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精霊の祝福  作者: 裏庭集会
番外編 一方そのころ幕の外では……
27/34

お屋形様と精霊のお山の子供たち(中)

 ユートとともに家に帰ったら、出迎えてくれたユイの反応が凄かった。

「ただいま戻りました、ユイ様。」

「ユートさんっ……!」

 一瞬にして上気した頬と、潤んだ瞳、かすかにかすれた上擦った声音。

 ……完璧に父親そっちのけだ。

 娘なのだから、いずれ父親よりも大切な男ができる。それは極当たり前のことで、むしろ喜ばしいことなのだけれども。できなかったら逆に心配しなければならないのだけれども。それはわかっているのだけれども!

(これが大人になるってことなのかね? 娘の成長は嬉しいけれど、ちょっぴり寂しいよ、サラサ……。)

 サプライズプレゼントは大成功したものの、素直に喜べないアーネストである。思わずお山の妻に内心で愚痴ってしまっていたが、

「お父様も、お帰りなさいませ。」

 ついでのように付け足してくれた娘に苦笑する。忘れられていなかっただけ、感謝すべきだろうか。

「ただいま、ユイ。」

 その晩は家族総出でユイの十二歳の誕生日をお祝いし――衝撃は翌朝やってきた。


「お父様、『君の瞳に祝福をパーフェクトガイドブック~甘い魅惑のひと時をあなたに!~』というご本について何かご存知じゃありませんか?」


 ユイの発言によって、朝餉の席はちょっとした混乱に見舞われた。いつもはしっかり者のマリエが珍しく粗相をしたのだ。世話をする者とされる者の立場が逆転した娘が嬉々として従姉の面倒を見る様子は、大変愛らしかったけれど。

 そんな小さなごたごたを超え、執務室で詳しい話を聞くと、ユイの『精霊様の気まぐれ』が帝都の四大精霊神殿での異変と解決策を告げているとのことだった。

 ユイは『聖の祝福』のみならず『気まぐれ』も授かっている。そのこと自体は以前からわかっていたが、その内容までは本人にもわかっていなかった。それが昨日の夜に姿を現した。ユイにしか読めない本という形をとって。

「どう思う、ジョージ?」

「どう、とは?」

 子供たちを部屋に戻した後、執務室に残ったジョージと話し合う。

「もちろん、ユイの話だ。どうするべきだと思う?」

 ユイの『気まぐれ』が真実を告げているのなら、もちろん、報告すべきだろう。娘のおっとりとした口調のせいか、物語調の話口のせいか、あまり深刻な事態には聞こえなかったが……事故の予言には変わりないのだ。神官が生まれないというだけならいざ知らず、本当に祝福の力が暴走するような事故が起きているなら、対策を取らなくてはいけない。報告先は皇帝か神殿か――それで向こうがどうするかは、また別の話だ。

 この問題について、神殿側が助言を求めてきたり対策を求めてきたりしたことは一度もない。彼らが何を考えているか、さっぱりわからない。無視される程度ならまだしも、余計な口出しをして逆恨みされる可能性もある。

 正直言って、気は進まない。恨まれなくとも、じゃあその解決策を試してみよう、などということになったら、ユイが巻き込まれてしまう。実際に御魂鎮めを行う神官は別の少女だというから、巻き込まれてもさしたる問題ではないかもしれないけれど。それでも、せっかくここで、ラグロウズでユイが穏やかに幸せに暮らせそうだというのに。

「まずは裏づけが先でしょう。お屋形様もそう仰られたではありませんか。」

 眉間にしわを刻むアーネストと違い、ジョージはいつもと同じ顔で言い切った。

「少なくとも、お嬢様は帝都の神殿の問題など、ご存知のはずがございませんでした。その点では信憑性がございますが、祝福が暴走するとは……今まで、そんな報告はあがっていないのでしょう?」

「ああ。だがわからないよ。我々はもともと帝都では祝福が使えない。ほかの人が祝福が使えるかどうかを、意識したこともない。違うかね?」

「それもそうですね。承知いたしました。その点でも、調査いたしましょう。」

「頼む。」


 調べてもらったところ、やはり事故の報告はあがっていなかった。この短期間では調べきれなかったのかもしれない。それ以外のことは、今のところユイの説明通りに進んでいた。『鏡の聖女』と呼ばれるメアリ・フェイバーはほかの四名と同様に実在し、今はアウラ湖の畔で両親とともに暮らしている。


