ユイと引きこもりの泉の乙女
作中いろいろ言っていますが、素人の裏庭集会の想像ですので……。
突っ込みどころ満載かとは思いますが、スルーしていただけますと嬉しいです。
まさか、あれは自分の見た夢か幻だったのだろうか。
「おはようございます、ユイ様。」
翌朝、食堂に入ったユイは、まったくいつもどおりの穏やかな笑顔で挨拶するユートを見て、自分の記憶が信じられなくなった。お酒は一滴も飲んでいないつもりだったけれど、実はどこかで摂取していたのだろうか。酔っ払っていたのか、寝ぼけていたのか。妄想が行過ぎて白昼夢を――夜だったけど――見てしまったのか。明日からどうやって顔を合わせようか悩みに悩んだあの時間はなんだったのか。
(……まさかね。)
だとしたら、ちょっと痛い。痛すぎる。
朝食にコーンスープとポテトサラダ、ポーチドエッグにハーブの効いたソーセージ、焼きたてのマフィンを取り分けつつ、ちょっと遠い目をしたくなったユイである。ちなみに飲み物は、グラスいっぱいの絞りたてオレンジジュース。
「おはようございます、お嬢様。」
「おはようございます、マリちゃん。」
今日も変わらず席を確保してくれるマリエに挨拶し、向かいの席に腰掛ける。「いただきます。」と両手を合わせ、ポテトサラダを一口。どんなにどん底の気分の朝だろうと、いつだってご飯がおいしいのが、ちょっぴり切ないけど……ありがたいことなのだろう。贅沢を言うなら、たまにはお豆腐のお味噌汁に白いご飯が食べたいけれど。食材を調達する都合だろうか、ここの食事は基本的にパン食なのだ。
「……。」
いつもと変わらず朝ごはんをもりもり食べるユイをじっと見ていたマリエが、はあっとため息をついて肩を落とした。
「マリちゃん?」
口の中のサラダを飲み込み、ユイは小首をかしげる。
「いえ。大丈夫そうだなあと思いまして。」
「あ、うん。」
夕べは心配をかけまくったはず。それが朝起きてみたら、いつもどおりにのんきにご飯を食べていれば……うん。自分なら、あれはなんだったんだと怒るかも。
反省したユイは、素直に頭を下げることにする。
「心配かけてごめんなさい。ありがとう。」
「いえ。いいんです。お嬢様が大丈夫なら、それで。」
疲れたような顔で、それでもマリエは笑ってくれるから――己の行状を省みて、ユイは猛省した。……のだが、同じようなことを、きっとまた繰り返すような気がする。自分がユートを諦めない限り。ユートに決定的に拒絶されない限り。
(どうにかしないとなあ……。)
とは思うものの、どうしたらよいのかわからない。言うことも言ってもらうことも許されない想いは、どうすればよいのだろう? ユートはまだダメだと言った。それなら、待っていれば良いのだろうか。その時が来るのを、静かに。
(……それしか、ないのかなあ。)
待つのは慣れている。大丈夫。たぶん、まだ待てる。
(でもいつまで待ち続けられるんだろう……?)
