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精霊の祝福  作者: 裏庭集会
番外編 一方そのころ幕の外では……
28/34

お屋形様と精霊のお山の子供たち(下)

 貴婦人が上京するための準備を整えるにはいささか無謀な日程ではあったが、マリエの奮闘の甲斐あって、ユイたちは無事に帝国アカデミーの生徒となった。

 最初はがちがちに緊張していた娘も、どうやらアカデミーでの日々を楽しんでいるようだ。毎日提出されるユートの報告書からは、娘の喜びが生き生きと伝わってくる。メアリ・フェイバーやクィンシー・ラチェスターといった友人にも恵まれ、初めての学校生活を謳歌して――

(……楽しむのはいいけれど、神殿の問題はどうなった?)

 激務の合間の休憩時間に、報告書という体裁の癒しを堪能しながら、アーネストは苦笑する。

(まあいいか。考えてみればユイにはいろいろと面倒をかけてきたからな……。)

 聖女と領主の館の女主人。仕方がなかったとはいえ、責務ばかりで自由の少ない暮らしは、幼い子供には辛かったかもしれない。そう思えば、少しくらい楽しむのも当然と思えた。

(夏は短い。充分に味わい尽くすんだよ、ユイ。)

 手にした報告書をそっと机に伏せ、アーネストは目を閉じた。


 だからといって、まさかここまで手を伸ばす必要などないのだが。


 その日、相変わらずの仕事を何とか片付けてアーネストが帰宅すると、玄関ホールにユイが待ち構えていた。時計はすでに深夜を指している。普段なら、娘が起きている時間ではない。

「お帰りなさいませ、お父様。」

「ただいま。どうした、まだ寝ないのか?」

 不審に思ったアーネストが足早にユイに近寄ると、不安そうに眉根を寄せた娘は一通の招待状を差し出した。

「お父様にどうしてもご相談したくて……これなんです。」

 ユイが差し出したのは、一通の招待状だった。それも『王冠を頂く右向きの狼』付きの――

(またか!!)

 アーネストが内心怒り狂って言葉を失ったのも、無理はないだろう。

 招待状の内容はすぐには信じられないようなもので、なんと皇帝主催の宮廷舞踏会の招待状だった。それも開催日は三日後。季節はずれもいいところである。

 いや、シーズン以前にこの日程がありえない。普通なら舞踏会の準備など何ヶ月も前から進めるものだ。人気のデザイナーや職人を抑えるためなら、来年、再来年のシーズンのために動くことすらざらにある。ましてやユイは社交界デビュー前の身だ。これがデビュタントになるというのに、準備が三日しかないなど、正気の沙汰じゃない。

 そもそも、三日後の舞踏会は通常の宮廷舞踏会だと聞いている。皇帝主催の会になるだなんて、一言も聞いていない!

「お父様。わたし、どうしたらよいのでしょうか……。」

 湧き上がる怒りを何とか押さえつけ、不安で両手を揉み絞るユイの頭を撫でる。

「これからセイル宮に戻って詳細を確認してくるよ。遅くなるだろうから、お前はもう寝なさい。」

「お父様……。ごめんなさい、お願いします。」

 降りたときのまま、その場に待機していた馬車に再び乗り込む。深々と頭を下げるユイに見送られ、アーネストはセイル宮に引き返した。


「どういうおつもりですか、これは!?」

「来たか。」

 いつかのようにアーネストが内宮に怒鳴り込む。アーネストの襲来をある程度予想していたのだろう。部屋着姿の皇帝はくつろいではいたが、就寝してはいなかった。安楽椅子に身を落ち着け、くつろいで本を読んでいる。

