ユートとゆかりとチートの裏側
思いついてしまった番外編第二段です。
チートっぽいようでぜんぜんそんなことはないユート・カーティスの苦労話(?)となります。
いろいろ酷いのですが、笑って許してくださると嬉しいです。
世の中、理不尽で溢れている。
一日は二十四時間しかないし、腕は二本、自分自身は一人しかいない。もし、一日が三十時間あれば。この腕がもっとたくさんあれば。自分がもう二、三人いれば。きっと、もっとたくさんのものを掴むことができるのに。
「いやいや、それが普通だよ、普通。誰にとっても一日は二十四時間で、たいていの人間の腕は二本だし、自分は一人だけだ。一見そっくりな双子だって、とどのつまりは他人同士なのだぜ?」
現実を見たまえ、友よ。
調査を手伝ってくれる赤毛の友人にあきれた様子で指摘され、ユート・カーティスは赤面した。
「口に出すつもりはなかったんだが……。」
「油断したな、君。精進することだ。……ま、一日を三十時間にする方法がないわけでもないがね。」
「!? なんだそれ、どんな裏技だ?」
精霊の祝福の一種か? 新手の技術か? 自分にもできるのか? そんな方法があるなら、ぜひ知りたい。
興味津々のユートが身を乗り出すと、自慢げに口角を上げた友人はぴっと人差し指を一本立ててみせた。
「簡単なことだ。一時間を今の五分の四の長さに定義し直すのだよ。そうすれば一日は三十時間になるぜ。既存の時計がすべて無用の長物になるし、混乱は必至。世間に受け入れられはしないだろうが、それでもやると君が言うなら、あえて反対はしない。大手を振って茨の道を邁進してくれたまえ。」
「……ワイズ。」
「なにかね、友よ?」
「真面目にやれ。」
脱力するユートに対して、友人は肩をすくめただけだった。
その日、ユート・カーティスはセイル宮を訪れていた。セイル宮といってもきらびやかな社交の場にではない。数ある政府の機関の中でも指折りの地味な部署――公文書館に。
帝国アカデミーと同じ建築様式で作られた公文書館は、赤い煉瓦を積んで造られている。一見すると重厚で無骨な印象だが、よく見れば繊細な鉄細工の装飾が施されている。それはそれで見事だが、当然ながら夜会が開かれるホールや、貴婦人方が笑いさざめく庭園のような華麗さはない。同じ仕事場であっても、騎士団の詰め所や鍛錬場のようなにぎやかさもない。過去から現在まで、ありとあらゆる公文書を収めた館は、セイル宮の片隅にひっそりとたたずんでいる。その静謐な空気を、ユートはけっして嫌いではなかった。
余人のいない公文書館の入り口で、受付を済ませる。すばらしい愛想笑いを披露する青年に身分証を提示し、入館の目的と知人の名を告げる。
「サディアス・ワイズですね。少々お待ちください。」
程なくしてアカデミー時代からの友人が現れた。卒業後の進路を宮仕えに定めたかつての同級生は、にこやかに両手を広げてユートを迎える。
「やあやあ、我らが首席殿! こんな閑職の暇人に何をご所望かね? 同期のよしみだ、遠慮せずになんでも言ってくれたまえ。書類を燃やせというのでないならね!」
ついでに、ばっちーんと音が鳴りそうなほど派手なウィンクを一つ。酒でも呑んでいるんじゃあるまいなと疑いたくなる態度だが、この友人、正真正銘の下戸だ。恐ろしいことに、これがこの男の常なのである。
いつでもどこでも軽くていい加減な口調とノリの友人が、生真面目・実直一直線の公文書館に就職が決まったことは、同期の間でも七不思議の一つとして数えられていた。本人はコネだと笑うが、一体全体どれだけ強力なコネがあればよりによって公文書館に就職などできるのやら? 卒業から四年経った今でも、ユートには想像も付かない。
「ワ、ワイズ卿ぉ~、」
旧友の軽口はいつものことだ。眉根を寄せてはいても、ユートは慣れて……慣らされている。だが生真面目で大人しそうな受付は、泣きそうな顔で上げかけた右手をさまよわせた。
自分よりはるかに混乱し、対応に窮した様子の青年を一瞥し、ユートはため息をついた。
「ふざけるのもほどほどにしておけよ、ワイズ。誰もがお前の軽いノリに付いてこられるわけじゃない。」
指摘されるまで、同僚がパニックを起こしかけていることに気づいていなかったのだろうか。ワイズは片方の眉を「おや?」と持ち上げ、ようやく真面目な顔を取り繕った。