自分の気持ち的にも、社会的な意味でも。たぶん、あまり時間は残されていない。
いずれ決着をつけなければならないことはわかっていたが、ユイは頭を振ってぐるぐる廻る思考を追い出した。相手がいる以上、自分一人で考えてもどうにもならないのだ。どんなに思いつめたところで、答えは出ない。
それがマリエにも伝わったのだろう。ユイを見守る視線には痛ましい色があったが、彼女もあえてそれに触れようとはしなかった。
「それで? お城の舞踏会はいかがでしたか?」
「すごかったよ。どこもかしこも豪華だった。」
マリエが話題を変えてくれたことに内心感謝しながら、ユイは興奮気味に見てきたものを語る。空元気なのは筒抜けだろうが、黙っていてくれるのも、いつもどおり振舞ってくれるのもありがたい。
「それはそれは。思いのほか楽しまれたようで、結構でした。……正直、屋敷を出るときの顔色がひどかったものですから、心配しておりましたが。」
「うん。わたしもぜったい失敗するって思ってた。でもセイル宮に着いたら、なんか逆に落ち着いたんだよね。」
「? 開き直られたんですか?」
「んー、わたしもそう思ってたんだけど、たぶんちょっと違うかも……。あ、ねえねえ、レンちゃん!」
先に朝食を済ませたレンが、空いた食器を持って傍らを通り過ぎようとしていた。すかさず呼び止め、隣の椅子をぺしぺし叩く。
お行儀の悪いユイに、マリエが顔をしかめる。
「……お嬢様。」
「細かいことはいいっこなし! ね、まだ時間あるよね? ちょっといいかな?」
地を這うようなマリエの低音を軽く受け流し、レンを隣に座らせる。
ユイの傍若無人っぷりにマリエは重苦しいため息をつき、レンは苦笑した。それらの無言の訴えも全部見なかったことにして、ユイは身を乗り出す。
「訊きたいことがあるの。泉の乙女が守る土地ってどこまでかわかる?」
「泉の乙女……ですか?」
ユイは黙って首を縦に振った。
たとえばお山のヌシ様はロウシン山の精霊様だが、ロウシン山だけでなく、ラグロウズ全体を守って下さっている。それと同じように、泉の乙女も泉とその付近――本物の泉と、神殿があるセイル宮――だけではなく、もっと広く守ってくださっているのではないか。
口元に手をあてたレンが、眉根を寄せて考え込む。
「伝承ではとても小さく清らかな泉の精霊として記されています。泉の乙女の祝福を授かることが許されるのは、今でも皇族方だけですし……影響範囲が広いと考えるほうが不自然かと。」
「ええっと……じゃあ質問を変える。セイル宮じゃなくて、帝都の市街地は泉の乙女が守る土地に含まれる?」
「……確証はありませんが、含まれない可能性のほうが高いと思います。ラグロウズでも里ごとにヌシ様の祠がありますが、ここではそういった設備をまったく見ません。場所にもよりますが、セイル宮と市街地は馬車で三十分以上の距離があります。なんの触媒もなしに、力を伝達できるとは思えません。お嬢様の言葉をお借りするなら、泉の乙女とは“繋がっていない”のではないかと。」
やっぱり。確信を込めて、ユイはうなずいた。
「わたし、帝都に来てからずっと落ち着かないというか、安心できない感じがしてたんだけど、この間このお屋敷とラグロウズを繋げてからは、それがなくなったのね。てっきり、お山のヌシ様の気配がするからだって思ってたんだけど……それ、セイル宮でもおんなじだったんだ。」
もしかして、原因は別にあるのではないか。仕えるべき精霊様から離れたから不安になったのではなく、土地を守る精霊様がちゃんと祀られていないから、不安になったのではないか。祀られるべき土地の精霊様が、きちんと祀られている場所なら、不安に感じることなどないのではないか。この屋敷やセイル宮のように。
「えっと、なんだっけ。メアリがそれっぽいことを言ってたんだけど……。」
「“霊的に不安定になる”?」
「うん、それ!」
マリエの助け舟に、ユイは目を輝かせて飛びついた。
「だからね、この土地が霊的に不安定だから、四大精霊の神官も生まれないんじゃないかって思ったの。帝都だって、ちゃんと土地をお守りくださる精霊様がいるはずで、その精霊様をお祀りすれば、安定するんじゃないかな。なんならメアリに御魂鎮めをやってもらえば。」
