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番外編「氷下の春」

   氷下の春



 頭から流れた血が、目に入る。だが何とか見える片目を見開いて、彼は逃げていた。

 手の内にある小さなパンは、今日を生き抜くのにどうしても必要なものだった。

 背中に浴びせられる罵声は、もう耳に言葉として伝わってこない。ただの不快な音。

 衝撃に、視界がぶれる。

 殴られたのだと気づいた時には世界が逆転し、顔面から地面に突っ伏していた。

「このガキがぁ!」

 胸ぐらをつかみ上げられる。それでもパンは離さない。

 彼を追っていた男は、半分血まみれになった顔をのぞき込み、そこでふと、何かに気づいた顔をする。

「てめえ、この辺の人間じゃねぇな」

 男は彼の中に流れる異民族の血に、顔をしかめる。

 と、男の後ろからもう一人出て来る。彼をつかみ上げている者よりは幼さが残る顔立ちだが、そんな事実は彼の助けにはならない。

「そいつ……もしかして、魔法王国の生き残りじゃねぇか? ほら、ちょっと前に皇都が残党狩りしてたあれだ」

 もう一人の言葉に、男は頷く。次いで彼に向いた表情は、凶悪に歪んでいた。

 額がつくほど近くに顔を寄せ、男は先ほどまで見せていた怒りとは別の感情を見せる。

「よぉ、てめぇは魔法使いの生き残りか? だったら得意の魔法とやらで逃げてみせろよ」

 男は彼を振り上げ、地面に叩きつける。そしてパンをにぎっている右手を踏みつけた。痛みに悲鳴が上がったが、相手はまったく頓着しない。苦しむ表情を見て男の表情が愉悦の色に染まる。

 踏み込む足の力はさらに強くなり、離した途端に蹴りが入る。彼は近くの壁まで吹っ飛んで、そのまま倒れた。

「おい、それくらいにしねぇと死んじまうぞ」

 もう一人は声はかけるが、男が彼をつかみ上げるのを止めようとはしない。

「へっ、どうせ盗人だろ、ここで潰しておくのが親切ってもんだよ」

 男の醜く歪んだ顔に、もう一人の青年はほどほどにしろよと言い捨てて踵を返す。

 だが、路地を出ることはできなかった。

「な、なんだよおめぇは……」

 路地をふさぐようにして立つ人物に、青年は大げさにうろたえる。子供に暴力を振るっていたことを咎められるとでも思ったのかもしれない。

 だが相手が自分よりも年下で、女のようだと気づいた途端に態度を変えた。若干ぎこちなくもふてぶてしく笑ってみせる。

「お嬢ちゃん、あっちへ行ってな」

 肩を突き飛ばすような勢いで、通せんぼしている者の横を抜けようとしたが……

 青年は歩いている方向とは逆へ飛んだ。

「ひぃぁぁぁ……!」

 悲鳴は、最後まで続かなかった。

 身体をくの字の折り曲げて青年は吹っ飛び、奥にいた男にぶつかって二人とも転がる。

 男の腕から彼も放り出される格好になった。そのまま無様に倒れたが、目線だけは侵入者に向いて離れない。その眼差しは助けを求めるというにはあまりにも冴えていた。場合によっては侵入者にも牙を向けようとする気配があった。

 その目に、彼の今までの生き様が現れていた。

 侵入者は唸り声を上げて威嚇でも始めそうな彼を無視すると、起き上がった男に向き直る。楽しみを奪われた男は誰何の声も上げずに飛びかかってきた。男は丸太のように太い腕を、自身の半分くらいの重さしかないような相手に突き出す。だが進入者は狭い路地の中、わずかに身を翻してかわすと、男の首に手を伸ばした。

 侵入者は男の胸ぐらをつかむと、そのまま猫の仔のように持ち上げる。

 たっぷりと幅のある身体が地面から離れた。男は相手の細い腕と浮いている身体に驚愕したが、声を上げて暴れる前に自分の服と体重に首をしめられ、あっさり気絶した。

 侵入者は男の巨体を脇に捨て、もう一人を探す。青年は獣のように四つんばいの格好で這って逃げ出すところだった。巨体が地面に落ちる衝撃と音で飛び上がり、そこでようやく自分が二足歩行できる生き物だと思い出したらしく、立って走り出す。

