あいせき
ある少年の日記(一部抜粋)
_四月四日(土)_
今日から高校生になったので日記をつけることにした
日記なんて小学校の宿題以来だなあ。夏休みの終わりのほうで必死に思い出そうとして書いてたっけ
まあ、僕のことだからいつまで続くかわかんないけど、せっかく高校生になったから習慣にしてみよう
とりあえず今日は入学式だった
これからの高校生活、楽しもう
_四月十日(金)_
やっぱり、電車通学は慣れるまで大変だなあ
混んでるわけじゃないんだけど
超疲れる
でも、自転車じゃ遠いんだよなあ……
ああそうだ
今日は久しぶりにお母さんと夕食を一緒に食べたんだ
僕は学校のことをいろいろ話した
お母さんはうれしそうに聞いてくれた
僕もうれしかった
_四月十七日(金)_
電車通学にも少しずつ慣れてきた
車内での過ごし方もほとんど決まった
向かいあわせで四人が座れる席の窓側で小説を読んでいるとすぐ着く
正面や隣に人が座ってもあまり気にならないから、落ち着いて読書ができる
_四月二十一日(火)_
どうしよう
僕は恋をしてしまったのかもしれない
今日のうれしさを忘れないように詳しく書いておこう
今日の日記は長くなるかも
今朝のことだ
いつもの席でいつものように小説を読んでいると、
「ここ、いいですか?」
と聞かれた
僕にそう聞いてきたのは、黒くて長くてきれいな髪の女性だった
断りを入れてから座る人は珍しかったし、それにかなりの美人さんだったので、僕は少し緊張しながら大丈夫ですと答えた……と思う、だだだ……大丈夫です、とかいったかも
正直少しじゃなかったな、かなり緊張していた
その人は友人と来ていたらしく、僕の正面の席に「ありがとうございます」と言って。その友人と座った
その友人もかわいい人だった
しばらくするとその人は「あの……」と僕に声をかけてきた
突然のことで驚いた
「あの、その本って……」
と、言ってその人は僕の読んでいる小説の作者の名前を言った
そうですと僕が答えると、
「そうですよね。その方の本、私大好きで……、あ、ごめんなさい突然。えっと、私たち文学部の学生なんです。駅の近くの……」
と、その人は大学の名前を言った
ああ、あそこですねと僕が言うと
「はい。あなたもその作者さん好きなんですか?」
と、聞かれた
僕は、はいと答え他にも好きな作家を言った
「え、あの作家さんも好きなんですか。私も……好きなんです。気が合いますね。あ、ごめんなさいそろそろ降りなきゃ。……あの、もしよかったら、またここでお話しませんか。その、えっと……本のことについて」
そう言われた時の気持ちを、僕は文字にできない。
それくらいうれしかった
はい、こちらこそよろしくお願いしますと返した
どのタイミングで好きになったかなんて覚えていない
気づいたら好きになっていた。
普段よりずいぶん長く書いてしまった、この辺にしておこう
そういえば名前をきいていなかったな
今度聞こう
_四月二十四日(金)_
今日、行きの電車で立華さんと加藤さんに会った
立華さんは僕に話しかけてくれた人、加藤さんはこの間もいた立華さんのお友達だ
今朝、彼女たちは僕を見かけると胸の前で小さく手を振って僕の正面の席に座って
「おはようございます、えっと、そういえばお名前を聞いていませんでしたね」
と、言った
どう名前を聞こうか試行錯誤していた僕はとてもたすかった
僕は自分の名前を言った
「いいお名前ですね。私は『たちばなさき』です。立つ座るの『立』に中華の『華』、花が咲くの『咲』で立華咲です」
彼女にとても似合ういい名前だと思った
「こっちは、『かとうみゆ』。加えるの『加』に花の『藤』美しい優しさで『美優』です」
こちらもよく似合っていると思った。おとなしそうで確かに優しそうな方だった。漢字を立華さんが美しい優しさと説明したとき、加藤さんが顔を赤らめて恥ずかしそうにしているのはかわいかったなあ。
ごちそうさまでした
もちろん僕は、立華さんが好きだけれど
一筋だけれど
お互い名前を言い合うという簡単な自己紹介をした後は、三人で好きな本や作家の話をした
とても幸せな時間だった
_五月一日(金)_
今日も立華さんと加藤さんとお話をすることができた
もちろん本の話だ
なんなら立華さんたちとお話をするために学校に行っているまであるのが今の僕だ
たまには自分たちがあまり読まない、得意としていないような本を読んでみると新しい発見があるのではないかという話だった
偶然にも三人とも好きなジャンルが違っていたので、それぞれのおすすめの本をゴールデンウィーク明けに持って来ようということになった
これはセンスが問われる
僕はミステリー小説が好きなのでそれを持っていくが、どれを持っていくかとても悩む
有名どころは読んでいるかもしれないし、だからと言ってあまりにマニアックなのは読みにくいだろう
さいわい一週間ほど時間はあるからゆっくり考えよう
次に会うのが楽しみだ
_五月六日(水)_
やっと持っていく本が決まった
ミステリーの中でも比較的読みやすいものだ
普段読まないジャンルを読むときは、読みやすいかどうかが大切だと思ったから
ずいぶん悩んだけど、それは楽しい時間だった
テレビか何かで、プレゼントを選んでいるときに相手の喜ぶ顔を思い浮かべることが送り手の幸せだとかなんとか聞いたことがあるけど、本当にその通りだ
プレゼントではないのだけれど
明日から休みが明ける
