小話(三) マリエとおしゃべりな図書館の土竜
時系列としては十四話の裏話です。
図書館に突撃したマリエのその後です。
「あたしはちょっと図書館に寄ってきます。お疲れのお嬢様は先にお戻りください。」
一つ屋根の下で暮らしているくせに、お互いもじもじするだけで一向に進展しない二人にはいい加減うんざりだ。二人のペースに任せていたら、白髪になってもこのままかもしれない。さすがにそれは勘弁してほしい。
余計なお世話だということは百も承知で、マリエはユイとユートを二人っきりにすることにした。お邪魔な小姑が張り付いていなければ、少しは進展するかもしれない。いや進展してくれ、頼むから。
これでダメなら、結納から三々九度、新居の手配までお膳立てして、熨斗付けて押し付けるくらいのことを真剣に検討するべきか……?
さすがにそれはどうよ? と頭を抱えたくなるので本当に勘弁してほしいのだが、最悪そこまで視野に入れておくべきかもしれない。
盛大なため息をついたマリエだが、両手で頬をぱんっと叩いて意識を切り替える。
(あの二人については、とりあえず後回しだわ。ユート兄さんが根性見せてくれることを期待しよう。)
今は帝都の問題を何とかするほうが先決。気合を入れなおしたマリエは、目の前にそびえる図書館を見上げた。
規則的に赤い煉瓦を積み、窓枠などを白い御影石で飾った外壁。小窓がついた屋根は青灰色のスレート葺きで、一部はドーム状に造られている。石畳の小道から続く入り口には、五段ほどの階段と蔦模様の優美なレリーフが施された扉。
帝国アカデミーのほかの建物と同じ様式で建てられた図書館は、ラグロウズの木造茅葺屋根の家々にしか馴染みがなかったマリエには、実に異国情緒たっぷりに見える。
わずかな階段を上がり、重たい扉を開ける。玄関ホールの天井は高く丸く、光が燦々と降り注いでいた。色の違う床板により星の模様が作られた床は艶々に磨かれ、天窓から差し込む光が彩を添える。全体的に繊細な装飾が施された館内は非情に静かで、マリエは音を立てないように慎重に足を運んだ。
入ってすぐにあるラウンジには座り心地のよさそうな一人がけのソファとローテーブルが並び、数名の利用者が思い思いに本や新聞を読んでいた。カウンターの職員に軽く頭を下げ、彼らの邪魔をしないように足早にラウンジを抜ける。明るいラウンジから書架の立ち並ぶ薄暗い書庫に入り、マリエはどうしたものかと首をかしげた。
(アルヴィン・アインズレイはどこにいるのかしら?)
いつでも来いとは言ってくれたものの、この本の山を乗り越えない限りは、本人にたどり着けないわけで。
あごに手を当てて考えてみたが、良いアイデアは浮かばなかった。まさかクィンシーのように、大声で名前を呼ぶわけにもいかないし。
(まあ、どこかにはいるわよね。)
早々に諦めたマリエは、おとなしく書架の間を覗いて行くことにする。
アルヴィンは神話や伝承が好きなようだから、歴史とか民俗学とかその辺にいるだろう。書架に振られた分類番号とラベルを頼りに、一つ一つ棚を覗くと――いた。
利用者がほとんどいない民俗学のコーナーで、左手に大量の本を抱えたアルヴィンがさらに本を物色していた。かすかに上を向き、右手の人差し指で背表紙を一冊一冊指差しながら、追加する本を吟味している。たまに書架から本を抜き出しては、ぱらぱらめくって中身を確認。おめがねに適えば左手に追加するし、ダメなら残念そうに首を振って書架に戻す。眼差しは極めて真剣で、手つきは恭しいほど丁寧だ。彼の端正な横顔が一心不乱に本を選ぶ様子は、図書館の静謐さも相まって、見るものに神聖ささえ感じさせた。邪魔をするのがためらわれるほど……邪魔はするんだけど。
「――アインズレイ様。」
ここが図書館であることを考えて、小さな声で呼びかけて――無視された。
「アインズレイ様。」
小さすぎて聞こえなかったのかもしれない。今度は普通の声で呼びかけて――やっぱり無視された。
「アインズレイ様!」
反響するほど大きな声で呼びかけて――ようやく気づいて貰えた。
びくっと肩から指から振るわせたアルヴィンが、ぎこちない仕草でマリエを振り返る。
「君は……、」
色の薄いアルヴィンの視線がこちらを向いたことを確認し、マリエは優雅に腰を落とした。
「ご機嫌麗しゅうございます、アインズレイ様。覚えていらっしゃいますでしょうか? レディ・ユーフィーミア・カタスカーナの侍女のマリエ・カーティスと申します。」
「もちろん覚えているとも、カーティス・マイナー!」
ぱあっと頬を染め、嬉しそうに近寄ってくるアルヴィンの後ろに、ぶんぶん振られる尻尾の幻が見えた気がした。
「今日は一人なのか? その、お兄さんは一緒じゃないのか?」
「いいえ、本日はわたし一人です。」
「そうか……。」
ぴんと立っていた耳と尻尾が下がる。
こっちが悪いような気がしてくるから、あからさまにしょげるのは止めて貰えないだろうか。アカデミーを卒業して何年も経つユートがいるわけないって、なんで考えないんだろう? 首席なんだから成績はいいはずなのに……ひょっとして、中身はショウ並なんだろうか?