「気にしないでくれたまえ、サイクス。久しぶりに会ったもので、少々はしゃぎ過ぎたようだ。本題に入ろうか、カーティス。用件を聞こう。」
「……帝都に関するある種の資料を閲覧、できれば複写したい。古い資料だから、おそらく書庫に保管されている。」
「閉架書庫への入室および資料の閲覧、複写許可だな? サイクス、申請書を。」
指示される前に手際よく引き出しから所定の用紙を取り出していた青年は、「こちらにご記名ください。」とキャップをはずした万年筆とともにユートに向けて差し出した。
指定された箇所に記名し、責任者欄にワイズの名前を書かせて受付に返す。受け取った青年は記載内容を確認すると、日付を記入して重々しくうなずいた。
「確かにお預かりいたしました。」
「公文書館はその性質上、飲食物と火気の持込は厳禁となっております。お持ちの際は受付で預からせていただきますので、お申し出ください。また書庫には閲覧不可の資料もありますから、確認のためわたしが同行します。構いませんね?」
「結構です。お願いします。」
「ではこちらへ。」
お定まりの注意事項を受けた後、ワイズの案内で書庫へ向かう。
若干息苦しい感じのする薄暗い地下書庫の鍵を開け、明かりを点して自分たち以外に利用者がないことを確かめて――
「ここに君が来たということは、例のアレの出番だな!?」
ワイズが取り澄ました顔を崩して目を輝かせた。つくづく鬱陶しい男だ。
「君とわたしの仲じゃないか。隠し事なんていけずな真似は止めて、ちゃっちゃと吐いてくれよ?」
「気持ち悪い言い方は止せ。何の仲だ。」
「もちろん、同じ臭い飯を食った仲だぜ!」
「残念だったな。僕は寮生じゃないから臭い飯など食ったことはない。」
そもそも、アカデミーの学生には貴族の子弟が多い。学生寮でも下手なものは出さないだろう。臭い飯など、ワイズだって食べたことはないはずだ。
にこりともせずにユートが言い切ると、ワイズは鼻白んだ様子で肩をすくめた。
「ふん、相変わらずノリの悪い。……まあいい。聞いたところによると、とうとう君の託宣の姫君が上京されたというじゃないか。例の件以外に君が来る用件などありえない。違うかね?」
「いや。違わないよ。」
隠す理由もない。ユートも素直にうなずいた。
さっきだって、ワイズが余計な茶々を入れなければ、話は早かったのだ。
「あまりに衝撃的な内容ゆえに即効お蔵入りになった伝説のレポートから、もう四年か。意外と早かったと見るべきか、これでも持ったほうだと見るべきか。」
「どちらでも構わないよ。やるべきことは変わらない。」
ユートが心を捧げる姫君から重大な予言――四大精霊神殿における神官の不在とその影響――を聞いた忘れもしないあの春の日。あの日から、ユートは自分にも何かできることはないかと調査を開始した。何から始めたらよいのかもわからなかったが、とにかく帝都の神殿や一般家庭を一軒ずつ訪問した。祝福が暴走するような事故が起きていないか? 逆に祝福が発動しなかったことはないか? 一人一人に頭を下げ、足を棒にして地道に聞き込みを重ねた。
神殿側は最初、子供のユートをいぶかしみ、まともに取り合ってくれなかった。この件を表沙汰にしたくなかった事情もあったのだろう。馬鹿なことを、とすげなく一蹴された。それでもユートは諦めなかった。
どんな思惑があろうとも、行き着く先は人と人との縁だ。何度も何度も訪れては頭を下げるうちに、神殿の職員とも知己を得た。親しくなれば話してくれることもある。向こうにそのつもりがなくても、愚痴めいた会話の合間に口の端に上るものもある。今回の祝福の儀式でも、『聖の祝福』は授からなかった。いつになれば、神官様が生まれるのだろう? ぽつりぽつりとこぼされる会話の雫を必死になって拾い集めた。
そうして二年近い歳月をかけてユートは祝福に関する事故についての報告書をまとめ上げ、主であるカタスカーナ卿と帝国アカデミーに一通ずつ提出した。学生のユートには、ほかに相談できる相手などいなかった。
報告書が投じた波紋は小さくなかった。神官不在。その異常性は神殿側も政府側も認識を共有していたが、ユートが自らの足で調べ上げた調査結果は、そんな彼らをも瞠目させた。神官不在の異常性は認識していても、その異常が及ぼす影響――祝福がらみの事故件数の増加までは、彼らも把握していなかったから。
