コーネリアスとアカデミーと藁色の仔犬
思いついてしまった、番外編です。
あんまりほのぼのしていないかもしれませんので、ご注意ください。
それは歴代エレンダール帝国皇帝の生涯を、史実をベースに想像で味付けして書かれたシリーズだった。いや、あのハチャメチャっぷりは、むしろ妄想というべきか? 題材自体に目新しいものはないし、同じような本は掃いて捨てるほどある。もちろん、コーネリアスも読んだことがあった。そしてつくづく向いていないと思い知らされたものだった。なにしろ相手は小説。史実と違う! この時代にはまだ発明されていない! 書くなら時代考証くらいちゃんとやれ、責任者出て来い! など、細かいことが逐一気になってろくに読み進められなかったのだから。
だからこのシリーズに出会えたのは偶然だった。たまたま、内戦時代の歴史書を読み漁りすぎて頭が痛くなったところで、何も考えずに読める軽い読み物を探していた。そこで手に取ったのがこのシリーズの一冊目で――コーネリアスはすぐにこの偶然を泉の乙女に感謝することになった。
内容はまさに荒唐無稽で、恐ろしく魅力的だ。作者は確かな知見の上、一風変わった切り口で登場人物たちを生き生きと、それこそ見てきたのかと突っ込みを入れたくなるほど鮮やかに描き出していた。加えて細かい突込みを吹き飛ばす勢いのとんでもない展開が次から次へと繰り広げられ、コーネリアスもぐいぐい惹き込まれた。
図書館から借りてきては読み、また次を借りては寝食も忘れて読みふけって――最新刊まで追いついて我に返ったら、返却期限を過ぎた本が大量に積みあがっていた。十冊以上あるだろうか? 次を借りることしか頭になく、読み終わった本を返すことをすっかり失念していたせいだった。
「あちゃあ。これは拙いかなあ。」
ぼりぼり後頭部を掻いて嘆いてみても、本の山は減ってはくれない。うんうんうなって考えたところで、本に手足が生えて勝手に帰ってくれるわけではない。誰かに頼もうにも、ここはアカデミー。使用人はいるものの、一応自分のことは自分でやる建前になっている。
あきらめたコーネリアスは、おとなしく地道に返すことに決めた。地道に、つまり自分の両腕と両足で。
「それにしても、借りるときに一言指摘してくれればいいのに。」
教えてくれていれば、こんなに溜まる前に返しに行けたのに。
大量の本を両腕に抱えて図書館に向かいながら、コーネリアスは独りごちる。
皮装丁の本は厚くて重い。それが十冊以上にもなれば、腕がしびれるというものだ。おまけに道は今朝降った雨であちこちぬかるんでいたり、水溜りができていたりして歩きにくい。文句の一つも言いたくなっても、無理はないだろう。
返し忘れた自分のことも、借りるときに物言いたげだった司書のことも、すべて棚上げである。本は大好きだが、これだけ溜まると投げ出したくなるほど重い。
慎重に水溜りを避けつつ歩いていたら、ばしゃりと水音が聞こえた。誰かが水溜りを蹴立てたのだろうか。何とはなしにそちらに目を向けると、蹴立てるどころではなかった。
「すまないなァ、カーティス。小さくて見えなかったよ!」
わざとらしいほど朗らかな声音。さらさらの金髪を芝居がかった仕種で払った男子生徒が、ことさら大げさに天を仰いでいた。リチャード・イースデイル――容姿端麗、品行方正、文武両道と三拍子揃った侯爵家の嫡男で、今年の新入生代表だ。
イースデイルは謝罪の言葉を口にしてはいるが、大仰な態度と小馬鹿にしたような表情が思いっきり本音を物語っていた。ぞろぞろと引き連れた取り巻きたちも、「やだあ。」「リチャード様ったら。」とくすくす笑いさざめく。
何かと思えば、イースデイルの足元の地面……というより水溜りに、男子生徒が倒れていた。彼も今年の新入生だろうか。水気にも負けずあちこちはねた髪は藁色で、成長期前なのかずいぶん小柄だった。彼はのろのろと身を起こし、泥だらけになった自分の真新しい制服に絶望のまなざしを落とす。そして腕を伸ばして両手に持った本を胸元から遠ざけた。汚さないためだろう。どうやら本を水溜りから守ろうとして、自分自身が派手に突っ込んでしまったようだ。自分より本を守る。うん、その意気やよし。
