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精霊の祝福  作者: 裏庭集会
第二幕
5/34

ユイと家族と新しい朝

 小鳥の鳴き声で目を覚ましたユイは、枕もとの時計を信じられない思いで見つめた。何回見直そうと、瞬きをしようと、時計の針が指し示す時間は変わらない。時計の長針は、いつも起きる時間よりも余計に一周していることを示していた。

「うわあ……完全に寝過ごしてるっ……。」

 幻の本にはまって、夜更かししたせいだ。本を読むだけではなく、気になる記述についてついつい考え込んでしまって、さらに遅くなったのもある。

 頭を抱えてうめいたユイだったが、そんなことをしたところで、時間は戻らない。いっそこのまま寝なおしてやりたい、なかったことにしたい衝動に駆られながら、ユイはもそもそと布団を這い出る。

「失敗したなあ。マリちゃん、心配してないといいけど。」

 心配性で世話焼きの彼女のことだ。いつもの時間にユイが起きてこなければ、間違いなく心配して迎えに来るだろう。うっかり寝過ごしたことがばれたら、最悪、毎朝お迎えにくると言い出すかもしれない。できればそれは全力で遠慮したい。せめて迎えに来られる前にこちらから打って出なくては。

 起きる前、朝のうちに女中たちが用意しておいてくれた水差しの水を盥にあけ、顔を洗う。冷たい水でまとわりつくように残っていた眠気を振り払い、寝巻きを脱いで普段着に着替える。三面鏡から埃除けの覆いをはずし、長い髪をくしけずる。

 マリエやユートと違い、ユイの髪は黒くてまっすぐで面白みがない。だが、よくよく梳かせばさらさらになって、手触りが悪くないところは自分でも気に入っている。その髪をサイドでゆるく結えば、身支度は完了だ。あとは昨夜の夜更かしが顔に出ていないかどうかを入念に確認する。

「よし。」

 最後に全身を軽くチェックして、鏡に埃除けを掛け直す。

「みんなもう、きっとお台所だよね。」

 襖を開け、自室を出る。板張りの廊下は今日も艶々ピカピカで、埃一つ落ちていない。朝早くから掃除してくれている女中たちに内心感謝しながら、ユイは厨房へ急ぐ。

 案の定、厨房にはすでにマリエも筆頭家老も料理人たちも、ユイ以外の全員が揃っていた。

 遅くなってごめんなさいと、声をかけようとしたユイは直前でその言葉を飲み込んだ。

 料理人たちにからかわれたらしいマリエが、小柄な体を精一杯伸ばして反論していたのが耳に入ったからだ。

「違います。あのバカが迷惑かけてるから、そのお詫びです。」

「……言い切ったな。」

「……言い切りましたね。」

「お嬢、ぜんぜん照れないから、つまんねえっす。」

 料理人たちは、マリエがあからさまに照れたり慌てたりしないから、白けたらしい。

 彼らはぜんぜんわかってない。マリエは日ごろ人様のことを馬鹿にしたりしない。バカと呼ぶのはたった一人だ。ましてあのバカなんて親しみを込めて呼ぶのは――無意識に甘えられるのは、彼――ショウ・グレンしかいないのに。

