエラは煙草を指に挟んでしげしげと見る。確かに火は点いていない。ダストの煙草は簡単に点いたのに。
またも彼がライターを寄せる。ビエラはフィルターを唇に挟んだ。
「ライターの火に近付けて吸いな。そうすりゃ点く」
煙草からやや離れた位置でライターが灯った。顔を近付け、煙草の先が火を浴びるのを確認する。
そして、吸った。
瞬間――。
「げほ、ごほ、あは、けほ」
咳が止まらない。何だこれ。涙まで出てきた。頭がくらくらして気持ち悪いし、美味しくない。
隊員たちはゲラゲラと品なく笑い声を上げた。ダストも腹を抱えて「無理すんなよ、シスター」と笑いを堪えている。
何だか悔しくなって、またも咥える。そして、吸うと同時に噎せた。くそう。
「意地っ張りは嫌いじゃねえ。シスター、アンタ気に入ったよ」
ダストが差し出した手を握る。
郷に入っては郷に従え。戦闘訓練中に音を上げる隊員を、鉢殴似の隊長はそう叱っていた。これから何年悪々汰区で生きていくのかは分からなかったが、決して短くない時間だろう。なるべく気分良く過ごしたいものだ。
また一服して、噎せた。本当に美味しくない。
「それじゃ、悪々汰区について説明してやるよ」
ダストは背もたれに深く身をもたせかけて語った。悪々汰区に生息する主な化物と、主な資源についてである。
「他の区域はどうか知らねえけど、俺たちは回収した資源の一部だけを上納してる」
平然と言う彼を、ビエラは訝しげに見つめた。資源の勝手な利用や貯蔵はご法度のはずだ。地上で手に入れた物は全てリンク・フォース本部を通じて地下全体に広がる。そう返すと、ダストは冷たく答えた。
「地下全体に資源が広がる? 建前だ、そんなもん。地上の資源が地下に行き渡ってんならスラムなんてない」
そして後ろの隊員を指さした。「アランのいたエリアは完全栄養食が三日に一粒。ヤンのエリアなんて最悪で、五日に一粒だ。なのに一桁エリアの連中は一日数回、充分過ぎる栄養にありつけるときた。明らかに過剰供給だ。たんまり溜め込んでる奴が殆どだろうよ」
ビエラのいた地下エリアも、二日に一度しか栄養食は配給されなかった。確かに公平ではない。
「生まれで差が出るなんてのは納得出来ねえんだ。同じ政府が治めてるのによ。だから俺たちは連中の言いなりにはならねえ」
その反抗が、回収資源の不正利用なのだろう。最低限の物資のみ本部に納め、他は自分たちで消費する。意味のある行為とは思えなかったが、論理が全てではない。少なくともビエラは多少共感出来た。
「なるほどね」とだけ返すとダストは何度か頷いた。
「物分りのいい奴は好きだ。さて、もうひとつ」とダストは続ける。「ファミリーとして、というよりもリンク・フォースとして守るべきルールについてだ」
ダストはルールとして今度も三つ挙げた。
武器は肌身離さず大切に扱う事。
他人の武器に決して触れない事。
限界を超えて武器を使わない事。
「これを守らなきゃ後悔する事になる。いや、後悔出来りゃ幸運なくらいだ。このルールを破ったら、俺は絶対に許さない。ファミリーの掟と同じくらい大事だ」
そして彼は壁際を一瞥した。額を撃ち抜かれた男が転がっている。
「……聞いていいのか分からないけど、あの人は何を仕出かしたの?」
問いかけた瞬間、サングラスの下でダストの目付きが鋭くなった。
「アイツはファミリーを裏切った」
あまりにシンプルで曖昧な答え。そして、追求を拒絶する威圧感に満ちていた。
ファミリーの掟を破ったら額に穴が開くのか。脅しではなく、事実として。
「詳しく知りたいなら、明日教えてやる」
◆◆◆◆
翌日、ダストに連れられて悪々汰区の果てまで行く事になった。
メトロに揺られているのはビエラとダスト、後は三人の隊員である。隊員はそれぞれ両脇に木箱を抱えていた。それが一体何なのか言い出せる雰囲気ではない。ダストはいかにも不機嫌そうに舌打ちを繰り返していたし、隊員たちはどこか緊張した面持ちをしていた。
