ユイとヒロインと茶席の攻防
――世の中、不公平だ。
自分が充分恵まれていることを、ユイは重々承知している。してはいるけれど――こうして目の前に現実を突きつけられると、ついつい恨み言めいたことを考えてしまう。
陽光を受けて艶々と輝く豊かな髪は金茶色で、肩先でくるりと巻いていた。混じり気のない青い目はカールした長い睫に縁取られ、こぼれそうなほど大きい。興奮のためかほんのり上気した白い肌には、すっと通った高い鼻やふっくら肉感的な赤い唇が絶妙なバランスで配置されている。ほっそりとした首に、紺青の上着を押し上げる豊かな胸元、きゅっと細いウエストから続くまろい臀部がなまめかしい曲線を描く。すらりと伸びた手足は長く、手指の先まで繊細かつ優美だった。
ようするに、三百六十度どこから見ても完璧に完成された美少女……というより美女がそこにいた。
余裕で十五センチは背が高いメアリ・フェイバーを見上げながら、ユイは思う。
(……年下、だよね?)
隣に並ぶと完全に大人と子供というか、自分が子供っぽく思えて仕方がない。人種の違いは理解しているつもりだったが、こうも見せつけられると不公平感が半端ない。
攻略対象を含め、アカデミーの生徒たちはユイの目から見れば大人びたきれいな人が多いけれど、ここまで完膚なきまで思い知らされるとは……さすがは主人公。
打ちのめされたユイではあったが、それでもなんとか貴婦人らしいおっとりとした笑みを維持し続ける。淑女たるもの、動揺を表に出すべからず。パニックを起こした女の甲高い悲鳴など、有事の際には有害なだけ……って、ちょっと違うような気もするけれど、気分はそんな感じだ。
内心で激しく混乱するユイを高い位置から見下ろして、メアリは挑発的に口角を吊り上げる。
「ユーフィーミア・フィーリア・カタスカーナ?」
鈴を転がすような声。ああ、美人は声まで美しい。
ユイの精神は現在進行形でがりごり削られ続けているわけなのだが、それを押し隠して微笑んだ。声が震えていないことを期待するしかない。
「はい。……あの、何かご用でしょうか?」
「はじめまして。わたしはメアリ・フェイバー、高等科一年よ。……どう訊いても結局は同じだから、単刀直入に訊くわ。あなた、テンセイシャでしょう!」
「はい?」
耳慣れぬ単語の意味がわからず、戸惑うユイは小首をかしげた。だがそんなユイに構わず、メアリはとうとうとまくし立てる。
「おかしいと思ってたのよね。無視するつもりだったシナリオが進められた上に、スタートは三年も早まったし。それでも中等科の頃は無事に乗り切ったってのに、最近になって妙に話しかけられるし。そうしたら攻略対象に近づく女がいるって噂でしょう。もうバレバレ。まるわかりなんだから、隠さなくたっていいわよ。」
「えっと、あの……、」
「ああ、勘違いしないで。わたしは別に、あなたを非難するつもりはないの。むしろ、攻略対象を狙ってるんならお好きにどうぞって感じ。でもお願いだから巻き込まないでくれない? あなたが誰を落とそうと、わたしは感知しない。邪魔もしない。だからわたしに係わらないで。」
メアリの口調は早く、とてもじゃないが、ユイについていける速度ではない。彼女の発言をほとんど理解できていないことをどう伝えればよいのか。わからないユイは、ただ上げかけた手を控えめに上下させるしかない。
「失礼ですが、」
見ていられなかったのか、普通ならぜったいにでしゃばったりしないマリエがユイの前に出た。ユイをその背に庇いながら、その茶色い目を剣呑に細める。
「どうやらお互い誤解があるように見受けられます、ミス・フェイバー。」
「マリちゃん。」
「? 誰、あなた。」
メアリが不思議そうに柳眉をひそめた。どうやら、今の今までユイしか目に入っていなかったらしい。
「これは失礼。マリエ・カーティスと申します。レディ・ユーフィーミア・カタスカーナの侍女を務めております。」
目礼するマリエに、メアリは混乱したように目を白黒させる。
「侍女? 取り巻き? ゲームにはそんなのいなかったはずだけど……?」
「ですから、誤解があると申し上げました。それに、こんなところで立ち話する内容でもないでしょう。……兄さん?」
いつの間にか御者台から降りていたユートが、懐に同期石をしまいながら、険しい顔でうなずいた。
「応接室を一つ用意させてる。戻る頃には、お茶の用意ができてるよ。」
「ということですから、ここは河岸を変えましょう。お二人とも、文句はございませんね?」
マリエの提案にユイは素直にうなずいたが、メアリは無反応だった。目を丸くし、口をかすかに開いてぼうっとしている。その視線の先は――
(……ユートさんを見てる?)
