9-2「満足な復讐」
二章「満足な復讐」
「いないね……」
ヘーゼの言葉は、場の様子を簡潔に現していた。
二人はカイゼル達が行ってからもずっとギーヴルとシリカを探して瓦礫を掘り返していた。そしてギーヴルが自力で這い出してきた時、カイゼルがまだ戻っていない事に気づいた。
その事を不審に思い、未だに見つけられないシリカに謝りながらもヘーゼ達はカイゼルが向かったであろう方向に走った。途中、遠目に人の姿もあったが、皆自分の事で手一杯なのか、ヘーゼ達の姿を見ても誰何の声を上げる事すらしない。だが、カイゼルのいる場所がわからない為、彼らは扉が開いている部屋を片っ端から確かめる羽目になり、その部屋に辿り着くまでに、ずいぶんと時間がかかってしまった。
そして、開け放った扉の向こうで、マドカが床に倒れていた。
「ちょっと、どうしたのよ。カイゼルは一緒じゃないの?」
イリスが声をかけたが、返事はない。
すぐに少年の身体に起っている異常には気づいたが、ヘーゼ達にはどうする事もできなかった。水晶のような何かは、彼らが見ている間にも、ぱきぱきと音を立てて増殖し、少年の身体を浸食していく。
肩を揺すると、マドカは微かに目を開けたが、何も答えない。息をする事も苦痛なのだろう、呼吸は乱れている。苦痛に耐えるように四肢を丸め、身体を小刻みに震わせていた。
ヘーゼとイリスが為す術なく半ば呆然としていると、ギーヴルは重い息を吐く。
「ここでこいつに聞いても埒があかん」
「でも、カイゼルがどこに行ったか全然わかんないよぉ」
情けなく慌てふためいているヘーゼを横目に見ながら、ギーヴルは舌打ちする。確かに、ヘーゼの言う通りだ。このままでは動けない。
と、切れ切れにうめくような声が聞こえた。
マドカの声に、ギーヴルは少年の側に膝をつくと、口元に耳を寄せる。そうしなければ聞き取れないほど弱々しい声だった。
「あいつは……地下だ。最終拝謁を行う気だ……」
地下、最終拝謁。
単語を拾って意味を理解しようとするが、あいにくギーヴルの知識にない言葉だ。
「柩のふたが開く……化け物が、目覚めちまう……」
息をつまらせ、それでも咳き込む事もできない少年の様子を見て、ギーヴルはひとつの考えに行き着く。
「意味はようわからんけど、お前があいつの居場所、知っとるんやな」
微かに、頷くように頭が動いた。
ギーヴルは少年の身体を抱き起こすと、自分の背に乗せる。だが、力のない身体はすぐに背中から落ちそうになった。仕方なくギーヴルは、少年の両腕を肩から前に回すと、カーテンをまとめていた太めの紐で、少年の手首を縛って固定する。
そうやっていると、背中にイリスの声がかかった。
「ちょっと、ギーヴル。何してるよの」
「こいつに道案内をさせるんや」
「え、そんな……なんだかつらそうだけど、その子、大丈夫なの?」
「知るか。えぇか、お前らはついてくんな。戻ってあいつを掘り返したれ!」
最後は言葉を投げ捨てるように叫びながら、ギーヴルは廊下に飛び出した。
シリカは目を開けた。
意外だと思った。
まさか眠りから覚めるのと同じような感覚で、もう一度覚醒することができるとは思っていなかった。
ゆっくりと身体を起こすと、全身がひどく痛む。特に左腕がひどかった。問題の左腕は、神造器を発動する前の状態……つまり、何の変哲もない腕に戻っていたが、触れてもしびれるような感触があるだけで、自分の意志で動かす事はできなかった。
「……やれやれ、やはりこうなりましたが」
自嘲気味につぶやく。左手の指を右手を使って折り曲げてみたが、やはりあまり感覚はない。触れている事はわかるが、指は硬直したままだった。これはアーティファクトを使用した事による一時的なものなのか、それとも一生このままなのか、彼にはその判断もつかない。いや、試作器を初めて発動させた為、当たり前だが前例がないのだ。使用後の障害をある程度は予測していたが……それでも、この先どうなるか見当もつかなかった。
動かない左腕をあきらめ、シリカは立ち上がる。自分の居場所を見定めようとしたが、周囲の状況に言葉を失う。一瞬、自分のいた場所がわからなくなるほど、場の景観は様変わりしていた。
