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精霊の祝福  作者: 裏庭集会
第三幕
19/34

ユイと桜と真昼の幻

 雲一つない抜けるような青い空が、どこまでも高く続く休日だった。

 目元に紅を差し、髪を結い、伝統的な舞装束を身にまとったユイは、カタスカーナ邸の庭園の片隅に膝を突いた。手にした縞模様の赤い石を三十センチほどの穴に落とし込む。ユイが腕を動かすたび、両の手首に結わえた小さな鈴がりんと鳴った。

「お願いします。」

 りん。鈴の音と共に立ち上がり、控える侍従に穴を埋め戻すようにお願いする。ユイと同様伝統衣装に身を包んだ彼らは首肯して応えると、手にした鋤を振るう。綺麗に元に戻されたあとには鈴を結んだ榊の枝を挿し、お神酒を注ぐ。

 埋めたのは、ラグロウズ産の瑪瑙の玉飾りだ。元はユイのかんざしだった。ここ以外にも三箇所で計四箇所、屋敷の四隅に同じように瑪瑙を埋めてある。

 できばえを確認すると、ユイは満足そうにうなずいた。

「これでよし。あとは……。」

 きびすを返し、前庭の枝垂桜に向かう。立派な古木の前には、簡素ながらも三角屋根を持つ、真新しい祠が設置されていた。風に揺れる枝が落とす影と、青葉をぬって届く木漏れ日が、ちろちろと祠を彩る。注連縄がかけられた両開きの扉の奥には、ユイ――お山のヌシ様の神官の手によるお札が、すでに納められている。

「こっちも大丈夫、と。本当に準備は万端だね。」

 ラグロウズとこの屋敷をつなぐ要である祠も、儀式で使うそのほかの道具も、すべてラグロウズの物を使う必要がある。当然準備には時間がかかるだろうと思いきや、承認が下りた次の休みにはすべてが揃っていた。ユートの承認が下りる前から、祠や榊は発注済だったのだ。ユートが承認しなかったときはどうするつもりだったのかと問えば、笑顔のリカは胸を張って「ポケットマネーで!」と答えた。どうも、実験と称して祠をつくり、その実績を持って再度承認を迫るつもりだったらしい。その根性には頭が下がるものがある。

 頭が下がるといえば――

「……なぜメアリまでいるのですか。」

 祠を取り囲むのは、この屋敷で暮らす子供たちと使用人だ。だがその中に、アカデミーの制服姿のメアリが交じっていた。ラグロウズ人ばかりの中、金髪で背も高く、目を見張るほどの美貌を誇る彼女の存在はひどく浮きそうなもの――だというのに、なぜかしっくり馴染んでいる。

「いいじゃない、別に。減るもんじゃなし。」

 にっこり笑うメアリは、あのお茶会の日から足繁くこの屋敷を訪れていたから、その成果かも知れない。

 どうもアカデミーと神殿とを往復する彼女の日課に、カタスカーナ邸の訪問が組み込まれたらしかった。毎日ほんの数分でも顔を出し、在宅の友人――ユイかメアリ、おそらくこれが本命だと思われるエマ――と一言二言、言葉を交わす。双方に時間があればお茶に招くこともあるが、ほとんどは邪魔にならない程度に去っていく。

 メアリの存在を鬱陶しがる素振りのエマは渋い顔をするものの、挨拶程度で帰っていく以上、来るなとも言えないらしい。エマの限界を見極める観察眼と、そのまめまめしさには、本当に頭が下がる。

 まあ、なんだかんだ文句を言いつつ、エマも律儀に相手をしているところを見ると、第三者があれこれ口を差し挟むべき事柄ではないのだろう。今もメアリと微妙に距離を置きつつも、この場にはちゃんと顔を出しているエマだから。