「楽しませるつもり、ありませんから。」

 平静を装ったつもりだろうが、耳の赤みでバレバレだ。なのに気づかず、腰に手を当てて胸を張るマリエがかわいらしすぎる。

「そんなこと言っても、耳が赤いよ、マリちゃんっ?」

「おおおお嬢様ぁ!?」

 思わず後ろから抱きつくと、ユイの存在にぜんぜん気づいていなかったらしいマリエが悲鳴をあげた。

「おはようございます、お嬢様。」

「おはようございます、みなさん。おはようございます、マリちゃん。」

 料理人の皆さんがしてくれた挨拶に、ユイも笑顔で返す。挨拶は大切だ。さわやかな一日の始まりにふさわしい。

 なのにマリエは鹿爪らしい顔で苦言を呈してきた。

「お嬢様、厨房でいきなり抱きついたら危ないです。」

 それはそうだろうけれど。まったくの正論で、反論の余地もないのだけれども。

「マリちゃん。おはようございます、だよ?」

「……おはようございます、お嬢様。」

「うん。」

 口を尖らせるユイにマリエが折れた。泣く子に勝てないといった感じだが、まあいい。大切なのは、挨拶を返してくれたことだから。

 思わず表情がゆるゆるになってしまったユイだが、マリエはそんな情けないユイにも容赦がなかった。

「お嬢様。厨房は刃物も火も使う場所です。危ないまねはお止めください。」

「うん。ごめんなさい。もう、しません。マリちゃんがかわいかったから、つい。」

「本当に気をつけてくださいね? ……それに、あーゆーのは、見てみぬ振りしてくださいよ。」

 後半は、ささやくようにお願いされた。

 クールで何事にも動じない有能な侍女になると公言しているマリエだ。あんまりかわいらしいところを見せたくないのだろう。それはわからないでもないのだけれど。

(もったいないなあ。マリちゃん、こんなにかわいいのに。)

 でもまあ、そのかわいらしさはユイとショウがわかっていればいいことだ。ほかの人にはそれこそもったいない。

 小声でこっそり付け足してきたマリエに、ユイも小声で返す。

「ふふ。ゴメンね?」

「お願いしますね?」

「うん。わかってる。」

 ちゃんと応えたのに、なぜか不信そうな目で見られた上に、ため息までつかれた。

 ……マリエは本当にしっかり者のお姉さんだけど、時々本当に失礼だと思う。主にユイ限定で。

「そういえばお嬢様、今日は寝過ごされました?」

「うん。ちょっとね。夕べなかなか眠れなくってね。」

 思わず正直に答えてしまい、マリエの眉間にしわが寄るのを見てしまったと気づくがもう遅い。

「――あ、ぜんぜん大丈夫だから。ちょっと考え事してただけで、ほんとに、心配要らないから。ほんとにほんとだからね?」

 慌てて両手を振って否定するが、納得してはもらえなかったようだ。マリエは難しい顔でなにやら考え込んでいる。

(あー……お迎え確定かなあ。)

 なるべくのことならそれは避けたいのだけれど。

 明日からどうなるかなあと、乾いた笑いが漏れるユイであった。


「お嬢様。よろしいでしょうか。」

 などと和んでいたら筆頭家老――マリエの父親であるジョージ伯父様――に声をかけられて、条件反射で姿勢がぴっと伸びた。お仕事モードのマリエも侍女らしく頭を下げて一歩下がる。

「は、はい。大丈夫です。なんでしょうか。」

「本日の献立になります。本日は外部からのお客様はいらっしゃいませんから、こちらでよろしいかと。これにかかる経費および備蓄食材の在庫につきましてはこちらをご参照ください。」

 差し出される半紙と分厚い帳簿を、目をぱちぱち瞬きながら確認する。正直言って、ちゃんと確認できている自信はない。それでもイヤだとは言わない。いや、言えない。ユイがやるしかないのだ。屋敷を守るのは女の仕事だということも、領主の家に生まれた責任も、ユイなりに理解しているから。

 ……とはいえ、ジョージ伯父様はもう少し手加減してくれてもいいんじゃないかと思うのだけど。

「大根の在庫が不足いたしますから、組合長に依頼して届けてもらいましょう。胡椒も当面は問題ございませんが、早めに業者に発注いたしましょう。よろしいですね?」

「はい。お願いします。」

「かしこまりました。」

 一礼して下がってくれたところを見ると、今日のお仕事は一山超えたと思ってよいのだろう。ユイははふっと息をついた。

 ユイはどうも、筆頭家老が苦手だ。ユイに対して一歩引いたような厳しい態度をとることが多いから、切なくなってしまうのだ。彼が有能な家令で、主家の娘への礼節を守っているだけだというのはわかっているのだけれども。女手のないカタスカーナ家の女主人としてユイを育て上げようとしてくれているのもわかっているのだけれども。

(ジョージ伯父様、ユートさんによく似てるからなあ。)

