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精霊の祝福  作者: 裏庭集会
番外編 一方そのころ幕の外では……
26/34

お屋形様と精霊のお山の子供たち(上)

思いついてしまった番外編第三段です。

お屋形様の親馬鹿日記みたいになっています。


作中のあれこれは不自然な点も多々あると思いますが、スルーいただけますと嬉しいです。

「命は繋がり、巡るのよ。」

 あの時、彼女はそう言って穏やかに微笑んだ。

「わたしたちの命は子供たちに受け継がれて、繋がっていくの。ずっと、ずっとね。」

 ――だから愛おしいという気持ちは失われることなどないの。

 病床で身を起こし、庭を眺める妻の横顔があまりに儚くて。そのまま空気に溶けてしまいそうで怖かったことを、カタスカーナ家当主、アーネスト・カタスカーナは今でもはっきりと覚えている。手を伸ばしても届かないんじゃないか。抱きしめてもこの腕は空を切るんじゃないか。益体もない考えに取り付かれては、触れることすら恐ろしかった。

 そんなアーネストを、彼女は「馬鹿ね。」と笑ったけれど。やせ細った指先で、夫の頬をそっとなぞりながら。アーネストの手よりは冷たい彼女の指先は、けれど確かに温かくて。

「消えたりしないわ。ね?」

「……君を失うのが怖いんだ。」

「あなたには子供たちがいるわ。できるだけ傍にいてあげて。どんな話も聞いてあげて。あの子達があなたの支えになるわ。それにわたしも消えてなくなるわけじゃないのよ。お山に還るだけ。一足先にね。」

 そのころすでに、彼女は自分のための心を持っていなかった。心と呼べるものはとっくに周りの人たちにすべて配ってしまっていて、彼女のためには残っていなかった。すべては残していく者のために。夫のために。

 アーネストは彼女のほっそりとした手にすがるように己の手を沿え、頬を寄せた。

「サラサ。君がいなければわたしは泣いてしまうよ。」

 きっと、目が溶けてなくなってしまうほどに。

 いっそのこと、溶けてしまったほうがいいのかも知れない。だって、君のいない未来なんて見たくない。

「当たり前よ。泣いてくれなきゃ、化けて出てやるんだから。」

 つんとあごを上げて。すました顔で。いつもと変わらない、すねたような顔で微笑んでくれるのは、彼女の優しさだ。泣いてくれなくても構わないなどと言われたら、傷つくのはアーネストのほうだから。

「……でもね、」

 微笑む彼女のまなざしはどこまでも透明で。穏やかな彼女の言葉はまるで神託のようで。

「勘違いしてはだめよ、アン。愛は増えるものよ。誰かと分かち合うことでなくなってしまうものじゃないわ。」

 だから愛することを恐れないで。誰かを愛することをためらわないでね――


(そうだね、サラサ。君の言うとおりだ。)

 もう少しすれば雪の便りが届き始める晩秋の午後、晴れ渡った秋空の下で彼らの娘が祝言を挙げようとしていた。婚礼衣装に身を包んだ新郎新婦はお山の精霊様の神殿で祝福を受け、固めの杯を交わす。幸せそうに微笑み交わす二人が、ただただ愛おしかった。

 まとまるまではずいぶん時間がかかった娘たちだが、まとまってからは早かった。求婚から結納、挙式までわずか二ヶ月弱。侍女マリエの苦労が目に浮かぶが、元々想い合っていた二人だ。周囲も慌しさに呆れるより、無事に落ち着くべきところに落ち着いてくれたことに安堵するほうが大きい。この日を支えた立役者であるマリエも、婚約者に肩を抱かれてぽろぽろ涙を流している。

「――お父様。」

「うん。」

 長年の想い人と晴れて夫婦となった娘が、目を潤ませてアーネストを見上げる。

「今まで育ててくださって、本当にありがとうございました。」

「うん、うん、きれいだよ、ユイ。本当にきれいだ。幸せにおなり。」

「はい……。」

 泣き崩れた娘を支える義理の息子――ユートに目を向ける。

 真正面から自分を見返す深緑の目が頼もしい。いや、頼もしくなった。

「ユート。」

「はい。」

「しっかりね。」

「はい。」

 よい若者だ。幼いころから、若木のようにまっすぐに成長する姿をずっと見てきた。

 誠実で勤勉で努力家で、誰よりも娘を愛している。ユイのために陰になり日向になり、奔走してきてくれたことを知っている。どこへだって胸を張って紹介できる、自慢の子供たち。

