番外編「受験戦争」
受験戦争
「ねぇ、カイゼル」
「駄目だ」
ヘーゼの言葉をカイゼルは、顔も上げずに拒否した。はねつけられた方は仕方なく沈黙する。
昼下がり、彼らはがらんとした教室に二人だけ。
カイゼルは眉間にしわを寄せながら書類を読むのに必死で、対するヘーゼはカイゼルの机の側まで椅子を持ち込み、またがるように座っている。そうやって、半分泣き出しそうな顔をしながらカイゼルに話しかけては無視され続けていた。
そんなやりとりは、もう何度も繰り返されていた。
少年二人がいるのは、日曜に開かれる庶民向けの学校だ。もちろん、貴族の子弟などが通う本式の学校に比べれば、教える内容の程度はかなり低い。それでも読み書きや四則演算程度は教えてくれる上、何より費用が安い。かかる経費の半分を国が負担しているからだ。それでも、まだまだ下町での識字率は低い。学校に行って机に貼り付いているより、その時間を使って小銭を稼ぐ方にやっきになったり、親の手伝いに励む子供が多いからだ。
その中、この二人はなかなかの出席率を誇り、成績の方は適度に良好だった。
さらに上級の学校を目指す夢を抱く程度には。
「カイゼルのけちっ! 話くらい聞いてくれても良いじゃないかっ!」
とうとう無視されるのに耐えきれなくなったヘーゼは、勢いを付けて立ち上がる。椅子がたてる音に、カイゼルはようやく不機嫌そうな顔を上げた。
「その事なら、何度も断っただろうが」
「でも……」
「何て言っても駄目だ。俺はお前と同じ学校には行けない、それで終りだ」
「えぇっ! そんなぁ! 僕だけ別れるなんて嫌だよ!」
彼らが授業が終わった後も居残っているわけは、教師に今後の進路を相談する為であった。
ついでに言えば、カイゼルとヘーゼの面談はとうに終わっている。今はイリスを待つ傍ら、カイゼルは教師からもらった要項を読み、ヘーゼは泣き崩れていた。
その理由は簡単。
日曜学校で、そして普段でも一緒に転げ回って遊んできた三人組だが、もうじきここを卒業し、別の進路を取る。
そう、彼らの道が、初めて違う方向に向かい始めるのだ。
「嫌だって言っても仕方ないだろ。俺は訓練校、お前は学問所。イリスは……どうだか知らんが、とにかくみんなバラバラになるんだよ」
「だって、だってぇ……。学問所なんて貴族ばっかりだよ、友達は誰も受験しないのに、僕だけ行くなんて嫌だよ。貴族だらけの学校なんて……考えただけでぞっとする、嫌すぎるよ!」
学問所とは、国営……と、いうか、金の余った貴族達が、ほとんど道楽で運営資金を出している学校のひとつだ。しかもヘーゼが受験するのは、その中でもトップクラスの難易度を誇る王立付属学問所で、試験に受かっただけでも一種のステイタス扱い。さらに卒業後の人材は様々な方面で活躍することができる。ほぼ間違いなく、将来は国を動かす中枢に食い込めるほど、その肩書きには力があった。
受験資格は建前上は国営の為か、貴族や平民の区別なく受ける事ができる為、一般民衆のヘーゼが受験する分には何の問題もない。
しかし、一見、華々しい成功への道が待ちかまえているように見えるが、その輝いた展望も、試験に受からなければ……受かって、さらに学問所を卒業しなければ始まらない。
潤沢な資金で多数の家庭教師を雇えるような貴族と違い、週に一度の、しかも基礎中の基礎しか教えないような教育ではまず受からないのだ。
他にも難問のひとつとして、高額の授業料がある。
この日曜学校に毎月支払っている学費より、軽く三桁くらい違う。
ヘーゼの親は傭兵ギルドの幹部として名を連ねている分、そこら辺の一般家庭に比べて収入の面は格段に違う。
一人息子に専属の家庭教師をつけた上、高額な授業料が必要な学校に通わせても生活できる程度には潤っている。
対照的に、カイゼルが受験しようとしているカイルンゴルム幼年兵部隊訓練校は、その名の通り将来的に軍属を希望する子供達の学舎で、確かに高等教育は受けられるが、授業内容の大半は軍事的なものになる。
学問所と同じく国営だが、その基本方針が真逆と言っていいほど違うのだ。