それも仕方がないのだろう。祝福に関する事故といっても、暴走する確率より、祝福が発動しない確率のほうがよほど高い。派手に暴走した場合でも、予想以上に強力に発動しすぎて驚いた、という程度でそもそも報告が上がらない。誰かが怪我をしたような、本当に深刻な事故はほんの数件。
結局、下手に公表すると人々の不安を余計に煽りかねないと、報告書は機密扱いとされた。いくら重大な事故が少ないといっても、確実に起きているし、今後も起きる可能性は高いというのに。腰の重い政府や神殿に、ユートは落胆し、己の力のなさに歯噛みした。
学生時代のほとんどすべてを費やして作成した渾身のレポートが事実上握りつぶされたわけだが、政府側も放置するつもりはなかったらしい。翌年には『鏡の聖女』がアカデミーに招聘された。これは彼女が入学可能年齢に達したのもあったのだろうが。
「資料はどこまで必要かね?」
「とりあえず四大精霊神殿の神官数についての資料を、ここ百年分。」
「承知した。準備するから、しばらく待っていてくれたまえ。あー、くれぐれも、その辺の資料を勝手に漁ったりするなよ?」
「馬鹿いえ、そんなことするわけ……誘惑にかられるかもしれないから、早めに頼む。」
「……君も言うようになったな。わかった。最大限に努力しよう。」
そして政府が打った対策がもう一つ。各神殿が所蔵していたすべての記録の写しを公文書館に収めさせたのだ。神殿側の記録には後ろ暗いところも少なくなかったため、当初神殿側はこれを拒否した。だが、最終的には同意せざるを得なかった。最後の神官が死んでから三年以上も報告せず、秘匿していた秘密主義を責められては、折れるしかなかったのだろう。おまけに写しの作成は政府側の文官が主導することになったのだから、つくづく神殿側も信用がない。
レポート提出から四年経った今でも、すべての記録は写し終わっていない。古い記録の中には、劣化してほとんど読めなくなってしまっているものも少なくない。複写の前に修復の過程を経て、ようやく収蔵されるのだ。古文書を修復できる文官の人数が多くないこともあって、作業は遅々として進まない。
それでも、ここ百年程度の記録ならなら一般の文官でも問題なく読めるし、収集済みのはずだ。おかげでこうして、集中して調査ができる。
「神官に関する資料ならこのあたりだ。」
宣言どおり、速やかに戻ってきたワイズが広い閲覧机に資料を並べる。白い手袋をはめた手つきは恭しく、非常に丁寧だ。どんなにふざけた態度をとってはいても、彼も公文書館の一人なのだ。
「すまない、助かる。……やはり最後に『聖の祝福』を授かったのは六十九年前か。」
「火の精霊神殿だな。ここは比較的神官数も多かったようだ。神官の年齢からすると、二十年に二人か三人は神官が生まれていた計算になる。逆に少ないのは……大地の精霊神殿か。こちらを見たまえ。火の神殿の半分にも満たない。」
ワイズが示す書類に目を落とす。一年ごとに作成された神官の氏名と年齢を併記した名簿には、その違いが明確に現れていた。
「……四十年に一人、か。」
本当に少ない。そのペースでは、神官が一人しかいないような――一人もいないような事態にも容易になりうるだろう。
なるほど、神官に関する情報が秘匿されるはずだ。彼らは神殿にとって最重要の保護対象なのだ。
「これらは複写しても大丈夫か?」
「載っている全員が故人とはいえ、個人情報だ。許可できない。」
「名前は伏せる。人数と年齢だけだ。」
「ふむ。……それならいいだろう。写し終わったら確認するから、見せてくれたまえ。」
「わかった。」
ユートが神妙にうなずくと、ワイズは笑って背を向けた。
「ではその間わたしは、百年以上前の資料を探してくることにしよう。」
「手間をかけるな。すまない、よろしく頼む。」
「水臭いことは言いっこなしだぜ、友よ。」
後ろ手をひらひらと振る友人を見送り、ユートは静かに椅子を引いた。腰を下ろし、深呼吸を一つ。
「……よし。」
心を落ち着け、ペンを取る。
静かな地下書庫に、ユートがペンを走らせる音だけが響く。写本作業は単調だ。手を動かしながらも、いつの間にか思考は別方向にそれていく。
(――この件が解決したら……。そのときはユイ様と……。)
今度こそ、戻れるだろうか? 懐かしいふるさとへ。ユートの姫君の元へ。そして堂々と言えるだろうか? この胸のうちを。誰よりも彼女にふさわしい男として。誰からも祝福され、みんなで幸せになることができるだろうか?
