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9-1「敵か味方か」

それでも明日はやって来る!9「蒼穹に響く詩歌」

 一章「敵か味方か」



「   あんたが、俺の守護者なのか?」

 その人を見て、カイゼルは反射的に言った。

 何度も姿を見ていたし、実際、助けてもらった事もある。なのに、相手の顔をはっきりと正面から眺めるのは、それが初めてだった。

 瓦礫の向こう、つつけば崩れそうなほど弱々しく立っていたその人は、カイゼルの声に弾かれたように顔をこちらに向ける。

 初めて、互いの視線が絡む。

 二人がいる場所は、会話をするにはあまりにも離れすぎている。それでも、その瞬間だけは、お互いの距離が縮まったようにカイゼルは感じた。

(なんで……あんな泣きそうな顔をしているんだろう?)

 漠然と、そう思った。

 着衣もぼろぼろだから、余計にそう思ったのかもしれない。

 だが思考は長くは続かず、突然地面から立ち上った白い炎に断ち切られる。

 熱を感じないのに、白く燃え上がる炎。あるいは、炎に見せかけた何かは、周囲のどの建造物よりも高く吹き上がると、大きくたわんで倒れてくる。

「   駄目だっ!」

 悲鳴のような叫びを聞いたのを最後に、カイゼルの視界すべてが白い光に覆われる。思わず目元を手でかばったが、光はまぶたの裏にまで容赦なく侵入してくる。

 次いで、光が弾けた。信じられないことに、光がさらにもう一段上の、明るさそのものに飲み込まれてしまったのだ。

 炸裂した光は、すべてを飲み込み、すべてを白く塗りつぶしてしまう。

 そして、光は唐突に消え失せた。

 世界は徐々に、元の色彩を取り戻す。

 残ったのは、夜明けまでまだ遠い闇夜。そして、わずかな雪明かりに照らし出される、崩壊した建造物の群れ。

 石造りの柱の表面には、受けた衝撃を物語るように、無数の細かい亀裂が走っている。壁は亀裂から徐々に表面を剥離させ、菓子のようにもろく崩れていく。一抱えもある石材が轟音と共に落下し、降り積もった雪が舞い散る。

 やがて、それらも収まり、場に沈黙が訪れた。

 息をするのもためらうような、重苦しい沈黙。

 そして消えた光と同様に、沈黙もまた、唐突に破られた。

 さくさくと雪を踏みしめて歩いてきたその人は、軽い足取りと同様に軽い声で言った。

「久しぶり、元気にしてた?」

 開口一番にそう告げられ、カイゼルはがっくりと肩を落とす。だが目の前の少女は言葉の調子と同じく、明るく笑っていた。

 未曾有の大災厄に見舞われようとも、イリスは常に自分のペースを崩さない。

 そう、すっかり原形を留めていない、元は壮麗な建物の残骸に囲まれていようとも。

 カイゼル自身も衝撃に吹き飛ばされ、背後の瓦礫に叩きつけられてしまい、少しの間、意識を失っていた。そうこうしているうちに、イリスは自分を見つけて声をかけたらしい。

 カイゼルは頭が痛むので短く返答する。

「……軽いな」

 確かに、久しぶりだし、健康を害しているかと問われたら首を横に振るしかない。もっとも、全身が激しく痛みを訴えていたが。

 だがしかし、自分は見知らぬ国へと連れ去られていた。そこに突然、都市全体を揺るがすような轟音と衝撃が眼前で炸裂。周囲の建造物は盛大に崩壊し、今もどこかで崩落の音が聞こえ、衝撃に地が微かに揺れる。そんな面倒で大変な状況の中、いきなり幼なじみと再会したというのに、相手の反応はあまりにもあっさりしすぎているような気がする。