訓練校は、簡単に言ってしまえば兵士としての基礎訓練を行う場になる。当然、知識の他に剣術や体術も必修科目に含まれる為、ある意味、学問一辺倒な学問所よりも過酷な進学先だろう。
だが、何より授業料が安い。
日曜学校に比べれば費用は多少かさむが、学用品はすべて学校側から支給される上、基本的に寮生活になるので衣食住の心配もなくなる。
訓練校に入学さえできれば、食べることも寝る場所にも困らず、格安で勉学できる上、卒業後の進路は決まっているも同然。学費が払えない場合でも、国が全額費用を負担してくれる。とはいっても、卒業後、ある程度の年数をかけて返済することが、給付を受ける条件のひとつにはなるが。
とにかく、さらに上の教育を求めながらも費用など、様々な面で苦しむ一般民衆にとってはもってこいの学校なのは確かだ。
ここまで国が一生懸命になるのも、目的が優秀な兵士の芽を見つけることにあるからだ。いつの時代も、兵器ひとつ作るより、それらを扱う優秀な人材を育てる方に時間がかかる。それならまだ幼少の子供達を集め、学校教育の延長上として教えていけばいいと考えたのだ。
「でも、訓練校に行くって事は、カイゼルは銃士隊に入りたいの?」
「そこらへんは、まだ考えてないけど……」
カイゼルにだって、街を警備する銃士隊や、騎士団に憧れる程度の夢はあったが、それでも将来的にそうなるのかと問われると、首を傾げてしまう。
「けどさ、俺の家はこれが限界なんだ」
別に、カイゼルの家がとりたてて貧しいわけではない。下町の住人の財政状況など、大抵は似たようなもので、何より高等学校に進むという意識が乏しい。
子供は十も過ぎれば立派に親の手伝いをこなし、街で小さな仕事を見つけては小銭を稼ぐ。そうやって、いずれは親の家業を継ぐか、どこかの工房に住み込みで弟子入りする。最近では、年々巨大化していく工場に働く先を移す者も増えている。カイゼルの父もその内の一人だ。
カイゼルも進学するか就職するかで悩んでいたのだが、父親は進学することに強いて反対はしなかった。
てっきり進学に反対されると思っていたので、その反応にカイゼルは拍子抜けしてしまった。一応、進学先にはなるべく家庭に負担をかけない訓練校を選んではみたものの、本当にこのまま進学して良いのものかという、新たな悩みが発生してしまった。
今の状況を整理すると、カイゼルは進学そのものに悩み、ヘーゼは学問所への受験を嫌がっている。イリスは……よくわからない。
それでも、選ばなければならない。
どの道が最善かなど、まだ十年と少々しか生きていない彼らにわかるはずもなかった。それでもここが色々な意味での分岐点になることを、はっきりと言葉にはできなかったが、強く感じてはいた。
カイゼル自身、最近妙に苛立っていると自覚していたが、その原因がこの受験にあることまでは気づいていない。後ろから押されるような気分で、早くしなければと日々焦るばかりだ。
「大体、そんなに学問所が嫌ならお前も訓練校に来いよ。こっちの方が試験も簡単らしいし」
「でも、受けないと父さんに何されるかわかんないし、受からないと姉さん達に殺される!」
ヘーゼはがたがたと椅子が揺れるほど震える。青ざめて頭を抱える少年を、カイゼルは半眼で眺める。
「だったら、その学問所の試験と訓練校の試験、両方受けろよ。訓練校の試験なら絶対に受かるだろうけど、学問所の方はものすごく難しくて、落ちても仕方ないんだろ? でも、試験さえ受ければとりあえず、親の言いつけは守ったことになるわけだから……後は両親を味方に付けておいて、姉さん達はどうにかしろよ」
「いや、むしろ姉さん達の方が怖いから!」
ヘーゼの怯え方は尋常ではなかったが、カイゼルにとっては慣れたものだった。
いや、ヘーゼの態度がではなく、彼がそうなってしまう原因がよく理解できるからだ。
彼には三人の姉がいるのだが……彼女達は全員、そろって強烈な性格をしている。しかもどういうわけか、その矛先は末子であるヘーゼに向かう傾向にあった。