お山のヌシ様や、泉の乙女といった土地を守る精霊様から祝福を授かった者は、その土地でならかなり強力な祝福を使うことができる。だが、そこから一歩でも離れると無力になるのだ、帝都に住むラグロウズ人のように。それなら分社なり祠なりを造って精霊様を祀ればよいのかといえば、そんなに簡単な話でもない。もともと精霊様と繋がっていない土地に分社を造っても、その神殿は神殿として機能しないし、新たに繋ぐことは非常に難しいからだ。この屋敷をラグロウズと繋げられたのは、ひとえにご神木級の桜のおかげであって、普通は遠隔地を繋ぐことなどできない。
一方、四大精霊に代表される事象の精霊様の場合は、授かる祝福はそれほど強くない代わりに、土地の制約を受けない。繋ぐ必要がないとも、世界中が繋がっているとも言える。神殿があって精霊様が祀られていれば、それこそ世界中どこでだって祝福の力を使うことができるのだ。そして四大精霊の神殿は、世界各国の主要な大都市はもちろん、ちょっと大きい町ならまず間違いなく存在する。
一般的に、都市部に住む人は土地の精霊様より、事象の精霊様を選ぶことが多い。都市間を移動する商人をはじめ、騎士や役人にも異動があるし、外から入ってくる人も出て行く人も多い。移り住む可能性がある人たちは、自分の子供には土地に縛られない精霊様の祝福を受けさせようとするだろう。偏りが出るのは仕方のないことだ。
だが土地の精霊様が祀られなくなることで、その土地は霊的に不安定になり、結果として事象の精霊様の神官も生まれなくなるのではないか。今の帝都のように。
普通なら、そうなってしまった土地を安定化させることは困難だろう。だが幸いなことに、今の帝都にはメアリがいる。自分が仕える精霊様とは別の精霊様の御魂鎮めさえ可能にする『鏡の聖女』が。彼女に帝都を安定化してもらえば、いずれ四大精霊の神官も生まれるのではないか。
ユイとしては、かなり核心に迫ったつもりだった。どう? と目を輝かせてマリエとレンの反応をうかがうが、二人の反応は芳しくなかった――どころか、素人の浅知恵を生ぬるく見守るような、仕方がないなあというような、そんな態度で。
「残念ですが、お嬢様。帝都にまつわる精霊様がいらっしゃって、かつてはきちんと祀られていたというなら、神殿なり何なりがあったはずです。神殿があったなら、昔の地図には載っているはずですが、古い文献や古地図を当たっても、それらしい記録はありません。それに四大精霊の最後の神官が生まれたのは六十九年前です。」
「六十九年前……。」
「そうです。その頃にはすでに、土地の精霊様が祀られていなかったことがはっきりしています。その時点でお嬢様の仮説は成立しません。」
「それにいくらメアリだって、元となる神殿も信者もいないのに御魂鎮めはできませんよ。肝心のご加護を映す元がいませんから。」
「……いい考えだと思ったのにぃぃ。」
畳み掛けるように否定されて、ユイはべしゃりとテーブルに突っ伏した。「ううう」といじけるユイの頭を、マリエが優しく撫でる。
「お気を落とさず、お嬢様。そんなこともありますよ。」
「そうですよ。それに、間違っているのは前提のほうかもしれませんよ。」
「……ユートさん。」
マリエの隣に腰を下ろしたユートが、ユイに向かってにっこり笑った。どんな顔をすればよいのかとユイが戸惑っている間に、視線をレンに移される。
真剣な兄の視線を受け、レンが背筋を伸ばした。
「ユイ様――神官様が感じたことに意味がないとは思えない。ユイ様が落ち着かないとおっしゃるなら、実際に帝都は不安定な状態なんだろう。」
「でも資料を調べた限りでは、七十年前と今と神殿の状況に大きな違いはないわよ? お嬢様にも言ったけど、その頃に土地の精霊様が祀られていた形跡はないわ。違いといえば人口が増えて市街地が広がったことくらいよ。それで不安定になったのだとしたら、打つ手はないわ。」
「諦めるのはまだ早いよ。今までは帝都の神殿関係に絞って調査してきたけど、視点を変えるべきかもしれない。七十年前までは安定していたと仮定して――安定させていた要因は何か? 今不安定なのはなぜか?」
「安定させられるもの……。」
レンが眉根を寄せてつぶやく。
ラグロウズやセイル宮が安定しているというのなら、ユイの言うとおり、土地の精霊を祀れば安定するのだろう。もしくはこの屋敷のように、どこかの安定した土地と繋ぐことができれば、やはり安定するのだろう。