 帝都に出発する前日、アーネストはいつかのように執務室に子供たちを集めた。娘の意思を確認すると、彼女は聖女のお努めを投げ出すことはできないと、きっぱりと言った。それはつまり、帝都には――アカデミーには行かないということだ。

「では、本当に帝国アカデミーには行かないんだね?」

 緊張した様子のユイは膝の上で拳を握り、真剣な顔でアーネストに向かってうなずいた。決意は固いようだが、少し不安なのかちらと後ろを見やる。控えたユートと微笑みあう。可愛らしい二人。

「ユイが望むなら、ナギ殿と調整するし、編入手続きも進めるけれど?」

 少しだけ――ほんの少しだけ面白くなくて、混ぜっ返してみたが、娘の決意は変わらなかった。

「いいえ、お父様。お勉強もお仕事も、今までどおり家でできるんでしょう? なら、そっちの方がいいです。」

「そう? ジョージは厳しいよ?」

 がみがみ煩いお目付け役なのだからある意味当然なのだけれど、ユイはジョージを少し苦手としている。その点を指摘してみれば、面白いくらいに顔色を変えた。

「うっ……。だ、大丈夫。がんばります。」

 ほうら、やっぱり。

 ……調子に乗っていたら、ジョージに白い目で見られた。あからさまなため息をつかれる。

「お屋形様。お戯れはそのあたりで。」

 確かに、少しやりすぎた。後で反省するとして、今は前回の続きだ。

「そうだったね。――さて、みんなに集まってもらったのはほかでもない。例の『鏡の聖女』についてだ。結論から言えば、メアリ・フェイバーは実在する。ほかの四名と同様にね。現在は十歳で、アウラ湖の精霊の神官見習いとして修行中だ。」

「……この本の通りに進んでいるんですね。」

 背筋を伸ばした娘が、表情を曇らせる。

「帝都の状況も変わりないんですよね?」

 娘の価値観の天秤は遠く華やかな帝都より、ここラグロウズに傾いた。それでも、問題が起きるかもしれないと思うと心配になるのだろう。優しい娘だから。

 娘を安心させるためにも、アーネストはしっかりとうなずいた。

「こうなったら、ユイの言うとおり、メアリ・フェイバーに『鏡の聖女』となってもらうほうが早いだろうね。『鏡の聖女』が実際にほかの精霊の御魂鎮めができるかどうかは未確認だが、試してみる価値はあるだろう。」

 だから大丈夫。ユイが心を痛める必要はない――

 うつむいて唇を噛み締める娘の頭を、軽く叩いて慰める。

「いざとなればここからでも帝都に助言はできる。ユイが責任を感じる必要はどこにもないよ。」

「……はい。」

 責任感と罪悪感で押しつぶされそうになっている娘に、そんなことはないのだよと教えてあげたかった。そもそも事故の報告もない。そこまで重要な問題ではないかもしれない。だからユイが自責の念に駆られる必要など、どこにもないのだよと。


 上京してすぐに、娘の『気まぐれ』について皇帝に報告した。事故が発生する可能性も、『鏡の聖女』のことも。

 だが現実には目立った問題は発生しておらず、神殿側も何も言ってこない。帝都は変わらず平和だった。神官が生まれない件は異常だと認識していても、今すぐどうこうなるような問題ではない。メアリ・フェイバーが高等科に入学できる年齢に達したときにもまだ神官が生まれていなかったら、彼女をアカデミーに招いて御魂鎮めの儀式をしてもらおう。本当に管轄外の精霊神殿で御魂鎮めができるかどうかは未知数だが、試してみて悪いことはない。上手くいけば、新しい神官が生まれるかもしれない。そのときは、そう収まった。

 いろいろと甘く見ていたのは認める。日々の業務に忙殺されて、つい対策も検討も後回しになっていた。実際問題大きな事故の報告がないから、神殿側も何も言ってこないのにでしゃばるわけにはいかないからと、優先順位は下げられた。

 四大精霊神殿に神官が生まれない。それは確かに異常事態だが、現実問題としてなにか不都合があるわけではない。政府側も神殿側も、そう認識していた。


 その思い込みがひっくり返ったのは、二年後のことだった。


 ***


「ご確認いただきたいものがあります。」

 相変わらずの仕事で深夜に帰宅すると、玄関ホールで思いつめた顔のユートに出迎えられた。胸には分厚い紙の束――レポート?