弟思いと言えば聞こえは良いが、姉達の愛情表現はかなり苛烈で、それが三人も集まればもう、竜巻のような勢いになる。
カイゼルも時折、その暴風に巻き込まれるのでよくわかる。しかも一度発生すれば、回避できないという最悪なおまけも付いた。
今までに起こった過激な思い出を反芻し、カイゼルは諦念の息を吐く。
「まあ……そうだよな、確かに姉さん達の言いつけを破るのは怖いよな……」
「ちょっと、そこで納得しないでよ! お願いだからカイゼル、僕を助けて!」
ヘーゼがカイゼルに向かって飛びかかってくる。溺れている人間が助けを求めるような猛烈な勢いに、カイゼルは椅子から落ちそうになる。
「っだ、離せ! 無茶言うな、俺が姉さん達に勝てるわけないだろ! 嫌なら死ぬ気で試験に受かれ! で、受かった後で、訓練校を受験し直して来い!」
これなら試験に受かるという目的も達成できる。あとはどの程度ヘーゼが両親や姉達に自分の心情を訴えられるかだが、椅子が半分傾いた状態ではそれ以上の名案は浮かびそうもない。
そして蒼白を通り越して真っ白になっているヘーゼは、さらにどうしようもないことを口にする。
「無理だよ! だって今年は学問所も訓練校も、試験日程が同じなんだよ!」
「そ、そうなのか?」
ようやくヘーゼはカイゼルを解放すると、今度は椅子を蹴り飛ばし、床に突っ伏してわめき始める。
「うわーん! 僕は十二歳にして浪人だよ! でも浪人したら家族が僕を生かしておかないから、どっちにしても僕の人生は終りだっ!」
「ヘーゼ! 頼むから落ち着け。お前は追いつめられすぎだ! もう少し冷静になれよ。てか、お前の家族はどうしてそう凶暴なんだ! 話し合いとかしないのかっ!」
「僕には家族会議に参加する権利なんかないよっ!」
「なんつー立場の弱い長男だ……」
「長男でも、末っ子なんてこんなもんだよ。家じゃあ毎日のように姉さん達があの手この手で僕を机に縛り付けておいて……文字通り、縛られたりもするけど……。先生が帰るまでずっと僕を監視してるよ。おかげで先生の方が先に胃に穴開けちゃって、なんだかころころ人が入れ替わるし」
「う……。今はお前の家に行きたくないな……」
「僕だって帰りたくないよ。朝から晩までテキストに埋もれて、わけわかんない貴族の家系図とかも、将来必要になるからって覚え込まされて……」
床をごろごろしていたヘーゼは、やがて疲れたのかゆっくりと顔を上げる。
「……僕、みんなと同じ学校に行きたいよ」
とうとうヘーゼは本格的に泣き出してしまった。
「ふぅん。やっぱりヘーゼは学問所に行くんだ」
カイゼルが戻ってきたイリスに先ほどの話をかいつまんで説明すると、イリスはいつものように軽い調子で返してきた。
「いや、そうと決まったわけじゃないけど……」
カイゼルは唸りながら首を傾げる。
イリスが教室に戻って来る前に、ヘーゼの姉の一人が弟を迎えに来た。売られて行く子羊の目をしたヘーゼは、それこそ子羊も哀れんで涙をこぼしそうな声を上げながら引きずられていった。
カイゼルは捕らえた獲物のように縄をかけられ、連れて行かれた友達を、何も言わずに見送った。
ヘーゼの姉に逆らえば、カイゼルもただではすまないからだ。むしろ弟の友人ということで、ご近所に見せている外面用の仮面を取り払い、遠慮なく弟ごと一緒に縛り上げるだろう。
過ぎ去った悪夢に寒気を覚えたカイゼルだったが、イリスの声に意識を戻す。
「でもヘーゼはああ見えて頭いいから、多分大丈夫よ。本当なら日曜学校に行く必要なんてなかったんだから」
「……そういえば、何でヘーゼはこんな下町の学校にいるんだ? 家はでかいし親父さんはギルドの幹部だし、前からちょっと変だなとは思っていたんだけど」
ヘーゼの家庭環境を見ると、学問所とまではいかなくとも、そこそこの学校に入っていてもおかしくはない。
その疑問にイリスはあっさりと答える。
「だって、ヘーゼって弱虫じゃない?」
「まあ……そうだけど」
「だから下町で揉まれてくればちょっとはたくましくなるんじゃないかって、おじさんは考えたのよ」
「そう、なんだ」