やがて車体が大きく揺れる。終着だ。
地上まで出ると、思わず息を呑んだ。荒廃した廃墟郡の先で、空の一面が緑色に濁っている。
『地区防壁』。地域を隔離する壁。何者をも通さない堅固な壁である。一見すると薄い寒天質の膜に見えるが、化物も人間も通過出来ず、武器を使おうとも傷ひとつつかない。
鉢殴似では隔壁と呼ばれていた。ビエラも存在は知っていたが実際目にするのは初めてだった。廃墟の先に映る緑の膜。それがいつから存在するのか、誰が創って誰が制御しているのか、一切不明である。太陽光の下で濁った緑はどこか神秘的で、思わず見とれてしまう。
「シスター、行くぞ」
「あ、ええ」
既に歩み始めたダストと隊員に走って追いつく。道路は亀裂だらけで、廃墟には太い蔦が絡み付いていた。鉢殴似でもよく目にした光景である。地上の一般的な眺めなのだろう。
やがてダストは廃墟のひとつに足を踏み入れた。中をずんずん進み、奥まった場所まで行くと地下へと伸びる階段があった。
ダストは足を止めて、地下をじっと見下ろしている。
「これから俺たちは取引に行く。シスター、アンタは余計な口を聞かなけりゃ上等だ。この先にいる連中はどうしようもないクズ野郎だが、貴重なパートナーだ。連中の機嫌を損ねる事はファミリーの損害に繋がる。つまり、遠回しな裏切りだ」
ビエラの返事を聞く前にダストは地下へ続く階段を降り始めた。その後を隊員たちが続き、彼女は最後尾となった。
建物二階分ほどの階段を降りると、箱型の部屋に出た。その奥には薄暗い道が続いており、入り口の横には明らかに破壊されたであろう扉が転がっている。塵や埃に汚れてはいたが、床も壁も金属で造られていた。青ざめた銀色は、地上の廃墟よりも資源を注いで造られた事を物語っている。
薄暗い道を進んでいくと、前方からダストの声が聞こえた。
「昨日死んだ馬鹿は、取引のための物資をちょろまかしやがった。加減すりゃあ痛い目に遭うだけで済んだのに、箱ひとつ分ダミーにしやがったのさ。そんで、俺たちはこれから取引相手に詫びを入れに行く」
前を行く隊員が両脇に抱えた箱に目がいった。物資がそこに詰まっているのだろう。昨日の口振りから、資源を酷く身勝手に消費している事は理解出来た。この取引も悪々汰区流の資源活用術に違いない。
ビエラは好奇心から、ダストに訊ねた。
「箱には何が入ってるの?」
「シスター」とダストは冷たく返す。「口は災いの元だ。君子危うきに近寄らず」
脅すような口調。徒な追求は身を滅ぼすだろう。特に、悪々汰区では。ビエラは口元を引き締めた。
しかし意外だ。君子危うきに近寄らず、だなんて。今では老人しか使わないような古い言葉だ。
やがて薄暗闇の先に光が見えた。どことなく地下コロニーの人工太陽を思わせる光である。
どんどん進んでいくと視界が開けた。眩いほどの白光。目を瞬かせると、その場所の様相が明らかになって来た。
縦横十メートル程の空間で、先が見えないくらい奥行きがある。この場所も道なのだろうが、異様なのは天井だった。蛍光灯が等間隔に並び、辺りを煌々と照らしていたのだ。人を除いて影はなく、壁も床も見事な白である。鉄なのか石なのか、良く分からない素材だった。
「シスター。感動するのは構わないが、観光に来たわけじゃない」
ダストの言葉で我に帰り、思わず疑問を口にした。「どうして蛍光灯が……」
些細な質問と判断したのか、ダストは苦笑を浮かべた。「さあな。電気が通ってんだろうよ。何百年も維持出来る自動発電でもあるんじゃねえか。確かめる事なんか出来ねえけど」
ビエラが首を傾げると、ダストは疑問を察したのか続けた。
「ここらは俺たちが自由に出来る場所じゃねえんだよ。勝手は許されない」
言って、ダストは歩き始めた。これ以上の追求は危険と判断したビエラは好奇心を押さえつける。昨日の発砲音は未だ耳に新しい。一切の容赦もなく、彼は引き金を引いたのだろう。彼が情けをかける姿なんて想像出来なかった。
