小話(二) マリエとショウと縁側の午後
時系列としては、ラグロウズ出立前の半月(九話~十話)のどこかです。
誰がなんと言おうと、あたしは悪くない。
その日、カタスカーナ邸は上を下への大騒ぎだった。無理もなかった。ただでさえお屋形様のお戻りが遅く、仕事が立て込んでいた。年度末の書類の清算は押していたが、だからといって年度初めの仕事が減るわけじゃない。おまけに田植えが迫っていた。かてて加えてお嬢様が特別聴講生として半ば強制的に帝国アカデミーへ招かれることになり、シェリエールへの引越し準備でもおおわらわだった。終わりの見えない作業になんとか優先順位をつけ、限られた予算を再配分するために、常に誰かがどこかで頭を下げていた。どこもかしこも深刻な人手不足で、二箇所三箇所の掛け持ちは当たり前、ひどければ歩きながら書類を確認する有様だった。平時ならば、新米女中が廊下を走ろうものならすぐに叱責の声が飛ぶのだが、筆頭家老すら小走りになり、一堂に会してのまっとうな食事はおろか、睡眠時間すらがりがり削られている現在、誰もが猫の手も借りたいと心底願っていた。
そんな中で、日当たりの良い縁側に座ってぼけっとしている男がいたらどうだろう?
そののんき極まりない背中に文句を言いたくなったとしても、しょうがないのではなかろうか?
「うげぇ!?」
マリエがそうだった。そしてそう思うのみならず、即座に実行に移した。言葉でなく、態度で――おもにその右足で。
足蹴にしたことに、特に理由はない。あえて言うならイラつかされたのに、両手は書類でふさがっていたからだ。
のんき極まりない男――ショウは、情けないことに素直に蹴りだされて地面と激突した。地面に突っ伏して手足を広げたその姿は、つぶれた蛙に良く似ていた。
(これが将来を目された若手トップだというのだから、不安にもなるわよね……。)
騎士団長に目をかけられ、若輩ながら小隊の隊長を任され、同僚や後輩からの人望も篤いはずの男は、武道の心得など何もないど素人の小娘にあっさりと背後を取られて蹴倒されるのである。不安にもなる。
「……お前なぁ。」
強制的に大地と仲良しにさせられたショックが薄れたのか、ようやく上体を起こしたショウが、恨みがましい上目遣いでマリエをねめつける。だがショウの眼力でひるむマリエではない。ヨチヨチ歩きの頃からの付き合いは、伊達ではない。
「ぼうっとしてるあんたが悪い。」
「好きで昼行灯してねぇよ……。」
ショウはため息をついて立ち上がり、縁側に腰掛けなおす。
「汚いわね。泥くらい落としたらどうなの。」
「誰のせいだよ。」
「自業自得って知ってる?」
「……。」
(まあ、泥だらけにしたのはまずかったわね……。悪いことをしたわ。)
マリエだって、罪悪感を抱くことぐらいはある――おもに洗濯しなくてはならない女中たちに対して。なにしろ泥染みは落ちにくい。
「せめて顔くらいぬぐいなさいよ。」
しょうがないわね。と、マリエは抱えた書類を置いてショウの隣に座り、懐から取り出した手ぬぐいを差し出す。そんなマリエを一瞥したショウは、何も言わず手を伸ばした。
ショウの手に渡った手ぬぐいは使われることなく、そのまま彼の手の中に納まった。マリエも何も言わない。
そのまま二人でぼうっと庭を眺める。暖かい日差しの差し込む庭は雪もすっかり消え、柔らかな新芽の緑や可憐な花々で彩られて、完全に春の装いだ。
「――俺って役立たずだよなあ。」
「……今度は何をやらかしたわけ。」
「みんな決算とか予算とか異動とかで大忙しだろ。だから俺もなんか手伝わなきゃなあって思って、」
検算すれば五回計算して五回とも数字が合わず、伝票整理を引き受ければかえってごちゃ混ぜにし、せめて茶でも淹れようとしたら茶筒をひっくり返した上に見習い騎士に熱湯をかけそうになり――
「結局、副長に泣きながら追い出された。」
「……。」
マリエは何も言わず、ショウの腹心たる副長――ケイトさんに心の中で謝った。
ショウはけして悪気があったわけじゃない。純粋な善意から、苦手とする書類仕事に手を出したのだろう。
それだけに性質が悪い。
今頃ケイトさんは、善意の塊の隊長に文句も言えず、泣きながら余計な仕事を増やしてくれた上司の尻拭いをしていることだろう。後で甘いものを差し入れようと思う。それはそれとして――
「――だから?」
俺って役立たずだと、再度ぼやいたショウに、マリエは思いっきり冷たく言い放つ。
「あんたが事務関連で役に立たないなんて、今更じゃない。そんなことで黄昏れてるんじゃないわよ。」