「ありがとうございました。」

 涙ながらに深々と頭を下げる二人を見ていると自分まで泣いてしまいそうだから――アーネストは高い空を仰ぎ、目を閉じた。


 ***


 あの日も、よく晴れていた。


「あのね、おとうさま。それでマリちゃんがね、」

 神殿までの道すがら、揺れる馬上で幼い娘を抱きかかえるように二人乗りする。頬を薔薇色に輝かせた娘は首をぐいとのけぞらせて自分を見上げ、たくさんのことを話してくれた。会えなかった数ヶ月の間の出来事。従姉のマリエのこと、ユートのこと、弟のエマのこと。

「うん、うん。」

 娘の話の一つ一つに相槌を打つ自分は、きっと情けないほどとろけた顔をしているだろう。娘の小さな体が。きらきら輝く瞳が。稚い口ぶりが。一生懸命なしぐさが。すべてが愛おしくてたまらなかった。それだけに、彼女の話の中に自分がほとんど出てこないのが残念でならない。

 ……仕事で一年の半分は家を空けているのだ。どう考えても仕方がない――むしろ、懐いてくれるだけで感謝するべきなのだけれども。


 帝都での仕事はいつだって気が重いが、今回は殊の外酷かった。思い出すだけでため息が出る。

 議会は紛糾し、来年度の予算は通る見込みもなく。連日開かれる議場は、賛成派も反対派も関係なく飛ばされる野次と、聞くに堪えない低次元な罵り合いで埋め尽くされた。挙句の果てに反対派の議員が審議拒否に出る始末。賛成でも反対でも構わないから、せめて議論に参加しろ! 子供じゃないのだから、きちんと話し合え! 予算が通らなければ早晩立ち行かなくなるのはわかっているだろう! ……と何度喚き散らしたくなったことか。いっそのこと何もかも放り出してラグロウズに帰ってしまいたかったが、皇帝直属の顧問官という、何の実権もないくせに格式だけは高い名誉職をいただいてしまっている都合上それも叶わず。

 帝国アカデミーの学長に就任したばかりの皇子は、すべての子供に平等に教育の機会をと、崇高な理想を掲げて無謀としか言いようがない莫大な追加予算を押し通そうとするし、曖昧に微笑んだままの皇帝は、予算案に賛成とも反対とも言わず鷹揚に荒れた議会を眺めるだけだし。

 結局、予算案は通らず会期は延長されたが、そこでも水掛け論を繰り返しただけに終わった。辛うじて会期の再延長だけは決定されたが、建設的な議論が行われなければ同じ轍を踏むのは目に見えている。

 気づけば、娘の七つの誕生日にすら帰れないかも知れないというところまで追い詰められていた。このままでは娘の『精霊の祝福』を義兄夫婦に任せる羽目になってしまう――一人の父親として激しい危機感を抱いたアーネストは文字通り東奔西走した。

 理想ばかり高くて現実が見えていない皇子には、初年度から無理な要求をせず、まずは実績を作って結果を出すように説き伏せた。実績のない机上の空論では、誰も信頼できないと。反対派筆頭の侯爵には、無茶な追加予算を大幅カットさせる約束を手土産に、審議拒否をする議員の懐柔をお願いする。ついでに浮いた予算の使い道を相談して。

 どうにかこうにか最終日までにすべての予算が通り、これで帰れる! 今なら間に合う! と即行セイル宮を後にしようとしたら、皇帝が自ら見送りに来るという異常事態が発生した。目を白黒させながらも慌てて膝を突いたら、満面の笑みの皇帝は、よりにもよってこうのたまったのだ。

「よかったね、これならご息女の『精霊の祝福』の儀式に間に合うだろう。幸運を祈っているよ。」


(あの狸親父! こっちが早く帰りたい一心なのを見越して放置してやがった。思い出すだけで腹が立つ!!)