「帝都で発生した祝福の事故件数についての報告書となります。」

 それはここ二年間に発生した事故についての報告書だった。ぱらぱらとめくってみると、中には事故についての報告が一件一件丁寧な筆跡で書き綴られていた。

「凄いな……。これはユートが?」

 春になれば十六になる少年は、アーネストとほとんど変わらない目線の高さでうなずいた。すでに身長だけなら大人と同じ。だけど、それでもまだまだ子供だ。子供のはずだった。

(凄いな、本当に。)

 この件について、ユートが独自に動いていることは知っていた。ユイの罪悪感を払拭したかったのもあるだろうし、自分の力量を示したかったのもあるだろう。アーネストも、あえて口を挟まなかった。

 結果は予想以上だ。

 ユートが優秀――規格外に優秀なのはわかっていた。それでも驚きを隠せない。このレポートが二年間の集大成なら、彼はレポート作成とアカデミーでの勉学を完全に両立させていたことになる。ユートは成績を一度も落としていない。

「ご確認いただきたいのは、一ページ目です。」

 言われたとおりに報告書の表紙をめくると、調査結果が簡潔にまとめられていた。ここ二年間の祝福に関する事故件数の総計。重度、中度、軽度に分けられたそれぞれの事故件数と、事故と思われる事象の件数。そのほとんどが軽度に振り分けられていた。重度の事故は、ほんの数件。

「軽度の事故は、祝福が発動しなかったものをまとめたものです。」

「……事故が起こっていないわけではなく、事故だと気づかれない事象があまりにも多いということだね。」

 はい、とうなずくユート。

「事故件数は増加傾向にあります。今は問題にならないレベルでも、いつまでもそれが続くとは限りません。甚大な被害が出てからでは遅いのです。お屋形様、どうか人々がむやみに祝福を使わないよう、告知や注意喚起などの対策をお願いいたします。」

「わかっているよ。」

 懸命に主張する彼の頭をなでようとして、その手を止める。彼はもう、頭をなでられて喜ぶ子供ではない。まだ大人とは言い切れないだろうが、それでも、一人の人間として相対するべきだろう。

「このレポートはわたし以外にも提出しているかね?」

「同じものをアカデミーに……学長に提出いたしました。」

「そうか。それなら皇帝陛下にも上がっているな。わたしも至急セイル宮に戻る。皇帝陛下にお目通り願わなくては。」

「よろしく、お願いいたします。」

 深々と頭を下げるユートに見送られ、アーネストはセイル宮へと引き返した。


 馬車に揺られながら、預かったレポートの内容を精査する。

(本当に凄いな、これは……。)

 それは子供が作ったとは思えない客観的な報告書だった。事象の一件一件について発生した日付とそのときの状況、発動させた人間や目撃者の証言がまとめられている。事故と分類されているものは、状況報告と併せて必ず二名以上の証言が揃っていた。重度の事故として分類された怪我人まで出たケースでは、治療した医者の証言まである。

 これなら、子供が作ったものだと侮ることなどできない。充分な証拠になる。対策を打つきっかけとなりうる。対策が取られ、事故がなくなればユイも安心できるだろう。

(対策が取られれば、か……。)