「マリエさん?」
ショウの襟をつかんで、ムリヤリ自分のほうを向かせる。ショウがもてあましていた手ぬぐいを取り上げて、ぐいぐい顔をこする。ついでににらみつけてやったら、なにがなんだかさっぱりわからないというふうなのんきな面で目をぱちくりさせていた。あまりの鈍さに腹が立った。ついでに意外と長い睫にも。
「誰があんたに書類整理なんて任せますか。せいぜいで小隊長の判子が要るとか、そんなもんでしょ。あんたは下手に手を出さずに、どーんと構えてればいいの。」
副長をはじめとする部下も、ショウを隊長にすえた上司も、そしてマリエも、だれもショウに書類整理をさせたいわけじゃない。それは彼がデスクワークが苦手だからとか、そういう理由じゃなくて。
「あんたは、体力バカで剣術バカで脊髄反射と本能だけで生きてるイノシシ並みの脳筋なの。後ろも見ずに突っ走るバカで、苦労も困難も気にせずに突き進むバカなのよ。」
そしてとても仲間思いで、嘘みたいに前向きで、いつだって熱意にあふれていて。
「そんなあんただから、あんたの背中についていこうって、みんな思うんじゃない。計算ができないとか、そんなみみっちいことでうだうだ悩んでんじゃないわよ。そんな誰だってできる仕事なんか、できる人に任せればいいのよ。そんなことで悩む暇があるなら、あんたは外を走るなり、鍛錬積むなり、新人に訓練つけるなりしたほうがよっぽど建設的だし、みんな喜ぶわ。」
「……お前。」
「なに。」
「ひょっとして、慰めてるつもりか?」
「――それ以外に見えてるんなら、次はぶん殴る。」
「いや、うん。慰めてくれてんだよな。そうとしか見えないよな!」
こくこくと慌てたようにうなずくショウに、マリエはどうだか、と半眼で見上げた。
「忘れないで。」
文句を叩きつけるようにまくし立てたときと違う、静かな声でマリエは告げる。
「忘れないで。あんたの傍にはあたしがいる。ケイトさんもいる。あんたの不始末の面倒くらい見てやるわよ。」
だからできもしないことで一人で悩むんじゃない。
副長であるケイトさんみたいに一緒に戦って背中を守ることはできないけれど、落ち込んだときに悩みを聞いて、抱きしめて、慰めることはできるから。
ショウの琥珀色の目が丸く見開かれ、そして柔らかく細められてマリエを見つめた。
「それって一生?」
「あたしじゃ不足?」
「いや――」
ショウの手が伸びて、マリエの腕を取る。引き寄せられるままに身を任せ、マリエはショウの腕の中に納まった。
「悪くねえ。」
「うん。」
触れ合う体温のぬくもり。直接伝わるお互いの鼓動は少し早くて、心地よい。
落ち込んだショウを慰めるのはマリエの役目だし、マリエが辛いときはショウに抱きしめて欲しい。
マリエは目を瞑ると、ショウの背に腕を回した。
仕事中であったことを思い出したマリエが、悲鳴を上げて恋人を突き飛ばすまで――忙しい中仕事をサボって恋人といちゃついていた小隊長が再び地面と仲良くなるまで、あと五秒。
だから、あたしは悪くないんだって!
~その後の二人~
ショウ:で、引越しはいつにする?
マリエ:は?
ショウ:引越しだよ、引越し。まさかこのまま男子寮に居座るわけにいかねえだろ。
マリエ:……教えてちょうだい。なんで引っ越さなきゃならないのかしら。
ショウ:え。なに。お前、男子寮に押しかけるつもりか? そりゃいくらなんでも、独り身連中の目の毒っつーか、俺もちょっと気恥ずかしいっつーか。
マリエ:何バカなこと言ってんのよ!? そんなわけないじゃない!
ショウ:だよなあ。で、引越し先と日程はどうする?
マリエ:……言っとくけど、お嬢様がお嫁に行くまで、結婚する気はないから。
ショウ:は!? なにそれ、お前、この期に及んで俺にお預け食らわせるってか!?
マリエ:しんっじらんないっ!! 何バカなこと言ってんのよ!?
ショウ:どこがバカだ! 健全な青少年のまっとうな要求だろうが!
マリエ:やめてよね!? 真昼間から下品な事言わないで!
ショウ:夜ならいいってか!? 問答無用でオハナシアイに持ち込むぞ、コラ!
マリエ:信じらんない! 最低! 変態! 横暴!
ショウ:横暴はどっちだ!
マリエ:とにかく! あたしはお嬢様より先に結婚する気はないから! ……でも、行き遅れる気もないから。協力、してよね。
ショウ:(……かわいいなあ、ちくしょー。)りょーかい。協力するから――あいつら片付けたら覚悟しとけ。
マリエ:……ん。わかってる。