 皇帝が自身の意向を匂わせれば、いやでも議会はそちらに動く。躊躇せず強権を振るった先帝と違い、今上帝は議会での協議を重視する。ましてや、今回の案件は皇族から出たものだ。ことさら慎重に振る舞い、権威を笠に着るような真似を回避したかったのは理解できるが、娘の『祝福』を天秤に掛けるようなやり方は気に食わない。アーネストはあくまでもオブザーバーであって、皇帝の代弁者ではない。皇族に近づき過ぎれば、癒着だ贔屓だと、またぞろ外野が煩いのだ。体のいいスピーカー扱いは止めて欲しい。

 荒んだ気持ちはそのまま顔に出ていたらしい。

「おとうさま?」

「なんでもないよ。」

 娘が不安そうに自分を見上げるから、あわてて笑顔を作って首を振る。

 せっかくの父子の団欒だ。むかつく親父のことを思い出して時間を無駄にしては、もったいなさ過ぎるというものだ。

「そうですか? だいじょうぶなのですか?」

「うん。大丈夫だよ。」

 息をつき、肩の力を抜いて、娘の柔らかい頭をそっとなでる。きれいに結い上げられているから、形を崩さないように、あくまでもそっと。

「それで、ユートくんがどうしたのかい?」

 娘は心配そうに丸い目を瞬かせていたが、話の続きを促されて「あのね、」と嬉しそうに笑った。にぱっと。にぱっと!

(うちの子は本当にかわいいなあ。)

 親馬鹿と呼ばれても構わない。世界中にだって叫んでみせる、うちの子一番と。

 もともと『精霊の祝福』は幼い子供の成長を祝う儀式だが、しばらく離れていた間の娘の成長は顕著だった。身体面でも精神面でも。従姉のマリエに「お嬢様」と呼びかけられたときにも、それは明らかで。

 小さなころから、いずれその日が来ることは折に触れて話してきたせいか、娘はほとんど動揺することもなく、自分の呼び名が変わったことを受け入れていた。それでも寂しかったのか、それとも不安だったのか。自分の手とマリエの手をぎゅっと握って離さない娘が健気で愛おしくて。

 戸惑った様子のマリエには申し訳ないが、このまま手を繋いでいて貰おう。

 きゃあきゃあ笑いながら歩く二人が、本当に愛おしくて堪らない。

(ああ、癒される……。)

 純粋な二人を見ていると、帝都で溜まりに溜まったストレスやら黒い思念やらが洗われるような気がした。そして極めつけは娘の授かった祝福――

「ユーフィーミア様は、聖女様――それも条件をすべて満たした、まったき聖女様であらせられます。」

 興奮を隠さない神官殿の高らかな宣告に、アーネストは喜びで胸を詰まらせる。

(サラサ、君なのかい?)

 同じ『聖の祝福』を授かった妻、一足先にお山に還ってしまった妻が、娘を見守ってくれているような気がした。そしてそれをお山のヌシ様も寿いでくださっている。

(感謝いたします、ヌシ様。)

 お山のヌシ様の祝福の下、アーネストは娘たちの健やかな成長と幸福だけを、一心に願った。


「と、昨日は思ったんだけどね……。」

「どうなさったのですか、お屋形様?」

 一夜明けて興奮の冷めたアーネストは、執務室で頭を抱えていた。義兄であり、筆頭家老であるジョージが、そっと差し出してくれた珈琲を口に運ぶ。砂糖なし、ミルクなし。香り立つ濃い珈琲は苦くて、今のアーネストの気分に少し似ていた。

「ユイが『聖の祝福』を授かったろう。」

「はい。まことにおめでたいことにございます。」

「ありがとう。だが心配だ。『聖の祝福』はユイにとって幸いだろうか。あれは、少し特殊な祝福だ。」

「それはそうでございますが……恐れながら、お屋形様。お嬢様が聖女におなりということは、それだけ帝都のろくでもない思惑に巻き込まれにくくなったということでもあるのでは?」