「ただの見学よ。邪魔するつもりはないから安心して。……よその神殿の神事って見たことないのよ、気になるじゃない。」

 そう言われてしまうと、ユイは口を噤まざるを得ない。その気持ちはわからないでもないからだ。

 今度、メアリの祈りも見学させてもらおう。内心そう決意したユイはそれ以上メアリのことを気にするのは止め、祠に向き合った。ちらりと傍らのユートを見やる。

 やはり袖と裾が幅広い伝統装束姿のユートが、横笛を構えて微笑み返す。こちらも準備は万全、と。

「では――はじめます。」

 祠に向かって深々と頭を下げたユイが、ぱんと手を叩く。両手を打ち合わせる音が青い空に高く響いた。その音を合図にユートが笛を奏ではじめ、舞扇を手にしたユイが足を踏み出す。

 ふわり、ふわり。りん、りん。

 ユイが軽やかに舞うたび、手首の鈴が可憐に鳴る。

 くるり、くるり。りん、りん。

 ユイが優雅に回るたび、長い黒髪や長い袖が、かすかに遅れてあとを追う。

 普段の子供っぽい態度や表情を捨て去り、神妙な、神々しいとすらいえる面持ちで、ユイは舞う。

 ふわり、ふわり。りん、りん。

 くるり、くるり。りん、りん。

 はじめは小さかったはずの鈴の音が、いつしか幾重にも重なる。屋敷の四隅に捧げた榊の鈴が、風もないのにその身を震わせていた。ユイの舞に合わせて。

「うそ、で、しょう……!?」

 青い目を限界まで見開いたメアリが、信じられないと開いた口を両手で覆う。

 ユイの向こう、枝垂桜のその先に、三角屋根の木造の神殿が姿を現していた。いつも見ている庭園に二重写しになるように、姿を現す半透明の神殿――ラグロウズにある、お山のヌシ様の神殿だ。四大精霊の神殿に比べれば派手さはないものの、威風堂々としたその神殿の前には、神官の正装をまとったナギ様がたたずむ。彼は穏やかに微笑み、手にした笛を口元に運ぶ。

 ふわり、ふわり。りん、りん。

 くるり、くるり。りん、りん。

 ナギ様とユート、二人の奏でる笛に合わせ、ユイが舞う。

 そして青々としていたはずの枝垂桜は、急速に花芽を膨らませ、見る間に満開に咲き誇る。目の前に広がる、薄紅色の花、花、花――

 ふわり、ふわり。りん、りん。

 くるり、くるり。りん、りん。

 狂い咲いた夏の枝垂桜がひらひらと花弁を降り注ぐ中、舞い続けるユイの艶姿を、誰もが瞬きも忘れて魅入っていた。


 ユイが足を止めても。笛の音が止んでも。誰もその場を動けなかった。

 神殿の幻も、桜の幻も消え、何事もなかったかのように青葉を茂らせる枝垂桜と沈黙を守る祠に、ユイは深々と頭を下げる。ゆっくりと頭を上げてその赤い目を瞬かせると、

「マリちゃん!」

 くるりと振り返って、いつもの屈託のない笑顔でマリエを呼んだ。

 それで何がしかの呪縛が解けたようだった。固唾を呑んで見守っていたギャラリーが、全身の力を抜く。

 ひらひらした袖を風に膨らませ、ユイはマリエに駆け寄った。

「わかるっ?」

 いつもなら、なにがと言われるだろう。だがマリエは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔でぱちくりと瞬くと、何も言わずつっとその視線を空に向ける。

 夏の空はやはり、雲一つない見事な青空だったけれど――

「……夕方、通り雨が……夕立がきます。」

 つぶやいた本人も信じられないのだろう。マリエの目は大きく丸く見開かれ、声は小さく震えていた。

「だって! みんな、雨が降るから、買出しとお洗濯物には気をつけてね!」

 マリエ自身が信じられずにいるというのに、ユイは疑いもしない。したり顔で注意を促すと、腰に手をあててにっこり笑う。

 だって、疑う余地なんかない。ユイの知る限り、マリエの天気予報が一番当たるんだから。

 止まっていた時間が動き出したように、使用人たちがばたばたと散り始める。あるものは着替えに。あるものは儀式の片付けに。

 そんな中、ぱちぱちと拍手の音が響いた。

「すばらしい。」

 使用人たちがさあっと左右に割れる。彼らが道を開けることを、露ほども疑問に思わないのだろう。それがごくごく自然なことのように、堂々とその中央を通って現れたのは、満面の笑顔で手を叩くクィンシーで。

