呪いの放送
「なあ、"呪いの放送"って知ってるか? それはな、この学校の七不思議のひとつらしいんだけど……」
隣席の福士祐人が不意に話しかけてきた。
学校の七不思議……そんなもの、いまだにあったのか、この現代に。我が校にも七不思議があるなんて初めて聞いた。いったいどういうものなのだろう?
「それで、その"呪いの放送"というのは何なんだ」
私の問いに、祐人は笑顔で答える。
「簡単に言うと、"聞いてはいけない放送"らしいんだ」
勿体振った彼の答えに、私は苛立つ。
「回りくどい言い方はいいから、さっさと具体的に答えろ」
すると彼はニィっと口角を吊り上げ、声を潜めて話し出した。
「それはな、聞くと狂ってしまう放送なんだ。そのメロディをキチンと耳に入れてしまうと、その人は気が違ってしまう。人々を発狂させる、呪いの旋律さ。――それが、いつかは分からないが、突然放送室から流れ出すことがあるそうなんだ。50年前の事件を知っているだろう? この学校で起きた、教師生徒の集団自殺事件。あれも、その放送が流れたせいではないかと噂されているんだ。お前、この学校の七不思議なんて聞いたことなかっただろ? それも、50年前の事件後に生き残ったわずかな学校関係者が災いから逃れようと隠そうとしたためなんだ。――それが明らかにされるとき、再び呪いは甦る、なんて言ってね。とにかく、気をつけたほうがいいよ。七不思議のひとつについて、僕が明らかにしてしまったのだから」
面白い。50年前の事件というのは初めて聞いたような気もするが、私の辞書に『知らない』なんて言葉は無い。50年前の事件、隠蔽されているようだが、私はちゃんと知っていたのだ。そうに違いない。
「成程あの50年前の事件、"呪いの放送"が原因で引き起こされていたというのか。怖えなあ。……それで、お前はもしもその放送が突然流れ出した時の為に対策はしているのか?」
祐人はコクりと頷いた。
「勿論だよ。いつそれが流れ出しても大丈夫さ」
ならば、まあ"呪いの放送"なんて有るわけがないに決まっているが、折角だから聞いてやろうではないか。
「ほう。して、それはどんな方法なのかね」
祐人はさらに声を潜める。
「それは――」
それは? 何? 今私の顔は期待に染まっていることだろう。一体どうすべきだというのか。
一瞬、時が止まったような気がした。教室で駄弁るクラスメイトのきらきらした笑い声も、窓から見下ろす校庭に朝練する運動部の掛け声も、何も聞こえない。私の耳は、ただ一点、祐人の口元へと向いている。
「――だ」
今なんと申したか。全神経を傾けていた筈なのに、聞き取れなかった。
「おい、ちゃんと聞き取れるボリュームを用いたまえ。もう一度言ってみろよ」
しかし祐人はその願いを聞き入れず、代わりに呟いた。
「僕は一回しか言わないよ。それに、自分で考えるほうが面白いだろう? 簡単に言えば、"その旋律をキチンと耳に入れてはいけない"それだけさ」
奴め何故にそれほど勿体振るのだ。素直に答えれば良いものを。まあ、いい。だったら私がその答えを導き出せば良いだけだ。
それにしても、祐人の話は興味深かった。呪いなんて存在するはずがないとは思うのだが、しかし50年前の狂気に塗れた集団自殺。その原因が呪いなのだとするならば、ある意味では謎が氷解する。教師生徒がまとまって自殺するなど普通には考えられぬことだ。"呪いの放送"を聞いてしまった為、だとすれば生徒のみならず自殺を阻止せねばならぬ教師まで、それも恐らく複数人が死んだことはスッキリ片付いてしまう。
まあ、とにかく。呪いがあるにせよ無いにせよ、このネタはこの暑い夏の季節にピッタリであるし、クラスメイトに吹聴することとしよう。私はありのままの事実を述べるだけだから、別に祐人から聞いた話だといちいち言わなくても良いだろう。
その時、教室のスピーカーから音がした。
それは我が校の放送設備の電源が入ったことを示す、「ブチッ」というノイズ音だ。
先程の祐人の話のお蔭で無意識に私は身構えてしまった。もしも――もしも、そこから流れ出す放送が件の"呪いの放送"だったらどうすべきか、と。