ユートが強くなると心に誓ったのは、ずいぶん昔のことだ。
最初は、ラグロウズで一番になればいいと思った。彼の姫君は領外に嫁ぐことがない。だからラグロウズの中で、同年代の男たちの中で、もっともふさわしいと誰もが納得するように己を鍛え上げればよいと思っていた。
遠くふるさとを離れて帝都で暮らすうちに、それがどれほど子供じみた視野の狭い考えだと思い知らされたことか。己の無力さにどれだけ打ちのめされたことか。
彼が仕える主家――カタスカーナ家は、その始まりを千年以上昔に求めることができる。初代皇帝エレンドの腹心であった初代カタスカーナ卿が、皇妹を娶って東の地に所領を賜ったのが始まりだ。つまり、皇室に次いで古い伝統と格式を持つ家なのだ。日ごろの主は誰にでも気さくで、そんなことはまったく感じさせないけれど。
初代カタスカーナ卿と同じ、黒い髪と赤い瞳を今に受け継ぐカタスカーナ家は、エレンダール帝国内でもかなり特殊な立場にある。領地の規模に反して議会に議席を持たず、決定権はないものの皇帝に直接意見することを許された顧問官を代々襲名する。何よりラグロウズは自治権を持ち、帝国に上納していない。同じエレンダール帝国皇帝を戴いてはいるが、ほとんど独立国のようなものなのだ。
それだけに、その一挙手一投足には最大限の深慮が求められる。カタスカーナ卿にどれだけ繊細な舵取りが求められていることか! 皇帝に近づきすぎれば癒着だ馴れ合いだと叩かれ、離れすぎれば謀反の疑いありと痛くもない腹を探られる。ラグロウズの主はエレンダール皇帝から付かず離れず、絶妙な距離を保ち続けなければならない。そうでなければ、瞬く間にラグロウズは帝国に飲み込まれるだろう。ラグロウズ騎士団の面々がどれほど精鋭だろうと、一人一人がどれだけ奮闘しようと、それは覆らない。個人の努力をはるかに超えたところで、母体の規模が違いすぎるのだ。
一方、皇帝側にもまた、カタスカーナ家との縁を繋ぎ続けたい事情があった。初代皇帝を公私共に支えた赤い眼の腹心。その特徴的な赤い目の持ち主が現在も皇帝の隣に立つということは、実利以上の意味を持つ。千年続く友好関係はそのまま、千年続くエレンダール皇帝の権威を裏打ちする。
そのための単純明快な手段として、カタスカーナ家では数代に一度、皇帝ゆかりの姫君を受け入れてきた。あるいはカタスカーナ家の娘が皇族に嫁いできた。過去の前例から言えば、そろそろ潮時――いや、遅いくらいだ。
カタスカーナ卿の妻であったユートの叔母が早世したため、現在の卿は独り身だ。当然、再婚の話は俎上に載せられた。一度ならず何度も。だが、そのたびに流された。
ユートは主と叔母の間の愛情を疑ったことは一度もない。それでも、カタスカーナ卿が再婚しない理由が愛情だけだと考えるほど、世間を知らないわけでもない。おそらく、主が再婚しないのは相手の立場が恐ろしく微妙になるからだろう。皇女を一地方領主の後妻にくれてやるわけにはいかない。だが前妻が神官である以上、普通の貴族のご息女では見劣りする。元の生まれがどうであれ、神官は高位の貴人として扱われる。それだけ特別な存在なのだ。
だが次はない。
現カタスカーナ卿の子供は二名。ユーフィーミアとエーメリウス。どちらかが、皇族と結ばれることになるだろう。可能性が高いのは継嗣であるエーメリウスだが、ユーフィーミアは神官――それも聖者の条件をすべて満たした『完全無欠の聖女』だ。婿入りしなければならない条件を踏まえてなお、皇族の伴侶として不足はない。
だからユートは、誰よりも強くならなければならない。ラグロウズどころか、帝国中でこの男なら聖女の夫にふさわしいと認められる男にならなければならない。
(そうでなければ、ユイ様を守れない。)
彼女の笑顔を曇らせるわけにはいかない。純粋無垢なところがある彼女に、こんな俗にまみれた事情など聞かせたくない。