ずいぶんと、色々な意味で見通しのよくなった場所にシリカは立ち尽くす。
さて、どうしようかとあまり緊張感なく考えていると、誰何の声がかかった。
顔を上げると、何者かが彼を指さし、叫んでいる。おそらく、その向こうに仲間がいるのだろう。
「さっそく見つかりましたか」
穏やかに笑う口調には、やはりどこにも危機感はなかった。
「……カイゼル、カイゼル!」
誰かに身体を揺さぶられ、カイゼルは目を開けた。
ぼんやりとした視界の向こうで、白い少女がどこか違う場所を見ながら、それでも自分の身体を上半身で覆うようにして揺さぶっている。
必死に、自分に呼びかけている。
「ティラハン……」
目の見えない彼女は、声を出さなければ自分が気がついたとわからない。ようやくその事に思い至り、カイゼルは少女の名を呼んだ。
声が届いたのだろう、ティラハンは動きを止めた。華奢な指先がさまようように揺れ、カイゼルの頬に触れる。
「よかった……ずっと、ずっと話しかけても何も言ってくれなかったから、私……」
不安だったのだろう。少女の銀灰の瞳から、ぽろぽろと透明な滴がこぼれ落ちる。
「うん……。ごめん、もう大丈夫だから」
ここは一体どこなのだろう。カイゼルは記憶を手繰りながら、ゆっくりと身を起こす。
辺りは暗い。そして、石造りの床もまた、冷え切っていた。見上げる天井は恐ろしく高いが、明かりのひとつもない。その天井部だが、完全に天然の岩石のままだった。
そこでようやく、ここがどこだか思い至る。
そう、ここは以前マドカと一緒に訪れた、瓦礫に埋まった地下空洞。
振り返ると、水晶壁の前に、記憶と違わず男が磔になっていた。
彼の名前はレキだよ。
不意に、甦った言葉を反芻する。
その名前にどんな意味があるのか、彼にはわからない。だが、この名を教えてくれた相手が、その言葉ひとつに様々な思いを込めている事だけは理解できた。
「……目覚めたか」
かけられた声に、カイゼルはゆっくりと振り返る。驚く必要などない、相手はわかっているのだから。
ファルゼンはカイゼルとは瓦礫を挟んだ向こうにいた。そして、何をするでもなくそこに立っていた。
「眠っていた方が、苦痛も恐怖も味あわずにすんだというのに」
「……俺をそこの壁に食わせるんじゃなかったのかよ」
「すぐにでもそうしたいところだが、どうも寝惚けているようだ。予定よりも早く覚醒したおかげで、未だに眠りの中を浅く漂っているらしい」
ファルゼンは顔を上げ、つられるようにしてカイゼルも彼の視線の先を追う。
その先にあったのは、青白い光が内包された、不可思議な壁面。光は刻々と場所を変え、星よりも淡く柔らかい光を放つ。まるで水面の中で点滅する光を眺めているような幻想的な景観だった。
だが……それがただ、光を放つ水晶壁なら、何も問題はなかっただろう。
「……何回も聞いて悪いけど、あんたはどうしてこんな真似をするんだ。相手に恨みがあるのはわかったけど、あんたの行動はわけがわかんないんだよ!」
声を上げる少年を、ファルゼンは面白そうに眺め、やれやれと肩をすくめる。
「巻き込まれた貴様も災難だと思うが、なに、どうせ滅びる身だ。後生に事実を知らせようにも、残す者達も同時に滅びる……知った所で、無意味だ」
「っ、はぐらかしてないで俺の質問に答えろ!」
カイゼルは叫ぶ。
「あんたのやってる事はメチャクチャだ! 昔のもめ事を引きずった挙げ句、恨みをぶつける相手の力を使って、この国を……いや、シンフォルンだけじゃない、他の国も一緒に壊そうとしている……。いい加減にしろよ、あんたの目的に関係ない人を巻き込んで何が楽しいんだよ!」
激昂するカイゼルに、ファルゼンはさして面白くもなさそうに言った。
「ふん、楽しくも、うれしくもないね。ただ……そう、満足するだけだ」
「満足……?」
カイゼルは男の言葉が理解できないと、その顔を穴が空くほど見つめる。視力矯正器の奥にある瞳は、どこまでも平板で感情の起伏が読めない。