休みが明けることが楽しみとか、今までの僕には考えられなかったことだ
いやあ、恋って本当にいいものですね
_五月七日(木)_
今日は立華さんたちには会えなかった
木曜日は会えないことがほとんどだったから仕方ない
金曜日は毎週会えていたから、明日お話ができるだろう
_五月八日(金)_
今日も会えなかった
金曜日だから会えると思ったのに
残念だ
何か用事があったのかな
来週中には大丈夫だろう
_五月十四日(木)_
ここしばらくずっと会えていない
連絡先を交換していないから、事情を確認できない
毎日鞄に入れているハードカバーの分厚いミステリー小説が重たい
でもまだ金曜日がある
明日には会えるだろう
会えるといいな
会いたいな
_五月十五日(金)_
今日もだ
今日も会えなかった
もう休みが明けて一週間以上だ
どうして会えないんだろう会いたいのに話したいのになんでかななんでなんで話したいのになんでなんでなんでなん会いたいのにでなんでなんでなんでなんで立華さんなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで会いたいなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで立華さん立華さん立華さん立華さん立華さん立華さん立華さん立華さん立華さん立華さん
土日で探すか
_五月十八日(月)_
わかった
土日じゃ見つけられなかったから今日は学校を休んで、大学を見に行った
そしたら、わかった
加藤さんが運転する車に、立華さんも乗っていた
たぶん連休中に加藤さんは免許を取ったのだろう
だから立華さんは電車に乗らなくなってしまった
さてどうするか
そんなの決まっている
_五月二十日(水)_
今日はホームセンターに行って必要なものを買ってきた
手痛い出費だ
僕はとにかく本を買うから常に金欠なのだ
まあいい
これで立華さんとまたお話ができるのなら安いものだ
来週が楽しみだ
_五月二十七日(水)_
一仕事した後の疲れは心地よいものだな
恨みを持った人間の犯行に見せるため、めった刺しにし、服も剥いできた
下手に捨てると指紋とかでばれそうだから、とりあえず持ち帰ってきたけどどうしよう
まあそんなのは些細なことだ
明日からの通学に立華さんは電車を使うだろう
そしたらまた話ができる
もしかしたら、友達をなくした彼女を慰めることで、僕を好きになってくれるかもしれない
明日が楽しみだなあ
そこで俺は日記を閉じた。乾いた血で真っ赤になった日記を。
「じゃ、改めて話を聞こうか。繰り返しになる話もあるがな」
刑事である俺は彼女に。
立華咲に、そう言った。
「ええ、構いませんよ、刑事さん。その子の日記はもう読み終わったんですか?」
「ああ、一応な。おっさんの俺にはちと難しかったがな。あんたのことも書いてあったが、本当に彼と、あんたが半殺しにした彼と、電車で話をした覚えはないんだな?」
「そうですよ。私は彼の家に行って初めて彼とお話をしたんです。先ほどからそう言っているはずですが」
「悪いが確認のためだ。しかし日記にはあんたたちの名前も書いてあるぜ。漢字もな。まあ大学はこの辺には一つしかないからわかるかもしれないが」
俺が日記を読んで腑に落ちないことの一つがそれだ。
「それはおそらく、私たちの電車の定期券を見たのではないですか。名前が書いてありますから、見られるならそこかと」
「どうやって定期を盗み見るんだ。乗る駅も、降りる駅も違うだろ」
「彼がどこで乗り降りしていたのか知りませんが、定期を見ることならできると思います。私たちは定期を定期入れに入れて、鞄に結んでつけておいたので。いちいち鞄から取り出すの面倒なんですよ」
そんな単純なことかよ。そんなことに思い当たらないとは、そろそろ年だな。
「じゃ次だ。何回も聞くが、どうやって彼の家がわかったんだっけな」
何回も聞いたことだが、いまだに理解が追い付かないからもう一度聞いてみる。
このことを聞くと彼女は、恍惚とした表情を浮かべて語るのだ。
「また聞いてくださるなんて、刑事さんってお優しいですね。それはですね、彼が持ち帰った美優の服に、小さな発信機をつけておいたからです。それであの日、いつも家にいる時間なのに、まったく別の場所にいるからどうしたんだろうと思って、心配になったから様子を見に行って。そうしたら、まったく知らない家についてしまったんです」
「そこが彼の家だったわけだが。じゃあ、少しその辺のことについて聞きたいことがある」
「どうぞ」
「まず最初に、なぜ被害者の服に発信機をつけていたんだ。偶然、あの日だけつけていたわけじゃないだろう」
「ええ、二月くらいにやっと手に入って、それからずっとです。あの子、いつもぼーっとしていて危なっかしいから私、心配で心配で。そういうところが可愛くて愛おしいんですけれど。それで私は、あの子の服に発信機をつけておいたんです。そうしておけば、あの子の行動を私がそばにいない時でも把握することができますから。……大変だったのは、洗濯されたら壊れちゃうことです。毎日美優の服につけるのは構わないのですが、やっぱり少し高いですから」
「……次の質問だ。なぜ彼が被害者を殺した犯人だと分かった」
ヤツが被害者の美優を殺したその日に、こいつはヤツの家を突き止め半殺しの目に合わせている。家を突き止めることができた理由は分かったが、なぜヤツが犯人だと確証が持てた?