「大丈夫かい、カーティス。」
「……イエ。オキニナサラズ、イースデイル様。」
ニヤニヤ笑うイースデイルに、小柄な少年――ジョージ・カーティスは完璧な棒読みで返した。水溜りを避け、地面に膝を付いて深く頭を下げながら。
カーティスの態度にも露骨に本心が透けて見えるが、無理もないだろう。状況から見て、イースデイルがわざと転ばせたのだろうから。
「そうかい? 本当にすまなかったね。……あァ、そうだ。」
嫌がらせが成功して満足したのだろうか。イースデイルは思いっきり晴れやかな笑顔で付け加える。
「その本だけど、ちゃんと図書館に返却するんだよ。公共の財産は大切にすることを忘れないように。珍しいからって、売ったりしてはいけないよ。」
とたんに、カーティスの肩がピクリと震えた。それでも頭を上げなかったのだから、なかなかの忍耐力だ。ただ怒ってはいるらしい。コーネリアスの位置からはカーティスの表情は見えないが、周囲の気温が三度は下がったように見えたから。
アカデミーの先輩として、これは介入したほうがよいのだろうか? コーネリアスはしばし迷った。問題は、下手に自分が首を突っ込むと余計こじれることが目に見えている点だった。それに、本を返しに行かなければならないのに、面倒ごとは遠慮したい。ぶっちゃけ、やりたくない。
踏み出せずにコーネリアスがうだうだ悩んでいる間に、救いの手は思いも寄らぬところから――イースデイルの取り巻きの一人から差し伸べられた。
「リチャード様、そんなことを仰るものではありませんわ。」
貴族の令嬢らしい、おっとりと上品な物言いで、彼女はイースデイルをたしなめる。
「彼が書物を見たことがあるのかどうかは存じませんが、本を持っているということは、読むつもりがあるのでしょう。勉強熱心なところは褒められてしかるべきですわ。平民の子で字が読めるなんて、とても凄いことですもの。」
そしてカーティスに向かって慈愛たっぷりに微笑んだのだ。
「努力はあなたを裏切らないでしょう。これからも頑張りなさいね。」
……最悪だ!
彼女はただ、純粋にカーティスを褒め、労っただけだ。普段彼女が行っている慈善活動と同じように、慈悲深く、恵み深く。ただ、それこそが何よりもカーティスを侮辱しているなど、彼女には思いもよらないだけで。
(さすがに潮時か。)
途中からピクリとも動かなくなったカーティスが爆発して何かしでかす前に、この場から連れ出さなくては。
カーティスが小脇に抱えた本に目を留める。彼も自分と同じく、図書館の本を持っている。ならば――
「やあやあ、こんなところにいたのか、カーティス。」
あえて大きめの声を出しながら、彼らに近づいた。
「これは殿下。」
コーネリアスに気づいたイースデイルが、胸に手を当てて一礼する。後ろの取り巻きたちも、彼に倣って次々に腰を落とした。
「いかがなさいましたか。まさか、カーティスが粗相でもいたしましたか?」
「いや、図書館に本を返さなければならないんだ。手伝ってもらおうと思って。つまらない雑用だけど……カーティスならいいだろう?」
常識的に考えれば、傍系とはいえ皇族の一人であるコーネリアスと、庶民のカーティスとの接点などあるはずもない。思いっきり不審な顔をしていたイースデイルだったが、コーネリアスの挙げた理由に「そういうことでしたら、確かに。」と納得したようだ。
アカデミーの生徒は基本的に貴族の子息、息女だ。とても雑用など頼めないが、カーティスは貴族でもなんでもない。分不相応にも貴族のコミュニティに紛れ込んだ、雑種の仔犬に過ぎないから。
無駄な波風を立てたくないから、わざとそう見えるように仕向けたけれど――まったく、胸糞悪い話である。
「だからカーティスはわたしが借りていくよ。悪いね。」
内心忸怩たる思いを抱えながらも、おくびにも出さずにコーネリアスは微笑む。
「いいえ。このような者でよろしければ、いくらでもどうぞ。……ほら立つんだ、カーティス。殿下のご希望だ。くれぐれも態度には気をつけろよ。」
