雨の日と俺を救った金の少女は
「君はこっちですよ」
ナチがセリナという女に連れて行かれた時に、アドルというらしい男に手招きされた。アイリスはもちろん無視を決め込んでいる。ここにいるのは仕方なかったからで、それ以上の言葉に親切に従うつもりはなかった。…のだが。
「濡れた服でいつまでもそこにいられると、床に水が落ちるじゃないですか。明日、出て行くつもりなら、それまでに掃除してもらいますからね」
にっこりそう言われては動かないといけないような気がして、脱衣所に向かった。
『おい、着替えろとか言わねぇだろうな』
脱衣所ということはそういうことくらいしか思いつかない。
『竜は着替えなんか…』
「ああ、知ってますよ。うちも小さいですけど竜ギルドですからねぇ」
アドルは洗面台でなにやらガチャガチャやっている。
竜というものは人間のそばにいるために人の姿を得た。アイリスも本当かどうかまでは知らないが、最初の竜の伝説だ。人の暮らしに交じるには姿が人間なだけでは足りない。言葉に表情、歩き方。竜にできないことは山ほどあった。その中でも最初の竜が悩んだのは人間の纏う服のこと。竜は服など必要ない、だが人間にはなくてはならないものだ。時にもとの巨体に戻らなくては竜は衰弱してしまう。仮の姿は体力を消耗するからだ。しかしそれでは服を粉砕、無駄にしてしまう。竜の性状として一々服を脱ぐというのもまどろっこしい。そこで最初の竜は考えた。
「あ、コレですね」
『な…おい、何を…』
自分の持つ鱗や鬣を服そのものに変化させる。
「目瞑っててくださいね」
アドルはほんわり笑って手にしたものを構える。
『ま、待て。何だそれは』
形も大きさもおもちゃの風車。青色の羽が細い棒に固定されている。どこからどう見てもただのおもちゃ。けれどそれは今のこの場所と状況には全くの不釣合いで、それゆえになぜか恐ろしいもののように見えてくる。しかもそれは洗面所の棚の中から出てきた。
「せーの」
アイリスの制止も空しく、アドルがふっと軽くそれに息を吹きかける。
『ぬあっ!?』
風車が回った――と思った瞬間、強風に襲われた。高速で回る羽、服がばたばたと翻る。目が開けられない。そして何より。
『~っ!止めろ!凍える!』
「へ?」
アドルがもう一度息を吹きかけると風車は止まった。髪がボサボサになったアイリスが風車を取り上げる。
『なんだ今のは!』
「セリナさんが王都から持ってきた、魔法具です。風車型ドライヤーですよ。息を吹きかけるだけで風を起こせるんです」
便利でしょう?とアドルは笑うが、アイリスは髪を直しながら風車を目の前に持っていく。
『やっぱりか。おい、これ冷風のやつだ。ったく…濡れた身体に冷たい風って、どうするつもりだよ』
羽の後ろには『冷』の文字。
「ああ!じゃあこっちですね」
…今度こそ、確かに温風の赤い風車だ。先ほどと同じようにアドルは風車を構える。
濡れた服も髪も、10分ほどで乾いた。
「それで……アイリス君、でしたっけ?」
『おお』
食堂に戻る途中でアドルが足を止めた。
「どうして雨の中をこんなところまで来たんです?あの子は王都から来たのでしょう?」
アドルの夜色の目がアイリスを捉える。
あの子は金色の髪をしていた。金髪は北に多い。北の街で、あのような服装をしているのなら、きっと王都グランデ・セレナードの出身だ。
『王都…。…なあ、さっきから王都、王都って言ってるけど、王都って何のことだ?』
「…はい?」
『王都ってことは王様か。王様でもいるのか、この国には?』
驚くアドルの前でアイリスは腕を組んで続けた。
アイリス君は竜だ。言動や雰囲気からして僕と同じくらいの精神年齢だろう。ということは竜で考えると、それでも40年ちょっとは生きていることになる。
「グランデ・セレナードを、知らないんですか?」
竜は博識だと思っていたのですが。40年生きてグランデ・セレナードに行ったことがないのでしょうか…?いや、僕もないんですけど…彼は飛ぶことが出来ますし…。
『グランデ…なんたらって言うのか、その王都ってのは。どっちの方角にあるんだ?デカイのか?』
戸惑っているうちにアイリスは王都に興味を持ったようで。でも今は雑談をしている時間はない、事情を聴き出さなければ。グレッグがいない今、自分に責任があるのだから。アドルはテンポよく話題を変える。
「王都の話はいつでも好きなだけ教えてあげますよ。先に僕の質問に答えてくださいね。…あの子とは、どこで知り合ったんです?そして、なぜ彼女を連れて来たのですか?」
アイリスの組んだ腕に一瞬力が入る。アドルは見逃さなかった。その時、この緑竜の顔が苦しげに歪んだのを。
『ナチが、俺を…俺を救ってくれた。だから俺はナチのそばに、いる』
遅くなってしまいましたー