8.人間として、猫として
翌日、サナエが唐揚げをもってやってきたとき、おれは思い切って話を切り出した。
「サナエさん、実はお願いがあるんだ……」
「あら、何かしら?」
サナエはカラーの頭を撫でながら尋ねた。おれはどぎまぎしながら答えた。
「カラーのために、これからもずっと唐揚げを作ってほしいんだ」
「いいわよ」とサナエはあっさり答えた。
「これからずっと、一生の間ってことなんだけど……」
「カラーをわたしに譲りたいということかしら?」
おれはがっくりきて、言い直した。
「いや、そうじゃなくて、カラーとおれのために、これからもずっと唐揚げを作ってほしいんだよ」
サナエは真剣な顔をして、おれの方を見た。
「それって、もしかして……」
そのときカラーが一声、にゃあ、と鳴いた。おれは意を決して言った。
「サナエさん、おれはサナエさんのことが好きだ。結婚してください」
サナエは驚いた表情で、しばらく黙ったまま、じっとおれの顔を見つめていた。やがてカラーがまた、にゃあ、と鳴いて、サナエの手を舐めた。そのとき、緊張していたサナエの顔がほころんだ。
「はい、わたしでよければ」
サナエは明るく答え、カラーを抱きかかえた。カラーはサナエの顔を舐めた。
「カラーちゃん、これからはわたしがお母さんよ。ずっといっしょだからね」
カラーはまだサナエの顔を舐めている。
「おいおい、そろそろ交代だ」
おれはサナエからカラーを受け取って床に下ろすと、サナエにそっと口づけをした。カラーは床の上で、にゃあにゃあと鳴いていた。
サナエが帰ったあと、おれはカラーに礼を言った。
「カラー、これもすべておまえのおかげだ。ありがとう」
「礼にはおよばないさ。これでおれもうまい唐揚げにありつける」
「一つだけ訊きたいんだけど、おまえはいったい何者なんだい。ただの猫じゃないんだろ?」
カラーはしばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。
「あんたは子どもの頃に猫を飼ってただろう?」
そう言われて、おれは思い出した。小学校二年生の頃、段ボール箱に入って川に捨てられていた子猫を拾い、家に持って帰ったのだ。親からは捨ててこいと言われたが、おれは泣いて頼んだ。次の算数のテストで満点を取ったら飼ってもいいと言われて、必死に勉強をして本当に満点を取った。高校一年生の時に猫が病気になったときは、徹夜で看病をした。それでもとうとう死んでしまい、おれは三日間泣き続けたのだった。
「おれはあのときの猫だよ。生まれ変わって、姿は前と違うけどな」
そうだったのか。だからおれが人生に絶望していたとき、助けに来てくれたんだな。
「あんたはもう大丈夫だ。だから、おれは普通の猫に戻るよ。そうなったらもう、人間の言葉を話すことはできなくなる。あんたも普通の人間としてしっかり生きてくれ。おれはいつもそばで見守っていてやるから。ああ、唐揚げだけは忘れないでくれよ」
「忘れないよ。決して忘れないさ。ありがとう、ありがとう」
おれはカラーを抱いて、何度も礼を言い続けた。やがてカラーは普通の猫に戻り、おれも普通の人間に戻った。
それから三年の月日が流れた。おれはサナエと結婚し、去年男の子が生まれた。農業はまずまず順調にいっている。試験的に栽培した南米の野菜や東南アジアの果物も人気が出たので、作付面積を増やそうと思っているところだ。近隣の老人たちに頼まれる雑用も引き受け、便利屋みたいなこともやっている。収入は多いとはいえないが、ここでなら十分に生活していけそうだ。
サナエはときどき農産物加工場へ出かけては、新商品の開発に従事している。子育てもあるし、実家の農業の手伝いや父親の介護もあるから、けっこう忙しそうだ。
一方カラーはといえば、日向ぼっこをしたり、鳥や昆虫を捕ろうとしては失敗したりで、元気にしている。相変わらず唐揚げが好きだ。だが年を取ったら脂肪分を控えなければならないだろうな。
そんなわけで、おれは人間として、カラーは猫として、それぞれ充実した生活を営んでいるのである。
(完)