「来たか、ではありません! これは何ですか!?」

 アーネストが突きつける招待状にちらりと目をくれると、皇帝はふんと息をついて興味なさげに視線を本に戻す。

「招待状だ。それ以外の何に見える。」

「そうですよね、招待状ですよね! 何だって三日後の舞踏会の招待状が今日! 届くんですかっ!?」

「許せ。典礼官もできるだけ早急に対応してくれたのだが、彼らも仕事が立て込んでいるのだ。」

「ふざけるのも大概にしてくださいっ!! 式典もない、シーズンでもないこの時期の典礼官に差し迫った仕事などないでしょう!」

「いや、それが人手不足でどこもぎりぎりなのだ。一時的にとはいえ、動かせる人材は選挙準備に駆り出していることは君も知っているだろう。」

 選挙そのものと関連する諸々にまつわる法令の整備、インフラ――都市間を繋ぐ通信網や交通網の整備、一般の人々への啓蒙、公正な選挙を実施するための運営組織作りに、不正を取り締まるための監視組織作り……準備しなくてはならないものは引きも切らず、人材と資材はどれほど投入してもまだ足りない。

「だから最初にきちんとした見通しを立てて、問題点を洗い出して、きっちり仕事のできる人材を確保して、計画的に進めなければぐだぐだになりますよとあれだけ申し上げましたのに。戦力の逐次投入など愚作もいいところです! ……って、問題はそこじゃありません!」

 どれほど人手が足りなかったとしても、皇帝主催の舞踏会に不備があるなど許されない事態だ。皇帝の威信にかかわる。だから年単位で計画を立て、第三者のチェックを繰り返すことで、ミスや不備を潰すのだ。だというのに、招待状の発送が三日前になるなど、ありえない。あってはいけない。

 だいたい、主催者が列席しない舞踏会などありえない。スケジュールがぎゅうぎゅうに詰まっている皇帝の時間をごっそり押さえられることになるわけだから、そんな予定があれば皇帝直属の顧問官であるアーネストが知らないはずがない。知らないとしたら、急遽変更されたとしか考えられない。余裕を持って変更されていたら、アーネストが気づかないはずがないからだ。舞踏会の準備をどれほど秘密裏に進めようと、皇帝のスケジュールが何時間も確保されるのだから、いやでも気づく。

「何だってそんな無茶したんですか。」

 腰に手を当て、アーネストは呆れ返ってつぶやいた。

 数ヶ月、下手すると一年も前から分刻みで管理されている皇帝のスケジュールだ。それを直前で無理やり大幅変更するとか……どこにしわ寄せが行くか、考えるだけで恐ろしい。

 ため息をついた皇帝は、手にしていた本をぱたりと閉じるとサイドテーブルに置いた。

「そんな無茶というが、こんな無茶をやる羽目になったのは君のせいだぞ、アーネスト。」

「八つ当たりはやめてくれませんか。」

「八つ当たりというがな、君、ご息女宛の招待状をすべて断っているそうじゃないか。まだ学生だからと言って。」

「……当然じゃないですか。娘はまだ子供ですし。」

「十八なら、とっくに社交界デビューしてどこぞに嫁いでいてもおかしくない年齢だろう。君が一向にご息女のお披露目をしようとしないから、痺れを切らした諸侯にわたしがせっつかれる羽目になったんだ。少しは反省したまえ。」

「……。」

 社交界にデビューすることはすなわち、結婚可能年齢に達したことを周囲に披露することだ。貴族間では、デビュー前の娘には言い寄らないという不文律がある。裏を返せば、デビュー後の娘であれば口説いてもなんら問題はない。

 娘を持つ父親はできるだけ早く娘をデビューさせ、条件のよい嫁ぎ先を探すものだし、娘のほうも垢抜けないデビュタントは早々に卒業し、有力貴族に嫁いで社交界の花となることを目指すものだ。普通ならば。