思い返せば、ヘーゼはとにかくいつでも怯えていた。声をかければ廊下の端まで逃げ出し、授業中に教師に指名されれば、その場で泣き出した。
さすがに、今はそこまでひどくはない。相変わらず逃げ腰だが、それなりに環境に慣れてきてはいる。
父親の判断は、そういう意味では正しかったらしい。
「でも、それで今度は学問所か? 方向性が違いすぎるぞ」
「なんか、おじさんが言ってたけど、傭兵ギルドで幹部やってると、そこそこ貴族との繋がりができるらしいけど、荒くれ者集団のボスだからって軽く扱われるみたい。ヘーゼにはそんな悔しい思いさせたくないから、学問所を出ておけば誰にも文句は言われないって力説してたわよ」
「そうか……ていうか、何でイリスがそんなに詳しく知ってるんだよ」
「相談されたから」
「お前に? ヘーゼの親父さんが?」
「おばさんに言ったら、学問所に通わせるなんて手段取ってまで、アホな貴族連中に取り入る方が情けないって怒られたし、お姉さん達は話しかけても最近、冷たいって嘆いてた」
「父親も大変だな……」
イリスを相談相手に選ぶくらいせっぱ詰まっているのか、もしかすると自分の半分以下しかない娘の方が、逆に話しやすいのかも知れない。
カイゼルはそこで思考を切り替える。
「で、ヘーゼはともかくとして、お前はどうするんだ?」
「私? 私は皇都を出るわよ」
当然とばかりに言い切られ、カイゼルは続く言葉を見失う。
「だって学校に通うなんてガラじゃないわよ。いい加減、外に出て行きたいわ」
イリスは窓外に視線を向ける。その目は窓の向こうの景色ではなく、もっと遠くを見ていた。
「外って……皇都の外に出て、何するんだ?」
カイゼルにしてみれば、皇都という枠を出るという発想がそもそもなかったので、彼女の言葉が信じられなかった。
「何をするかなんて決めてないわ。でも、旅に出るのよ。道もない森とか、どっかの遺跡とかを巡るのっ!」
「そうなんだ……まあ、ある意味、らしいけど」
カイゼルは何か言うこともできず、口からはどうでもいいような言葉しか出てこなかった。
帰り道、カイゼルは一人で裏通りを歩いていた。イリスとは家の方向が違うからだ。それはヘーゼも同様で、あの二人はお互い近所に住んでいるが、カイゼルの住居は都市の外輪部に近い。そして都市は外側に向かうに従って、雑然とした雰囲気を帯びてくる。人一人通り抜けるのがやっとなほど、家々が密集した区画や、乱雑に入り組んだ通路。夕暮れにはまだ早いのに、家同士が通りをまたぎ、頭上で連結している部分もある為、妙に薄暗い場所もある。
カイゼルは道に迷うような素振りは見せなかったが、その足取りは妙に重い。時折、胸に石でもつまってそうなほど重い息を吐く。
「同じ学校には行けない、か……」
自分で言ったのだが、言葉にするとさらに事実が重くのしかかってくるような気がする。
そう、自分達は同じ道を進めない。
イリスが訓練校を経て銃士隊に入るなど考えつかなかったし、ヘーゼが親や姉達の意見を無視して学問所の試験を蹴るなんてできないだろう。
だから、自分は一人で訓練校に行くことになるのだ。
わかってはいたのだが、今まではどこか遠い話だった。なのに急に現実味が増してきたような気がする。
ヘーゼはカイゼルと離れるのを嫌がったが、カイゼル自身平気なわけではない。ヘーゼほどあからさまに感情を見せないだけで、それでもずっと机を隣に並べて勉強してきた間柄だ。寂しいと言えば寂しい。不安と思えば不安だ。
同じ教室内で他に訓練校へ行く者もいたが、ヘーゼ達ほど親しくはない。
「離れるのか……」
カイゼルは路地を歩きながら、ほとんど無意識に呟いていた。
「カイゼルっ! 私もどこか学校に行くわよ!」
次の日曜学校が終わった後、イリスは唐突にそう宣言した。
「あ……そう、行くのか?」
「なんかさ、父さんに卒業したら旅に出るって言ったら、何の為に皇都に家を持ったんだって叱られたわ。私がちゃんと勉強できるように考えて、この街を住居にしたんだって」