呆れて二の句が継げないでいるうちに、アルヴィンはとぼとぼと戻ろうとする。マリエはあわてて引き止めた。
「お待ちください、アインズレイ様! お聞きしたいことがあるんです!」
ああ、もう。静かにしなければならない図書館だというのに、さっきから怒鳴ってばっかりだ。
「聞きたいこと? なんだ、カーティス・マイナー?」
「……その前に、マイナーって呼ぶの止めていただけませんか。」
「なんで? 君はカーティス氏の妹だろ?」
アカデミーに兄弟が通う場合、年上をメジャー、年下をマイナーと呼び分ける慣習があることは知っている。二人しかいなければそれで区別がつくが、カーティス家は五人兄弟だ。それだけでは区別がつかない。おまけにマイナーと呼ばれることにも少なからず抵抗がある。長兄はユートだが、マリエだってみんなのお姉ちゃんなんだから。
ただ、きょとんと首をかしげるアルヴィンを見ていると、マリエが嫌がる理由が本当にわかっていなさそうだ。レンの心底嫌そうな顔を思い出す。ほかに兄弟がいることをばらして大丈夫だろうか? ユート兄さんの話を聞きたいと押しかけたり……はしないか。それほど積極的に打って出るタイプにはとても見えない。
「兄弟はほかにもおりますので、“マイナー”では区別がつきません。」
「そうか。なら仕方ないな。……あーユートさん、はご兄弟が多いんだな? だからしっかりされているのか。」
(兄さんに会ったことないはずだよね、この人……?)
目を輝かせ、まるで見てきたかのように語るアルヴィンがちょっぴり怖い。
ちなみに二人が直接会ったことがないのは、ユート本人に確認済みだ。
「それより、お聞きしたいことがあるんですけど。」
ちょっぴり怖いから、強引にでも話題を変える。いや、元に戻す。もともと、兄の話をしに来たわけじゃない。
「シェリエールのお話を伺いたいと、以前ご相談したと思いますが。」
「あ? ああ、そうだったな。覚えている。そうだな、時間はあるか? カーティス・マイナ、あー……ミス・カーティス。」
……努力は買おう、努力は。
元に戻らなきゃいいけど。心配しつつ、マリエはうなずいた。時間ならたっぷりある。というか、たっぷりなければ困る。ユイとユートのデートの時間を確保するためにも。
「ならこれを。」
何気なく渡された一冊の本を受け取って……しまったせいだろう。表題を確認するまもなく、次々に違う本を渡される。マリエの両腕はすぐに本でずっしり重くなった。これ以上持つなら、カートが欲しい。どこかに置いていないだろうか?
(って、違う! こーゆーときは男の子が持つものじゃないの?)
別に持てない重さじゃないし、こちらから頼んだ分なのだから、自分で持つことに異存はない。重い荷物を持って貰って、意外な優しさにときめく……! 的なイベントを期待しているわけでもない。(むしろあったら困る。人妻的な意味で。)
ただ、ひたすら意外だった。クィンシー・ラチェスターを筆頭に、アカデミーの男子生徒は徹底して女性を敬うというか、守るというか、働かせないようにしている。アカデミーに通う女子生徒はそのほとんどが貴族のご息女、それもレディクラスだから、それが当然なのだろう。女子側も当たり前のように受け入れている。
そんな中でアルヴィンのように女性を扱えば、そりゃあ周りの評価は低いだろう。高級官僚の子息とはいえ、平民出身なのもあって、礼儀知らずだとか、不届き者だとか言われている。この様子では、本人は気にしていない……というより、自分の噂自体知らない可能性があるけど。
ただ、後ろを振り返りもせず、さっさと先に行くのは止めて欲しい! すたすた歩くアルヴィンを、マリエは小走りで追いかけた。足の長さを考えろ、この馬鹿。
アルヴィンに案内されたのは、ラウンジのローテーブルよりずっと広い閲覧机と椅子が置いてある一角だった。抱えた本を机に置き、アルヴィンはさっさと腰を下ろす。マリエも彼に倣い、向かい側に腰掛けた。
「泉の乙女について知りたいんだったな、カーティス・マイ……ミス・カーティス。叙事詩は知ってるんだろ?」
「はい、でも、」
「今に伝わる叙事詩は、民間に伝わっていた物語をかき集めて、ロマンス要素を大幅に追加して脚色しまくったもので、成立が五百年前ごろとかなり新しいんだ。さすがに鵜呑みにする馬鹿はいないと思うが、雰囲気は感じられるかな。いくつかバージョンがあって、一番有名な版がこいつ。」
アルヴィンは積み上げた本の山の中から、甲冑姿で剣を掲げた男の絵が表紙を飾る一冊を取り上げた。白くて長い指先が指し示すページには、装飾的な文字が並んでいる。ただでさえ古典は読みにくいのに、先頭の文字が飾り文字になっていて、さらに読みづらい。