 普通じゃないのか、カタスカーナ家では父も娘もそれを望んでいないけれど。

「ラグロウズは良質の同期石が採れる。近い将来の需要を見込んでカタスカーナ家とよしみを結びたい連中など、掃いて捨てるほどいるぞ。わかっているのか。」

「……作業部会でも申し上げましたが、ウチの採掘量などたかが知れています。」

 インフラ整備の一環で、離れた二点間の連絡を可能とする同期石の需要が高まっているのは、そのとおりだ。ラグロウズに同期石の鉱山があることも。だが、同期石の鉱山は別に珍しくない。ラグロウズでも採れるが、帝国内のあちこちでも採れる。おまけにラグロウズの採掘量はそれほど多くない。同期石のことだけ考えるのであれば、ウチよりも条件のよい家はいくらでもあるはずだ。

「大陸を横断してもまだ同期する石など、ラグロウズ産以外には知らないがね。」

「そんなの、ウチだって極一部ですよ。」

 同期石は遠隔地でも同期する特性を持つ石だが、当然ながら距離が離れれば離れるほど難しくなる。ラグロウズの本宅と帝都――大陸を横断、は大げさにしても、大陸の半分以上は離れた二点間を繋ぐことができる石など、本当に質のよい石に限られる。

「その極一部もよそでは採れないのだとわかっていての発言かね? 量は少なくとも、重要拠点を繋ぐ石はラグロウズ産を充てることが決まっている。それにラグロウズはあえて生産量を絞っているとの噂が絶えたことがない。」

「……。」

 アーネストには反論することができなかった。生産量を調整し、最低限しか採らないのは本当だからだ。

 同期石は使い捨てだ。掘りつくしてしまったら終わりなのだ。再利用方法か代替策が見つかるまでは、細々と掘り続けるしかない。

(まあ、レンが長持ちさせる方法や再同期させる方法を研究してくれているから、いずれは使い捨てにしなくてもすむようになるかもしれないけど……。)

 だが、今のところは使い切ったらおしまいだ。一時の儲けのために生産量を上げるなど、アーネストの選択肢には存在しない。

「おまけにレディ・ユーフィーミアは今、帝都にいる。ラグロウズに引きこもって噂だけが一人歩きしていたころならともかく、美少女と名高いカタスカーナ卿の掌中の珠を目の当たりにして、業突く張りな連中が目の色を変えるのも無理はない。」

「……はなはだ遺憾なんですが。どうして断ってくださらなかったんですか。」

「“慎み深い姫君を正式にお披露目し、きちんとご挨拶できるような舞台を整えて差し上げるべきです”という進言を切り捨てろと? それは名案だな、アーネスト。それで余とカタスカーナ卿との不仲が面白おかしく取り沙汰されるわけだ。ただでさえ君が再婚しないことであれこれ噂されていることは知っているだろう。わたしとしても、これ以上カタスカーナ家との不仲の噂が広まるような事態は望んでおらぬ。」

「再婚の件は陛下だって却下されたでしょうに、人のせいのように……。」

「当然だ。いかにラグロウズがエレンダールの古い盟友だろうとも、皇女を地方領主の後妻にやれるか。」

 鼻を鳴らしてふんぞり返る狸爺が恨めしい……。


 結局、朝まで話し合っても皇帝からの譲歩は引き出せなかった。

 ……ユイになんて説明しよう? ああ、また嫌われる……。


 カタスカーナ家の苦悩をよそに、三日後、皇帝主催にランクアップされた舞踏会はつつがなく開催された。

 開く側がつつがないのは当然だ。それが彼らの仕事で、急にランクアップさせたことで四苦八苦したとしても、そんなのは自業自得だ。

 それより、ユイをちゃんと貴婦人に仕立ててこの場に送り出した、ユートとマリエの努力を称えたい。主にマリエを。三日後という信じられない日程に逃げ出すことなく、ありとあらゆる準備の陣頭指揮をとったマリエは間違いなく、侍女の鑑だ。セイル宮に出発するアーネストたちを見送ったときには、興奮してハイテンションになっているのか、目つきがぎらぎらしていて尋常じゃなかった。主人を見送って、少しは休めているといいのだが。