 未来のユートにつれなくされているみたいでちょっとへこむ。

 筆頭家老にばれたら、それこそ理不尽ですと眉をしかめられそうなことを考えるユイであった。


「お嬢様、あたしは大広間のほうを見てきます。」

「あ、わたしもいく。」

「はい。」

 献立の確認が終われば、厨房にいる必要はない。ユイに断って大広間の助っ人に向かおうとするマリエに、ユイも同行することにする。

 その道すがら、マリエが奇妙なことを言い出した。

「そういえば、雪だるまで転んだりされませんでした?」

「雪だるま? 雪だるまがどうしたの?」

 わけがわからなくて、首をかしげて聞き返す。

 しかめ面を作ったマリエは「大変だったんですよ!」と拳を握りこんで主張した。どうやら、弟たちが早朝から張り切って雪だるまを大量生産した上に廊下に並べて飾ったようだ。

 かつてやらかした様々ないたずらと比べ、それだけならかわいらしいじゃないかと思うのだが、マリエにとっては違うらしく、文句が山盛りだった。

「廊下に水をこぼしたようなものですよ? 放置したら滑るし危ないじゃないですか。泥だらけで汚いですし。だいたい、こんな朝っぱらから掃除に手を割かなきゃならないなんて……こちらの仕事を増やしたがってるようにしか思えません!」

「ふふ。朝から大忙しだったんだね。」

 ユイだって鬼じゃない。マリエの労をねぎらったのに、マリエは不満そうだ。

 まあそれもそうかもしれない。つい、頬が緩んでいるのが自分でもわかるから。

 でも、考えてみて欲しい。幼い弟が必死に年上の従姉の気を惹こうと――本人が自覚しているかどうかは知らないけれど――あれやこれやと手を尽くしているのだ。これが微笑ましくなくてなんだろう。

「でも仕方がないよ? エマくんも男の子だし、お年頃だもの。」

(ま、マリちゃんにはショウくんがいるからお姉ちゃんは応援しないけどね。)

 ちょっとお馬鹿なところはあるけれど、まっすぐで誠実なショウと、人一倍しっかり者だけど、ちょっぴり照れ屋さんなマリエは、本当に良いコンビなのだ。

 自分もユートさんとなかなかうまく行かないのに、弟だけいい思いさせるわけがないだろう……などとは考えていない。……本当だってば。

 日ごろストレートなショウの態度に慣れきっているマリエに、ちょっとひねくれている弟のアピールは届いているのか、いないのか。

「男の子だからですべてを赦されるんですか……。」

 がっくりと肩を落とすマリエの背中を「まあまあ。」と撫でた。

 そんな風に楽しくおしゃべりをしている間に、大広間に到着する。

 中ではすでに女の子たちが、たすきがけもきりりと、せわしなく働いてくれている。

「おはようございます、みなさん。」

 ユイがにっこり笑って挨拶すると、すぐに挨拶の合唱が返ってきた。

「あ、お嬢様だ。おはようございます。」

「おはようございまーす!」

「マリエさんもおはようございますっ。」

「おはようございます。」

 大広間を冷静に見渡したマリエが、一つうなずいて「自分も。」と腕をまくる。掃除の助っ人になるつもりだろう。

「お嬢様は床の間を飾るお軸とお花をお願いします。」

 掃除のやり方がぜんぜんわからないユイでは、加勢したくてもできない。そんなこと言われるまでもなくわかりきっているのか、マリエに床の間を彩るようお願いされる。

 そちらに目を向ければ、床の間は確かに殺風景だった。今年は春が遅いけれど、そろそろ春めいたものを飾って華やぎをプラスしてもいい頃だ。

「うん、わかった。そろそろ春だよねっ。どうしようか?」

「それはお任せしますが……。」

「今なら何が咲いてるかな……ちょっとお庭を見てくるねっ!」

 一礼して見送るマリエを残し、ユイはうきうきと大広間を後にした。


(何がいいかなあ……。)

 カタスカーナ邸には四季折々の花が咲く庭と、管理の難しい花を育てる温室がある。どちらも腕利きのお抱え庭師が手入れしてくれていて、花が好きなユイはそのどちらも大好きだった。庭の素朴な草花にはほっこりするし、温室のまさに豪華絢爛としか言いようのない花たちにはうっとりする。