 ジョージの指摘に、アーネストは目を伏せた。

 普通なら、ジョージの言い分は真っ当だ。そろそろ皇室とカタスカーナ家との婚姻をと、内外から気の早い話が聞こえ始めている今なら余計に。

 神官はラグロウズの外に嫁ぐことができない。それはユイ――ユーフィーミアの自由を制限するが、同時に守りもする。帝都の、政治の思惑から遠ざけてくれる。それに曲がり形にも政教分離を掲げる政府だ。堂々と神官を政治利用するような真似はしないだろう。

 男やもめのアーネストは条件が悪すぎる。ユーフィーミアも利用できない。となれば、矛先は弟のエーメリウスに向けられるわけだが……娘と息子。どちらもかわいいことに違いはないが、エーメリウスはいずれアーネストの跡を継いでラグロウズ領主となる身だ。いずれ外で戦う身となる息子には、多少世間の荒波にもまれてでも強くなって貰わねば困るが、娘は。ユーフィーミアには。できる限り辛いことや不穏な思惑からは遠ざかっていて欲しい、争いごとから遠い、穏やかでのんびりしたラグロウズで幸せに暮らして欲しい。そう思ってしまう。

 それは親のわがままだろうか?

「そんなことはございませんが、でしたらなおのこと、聖女におなりでよろしかったのでは?」

「それなんだが……。」

 これはまだ、ここだけの話だと前置きして続ける。

「ここ数十年、帝都の地水火風の各神殿に神官が生まれていない。最後の神官が亡くなってから、三年以上になる。」

「それはまた……。」

「今のところ、目立った問題は起きていない。神官でなくとも、日々の業務はこなせるし、祝福も授けられるからね。ただ、神殿側が報告してきたのが、最後の神官が亡くなってから三年も経ってからというのが気にかかる。秘密主義の彼らのことだ。まだ何か……表に出せない問題を抱えているのではないだろうか?」

 だからといって、証拠もないのに神殿に踏み込むことはできない。世界各地にネットワークを持つ四大精霊神殿を敵に回しても、よいことなど一つもないのだ。実際に問題が起きているならともかく、実害がない以上、政府としては静観するしかなかった。

「……お屋形様は、お嬢様が巻き込まれることを案じておいでなのですね。」

「ああ。気にし過ぎだろうか?」

「いいえ。」

 杞憂だ、親馬鹿だ、心配し過ぎだと諭される――ジョージが直接そんなことを言うはずがないから、遠まわしにだろうけど――覚悟だったのだが、思いのほか真剣に首を振られた。

「神官がいないなど、明らかに異常事態です。何もないように見えるだけで、水面下で何が起きているかはわかりません。用心するに越したことはございません、情報収集と警戒に努めましょう。ですが張り詰めすぎると糸は切れるものですよ、お屋形様。」

 珈琲のお代わりを差し出して、ジョージが微笑む。今度の珈琲には、ほんのり砂糖とミルクが入っていた。まろやかに、甘い。

「お帰りの間は、どうぞ余計な心配をせず、おくつろぎください。お嬢様も若様も、お父君がぴりぴりしていては不安におなりでしょう。帝都でのお疲れを癒してくださいませ。」

「ありがとう。」

 筆頭家老としては当たり前なのだけれど、ジョージは帝都でのあれこれを聞き及んでいるのだ。アーネストが荒んだ原因も、もちろん承知しているのだろう。

 荒んだ原因――世間知らずで夢見がちな皇子のことだ。

「そういえばジョージ宛に伝言を承っているよ。」

「わたくし宛、でございますか? ……嫌な予感しかいたしませんが。」

 渋い顔をするのも当然だ。大方の連絡事項は、同期石で伝えればすむ。人を、それも主人を使って伝言をよこす相手など、恐ろしく限られる。おそらく、ジョージの予想は外れない。

 いたずらが成功した子供のような気分のアーネストは無性に笑いたくなったが、なんとかこらえて済ました顔を取り繕う。

「“とうとうアカデミー学長に就任したよ! 君のお子様方が入って来るころには昔よりずっと居心地よく整えておくから、安心してくれて構わない。ああ、君の子供が入試に落ちるなんてことは考えてもいないから! 待っているからね!”だ、そうだ。」