 ふと隣を見ると、緊張のためか表情の強張ったユイがため息をついていた。

「大丈夫。」

 安心させるように微笑んで娘の手をとると、彼女は硬い顔のままでうなずいた。

 デビュタントらしい白いドレスに清楚な髪型。控えめな化粧と、伏し目がちな硬い表情。マリエから『浮世離れした清楚な聖女』にするとは聞いていたが、これは想像以上――想像以上に、田舎から出てきた場慣れしない小娘だ。垢抜けないが、磨けば光ると思わせる。自分好みに磨きたい、自分の手で花開かせたいと思わせるいまだ固い蕾。

(……これは注意しないと。)

 油断すると問答無用で横から掻っ攫われそうだ。少なくとも今日明日にも結婚を迫りそうな若手や、息子や孫を世話しようとする年寄り連中には近づけられない。

 アーネストは内心で、ユイに近づけてはいけない接触不可リストを数え上げる。リストが膨らみ続ける間に、順番は着実に回って来た。

 自分たちしかいないがらんとした控え室を抜け、娘をエスコートして光溢れるダンスホールへと進む。足元に気をつけながら、緋毛氈が敷かれた階段をゆっくりと下りる。周囲からの興味の視線が突き刺さる中、皇帝まで真っ直ぐに突き進む。

 皇帝の眼前で、アーネストは膝を折った。一歩後ろではユイも深々と腰を落としている。

「そなたの娘か、カタスカーナ卿。」

 白々しいことこの上ないが、決まりきった台詞のとおりに舞台は進む。

「はい。ユーフィーミアと申します。恐れながら十八になりましたので、社交界への参加のご裁可を賜りたく。」

「許す。宮廷を彩る花となるように。」

「深謝いたします。」

 これでユイをデビューさせる許可――誰がユイに結婚を申し込んでも問題ないという皇帝の許可は下りた。本当に、余計なことをしてくれる。

 後はホールで一曲踊ればおしまい。そう思っていたら――

「レディ・ユーフィーミア。面を上げなさい。」

 何を考えたか、皇帝が直接ユイに話しかけた。

(ありえないっ!)

 普通なら絶対にありえない光景だ。人数が多すぎて一人一人相手していられないというのもあるが、娘のほうに直接声をかけることが、まずありえない。貴族の娘とはいえ、結婚もしていない小娘と皇帝では身分が違いすぎるのだ。ユイは聖女だから身分的には問題ないが、それでも慣習というものはある。

 おそらく、皇帝としてはカタスカーナ家との仲が良好であることをアピールしたいのだろうけれども。

(狸爺、ユイに恥をかかせるつもりか!?)

 皇帝の思惑がどうであれ、二十歳にもならぬ娘がいきなり雲の上の相手に話しかけられてまともな対応ができるはずもない。

 実際、突然の事態にユイも戸惑っていた。ちらりとこちらに視線をよこす。

 不安がる娘にうなずいて応えながら、アーネストは腹を括った。

 ――いざとなったら、無礼だろうと何だろうとユイを連れて退出する。

 それでエレンダールとラグロウズの関係が悪化するなら、自分がすべての責めを負おう。腹を切れといわれれば切るし、誰かと再婚しろと言われるなら再婚しよう。なんとしても、ユイとラグロウズは守り抜く。

 一瞬にして悲壮な覚悟を決めたアーネストだったが、皇帝はあくまでも穏やかな口調でユイに話しかけた。

「アカデミーはどうだ? 不都合はないか?」

 それに応えるユイはすっと背筋を伸ばして――

「もったいないお言葉に存じます。皆様には、良くしていただいております。」

 表情は硬いものの、穏やかな物腰も、ゆったりとした口調も、実に堂々としたものだった。

「そうか。……アレは勉学はできるが気が利かない。問題があれば、何でも言うように。」

「恐れ多いことでございます。お心遣いに感謝いたします。」

「うむ。」

 ほんの一瞬の会見は、実に和やかに幕を閉じる。

(サラサ――)