なんで。どうして。
瞬間、ユイの心に穏やかならぬ感情が渦巻いたが、「ミス・フェイバー?」マリエの怪訝そうな呼びかけにそれどころではないと首を振る。
「あ、いや、ごめん。なんでもないわ。」
ぱちくりと瞬いたメアリの視線もユイに戻り、ユイは平常心を取り戻す。
「それで、どうするんだっけ。」
「カタスカーナ邸にご招待いたします、ミス・フェイバー。お話はそこで。」
「別にここでも構わないのに。まあいいわ、はっきりさせましょうか。」
三人の少女たちは順番に馬車に乗り込み、ごとごと揺られながら家路をたどる。
車内では誰も口を開かなかった。マリエはむっつりと黙り込んだまま腕を組んで目を閉じているし、メアリは車窓にひじを付いて睨みつけるように外を眺めている。
ユイは居心地の悪さに身をすくませながら、きゅっと両の拳を握りこんだ。
(しっかりしなくちゃ。)
これは好機だ、主人公と攻略対象を接触させる。なんの用かはわからないけれど、せっかく彼女のほうから接触してきてくれたのだ。この機会を有効活用できれば、帝都の問題は半分が解消される。そう、思うものの――
(できるかなあ……?)
不機嫌そうに黙りこくっている二人を見ると、正直言って、自信がない。
マリエにばれないよう、こっそりとため息をつくユイであった。
(うう、どうすればいいのっ、この状況……。)
やはりというか、なんというか。
屋敷に戻ると、出迎えてくれた侍女にそのまま応接室まで案内された。
南向きの応接室はこぢんまりとしているが、レースのカーテンが揺れる両開きの大きなガラス窓のおかげで日当たりが良く、開放的だ。窓の向こうの庭園も目に美しい。部屋の中央に設置された丸テーブルには、やはりレースのテーブルクロスがかけられ、淡い色のガーベラが彩を添える。お茶会の用意をする侍女の押すワゴンには、野いちご模様がかわいらしい白磁のポットとお揃いのティーカップ、繊細なつくりの三段重ねのティースタンドが並ぶ。それに甘い香りの紅茶と、お茶請けの焼きたてスコーンにサンドイッチ、一口サイズの可憐なケーキたち。
つまり、完璧で豪華で優雅なティータイムなのだ。だというのに……沈黙が気まずいこと、この上ない。だが、何か言おうにも、何を言ったらいいのかわからない。なにしろ、ユイにはメアリ・フェイバーが言っていることがほとんど理解できなかったのだ。
マリエと一緒にお茶の用意を整えた侍女が下がると、残されたのは三人の少女だけ。冷や汗をかいて固まるユイに、口をきゅっと引き結んで黙り込むメアリ。そして、そんな二人を見て肩を落としてため息をつくマリエ。
「黙っていても始まりません。続きを……っと、その前に。ひとつお願いがあります、ミス・フェイバー。言葉にはお気をつけください。」
「なにそれ。嫌味? 脅し?」
柳眉をひそめ、目を細めて不快感を隠しもしないメアリに、マリエは再びため息をつく。
「そのままの意味です。お嬢様……レディ・ユーフィーミアの教育課程にはエレンダール語の雅語は含まれますが、俗語や下町訛り、方言の類は含まれません。」
「はあ? そりゃ普通、お勉強するようなもんじゃないわよね。」
「ご理解いただきたいのは、お嬢様にとってあなたの発音は非常に聞き慣れないものであるということです。正しい単語を正確に発音していただければ問題ございませんが、早口でまくし立てられると、意味が通じません。失礼ですが、北部のアクセントをお持ちですね、ミス・フェイバー?」
「当たり前よ、北部出身なんだから。……ってことは、なに? さっきの話、通じてなかったってこと? マジで?」
「『本当ですか?』」
メアリの発言を鹿爪らしく訂正し、マリエは重々しくうなずいた。
「愛用の万年筆を賭けても構いません。ええ、十中八九、伝わっていないでしょう。」
「どうりでへらへら笑ってると思った……。」