「そう、俺はここであれを滅ぼして、心の平安を得る。そうしなければ、おちおち死んでもいられない」
そこでふつりと言葉が途切れる。カイゼルがいぶかしむと、ファルゼンはゆらりと酔ったように揺れる。
「……そうだ、なぜあの方が死んで、あれが生き延びるんだ……おかしな話だ。許さないよ、あれがこれ以上、一瞬でも生を享受するなど……」
顔を上げ、ファルゼンは憎悪の煮えたぎった瞳でカイゼルを見る。いや、カイゼルを通過した向こうにある、何かを。
「消えてしまえばいい……あれを生かしておく事など、俺にはできない。神は罪を許せと言うが……あの存在だけは、他の誰が認めても俺だけは、許すことができないんだっ!」
眼を見開き、血走った目を剥いて、異界からの来訪者は叫び続けた。
「その為には……この地上に巣くう存在など、些細な犠牲だ!」
「っ、あんたはぁぁぁ! 一体、どこまで勝手なんだよ!」
カイゼルもまた、悲鳴のような声を上げる。
「俺は死にたくない! イリスや、ヘーゼや……他の誰だって、あんたの身勝手さに巻き込まれて死んで欲しくないんだっ!」
あの拳銃使いの話が正しければ、ファルゼンが彼の思うように暴走すれば、この大陸の中央にある巨大淡水湖を遙かに越える大穴が大地に穿たれる……それほど強大で容赦のない力が大陸を襲うのだ。
だが、男の返答は短かった。
「それがどうした」
にやりと笑み崩れる顔に、カイゼルの背筋に冷たいものが走った。
向けられる目は、淀んで濁った泥水のようだ。そして、暗い水面は異様な光を帯びる。
「…………狂ってる」
自暴自棄なんて生易しいものではない。この男は、すべてを巻き込み、すべてを犠牲にしようとしている。
動けないカイゼルに、冷たい声がかかる。
「狂っている? ははっ、そうかもしれんな。……むしろ、そう思い込んだ方が、俺自身も楽だ」
ぶつぶつと口中でつぶやくと、ファルゼンはカイゼルに向かって手をさしのべる。
「貴様が俺を狂っているというのなら、最後までこの狂気に付き合ってもらおうか」
「僕達って、結局こうなる運命なんだよ……」
「何いってんの、状況の悪化が即、破滅に繋がるわけじゃないわ。むしろここからが反撃のチャンスよ。ヘーゼ、一緒にがんばりましょうね!」
「うぅ……いつもセット扱いだ……」
ヘーゼはぶわっと目の幅涙を流した。
そんなやりとりをしている間にも、後ろで兵士が早く行けと急かしてくる。敵意のこもった目というわけではなく……少なくとも、彼らを見つけた瞬間の眼光は鋭いものだったが、自分の置かれた状況などまったくお構いなしによくわからない理論で一人暴走するイリスと、泣き崩れるヘーゼを見ているうちに、それは多分に同情を含んだものへと変わっていった。
「やっぱりギーヴルについて行けばよかった……」
「バカね。全員で同じ所に行ってどうするのよ、私達はこの二人でしかできない事をするのよ!」
「……言ってる事は、ものすごく格好良いけど、具体的なプランは?」
「きっとこの後、この国のボスに会えるわ。そうなったら、ヘーゼがその必殺必中の銃を片手にボスを暗殺するの。そうして国を私が乗っ取った後に、囚われのカイゼルを迎えに行くのよ!」
「手を下すのは僕で、上に立つのはイリスなんだ……」
それ以外にも、突っ込む所は大量にあったが、今さらイリスが他人の言う事を聞いて考えを改めるような真似はしないだろう。それに、いざとなれば確かにヘーゼの銃が唯一の武器になる。廊下をあてもなく歩いていたヘーゼ達を見つけた兵士等は、二人を子供だと侮ったのか、身体検査もせずにどこかへ連れて行こうとしていた。
(もっとも、このままそのボスに会う事もなく地下牢にでも放り込まれてそこで終りっていうパターンの方が、ものすごくあり得そうなんだけど……)
ヘーゼはイリスの騒ぎに巻き込まれるのも嫌だが、暗くて湿った地下牢に閉じこめられるのも願い下げだった。
だからといって、イリス以上に具体的な解決案は、ひとつも浮かばないのだが。
とある部屋の前で別の兵士に引き渡され、何やら確認作業が簡単にあった後、二人は部屋の中に放り込まれた。