「お見事です、ユーフィーミア。この世のものとは思えぬほど、実に幻想的で美しい光景でした。その衣装もエキゾチックで本当に美しい。よくお似合いです。さすがとしか申し上げられませんね。今日、あなたの舞姿をこの目に焼き付けられたことを、精霊様に感謝いたしましょう。」

「お、恐れ入ります、クィンス。」

 興奮気味に白い頬を上気させ、熱の篭った眼差しで見つめるクィンシーの言葉に、おそらく嘘はないのだろう。だが連ねられる褒め言葉はどうにも居心地が悪く、視線を合わせられないユイはもじもじと身じろいだ。

「あ、あの、クィンス? どうかなさいましたか……?」

 これまで、クィンシーがカタスカーナ邸を訪れたことはない。何か緊急事態でも発生したかとユイが小首を傾げれば、クィンシーは「そうでした。」と手を打った。

「今日はこちらをお届けに伺いました。」

 控えていたラチェスター家の侍従がすかさず一歩踏み出し、両手にささげ持った銀盆を差し出す。それを銀盆ごとマリエが受け取り、恭しくユイに差し出した。

 銀盆の上には、透かし模様の入った涼しげな薄青の封筒。宛先には流麗な筆跡でレディ・ユーフィーミア・フィーリア・カタスカーナ――ユイのフルネームが記されている。

 手に取ったユイは、恐る恐る封筒を裏返した。差出人の名前はなかったが、赤い封蝋に捺された、王冠を頂く右向きの狼がその存在を主張する。

「これっ……!」

 王冠を頂く右向きの狼――狼はエレンダール帝国、および、皇室のシンボルだ。右向きなら直系、左向きなら傍系。デザインに多少のバリエーションはあるものの、王冠を頂く狼の紋章を使用できるのは、通常は皇帝、皇后のみ。

 うろたえるユイに、クィンシーは優雅に微笑む。

「いくらご招待申し上げても、手強いお目付け役に弾かれてしまいますので。今回わたしが直接お届けする運びとなりました。」

 畏れわななくユイに、はしばみ色の目をすっと細めたクィンシーが決定的な一言を告げる。ユイが心底恐れていた、その一言を。

「皇帝陛下主催の宮廷舞踏会の招待状になります。もちろん、お出でいただけますよね?」

 招待状を手にしたまま、ユイは凍りついたように動けなかった。


「信じらんないぃぃぃぃ……。」

 楽な格好に着替え、化粧も落としたユイは、談話室のソファの上でクッションに抱きつきながらくだを巻く。マリエやメアリに呆れたような冷たい視線を投げつけられても、お構いなしに。

 メアリはラグロウズ語は一言もわからないはずだが、それでもユイのダメっぷりに、だいたいの内容は伝わっているようだ。もっとも、ユイも碌なことを言っていないのだが。

 埒もない泣き言を繰り返すユイは、ローテーブルに置かれた招待状を親の仇と言わんばかりの恨みがましい目で睨みつけ、抱きついたクッションにぎゅうっと顔を埋める。

「なんでなんでなんでなのよぅ。もうやだぁ。」

 幸いだったのは、お疲れでしょうからと、クィンシーが早々に引き返してくれたことくらいだろう。この上クィンシーの相手までさせられたら、ユイの精神は確実に擦り切れてなくなってしまう。

「きゅうていぶとうかいなんて、なくなってしまえぇぇ……。ねえ、断っちゃダメ? ダメなの?」

 ぶつぶつ恨み言を繰り返すユイに、マリエは大きくため息をついて肩を落とす。

「お嬢様……。」

 注意してもムダだと諦めているのか、はたまた悟っているのか。(メアリ)がいるにも関わらずぐだぐだとラグロウズ語を使い続けるユイには何も言わず、マリエは流暢なエレンダール語でたしなめる。

「観念して覚悟を決めてください、お嬢様。“どうしてもお断りできない筋以外の招待状は、すべて丁重にお断りします”とは申し上げましたが、皇帝陛下からの招待状はどこからどう考えても、“どうしてもお断りできない筋”です。」

 ……たしなめる? 脅しつけるの間違いじゃないか、これは?