彼曰く、その旋律を"キチンと"耳に入れてはならぬ、とのことだったが……。その"キチンと"とはどういった意味なのだろうか。頭をフル回転させる私に、その音色が響く。
『キーンコーンカーンコーン……』
なんだ、ただのチャイムだったのか。焦った私が馬鹿みたいだ。朝礼の時間らしい。
「起立、礼」
係の者が、号令をかけた。これから、一日が始まる。
◆ ◆ ◆
午前四時間の授業はいつも通り何の問題もなく過ぎ去って、昼になった。私としては、"待ちに待った昼休み"という表現が最適であろう。何せクラスメイトを怖がらせることが出来る。朝聞いたネタ、それから50年前の事件については、マイナーな話であるから皆が驚き興味を持つに違いない。
丁度良いタイミングで私の傍を人が通った。彼は倉須明人といった筈だ。彼はクラスでも友人が多いほうだから、彼に話を振れば私の話をクラス中に広められるに違いない。
「おい、倉須。面白い話があるんだ」
私がそう言うと、彼は私を通りすぎようとしていたその足を止め、踵を返すとひょこひょこと此方に近付いてきた。
「面白い話? なんか面白そうだな、聞くぜ」
面白い話が面白そうだなんてよくわからない返事だが、まあ、聞いてくれるということで何よりだ。今なら隣席の祐人も留守にしている。祐人が話したより怖く感じられるように気を付けながら、私は話始めた。
「50年前の事件って知ってるか――」
彼は目を輝かせながら話を聞く。なんと話甲斐のある奴なのだろうか。彼の話を聞く様子を見て、他のクラスメイトも集まってきた。今、私の机の周りは同級生でいっぱいだ。私は話を〆に向かわせる。
「――だから、今ここに私がこの話をした以上、いつ我々に呪いが災いするかわからない。学校の放送には気を付けろよ」
話は終わった。ウケも上上だ。暑くなってきたこの頃だが、果たして皆は少しでも寒気を催してくれただろうか? 涼しい気分にさせられたなら良かったと思う。
しかしこうして皆の前で熱弁してみて思ったのは、やはりそれが実在するか否か、ということに尽きると思う。50年前の事実から実在していそうにも思えるが、現実的に呪いなんて存在しないとも考えられる。この疑問について直ちにはっきり解決する方法は今、この場で直ぐに"呪いの放送"が流れ出すことだが、まさかそんなこと……。
『ブチッ』
音がした。
いつも通りのノイズ。
チャイムが鳴るのだ、そう思った。
いや、そう思いたかった。
『ポタっ…………、ポタっ……、ポタっ、ポタポタ』
何の音だろう? 誰かが、水道の蛇口でも締め忘れたのだろうか。何かが滴る音がする。
『ギィィ…………』
今度は何か? ドアが開くような音?
私は、確かに、何かとんでもないものが迫ってきている、そんな気配を感じていた。
しかし、わからない。
何だろうか、この感覚は。頭は必死に回転しようとしているのだが、全て空転に終わっている。――そんな感覚だ。
『リーン…………、リーン……、リーン』
今度は、鈴の音が重なった。夏だし、きっと風鈴
『リンリン、リンリンリン、リンリンリンリン……』
音が、重なりあって、旋律を、生み出した。
旋律……その詞に何か引っ掛かりを覚える。先程まで、そんな話をしていた気がする。一体……。
「ノロイダ……」
誰かが呟いた。
その声は、自分の声にも似ている気がした。
そしてその声は、私に全てを思い出させた。
――その旋律をキチンと耳に入れてしまうと、その人は狂ってしまう――
このままじゃだめだ。
このままじゃだめだ。
このままじゃだめだ。
このままじゃあ……。
旋律が耳に入らないようにはどうする。手で耳をふさいだところで意味がない。他にその旋律を阻止する手段は――
「歌だ。歌で打ち消せば、あるいは」
また、誰かの呟きが聞こえた。
それだ。
私は、あらん限りの声量で、歌を唱う。
「アーーアーーーーッ」
他人から、歌だと気づかれなくても良い。
ただひたすら、叫び続けていればいいんだ。
呪いの旋律を、聞かないために。耳に入れない為に。
私はずっと、歌いつづける。
読了ありがとうございました。
では、GNAHAND.