 だが、今日飾る花をどちらから選ぶべきかと問われたら、それは庭からだろう。薔薇や蘭といった温室で育てられている花はどちらかといえばお客様向けだ。開いてしまった花をもったいないからと飾ることはあるものの、そうでなければ身内しかいない今日は庭の花から選ぶべきだろう。まだ雪が残る庭に咲いている花があると良いのだが。

 そんなことを考えながら歩いていたせいだろうか。

「きゃっ、」

「す、すみませんっ!」

 廊下の角を曲がってきた相手と、肩がぶつかってしまう。

「すみません。大丈夫ですか? どこか痛むところは?」

「大丈夫、ありがと……」

 よろけたユイの腰をとっさに支えてくれた相手にお礼を言って顔を上げると、至近距離にユートの顔があった。常緑樹の目に心配そうな色をたたえて。髪よりちょっとだけ濃い色の眉を八の字に下げて。

(……おおおおおおおぅ!)

 間近で顔を覗き込まれるとか! 抱き込まれるとか! こ、心の準備がっ!! というか、そもそも何で声で気づかないの、わたし!?

 鼓動が一気に跳ね上がる。顔が熱い。自分でも頬に血が上りきっているのがわかる。ひょっとしたら目も涙目になっているかもしれない。ただ支えてくれているだけだというのに、腰に添えられた手のひらの温かさを否が応でも意識してしまう。

「だだだ大丈夫! ちょっとよろけただけだから!」

「……お怪我をなさってはいませんね?」

 目をつぶり、無言でこくこくうなずく。何度も何度も。

 ああ、お願いだからちょっと放してええええ!

 内心パニックに陥っているユイにかまわず、ユートはユイの頭からつま先まで視線を落とし、まっすぐ立っていること、とりあえずどこも痛めているそぶりがないことを確認し、ゆっくりと離れる。

「あとから痛むかもしれません。そのときは、」

「わかってる。そのときはちゃんと典医(せんせい)に診てもらうよ。」

 ユートが放してくれたことで少し冷静になったユイが、苦笑しながら答える。

(相変わらず心配性だなあ。これくらいで怪我なんかしないよ。)

 彼はお兄ちゃん気質だから、これはもう、一生治らない病気みたいなものだろう。理性を取り戻したユイは、そんなことを考える。

 ……支えてくれた暖かい手が離れていったことが寂しいとか、そんなはしたないことは思ってない。別のこと考えようなんて思ってない。ないない、絶対にない。

「それでユイ様。どうなさったのですか? この先は外ですよ。」

 頭の中が若干ふわふわとしていたユイのことは知ってかしらでか、ユートは滑らかに話題を変える。

「お花を摘みに……そうだ! ユートさんもいっしょに、」

 離れてしまったユートの上着の袖をつかみ、一緒に行かないかと言いかけて、彼が微妙な顔をしているのに気づいて尻すぼみになる。

 ユートは軽く目を見開いて、驚いたような顔をしていた。

(……そんなに驚くようなこと?)

 小首をかしげて、ユイは考える。

 ユイはただ、一緒に大広間の床の間を飾る花を摘みに行かないかと誘っただけだ。それがなんであれ、ユイがユートを誘うのは珍しいことではない。ただ、一緒にお花を摘みに行かないかと……お花を摘みに……。

 ――お花を摘みに行く。イコール、お手洗いに行く。

(い、いやああああああああっ!!)

 今更ながらに自分が何を言ったのか自覚して、転びかけたときと同じくらい顔が熱くなる。

「ちちち違うの! えっと、お花は摘むんだけど、そーゆー意味じゃなくて、大広間のね、床の間が寂しいからっ!」

 慌てて両手を振り回して否定するが、一度口からこぼれてしまった言葉は取り消せない。あうあうと真っ赤になったユイが両手で頭を抱えてうなる。

(あああ、わたしのばかあ……。)