「ですよね、兄さん?」

「さすがにお断りは難しいでしょうね。」

 どんなときでもユートの名前には敏感に反応するユイが、埋まっていたクッションから顔を上げ、しゃっきりと背筋を伸ばす。

「ユ、ユートさん……。」

 みっともないところを思いっきり見られた。恥ずかしい。穴があったら入りたい。

 ユイは羞恥に頬を赤く染め、目を涙で潤ませる。完全に自業自得なのだが、ただでさえへこんでいたユイにはショックが大きすぎた。

 いつもの仕事着に着替えたユートは、いつもどおり微笑みながら、娘たちの前にティーカップを置く。

「レモンバームのお茶です。すっきりしますよ。」

「ユートさぁん……。」

 いつもとまったく変わらないユートの態度に、安心が半分と、複雑な思いが半分だ。ひょっとして、ユイはいつもこんなだと思われているのだろうか。そんなことはないのに。たまたま、今日が最悪に弱っていただけなのに。

「大丈夫ですよ、ユイ様。何があろうと、我々はおそばにおりますから。」

「それって、ユーフィーミアがなにかやらかす前提よね……。」

「一言多いですよ、メアリ。大丈夫です、何があってもお嬢様はお嬢様ですから。」

 鼻で笑うメアリをたしなめるマリエだが、そのマリエからしてユイが何かやらかすと思っている。ひどい。

 再びクッションとお友達になりたい衝動に駆られたユイだが、この世の苦悩をすべて吐き出すつもりでため息をつき、なんとか誘惑に耐える。

 ユイにしても、選択肢などないことはわかってはいるのだ。理性では。

「でも自信ないもん。とんでもない無作法をやらかしたらしたらどうするのよう。」

「お嬢様……。」

 呆れたようにマリエがため息をつく。

「とんでもない無作法って、たとえば?」

「……緊張で右手右足を一緒に出しちゃうとか。ダンスの相手の足を踏むとか。」

「ご安心ください。フォーマルなドレスは足元まで隠しますから、手足の左右が一緒でもぱっと見ただけではわかりません。ダンスにしたって、どうせ踊るのはお屋形さまだけです。安心して足を踏んでおやりなさい。」

 いや、手足でわからなくても、全体的な体の向きとかでわかるだろう。それに、いくらマリエがユイ付の侍女だとしても、主家の当主の足を踏めとはいかがなものか?

 そうは思ったものの、ユートまでその通りとうなずくものだから、そういうものなのかな、とも思ってしまう。

「……食べ物とか飲み物とかこぼしたり。」

「お嬢様は舞踏会で飲食するつもりですか? 結構図太いですね。飲み物くらいはあるでしょうが、グラスなんて手に持ってるだけでいいんです。あ、言っておきますが未成年ですからね? お酒のグラスは勧められても断ってくださいね。ジュースっぽいアルコールなんていくらでもありますから、ノンアルコールであることがはっきりしていない限りはぜったいに口にしないように。」

 もちろん、お酒など近づくつもりもない。

「……慣れないヒールで転ぶとか。」

「なんのためのエスコートだと思ってるんですか。お嬢様が多少躓いても、お屋形様がフォローしてくださいますよ。それくらいできなきゃ、エスコートの意味なんかありゃしません。いくらお嬢様でも、ただ立っているときに躓いたりしないでしょう? だいたい、」

 マリエの人差し指が、ユイの眉間にぴっと突きつけられる。思わず目で追ってしまったユイの赤い目が、中央に寄った。

「お嬢様はマナーレッスンもダンスレッスンも完璧にこなしてらしたじゃないですか。自信持ってください。」

「そうだけど……。」

「ほかに何が心配なんです? 宮廷舞踏会なんて仰々しい名前が付いていますけど、やることはおんなじです。お屋形様にくっついて皇帝陛下に一礼して、一曲踊ればそれでお終いです。あとは明日の授業に差し障るからとお断りして帰ってらっしゃい。学生の特権です。」

「……。」

 すっぱりきっぱり断言されると、なんだかたいしたことがないような気がしてくる。でも、本当に大丈夫なのか? それでいいのか? マリエの口車に乗せられてないか?

