ユイとマリエと帝国アカデミー(下)
二人の間に穏やかな空気が漂った――ところで、にゅっと黒い影が差した。
「珍しい。堅物総代が女の子を連れているなんて。」
「殿下!」
テーブルに右手をついて身を乗り出す黒い影――さらさらの黒髪、黒目、浅黒い肌のの青年が、好奇心に目を輝かせてユイを伺う。角度的に、ばさばさの長い睫に縁取られた黒い瞳に上目遣いに意味深に見上げられて、居心地が悪いことこの上ない。
ラグロウズでは黒目は珍しくない。珍しくないのだが、黒目といっても大抵は濃い茶色なのだ。彼のように茶色味がなく、灰色をどこまでも濃くしたようなほぼ黒い目は滅多にお目にかかれない。理由はないのになんとなくいたたまれなくなり、ユイはもじもじと身じろいだ。
着ているものはクィンシーと同じ制服なのに。普通に着こなしているだけなのに。……色気とか艶とか駄々漏れなのはなぜなのだろう。
「ふうん。」
何が彼の興味を引いたのか、黒い目を細めて口角を上げる。
「ラチェスターに今まで女っ気がなかったのがわかるね。ポケットにでも隠していたの?」
「失礼なことをおっしゃらないでください、カリール。こちらは特別聴講生のレディ・ユーフィーミア・カタスカーナと、ミス・マリエ・カーティスです。生徒総代として、学内をご案内していたところですよ。」
紹介されたユイは立ち上がり、軽く腰を落として一礼する。後ろではマリエも侍女らしく、控えめに頭を下げていた。
「ご紹介に預かりました、ユーフィーミア・カタスカーナです。どうぞよしなに。」
「ユーフィーミア、こちらは、」
「ああ、いいよ。」
彼はひらひらと手をふって紹介しかけたクィンシーを止めると、ユイに向かって微笑んだ。
「僕はマシュマードのカリール。よろしくね、ユフィ。」
いきなり愛称呼びですか!?
その馴れ馴れしさに驚いたユイが目を見開くと、カリールはさらに距離をつめて真顔でじっと目を覗き込んできた。
「!」
とっさに前に出そうになったマリエを後ろ手で制し、及び腰になりそうな体勢を根性で耐える。それでも、指先が震えるのまではこらえられなかった。ばれないと――失礼に当たらないと良いのだが。
(それにしても近い! 近すぎる!)
カリールの黒い目とユイの赤い目が絡み合った時間は短かったのか、長かったのか。動揺するユイにはわからなかった。瞬きもできずに立ち尽くすしかなかった。なんとなく、視線をそらしたら危険な気がしたから。
満足するまで観察できたのか、カリールは楽しげに口角を上げて身を引く。
十分に確保された距離に安心したユイが肩の力を抜くと、カリールはにっこり笑ってさらなる爆弾を落とした。
「ベルベットのようなきれいな目だね。お近づきのしるしに、君の瞳によく似た薔薇を贈ろうか。」
「い、いただけません!」
勘弁してくれ!
ユイは泣きたい気分で、反射的に叫んだ。対するカリールは、心底不思議そうに首をかしげる。
「なぜ?」
「なぜって……。受け取る理由がありません。」
「そうかな? 美しい女性に花を贈るのに理由が必要? それに男に貢がせるのも、良い女の証だと思うけど。」
何を言っているんだ、このお坊ちゃまはあああああ!