 誰か穴を掘ってくれないだろうか。しばらくそこに埋まるから。

 せめて見られないように顔を隠したユイの腕に、ユートがそっと触れる。

「……?」

 恐る恐る顔を上げると、ユートはいつもと変わらない優しい笑顔で、穏やかな声で、ユイに言った。

「大広間の床の間を飾る花が必要なんですね。僕でよろしければ、ぜひ、ご一緒させてください。」

「ユートさんっ……!」

 ほっとしたユイが顔を隠していた腕を下ろす。まだ恥ずかしかったけれど、誤解が解けたことに安心していることも確かで、へにゃっと笑み崩れてしまう。それに応えるように、ユートも笑ってくれるから、余計に。

「それで、何を飾るんですか?」

「まだ決めてないの。お庭を見てから決めようと思って。あ、でもお軸も替えようと思ってる。」

「春ですからね。」

「そう! 春の詩なんかいいと思うんだけど。……お花とのバランスを見てからかなあ?」

 和やかにおしゃべりしながら、二人で廊下を歩く。

 外に出る前に「まだ外は寒いですから。」と外套を着せ掛けられ、首まできっちり留められた。

「……ほんとう、お兄ちゃんなんだから……。」

 マフラーまでしっかり巻かれてしまって、口元までぬくぬくと埋まって、ユイは独りごちる。

「ユイ様? なにかおっしゃいました?」

「ん。なんでもない。さ、お庭にいこ。咲いてるお花を探さなきゃ。」

 構ってもらえるのは嬉しいはずなのに、胸をちくりと指す棘が消えない。

 これがユイだから甘いのであれば嬉しいのだけれども。

 ユートに好かれている自信はある。でも、小さい妹扱いから完全に脱却できていないのではないか、という不安はいつも付きまとう。

 ユートにしてもマリエにしても、カーティス家の年長組みは責任感が強く、本当に面倒見がいい。弟妹が多いからだろう。早くに母を亡くし、父も出張がちなユイたち姉弟も、彼らにとっては実の弟妹と同じだったのだろう。ユイたちにとって、彼ら兄弟が本当の兄弟と同じだったように。

 ユイの気持ちはいつの頃からか兄に対するものではなくなったけれど――ユートはどうなのだろうか? 長兄の義務感から、これまでの習慣から、そばにいてくれるのではないか? わがままを聞いてくれるのではないか?

 ユイが好きだと言えば、応えてくれるのはわかっている。でも、それはユートの一生をここ(ラグロウズ)に縛る行為だ。一度関係を成立させたら、簡単に解消などできない。お試しなんて単語は、ユイには適用されない。ダメだったらやり直せばいい、なんてわけにはいかない。領主の娘であり、お山のヌシ様の聖女であるということは、そういうことだ。

 ユイのわがままで、ユートの未来を縛っていいのか。難関とされる帝国アカデミーで飛び級できるほど優秀なこの人を、一生、辺境の片田舎(ラグロウズ)に縛り付けてよいのか。彼にはもっと、華やかで充実した将来がふさわしいのではないか。ユートなら、帝都で公職につくことだって、夢ではないのだ。

(せめて、こんなに素敵な人じゃなければよかったのに。)

 自分に彼の一生をあがなえるほどの価値があるのか。

 ――ユイには自信がなかった。


 幸い、庭に出てすぐに雪の間からひょっこり顔を出して咲く黄色い多弁の花を見つけることができた。福寿草――春を告げる花だ。

「うん。これで一気に春めくね。」

「そうですね。それに幸先もいい。」

「ユートさん?」

「福寿草は春とともに幸福を招く花ですから。」

 摘んだ福寿草を左手に持ったユイが外套を脱ぐのに手間取っていると、ユートはさりげなく後ろに回って、袖を引き抜くのを手伝う。ユイの脱いだ外套を腕にかけて、ユートはにっこり笑った。

「ユイ様がまた一年、僕たちに幸せをもたらしてくださるんですね。」

 他意はないっ! ユートの言葉に他意はないはずだ! これはあくまでもユイが聖女のお務めを果たしているからであって、それ以上に意味はないはずっ!