 うじうじと悩みだすユイを放置して、マリエはユートと当日の準備の相談を始めた。

「開催日は……三日後!? ありえない、時間がなさ過ぎるわ。管理体制はどうなってるの? こっちにも準備があるってことぐらい、わかってるでしょうに。もう、あの坊ちゃんもなんでもっと早く持ってこないのよ、使えないっ!」

 頭をかきむしりそうな勢いのマリエに、ユートが苦笑する。

「逃げ口上を作らせないため、かな。うちだって、さすがに皇帝陛下の直筆サイン入りの招待状はそうそう無視できないのにね。……ドレスはあるの? ユイ様はデビュタントになるから、白だよ?」

「こんなこともあろうかと、一式用意してある。」

「どうせこんなシーズン外れのデビュタントなんてユイ様だけだ。デザインとか装飾品とか、ほかのご令嬢のことを気にしないでも大丈夫なのが救いだね。」

「どのみち、デザイン被りとか心配しないでいいと思うわ。どうせ、基本のデザインそのままの野暮ったいくらい超シンプルなドレスだから。」

 忌々しげに告げるマリエに、ユートは不思議そうに首をかしげた。

「……どうしてまた、そんなデザイン選んだの。」

「……時間がなかったのよ。余裕があるなら、いくらでもお嬢様にふさわしいドレスをデザインさせたわ。」

「ああ。急だったからね。」

 いろいろと不穏な単語が聞こえて顔を上げれば、マリエの顔がいつかの二週間を髣髴とさせる険しい顔になっていた。眉間に深くしわを刻み、ぎりぎりと磨り減りそうなほど奥歯を噛み締めるマリエに、

「マリちゃん、マリちゃん、」

 砂糖を一つ入れたレモンバームのお茶を、そっと差し出す。

 レモンバームのお茶はストレスを緩和する効果がある。気休めでも何でもいいから、マリエの気苦労が減ると良いのだが。

 マリエの苦労の九割はユイ由来であることにはとりあえず目をつぶり、ユイもティーカップを手に取った。

(あ、おいし……。)

 少し冷めてはいたが、ユートが淹れてくれるお茶はいつだっておいしい。優しい味がする、ような気がするのだ。

 それに気づいたユートが「申し訳ありません」と急いでお茶を淹れ直す。ユイは笑って新しいお茶を口に含んだ。うん、やっぱりおいしい。

 マリエも目の前に差し出されたカップをまじまじと眺め、なんだかいろいろ諦めた顔でため息をついて、口元に運んだ。一口飲んで、ソーサーに戻す。

「お見苦しいところをお見せして、申し訳ございません。」

「いいの。いつもありがとう。……落ち着いた?」

「ええ。おかげさまで。お嬢様も、すっかり落ち着かれたようですね。」

 じっと顔色を伺うマリエに、ユイは眉を八の字に下げて笑う。

「うん、まあ。諦めた、かな?」

「そうではなくて……帝都に来てからずっと、気を張っていらしたでしょう。」

 そっちか。

 帝都に来てからというもの、ぐるぐるするような、そわそわするようなヘンな感覚がずっと続いていたのだが、今は、すっかりなくなっている。ユイ自身もほとんど諦めていたのだけれど、マリエはずっと気にしてくれていたらしい。