「忘れ物だよ」

 その人は落とした財布でも渡すような調子で気絶した男を放り投げる。一緒になって倒れた男達。起き上がった青年が、気絶したままの男を引きずって、今度こそ逃げていった。

 通りに、静けさが戻る。元々大通りから外れ、建物が迫った幅の狭い通路なので人通りはない。薄暗い路地にはすえた匂いが漂い、そこに荒い息が混じる。

 彼はじっと見ていた。自身の呼吸が耳障りだった。

 ささいな動きも逃すまいとして目を見開き、侵入者から目線を外さない。手の中には、くずになったパンがあった。それを奪われまいと身をかがめて抱え込む。

 警戒心も露わな様に、侵入者は息を吐くと踵を返した。

 そして、背を向ける前につぶやく。

「ごめんね」

 容姿と同じく細い声は、通りに反響することなく消えた。

 彼はそのまま、後ろ姿を見送った。だが、相手が完全に角を曲がり切った後になって、弾かれたように立ち上がって後を追う。

 だが、そこにはもう誰の姿もない。

 薄暗く、冷たい路地が続いているだけだった。



 そのまま陽が落ちても、彼はしゃがみ込んでいた。時々、思い出したようにくずになったパンを拾い上げて咀嚼する。石や砂が混じっても、気にするような神経などとうに死に絶えていた。

 頭の怪我の血は、既に止まっていた。全身の打撲がじくじくと熱を持っている。

 動けないほどの傷ではない。少なくとも、彼の今までの経験ではそうだった。

 それでも、彼はそこに座り込んだまま動かない。

 なぜ、その場に留まっていたのか。

 尋ねられたところで、彼の中にも確固とした答えはなかった。もっとも、彼には帰る場所も、行くあてもないのだが。

 いつもそうやって、追い払われれば移動するという行為を繰り返していた。

 ただ、今日に限って言えば、彼は待っていたのかもしれない。

 誰かを、何かを。

 それすらもわからなかったが、彼はその場に座り続けた。壁や土の冷たさも、麻痺して何も感じなくなっても。

 深夜になったが、彼はまんじりともせず建物に背を預けた格好のままそこにいた。パンくずは食べ尽くしたが、腹が満ちた気はしなかった。代わりに、空腹も覚えてなかったが。

 と、不意に遥か頭上の窓が開いた。居座っている彼を目障りに感じた住人が、泥水でもひっかけようとしているのかと思い、軽く半身を浮かせたが、出て来たのは汚水ではなかった。

 窓から飛び出した黒い影は、猫のように静かな動きで通りに降り立つ。

 すぐに、相手は猫ではなく人間だと気づいた。

 だが壁を蹴って地面に下りる様は、ある意味猫よりもしなやで軽い。

 人影はあたりをうかがうように頭を巡らせていたが、すぐに通りの向こうへ消えた。彼も、あれは何だったのかと興味は湧いたが、すぐにどうでもよくなった。もめ事に首を突っ込んだところで腹は膨れない。

「……子供か?」

 と、声に驚く暇もなく、彼は襟首をつかまれ潜んでいた場所から引っ張り出される。放り出されて尻餅をつくと、声の人物は彼の前に仁王立ちになった。

 いつの間に後ろへ、いつから自分の存在に気づかれていた。

 疑問を浮かべている間に、人影は二人に増えた。どちらも全身黒ずくめで、かろうじて身体の線で男とわかる程度だった。

「どうした?」

「いや、子供がいたんだ」

 二人の視線に、彼は思わず身を堅くする。

 だが男達は彼の焦りなど気にした様子もなく喋っている。口にする内容は、充分に剣呑なものだったが。

「仕事は終わったのか?」

「あぁ、明日の朝までは大丈夫だ。見た目は眠っているようなものだし」

 窓から出て来た方は、そこで言葉を切ると肩を落とす。

「それにしても、弱ったな。目撃者を出したくはなかったんだが……」

「注意を怠ったお前の責任だ」

 仲間に厳しく言われ、男は勘弁してくれよ、と肩をすくめる。次いで、口中で唸るように文句を言いながらも彼に向かって膝を折った。

「お前、親は?」

 彼は首を振った。

 親は死んだ。仲間とはぐれ、この街に流れてきた。

 だがそんな事情を説明したところでどうなる。

 助けの手は来ない。

 彼は既に、誰かに向かって手を伸ばすことすら忘れていた。

 仲間の庇護を失ってからの月日など、とうに数えるのをやめた。数えたところで無意味だから。

 人の身にとって、苦しみをもたらす時は、ひどく長いものに感じられる。彼にとって最悪だったのが、降りかかった苦しみから抜け出すには、彼はまだ幼すぎた。繰り返す災厄の中、照らす光も指し示す道しるべも見つけられないまま、ただ日々を足掻いているだけ。