部屋は明かりの類がほとんどなく、薄暗かった。
自然、視線は光源となる明かりに向かう。重厚な造りの机上に、ランプがひとつ置かれていた。そして机を挟んだ向こうに、座っている人物があった。
初老の目つきの鋭い男だ。
だが、二人の見知った顔ではなかった。
「ねぇ、イリス……」
落ち着かない様子で視線をさまよわせるヘーゼとは対照的に、イリスは部屋の真ん中で背筋を伸ばして立っている。
「もしかして、僕達本当にボスの前に連れてこられたんじゃ……」
「あら、その方が好都合じゃない。さぁヘーゼ、さっさとやっちゃってね」
「いやいや、待ってよっ!」
ひぃひぃと言葉にならない悲鳴を上げ続けるヘーゼに、低い笑声がかかる。
「あまりおびえないでくれたまえ。こちらは君達を取って食うつもりはない。だがあまり暴れると、廊下の向こうにいる部下が飛んで来るよ」
楽しそうな声に、イリスは爽やかに笑ってヘーゼに向き直る。
「へぇ、よかったじゃないヘーゼ。いきなり殺されたりはしないって」
「よくないよ、状況はちっともさっぱりよくないっ!」
「……確かに、よくはないですが、最悪というほどでもないですよ。この方は、自分の障害になると判断した存在以外には、寛容ですから」
暗がりから突如聞こえた声に顔を上げると、声の人物はランプの光が届く範囲まで歩み出る。
薄汚れた格好の青年が、親しみのこもった笑みを浮かべて近づいてくる。
その顔を見た途端、ヘーゼは驚愕と安堵の表情を同時に見せた。
「シリカ? よかった、無事だったんだ!」
「あら、ごめんねシリカ、掘り返すのを忘れていたわけじゃないの。後できちんと弔ってあげるから、今は呪いとかはなしね」
互いの対照的な言葉に苦笑しつつ、シリカも部屋の中央、二人の隣に並ぶ。
「私はちゃんと生きていますよ。あなた達こそ、大きな怪我もなさそうでよかった」
ようやく知り合いに会えた事で、ヘーゼは肩を落とす。
と、すぐに何かに気づいたのか、不意に顔を上げる。
「けど、埋まっていたシリカがなんでここにいるの?」
「きっと自力で這い出した所を敵に見つかって、捕まっちゃったのよ」
「その通りです。イリスが正解ですよ」
笑うシリカに緊張感はない。
そこで少し余裕の出て来たヘーゼは、今さらだが部屋を見渡した。だが室内は広さの割りに他には誰もいなかった。あの豪奢な机の側に男が一人いるだけだ。壁一面に兵士が立っていてもおかしくない状況を想像していただけに、ヘーゼは肩すかしを食らった気分になる。
そして改めて奥にいる男を見た。
と、男が自分に視線が向けられた事に気づき、わずかに顔を上げる。無表情ではなく、微かに笑っていた。
「彼がなぜここにいるかという問いならば、私にも答えられる。この青年は、私の部下だからね」
その言葉を受けたシリカもまた、男と同じように薄く笑う。
多分に、自嘲を含んだ笑みだった。
「え、えぇっ、どういうこと? シリカがこちらの偉いさんのような人の部下? でも、シリカは騎士団員で、でも、なんだか捕まっているようなそうでもないような……」
よほど追いつめられているのか慌てているのか、ヘーゼはばたばたと忙しない動きを見せるが、結局、口から出てきたのは、
「えーと……あの、こちらはどちら様ですか?」
だった。
そして、質問に対する答えは、最初から言うべき内容を用意していたとばかりに簡潔なものだった。
「こちらは、カナリ・セルリウス・サヤキ殿。あなた方に一番わかりやすい名称で説明すると、皇都では白扉騎士団の師団長だった方です」
シリカの言葉に男……サヤキは苦笑する。
「もう過去形扱いか、切ないね」
「実際問題、突然辞表を出して国を出てしまったあなたの扱いで、議会はさぞもめている事でしょうね」
二人のやりとりに、ヘーゼは目と口を限界まで丸くする。
「へ……師団長? この人が?」
話を聞いても内容が理解できなかったのか、ヘーゼはすっかり混乱してしまう。
だがイリスは逆だった。