イースデイルに促され、のろのろとカーティスが立ち上がる。その腕に持っていた本の半分を押し付け、コーネリアスは告げた。
「それでは失礼するよ、イースデイル。」
撤収は速やかに。優雅に一礼するイースデイルを尻目に、さっさとその場を後にする。憮然とした顔のカーティスを引き連れて。
充分に彼らから離れたころを見計らって、コーネリアスはちらと後ろを歩くカーティスを見やった。相変わらず、不機嫌極まりない顔をしている。
「……怒っているかい、カーティス。」
ああ、我ながら馬鹿なことを聞いている。そんなの、聞かなくっても明白なのに。カーティスがどう答えるのかも。
「いいえ。」
カーティスの短い返答は、コーネリアスの予想を裏切らなかった。
(そうだよなあ。そう答えるしか、ないよなあ。)
貴族であるイースデイルに庶民のカーティスが文句を言えるはずもない。たとえ彼が見ていなかったとしても。どこで誰が聞いているかわからないのだ。場違いにも貴人の社交場に紛れ込んでしまった雑種の仔犬が取れる自衛の策など、首を縮めて目立たずにいるくらいだろう。
……その点、カーティスは最初の一歩から失敗しているからもう遅いのだけど。
「それより、その本……、」
言い辛そうに口ごもるカーティスを、無言で促す。
「?」
「俺……僕に押し付け、じゃねぇ、僕が持たなくてもよろしいのですか?」
なんだか、凄いことになっている。コーネリアスは噴出さないようにするのが精一杯だった。たぶん、ここで笑ったらカーティスと友好的な関係を築くのは一生不可能だろう。
「いや、いいよ。」
でも、声が震えているくらいは勘弁してほしい。
「わたしが無理を頼んだんだ、気にしなくていい。それより、無理に雅語を使う必要はないよ。普通に話してくれ。いつもは、そんな言葉遣いはしないのだろう?」
「……でも、殿下は皇族だから特に注意しろって……つーか、絶対近づくなって……。」
どうやらカーティスは、高貴な人には特に近づかないように言い含められているらしい。先ほどからどんなに目を向けても、視線を合わせもしない。
やれやれ、アカデミー側からそんな気遣われ方をしていたとは。どうりで、自分の周りには生徒が近づかないはずだ。近寄ってくるのは自分の身分によほど自身がある高位貴族か、権力狙いでおべっかを使ってくるような奴か。その手の人間も、傍系皇族のコーネリアスに近づいても甘い汁にありつけないことを知って離れていく。何しろコーネリアスは、絶対的に政治と縁がない。
まあ、コーネリアスに友人と呼べる人間がいないのは、人のせいばかりでもないが。人付き合いが苦手なコーネリアスが積極的に交友関係を持とうとしないのも原因であるのはわかっている。
だからこそ、この降って湧いたようなチャンスを逃すつもりはなかった。
「気にしないでいい。壁を作られているようで、ちょっと寂しいんだが。」
「んなわけあるかっ、……そんなことございませんでしょう。殿下でしたらいくらでも舎弟、じゃねぇ、取り巻き……ご友人をお持ちでしょう。」
「いや、それがわたしは友人作りが上手くなくてね。カーティスが友達になってくれたら嬉しいんだが?」
「アホか!? ……ご冗談でしょう。ご自分の立場……高貴なご身分をお考えくださいませ。」
うん。ここまでくると、いっそ清々しい気すらする。
逐一言い直すのはわざとだろう。カーティスの顔は相変わらずふてくされていて、自分に構うなと全身で威嚇する仔犬のようだ。鼻先にしわを寄せ、小さな牙をむき出しにしてうなる藁色の仔犬。実に面白い。
とはいえ、どうしたらよいものか。カーティスの態度は頑なで、とても打ち解けてくれそうにない。
警戒心の強い仔犬を馴らすには、持久戦あるのみ。
図書館の貸し出しカウンターに大量の本を返してしまうと、これで用事は済んだといわんばかりにそそくさと帰ろうとするカーティスの腕をつかんだ。唖然とするカーティスと、本が返却されてほっとする表情から一転して驚愕に目を見開く司書を横目に、ラウンジに向かう。すわり心地のよいふかふかのソファに茫然自失のカーティスを座らせ、自分はその正面に座る。
さあ、ここからが正念場だ!