「いえ、その時点では彼が犯人だとは分かりませんでした」
「なんだと? じゃああんたは、犯人だと確証も持てていない年下の少年に対して、あんなことをしたのか?」
「ええ。でもちゃんとその後、机の上の日記を見て確認はしましたよ。そうしたら私たちのことが書いてあったので、良かった合ってて、と思いました」
狂ってやがる、こいつは。
「あんた、彼になにをしたのか覚えているのか」
「もちろんです。まず薬を注射して口がきける程度に体の動きを封じました。年下とはいっても男性なので、反撃されるのが怖かったんです。その後はゆっくりお話をしながら、膝のお皿を割ったり、指を折ったり、半田ごてで右目を焼いたりしました。そういえば彼は、終始笑顔でした。どうしてでしょう?」
「知るかよそんなもん。痛みでおかしくなっちまったんじゃねえのか。それよりも、よくもまあ薬だの半田ごてだの、そんな物騒なものをその場に持ち合わせていたな」
「だって刑事さん、あの子の反応がまったく知らない家からあったんですよ。誘拐かと思うじゃないですか。あの子とても可愛いから、そういうことが起こると思っていつも準備していたんです。……でも、結局あの子は殺されてしまっていた。私は、助けることができなかった。そういえば、彼は今どこに?」
「病院だ」
「ああ良かった、生きているんですね。死なれては困ります。自分の歪な指や足、それに、鏡を見るたびにうつる醜い右目を見るたびに美優のことを思い出してもらわないと。死んで楽になられては困ります。おや? 醜い右目と見にくい右目って駄洒落になってしまいましたね。実際には見にくいのではなく見えなくなってしまいましたけど」
「あんたにジョークのセンスはねえよ」
そう言って俺は席を立った。
「もうあらかた聞くことは聞いた。あとはほかの司法機関のお仕事だ」
俺は取調室を出た。
「先輩、この事件結構マスコミに注目されそうっすよね」
そう言って、後輩の安田が話しかけてきた。
「そりゃな。まあ、結局は騒ぐだけ騒いだ後ほかのことに目を移して、てめえらがこの間まで何を報道していたか忘れちまうんだけどな」
「あいかわらずですね。おっとそうだ。あの少年の日記の内容覚えてます?」
「インパクトなら、その辺の一山いくらのアクション映画よりあったから覚えてるぜ」
「いちいちそういう言い方しかできないんすか。ええと、その中に彼と立華の会話が書かれてたじゃないすか。やけに具体的じゃありませんでしたか」
「そうかもしれないが、思春期男子の妄想ってことで片が付いたはずだろう。なぜそんな話を持ち出してきた。暇なのか? かまってほしいのか?」
「違いますって。それが、事件のことを知った彼のかかりつけの医者が警察に連絡してきたんです。『彼のことで話したいことがある』って。」
自分の患者が逮捕されても関わろうとするなんて、ずいぶん熱心な医者だ。
「その医者、ああ、精神科医なんすけど。それでその医者によると、彼は幼いころに受けたDVや学校でのいじめのせいで、現実の物事を自分にとって都合のいいように歪めて捉えるようになったそうっす」
「なんじゃそりゃ。どういうことだよ」
「DVは家族からのスキンシップと捉え、いじめはクラスメイトと一緒に遊んでいるんだと捉え、そして今回は極端なんすけど、一目惚れした女性が自分に全く気付かないのを、自分に話しかけてくれているんだと捉えていたんじゃないかって」
「ふーん」
「反応薄くないすか」
「それを知ったところで俺にできることなんて何もないしな」
被害者が出ることも、未来ある少年が殺人を犯すことも、奇妙な愛情を持った愚かな復讐鬼が生まれることも、防ぐことができなかった。
今の俺たちにできることなど被害者が安らかに眠ることを祈り、二度とこんなクソッタレなことが起きないよう、再発防止に努めることくらいだ。
それくらいしか、できることはない。
少年刑務所の少年の日記より
今日が何日かなんてどうでもいい
僕に彼女が、立華さんが会いに来てくれた
いっぱいお話をした
女神みたいな人だった
立華さんに会うにはあの方法が一番よかったんだ
代償としてここに何年かいなくちゃならないけど
どうでもいい
立華さんに会えるなら
どうでもいい
もう一度会いたい
さてどうするか
そんなの決まってる
これは去年の五月ごろバスに乗っているときに思いついたお話です。温め続けた結果腐りそうになっていたので投稿しました。