 娘が見せた土壇場の胆力は。凛とした横顔は。幼いころに失った、彼女の母親を思わせた。たおやかでありながら、実に気丈であった彼の妻の姿を。ユイは母親の姿など、ほとんど覚えていないだろうに。

(本当に、ユイは君にそっくりだよ……。)

 思わぬ感傷に胸が詰まり、アーネストは黙って目を閉じた。


 ホールの中央でワルツを踊りきってしまえば、ユイのデビューは完了だ。皇帝が話しかけることを教えてくれなかったと、へそを曲げる娘をなだめながら一緒に踊る。途中何度か足を踏まれそうになりながら何とか無事に踊り終え、ホールの隅に移動したアーネストはほっと肩の力を抜いた。

「お父様。」

 アーネストも疲れたが、ユイの負担はそれ以上だったろう。全身から帰りたいんですけど! とアピールされ、アーネストは苦笑する。

 アーネストだってできればこんな精神が削られるところからは即刻離れたい。だが、それで帰れないのが宮仕えの辛いところだ。

「仕方がないな……挨拶だけしてくる。」

 一緒に来るかと聞くと、娘は案の定首を横に振る。気持ちはわかる。痛いほどわかるのだが――

(困ったな……。)

 娘を一人で置いていくなどありえない。接触不可リストに載せたやつらが口八丁手八丁で娘を丸め込まないとも限らない。ユート大好きのユイがなびくとも、相手が公衆の面前で不躾な振る舞いに出るとも思えないが、ちょっとした会話から揚げ足を取られかねないとは思う。

 心配するアーネストの前に、流行のテールコートを着こなした少年が優雅に歩み出た。

「よろしければ、わたしがユーフィーミアのお供をいたしますが?」

 繊細に整えられた栗色の巻き毛。柔らかなはしばみ色の目。そのまなざしは、どこか見覚えがある穏やかさだ。

「きみは……。」

「ご挨拶が遅れまして申し訳ございません、カタスカーナ卿。クィンシー・ラチェスターと申します。」

(ああ。ユイの友人でラチェスター卿の息子の……。)

 ユートの報告書と、カルファシェットを預かる彼の父親を思い浮かべる。なるほど、言われてみれば面差しがあった。

 帝都に程近いカルファシェットは、何本もの主要街道が交差する交通の要衝だ。商業の発展した賑やかな街でもある。そこを治めるラチェスター卿は、旧弊にとらわれず先進的な考え方を柔軟に受け入れるが、決して攻撃的ではない穏やかな人物だ。その証拠に、議会でも彼の野次は聴いたことがない。常に穏やかに、相手を諭すように切々と語り掛ける口調は、反対しているほうが悪いと思わせるほどだ。

(それはそれで厄介なんだがな。)

 優しげな態度に、いつの間にかこちらが丸め込まれてしまいそうになるから。

 さて、息子のほうはどうだろうか?

「ラチェスター卿のご子息か。アカデミーの生徒総代だったね。」

「恐れ入ります。不肖の三男と、父には呆れられておりますが。」

「そんなことはあるまい。優秀なご子息でラチェスター卿がうらやましいよ。」

 穏やかで礼儀正しい態度。父親譲りの優しげな微笑。

 クィンシー・ラチェスターが笑顔を取り繕えないくらい初心だとは思わない。彼も父親の血を確実に引いているのだろう。本人も充分強かそうだし、ラチェスターの看板は目障りな害虫を寄せ付けない。何より、アカデミー生に実権などない。親の許可なく結婚まで持ち込む実力が、彼にはまだない。

「……そうだな。では、しばらく頼むよ。」

「承知いたしました。」

 初々しい二人に見送られ、アーネストはあちこちに頭を下げて回る。

 普段は夜会などに縁はないが、こうして参加したときには挨拶回りを欠かさない。アーネストの仕事は皇帝の顧問官だが、人間関係が円滑であることに越したことはない。……皇帝の無茶振りに付き合わされて、各所を回ることもざらなので。

(あとは……イースデイル卿か。)