 相手の名前は伝えない。これがわからないはずがないからだ。

 案の定、ジョージの渋い顔がさらに渋くなる。事前の予感とやらが当たったのだろう。

「……相変わらずのご様子ですね、コーネリアス殿下は。」

「殿下だからね。」

「恐れながら、お屋形様。伝言をお願いしてもよろしいでしょうか。」

「もちろん。」

 こんな面白い話から、除け者にされるほうがありえない。

 アーネストはニコニコ笑って、ジョージの回答を待った。こほんと咳払いしたジョージは、苦虫を噛み潰したような顔で、

「“アホか、てめえ。トップに立つヤツが公私混同してんじゃねーよ。てめえは子供たち全体の心配をする立場で、個人のガキに首突っ込んでんじゃねえ! つーか、うちのチビはみんな優秀だから心配いらねー、近いうちに世話になるから準備万端整えて、余計な心配せずにおとなしく待っとけ!”以上、ご面倒をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。」

 一息で言い切って深々と頭を下げた。

 想像はしていたけれど、これは。

「ああ、わかった……。」

 アーネストの語尾が震えるのは、ジョージの不遜さ加減におののいたからでも引いたからでもない。身分を越えた相変わらずの仲良しっぷりに、腹筋が震えるほど笑いを堪えたからで。


 後日、一言一句漏らさず伝えた皇子殿下も腹を抱えて爆笑していたから、別にアーネストだけが悪いわけじゃないと思う。


 ***


 アーネストの心配をよそに、子供たちはすくすくと大きくなる。

 兄のユートは一番の年長者らしい責任感の強い少年になり、姉のマリエは弟妹の面倒をよく見るしっかり者になった。兄姉に守られたユイはどこかおっとりとした素直な娘に育ち、周りの大人たちのサポートを受けて聖女としての務めとラグロウズの女主人の役割を懸命に果たしている。レンとリカは方向性は違うものの、どちらも好奇心旺盛で常に新しいものに目を輝かせている娘だ。いつか帝都でいろいろなものを見せてあげたい。きっと喜んでくれるだろう。エマとシオンは男の子らしく元気いっぱいで、やんちゃないたずらっ子だ。毎日楽しく遊んで、たくさん学んで、強く逞しく育ってくれるに違いない。

 ただただ愛おしい、アーネストの子供たち。

(子供たちを守るためなら何だってやるんだろうな、わたしは。)

 ラグロウズへの道中、目を閉じてふるさとを思う。舞い散る薄紅色の桜に、恵み豊かな緑のお山。黄金色の稲穂垂れる田んぼと、すべてを覆いつくす真っ白の雪。色鮮やかな里の四季と、そこに戯れる子供たち。

 数ヶ月ごとにラグロウズと帝都を往復する相変わらずの生活の中で、子供たちの成長はアーネストの慰めであった。子供たちが何の憂いもなく真っ直ぐに育つ環境を守りたい。そのためなら砂を噛むような帝都での仕事――狸と狐の化かしあいにだって耐え抜いてみせる。

 ただ残念なのは、肝心の子供たちの成長を間近で見守れないことだ。子供たちを守るためなら遠い帝都で戦うことも厭わないけれど、本当は誰よりも傍近くにいたい。子供たちの成長の一つ一つを一緒に味わい、喜びたい。

(贅沢な願いなんだろうけどね。)

 地方領主なら、単身赴任など珍しくない。現に帝都には、家族と離れて生活する父親が大勢いる。彼らはどうやってこのジレンマを克服しているのだろう?

「あの、いかがなさいましたか、お屋形様……?」

「ん?」

 物思いにふけっていたら、同行していたユートに怪訝な顔をされた。

 いけない、いけない。子供にまで心配かけるなど、父親失格だ。ようやく帰れるとなって、気が緩みきっていたらしい。

「大丈夫だよ。少し考え事をしていただけだ。」

「そうですか? ならばよろしいのですが。」

「ありがとう。心配をかけてすまないね。」

「そんなことはっ。」

 自分だっていろいろ大変だろうに、それでもこちらを心配してくれる優しさ。照れたように頬を染めるユートの素朴さに、疲れた心が洗われる。

 ……うん、今回の仕事も酷かったんだ。あの狸親父が数十年前にたった一度だけ開催されて以来、停止されたままの下院復活なんて夢を語りださなければ、もう少しマシだったと思うのだけれども。それも下院は普通選挙で選ばれた議員による議会にしたいなど、とてつもない目標を口走らなければ。