とっさにマリエに助けを求めるが、さすがのマリエも想定外の出来事に思考が止まっているらしい。ユイ同様まごついている。
困り果てたユイに、クィンシーが助け舟を出した。
「控えてください、カリール。ここはお国ではないのです。」
「そう? でも君には聞いていないよ、ラチェスター。レディ・カタスカーナに聞いている。で、どうかな?」
ここは自分で戦うしかない。ユイは覚悟を決めて、きっとカリールを見た。
「殿方に貢がせて喜ぶ女が良い女とおっしゃるのでしたら、わたくしは良い女でなくとも結構です。どうぞ、薔薇は喜ばれる相手にお贈りください。」
ユイとしては真剣にお断りしたつもりである。決して、笑いを取るつもりなどではない。ないのだが――
「あは、あははははっ!」
なぜかカリールに爆笑された。今までのすまし顔はどこへやら、目に涙を浮かべ、おなかを抱えて笑っている。
「……カリール様?」
「いやあ、ごめんごめん。そうだね。失礼した。」
カリールは目尻の涙をぬぐい、真面目な顔で胸に手をあてて一礼する。エレンダール風の礼、騎士の礼だ。
「ご無礼をお許しいただけますか、レディ・カタスカーナ?」
「それは、もちろん……。」
ユイにしても、別に怒っているわけじゃない。ただ単に赤い薔薇を贈るなどという奇想天外な行動を慎んでもらえれば、それだけで構わないのだ。だいたい、頭を下げられて謝罪されたのに、それでも許さないなどと言えるはずもない。そんな豪胆な真似ができるラグロウズ人がいたら見てみたい。
カリールはユイの返答を聞いて晴れやかに笑う。
「よかった! じゃあ、これでこの話はおしまいだね。さあさあ、そこちょっと詰めてくれないか、ラチェスター。僕にもご一緒させてよ。」
ぽんと手を打ち鳴らし、クィンシーに場所を開けさせて、いそいそとユイの向かいのベンチに座るカリール。さすがにユイの隣に座るような真似は避けてくれたようだ。
なんとなく毒気を抜かれたユイも座りなおした……クィンシーの上着の上に。
(あああ、やっぱりいたたまれない……。)
とはいえ、今更別の場所に座るのも、上着を返すのも逆に失礼な気がする。かといって、このまま座り続けるのも居心地が悪い。
もじもじするばかりで身動きの取れないユイを置き去りにして、会話は和やかに進む。
「ところでカリールはどうしてこちらに? 庭園にはご興味がないと思っていましたが。」
「んー、そんなこともないよ? 庭の花を愛でるご婦人方は普段にまして魅力的だからね。それに、薔薇園はノルズが近づきそうもない場所だってところがポイント高いよね。」
「……また、逃げ回っているんですか。あとで怒られても知りませんよ?」
心底呆れたように息をつくクィンシーに、カリールは手のひらを上に向けながら肩をすくめてみせた。
「そのときはそのときだよ。あ、そうだ。僕もユフィを案内してたってことにしてくれない?」
カリールは名案! とばかりに顔を輝かせて身を乗り出すが、クィンシーは苦笑するだけだ。
「ノルズにその手の言い訳は通じませんよ。事前連絡を怠ったことを叱られるだけです。」
「ちぇっ、堅物め。」
「ノルズはわたし以上ですよ。諦めて叱られなさい。」
取り付く島もないとはこのことか。丁寧な言葉遣いでばっさり切り捨てるクィンシーに、カリールは天を仰いで嘆息する。
「脳筋はこれだからイヤなんだ。」
「騎士ならば当然のことです。カリールも同じですよ。」
「僕は騎士じゃない。」
「訓練は受けておられるでしょう。」
ぽんぽん交わされるやり取りに、ユイは口を差し挟む暇もない。もともとエレンダール語での会話に慣れていないのだ。ついていくだけで精一杯である。
というかこの二人、仲が悪そうに見えたのだが、実は仲良しなのだろうか。
「……ノルズ?」
質問のタイミングはだいぶずれただろうが、思わず漏れたユイの呟きを、二人は聞き逃さなかった。
「ジェームズ・ノルズ、高等科の三年。熊みたいな大男で、うっとうしいくらいの正義の味方だよ。」
「カリール、その言い方はさすがにどうかと。ノルズは騎士候補生で、彼の面倒を見ているんですよ。」
「カリール様は騎士訓練を受けておいでなのですか。」
意外だ。なんとなくだが、カリールは個人主義っぽい印象を受ける。集団行動を基本とする騎士とは無縁そうな。
実際、進んで受けているわけではないらしい。カリールは眉をひそめてうなずいた。
「あんまり好きじゃないけどね。だから今日も逃げてきたんだ。それより、」
苦い顔から一転、目を細めてユイに微笑む。テーブルに肘をつき、手のひらに形の良い顎を乗せて。
「僕のこともカリールって呼んでよ。様付けは要らない。ラチェスターばっかり名前で、それも愛称で呼んでもらえるなんて、ずるいじゃない?」
聴いていたのか。
「ですが……。」
ユイは言いよどむ。
(カリールってアレだよね? 攻略対象の砂漠の国の王子様。)
仮にも外国の王族を呼び捨てでいいのか? クィンシーは名前で呼んでいるようだが、ユイが呼んでも失礼に当たらないのか。それがわからない。
「本人がこう言っているので、よろしければ、名前で呼んでやってください。そのほうがアカデミーの方針にも沿いますし。」
水を差されたカリールが、顎から手のひらを離して、恨みがましい目でクィンシーを見る。
「……つくづく君ってさあ。なに? 君は僕の母親かい、ラチェスター?」
「こんな大きな子供を生んだ覚えはありませんとお答えすれば満足ですか、カリール? これで手のかかる子供のようなものです。名前で呼ぶまで駄々をこねるので、わたしからもお願いします、ユーフィーミア。」
それでいいのか、王子様!? というか、駄々をこねる子供って、こんなに色気駄々漏れの子供がいてたまるか!