 頭をよぎる一抹の不安には目を瞑り、アーネストはセイル宮に急ぐ。

 意気込んでセイル宮に戻ってみれば、待っていたのはユートの願いとは正反対の判断だった。

「この報告書は機密事項といたします。あなたもみだりに口にしないように、カタスカーナ卿。」

 先にアカデミー学長から報告が上がっていたのだろう。アーネストが馳せ参じたときには、皇帝と宰相が額を突き合わせており、珈琲片手に報告書をめくっていた。

 やはりそうなるか。頭のどこかでは冷静に受け止めている自分がいたが、諦め切れずに食い下がる。

「なぜですか? これだけの証拠です。人々に注意を呼びかけるには充分でしょう。」

「それで不用意に人々の不安を煽るのですか? 帝都で祝福を使うと事故が起きるかも知れない……そんな噂が広まったらどうなるかなんて、貴殿もわかっているでしょうに。」

 ぱらぱらと報告書をめくる宰相は、視線は手元に落としたまま、顔をしかめた。

 テーブルにカップを置いた皇帝は、眉間にしわを寄せてむっつりと黙り込んだまま動かない。

「街を出て行く金がある者たちは帝都を離れるし、真っ当な商人たちは寄り付かなくなります。経済が滞りますし、治安の悪化を招きかねません。今はまだ、たいした被害もないというのに。……いけません、とても表沙汰にはできません。」

「……今は軽い被害で済んでいるかも知れませんが、人的被害が出てからでは遅いのですよ?」

「無論、対策は打ちますよ。これだけの証言があれば、神殿側も拒否できないでしょうしね。ですが、表向き事故については見なかったこと、あるいは神殿とは無関係ということにしていただきましょう。」

 宰相相手にこれ以上粘っても無駄だ。ぎりりと奥歯を噛み締めたアーネストが目を向けると、肘掛に頬杖をついた皇帝は暗い笑みを浮かべた。

「神殿に貸しを作るのも悪くなかろう。……報告が遅れた件はすでに貸しのようなものだがな。」

「陛下……。」

 目を閉じた皇帝は、ひらひらと手を振ってアーネストを黙らせる。

「ここまでだ、カタスカーナ卿。この件は裏では対策を取っても、表向きはなかったことにしてもらう。以上だ。」

 きっぱり断言されると、アーネストには反論できない。

「……は、い。」

 わかっていたのだ。むやみやたらに話を広めては、余計な混乱を招くだけだと言うことは。おそらく自分が報告を受ける立場でも、同じ判断を下しただろうことは。

 だけどこれでは。アーネストを頼りに報告書を預けてくれたユートになんて言えばいい?

 今後の対応について話し合い、疲れ切ったアーネストが邸宅に戻ると、ユートはまだ起きて主人を待っていた。

「お屋形様!」

 駆け寄って自分を見つめる真っ直ぐな視線が痛い。

「どうでしたか? ちゃんと周知していただけるのでしょうか?」

 結局何も答えられず、アーネストは無言で首を横に振るしかなかった。

 聡明なユートは、それだけで理解したらしい。青ざめた顔で肩を落とす。

「……そんな。」

「……心配しないでいい。何も対策を取らないわけじゃない。『鏡の聖女』をアカデミーに招くことになった。神殿側にも各種資料を提出させる。」

「メアリ・フェイバーを……。」

「ああ。予定より前倒しになるがね。学長の無駄な理想主義が役に立ったな。」

 すべての子供に等しく教育の機会を。彼の理念は神官とて例外ではない、というわけだ。

「事故の調査については、政府の調査部が秘密裏に行うことになった。」

 ――だからお前は、この件から手を引きなさい。

 うつむいて唇を噛み締めるユートを見ていられなくて――アーネストは彼の肩をぽんと叩き、自室に引き上げた。

 今日ばかりは飲まないとやっていられない。ため息をついたアーネストは、普段は飲まない寝酒代わりの火酒を戸棚から取り出し、一息に呷った。


 ユートが報告書を提出してから一年以上が経過したころ、帝都に暮らす人々の間に祝福を不用意に使うと事故に繋がるかも知れないとの噂が広まった。

 だが心配はいらないさ、と人々は笑う。こんなの長続きしないよ。だって、事態を重く見た政府が、問題解決のために遠方から特別な能力を持つ聖女を招いたのだから――


 ***


 それは青天の霹靂だった。

 アーネストはラグロウズからの報告書に目を通していた。相も変わらずの議会では相変わらずの波乱はあったものの無事に閉幕し、ラグロウズに帰る準備を進めていた。

 彼の筆頭家老は優秀だが、領主の承認が必要な案件もある。年度の変わり目には戻る必要があったが、余裕は充分ある。あるはずだった、皇帝の勅使を名乗る男がアーネストを訪ねて来なければ。