 保守派の筆頭である侯爵とは、なにかと対立することが多い。予算にしろ、教育制度改革にしろ、普通選挙の導入にしろ。

 だが、彼は一旦決まったことは全力でバックアップしてくれる。皇帝と国に誰よりも忠誠を捧げた誇り高い男なのだ。……矜持が高すぎて面倒くさいことのほうが多いけれど。

 無作法にならない程度に視線をホール内に走らせていると、向こうが気づいて近づいてきた。

 近づくというか、突進してくるというか。

「イースデイル卿。どうされましたか?」

 垂れ気味の茶色い目を吊り上げる迫力に、アーネストはひるんだ。

「どうもこうもない。ご息女のデビューは無事に済んだな、カタスカーナ卿。仕事に戻って貰うぞ。」

「ちょっと待ってくださいっ、舞踏会が終わるまでは免除って、」

「だから、終わっただろう。仕事だ仕事。同期石の納付期限と単価について折り合いがついていないんだ。連中、こちらの足元を見て卸値を吊り上げてきやがった。これだからカネのことしか考えていない平民は嫌いなんだ、誰のための制度だと思っているんだか……。とにかく、戻って貰うぞ。いざとなったらラグロウズから供給できるとならば、向こうも考えを改めるだろう。」

 ふふふと笑うイースデイル卿は美貌の持ち主なだけに余計に不気味だったが、ひるんでいる場合ではない。アーネストには、彼の帰りを待つ娘がいるのだ。

「ですからっ! 娘がいるんです、せめて娘を送り届けてからにさせてください!」

「心配はわかるが、誰かに送らせろ。それも無理なら客室を確保すればいい。なんならわたしが手配するぞ。」

「わかりました! わかりましたから、とにかく娘に伝えてきます。すぐに戻りますから、余計なことはなさいませんように。」

 これ以上イースデイル卿に首を突っ込まれないよう、ほうほうのていでユイの元に戻れば、娘はあからさまにほっとしたようだった。

(うう、すまないね、ユイ……。)

 けなげな娘に胸が熱くなる。こんなときくらい一緒にすごしたかったが、これ以上逃げ回ることは無理だった。

「すまない、仕事で帰れなくなった。」

「まあ。」

 ユイはぱちくりと目を瞬かせると、にっこり笑って信じられないことを言い出した。

「ではわたし一人で帰りますね。」

「いやいやいやいや!」

「それはいけません、ユーフィーミア!」

 クィンシーとともに猛反対する。娘はまったくわかっていないようだが、一人で帰すなどありえない。

「何かあったらどうするのかね?」

「そうです、危ないでしょう。」

「ですが、ラグロウズでは一人でお散歩することもありますし……馬車もあります。一人でも迷わず帰れますよ?」

 平和な田舎と帝都を一緒にするな!!

 叫びたい欲求を堪え、娘の無邪気さに頭を抱えていると、同じく頭を抱えたクィンシーが困ったように微笑んだ。

「わたくしがお送りしましょうか、カタスカーナ卿。」

「……頼めるかい?」

「もちろん。ラチェスターの名にかけて、無事に送り届けるとお約束します。」

 背に腹は変えられない。

 目を丸くして「どうして」とぼやく娘を少年に預けて、アーネストは泣く泣く仕事に戻った。


 ***


 いろいろと肝を冷やした舞踏会が終わってから、ユイの周辺があわただしくなった。社交界デビューしたからと、倍増した招待状はすべて丁重にお断りし、勝手に送りつけられる吊り書きは持ち主に送り返す。それでも懲りずに舞い込む縁談には、まだ学生ですからと曖昧にお茶を濁した。

 だがその言い訳も、冬には使えなくなるだろう。秋が来る前に神殿の問題を解決できればよいのだが、できなければ冬が――本格的な社交シーズンが始まる。のらりくらりと逃げ続けることは難しくなるだろう。

 この状態に、煮え切らなかったユートが発奮した。セイル宮を訪ねたことで、ユイに何か思うところがあったらしい。原因を探ろうと、レンと二人で山のような書類と連日格闘している。