「ちょぉっと待ってよ! 騎士団の親玉だかなんだか知らないけど、どうしてそんな人がシンフォルン聖教国にいるのよっ! 師団長なんて役職の人間は、皇都でふんぞり返りながら死線をくぐり抜ける部下達に向かって、お前等なんぞ消耗品だ! 替えなんていくらでもいるぞって叫ぶのが仕事でしょ?」
びしっと指まで突きつけて力説するイリスを見て、ヘーゼは深く息を吐く。
「……イリス、それはかなり偏った見方をしていると思うけど……」
「けど、現実なんて大体そんなもんよ」
「あぁ、言い切った……子供達が憧れる職業をそんな夢のない一言で断ち切っちゃったよ……」
どうもイリスの言葉はヘーゼの触れてはいけない部分にヒットしてしまったらしく、彼は床の上にしゃがみ込み、頭を抱えてすすり泣く。
「で、実際問題どうしてそんな人がここにいるの?」
突然話を戻され、床の上でごろごろしているヘーゼをどうすることもできずに、痛々しいものを見る眼差しを向けていたシリカが思い出したように振り返る。
「あの、話せば長いのですが……」
「できるだけ簡潔に。もう潔いくらい今までの流れとか背後関係とか略して良いから」
「……こちらの方が、シンフォルン聖教国に侵攻してきた反乱軍の指揮官です」
「ありがとう、すっごくわかりやすかったわ」
「どういたしまして……」
シリカは力が抜けたように肩を落とす。イリスの勢いに負けたのだろう。もしかすると、彼なりに「長い話」を考えてまとめていたのに、それを披露する機会を失ったからかもしれない。
そしてシリカとは対照的に、サヤキはイリスの様子に目を細める。
「ほぅ、君は私が師団長の立場を捨て、他国へ来ている理由を知りたくないのかね?」
「面倒だから今は遠慮しておくわ。それより、カイゼルを探さないといけないの。長い話はその後ね」
びしっと言い切ったイリスに、ようやく復活したヘーゼがため息混じりに突っ込む。
「後なんて言っても、絶対に聞くつもりなんかないんだよね……。そもそも、僕達は別方向からこの国を攻めるんじゃなかったの?」
「うーん。やっぱり面倒そうだから、こんな国いらない」
「面倒くさいで国盗りやめちゃうんだ……。いや、そもそもまだ始めてもいないわけだし……」
またもヘーゼは頭を抱え、イリスはさらに追い打ちをかける。
「だって、さっきの爆発でこの国は混乱し放題よ。乗っ取るなら今だろうけど、後々の処理が多くて困るわ」
相変わらず、イリスは無意味に自信たっぷりな調子で言い切る。
そして普段なら、否定の言葉、もしくはあきらめたようなため息が聞こえてくるだけなのだが、今日は違った。
「そうだな、君のいう通りだ」
イリスも意外な人物の同意に顔を上げる。
サヤキが無表情に笑っていた。矛盾しているようだが、実際目の前の男はそうとしか表現できない顔をしている。
「国を動かすのは、とてつもなく面倒なことだ。だから私もここで降りる事にするよ」
サヤキは突然椅子から立ち上がると、降参とでもいうように両手を掲げた。
男の急変した態度に、誰もが一瞬呆気にとられる。
「国盗り、やめるの? 割と成功していたみたいなのに、もったいないじゃない」
「え? そんな……ボスが途中退場しちゃダメだよ……でないとどうやってこの事態を収集つけるの?」
目を丸くしている子供二人に、サヤキは面白そうに笑う。
「正直に話すと、私は確かにこの国を攻略に来た軍の指揮官だが、乗っ取りに来たというのは建前だ。私はこの国の中枢を押さえには来たが、支配はしない」
まるで謎かけのような言葉に、ヘーゼとイリスは顔を見合わせる。
「それって……どういう事なの?」
「この方もまた、誰かの目的の為に動いていただけですよ」
シリカが、ぽつりと言った。
「え、え? なんで? この人がシンフォルンを攻めに来た反乱軍のボスじゃないの?」
「軍としてはボスでも、組織内では彼もまた、使われる存在だったという事です。なにもこの国を手に入れたいと考えているのはこの方一人ではありませんから」
「まぁ私も、実際に攻め込んできてなんだが、こんな歪んだ国などいらんよ」
サヤキの言葉を無視して、シリカは続ける。彼らは互いに視線を合わせる事はしない。まるで互いが互いを認識しないで独り言を言い合っているようだった。