「トマス・ウィーバーの『英雄帝物語』な。主に初代皇帝エレンドの活躍と泉の乙女とのロマンスに重点を置いてて、現代でもしょっちゅう舞台や小説のネタにされてる。有名どころだと、サイクラスの同名の歌劇が帝国歌劇場の看板演目の一つになってるぞ。定期的に上演されてるから、興味があれば行ってみるといい。」
「いえ、叙事詩の話を伺いたいわけじゃなくって、」
「そうか、なら元の伝承のほうだな。」
なぜだか妙に嬉しそうなアルヴィンは、別の本を取り出した。こちらの書体は現代風で判別しやすいのだが、ぱっと見る限り、書いてある中身はもっと古い時代の古典のようだ。それこそ帝国成立期に近いものなのかもしれない。
「叙事詩では隣国ダンタール王の息子とされることが多い英雄帝だが、実はその素性ははっきりしていない。諸説あって、ダンタールの王子というのはその一つなんだ。エレンドが最初に登場するのは彼が十三歳のときで、初めて泉の乙女と出会ったのもそのころだ。彼女の加護を得ることに成功したエレンドは、その後策士と名高い初代カタスカーナ卿を参謀に迎えて友誼を結ぶ。有名なポプラの綿帽子のシーンだな。二人は冒険に冒険を重ねて、エレンダール帝国建国にいたるんだが、このとき正式に泉の乙女と結婚――正式な神官となったと言われてる。知ってのとおり、神官になるかどうかは普通なら七歳児の『精霊の祝福』で決まるから、これは異例中の異例だ。それだけ泉の乙女とエレンドの結びつきが強いと言いたいんだろうが……異例すぎて、研究者の中には後世の創作か、英雄帝を神聖視するためのプロパガンダと見る者も少なくない。エレンドやカタスカーナ卿は実在の人物、少なくとも、モデルになった人物が実在していたんだろうけど、彼らの冒険には竜退治や鷲獅子の雛を育てる話なんかも含まれてて、御伽噺じみてるからな。もちろん竜が実在したとかじゃなくて、その当時の出来事や社会情勢の比喩なわけだけど、皇帝がらみの伝承がタブー視されてた時代が長いのと、はっきりした史料が少ないのとで、その辺りの研究はまだ進んでいないんだ。」
滔々と語るアルヴィンは大量に運んだ文献をフル活用し、あれこれ指し示し比較しながら熱く説明してくれる。してくれるんだが、詳しすぎて、マリエにはさっぱりついていけなかった。そもそも、聞きたいのは初代皇帝の話でも竜退治の御伽噺でもない。現実の帝都の問題なのだ。
「すいません、ですからっ、」
呼吸の合間に何とか口を挟むことに成功したものの、アルヴィンは「わかっている」と手を振ってマリエを黙らせる。
「泉の乙女について知りたいんだろ? 彼女について知るには、どうしてもその当時の状況や伝承をどう解釈するかの理解が必要なんだ。ことは泉の乙女の実在性にも関わるからな。彼女が実在しない、少なくとも精霊ではなく人間の娘だという説は昔から根強いんだぞ? 精霊にしては、彼女は実に人間くさい。容姿が言い伝えられてることや結婚云々の話は置いておくにしても、エレンドとのデートに一喜一憂したり、彼に言い寄る女に嫉妬したりで、本当に精霊らしくない。ただ、人間くさいエピソードが後の世の脚色なのか、精霊であること自体が創作なのかは、研究者の間でも意見が真っ二つに分かれるところだな。まあ、初代皇帝の后が本当に精霊だったかどうかはともかく、泉の乙女とその神官との結びつきが特別なのは、確からしい。エレンド亡き後も、泉の乙女の神官は彼女の夫とみなされ続けてる。夫だから一人しか選ばれないし、昔は神官と皇帝が兼任だったから、神事と政務でずいぶん多忙だったみたいだぞ。時の大臣の苦労っぷりが彼の日記に残されている。読むと泣けてくるんだ、毎晩薄くなる髪を嘆いたりして。」
「ですから違うんですってば!」
「確かに大臣の日記じゃ面白くないけどな、泉の乙女にまつわる文献は本当に少ないんだよ。皇族以外は神殿に近寄ることもできないし、あまり情報が伝わってこないこともあって、乙女の泉自体存在しないんじゃないかって説もあるくらいなんだ。まあ、さすがにそれに賛同する学者は少数だけどな。それでも難しい研究分野には違いなくて、研究者も少ないんだよ。最近は情報開示も進んで、皇族のみが閲覧可能だった文献なんかも一部読めるようになってきてるから、研究も進むと俺は見てるけどね。まだまだ若輩者にも食い込む余地が残されてる分野だと、俺は思うんだ……」
怒涛の解説の合間になんとか口を挟むことができても、返されるときには余裕で十倍以上になっている。圧倒的な物量で押してくる相手に、さすがのマリエも太刀打ちできず。
結局、アルヴィンが話したいだけ話し終わるまで、止めることなどできなかった。
「精霊の話じゃなくて、帝都……市街地について知りたい? それならそうと、何で言わないんだ。」
何度も言おうとしたけど、聞かなかったのはそっちだろう!