 そんなときでも律儀に報告書を提出しにくるユートに、アーネストは眉根を寄せた。

「ユート……気持ちはわかるが、無理はいけないよ?」

「いいえ。大丈夫です。」

 目の下に濃い隈を作りながら、ユートは首を横に振る。

「この問題を持ち越すわけには参りません。夏が終わる前に何とか片付けないと、冬が来てしまいます。」

「それはそうだが……倒れてはユイが心配する。」

「……大丈夫です。みんなにも協力して貰っていますから。一人じゃありません。」

 詳しく聞いてみると、アカデミー時代の同級生たちに協力を取り付けたとのことだった。一人では無謀でも、協力すれば何とかなる。

「ちゃんと睡眠も食事もとっています。大丈夫です。」

「そうか。」

 おそらく、ユートも自分一人の限界を悟ったのだろう。

 もともと一人でたいていのことはできてしまうユートだ。腰は低いが、無自覚のプライドは高い。自分の力で掴めないものがあるなんて、考えたこともないような子供だった。無茶でも何でも、頑張ればできると思っていた節があった。高い鼻を折られる前は。あるいは、折られた後も。

 それがどうだろう。傲慢な子供は自分の腕の先にあるもの、望んでも一人では手が届かないものがあることを知ったが、それを掴み取るための方法があることも知った。今ではそれを理解し、実践している。

「……ちょっとの間に頼もしくなったな。」

「お屋形様?」

 怪訝そうに首をかしげるのは、幼いころと変わりないか――

 アーネストはいずれ息子になるだろう青年に微笑んだ。

「頼りにしている。でも無茶はいけないよ? ユイが泣くからね。」

「……はい。」

 照れたようにユートが笑う。大丈夫、彼がいればユイはきっと、大丈夫だ。


 帝都の外周に沿ってクローバーが植えられたのは、それからまもなくのことだった。

 成長の早いクローバーはじきに緑の絨毯となり、かすかに桃色を帯びた白い花を咲かせるようになった。


 セイル宮に四大精霊神殿の新しい神官が誕生したと一報が入ったのは、帝都の夏が過ぎようとしているころだった。


 そして季節は巡る――


 ***


 ある春の日、いつものように仕事を終えてラグロウズに帰ると、娘からの伝言が残っていた。落ち着いたら訪ねてきてほしい――

 ぴんと来たアーネストは、取るものも取りあえず娘夫婦の元に駆けつける。

「生まれたのか!?」

「お父様。」

 幸せそうに微笑んだ娘が、生まれたばかりの我が子を大切に抱いていた。白い産着に包まれた赤子は母の腕の中ですやすやと眠っている。

「男の子かい? 女の子かい?」

 声が勝手に弾む。男の子でも女の子でもどちらでも構わない。無事に、元気に生まれてきてくれたのだから!

「女の子です。サラサと名づけました。」


 ――命は繋がり、巡るのよ。


 あの時、彼女はそう言って穏やかに微笑んだ。


 ――だから愛おしいという気持ちは失われることなどないの。


 ユイはにこにこ笑っている。その傍らでは夫のユートも笑っている。大きいお腹を抱えたマリエも。彼女の番ももうすぐで――

 ああ、なんて愛しい子供たち!

 泣きそうになりながら、アーネストはユイから赤子を受け取った。腕の中の、まだ小さい赤ん坊。サラサ。

(君はあのサラサ? それとも別のサラサちゃん?)

 ――どちらでも構わない。愛おしいことに変わりはない。

「……お帰り。そしてはじめまして。ラグロウズは君を歓迎するよ。」

 だからどうか、幸せにおなり。


 外は春。薄紅色の桜が満開に咲き誇り、光麗らかな、お山の春だ――

 お山のヌシ様のご加護を全身で感じながら、アーネストはそっと目を閉じた。

番外編までお付き合いくださった方々に感謝いたします。

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