「あのなぁイリス……もっとこう、なんかないのかよ」

 カイゼルは黒髪をかき回す。舞い上がった粉塵が髪の中まで入り込み、指が引っかかる。イリスも微妙に薄汚れていたが、まったく頓着する様子はなかった。

 むしろ、全身でこの状況を楽しんでいると言わんばかりに、うれしそうな顔をしている。

「う~ん。カイゼルが拷問でも受けてひどい形相だったり、なんだか精神的な衝撃を受けて白髪になってたりしたらもっと心配したと思うけど、なんか元気そうだから」

「まぁ、そうだけどさ……。でも俺だってイリスやヘーゼに言いたい事の一つや二つ……」

「カイゼル、イリスに感動的な再会とかを求めても無駄だと思うよ」

 瓦礫の山を乗り越えて、もう一人の幼なじみであるヘーゼがひょっこり顔を出す。

「久しぶりだね、カイゼル。イリスの言う通り元気そうでよかったよ」

 へにゃりと疲れたように笑う顔もまた、泥で汚れている。カイゼルは久方ぶりの再会を果たした少年に、気の抜けた返事をする。

「……まぁ、元気だけどな。それに、俺もいざ再会すればこんなもんじゃないかって、何となく思ってたよ」

 カイゼルは息を吐く。と、並んで肩を落としている少年二人に、イリスがいつもの底が抜けたような声で告げる。

「じゃあ、二人とも納得してくれた所で、さっさとこんな国から出て行きましょうよ」

「それもそうだな。じゃあ、ここは寒いから、とりあえず移動するぞ。細かい話はそれからだ」

 言ってカイゼルは立ち上がり、あまり意味はないと思いながらも、服の埃を叩いて落とす。

「そこで、すぐさま冷静になれるカイゼルがすごいよ」

「慌ててもしょうがないだけだ」

 そう、考えなければいけない事と、やらなければならない事は山積みだろう。

 ……気になる事も、大量にあったが。

「   マドカっ、マドカどこだっ!」

 カイゼルは、背中に重くのしかかってくる思考を振り切るように頭を振ると、自分のすぐ後ろにいたはずの少年を探す。足場の悪い瓦礫の山を登っていくと、意外にもすぐ近くから細い腕がのぞき、そこから頭が出て来る。現れたのは、不機嫌そうな少年の顔だった。のそのそと身体を引き上げ、瓦礫に引っかかった金髪を乱暴に引き抜くと、面倒くさそうに息をついた。