「たぶん、このお屋敷がお山と霊的につながったから、かな? ヌシ様の気配が感じられるから、安心してられるんだと思う。」

「ああ、そういうことですか。精霊様と神官とのつながりは強力らしいですからね。泉の乙女(シェリエール)とその神官は特に強くて、神官は彼女の夫同然だそうですよ。」

「へえ、そうなんだ。確かに叙事詩だと初代皇帝と泉の乙女(シェリエール)が結婚してるもんね。」

 うちとはずいぶん違うなあと、感心したユイが微笑む。

「詳しいね、マリちゃん。」

 褒めたつもりだったが、マリエに思いっきり顔をしかめられた。どうやら、嫌な記憶に引っかかったらしい。

「アルヴィン・アインズレイが自慢げに語ってくれました。あの男、帝都(シェリエール)について調べてくれってお願いしたのに泉の乙女(シェリエール)について調べてきたんです。だから神官は常に一人しかいないんだとか、昔は皇帝が神官を兼ねていたから、ずいぶん多忙で問題も多かったとか、そんなことばっかり。」

 知りたいのは現在の帝都のことであって、過去のことじゃないのに。苦々しくつぶやくマリエに、ユイは「そ、そう。」とうなずいてあげることしかできない。

 どうしたものかと視線を左右に走らせたら、一人黙々と茶菓子をつまむメアリが視界に入った。

 ……あれ、これ拙くない?

「メアリのところの精霊様はいかがですか?」

 慌ててユイが話を振る。今までそれどころではなかったから、散々無視したようになってしまったけれど……怒ってないよね? ね?

 恐る恐るメアリの顔色を伺うと、お茶請けのクッキーをほおばっていた彼女は「んー、」と生返事をよこした。

 ……うん、良かった。なんか、大丈夫っぽい。

湖の貴婦人(レディ・アウラ)はどっちかっていうと、神官は侍女扱いかな? 女性しかいないし。」

 口の中のクッキーをお茶で流し込んで、メアリは答える。

 そうなのか。ユイはぱちくりと瞬いた。本当に、精霊様もいろいろだ。

「それより、地元とこの屋敷をつなげるって……何をどうやったらそんなことできるの? それにあの幻。あれ、なに?」

 メアリの話に感心するユイに構わず、彼女は興味津々にぐっと身を乗り出す。どうやらそれが気になって残っていたようだ。

「どう、と言われましても……。」

 ユイは首をかしげる。説明も何も、メアリも見ていた通りなのだが。

「この屋敷の四隅にラグロウズ産の瑪瑙を埋めて、敷地内をラグロウズに見立てました。あとは枝垂桜……あれもラグロウズから移植されたものですけれど、あの古木にはご神木と言っていいほどの霊威がありますから、お力をお借りして祠とお山の神殿を共鳴させて、つなげました。神殿の幻も、桜の花も、その顕れです。」

 あの桜があり続ける限り、お山の神殿とここの祠はつながり続けるでしょう。

 ユイとしてはそのままを説明したつもりなのだが、どうもメアリには理解できないらしい。なにやら混乱した面持ちで首をひねっている。

「……桜一本で大陸の端っこの遠隔地までつながるもんなの?」

 ……辺境の田舎で悪かったな。

 なんとなくむっとしたものの、もちろん顔には出さないユイである。

「桜が中継アンテナの役割を果たしていると、お考えください、メアリ。ラグロウズの精霊様のお力を、あの桜が受信してこの屋敷内に展開しているんです。」

「アンテナ。そっか。そう考えればいいのか。」

 ……アンテナってなに。

 ユイにはさっぱりわからなかったが、マリエの説明になぜか納得したようだった。

 マリエは『気まぐれ』の記憶なんてちっとも役に立たないと嘆くけれど、こうしてメアリとユイにはわからない会話をするじゃないか。

 そう考えるとあんまり面白くなくて、頬を膨らませるユイだった。


 すっかり話し込んでしまって、メアリが寮に帰る頃には、日が傾きかけていた。空には雲が出始めていたけれど、雨は降っていない。荷物になるからと渋る彼女に、半ば無理矢理傘を持たせた。


 雷鳴と共に大粒の雨が降り始めたのは、まもなくことだった。

たまにはちゃんとファンタジーっぽいことを。

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