 飢えをしのぐ為に、また渇きを癒す為だけに、彼は何でもやってきた。

 そうせずには生きていけない環境が、彼を動かしたのだ。

 唇を噛みしめて黙ってしまった彼を前に、男達は顔を見合わせる。それでやりとりが成立したのか、一人が彼の手を引いて立たせた。

「ついてきてもらうぞ。お前の処遇がどうなるかは俺達にもわからんが、ここで逃げるような真似をしてみろ……」

 にぎられた腕に、力が込められる。それはほんの一瞬のことだったが、それでも幼い子供からその手を振り払う気を消すには充分だった。

 すっかり硬直した彼に、もう一人が不憫に思ったのか、幾分硬さの取れた声で話しかけてきた。

「お前、名前は?」

 問いかけに、彼はしばらく反応ができなかった。

 答えられなかったのではなく、あまりも久しぶりに問われたので、自分の名前を思い起こすのに時間がかかってしまった。

 それでも、彼は答えた。

「……ギーヴル」

 魔法王国ウトガルヅルの末裔。人食い竜の名を持つ子供は、ようやく暗闇の路地裏から、夜明けに向かって歩き出したのだった。



 連れて行かれた先で何が待ちかまえているのか、恐怖がなかったといえば嘘になる。だが同時に、これ以上悪くなりようもないという考えもあったが。

 結果として、待遇は悪くはなかった。

 身の上話を聞かせた後は、さらによくなり、最終的にはその……よくわからない集団の末席に加わることになった。

 そうやって彼は、新しい居場所をもらい、一族の長と名乗る男の養子となった。

 男に殴られた翌日から、彼の生活は路地裏を逃げ回るものから一変することになる。

 彼が加わったのは、大陸を渡り歩いては商品を仕入れ、別の場所で売ることで生計を立てる巡回商団だった。

 元々の彼の仲間だった大人達も、同じようにして各地を巡っていたので、彼自身も生活の変化に馴染むのは早かった。

 さらには周りを取り巻く者達によって、ギーヴルは教育を受けることになる。

 最初は旅の合間に女や、彼と同じほどの子供に混じって読み書きを教わり、薬草集めを手伝ったりと、遊びの延長のような事ばかりだったが、それに少し慣れると、今度は戦闘訓練が始まった。

 ギーヴルはその方面に強い興味を覚え、さらに周囲も驚くほどの上達ぶりを見せた。

 素手で相手を叩き伏せることや、刃物の扱い、そして……確実に人間を殺せる、技術。

 真綿が水を吸うように、彼は戦い方を吸収していった。

 だが彼の刃は、ただ人を殺すにはあまりにも重すぎた。

 そして、一族が子供に戦うすべを教えたのは、流浪の民が身を守る為の手段だけではなかった。もっと、実用的な理由があったからだ。

 一族は巡回商団としての顔とは別に、裏では金銭で殺人を請け負っていた。だが、一族の方針は、仕事にする以上、命を奪う相手に対し、必要以上の苦しみを与えるやり方を是とはしない。

 逆に、相手が命を失う瞬間まで全力で愛することさえある。

 標的は、自身がもっとも信頼する者によって、その裏切りさえ知らずに死んでいく。

 それが彼らの流儀。

 ギーヴルは技術こそあったが、針一本ですませる行為にまで石を叩きつぶすように力を入れる傾向があった。

 常に嵐のように感情を吹き乱し、飢えた眼差しにあったのは、復讐。

 彼は魔法王国の末裔であるウトガルヅルの民。彼らは皇都周辺での交易で生計を立てていた。だが、国境紛争の激化により街道は封鎖され、民は生活の基盤を奪われた挙句、国境の向こうへ逃げることも叶わなかった。そのうちに族長が殺害され、彼らは散り散りになる。

 ギーヴルの苦境はそこから始まった。理由もわからないまま迫害された挙句、死に至った多くの仲間達がいた。彼はその死を見続けてきた。

 そうやって、自身も常に死のふちを歩いていたのだ。

 幼いうちからあまりにも多くの生き死にを見てきた彼の中には沼底の汚泥のように、よどんだ感情が幾重にも堆積していたのだ。

 危険な思考にギーヴルが落ち込んでいる事実に、周囲の人間は少なからず気づいていた。彼らは彼らなりに、ギーヴルに手をさしのべたり、導こうとしていたが、視野の狭まった思考ではその優しさに気づくことはなかった。