ユイがエレンダール語がうまくないことは確かにその通りなのだが、なにもそこまで言わなくても……と、文句の一つも言いたくなったユイである。
もっとも、先ほどの会話がまるで理解できていないことはマリエの言うとおりなので、実際は何も言えやしないけれど。
無言でむくれるユイを見て、メアリは呆れたように目を見開き、そして肩を落とす。
「……なんだか、思ってたのと違うわ。」
「ええ。ですから、誤解があると申し上げました。」
「なんだかなあ……。いいわ、じゃあ改めまして。メアリ・フェイバー、テンセイシャよ。」
呆れながらも、ずいぶんゆっくりはっきりしゃべってくれるメアリに、ユイは軽く驚きながらも微笑んだ。相変わらず、意味はわからないけれど。
「ユーフィーミア・カタスカーナです。……テンセイシャ、ですか?」
「だから俗語は使うなって……。お嬢様、察しますに彼女も『精霊様の気まぐれ』による別人の記憶をお持ちで、しかも現在進行形でその人物の延長線上に今のご自身の姿があるとお考えのようです。」
「また回りくどい言い方を……。」
「……それ、マリエとはどう違うのですか?」
「本人じゃなくてモブ転生のケースだったっ!?」
「ぜんぜん違います。」
しかめっ面から一転、驚きに目を丸くするメアリに、マリエは容赦なかった。
「ミス・フェイバーには記憶をお持ちの人物と同一人物である自覚も実感もおありのようですが、わたしにはそれがありません。あくまでも記憶だけです。」
「記憶だけ?」
うなずいたマリエが忌々しそうに眉根を寄せる。
「赤の他人の日記が頭の中にあるようなものです。日記といっても穴だらけだし、自分の年齢より若い頃のページしか読めないので、正直使えません。」
ぎりっと奥歯を噛み締める様子は、本当に悔しそうで。
「子供の絵日記なんか読めても役に立たないったらありゃしない。どうせならやり手のお見合いババアの手腕でも手管でもあればよかったのに。」
……どうしよう。マリちゃんが壊れてる。
マリエに何があったのか。いや、おそらく自分がらみだということはわかるのだけど。
マリエがユイのことを第一に考えてくれていることには思い当たっても、ユイとユートとの関係がなかなか進まないことに歯噛みしているとはついぞ思いつかないユイである。
心配そうなユイと、若干引いたようなメアリの視線にはさまれて、我に返ったらしいマリエがこほんと咳払いした。平静を取り繕うものの、頬が赤い。
「とにかく、お嬢様もわたしも転生者とやらではありません。」
「じゃあ、誰がゲームを進めてるのよ?」
「誰、とはわかりませんが……。」
目を伏せたユイは、久しぶりに例の本に思いを馳せる。ゆらりと空間が揺らぎ、目の前に現れた本を手に取った。表紙の四人は相変わらずきらきらしい。
ああ、そういえば彼らの実物にも会ったのだった。本の中のユーフィーミアに違和感がぬぐえないように、現実の彼らもまた、少しずつ本とは印象が違う。そして目の前のメアリ・フェイバーも。
それがきっと、本物に会うということなのだろう。
そう考えるとなぜかだおかしくなって、ユイは口角を持ち上げた。
「わたしは『精霊様の気まぐれ』により、『君の瞳に祝福をパーフェクトガイドブック~甘い魅惑のひと時をあなたに!~』というこの本を授かりました。このことは本の内容と共に父に報告してありますから、おそらく帝都の神殿の問題解消のために、父から帝都に報告が上がったものかと。」
「なにそれ。記憶はないけど攻略本は持ってるってこと? ……あの女、そんなものまで出してたのか。」
「? よくはわかりませんが、誰もが良かれと思って行ったことが、積み重なって現在に至るのではないでしょうか。」
「ってことはあなたに文句を言っても……?」
「わたしがアカデミーに招かれたのも、皇帝陛下の思し召しです。中等科にあなたが招かれたのも、おそらは同じでしょう。神殿の問題が解消しない限り、この状況は変わらないでしょうから、わたしたちはぜひともこの問題を根本から解決したいと考えています。つきましては、ミス・フェイバーには何人かの男子生徒とお友達になっていただきたいのですが……あの、ミス・フェイバー?」