 ……真っ赤になったユイが酸欠の魚のように口をパクパクさせるしかなかったとしても、仕方がないと思うのだ。

「そ、それより、花器を選ばなきゃ! それにお軸も。」

 だから、ほら。

「そうですね。どうするか決めてらっしゃいますか?」

 苦し紛れにユイが話題をムリヤリ変えても、あっさりと乗ってくる。

「目星はつけてあるよ。浅めのガラスの器にしようと思うの。左右非対称でちょっと面白い形の。お軸は予定通り春の詩にする。」

「はい。」

 幸先がいいのは確からしく、納戸でも目的の物はすぐに見つかった――というより、ユートが見つけてくれた。

 ……ふだんは帝都で学生やってるのに、なんでうちの中の家財道具の場所まで正確に覚えているんだろう……?

 考えると自分のダメさ加減に落ち込みそうだから、止める。きっとユートさんだからだ。そうに違いない。

 花器の四角い箱と掛け軸の細長い箱、水差しまでユートに持ってもらって、いざ大広間まで戻ろうとしたところで、同じく大広間に向かう弟たちに行き合った。

「あ、おはようございます、姉上。ユートさんも。」

「おはようございます、お嬢さま。おはようございます、ユートにいちゃん。」

「エマくんもシオンちゃんも、おはようございます。朝から元気だね。」

「おはようございます、若様、シオン。」

 なんとなく、流れで弟たちと一緒に大広間へ向かう。

 弟たちは朝から外に出ていたらしい。寒かったのだろう、頬も鼻も真っ赤だ。隣を歩く弟の横顔を見ながら、そういえば、と思い出す。

「そういえば、朝からいたずらしかけたんだって?」

「……姉上には関係ないです。」

「そうだね。でもマリちゃん怒ってたよ? あとでちゃんとしかられてね。」

「……。」

 ちょっとつついたら黙り込んだ。まあ自業自得だ。存分に構われ――じゃなかった、しかられれば良いと思ったのだけど。

「……姉上こそ。二人で仲良く大広間入りですか。らぶらぶですね。」

「……!?」

 横目で見上げる弟に、思わぬ方向から反撃された。それもたった九歳の弟に。

 らぶらぶ。らぶらぶって! そう見えちゃう? 見えちゃうの!?

 弟とは違う理由で、顔が赤くなるのを感じる。頬に両手を当てる。このままユートさんと二人で大広間に戻ったら、そう見えるのだろうか。昨日の妄想ではないけれど、新婚のように見えちゃったりするのだろうか。

 そう思うと素直に大広間に入れなくて、ついつい、覗き込むようにしてしまう。

「……何をなさっているんです。」

 ――もちろん、真面目に働いているマリちゃんに白い目で見られました。

「や、うんっ、邪魔じゃないかなってっ。」

「出入り口をふさがれるほうが邪魔です。早くお入りください。」

「そ、そうだよねっ。」

 中では女の子たちがパタパタとまめまめしく働いてくれている。厨房と往復している子も大勢いる。そんなときに入り口に居座れば邪魔に決まってる。それはわかってはいるのだが。

「お嬢様?」

 わかっていても、恥ずかしくて動けない。ユイは入り口に張り付いたまま、視線だけをあちこちに泳がせた。助けを求めるように。

「ユイ様?」

 ……助けは来なかった。後ろからユートに促されて、恐る恐る中に入る。知らず知らずのうちに、両手に力がこもる。左手の福寿草のことは、すっかり頭から抜けていた。

 自分でも挙動不審だと思いつつ、あうあうとうめいていたら、マリエに「なんだ。」とため息をつかれた。どうやら、ユイに続いてユートが入ってきたのが見えたようだ。

「ユート兄さんが一緒だったんですね。おはようございます、兄さん。……お嬢様、そのお花を早く水に挿してあげませんと、さすがにかわいそうです。」

「おはようございます、マリエ。」

 ユートが一緒だった。

 それだけでユイの不審な態度をすべて納得されるのも、微妙に納得がいかないのだけれども。

(わたしがユートさんにくっついているのも、いつものことだもんなあ……。)