「カーティス?」
彼女が自分に何を求めているか。気づかないユートではない。待たせていることもわかっている。それでも。
「おい、カーティス。カーティスってば。聞こえているかーい?」
(もう少し。もう少しだけ、待ってていただけますか――)
この問題を解消することができたなら。そのときは胸を張って言うことができるから。自分こそが、彼女にふさわしいと。
「カーティス!」
「へっ?」
両肩をつかまれ、強引に向きを変えられたと思ったら、至近距離にワイズの黄色っぽい目があった。赤い頭がぐらりと揺れて、目の前に迫ってきて――
「!!?」
「っつうー……」
目の前に火花が散った。ユートの額にワイズの赤い頭が激突し――ようするにワイズに頭突きされ、両者は頭を抱えた。
「この石頭! 何だってそんなに硬いんだ、畜生っ!!」
「なんでワイズが怒るんだよ!? 被害者は僕だぞ! 馬鹿になったらどうしてくれるっ!!」
「貴様なんぞ、少しくらい馬鹿になったくらいがちょうどいいわ、愚か者がっ!!」
頭突きされた上に怒鳴られた。理不尽極まりないこと、この上ない。
「ほら。これでも当てておけ。」
ワイズが濡れて冷えたハンカチを投げてよこした。自分も同じものを頭に当てている。
頭突きかましてきた張本人が偉そうに。ちぐはぐな友人の行動に、ユートは眉をひそめる。
「祝福を安易に使うなよ。暴走したらどうする。」
「この期に及んで言いたいことはそれかっ!? どこまで融通が利かないんだ、君って男はっ!」
文句を言ったところで、ハンカチがありがたいことに変わりはない。ユートもおとなしく額にハンカチを当てた。ひんやりとして気持ちいい。
「何を考えていた。」
「……別に。たいしたことじゃない。」
「嘘を吐くな。あんな悲壮な思いつめた顔をしておいて、信用してもらえると思うなよ?」
厄介なことになった。この友人、意外と見ているのか。あいまいな微笑が常のユートの表情など、家族でもなければ読まれたことはないのに。
「個人的なことだから言いたくない。そう言えばわかるか。」
厄介だが、人が嫌がる範囲にまで踏み込むような真似はしないだろう。そこまで無神経な男ではなかったはず。
「わからないね。」
ユートの期待は、見下すように鼻で笑うワイズにあっさりと裏切られた。
「君はいつもそうだ。一人で何もかもを抱え込みすぎる。ああ、君は非常に優秀だよ、『万能の天才』の首席殿! だがな、わたしは――わたしたちはそんなに頼りないか? 君とって、信頼するに当たらない雑魚か?」
「そんなこと思ってもない。頼りにしてないとか、そんなんじゃないよ。ただ、」
「そこで“迷惑をかけると悪いから”とか、“自分でやったほうが早いから”とか言うなよ? 確実に俺が切れるからな。」
「……。」
先手を打たれてしまい、ユートは返答に詰まる。
口篭るユートを見て、ワイズは盛大に鼻を鳴らした。
「君が優秀なのは疑う余地もない。それが何だろうと、本気でやれば大概のことはこなせることも知っている。だがな、それは君の欠点だ。何もかも、自分一人でできると思うなよ。それは傲慢というものだ、カーティス。」
返す言葉を持たないユートは、うつむいて唇を噛んだ。
ワイズの言葉がユートをさいなむ。ユート自身も意識したことのない、やればできるという自負――思い込みをぐさぐさと切り裂いていく。
「どんなに優秀だろうと、一人でできることなど高が知れている。そんなこと、君だってわかっているだろう。四年前のレポートだって、一人で突っ走らずに相談してくれていれば、別の手が打てたかもしれないのだぜ。君はもっと、他人を使うことを覚えるべきだ。何のために人が組織を作るのだと思っている。一人では不可能なことも、協力し合えば可能になる。そういうことだろう。」
「でも……あれは個人的な事情もあったし……。」