「少しおしゃべりに付き合ってもらえるかな、カーティス。」
「っざけんな! 何で俺が貴族野郎の相手なんかっ!」
カーティスが身を乗り出してコーネリアスを罵った。ようやくへたくそな雅語が取れて目を合わせてくれたと思えば……予想以上に口が悪い。
単語としては知ってはいても実際に聞いたのは――ましてや面と向かって罵られたのは初めてで、コーネリアスは苦笑する。
「貴族は嫌いかい?」
「好きなわけねーだろ! あいつら、何考えてんのかさっぱりわかんねーし。」
ここまで来たら、逃げ出すことも雅語もどきを使うことも、すっかり諦めたらしい。むすっとした顔で、ソファに深く掛けなおしている。皇族への無礼がばれたら懲罰ものだから、罰則を食らう覚悟を決めたのだろう。思ったとおり、なかなか根性は座っている。
もちろん、素で話すことを望んだのはコーネリアスのほうだから、懲罰など科すつもりは毛頭ない。
「カタスカーナ卿も?」
「……お屋形様は別だ。人の話、ちゃんと聞いてくれるし。」
なるほど。アカデミーにきて、話も聞いてもらえず、頭ごなしにあれこれ言われ続けたといったところか。おまけに周囲は高貴な生まれを鼻にかけ、カーティスを庶民だ無学だと上から目線で馬鹿にする愚かな貴族の子供ばかり。好きになれというほうが無理というものか。
「イースデイルもかい? あれは理由もなしに平民だからと見下すような男じゃない。」
「……。」
そう、コーネリアスにとって、イースデイルのあの態度は不思議でならなかった。確かに自身が『選ばれし者』であること――帝国の剣であることに強い自負を持ってはいるが、コーネリアスが知る限り、そうでないものを見下すような人間ではない。
「……イースデイルが一番わかんねぇ。」
ぶすっとしたまま、カーティスはぽつぽつと語り始める。彼とイースデイルの出会いを。
「最初は、普通に話しかけてきたんだ。平民で、入試を突破するなんてすげえって。将来はどうするつもりだとか、覚悟があるなら子供のいない騎士家を紹介するとか、わけのわかんねぇこと言ってくるから、ちゃんと“そんなことはございません。僕にはもったいないお言葉です”って頭下げたってのに、いきなり怒り出しやがった。」
「……それは怒ると思うよ。イースデイルは好意で申し出たのだろうから。」
「はぁ? 意味わかんねぇよ。それから何かと突っかかってくるようになるし、こっちは下手にでてんのに、クソな嫌がらせはどんどんエスカレートしやがるしで、もう勘弁してくれ。こっちはストレス溜まりまくりだっつの。」
平民が目障りなら、わざわざ突っかかったり構ったりしないでほっときゃいいのに。
顔をゆがめて吐き捨てるように言うカーティスに、コーネリアスはどうしたらよいものやらと、乾いた笑いがこぼれた。くだらない嫌がらせをするイースデイルが悪いのはもちろんなのだが、これは致命的に認識がずれている。
「えーっと……一つ確認しておきたいんだけど、カーティスはイースデイルが新入生代表を努めたことは知っている?」
「当たり前だろ? ご親切なセンセが、侯爵家のご嫡男だから態度に気をつけろ、極力近づくなって釘刺してくれたし。……まぁ、あっちから突っかかってくるんだから、意味なかったけどな。」
「うん、そう。知ってるんだ。じゃあ、入試の成績が一番良かったのが君だってことは知っているかい?」
「はぁ?」
見事な間抜け面だった。目も口もぽかんと開いて首をかしげる様子からは、とても学年首席の成績を収めたとは思えない。思えないけれど、カーティスがほぼ満点に近い成績で二位以下を大きく引き離していたのは、紛れもない事実なのだ。
「その様子じゃ、知らなかったみたいだね。入試の成績は基本的に非公開だけど、事務局に問い合わせれば教えてくれるよ。まあ、それはたいした問題じゃない。問題はね、イースデイルは次席だったんだよ。」