どんなに過去に遡っても、帝都の市街地で土地の精霊を祀っていた形跡はない。なら、どこか別の安定した土地と繋がっていたのだろうか。一番可能性があるのは、一番近いところにある土地の精霊を祀る神殿――
「……市街地も泉の乙女と繋がっていた?」
「まだわからないよ。でも可能性はあると思う。規模が小さいからといって、影響範囲が狭いと決め付けるは早計じゃないかな。」
「でも、分社や祠の跡もないのよ? それでどうやって繋げていたの? どうして今は途切れてしまったの?」
顔をしかめて疑問をまくし立てるレンに、ユートは苦笑する。
「だから、まだわからないよ。調べてみなくちゃ。」
「何を? どうやって? 泉の乙女の神官の記録を見ればわかるかもしれないけど、簡単に閲覧できるような資料じゃないでしょう。」
「うーん……。」
泉の乙女の神殿は、皇族専用の神殿だ。泉本体も神殿もセイル宮の奥深くにあり、どんな高位貴族だろうと近づくことすら許されない。昔の記録とはいえ、その資料を一般人が入手することは難しいだろう。さすがのユートも腕を組んで考え込んだ。
難しい顔で考え込む兄妹を見て、マリエがおずおずと手を上げる。
「あの、さ。昔は泉の乙女の神官と皇帝は兼任だったってアルヴィン・アインズレイが言ってたけど……、」
「「それだ!」」
兄妹の両方から叫ばれ、マリエがびくっと震える。
「レンは歴代皇帝のリストを洗ってくれ。僕は過去の四大精霊の神官について調べ直す。」
「わかったわ。姉さん、アインズレイはほかに何か言ってなかった?」
「あとは苦労話くらいしか……。泉の乙女の神官は彼女の夫同然で一人しかいないから、皇帝と兼任だと忙しすぎて大変だ、みたいな。」
役に立たないんじゃないかと、マリエは上げた手を下ろしたが、ユートには引っかかるものがあったらしい。顎に手を当て、視線を伏せて考え込んだ。
「夫……そうだった。泉の乙女と神官は、特に結びつきが強いんだったね。……ユイ様。お聞きしても?」
「な、なあに?」
傍観者のような気分でユートとレンのやり取りを見ていたユイだったが、真剣なユートに見つめられ、慌てて姿勢を伸ばした。飲みかけのオレンジジュースを急いでテーブルに戻して、両手を膝の上に揃える。
「泉の乙女の神官が彼女の夫だったとして、妻は夫の『家』を守りますか?」
ぱちぱちと瞬いて、ユイは考えた。
人間なら、妻は家庭を守る。家族と家を。平民でもそうだろうし、貴族ならさらに、館の女主人が守るべき『家』には使用人やその家族の生活までが含まれる。
泉の乙女ならどうだろう? 彼女は伝承にはっきりとその姿が謳われる、数少ない精霊の一人だ。端麗な容姿のみならず、表情豊かに初代皇帝と愛を育む姿は、感情豊かで実に人間らしい。
……あまりに人間じみていて、伝承に謳われる彼女は精霊ではなく、かつてこの土地に住んでいた――もともと泉の精霊を祀っていた――一族の娘だとする学説があるほどだ。
そんな彼女なら、きっと――
「うん。守ると思う。」
「では、その夫が皇帝だとしたら、どこまでが『家』とみなされますか?」
……皇帝の家? 貴族の家ですら、使用人の生活まで含まれる。国の最高責任者たる皇帝ならなおのこと、家の解釈は広がるだろう。
「たぶんだけど、国全体が家として、国民が家族としてみなされる可能性はあると思う……。」
それって、もしかして?
期待に胸を高鳴らせるユイに、ユートはにっこり笑う。
「裏を取らないと断言はできませんが……。一歩も二歩も前進することができるかも知れませんよ、ユイ様。」
それからのユートとレンの動きはすさまじかった。歴代の皇帝が即位した年や在位期間や系図をリストアップし、四大精霊の神官が生まれた記録と付き合わせる。千年以上の歴史を誇るエレンダール帝国だけに、地道で大変な作業だったのは想像に難くない。空き部屋を一つ占拠して、二人は山と運ばれた資料と格闘する。
ユートやレンの目の下の隈が日に日に濃くなるのを、ただ見ているのは忍びなかったが、だからといって、ユイにできることはお茶を差し入れることと感謝することくらいで。
「えっと……あんまり、無茶しないでね?」
夜食用に梅干おにぎりと暖かいお茶を差し入れながら、ユイは彼らの顔色をうかがった。
大丈夫だろうか? 無理しすぎていないか?