マリエは内心の怒りを何とか飲み込み、ため息として吐き出した。ぷるぷる震える拳は隠しきれなかったが、その程度は仕方がないと思って欲しい。延々、わけのわからない伝承トークを聞かされ続けたたのだから。
「申し訳ございません。それで、帝都について何かご存知ありませんか?」
「すまん、そっちは専門外だ。興味もないしな。ほかの人間をあたるか、自力で調べてくれ。」
悪びれもせずに言い切るアルヴィンに、ため息が出る。そんなことだろうとは思ったから、落胆はしないけど。しないけど!
「調べ方と図書館の利用方法は教えるから、自分で調べてはどうだ?」
「……そうします。」
そんなわけだから、アルヴィンに兄の予定を聞かれてむかついたのも、仕方がないと思うんだ。
「あー、それで、カーティス・マイナー。」
図書館の使い方についてマリエに一通りレクチャーした後、アルヴィンは挙動不審に視線を泳がせながら、その割りに単刀直入に聞いてきた。
……たぶん、アルヴィンには遠まわしに聞くとか、それとなく聞くとかのコミュニケーションスキルがないんだろう。
「ユートさんのご予定に空き時間はあるのか? 手間は取らせないと約束する。仕事の合間にちょっとお会いして、ご挨拶して、サインをもらえればそれだけで構わない。」
白皙の美貌を真っ赤に染めてしどろもどろに頼んでくるアルヴィンは、それはそれで眼福なんだろうけど。だろうけど!
マリエの視線が冷たくなるのも、仕方がないと思うのだ。にっこり笑ってしまうのも、仕方がないと思うんだ!
「申し訳ございません。あれで兄も忙しい身ですから。」
「そうか……。」
「機会がございましたら、またいずれ。」
赤い顔を一瞬で白く戻し、しょんぼりと肩を落とすアルヴィンを置いて、図書館を出る。異国情緒たっぷりの赤煉瓦の建物を見上げ、マリエは深いため息をついた。
徒労感だけを成果としたマリエがカタスカーナ邸に戻ってみれは、ユイはすでに帰宅していた。嬉しそうに頬を染めるから、てっきり何か進展があったのだと思って詳しい話を聞いてみると、のんびりお散歩して帰ってきたとのことだった。
それだけ? マリエは目を見開いたが、どれだけ突っ込んでも、それ以上の話は聞き出せなかった。マリエ相手に腹芸ができるお嬢様ではないから、本当に何もなかったらしい。
「あんのヘタレがぁっ!!」
(人が苦労してお膳立てしたのにこれなの!?)
二重、三重にもため息が止まらないマリエであった。
~その後の二人~
マリエ:お久しぶりでございます、アインズレイ様。
アルヴィン:カーティス・マイナー! どうしたんだ? ひょっとしてお兄さんも一緒かっ!?
マリエ:(……この人の頭の中は、本っ当にこれだけなのね。)いえ、違います。
アルヴィン:そうか、残念だ……。それで? 何の用だ?
マリエ:主より茶会の招待状をお持ちいたしました。
アルヴィン:そういうのはお断りだ。俺も暇じゃない。
マリエ:そうですか、残念です。茶会の会場はカタスカーナ邸なのですが。
アルヴィン:!!?
マリエ:兄の職場ですからね。茶会の後で少し時間を取るつもりでしたが、お暇ではないとのこと。非情に残念です。
アルヴィン:ちょっと待て! 日取りはいつだ? 都合をつけられるかも知れない。
マリエ:ご無理なさいませんよう。お忙しいのでしょう?
アルヴィン:大丈夫だ! 何があっても空ける! 空けるから!! だからユートさんに会わせてくれっ!!