なので自分も試験を受け、高等学校に進むとイリスは一人ではしゃいでいる。今日はヘーゼは来ていない。一緒ではなかったのかと尋ねると、彼女は妙な顔をして笑っていた。
恐らく、試験も近いのでヘーゼは姉達に監禁されているのだろう。
今までの経験から、カイゼルはそう悟った。
「で、どこか目星はつけているのか? 早くしないと、もう試験の受付を締め切ってるところもあるぞ」
カイゼルの言葉に、イリスは悩むように腕を組む。だが、格好だけで顔は笑っている。
「そこなのよねー。王立の学問所なんて堅苦しいところは嫌だし、修道院付属だと将来は僧侶よ。聖職者ってガラじゃないわ」
「……どこを選ぶのかはイリスの勝手だけど、試験に受かるかどうかはまったく考えに入ってないんだな」
どちらも超難関校だ。この下町でイリスの言う学校を受験したいと口に出しても、笑われるか哀れみの目を向けられるかどちらかだ。
「たとえ話よ。いくら受かってもそんな学校には行きたくないわ。もっとこう、楽しそうなところがいいの!」
「そこが基準なのか……?」
「だって、父さんはお前の好きなところを受験しろって言って、もう今朝方旅に出ちゃったわ。だから私の好きに決めるの」
「ちょっと待て、旅に出たってどういうことだよ。まだ受験する学校を決めてないんだろ? 申込書の保護者の署名はどうするんだよ」
「うーん、ヘーゼの姉さんにでも頼むわ。さすがにギルドで書類仕事しているだけあって、他人のサインとか真似るの上手なのよ」
「それは書類仕事とは何の関係もない特技だと思うぞ……。しかも、入学書類偽造してどうするんだよ」
カイゼルは思わず唸る。前々から、イリスとはどこか常識や感性が自分とずれているようだと感じていたが、どうやら間違いではないらしい。
当然、カイゼルの内心など知るよしもないイリスは、それはもう楽しそうに早速かき集めてきたパンフレットに目を通している。
「私もカイゼルと同じ訓練校にしようかしら? 学問ばっかりじゃなさそうだし、規則緩そうだし」
「だから、お前が決める基準ってどこにあるんだよ……」
人の話をまったく聞かないイリスに、カイゼルは肩を落とす。そして沈んでいるカイゼルをまたも無視し、イリスは分厚い紙束を出してくる。
「そうそう。父さんがね、昨日の晩に訓練校の過去問題をくれたの。これを参考にすれば受験勉強なんて楽勝よ!」
「え? そんなものがあるのか?」
カイゼルは思わずのぞき込む。イリスはあっさりと抱えていた紙束を渡してくれた。
「へえ、ずいぶんと気の利いたプレゼントだな」
受け取り、中を見ると確かに試験問題が羅列してある。イリスの言う通り、傾向さえわかれば試験対策はずいぶん楽になるだろう。
「ん……?」
と、ぱらぱらと紙をめくっていたカイゼルは、次第に顔が引きつってくるのを感じる。
「イリス、これ……」
「何よ、ちゃんと写させてあげるわよ」
「これ……原紙って書いてあるぞ。しかもファイルの表紙に〈持ち出し禁止〉って赤字で書いてあるし……。しかもこっちの束は王立学問所で、こっちは……って、これ、皇都中の学校の過去問題じゃないか!」
「あ、中には過去じゃなくて今年のもあるわよ。でも学校によってはまだ問題を作ってなかったから、そこは過去の分でがまんしてくれだって」
イリスの笑いが、どこか遠くに聞こえた。
思わず、紙束を持つ手が震えてくる。床に叩きつけたかったが、そこは耐えた。そんなことをしても、見てしまった問題を記憶から削除できそうもない。
カイゼルはひとつふたつと深呼吸し、三つ息を吐いてからようやく顔を上げる。
「……ちょっと待て、もしかしてこの問題……盗んできたのか?」
気づけば息も荒い。だが、イリスは冷や汗をかいて青くなっているカイゼルを見てもまったく動じず、むしろ喜々とした顔をする。
「外聞悪く言えばそうなるわね」
「悪くも何も、十分に犯罪だ!」
ついにカイゼルは、問題集の束を床に叩きつけた。
「もう、カイゼルってば真面目さんなんだから。結局、問題集は全部裏の焼却炉に放り込まれちゃったわ」
カップを片手に、イリスは笑ってみせる。