 そんな有様に、彼の義兄は息を吐くのだった。



 復讐に凝り固まっていたギーヴルの前に、もう一度その人は現れた。以前と同じく、唐突に。

 今度は薄汚れた路地裏ではなく、快晴の空の下、草原で。

 もっとも、ギーヴルがいたのがたまたま商団が休憩していた野営地だっただけで、場所が変わってもその人は変わらず、何の脈絡もなく現れただろう。それだけ、呼吸するのと同じくらい自然に周囲に溶け込み、かつ浮いていた。

 空色の髪と長い服の裾が、草原を渡る風に揺れる。吹く風に髪を遊ばせたまま、その人は笑った。

「こんにちは、かな?」

 第一声をどうしようかと散々迷った様子の挙句、出てきたのはありきたりすぎて逆に反応に困る文句だった。

 鍛錬中だったギーヴルは、持っていた段平を落とすようなへまはしなかったが、投げ捨てたい程度には……正直、あきれていた。

 まず、驚愕は相手の唐突な出現にあった。振り返ったら、そこにいたのだ。

 草原の真ん中で背後を取られた事実に、不覚にも硬直したが、向こうは普通の挨拶をしただけ。

 ここでギーヴルも同じく頭でも下げていれば、その間に相手も消えて、白昼夢で終わるのではないかと思ったが、実行する前に彼の中にちくりと刺す感覚があった。

 呼び起こされたのは、懐かしいと感じるには痛いものが混じった記憶。

 すえた匂いの漂う路地裏での邂逅。

 いや、出会いとも呼べない出来事だった。

 実を言えばギーヴル自身、あの時のことは記憶していても、相手の顔はよく覚えていなかった。ただ雰囲気や、声などの断片的な部分だけがぐるぐると巡っているだけ。

 それでも記憶と目の前の人物が繋がったのは、その人が『同じ』だったから。

 その人は記憶よりも幾分硬さの取れた顔で首を傾げる。

「さっき、男の人と言い争っていたよね。君のお兄さんみたいだったけど、君に復讐なんかに凝り固まるのはやめろって、一生懸命に諭してくれていたのに、君は無視してここにいる」

「……いつから見とったんや」

 確かに、義兄と言い争いをした挙句、居心地が悪くなって野営地から出て来た。だがしかし、周囲は当然、同じ商団の仲間だけ。余所者が入り込めばすぐにわかったはずだ。

 その人は、彼の質問を微妙にはぐらかして笑う。

「たまたまだよ、通りかかったんだ。僕も、君があの時の子供だってよく気づいたと思うよ」

 すごいと自画自賛する割りに、喋る声は一本調子で淡々としている。有り体に言えば、面倒くさそうにも聞こえた。

「声をかけるつもりはなかったけど、何となく捨て置けなくてね。あ、でも君が僕を見て驚いたり叫んだりすれば、すぐに消えていなくなるつもりだったけど」

 君が無反応すぎたから、反応に困ったとその人は息を吐く。

「だってさ、普通、何年も前に会った人物が、同じ顔で出て来たら驚かない?」

 その人はギーヴルを見て、寂しそうに笑った。

 脆い雰囲気さえ漂わせる微笑に、ギーヴルは唾棄する。

「お前、何しにきたんや。愚痴を言いに来たんか? それとも、せっかく助けたったのに、復讐なんて馬鹿な真似に人生つぎ込んどる阿呆を止めたいって腹かい?」

 よどんだ目をした青年に育ったギーヴルを前に、その人は、ゆっくりと唇の両端を上げて笑う。嘲りや同情の色はなく、逆にどこか愉快そうに。

「半分は、そう思っているよ」

 言葉を切ると、さらに笑みを深める。

「もう半分は、先達者としての分析を伝えたかっただけ。君は復讐がどうこうじゃなくて、抱える憎しみが消え去るのが怖いんでしょ。だって、君は今の生活に少なからず満足している。でも、そうやって日々を送っている間に、過去の記憶は削り取られて現在に塗り替えられていく」