白い空間を進みながらビエラは考えた。取引相手とは一体誰なんだろう。前日の様子から鑑みるに、本部の人間とは思えない。ダストは自分たちを統括する立場の人間を嫌っている。
考えても答えなんて出そうになかった。
諦めて歩いていると、やがて前方に人影が見えた。全身が硬く強ばる感覚を覚える。それらは五体を持ち、人間らしい仕草をし、そして、人型とは思えなかった。
彼らは、こちらと同じく五人組だった。皆スーツ姿だったが、髪を七分と三分に撫でつけた細身の男だけは光沢のある赤いネクタイを締めていた。彼だけは上着を羽織らず、ベストとスラックスだけである。顔付きはいかにも冷淡で、ダストと同じく容赦を持ち合わせていない人種に見えた。
「遅かったじゃないか、ダスト」
「アンタが早過ぎるんだ、レーベ」
赤ネクタイの男――レーベは不敵な笑みを浮かべた。
「ビジネスはスピードが命だ。……早速で悪いが、約束の物を」
ダストが視線を送ると、隊員たちはそれぞれ両脇に抱えた箱をダストの前に置き、素早く下がった。
ダストは箱のひとつを慎重に蹴り、レーベの前まで滑らせる。
するとレーベはそれをダストへと蹴り返した。
「いらねえのか?」
訝しげに訊ねた彼を、レーベは嘲笑した。
「違うだろ、ダスト。中身を見せてから渡しやがれ。それとも、また騙す気か?」
ダストは黙って膝を折り、木箱の蓋をひとつひとつ外していく。
「これでいいか?」
箱の中には木の実がぎっしりと詰まっていた。元は鮮やかな色だったのだろうが、実は乾燥し、くすんだ橙色に変色していた。
ビエラは、あっ、と声を上げそうになって堪えた。
狂い杏子。その実を口にした動物が前後不覚に暴れ回る様からそう呼ばれていた。地上でも珍しい果物らしい。実際に見たのは初めてだったが、鉢殴似時代に同僚から話は聞いていた。実のままでは苦過ぎて口に入れる事すら出来ないが、粉末状にすれば使い道があるらしい。水に溶かして飲む、あるいは炙って吸引する。すると多幸感に包まれ、作業効率も上がるとの話だ。この事を語った隊員も実際に経験してはいないと言っていたので、どうせ嘘か誇張だろうと思っていた。
ビエラは木箱の蓋を閉じるダストを見て、あれは本当の話だったのだ、と確信した。地下での取引はそのくらい怪しげな緊張に包まれていた。
それにしても、とビエラは思う。取引相手のスーツ男たちは何者なんだろう。それぞれ武器を手にしているあたり、リンク・フォースのようにも見えた。すると、担当地域外を行き来出来る場所があるのだろうか。
もしかして、と閃いてこれまで辿った道のりと方向を頭の中で再現する。間違いない。丁度『地区防壁』の真下がここだ。
信じられない事に、壁の力はここまで及んでいないのだ。
合計六つの木箱がレーベの元に渡った。彼は嘲るように鼻を鳴らし、後ろに「おい」と呼びかけた。
木箱を抱えた細身の小男が現れ、緊張した面持ちで前に出た。慎重に床に置いて引き下がろうとする彼をレーベが呼び止める。「ハイド」
ハイドと呼ばれた小男はびくりと身を震わせてレーベを見上げた。
レーベは箱を指差して「お前がやれ」と命じた。
小男は躊躇いがちに頷き、足の側面で木箱に触れた。
「おいおい、ひとつきりか?」
威圧的に訊ねるダストに、レーベは淡々と返した。「俺たちをコケにしたのはてめぇらだろうが。こっちからひと箱渡してやるだけありがたいと思いな」
「……分かった。これで無かった事にしてくれるんだな?」
「ああ、そうだ。前の取引のポカは帳消しにしてやるよ」
レーベの言葉と共に、木箱がダストの足元まで滑る。ダストはしゃがみ込み、木箱の蓋に手をかけた。
ビエラは、ダストの横からひょこっと木箱を覗く。蓋の中には茶色の筒が数本転がっていた。
「なんの真似だ?」
威圧的に睨むダストに、レーベは悪趣味な微笑を浮かべて見せた。
「取引は金輪際ナシだ。てめぇら先に仕掛けたんだぜ? ダストよお、そいつは爆弾さ」
レーベはライターを取り出し、火が点いたそれを放り投げた。