机を挟んで座るのは、ここ数日でずいぶんとやつれたヘーゼだった。頬はこけ、目の下にはどす黒いクマが浮かび、顔色も悪い。テーブルに並んでいる茶菓子に手をつけようともせず、どこか虚ろな目をしている。
あの後イリスはヘーゼの家を訪れた。そこでヘーゼは椅子に縛り上げられ、白目を剥いていたが、彼女はまったく動じなかった。ようやく縄を解かれた少年を前に、出された茶菓子をほおばっている。
「……じゃあ、ここにある束は何?」
ヘーゼはゆるゆると机の端に置かれている紙を指さす。
「先に写しを取っておいたの」
「用意周到なことで……」
「でも面倒だったから、途中でやめたけど」
確かに、そこにある紙はカイゼルに渡した束に比べてずいぶんと薄い。
「で、イリスはどこの学校に行きたいのさ?」
相変わらず生気の薄い、消えそうな声しか出ないヘーゼだったが、どうにか会話を続ける。お茶が終われば、また姉達に拘束される苦悶の時間が始まってしまうからだ。
「そこなのよね、どこがいいかしら。訓練校みたいに寮生活だと、ご飯作らなくて良いから楽だけど。でもそうなると、ヘーゼの家で食べられなくなるし……」
「どこでもいいなら、イリスはカイゼルと一緒の学校にも行けるんだよね?」
ぽつりと漏れるような声音に、イリスは顔を上げる。
「そうね、行こうと思えば行けるわ。でも、私は騎士なんかにはならないわよ」
「うん、それは……人には向き不向きがあるわけだし……」
「うらやましい?」
ぴたりとヘーゼの動きが止まる。イリスはその様子に、にんまりと意地の悪い笑みを浮かべる。
「大丈夫よ。学校が違うなんて大した問題じゃないわ。カイゼルも訓練校に行けばそこで新しい友達ができるから、一ヶ月もすれば赤毛の少年のことなんて思い出しもしないわよ」
けらけらと明るく笑う少女に、ヘーゼはどんよりとした目を向ける。
「イリス……何気なくひどいよね」
「ひどくないわ。統計的に見ても事実よ。それに、友達が行くから一緒のところに行きたいなんていう考えが、そもそも情けないわ。それに、どうしても学問所に行きたくないなら、はっきりとそう言えばいいのよ」
「だ、だって……」
「大丈夫、お母さんはあんたの味方してくれるわよ。ヘーゼがちゃんと、自分で嫌だって言えればね」
イリスの言葉に、ヘーゼは戸惑うように視線を揺らす。
「ど、どうなんだろう……。だって母さんは、姉さん達が唯一言うこと聞く相手だよ……?」
「心配性ね。いくらなんでも一人息子なんだから、逆らったからって頭からかじったりしないわよ」
「……かじられるのは、さすがに嫌だな……」
「お母さん、今晩は家でご飯食べるみたいだから、夕食の後にでも相談してみたら?」
「う、うん……」
返事はしたものの、ヘーゼは悩むように項垂れたままだ。その様子に、イリスはわざとらしく大きな息を吐いてカップを置く。
「もーはっきりしないわね! ヘーゼは学問所に行きたいの?」
「行きたくない、です……」
「おまけに、進学先はカイゼルと一緒の学校がいい」
「うん、でも、親とか姉さんが……」
「親も姉さん達もどうでもいいの、要はヘーゼがどうしたいかよ!」
「う……行きたい、です」
「学問所に?」
ぴしりとしたイリスの物言いに、ヘーゼはすっかり気圧されてしまう。逃げるようにソファの背にしがみつくが、こういう時に限って姉達は乱入してこない。ちらちらと脇の扉を伺っていたが、ヘーゼはあきらめて向き直る。
と、イリスは答えを待つように、口元に笑みを乗せたままこちらを見ていた。
イリスが黙ってただ座っているなど、滅多にどころかほとんど拝んだことがない珍事だ。
ヘーゼは緊張に口を引き結ぶ。
どうやら、本当にヘーゼ自身の口から返事をしなければならないらしい。
少し、いや、かなり乱れて息を吸うと、ヘーゼは絞り出すようにして叫んだ。
「ううん、カイゼルと一緒に訓練校へ行きたい!」
部屋中に響き渡る声量を受けても、イリスはまったく動じなかった。逆に、にこりと笑った。
「そう、わかったわ」
言うと、残っていたクッキーをほおばる。
「友達と一緒ってところがなんか女々しいけど。そこがヘーゼの本音なわけだ」