 勅使が携えた『王冠を頂く右向きの狼』付きの書状は、アーネストを激昂させるに充分だった。

「至急馬車の用意を! セイル宮に参内する!」

 最短距離かつ最短時間で目的地までひた走った馬車を降り、挨拶もそこそこにセイル宮の奥へと突き進む。目を丸くする宮仕えの者たちには目もくれず、宮廷内の移動速度として許される最大限の速さで、ひたすら奥へ。

「なんですか、これは!」

 怒鳴り込んだ先は内宮――公私を国に捧げる皇族が唯一くつろげる私的な空間だ。

 本来なら皇族以外が許可なく立ち入ることなど許されない宮だが、ラグロウズの主には、代々立ち入り許可が与えられている。乱用すると諸侯の突き上げが煩い特権だが、今日ばかりは使わせてもらう。

「『完全無欠の聖女』をアカデミーに入学させろなど……! 一体全体、どういうおつもりですか!?」

 完全無欠の聖女――ユイのことだ。『聖者』と呼ばれるための三要素を完璧に満たした娘は、時にそう呼ばれる。

「落ち着きなさい、アーネスト。」

 手狭だが居心地よく整えられた皇帝の居室で、安楽椅子にゆったりと腰掛けた皇帝が優雅に珈琲をたしなんでいた。私室に怒鳴り込んだかたちのアーネストにも、眉一つ動かさない。

 不敬と知りつつ、そののんきな姿に激しく苛ついた。

「不自然なことではないだろう? アカデミーはすべての子供に開かれている。神官とて例外ではない。現にアウラ湖の神官はアカデミーの学生だ。神殿にたった一人しかいない神官というならまだしも、君のところはもう一人いるだろう。彼女をアカデミーに招いて何の不思議があるかね?」

「おためごかしは結構です!」

 皇帝の説明など、ただの言い訳だ。ユイを帝都に引っ張り出すための。

 荒々しく鼻を鳴らしたアーネストは、皇帝の釈明を容赦なく切り捨てた。公の場なら不敬罪で処分されかねない振る舞いだが、ここは内宮だ。文句をつける頭の固い役人もいないし、何より皇帝自身がアーネストの態度を許容している。

「娘はもう十八です。アカデミーに通えとおっしゃるなら、今からラグロウズに戻って準備をしなくてはなりません。帝都に着くころには、どれほど急いでも新年度が始まっているでしょう。そんな中途半端な状態で、一年にも満たないアカデミーに通えと? そのために上京させろと? ご冗談もほどほどになさってください。」

「まあ、急なのは認めるが。アカデミーへの入学について、郷里へメッセージを送ればいいだろう。そうしたら、少しは時間短縮になるのではないかね?」

「こんな重要な話をメッセージ一本送って済ませろと仰るのですか!?」

(何考えているんだ、この狸爺はっ!)

 ほとんど悲鳴のような声を上げて、アーネストは呻いた。

 まったくもって、ありえない。緊急連絡や定期連絡ならともかく、どう考えても無味乾燥なメッセージを送って済ませられるような話ではない。第一、ユイはアカデミー進学を望まなかった。ラグロウズに残ることを望んだのだから。

「とにかく、娘の入学などありえません。彼女には神官としての務めがあるんです。」

「いや、だから君のところの神殿にはレディ・ユーフィーミア以外の神官がおられるだろう。それくらい調整できないのか?」

「逆です、娘を含めても二人しかいないんです! 神事は毎月ありますし、今でも手一杯です。そこのところをどうか、ご理解いただきたく。大体、なんだっていきなりこんなことを思いつかれたんですか。」

「『鏡の聖女』が来年度から高等科に進級するからな。ご息女をアカデミーに招けば、君が説明してくれたとおりの状況になる。」

「それは……。」

 早いもので、帝都にメアリ・フェイバーをを招いて三年が過ぎようとしてた。右肩上がりだった事故件数は、彼女を招いた翌年あたりから徐々に減り始め、最近では大きな事故の報告もない。彼女の祈りは、確かに効力を発揮していた。

 その一方で各神殿が溜め込んでいた資料の解析のほうは遅々として進まなかったが、こちらは千年分の量を考えれば妥当だろう。

「事故は減ってはいるが、ゼロになったわけではない。このままでもいずれゼロになるかもしれないが、君の説明と同じ状態を再現することで少しでも解決が早まるなら、そのほうがよいと思わないかね?」