 少年もまた、ひどい有様だったが、幸い大きな傷は負ってはいないようだ。

「よかった……マドカ、無事だったか」

 無言のマドカに手を伸ばそうとすると、横からイリスが顔を出してくる。

「あら、カイゼル。新しいお友達?」

 興味津々に目を輝かせているイリスとは反対に、マドカは初対面の相手に対し、表情に警戒の色を浮かべる。

「そういえば、イリスは初対面だったよな」

 カイゼルがマドカを手招きで呼び寄せると、少年はさも嫌そうな顔をするが、カイゼルはきれいにそれを無視した。

「マドカだ、シンフォルンで色々と世話になって……」

「オレはお前達の敵だ」

 少年の突然の発言に、悲鳴を上げたのはヘーゼだった。

「えぇっ? そんなっ、いきなり困るよ! でも、後から聞かされてももっと困る!」

「あ、敵サイドなの。じゃあ寝返りと情報及び資金提供よろしくね」

 それぞれ違う意味で騒いでいる二人を、マドカはじろりと半眼で見上げ、ぽつりと告げた。

「……お前のトモダチって、変わってるな」

「そう面と向かって言われると、なんだかすごく悲しくなるからやめてくれ……」

 感動的な再会はとっくの昔にあきらめたが、それでも……あまりにもいつも通りな展開に、カイゼルはやるせない気持ちになってしまった。

「えーと、イリスにヘーゼ。さっきも言ったけど、ぼちぼち移動したいんだけど……」

「あ、そうだったわね。じゃあその辺にギーヴルとシリカが埋まってると思うから、カイゼル、好きな方を掘り返してね」

「そんなぁ、両方助けてあげようよ!」

「えっ、ギーヴルはわかるけど、何でシリカがここにいるんだよ?」

「まぁまぁ、いるものはしょうがないわよ」

「……そこに至るまでのいきさつを、俺に説明するつもりはないのかよ」

 彼らの騒ぎはまだまだ続く。



 そして、勝手に掘り返す人間の二者択一を迫られていると知らないギーヴルは、自力で起き上がっていた。

 既にこの晩だけで、自分は一体、何度死んだ事になっているのだろうか。そんな馬鹿げた考えを持ちたくなるほど、さんざんな目にあった。

「くそっ、えらい目におうたな……」

 これで大きな傷がないのは奇跡だ。無駄だと思いながらも手放した段平の行方を探していると、不意に声がかかる。

「ギーヴル……?」

 瓦礫の向こう。ふらりと現れた女に、ギーヴルは眉を寄せる。場所と状況だけに、思わず身構えたが、すぐに臨戦態勢は解いた。

 女は見知った顔だった。もっとも、知り合いというだけでは到底すまされない間柄で、油断もできない存在だったが、女は自分の名前を呼んだ。

 彼の名を知っている人格は、一人しかいない。

「……マナールか」

 ギーヴルは女の……複数に分裂した人格の中にある、ひとつの名を呼ぶ。

 女はそれを否定することなく頷いた。ひどく頼りない動作で手近の瓦礫に身体を預けるようにして倒れ込むと、額に手を当てる。

「ここは……教会、なのか。ずいぶん派手に壊れているね。何があったかは知らないけど、三人目はまたあんたにちょっかいかけたようだね」

 マナール自身もまた、大小無数の傷を負っている。だが意識がはっきりしていないからなのか、とろんとした表情には、あまり痛みを感じているような様子は見受けられなかった。

「お前、人格交代しとる間は、自分の意識ないんやろ。それやのに、なんで誰がやったかすぐにわかるんや」

 その指摘に、マナールは鼻で笑う。

「それぞれの人格ごとに支配が及ぶ領域や権限が違うからね。マナールに断りもなく前に出られるのは、あいつくらいだよ」

 頭痛がするのか額を抑える。声に普段の覇気はなく、視線もさまよっている。ギーヴル同様、大きな外傷は見受けられないが、それでも受けた衝撃と突然の人格交代で、意識が混乱しているのだろう。

「まぁ、ここがこんなになったわけは、よう説明できへん。けど、逃げた教会に逆戻りしたんは確かやで」

 マナールはふらりと周囲を見回す。ただ間を取る為だろう、あまり意味のある動作ではなかった。

「そう、みたいだね。まったく、どうせ動くなら都市外にでも出て行けばいいものを……。まぁ、ここで愚痴ってもどうしようもないしか。またもう一度逃げることにするよ。この様子を見る限り、教会は混乱している。一人でも、何とかなるはずさ」

「行くんか」

「あぁ、じゃあね」

 マナールは手を振る事もせず、ふらりとよろめきながらも踵を返す。ギーヴルもまた、それ以上声をかけなかった。



「あ、そうだ」

 瓦礫を掘り返す手を止め、カイゼルは振り返る。

「ここから出て行く前に、もう一人連れて行きたい人がいるんだよ」

 連れて行きたい人物とは、盲目の少女ティラハンだった。彼女のいる棟まで崩壊の余波は届いていないだろうが、揺れだけでも相当なものだったはずだ。部屋の中は凄まじい状態になっているだろう。そんな中、目の不自由な者を一人で置いておく事はできない。