赤い炎が放物線を描く。ダストの腕が伸び、彼の手は間一髪のところでライターを掴み取った。
その直後である。
「本命はこっちだ」
レーベの手にはいつの間にか細い糸が握られていた。糸の先は木箱の中まで続いている。
そこから先の事は断片的だ。ビエラが目にしたのは自分を突き飛ばすダストの腕と、糸を引くレーベ。そして、閃光。全身を襲った衝撃。
ビエラは消えゆく意識の中で、立ち上がるダストを見た。
そこから先は深い闇に閉ざされている。
◆◆◆◆◆
目を覚ますと、薄汚れた天井が見えた。
首を捻ると、全身に激痛が走った。頭はぼんやりとして、未だ微睡みの只中にいるような感覚だった。
不意に、隣で咳が聴こえた。苦心してそちらを向くと、ベッドの上で胡座をかいて煙草を吸うダストの半身が見えた。サングラスに遮られていない彼の瞳は、思っていた以上に透き通っていた。
「シスター、目ぇ覚ましたかよ」
ダストはこちらを一瞥もせず、静かに言った。それはビエラに向けた言葉というより、独り言のように浮かんで消えた。
「……隊……長……?」
思った以上に声が出なかった。どうして自分とダストが隣合ったベッドに眠っていたのかも分からない。
はっきりしているのは、全身を襲う激痛だけだ。
身を起こそうとすると、ダストの声が届いた。「寝てろ」
異論を認めない冷ややかな口調。ビエラは大人しく横になっている事に決めた。
ダストの姿を見た事で、意識を失う前の光景がじわじわと蘇る。
閃光と衝撃。それらが訪れる前に自分を突き飛ばしたダスト。
「……隊長……。足手……まといで……ごめん……なさい」
本心からビエラは呟いた。自分を突き飛ばす暇があれば、ダストはベッドで療養するような羽目にはならなかったかもしれない。
「黙って寝てろ」
彼は苦々しく口にして、それからぽつぽつと語り始めた。
◆◆◆◆◆◆
ここが悪々汰区の地下拠点である事。あの日から既に三日が経過している事。レーベが爆弾を起爆させた事により、最も近くにいた自分とダストが重症を負った事。あの直後、ダストは立ち上がってレーベに挑んだ事。
「勝ったん……ですか……?」
訊くと、ダストは首を振って否定した。
「あの地下は特別に壁の力が弱いが、リンク・メイトや人間は通過出来ない。だから俺は銃口に地上で取れた物を詰めて弾頭にしたんだ。リンク・エネルギーの塊は壁に弾かれたが、弾頭だけは通過出来た。それであのクソ野郎を撃ち抜いたら逃げやがった」
あの空間に壁らしき物は見受けられなかったが、殆ど分からない程度には薄かったのだろう。リンク・メイトや生物は通さないが、地上に存在する遺物は通過出来る。だからこそ、隣接区域との取り引きが可能だったのだ。
「クスリ漬けの連中の考える事は分からねえな」
ダストはぼそりと呟いて立ち上がった。彼の全身を見て、ビエラは息を呑んだ。
左腕が消えている。恐らくは地下での爆発で吹き飛んだのだろう。
「シスター」
「……はい」
ビエラは、ダストの背を見つめて思わず唇を噛んだ。
「忘れんなよ」
そう言い残してダストは去っていった。
あの日の悲劇を忘れるな。ファミリーの敵を忘れるな。きっと、そういう意味だろう。
ダストは隊長として悪々汰区に縛られている。地下を経由して隣接区域に行く事も叶わない。転属を除いて他区域の地下拠点に行く事は出来ないのだ。それを承知しているからこそ、彼は忘れるなと言ったのだ。復讐を遂げられないのなら、せめて悲劇から何かを学び取らなければならない。
全身を覆う痛みの中で、ビエラは何度も瞬きをし、鼻を啜った。
地上。
ぽつりと呟いて目をきつく閉じた。瞼の闇の中、鉢殴似での日々が蘇る。
もうビエラは鉢殴似に戻りたいとは思わなかった。悪々汰区で、ファミリーの一員として、自分に何が出来るのか。
責任感の皮を被った憎しみを胸に抱いて、ビエラは微睡みに落ちていった。
挿絵は「きゃらふと」様で作成させて頂きました。