「帝都の都合は理解できますが、ラグロウズにはラグロウズの都合がございます。」

「人々も不安に思っている。この異常事態を長引かせるのは心が痛まないかね?」

「もちろん、彼らの不安は想像に余り有るものがございます。しかし聖女不在で神事が行われないとなれば、ラグロウズの民も不安に思うのです。」

「普通選挙の準備も遅れ気味だ。これ以上この件に人手を割けない。」

「優秀な人間はどこでも足りないものです、陛下。今いる人材で対処できないなら、普通選挙実施のスケジュールを見直すべきかと。そもそも神殿側は何をやっているんですか。自分たちのことなのに。」

「一応、帝都以外の神殿の神官を呼んで神事をやってもらったことも、あるといえばあるようなのだが……。」

 どうやら神殿ごとに固有のクセのようなものがあるらしい。外部の神官を招いても、結果は思わしくなかった。『鏡の聖女』の祈りのほうがよほど効果があるくらいで。

「それはそれは。でしたらなおのこと、わたくしたちにお手伝いできるようなことはございませんね。」

 何でもかんでも思いのままに動くと思うなよ!

 アーネストがきっとにらみつけると、皇帝は疲れたようにため息をついた。

「どうしても、無理かね?」

「残念ながら。」

「そうか。なら仕方がない。」

(諦めたのか……? いや、まさか。)

 この狸爺がそう簡単に諦めるとは思えない。いぶかしんだアーネストは油断なく身構える。

 ゆったりと安楽椅子にもたれかかっていた皇帝は、すっと背筋を伸ばすと真剣な顔を作った。青く鋭い眼光がアーネストを真っ直ぐに射る。

「カタスカーナ卿。」

(まずい、これはっ、)

「古き盟友よ。英雄の末裔よ。初代皇帝エレンドの血を受け継ぐ者として、余はラグロウズの主たるそなたに要請する。古の誓約に従い、余の求めに応えよ。」

「陛下っ!!」

 古の誓約――初代皇帝が初代カタスカーナ卿と取り交わしたという大昔の約束事だ。エレンダールとラグロウズは互いを尊重し、干渉しない。ただし、有事の際は何があっても駆けつける。

 エレンダール帝国内におけるラグロウズの特殊な立場を裏付けるもの。カタスカーナ家の当主を、ただの地方領主ではない、特別な存在に押し上げるもの。

 互いの祖先が約束を取り交わしてから千年以上経つが、エレンダール、ラグロウズのどちらも破棄していない。誓約はいまだに生きている。

「……大昔の約束を、今ここで持ち出しますか。」

 ぎりぎりと奥歯を噛み締めるアーネストに、皇帝は実に涼しい顔で告げる。

「当然だろう、使えるものは有効活用する。それで? 返事はまだかね、カタスカーナ卿?」

 もちろん、皇帝はわかっていて言っているのだ。アーネストには断ることなどできないと。

 ここで皇帝の要請を拒否することは、誓約を破棄することと同じだ。そんなことをすれば、ラグロウズの自由は保証されなくなる。この巨大な帝国に飲み込まれてしまう。それでは子供たちを守れない――