「うわあ……。」
メアリは頭を抱えて、ごちんとテーブルの縁に額をぶつけている。痛くないのだろうか? その姿勢のまましばらく固まっていたが、「ええいっ」と一声上げて復活した。目の前に置かれたティーカップをむんずとつかむと、白い喉をのけぞらせ、ぐいっとあおる。少しばかり冷めたとはいえ、熱いお茶を一息で飲み干すその姿は、鬼気迫るものがあった。
「なってしまったものはしょうがないわ! 嘆く暇があったら対策を考えないと!」
「対策、ですか?」
「そう。攻略対象といかに係わらずにやり過ごすかっていう対策。」
真顔で言い切るメアリに、ユイとマリエは思わず顔を見合わせた。
どうやらメアリは何があっても、攻略対象たちと接触するつもりはないらしい。でもどうして?
「その、こんなことはお聞きしづらいのですけれど……、」
「彼らには何か人間性に問題でもあるのですか? お嬢様の話でも、お屋形様のお話でも、お会いした印象でも、そうまでして避けなければならない人物には思えませんが。」
「マ、マリちゃん……。」
遠慮がちなユイの横で、マリエがズバッと聞いてしまった。いくらなんでも、その聴き方はちょっと……聴きたいことは、そのものずばりなのだけれども。
あたふたするユイだったが、聴かれたメアリはけろりとしていた。「ないない」と手を左右に振る。
「そんなんじゃないから心配しないで大丈夫。ゲームとおんなじなら見ての通りのキャラだし、違ったとしてもカタスカーナ卿のほうで調べてるなら問題ないんじゃない?」
「ではなぜ……?」
「んー……。」
視線を泳がせたメアリが、ぽりぽりと頬をかく。
そんなに言いづらい事情なのだろうか? 再びマリエと顔を見合わせたユイだが、続くメアリの発言に凍りつく羽目になる。
「わたし、マッチョは嫌いなのよね。」
心底イヤそうに表情をゆがめるメアリが、気だるげに前髪をかき上げる。手からこぼれた髪が数本、光を集めて金糸のように艶めいた。
「生理的に無理。割れた顎とか、胸毛とか、かっこいいお尻とか言われても、さっぱりわかんない。どこがセクシーなんだか。」
「……失礼ですけど、ミス・フェイバー。彼らの胸毛を確認したことがおありで?」
メアリの発言のすべては理解できなかったものの、彼女の物憂げな態度と、単語の一部を聞いただけでユイは動けなくなった。顔を真っ赤にして硬直するユイに代わり、ため息をついたマリエが確認する。
そりゃあため息も出るだろう。誰だってそんなこと、進んで訊きたくはない。
「メアリでいいわよ。あるわけないじゃない、直接顔を合わせたこともないわ。」
「ではわたしもマリエと。ならばなぜ?」
「うちの実家、食堂兼居酒屋ってカンジの店をやってるんだけど……酔っ払うと脱ぐのよ、汗臭くて声のでかい鉱山労働者の筋肉自慢共が。」
苦々しく目を細め、低い声で吐き捨てるメアリ。
「脱ぐだけならまだしも、ポーズをとって競い合うのよ? 金髪碧眼のイケメンマッチョが、金色の胸毛を生やした大胸筋とか、割れた腹筋とか、盛り上がった上腕二頭筋とかを。」
「……。」
その様子を想像してしまったのだろう。マリエも渋い顔で口を噤んだ。
ラグロウズ騎士団の男たちも訓練後に半裸で水をかぶったりすることはあるが、女性――それも未婚の女性の前でみだりに脱いだりしない、ぜったいに。
万が一、ユイやマリエのような娘の前で脱ごうものなら、その騎士は二度とカタスカーナ邸の敷居をまたげないだろう。怒り心頭の筆頭家老に追い出されて。
「十二歳まではみんな、天使みたいにかわいいんだけどね……。なんで大きくなっちゃうかなあ?」
遠い目をしたメアリの乾いた呟きが、むなしく響いた。
「そんなわけで、わたしはマッチョは無理。胸毛がなかろうと、顎が割れていなかろうと、マッチョは生理的に無理なのよ。」