いろいろと呆気に取られるユイだが、これ以上粘ったところで避けられそうもない。諦めて、おとなしくうなずくことにする。本人が名前で呼べといっているのだから、たぶん無礼にはならないだろう。たぶん。きっと。
「わかりました。カ、カリール。」
つっかえながらもユイが名前で呼ぶと、カリールはぱあっと顔を輝かせた。
「よし。それじゃあとっとと構内を回って、まともな場所でお茶にしようかああああっ!?」
「カ、カリールッ!?」
ベンチから勢い良く立ち上がったカリールだが、立ち上がった以上の位置に頭があった。端的に言えば、首根っこを捕まれて摘み上げられていた、猫の子のように。
「こんなところにいたんですか。探しましたよ、カリール!」
「ノ、ノルズ……。」
カリールを右手一本でぶら下げた大男は、そのまま自分の顔の高さにまでカリールを持ち上げた。すばらしい腕力だ。
鍛え上げられた体とよく日に焼けた人好きのする顔。燃えるような赤毛と明るい緑色の目のコントラストが強烈な彼は、ジャケットの襟に騎士候補生の証である徽章をつけていた。どうやら彼がジェームズ・ノルズらしい。
「訓練をサボって、何をやっているんです。」
「放してよ、ノルズ。僕にはユフィとデートする……じゃない、構内を案内する仕事があるんだ。」
「ユフィ?」
ジェームズが首をかしげると、クィンシーが苦笑しながらユイを紹介する。
「特別聴講生のレディ・ユーフィーミア・カタスカーナと、ミス・マリエ・カーティスですよ。学内を案内していた途中だったんです。」
「ごきげんよう、ユーフィーミア・カタスカーナです。」
ユイとマリエが礼を取ると、ジェームズはカリールをぶら下げたまま、見事な騎士の礼を返した。その巨体に似合わず、存外器用らしい。もっとも、優雅というよりもきびきびしていると言ったほうがふさわしい一礼だったが。
「これはお見苦しいところをお見せいたしました、レディ。ジェームズ・ノルズと申します。……総代もいるということは、案内役は総代だな?」
「まあ、そうなりますね。」
「ラチェスター!? この裏切り者っ!」
肩をすくめるクィンシーに、カリールは食って掛かったが、「おっと」ジェームズに阻まれる。
「嘘はいけません、嘘は。さあ、訓練に戻りますよ、カリール。」
「何度も言っているが、僕は騎士になる予定はないっ。だから訓練も必要ないっ!」
「そうはいきません。爺やさんからじきじきに、根性を叩き直すように言われていますからね。それでは失礼いたします、レディ、総代。」
「ああ、もう! わかったから放してよ、ノルズ! またね、ユフィ!」
カリールをぶら下げたまま、笑顔で去っていくジェームズと、引きずられながらも笑顔で手を振るカリール。ユイは呆然と見送りしかできなかった。
それはクィンシーも同じだったらしい。彼らが角を曲がって見えなくなるまで見送った後、気を抜かれたように苦笑していた。
「……案内を続けましょうか?」
「……お願いします。」
学長や、クィンシーが言うところの学生生活を楽しむとは、彼らのようなことを言うのだろうか。
だとしたらちょっぴり……じゃなくてだいぶ自信がないユイであった。
いち早く立ち直ったクィンシーが、滑らかに立ち上がってユイに手を差し伸べる。
「では参りましょう、ユーフィーミア。」
「はい。……あの、上着、ありがとうございました。」
クィンシーの手を借りて立ち上がったユイは、おずおずと借り物の上着をクィンシーに返した。彼はにっこり笑って上着を受け取り、そのまま腕にかける。着るつもりはないらしい。
(ああ、やっぱり遠慮すればよかったっ……!)