 受け入れるしかなかった。

「承知、いたしました……。」

 煮えたぎるような感情をなんとか押さえつけ、アーネストは頭を下げる。

 承知した。頭も下げた。でも、これだけは。

「ですが、入学時期はどうかご配慮願います。春と秋の例祭にはラグロウズに帰る許可をいただけますでしょうか。」

「……アーネスト、確か帝都とラグロウズとの移動には二週間かかると言っていたな? 君の要求を呑むと、夏のほんの二、三ヶ月しか帝都にいられない計算になるんだが。」

 あからさまに渋い顔をする皇帝に、アーネストは頭を下げたまま答える。

「なんと仰られましても、これだけは譲れません。娘はラグロウズの聖女です。彼女が御魂鎮めするか否かが、その年の実りを左右するのです。いわば死活問題です。」

「そこまで影響があるのか? 四大精霊神殿ではここ十数年ろくな神事が行われていないが、それでも問題は起きていないぞ。」

「繰り返しますが、ラグロウズにとっては神事が行われるか否かは死活問題――収穫量に直結するんです。うちの民のほとんどは田畑を耕しているのですよ。」

「ふうむ……。」

 まだ納得できないと眉根を寄せる皇帝に、アーネストは「そこまで仰るなら、」と席を立つ。

 百聞は一見にしかず。明らかな証拠を見せれば、納得するだろう。というか、納得させられるだけの証拠を集めるしかない。

 膝を折って皇帝の御前を辞し、アーネストは急いでカタスカーナ邸に戻る。

「ユート! ユートはいるかい!?」

 馬車を降りるか降りないかのうちから大声で呼ぶと、出迎えに出たユートが驚いて目を丸くした。

「お屋形様、どうなさいましたか、大声で?」

「すまないが、ここ十年間の各年の収穫量の一覧と、その前の十年を比較する資料を作ってくれ。大雨や地滑りなどの災害の被害状況の比較もだ。」

「? かしこまりました。ですが二十年分となりますと手元に資料があるかどうか……ラグロウズに照会することになりますと、お時間がかかりますよ。」

「わかっている。できるだけ早めに頼む。」

 以前の報告書でもわかるように、ユートの能力は確かだ。彼に頼むのが一番早い。

 それでも一日、二日ではすまなかった。毎日貧乏ゆすりをするような心持で待ちに待って……ようやく完成した一覧を持って、アーネストは再び皇帝に面会する。

「ご覧いただけますように、娘が神事を行うかどうかで収穫量や災害の発生頻度が変わるんです。」

 数字は正直だ。ユイが聖女となってからの十年――まあ、正確には十一年なのだけれども――と、それ以前の十年では、その差は歴然としている。

「……ここまではっきり出るのか。」

「ですから、ラグロウズの民にとって死活問題だと申し上げました。」

「聖女の祈りがこれほどとは……わかった。レディ・ユーフィーミアをラグロウズから取り上げるわけには行かないことは、充分理解したよ。」

 最初から納得してくれればよかったのに。

 アーネストはふんと息をつく。

 おかげで、披露しなくてもいいラグロウズの厳しい台所事情まで赤裸々に公開する羽目になったじゃないか。

「レディ・ユーフィーミアを春と秋の例祭時期にラグロウズに戻すことは承知した。だが夏と冬なら帝都に招いても問題ないな、カタスカーナ卿? ご息女を帝国アカデミーの特別聴講生として迎えよう。冬ならちょうど社交シーズンでもある。」

 にやりと笑う皇帝に、アーネストの背筋に冷たい汗が流れ落ちる。

「陛下、まさか、」

「君も知っているように、政府は今、普通選挙の準備で忙しい。ベテラン、中堅の役人はとても手が回らない状態だ。助力は期待しないでくれたまえ。この件は子供たちと……若手の役人に対応してもらう。彼らにとっても自分たちだけで任務をこなすよい機会になるだろう。彼らがどこまで問題に対処できるかの試金石にもなるしな。」

「……大人は手を出すな、と?」

「彼らもいつまでも子供ではいられないのだよ、アーネスト。この夏で決着がつかなければ、レディ・ユーフィーミアには冬でも、次の夏でもご協力いただくことになる。それが不服なら、頑張って解決してくれたまえ。」

 そんなことだと思ったよ、畜生。

 だが、春と秋はラグロウズに帰ると貫き通した以上、文句も言えず。


(本当にどうしよう。)

 ラグロウズへと帰る船の中で、アーネストは娘への説明に頭を抱えた。

(アカデミーに行けと言ったら、きっと反発されるんだろうなあ……。)

 今まで反抗期らしい反抗期もなかった優しい娘なのに。

 お父様の馬鹿、嘘吐き、大嫌い、なんて言われたらどうしよう? お父様と一緒は嫌、とか。お父様とお洗濯物一緒にしないで、とか。

(ああああああ。あの狸爺めぇぇぇぇ。)

 想像上の娘に手酷く罵られ――思わず八つ当たりするアーネストであった。


 実際に娘に説明した際には、直接罵られはしなかった。しなかったものの――彼女の大きな赤い目は口よりよっぽど雄弁で、結局、アーネストは逃げ出すように執務室に駆け込んだ。

 逃げ込んだ先でもジョージに呆れられ。

 ……後日、神官のナギ殿にもつい愚痴をこぼしてしまい、苦笑される羽目になる。

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