確かに攻略対象たちは全員、背も高くたくましい。騎士候補生のジェームズ・ノルズは言うに及ばず、優男風のクィンシー・ラチェスターも基本的な剣術の訓練はしているらしく、なよなよした印象はない。
「あ、でもアルヴィン・アインズレイは背は高いですが、そこまで筋肉質でもないのでは?」
「背が高くて頭が小さいから細身に見えるだけ。あの首の太さを見れば、ガチムチじゃなくっても細マッチョ以上なのはまず間違いないわ。」
……首から全身のサイズが推察できるほど、筋肉に慣れておいでですか。
おそらくメアリは、神官の修行の傍ら家業の手伝いをしていたのだろう。純粋な少女には、いろいろな意味でショックが大きかったに違いない。
「残りはカリール殿下ですが……。」
「ハーレム上等の男に将来を任せるつもりはないわ。」
「ですよねえ……。」
「お友達でも、駄目ですか?」
何も結婚しろとか恋人になれとか言っているわけではないのだ。お友達であっても、ユイの目的は達成される。
だがメアリは渋い顔で、首を縦に振ってはくれなかった。
「この世界が乙女ゲーム……女性向け恋愛シミュレーションゲームと似通っている以上、危険は冒したくない。うかつに泥沼にはまるのはゴメンよ。」
と、取り付く島もない。
かたくななメアリに、ユイは頭を抱えた。
「どうしましょう。やはり、根本対応を探すしかありませんか……。」
「そうですね、お嬢様。兄さんとレンの頑張りに期待しましょう。」
「……悪いとは思ってる。わたしもできる限りの協力はするから。」
マリエと二人揃って落ち込んだら、さすがに悪いと思ったらしい。ばつの悪そうな顔で切り出すメアリに、ユイは微笑んだ。
メアリを責めるつもりはない。無理なものは無理。それはユイにもわかるから。
「ありがとうございます。ですが大丈夫です、ミス・フェイバー。あなたには今までどおり、神殿で御魂鎮めの儀式をお願いいたします。」
帝都の神殿の問題は、あなたも気にしてくださっているのでしょう?
そう訊ねれば、メアリは照れたように頬を染めて視線をそらした。
三年間、毎日のように神殿で祈りをささげてくれたのは、メアリだ。いくら苦手とする攻略対象を避けるためとはいえ、それだけならいくらでも時間の潰しようはあったはずなのに。
今でこそどの神殿もメアリを好意的に迎えてくれているようだが、最初からそうだったとは思えない。十三の小娘が、単身神殿に乗り込んで御魂鎮めをするとか、白い目で見られても不思議ではないのに。
攻略対象ほどではないにしろ、神殿に仕える人たちは精霊の加護が強まる傾向がある。彼らとの距離を埋め、数字に現れるほどの成果を上げたのは間違いなく、メアリなのだ。
まあ、メアリの祈りに効果があるとわかったおかげで、ユイも帝都に呼ばれる羽目になったのだけど。
「この本にありましたように頑張り屋さんなんですね、ミス・フェイバー。」
そう微笑んだら、なぜか頭を抱えられた。ものすごくわかります、と言わんばかりのマリエがメアリの背中を叩く。
「あの、ミス・フェイバー?」
「だからメアリでいいって。……攻略本があるんだっけ?」
「はい。こちらなのですが、」
胸に抱えた例の本を差し出すものの、メアリはきょとんとしたままだ。
「……やはりご覧になれませんか。」
「持ち主しか見えない本ってわけ? わお、さすがファンタジー。」
不思議がっているわりにあっさり信じてくれたメアリは、「どんな内容なの?」と、本の詳細を訊いてくる。最初は社交辞令かと思って当たり障りのないことをかいつまんで説明していたのだが、どんどん突っ込んだ質問をするメアリについつい詳細まで語ってしまった。見えない本の中身を聞いても……と思うのだが、声を出して笑ったり、困ったように苦笑いしたり。全体的には目を細めて懐かしむように聞いていたから、楽しんでくれていると思う。……懐かしむ?