ユイは猛烈に後悔した。間違いなく、上着はしわになっているだろう。アイロンを掛け直さないと着られないに違いない。せめてきれいにアイロン掛けしてから返すとか、返し方もあったのに! なんでそのまま返した、わたし!?
煩悶するユイに比べ、しわだらけの上着を返されたクィンシーは実に涼しい顔だった。
「上着のことならお気になさらず。今日は日差しが暖かい。歩き回って少々暑くなったのですよ。」
どうやらユイの心配はばっちり顔に出ていたらしい。気を遣わせてしまったことに、さらに落ち込む。
泥沼に陥ったユイに、クィンシーは苦笑する。
「さあ、そんなことより、散策を続けましょう。どこかご覧になりたいところはありますか? 校舎でも庭園でも、どこでもご案内しますよ。」
このままでは埒が明かないと踏んだのだろう。いささか強引にユイの手を取ると、クィンシーは歩き出した。
「この薔薇園のほかにも、ライラックやクレマチスが見事な庭もあるんですよ。」
驚いて顔を上げるユイに、クィンシーは柔らかく微笑む。
「花、お好きでしょう?」
「好きです、けど……どうして……。」
「見惚れてらしたから。アカデミーの庭師の丹精の結晶を、見てやってくれませんか。」
そう言われてしまうと、うだうだ悩んで楽しまないのも申し訳なくなってくる。
実際、案内された庭園は見事の一言に尽きた。薄紫の花々が咲き乱れる中、ライラックの芳香がふわりと漂う。
「わあ……!」
ユイはクィンシーの手を離し、ふらふらと前に出た。慌ててマリエがその後を追う。
「お嬢様。」
「すごいね、マリちゃん!」
駆け寄ったマリエに振り返り、ユイが満面の笑みを見せる。なんとか保っていた上品な微笑ではなく、普段どおりの、こぼれんばかりの笑顔だ。ついでに口調――言葉もラグロウズ語に戻っている。
「そうですね、見事です。腕の良い庭師を抱えているのでしょう。……ところで、お会いしたお二人もやはり?」
「あ、うん。」
声を潜めて同じくラグロウズ語で尋ねるマリエに、我に返ったユイが小声で答える。
「カリールもジェームズ・ノルズも攻略対象だよ。」
「今日一日で四人中三人ですか。見事な遭遇率です、お嬢様。最後の一人も今日中にお会いできそうですね。」
「止めてよ。」
ユイは困ったように眉尻を下げる。
「そんな怖いこと言わないで。本当になったら、どうするの。」
「まったくです。」
すまし顔で言い切るマリエと大真面目に視線を合わせる。一呼吸置いたのち、二人同時に破顔した。
――このときは、確かに冗談だったのだが。
赤煉瓦の瀟洒な校舎も、丹念に手入れされた庭も、一通り巡ってクィンシーが立ち止まる。
「さて、普段使用する範囲はこんなところですね。何かわからないことはおありですか?」
「……大丈夫だと思います。ご丁寧にありがとうございます。」
正直言えば、同じような赤い建物ばかりで区別がつけられそうもないのだけれども、そこはマリエがいるから大丈夫だろう。相変わらず人頼みのユイだが、マリエがユイ単独で放り出す事態がまず想定できないので、それも仕方がないのかもしれない。
「どこか特別にご覧になりたいところがあれば、ご案内いたしますよ。」
「特には……あ、そういえば、」
思い出したように、ユイが小首をかしげる。いろいろ案内してもらったが、教えてもらっていない場所があった。学び舎であればまずあるはずの、それ。
「資料室……図書室はどこでしょう?」
「図書室ですか?」
今度はクィンシーが首をかしげる番だった。
当然かもしれない。本――それも古い本――がたくさん置いてある場所は、埃っぽくて黴臭いものだ。若い娘が好き好んで出入りしたがる場所じゃない。
だが普通がどうであれ、ユイにはユイの事情がある。
「ええ。せっかくですから、シェリエールについて調べてみたいのです。」
「泉の乙女……ああ、女性はお好きな方が多いですからね。そういうことでしたら、適任がいますよ。」
訳知り顔でうなずくクィンシーに案内されたのは、ほかの校舎と同じ様式の赤煉瓦の別棟だった。どうやら、アカデミーの図書室は一つの建物として独立しているらしい。それだけ蔵書量が豊富なのだろう。
(これなら、調べられるかな?)