「……あなたが率いる軍勢が中枢部を制圧し、抵抗できる組織を根こそぎつぶした後、今度は権力を握りたいと考えている者達に、この国を引き渡すのですね」
「もう伝令は飛ばした。数日中にもシンフォルンには新しい指導者が来るだろう……。もっとも、私が出立する頃はまだ、ずいぶんともめていたようだがね」
「そんな……国を攻めに来たのに、その国はいらないなんて、一体、何がしたかったの?」
ヘーゼのうめくような言葉に、サヤキは笑った。
確信に満ちて穏やかな、それでいて、底の見えない笑顔を。
「私の理由など、他者に話す必要などない。それは私だけが知っていれば十分だ。それに、君らにとっても、私の目的や行く末など、大した意味はないはずだ」
男は、薄く微笑んだ。それは、どこか壊れた機械のような、いびつな笑みだった。
「まぁ、確かにその通りね。私はおじさんのこと知らないもの。いきなりボスです、でも、飽きたからもうやめますって宣言されても全然意味がわかんないわ。でも、理解できなくっても、人間には好奇心があるの。知りたいっていう欲求は止められないわ」
腰に手を当て、イリスは胸を張る。その後ろでヘーゼが「さっきは聞くつもりなんかなかったくせに」とぼやくのはきれいに無視する。
だがサヤキが口にしたのは、まったく別の内容だった。
「君達は、あの少年を助けに来た子供達だね」
「え? もしかしてカイゼルのこと?」
思わずヘーゼは身を乗り出す。勢いに飲まれて忘れていたが、彼らの目的はサヤキの言葉通りだったはずだ。
「そうよ! 私達は友情の為に、命も惜しまず未知で危険な場所へ飛び込んで来たの。でもその割りに何の冒険も謎解きも宝箱もなくってかなり不満だわ!」
乗り出してきたヘーゼをさらに押しのけ、イリスが大仰な素振りで叫ぶ。
「……へぇ、イリスってそんなのを求めて旅をしていたんだ……でも僕はなるべく危険っていう単語からは離れたいんだけど……」
「ではその友達を助けて、尚かつ安全にこの国から出たいなら、早めに行動を起こすべきだね」
どういうこと、と二人は目でサヤキに問う。
「この国は、未知の軍隊に内部を引っかき回された上に、先ほどの地震と光……。市民の不安も極限まで高まっているはずだ。もうじき教会の門は暴徒と化した市民によって破られる。そうなっては、ここにいる兵だけではとても押さえきれまい」
「そんなぁ……大変だよ! 早く逃げようって!」
案の定というか、真っ先に慌てふためくヘーゼを尻目に、イリスは平然と告げる。
「でも、もうじき、おじさんが呼んだ別働隊が来るんでしょ。混乱も一時のものよ」
それに対しては、サヤキの返事はなく、ただ面白そうに笑っているだけだった。
イリスは答えを出そうとしないサヤキの様子に、肩で息を吐く。
「けど、まぁそろそろ話も飽きたし、私達はこの辺でお暇させてもらいましょうか」
じゃあね、とイリスはサヤキに向かって軽く手を振って踵を返す。
「そうですね。私達もここを出て、カイゼルを探しましょう」
「うん、そうだよそれがいいよ!」
「ですが、その前に少しだけ時間を下さい」
言って、シリカは扉の向こうに二人を押し出すと、再び閉めた。イリスの抗議の声が聞こえたが、それは無視する。
「……さて、どうやら、あなたからはもう有益な事は何ひとつ引き出せないようですね」
シリカは後ろ手に扉を閉める。変わらずサヤキとは視線を合わそうとしないが、それでも相手が今の状況を楽しんでいるという空気は伝わってきた。
「私はそうでもない。君が残してくれた研究資料をバカどもに渡す。そうすればこの国から出る事くらいは許してくれるだろう。もっとも、出て行った途端に後ろから刺されるかもしれんがね。
奴等も馬鹿正直に私のいう事を信じるとは思えん。いや……最初から、ありもしない言葉の裏を読んでいるだけだ。私がこれから始まる利権争いに参加せず、シンフォルンに侵攻して内部をかき回すだけが目的など……奴等流にいえば、信じられない愚かな行為らしいからね」