「メアリはこの世界のことをよくご存知のようですけど……?」
「あ、うん。まあね。」
苦笑いしつつも、メアリは切なそうに目を伏せる。
「前世の幼馴染が作ったゲームにそっくりなのよ、この世界。」
「幼馴染、ですか。」
「そ。誤字脱字のチェックとか、矛盾点の確認とかで何回もプレイさせられたから、内容を覚えてたのね。文章に癖がある上に誤字も脱字も表記揺れも多くて、本当に苦労させられたわ。おまけに自分の作品世界は全部つなげたいって、端から見ればどうでもいいことにこだわるもんだから、他作品との絡みまでチェックさせられて。」
大変だった、迷惑ばっかりかけられたと、愚痴のように語るくせに、口調はどこまでも優しくて。
本当に大好きだったんだろうなあと、ユイの目も自然と細まった。
「またお会いできるといいですね、その幼馴染の方に。」
メアリがこの世界に生まれ変わったのだから、幼馴染も生まれ変わっているかもしれない。ユイとしてはそれくらいのつもりだったのだが、
「やめてよね。」
不快感を隠しもしないメアリに拒絶され、ユイは身をすくめた。
「冗談でもそんなこと言わないでくれる? こっちは会えなくなって清々してるんだから。」
「っ、あ、あの……、」
「ミス・フェイバー。その言い方はいくらなんでもあんまりではありませんか。」
語気を荒げるマリエに、ちっと舌打ちしたメアリは決まり悪そうに顔を背けた。
「……だって、こっちに来てるってことは向こうで死んじゃったってことじゃない。そりゃこき使ってくれた相手だけど、別に早死にして欲しいわけじゃないし。」
「……。」
「まあ、わたしの孫くらいに生まれてくるんだったら、歓迎してあげなくもないけどね!」
しんみりしてしまった空気を打ち砕くように、明るい声でメアリが笑う。空笑いかも知れないけれど――メアリの笑顔につられて、ユイとマリエも笑う。
「とにかく、その幼馴染が変人の変態でね。この世界が本当にティーテーブルワールドだとしたら……ああ、幼馴染の作品世界をそう呼ぶんだけど、二次元から三次元になるのに足りない情報はぜったい幼馴染の妄想から引っこ抜いたんだと思うわ。」
「妄想、ですか?」
「そ。幼馴染は根っからのセイヨウファンタジー好きの変態なのよ。ニホンのアイドルは薄すぎて駄目ってのが口癖で、見るものはヨウガばっかり。わたしから見たらどこがいいのってカンジのごっついおじさん俳優の二の腕にしがみつきたいとか、厚い胸板に飛び込みたいとか、お尻から太もものラインを撫で回したいとか、わけのわからないことばっかり。この世界がマッチョだらけなのも、ぜったいあいつの趣味のせいだわ!」
先ほどまで泣きそうな顔で懐かしんでいた相手に対する発言とは思えない、げんなりした口調でメアリはまくし立てた。実にとんでもない内容の暴言を。
「メ、メアリ?」
一応、ユイたちも止めようとはするのだが、おそらく聞こえていない。ぐっと拳を握ったメアリはお構いなしに続け、どんどんヒートアップする。
「ニホンのアイドルが薄い? いいじゃない、薄くて。アイドルなんだから、当然よね? だいたい、オウベイケイの男は顔も体も濃すぎるのよ! 華奢で繊細でナイーブな細面の美形を愛でて何が悪い! 育ちすぎは却下! やっぱり柳腰よ、柳腰!!」
「……おい。」
拳を天に突き上げて力説するメアリが、その場で凍りついたように固まった。
振り返れば、応接室の扉を開けたエマが、ひどく軽蔑した冷めた目でこちらを見ていた。
「私的なお仲間なら卑猥な話も結構ですが、声は落としていただけませんか、姉上。外まで漏れています。」