自尊心の強い男だ。それが血のにじむような努力の上に成り立っているのも知っている。だからこそ、自分が首席じゃなかったことが余計にショックだったに違いない。
「んなの知るかよっ! それが本当だったとしても、完っ璧な逆恨みじゃねーかっ!」
「うん。そうなんだけどね、でも君も悪いんだよ。」
「はぁ!? 結局てめえも貴族野郎ってか!」
「違うよ、違う。そういう意味じゃない。」
どうすれば伝わるだろう。コーネリアスは必死に考える。
生まれも育ちも違う。たぶん、考え方が根本的に違うのだ。そんな彼に、どう説明すれば伝わるだろう。
「拙かったのは、“自分はたいしたことがない”って謙遜したことだよ、カーティス。君がたいしたことないなら、イースデイル以下、新入生全員がたいしたことなくなってしまう。君はもっと、堂々とすべきだったんだ。」
「……。」
結局、伝えたいことの半分も伝えられなかった。自分のコミュニケーション能力の低さが恨めしくなる。視点の異なる相手と話をするのが、こんなに難しいことだとは思わなかった。
コーネリアスとカーティスとでは、ものの見方がまるで異なる。
……ということはつまり、カーティスといれば、違う切り口で世の中が見えるということでもある。
返してきたあの本のように。カーティスと一緒なら、世界の別の姿が見られるだろうか。その世界は今いる世界よりもっとハチャメチャで、楽しいものだろうか。
(……うん。それは面白そうだ。)
新しい世界への期待に、コーネリアスは口角を吊り上げる。
「まあ、君がいじめられるのは後ろ盾がないからっていうのもあるのだろうけどね……。」
「はぁ? 後ろ盾なら、カタスカーナ卿がいるし。」
「うん。でも卿だって、常に目を光らせているわけにはいかないだろう? それとも、いじめられてますって、いちいちカタスカーナ卿に泣きつくつもりかい、カーティス?」
わざと小馬鹿にするように挑発すると、予想通り、目の前の仔犬はあっさりと乗ってきた。
「んなわけねーだろっ!」
「だよね。それに君の将来のご主人様がアカデミーに入学するころには君は卒業しているから、カタスカーナ卿が君を守るにも限度があるんだよ。」
社交とはあまり縁はないが、国内の主だった貴族の系譜なら頭に叩き込まれている。カーティスとカタスカーナ家のご子息の年の差は七歳。彼が入学してくるころにはカーティスは学内にいない。つまり、役に立たない。
「そこで、だ。」
カーティスの様子を見つつ、本題を切り出す。反発は目に見えているから、慎重に。
「わたしのお気に入りになるつもりはないかい、カーティス?」
「……どーゆー意味だよ。」
案の定、全身の毛を逆立てる勢いで警戒するカーティスに、駄目だとわかっていても、笑みがこぼれそうになる。あまりにも想像通りで、あまりにもかわいらしくて。
「わたしとしては普通にお友達になりたいのだけどね。それだと周囲から浮くというか、目立ちすぎてしまう。お気に入りということにしていたほうが、小うるさい周りを納得させやすいんだ。」
「何をさせるつもりだ。」
「特に何も。君は君らしくあればいい。今みたいに歯に衣着せない物言いで、わたしと接してくれればそれだけで。」
「冗談だろっ、人前で今みたいに振舞えってか?」
不安になるのももっともだ。でも心配は要らない。高貴な身分の人間が、わざと無礼な発言をする側近を置いた前例など枚挙に暇がない。
「……道化になれってか。」
ああ、彼はわかっているのだ。自分の求められている立場が。
「頭のいい子は嫌いじゃないよ。……どうする? 仮にもわたしは皇族だ。皇族の持ち物にちょっかいをかけるような命知らずは、アカデミーにはいないよ? 君は君らしく、のびのびと過ごせばいい。」
そしてわたしに見たことのない世界を見せてくれ。
その後、傍系皇族の皇子が平民の子供をお気に入りとして連れまわす姿が、校内のあちこちで見られるようになった。