一人でやりきることで、自分の能力を証明できると思った。自分の力を示せるはずだった。
――結果は、惨憺たるものだったけれど。
「他人を使うことに抵抗があるなら頼め。誠心誠意頭を下げろ。得意だろう、ラグロウズ人。自分の腕が二本しかないことを嘆く暇があるなら、別の腕で届かない範囲をカバーする方法を覚えろ。それが君の力になる。」
「ワイズ……。」
いつになく真面目な顔で理を説く友人だったが、唐突に「畜生!」と吐き捨てて頭を掻き毟った。
「なんだってこの年でこんなこっぱずかしい青臭い話をしなきゃならんのだ!? それもこれも貴様のせいだぜ、カーティス!!」
「それは……すまなかったな。」
「当然だっ! あああ。見たまえ、この鳥肌をっ。」
袖をまくって粟立った肌を見せ付けられても。それが友人なりの照れ隠しだとわかっているから、ユートは笑う。
「すまない。それから……面倒をかけるが、手を貸して貰えるだろうか。」
そして、誠心誠意頭を下げる。友人が言ったように。事態はユート一人の手には余るから。
「ふん……。しょうがない、我らが首席殿がそこまで仰るのならこのワイズ、微力ながらお力添えするのもやぶさかではありませんとも。」
予想通り、少し照れたように友が応えてくれるから。
息の詰まるような地下書庫で、ユートは晴れやかに笑った。
友人が自分を頼れと言ってくれるから――千年分の神官の記録を調べ直すことになったとき、ユートは素直にその言葉に甘えることにした。
「すまないが力を貸してくれ。」
一口に千年分といっても、初期のころの記録など、すぐに読めるようなものではない。公文書館に籍を置く赤毛の友人は、事情を聞くと「畜生!」と頭を掻き毟りながら叫んだ。
「そんなの、俺一人が加わったところで焼け石に水だぜ!? できるだなんて本気で思ってるのか? ああ、もうっ! わかった、わかったからそんな捨てられた仔犬みたいな顔するなっ!」
明日もう一度来いと言い捨て、ワイズはユートを追い返す。
翌日ユートがもう一度公文書館を訪れると、そこにはずらりと並ぶアカデミー時代の同級生たち。
「お前たち……。」
「感謝したまえ、カーティス! 皆、忙しいのに事情を聞いて君のためにわざわざ集まってくれたのだよ。」
恐らく――いや、十中八九、走り回って皆を集めてくれたのはワイズだ。感動したユートが喉を詰まらせていると、集まったメンバーの一人が笑いながらユートの頭をなでた。
「仕方ない。不器用な我らが首席殿が助けを求めていると言うなら、駆けつけないわけにはいかないさ。」
「そうそう! おまけに結婚がかかっていると聞かされちゃあなあ!」
「坊やにもようやく春が来るんだ。応援してやらないとな。」
「違いない!」
爆笑する元同級生たちに、ユートは言葉もなく凍りついた。
「……ワイズさん?」
「なにかね?」
ぎぎぎ……と音がしそうなほどぎこちない仕種で振り返ったユートに、友人はにっこり微笑んだ。
「けっこんって……、」
確かに考えてはいるけれど! この問題が解消したらプロポーズするつもりだけど!
そんなこと、一言も説明した覚えはないんだけどっ!! というか、ユイ様のことを話したこともないはずだけどっ!!?
「ばれてないと思ってたのか? 意外と間抜けだな、首席殿。」
「東の空を見て姫君の名をつぶやくとか、しょっちゅうだったしなあ。」
「少なくとも同期の中で坊やの片思いを知らないヤツはいないだろうぜ。」
「アレだけあからさまで、ばれてないと思うほうが不思議だよなー。誰もお前に女紹介したり、娼館に誘ったりしなかったの、疑問に思わなかったのか?」
「ってことだぜ、友よ?」
納得してくれたかな?
再びにっこり微笑む友人に、ユートは真っ赤になった顔を抱えてしゃがみこむ羽目になった。
畜生! 納得はしたけど納得がいかないっ!