率先して恥ずかしい話をしたわけじゃない。むしろ自分たちは止めようとしたのだ。
そう思うものの、声高に語るメアリを止められなかったことは事実で。
いろいろ思うところはあるものの、とりあえず、いきなり扉を開けて女同士の集まりに水を差したエマに文句を言うことにする。
「そ、それでも急に入ってくるなんてひどいよっ。」
焦りでつい、ラグロウズ語に戻ってしまったユイだったが、対するエマは実に冷静だった。
「ノックはしましたよ、何度も。僕も、リカも。応答がまったくなかったので入らせてもらいましたが。」
「リカちゃん?」
「ほら。」
促され、エマの背中からリカが顔を出した。どこから聞いていたのだろう、涙目で真っ赤になってエマの背中にしがみついている。
(わ、悪いことしちゃったかな……。)
早口すぎてほとんど聞き取れなかったユイとは違い、リカにはメアリの言っていることがわかったのだろう。かわいそうに。まったくなんてことをしてくれたんだと思ってメアリのほうを見ると、彼女は呆けたように目も口も丸く開けて固まっていた。そのままふらふらと立ち上がり、エマに近づく。
「な、何だっ?」
ほとんど高さの変わらない――むしろ、メアリのほうが少しばかり高いくらいの位置から見つめられ、エマが構える。だがメアリは警戒するエマに構わず、おもむろに両手を上げてエマの背中に回した。
「!!!」
抱きつかれたエマは声にならない叫び声を上げてメアリを突き飛ばし、高速のバックステップで距離をとる。
突き飛ばされたメアリは二、三歩下がっただけで、相変わらずぼうっと呆けた様子で、自分の両手と真っ赤に染まったエマの顔を見比べた。
「……高等科の制服を着てるってことは、アカデミー生?」
「一年だっ! なんなんだ、お前っ!?」
「一年生……信じられない。同い年でその細さ。その薄さ。……うかつだったわ。マリエのお兄さんにも驚かされたけれど、まさかこんな近くに、こんな逸材がいるなんて。」
「誰が薄いって!?」
憤るエマに構わず、メアリの表情はらんらんと輝いていく。……いや、輝くというか、なんというか。エマを見つめるメアリのまなざしが、狙いを決めた肉食獣めいていて。
「わたしもアカデミーの高等科一年生なの。メアリ・フェイバーよ、よろしくね。」
「エーメリウス・カタスカーナだ。って、そうじゃない!」
「同じ一年生同士、仲良くしましょう。」
「だから話を聞けっ!!」
怒鳴りつけるエマを、メアリはまったく意に介していない。
メアリの行動にすっかりうろたえていたユイだったが、正直言って、どうでもよくなってきた。エマはどうやらメアリのお気に召したらしく、すっかり二人で別世界に入ってしまっている。
(犬も食わない何とやらってことでいいのかな……?)
弟が聞いたら憤慨しそうなことを、つらつらと考えるユイであった。
どうでもよくなったのはマリエも同じようだ。一つため息をつくと、ぎゃんぎゃんと騒ぎながら小犬のようにじゃれあうエマとメアリから目を離してリカを見る。
「それで、何の用なの、リカ?」
リカもリカで、すっかり目の前のやり取りに目を奪われていたのだが、マリエの指摘にはっと我に返った。くるりと踵でターンを決めると、ぱたぱたと軽い足音で近づいてくる。大切に胸に抱えていた書類挟みを開き、嬉しそうにユイに差し出した。
一番上の書類にはさまざまな数字と、ユート・カーティスの流暢なサイン。
「ユート兄の承認が下りました!」
「え、じゃあ。」
「はい、準備も万端です! ラグロウズとこのお屋敷をつなげちゃいましょう!!」
輝かんばかりの笑顔と共に、リカが高らかに宣言した。
……なんか、いろいろごめんなさい。