ユイは期待に胸を膨らませる。光あふれる開放的なラウンジを抜け、書架が置かれた部屋に入ると、一転して薄暗くなった。資料を日光から守るためだろう。明かりは灯っているものの、暗さに目が慣れず、ユイは瞬きを繰り返す。
「アインズレイ!」
明るさの違いに戸惑うユイと異なり、クィンシーは普通に見えているらしい。それとも慣れているのか。迷いもせずに中に進み、誰かの名前を呼ぶ。誰か――アインズレイ。
(ってええええええっ!?)
ユイの記憶に間違いがなければ、その名前も攻略対象だったはずだ。
(まさか本当に一日で全員とは……。)
愕然とするユイを置いて、クィンシーは彼の名前を呼び続ける。
「アインズレイ! いるんだろう!?」
「うるさいっ! 図書館で静かにすることもできないのか、お前は。」
終わりが見えないほど立ち並んだ書架の間から、男子生徒が顔を出した。薄暗がりでもわかる、色の白さとゆるく波打つプラチナブロンド。端正な顔立ちだが、神経質そうに眉間にしわを寄せ、機嫌の悪さを隠しもしない。この暗さでは色まではわからないものの、冷たい印象を与える薄い色の目もあって、彼の不機嫌はある種の迫力があった。
だがクィンシーは、腰が引けそうな彼の不機嫌を、気にもかけない。
「静かにしたら無視して出てこないじゃないか、お前。」
「ふん。総代が俺に何の用だ。」
「特別聴講生の案内だよ。泉の乙女について知りたいそうだ。」
「特別聴講生……?」
初めて気づいたというように、彼はユイたちを見た。眉間のしわがいっそう深くなる。
「ユーフィーミア。これがアルヴィン・アインズレイです。二年の学年首席で神話や伝承にも詳しいですから、お聞きになりたいことがあれば、いつでもどうぞ。授業以外はだいたい図書館に篭っていますので。」
「おい! 俺の都合は丸無視かっ!?」
「まあ、それは恐れ入ります。」
アルヴィンにかぶせるように、ぽんと手を打ったユイが微笑む。失礼なことをしている自覚はあったが、それを上回る切実な願いがあった。
……正直、どこまでも続くように見える書架の数に、これを調べないといけないのかと、不安になり始めていたのだ。攻略対象であろうとなんだろうと、図書館を使い慣れていて、しかもシェリエールに詳しいのであれば、これほど力強いことはない。
「わたくしはユーフィーミア・カタスカーナです。こちらは従姉のマリエ・カーティス。どうぞよしなにお願いいたします。」
心を込めて、挨拶する。後ろではマリエもしっかり頭を下げていた。
うん、間違いなく意図は伝わっている。以心伝心。さすがはマリエ。
「……カーティス?」
(あら?)