だが二人とも、嬉しそうに梅干おにぎりをほおばりながら首を横に振る。
「大丈夫です。作業効率が落ちますから、最低限の睡眠はとってますよ。」
「おにぎり久しぶり! これでまた戦えます!」
「そ、そう? お米はリカちゃんが手に入れてきてくれたの。」
「あの子もたまにはましなことするわね!」
レンにとっては、本当に久しぶりのお米のご飯だったらしい。目を輝かせておにぎりにかぶりついている。
普段は食事なんて栄養が摂れればいい、みたいな態度のレンだけど、やはりご飯と梅干の組み合わせは格別らしい。それでモチベーションが上がるのだから、レンも紛れもないラグロウズ人だ。
「ほんとに、無茶はしちゃダメだからね?」
聞いていないかもしれないけれど……再び作業に戻ったユートたちの背中に声をかけ、部屋を後にするユイだった。
そんな日が十日も続いただろうか。午後になって急に天気が悪くなってきた休日のお昼過ぎ、ユイとマリエは疲れた様子のユートに呼び出された。
「当たりを引いたかも知れませんよ、ユイ様。」
ユートもレンも、目の下にはくっきり隈を作っていたが、達成感のためか、目はらんらんと輝いている。
「歴代皇帝の即位状況と各神殿の神官誕生には関連性が見られます。」
「詳細は省きますが……初代から三代目までは崩御されてから次が即位するまで、十年の服喪期間がおかれています。この間、四大精霊の神官は生まれてない。」
「十年……長いね。」
今の感覚だと、十年の喪は恐ろしく長い。当時はどれだけ皇帝を偲んだのだろう。
だが問題はそこではないのだと、首を横に振るレンはテーブルの上の年表を指差した。
「後継者は揃ってまだ十代の皇子、最年少は十一です。初代皇帝が即位したのが十九のときだから幼いのは不思議じゃないかも知れませんが、成人した直系皇族が何人もいるのに、傍系皇族を養子にしてまで即位させているケースもあります。明らかに不自然です。」
「十年あれば、先帝が――泉の乙女の先の神官が失われてから、次の神官が誕生するまで充分時間がある、ということでしょう。」
「ええ。ですが十年間の空位を放置できない事態が発生しました。隣国との戦争です。」
年表の隣に、レンが古地図を広げる。指し示した国は、とっくの昔に滅んで今は存在していない。
「帝位を空にはできません。これ以降、在位期間が十数年と比較的短い皇帝と、三十年以上の在位を誇る皇帝が代わる代わる即位するようになります。在位期間が短いほうの皇帝は、その多くが譲位という形で後継者――十代前半はさすがにいませんが、二十歳前後の若者に交代しています。」
「もちろん、例外もあります。内乱の時代は、皇帝の入れ替わりも激しい。」
「どちらにしても言えるのは、在位期間が長い皇帝の時代は四大精霊の神官が生まれていますが、短い皇帝の時代は生まれていません。」
「在位期間が短いほうの皇帝はあくまでもつなぎで、本命……代替わりした神官が成人したら交代していたと考えられます。つなぎの皇帝と、神官を兼任する皇帝とを交互に即位させることで、不安定な状況が三十年以上継続しないようにしていたんです。三十年程度でしたら、新しい神官が生まれなくても、それほど影響がなかったようですから。でも今は?」
ユートの視線がまっすぐにユイを射る。ユイはマリエと顔を見合わせ、ごくりとつばを飲み込んだ。
そう、問題はその次だ。七十年前までは上手く言っていたとして――今、それが破綻してしまったのはなぜか?
「六十九年前、火の精霊神殿に最後の神官が生まれてから、今日まで四大精霊の神殿には神官が生まれていません。どうしてだと思われますか、ユイ様?」
今の今まで説明してもらっていたのに、急に問いを投げかけられてユイは面食らった。第一、それがわからないから、調べてもらっていたのに。
「わかんないよ。」
「もったいぶらないで教えてよ、兄さん。」
ふるふると首を横に振るユイや不満で頬を膨らませるマリエに、ユートは辛抱強く続ける。
「約六十年前です。ユイ様もよくご存知のことですよ。皇帝の継承権以外にも、いろいろ新しくなりました。」
六十年前に新しくなったこと……?