 ギーヴルはいらいらと相手をねめつける。その人の言葉は、神経に直接やすりでも当てられているようで、ひどく不愉快だった。

 その人は彼の激昂などものともしないとばかりに、柔らかく言葉を繋げる。

「すべてを過去として葬り去ることで、死んでいった者達に怨まれているような気持ちになって……怖いんでしょう」

 静かに、ほころぶような笑顔でその人は締めくくる。

「僕も、同じだよ。大切な人を、目の前で奪われた」

 全知の笑みに、ギーヴルは相手を殴り飛ばして踏みにじってやりたい衝動に駆られる。

 だが、と呼吸を吐いて踏み止まる。殴るのは、いつでもできるから。

「せやったら、なんで相手を殺しに行かへんのや」

 噛みつくようなギーヴルの言葉に対し、その人は笑う。

 笑いながら、花を運ぶ風のようにふわりと揺れる。

「ねぇ、もしもこの世界に、君と君が復讐しようとする人だけになったら、君はどうする? 迷わず刃を突き立てる? それとも、和解する? 互いが見えない場所へ移り住む?」

「そんな仮定、無意味や」

「そう、意味なんてない、ただの言葉遊び。だから、遊びだと思って聞いてよ。そもそも僕には、君にとやかく言う資格なんてないんだ。だって僕も、復讐の為に存在しているから。でもそうやって来たからこそ、復讐が何も生み出さないことも、そんな単純な解答をすべての復讐者が持っているのも理解している。それでも、復讐者達が自身の生を犠牲にしてまで猛り狂うのは、大切な人達への思いを、仇の血と悲鳴でもう一度確認する為。なんてことはない、自分が安心したいだけの代償行為なんだ」

 無垢に笑うその口のどこから、そんな剣呑な言葉が出て来るのか不思議だった。同時に、ギーヴルは頭を殴りつけられたような衝撃を覚える。

 その人は、ギーヴルの復讐を肯定したのだ。

 肯定した上に、彼の周りにいる者達のように、頭ごなしに否定し、適当な言葉で誤魔化すのではなく、ある種歪んではいるが……正論で返してきた。

 その時、ギーヴルは初めて相手を真っ直ぐに見据える。

 同時に、初めて、今日が晴れていて、とても穏やかだと気づく。

 ゆるやかな風が頬をなで、くすぐったいとも感じた。

 絶冬に閉じこもっていた心が、暖かい春に向かって踏み出した瞬間だった。

 途端に、比喩ではなく世界が変わって見えたのだ。

 目の前の、いらだちを募らせていた対象まで、何となく、本人には悪いが、間抜けな顔だと思った。男か女か、子供か大人か、何もわからない中途半端な存在。

 ふと、ギーヴルは思いついたことを口にする。

「なぁ、なんであの時、謝ったんや」

 路地裏で、その人は殴られ倒れていた彼に向かって大丈夫かと声をかけることもなく、彼に向かって謝った。その事がひっかかっていたから。 

「ワイに同情しとったんか?」

 その人は困ったように視線を泳がせた。とりあえず、自分でも少し考え込んだらしいが、何も思い浮かばなかったのだろう、首を傾げてくる。

「同情は……違うと思う。まあ、ちょっとはあったかな」

 首を傾けたまま考え続ける素振りをすると、ぱっと顔を上げた。

「じゃあ、ありがとう」

「……今度は感謝するんかい」

 こめかみで指を押さえ、ギーヴルは心底あきれた。その人は、ふわふわした見た目と同様、頭の中もどこか軽いようだ。

「あの時の僕は、とにかくいらだっていた。目的を達成できない、その取っかかりすら見つからずにさまようだけの状況に疲れ……ひどく、凶暴な気分になっていた。それこそ、目についた人間を端から殺していきそうなほどにね」

 そこに、君がいた、と頼りない顔を上げた、

「理不尽な暴力にさらされ、抵抗のすべもない君と、それを許している何かに……もったいつけた言い方なら、運命みたいなものに、ひどく腹が立った。だから、攻撃した。あの人達も、運が悪かったね」

 言う調子は軽くて、罪悪感を覚えている様子はない。もっとも、だからといってそれを咎める者はこの場にはいなかった。

「僕はあの時、君を助けなければ、きっとつぶれていただろうね。何の為にここまで来たのか、そんな簡単なことも忘れて、楽な方に逃げようとしていたけど、初心ってやつを思い出したんだ」

「楽なのはあかんのか?」

「逃げるのは、それこそいつだってできるよ。でも、僕は過去を忘れたくはない。さっき言ったように、僕は僕の思いを確認する為に、復讐を続けるんだ」

「難儀やな」

「馬鹿なことをやってるっていう自覚はあるよ」

 互いに顔を見合わせて吹き出す。

 この時、彼らの間にはこれからの別れも、再会のあてもなかった。

 ただ現在だけの為に笑っていた。

 だが、人食い竜の名を持つ子供が、再びさまようきっかけとなる出来事でもあったが。




【氷下の春 終】


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