(仰ることはもっともなんだが、実際に走り回るのはわたしたちだからな。)

 理想ばかり高くて現実が見えていなかった皇子が、なまじ結果を出しつつあるのがいけない。いや、初等教育の裾野の拡大はもちろん素晴らしい実績なのだけれども。

 ただ、おかげで皇帝陛下も理想の実現に燃えてしまった。普通選挙など、どうすれば実施可能か、実施までにどれだけの課題をクリアしなければいけないのか、その道程すらも見えていないというのに。

(苦労することがわからないほど、おめでたい頭の持ち主じゃないはずなんだが……。)

 既得権益にしがみつく貴族たちが猛反対するのは、容易に想像がつく。帝都だけでなく全国津々浦々で選挙を行うなら、インフラだって充分じゃない。選挙権を持つことになる一般の人々の理解も足りない。それら一つ一つをクリアし、法律を作り、環境を整える。それはどれだけ大仕事になることだろう。

 ――でもそれは多分、どんな苦労をしたとしても、実現させる価値のあることだ。

 子供たちには、よりよい未来を残したい。そのためなら何だってやるのだ、わたしは。

 目を細めて、傍に控えるユートを見つめた。その穏やかな深緑の目を。この一年でしなやかに伸びた四肢を。

 ラグロウズの平均からいえば背の高いユートだけれども、それでも周囲の同級生よりは小柄だろう。彼の同級生は皆、二歳以上年上なのだから。

「お屋形様?」

「アカデミー高等科はどうかね? 一年やってみて、問題はあるかい?」

「……中等科より、ずっと難しいです。」

 ぎゅっと眉をひそめても、素直に認めることができるのは彼の美徳の一つだ。真っ直ぐにこちらを見返すことができる気骨も。

「でも、大丈夫です。問題ありません。」

「そう。頑張ってね。」

「はい。」

 昨年、ユートはアカデミー中等科一年から高等科一年へと進級した。長いアカデミーの歴史でもあまり類のない二年の飛び級。それも平民の子供が数ある名家の子息を差し置いて……となれば、反発は必至だ。彼の父親や自分が在学していたころに比べれば、平民を見下すような風潮は減ったが、ゼロになったわけではないだろう。心無い陰口をたたかれたこともあるだろうに、ユートはいつだって胸を張って全力で努力してきた。それが学年首席という結果にも繋がっている。

 もっとも、ユートが必死に努力するのは下心もあるだろうけれど。

「午後には家に着く。大丈夫、ユイの誕生日に間に合うよ。」

 微笑むと、ユートは真っ赤になってうつむいた。

 ユイは本当に素直な娘だ。そのまなざしがどこを向いているのか、まるで隠さない。「大好きなおにいちゃん」が少しずつ「大好きなユートさん」に変わっていったことも、そのまなざしを追えば一目瞭然だ。今回の帰省でこっそりユートを連れ帰るのも、ユイの喜ぶ顔を見たかったからだ。

 ユートは当初、帰省を渋っていた。今ラグロウズに戻ると、アカデミーの新学期開始に間に合わなくなるから、と。アーネストが半ば無理やり連れ帰ったようなものだが、ユートのほうも最後には折れていた。ユートにしても、ユイに会いたかったのだろう。

 アーネストが見る限り、ユートもユイを受け入れているように見える。それどころか、ユートがこれほどまでに努力を重ねるのも、ユイのためだと思われる。ユイのために急いで大人になろうと、ユイを守れる男になろうとしてくれている。急ぎすぎだと心配になるほどに。

 娘の父親として、これほどありがたいことがあるだろうか?

 お互いを想い合い、遠慮し合っている、じれったいほど可愛らしい二人。二人が幸せになってくれればよいのだけれど。

 だからといって、まだまだ嫁にはやるつもりはないけどね!

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