ユイは首をひねった。だいたい、帝都や皇帝とラグロウズとは、普段はあまり関わりがない。関わるとしたら貿易や共通のルール、つまり、法律関連くらいしか――
「……共通法?」
「その通りです。」
できの悪い生徒がようやく正解に辿り着いたように、ユートが晴れやかに笑う。
「六十五年前にエレンダール憲章が発布され、現在に続く各種法律が整備されました。共通法もその一つですし、帝位継承権や継承順位を明記する典範もそうです。」
今までは不文律、暗黙の了解で行われてきたことを、すべて明文化する。国政や権力の行使はすべて法に従う。最高権力者たる皇帝とて例外ではない。それは近代国家としては当然のことなのだけれども――
「また政教分離が求められ、政治と神殿は相互に不干渉であることが規定されました。現在の法律上、神官は帝位を継ぐことができません。」
「それじゃあ……、」
「はい。今のままでは、現状を打破できません。それどころか、帝都の不安定化は、ほかの都市にも伝播する可能性があります。」
泉の乙女の夫である神官が皇帝を兼ねることで、帝国全土が夫の『家』とみなされ、泉の乙女に守られていたのだとしたら。
夫が皇帝でなければ、彼女が守るべきはせいぜいでセイル宮に限られる。庇護からはずされた町は、帝都と同様、不安定化が進むだろう。もし、その土地を守る神殿を祀っていなければ。祀り続けていなければ。
「ど、どうすれば……?」
原因はわかっても対策がわからない。
頭を抱えるユイの背後で、稲妻が光り、雷鳴がとどろいた。
皇帝と神官が分離してしまったがために問題があるなら、再び兼任してもらうことは可能だろうか?
「……現実的ではありません。これはまだ仮説――過去の記録からそうだろうと推察しているに過ぎません。本当に兼任すれば問題解消になるのか、誰にも保証はできません。それで今上帝に退位を迫るわけには……。」
それはそうだろう。ユイだって、そんなこと本当に可能だとは思っていない。今の皇帝はそのままで次の代で何とかするとしても、今の皇太子を廃することになる。どちらにしても典範の改正が必要で、政教分離の原則に真っ向から逆らうことになる。現実的だとはとても思えなかった。
「じゃあどうするんです? 手をこまねいていたら、被害は拡大する一方ですよ。」
眉根を寄せるマリエのいうことはもっともだ。でも。
「……ほかの町で同じような現象が発生しているとは聞いたことがないわ。ここまで深刻なのは今のところ、帝都だけでしょう。きちんと調査したわけじゃないから正確なことは言えないけれど、ほかの町ではちゃんと、土地の精霊様も祀っているんじゃないかしら。」
「事象の精霊様へ偏りがちになるのはどこも同じだろうから、注意喚起は必要だろうが……起こっていないことを心配するほど、こちら側に余裕がないのも確かだね。」
となると、当面の問題は帝都の現状をどうするか、に絞られる。
千年前に初代皇帝が都を置いてから、変わらず首都であり続ける帝都。おそらく最初から土地の守りは泉の乙女にゆだねられていたのだろう。都市化が進むのもどこよりも早かった。それが仇となっている。
「帝都をセイル宮と繋げられればいいんだけど……。」
果たして可能だろうか? ラグロウズとこの屋敷を繋いだようなことが? ラズロウズより距離は近いとはいえ、この屋敷と帝都では、規模が違いすぎるのに。
思い悩むユイに、困ったようにユートが笑う。
「ここで煮詰まっていても仕方がありません。調査結果を持って、一度、報告いたしましょう。どうするべきかは、おそらく我々だけでは結論が出ません。……失礼。」
ドアがノックされ、振り返ってみればお仕着せ姿の侍従が頭を下げていた。席を立ったユートが二言三言言葉を交わし、「わかった。」とうなずいて返す。
外は荒れているようだし、何か問題でも起きたのだろうか。
首をかしげて様子を伺うユイに、ユートは慇懃に頭を下げた。
「メアリ・フェイバーがおいでです、ユイ様。」
こんな大雨の中を?
目を丸くするユイの背後で、やはり雷鳴が鳴り響いた。