「そこまでわかっているのであれば、その権力争奪戦に参加すればいいものを。あなたの実力があれば、後に生まれる組織の上層部に食い込む事も可能でしょう」
「私の目的は果たした。その事を私一人だけが満足していれば十分だ。それに、権力争いにはもう、正直疲れたよ。それが原因で、私はシンフォルンを追われ、皇都でもまた、様々な人間を蹴落とし……師団長という地位を得たのだから」
沈黙の後、シリカはわずかに表情に苦渋をにじませながら、その話を切り出しだ。
「……あなたが障害と認めて排除した人間の中に、ヘリオドールはいましたか?」
さらに、一呼吸ほどの沈黙。
そしてサヤキは、口の端をつり上げて笑う。
「その質問を、長い間待っていたよ。君はずっとそれを私に尋ねたかったのだろう?」
それを肯定する返事も、動作もなく、ただシリカはその場に立っているだけだった。
だが逆にその態度が、彼の心情を雄弁に語っている。サヤキはそう判断すると、それこそ勝手に話しだす。
「君の父上……ヘリオドール・リンドブルム。君達は良く似た親子だと評判だったよ。だが、私に言わせれば、それはあくまで容姿の問題であって、うちに抱えた気性などはずいぶん異なっているようだがね。
……あれは、まっすぐな男だった。まじめで、多少頑固な部分はあったが、騎士道というものに誇りを持っていた。そう、まるで騎士に憧れる少年がそのまま大人になったような人物だったよ」
過去を語る人間は、大抵、どこか遠くに視線を向ける。過ぎ去った時間を目の前までたぐり寄せ、他者には見えないそれらを眺めているのかもしれない。
「だからこそ、己の背信行為が許せなかったのだろう……惜しい事をした。あれほど実直な若者はそうはいなかったというのに」
「自分の部下に欲しかったと」
「逆だ。彼の理想はあまりにも純粋で眩しすぎて……とてもではないが、私の薄汚れた行為に付き合わせる気にもならなかった。彼はあくまでも騎士道というものにこだわっていたし、決して自分の考えを曲げるような男ではなかったからね」
シリカはしばらく黙していたが、もとより話すつもりではいたので、すぐに口を開いた。
「……父が死んだ際、様々な事で名義変更がありました」
当主が死亡した事で、家督は長子であるシリカへと移った。だが実際問題、その権利を行使するはずの新しい当主がまだ幼かった為、財産も専任の管財人が管理し、シリカが成人するまでそれらは厳重に守られるはずだった。
「その時、管財人が真っ青な顔をして飛び込んできましてね。なんでも、財産の一部が既に処分されていたそうです。……父の独断で」
相変わらず、互いに視線を合わせる事はない。だがシリカの方は、わざと相手の挙動から目をそらしているような様子だった。
そしてシリカ自身もまた、そんな態度を取っている自分を自覚し、苛立っていた。
「別の会計士を雇い、様々な経路で秘密裏に処分された土地や債権などから得られた金銭の行方はわかりませんでした。……私の想像では、おそらくそれらは父を強請っていた何者かに渡されたのでしょう」
シリカはしゃべる自分の声がどんどん無機質になっていくのを感じていた。だが、感情を抑えつけなければ、とてもではないが冷静に語る事はできそうにもない。
今から話すのは、隠れていた事実。
家族にだけは、決して漏れる事のないように、父が細心の注意を払って証拠の隠滅を計ったもの。最後まで隠し通す事は不可能でも、事のすべては誰にも理解できないようにと。
だがそれも、ヘリオドールの死によって、彼がひた隠しにしてきた部分が徐々に浮かび上がってきた。
それは彼の過去における、もっとも輝かしい業績の裏に隠された真実。
事の発端は、二十年以上前まで遡る。息子であるシリカ達が生まれる直前の出来事だった。
当時、白扉騎士団の大隊長補佐役を務めていたヘリオドールは、街道に跋扈していた盗賊集団の主格を討ち取った。そして長い間盗賊によって滞っていた皇都と周辺都市との物流を復活させた事で、彼は英雄と呼ばれるようになったのだ。
だが、事実は多少異なった。