「少し落ち着きたまえ。それで皆気持ちよく協力してくれるのだから、安いものだと思うがね。」
「……それは感謝してるけど。」
「なら結構! ほらほら、羞恥に身悶える君というのも一興だがね? 先にするべきことがあるだろう。」
ワイズに諭されたユートはよろよろと立ち上がり、
「すまない。大変な作業になるが、どうか協力して欲しい。」
元同級生たちに深々と頭を下げた。
「おう!」
「俺たちが来たからには、大船に乗ったつもりでいろよー。」
「ちなみに報酬は酒な。ここにいる全員に一杯ずつ奢ってくれたまえ。」
「そんなんでいいのか……?」
労力に反して、報酬が少なすぎやしないか?
ユートが首をかしげると、同級生たちは呵々と笑った。
「酒っつっても、ただの酒じゃないぜ。祝い酒だ!」
「無事に祝言を挙げろってことだよ。言わせんな、馬鹿野郎。」
「そうそう! 一番たっかい酒で頼むなー!」
「っ!」
今度こそ、ユートは言葉を詰まらせる。
今日ほど、アカデミーに進学してよかったと思った日はない。窮地に陥ったときに、助けてくれる友がいる。アカデミーで得た人との縁を、これほどありがたいと思ったことはない。
「ほらほら。泣くにはまだ早すぎるぜ、友よ。見事問題を解決してからでも遅くないだろう。君には君の仕事があるのだぜ、屋敷に戻って準備をしたまえ。こちらで神官に関係しそうな資料を選別して順次届けるから、それを精査するんだ。」
「……わかった。」
まだ赤い頬を押さえ、ユートは立ち上がる。珍しく人でにぎわう地下書庫を後にしかけて、ふと気になった。
「そういえば、ワイズは? 酒は呑めないじゃないか。お前の報酬はどうするつもりだ?」
今回のことで、一番の功労者は間違いなくワイズだ。そのワイズに報酬なしというわけにもいかないだろう。
ユートが指摘すると、ワイズは少し照れたように頬を掻きながら視線をそらした。
照れる? 何に?
「……君、妹がいるだろう。」
「……いるけど、何だ。」
畜生。嫌な予感がする。どうか外れてくれ。
「紹介して欲しい。」
覚悟を決めたのか、ワイズはユートの目を見ながらきっぱりと言った。
嫌な予感が当たったユートは、こっそりとペーパーナイフを握り締めながら腹筋に力を込める。
「妹は三人いるんだが?」
すでに婚約者がいるマリエが論外なのは当然として、レンかリカか。どちらもとか、どちらでもとか言ったら、このペーパーナイフで刺してやる!
ユートの心配をよそに、ワイズの答えに迷いはなかった。
「研究塔の雪の女王といえばわかるか。」
「レンか。」
ほっとしたユートは、ペーパーナイフからそっと指を離した。
そういえば、レンの交友関係は聞いたことがない。リカは男女問わず友達が多いが、レンはどうなのだろう? 好きな男の一人もいるのだろうか?
「紹介するのは構わないが、そこから先の保証はしないぞ。恋人がいるようなそぶりはないが、いないとも言い切れない。」
「それでいい。紹介してもらえたら、あとは自分で何とかする。」
心底ほっとして肩の力を抜いたユートだったが……すぐにそれは間違いだったと気づかされる羽目になる。
「よかったなあ、ワイズ! 憧れの佳人にお近づきのチャンスだぜ!」
「おう、これで踏んでもらえるな!」
「わ、止せ、それ以上言うなっ!!」
「どうしたのさ? いつも言ってたじゃないか。氷のような冷たいまなざしで見下して欲しい、あのおみ足に踏んで貰いたいって!」
げらげらと笑う元同級生たち。ユートには、彼らの発言内容が信じられない。
踏む? 誰が? 誰を?
決まっている。レンがワイズを踏むのだ。少なくとも、ワイズはそれを望んでいるのだ。
「ワイズ?」
「カカカカーティス、笑顔が怖いっ、怖すぎるぜ、カーティスってば!」
「短い付き合いだったな。お前のことは忘れない。」
「うわっ、そのペーパーナイフで何するつもりだ、君はっ!? 振り回すな、危ないだろう!?」
ペーパーナイフ片手に逃げ惑うワイズを追いかけていたら、奴の上司に見つかって自分まで一緒に怒られた。絶対、今ここでワイズを何とかしたほうが世のため人のためになるのに。
やはり、世の中理不尽だ。