 どうやら、完璧にユイの自意識過剰だったらしい。いろいろ考えて上がりきっていたテンションが急降下する。

「ほら、ユイ様。マリエもこう申しております。床の間を飾れるのは、ユイ様だけですよ。ですから……お願いします。ね?」

「う、うん、そうだねっ。でもねっユートさんも、いっしょに。ね、いいでしょう?」

 ユイは花を持たない右手でユートの上着の裾をつかむ。

 一方的にくっついている関係でも、やっぱりそばにいたいから。なにより春になればまた、ユートは帝都に行ってしまうのだ。

「ね?」

 お願いするように見上げると、弟妹に甘いユートはしかたないなあといった様子で目を細めた。裾をつかんだ右手に左手を添えて応える。

「僕でよろしければ、ぜひ。」

 ……うん、やっぱりユートは甘い。とっても甘くて――ユイにとってはほろ苦い。

 二人で床の間に向かう。ユートにお願いしてもともと架かっていた掛け軸を外してもらい、やはり頼んで天袋から下ろしてもらった長い箱に収める。新しく選んだ春の詩を架け直し、花器を設置して水を張る。中身のない箱を天袋に収め直し、花器に福寿草を浮かべれば完成だ。

 立ち上がって、全体の仕上がりを確認する。うん、わるくない。

 横にいるユートにちらりと視線を送ると、すぐさま気づいて微笑み返してくれる。それだけで嬉しくなったユイの顔も笑み崩れる。

「じゃあ、これを片付けてきますね。」

 すっかり軽くなった水差しを抱えてユートが告げる。

「わたしも行くよ。」

「いえ。ユイ様はここでお待ちください。すぐに戻ります。じきに朝餉の準備も整うでしょうし、お屋形様もいらっしゃいますから。」

 すぐ戻るという言葉通り、そう時間を空けずユートが戻ってくる。そして、その頃には朝餉の準備は整っていた。領主である父が大広間に現れると、ユートは一礼してユイのそばを離れた。

 今はまだしかたがない。わかっていても、心はちくりと痛む。

「みな、揃ったようだね。」

 一同を見渡して、父は重々しくうなずいた。

「ではいただこうか。」

「いただきます!」

 父の音頭のもと、にぎやかに食事が始まる。特に騎士団のあたりが賑々しい。興味を惹かれたユイだが、あとでマリエに詳しく聞こうと心に留めるにとどめる。

 ユイはユイで、それどころではなかったから。食事中に移動するわけにはいかない、というのもあるのだが、それ以上に難題があった。最近の勉強の進み具合や、父が不在の三ヶ月の間の領地の様子など、食事の合間に父に質問されていたのだ。すぐに答えられる簡単なものから、まるで口頭試問のようなものまで。領地に関する報告なんて、筆頭家老から定期報告が上がっているのだから、わざわざユイに確認する必要なんてないはずなのに。

 正直に言えば、そんなの食事時の会話の枠を超えていると思う。

(うう。頭が痛いわ。)

 試されているようで――実際試されているのだけれど――頭が痛い。そう、頭が痛いといえば。

 ユイは夕べの幻の本のことを思い出す。せっかく父が戻ってきているのだ。相談しない手はない。

(一晩悩んでも答えが出ないんだから、誰かに聞いたほうが早いよね。)

 いざとなれば父に丸投げするつもりで、ユイはタイミングを見計らう。

 多忙な父は、食事が終われば仕事に戻るだろう。そうなれば、話しかけづらくなる。その前にせめて話があることだけでも伝えたい。

 なのに父の質問に答えつつ箸を動かしていたら、いつの間にか朝餉を平らげていた。食後のお茶ではやる気持ちをなだめつつ、父の様子を伺う。父のほうも、どうやら食べ終わり、上品に食後のお茶を味わっているようだった。

 よしっと内心気合をいれ、体ごと父のほうを向き直る。両膝に両手を揃え、背筋を伸ばす。

「お父様、」

 父の視線がこちらに向くことを確認して続けた。

「『君の瞳に祝福をパーフェクトガイドブック~甘い魅惑のひと時をあなたに!~』というご本について何かご存知じゃありませんか?」


 ぶほっという音がして振り返ったら、少し離れた席でなぜかマリエが咳き込んでいた。

書けば書くほど、お嬢様の残念な本性が露呈するような気がします……。

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