「コーネリアス! また図書館の本の返却サボっただろっ!」
「そりゃあねえ。うきうきと次の本を借りに行くときに、返す本のことなんか覚えてるわけないだろう。」
「アホか!? てめえがそんなんだから、最近じゃ俺のほうに図書館から督促がくるんだよっ!!」
「ああ、図書館側も馬鹿じゃないからね。カーティスなら返却を忘れることもないし、文句も言いやすいんだろう。」
「だーかーらぁっ! 借りたのはお前! 返すのもお前だっつーの! なんで俺が面倒見てやんなきゃならねーんだよっ!! つーか皮の本重すぎだろ、紙とか布で作りやがれ!」
「ああ、そうか。皮だから重いのか。でも、布や紙だと強度がなあ。」
「芯入れて補強すりゃいいだろ。って、図書館はそっちじゃねえ! 考え事したまま歩くな、危ねーだろボケッ!!」
平民の子供の無礼な物言いに、眉をひそめた教師、生徒は少なくなかった。だが、殿下は彼らの心配を笑って取り合わなかったという。いわく、
「背伸びして人を精一杯威嚇してくるあたり、きかん気の仔犬っぽくてかわいいだろう?」
だとか。
変わり者のコーネリアス殿下が『きゃんきゃん吠えるきかん坊の藁色の仔犬』を飼っていると知れ渡るのに、そう時間はかからなかった。
***
「久しぶりだねえ! 直接会うのは十年ぶりくらいかな?」
古い友人が主のお供で久方ぶりに上京したと聞きつけ、夕食を一緒にどうかと誘う。最初はもったいないお言葉ですとか、あいにく時間がございませんとか、面白くもない紋切り型の答えが返ってきたから、全部無視して繰り返し誘った。そうしたらだんだん、忙しい、そんな暇はねえ、仕事できてるんだ遊びじゃねぇぞコラと、かつての調子を取り戻していく。最後に「子供たちにやんちゃ時代のあれこれをばらすよ?」とささやいたら、渋々重い腰を上げてくれた。まったく、手間がかかる友人だ。
ちなみに、「夫人にばらすよ?」は使えない。カーティス夫人は、カーティスの若いころのあれこれをすべて知った上で、それでも愛してくれる猛者なのだ。
「八年ぶりだ。……老けたな、あんた。」
久しぶりに対面した友人はぴしっと撫で付けた藁色の髪に白いものが混じり始め、順調に年齢を重ねてはいたが、むすっとした顔は相変わらずだった。ああ、これだこれ。と、懐かしくなって、ついつい頬も緩んでしまう。
「それはお互い様だろう。あのころの仔犬くんが今やすっかりおじさんだ。」
「相変わらず無礼だぞ、カーティス!」
「……で、なんでイースデイル卿までいるんですか。」
「わたしが呼んだ。どうせなら、楽しいほうがいいだろう?」
「楽しくねぇよ……。」
頭を抱えるカーティスに、ついつい笑みがこぼれてしまう。アカデミーを卒業してからも多くの人間と接したが、カーティスほど露骨で素直な反応を返してくれる相手はいない。
「まあまあいいじゃないか。八年ぶり……なんだろう? お互い積もる話もあるだろう。」
そうそう、これだけは言っておかないと。
「君のご子息が入学してきたときは本当にびっくりしたよ! 君と同じ顔なのに、完璧に礼儀正しいんだから!」
数年前、平民ながら新入生代表を見事に努めたカーティスの息子は、外見だけなら――本人の素直な性格を反映したような真っ直ぐな髪質を除けば――あのころのカーティスに生き写しだった。中身はまるで違ったけれど。
いや、恐ろしく有能なところは父親譲り――それ以上で、成績優秀、品行方正、文武両道、質実剛健。周囲の生徒たちより二歳年下のハンデがあるにもかかわらず、あらゆる機会で生徒代表に選ばれ、どこの貴公子だと首を傾げたくなるほど立派に務め上げた彼に、『藁色の仔犬』の面影はなかった。
おかげで何かと目立つ彼を見るたびに、腹筋が痙攣するほど笑いをこらえる羽目になったのだ。
「ユート・カーティスか……。」
「倅がなにか?」