「だって、僕はイリスみたいに強くないし、カイゼルほど割り切って考えられないし……」
「そうやって悩むんなら、もうやめちゃえばいいのよ」
「え……?」
「がんばるの、やめちゃいなさい」
イリスはきれいに茶菓子の器を開けると、勢いよく立ち上がる。
「試験勉強なんてやめちゃって、ぱーっと遊びに行くわよ! ちょっと待ってなさい、今すぐ許可取ってくるから!」
言葉の最後には、イリスの姿は扉の向こうに消えていた。
そして、翌週。
授業の終わった教室で、カイゼルは間抜けな顔をする。
「は? ヘーゼのやつ、学問所受けるのやめたって?」
何でまた、と首を傾げるカイゼルに、イリスは平然とした調子で答える。
「正確に言うと、受けられなくなったってところかしら」
イリスは机上の石板に、適当な落書きをしている。
「何でそんなことになったんだ?」
「精神的衰弱ってやつ? ほら、慣れない受験勉強に心身が弱っちゃって、寝込んだのよ」
「そうなんだ……」
無理もないと思った。ここ二週間ほどヘーゼに会ってなかったが、あの姉達の監視下に置かれて勉強など、どんな屈強な人間でも根を上げるだろう。
「たかが三日間、原生林の森に放り込まれたくらいで情けない話よね」
かりかりと、チョークで石板をひっかく音がする。
カイゼルはその音を聞きながら、イリスが口にした不穏な話題に眉根を寄せる。
「……ちょっと待て」
「なぁに?」
「ヘーゼは受験勉強のしすぎで寝込んだんだよな?」
「そうよ。で、大分追いつめられていたから、私が息抜きにキャンプに誘ったの」
「キャンプ、だと?」
いぶかしむカイゼルなど目に入らないのか、気づいていても無視しているのか、イリスの軽い声は続く。
「楽しい野外生活で、心身共に英気を養って残りの日々をがんばる……我ながら素敵な計画よね」
自分の計画とやらに、イリスは酔ったように目を潤ませる。もちろん、ただの演技だろう。カイゼルは何となく、肩に石でも積まれたように気分が重くなってきたが、それでも、尋ねないわけにはいかなかった。
「その、素敵すぎる計画の結果は?」
「うっかりヘーゼが森で遭難して、三日後に黒帝騎士団が巡回中に発見したわ。食料の持ち合わせはなかったけど、雨が降ってたから雨水すすって生き延びたみたい」
明るい顔で幼馴染みが行方不明になっていた顛末を語るイリスに、カイゼルはぐらぐらと視界が揺れたが、足を踏ん張って耐える。
「ほう、行方不明ね……そりゃあ災難だ。でも、お前は一緒じゃなかったのか?」
「もちろん、野外生活の奥義を伝授する為、つきっきりよ。ただ、沢に水汲みに行ってもらったんだけど、用意した地図が間違ってたし、もう暗かったから……足踏み外して谷に落ちた挙げ句、そのまま下流に流されたみたい。あ、ちゃんと探したわよ。でも二重遭難の危険があるから、途中であきらめて帰ったけど」
かりかりと、イリスは石板に落書きを続ける。何とはなしにのぞき込むと、描いているのは犬のように見えたが、妙に凶悪そうな面構えだった。
「ヘーゼも災難だったわ。森には探せばいくらでも食料になるものが転がってるのに、毒キノコも山菜も見分けがつかなかったのね」
「あのなあ……それ、もしかしなくてもその遭難、お前が計ったんだろ……?」
「人聞きが悪いわね。ちゃんとヘーゼのお母さんと相談したわよ。学問所で貴族とお遊戯する前に、息子に教え込むことがあるってお父さんに示す為にね」
「やっぱりお前が仕組んだんじゃないか!」
カイゼルは思わず絶叫した。
そして……そんな、かなり非人道的な計画は成功してしまった。
息子の脆弱な有様に、父親は色々と悟ったらしい。妻からも学問をさせるより、訓練校で体力と気力と、何より精神力を養った方がいいと説き伏せられ、あっさりと頷いたのだ。
結果、どうにか起き上がれるようになったヘーゼは、訓練校の試験を受け、無事合格した。
イリスもまた、いつの間にか試験を申し込み、そして同じく合格する。こうして、晴れて三人は、同じ訓練校へ通うことになった。
【受験戦争 終り】