確かに盗賊の首領ウトガルザ・ロキは死亡したが、それはヘリオドールの功績ではなく、先に隠里へ侵入した何者かの手による毒殺だった。
その真実を、彼は隠匿する。
名声を得る為に。
しかし、生来の生真面目な性格ゆえか、彼は数年の後に心身を病んで逝った。
残された家族……シリカが、父親の死の裏に隠された真実を自ら暴くのは、それからさらに数年が必要だった。
彼が残された様々な物証を組み立てる事で出た結論はひとつ。
父親は自分の利益の為に真実を隠した事で、それを知る何者かに口止め料として多額の金銭を渡していた。
その相手をはっきりと示す物は何も見つけられなかったが、何年も何年もかかって少しずつ当時の状況や人間関係を整理していくうちに、目星はついた。
そう、彼はついに目的の人物を探し当てたのだ。
彼らは、互いに沈黙していた。
やがて口を開いたのは、サヤキの方だった。
彼は軽い笑声を上げ、さも楽しげな顔をする。
「では、こう言いたいのかね? 君の父を脅迫し、精神的に追いつめて死に追いやったのはこの私だと」
「……私は断罪者ではありません。ただ、知りたかった」
「その口ぶりだと、君は父の死に私が関与している事は以前から気づいていたようだね」
「あなたの存在自体は、ずっと気にかかっていました。ですが、確信に至る証拠は何も見つかりませんでしたよ。……まさかという思いもありました。そう、父と同じ、二八一連隊に所属していたあなたを疑う事はできなかった」
「だが、言い換えれば、ヘリオドールの一番身近にいたからこそ、すべてを知っていたとも言える」
「疑う気持ちを持てないのと同時に、あなたは怪しすぎたんですよ。移民という事は聞き及んでいましたし、父が死亡した後、当時はまだ若輩と呼ばれる年齢であったにもかかわらず、異例すぎるほどの早さで出世し、ついには師団長にまで大抜擢されましたからね。まさに自分は裏で何かやっていると宣伝しているような状況でしたよ」
言って、シリカは首筋に手を当てる。服の下には、胸まで伸びる傷跡があった。
「……もっとも、確信を得たのはあなたに殺されかかった後ですが」
「どうやら、あの時にヒントを与えてしまったようだね」
微塵も悔しさを出す事もない、軽い口調でサヤキは笑う。
対してシリカの表情は動かない。
「あの時に殺しておけばよかったと?」
「いや、私はそうは思わない。あの時、生かしておいたからこそ……君はここにいる。ヘリオドールよりはるかに優秀な君が。そう、君は彼より頭が回り、彼より剣の腕が立つ。しかも、マテリアの知識も豊富だ。私にとっては文句のつけようもない部下だと思うがね」
サヤキは初めて視線をシリカに向ける。だが、シリカは動かない。
「だからこそ、賢い君はこうも考えている。この男を追いつめ、過去の悪行を世間にさらす事はできない、とね。残念だったね。君がせっかく私に取り入り、こんな大陸の正反対にある国まで出向いたというのに……目の前の男は犯した行為は認めても、罪の意識など欠片も持ち合わせていないのだから」
他人を蹴落とし、その地位や財産を奪う事に何の痛痒も覚えない男。当然、確実な証拠は何も残してはいない。
シリカも、わかっていた。
こうして目の前まで来て事実を暴いても、何も変わりはしない事を。
残念だ、としきりに男は繰り返す。
「結局、君は何も手にする事はできなかった。だが私は、自分の目的を達成できて満足だよ。やはり、君を騎士団に引き込んで正解だったよ。城の退屈な連中に君を渡しても、どうせ数年も持たずに使いつぶされただろう」
楽しそうに笑う声に、シリカもまた、顔を上げる。
「私の運命は、あなたの手の上だったと……?」
「君が怒りや屈辱を覚える必要はないよ。その事で、君の人格や能力そのものが否定されるわけではない。むしろ、期待以上の活躍だったよ。裏切りを続けて、つらかっただろう。もう、休んでもらって結構だ、今を持って、君はクビだ。もう君は私の部下でも、まして、騎士団員でもない。好きにしたまえ」
乾いた笑声を上げる男に、シリカはそれ以上、何も告げる事はなかった。