「あれもお前と同じだ。優秀なのは確かだが『選ばれし者』である自覚が足りない。」
眉をひそめたイースデイルが、火酒の注がれたショットグラスをぐいとあおる。仕事が忙しいのか、ストレスが溜まっているのか。いつになくグラスを空けるペースが速い。
酒が進むにつれ、話題は教育制度に移っていって――
「帝国アカデミーは『選ばれし者』の学び舎であるべきです。平民にも教育をという殿下の志はご立派ですが、彼らには決定的に自覚が足りません。アカデミーでいかに学ぼうと、その身を帝国と皇帝に捧げる覚悟のない者を量産するだけです。」
「……貴族だって、誰もがそれだけの覚悟を決めているわけではないだろう?」
立て続けにショットグラスをあおり、イースデイルはコーネリアスの反論を鼻で笑う。
たぶん、彼がここまでコーネリアスに本音を打ち明けるのも、酒が入っているからだろう。酒の席の無礼は不問。それはここにいる全員がわかっていることだから。
「もちろん。貴族だろうと血統と利権にしがみつくだけの愚か者は大勢います。ですが少なくとも我々は、幼いころから己に課された権利と義務を徹底的に仕込まれています。いざというときは命を惜しまず戦える。国と民を守って散ることができる。それが我々の誇りであり、ゆえに我々は貴人と呼ばれるのです。平民にそれを求めますか? 有事の際に彼らに死ねと求められますか? それは彼らのためになりえますか?」
口調の熱さとは裏腹に、空のグラスを音も立てずに置いたイースデイルが、充血した茶色の目をコーネリアスに向ける。
「教育の機会を平等に。理想は結構! ですがそれで本当に帝国を守る尖兵となれますか? ここにいるカーティスも、カーティスの息子も、アカデミーで最優秀の成績を修めましたが、結局は国元に帰りました。カーティスですら、そうなのです。彼らには絶対的に覚悟が足りない。そのための教育を受けていないのです。アカデミーの門戸をそんな彼らにも開いて、本当に帝国のためになりますか?」
――わたしにはそうは思えません。
静かに告げるイースデイルに、コーネリアスもカーティスも、返す言葉を持たなかった。
「……イースデイル卿がそんなこと考えていたとはね。」
激務で疲れているところに、度の強いアルコールを摂取したせいだろう。酔いつぶれてテーブルに突っ伏すイースデイルを横目に、コーネリアスはため息をついた。
すべての子供たちに教育を。その理念を誤っていると思ったことは一度もない。だがそれは、すべての子供たちを読み書きのできる便利な歩兵として戦場に駆り出す、駆り出すことができるという一面を持つ。守られる立場から、守る立場へ、覚悟もなしに強制的に。それは紛れもない事実で――
ちらりと隣を見やると、カーティスは不機嫌な顔でちびちびと酒を呑んでいた。
「なにが“そんなこと考えていたとはね”、だ。あんた、最初っから知ってただろ。」
……相変わらず頭の回転は速いようで。
気まずそうに横を向く友人に、コーネリアスは微笑んだ。
「わたしが言ったところで、信じやしないだろう? アカデミーでのあれこれはイースデイル卿に非があった。でも彼も彼なりの信念があるんだよ。」
貴族としての理念と矜持。それをすべて理解しろとは言わない。育ってきた環境が違いすぎるのだ。ただ、それで交友の選択肢を狭めてしまうのも、相手を色眼鏡で見るのも、もったいなさ過ぎると思っただけ。
だが、古い友人へのおせっかいもここまでだ。
いい加減、いい年なのだ。和解するにしても、わだかまりを残し続けるにしても、自分で選べばいい。酒でも酌み交わして、お互い腹を割って。
その後、二人が和解したかどうかをコーネリアスは知らない。知る必要のないことだ。
ただ、主についてカーティスが上京する回数が増えたこと、そのたびに設けられる宴席には必ずイースデイル卿の姿もあったことは、注目してもいいかもしれない。