思わず漏れたというようなアルヴィンのつぶやきに、ユイは顔を上げる。
「カタスカーナ……ラグロウズの、カーティス?」
「ご存知なのですか?」
アルヴィンは驚いたように目を見開き、眉間にしわを寄せることも忘れたらしい。
これはひょっとするとひょっとするのかもしれない。
「その……ユート・カーティス氏とは……?」
「はい。ユートはわたしの兄です。」
「そうか!」
マリエの回答に目を輝かせたアルヴィンは、その勢いのままマリエの両手を握ってぶんぶん振った。
「お目にかかれて光栄だ! カーティスさんは俺の目標なんだ!」
「は、はあ。」
突然の変わりように、さすがのマリエも目を丸くする。ユイもクィンシーも呆然として、アルヴィンの豹変を見守るしかできなかった。教授たち同様、もしかしてアルヴィンもユートのファンなのではないかと予想はしたが、これは予想以上だ。
「カーティスさんが早生まれじゃなけりゃ、俺も一年は同じ敷地内にいられたはずなんだが……だからこそ、二年の飛び級が余計に凄いんだけどな! なあ、今度ぜひ……」
マリエの手ごと自分の手をぶんぶん上下に振っていた途中で、アルヴィンは唐突に自分の行いに気づいたらしい。つまり、静かにしなければならない図書館で騒ぎまくっていたことに。そして自分の望みを欲望のままに口にしかけたことに。
アルヴィンの頬が見る間に真っ赤になる。もとが色白だから、その変化は顕著だった。ぱっとマリエの手を離し、口元を握った拳で隠して視線をそらす。
「……。」
「……。」
「……あの。」
恐る恐る声をかけると、アルヴィンはびくりと肩を震わせた。真っ赤になったまま、横目でちらりとユイを見る。
「ああ。すまない。少し、はしゃいでしまったようだ……。」
あれが少しか?
その場にいた全員が思ったが、賢明なことに、誰も口には出さなかった。
「その、泉の乙女について知りたいんだったな。俺はだいたい図書館にいるから、いつでも来るといい。協力は惜しまない。」
「……よろしくお願いいたします。」
想像以上の歓待ぶりだったが、終わりよければすべてよし! ……なのかもしれない。
くすぐったいような、いたたまれないような。なんとなく居づらくなったユイたち三人はアルヴィンに別れを告げ、図書館を後にする。
外に出たところで、クィンシーが「はぁ」と息をつきながら図書館を仰ぎ見た。
「あれとは入学以来の付き合いですが、あんなに壊れたところは始めて見ました。」
「普段は違うのですか?」
首をかしげてユイが尋ねると、クィンシーは「とんでもない!」と両手を空に向けて肩をすくめた。
「あれの普通は仏頂面ですよ! まあ、カーティス氏の妹御をお連れの時点で、多少機嫌が良くなるだろうと踏んでいましたが、まさかあそこまでとは。予想以上です。」
くつくつと、楽しそうに笑ったクィンシーだが、ふと真顔に戻る。
「不器用ですが、悪い奴じゃないんです。誤解しないでやってください。」
「……よいお友達でいらっしゃるんですね。」
「はい。」
ユイは目を細めて、照れたように笑うクィンシーを見上げる。
クィンシーはきっと、充実した学生生活を謳歌しているのだろう。愉快な学友に囲まれて。それこそ、学長が言っていたように。
(わたしも、できるのかな?)
できたらいいなと、そう、思った。
「これからどうなさいますか?」
「そろそろ失礼させていただこうかと。」
「そうですか。なら屋敷までお送りしましょう。」
どうやらクィンシーの親切は学外にも適用されるらしい。
ユイは慌てて両手を振った。
「いえ、大丈夫です。迎えが来ますから。……マリエ?」
助けを求めるように視線を送るユイに、マリエは心得たといわんばかりにうなずいた。
「迎えが到着したと連絡がありました。送迎用ロータリーで待機しております。」
「ということですから。お気遣いには感謝いたします。」
迎えが来ている以上、クィンシーもそれ以上是非にとは言わなかった。……ロータリーまでは、がっつりエスコートされたけれど。
「そういえば……、」
「マリエ?」
侍女らしく余計な口を利かず、鉄壁の無表情を保っていたマリエの発言に、ユイがどうしたのかと振り返る。
「迎えに来ているのは兄なのですが、」
マリエの兄はユート・カーティスただ一人だけ。
「アインズレイ様にお伝えしなくてよろしかったのでしょうか……?」
「……。」
「……。」
「いや、いいんじゃないかな……?」
微妙な沈黙の後で、クィンシーがぽりぽりと頬をかきながらつぶやいた。若干、視線が宙を泳いでいる。
「今のあいつをカーティス氏に会わせたら、鼻血出してぶっ倒れかねないし……。」
この人もたいがい失礼な人だなあと思いつつ……否定できないユイとマリエであった。
これでようやく攻略対象が出揃いました。アカデミーに行って順番に顔合わせて……というだけなのですが。
攻略対象を含め、残念な人ばかりでなんでこうなった! という気分です。