 それに、一緒に行くと約束した。

「別に構わないけど。でも、ちょっと会わない間にカイゼルも友達が増えたわね」

「……そいつ、カイゼルの女だぜ」

 マドカの声に、イリスは飛び跳ねて喜ぶ。

「うわっ、ちょっとカイゼル。やるじゃない!」

 イリスが甲高い声を上げてカイゼルの背を叩く。カイゼルはその手を邪険に振り払うと、マドカに詰め寄る。

「マドカっ! 茶化すなっ! いいか、すぐに戻って来るからな。ここにいてくれよ」

 カイゼルは真っ赤になって大声を出し、ぴしりとイリスに指を突きつける。だがイリスは非常に楽しそうな顔をして小躍りする。

「えー、一緒に行きましょうよ。カイゼルの初彼女じゃない、お祝いしないと」

「絶対に来るな! 人数が多いと動きが遅くなるだろ。とにかくすぐだから、待っていてくれよ!」

「待てよ、オレは一緒に行くぜ」

 瓦礫掘りなど元から手伝う気のないマドカは、さっさとカイゼルの隣に並ぶ。

「まぁ、いいけど……」

 またティラハンに突っかかるんじゃないぞ、とカイゼルは心の中でマドカに釘を刺した。



 教会内は無惨なものだった。

 固定してあるもの以外は物は軒並み床に落下し、壁は震動に耐えきれなかったのか、クモの巣状のひびが無数に走っている。床も歪んでしまい、部分的に盛り上がっていた。

 カイゼルも、いびつな床材に何度か足を取られる。

「ったく、走りにくいな」

「だったら、あの女なんて見捨てて、さっさとお前達だけで逃げれば良かったんだ」

「……そういうわけにはいかないだろう」

 マドカの突き放した物言いに、カイゼルは憮然とした顔で答える。

 突然の発光と振動。その為、教会内の誰もが状況を把握できていないらしい。時々人の声が遠くで聞こえたが、誰も組織的な行動は起こせていないようだ。

 夜、という状況が、余計に混乱を助長させているのだろう。

 明かりのない廊下は、散乱した調度品と、剥離した壁面が散乱していて歩きにくい。時々、落下したランプやろうそくが、床の敷物に燃え移って小さな炎を上げていた。

 誰もが混乱し、移動にも手探りの状態。おかげでカイゼル達は、誰にも見とがめられずに部屋まで戻ることができた。

「ティラハン!」

 カイゼルはノブに飛びつくと、体当たりするような勢いで扉を開け放つ。

 鍵をかけて出た覚えはなかったが、震動で扉の枠が歪んでしまったのだろう、多少開きにくかった。

 明かりのない部屋の中、一歩踏み込んだだけで足に何かが当たった。思わずそれ以上室内に入るのを躊躇していると、中からか細い声が聞こえた。

「カイゼル……よかった。ものすごく大きな揺れだったから……」

「ティラハン、大丈夫か?」

 えぇ、と小さな声がする。ようやく目が慣れてきた。奥の方に、ティラハンが床に座り込んでいるのが見えた。座っていた椅子から投げ出された状態のまま、動かなかったのだろう。

「ちょっと待てよカイゼル。この辺にランプが置いてあったはずだ、点けてやるからあんまり動き回るなよ」

「あ、あぁ……ありがとう」

 マドカの冷静さに、カイゼルはひとつ息を吐く。そして床に落ちていた厚地の上着を拾い上げると、ゆっくり足下を確かめながらティラハンの側に歩み寄る。

「カイゼル……今の地震、すごかったわね……」

「……そうだね」

 ティラハンはぎこちなく笑った。彼女自身、一人で残されて不安だったはずなのに、カイゼルを前にして不器用に微笑んでみせる。そんな様子がいたたまれなくて、カイゼルは笑いかけてあげる事ができなかった。

 先ほどの現象が、自然に引き起こされたものではない事を知っているからなおさらだ。

 カイゼルは頭を振ると、努めて明るい声を出す。

「それより、今がチャンスだ。仲間が来ているんだ!」

「仲間……?」

「そうだよ、あいつらが来てくれたんだよ」

 興奮気味に言いながらも、カイゼルは手早くティラハンの肩に上着をかけてやる。そうしてやると、彼女は黙って袖を通す。

「ここから……出るの?」

「そうだ、だから一緒に行こう!」

 カイゼルがティラハンの手を引いて立たせると、ようやくランプが見つかったのか、部屋の一角に柔らかい光が灯る。マドカがランプをこちらに向けて立っていたが、照らし出された顔は不機嫌そのものだ。

「やっぱり、その女も連れて行くつもりなのか」

「そうだ。それと、マドカも来るんだぞ」

「おいおい、強制かよ」

「その通りだ。俺は嫌なら来なくてもいい、なんて絶対に言わないからな」

 もし言えば、天の邪鬼なマドカの事だ。言葉を額面通りに受けとめて、本当に居残ってしまうだろう。

「はっ、怖いねぇ」

 マドカは茶化すように笑う。

 それを横目で見ながらカイゼルはティラハンの手を引き、ゆっくりと扉に向かう。

 だが、足はそこで止まった。

「逃げられては困るな」

 声に弾かれたように顔を上げると、扉の前に眼鏡をかけた男が立っていた。突然の出現だったが、カイゼルはその事については驚かなかった。

 ファルゼン枢機卿。

 いや、その外見をしているだけの存在。

「……やっぱり出て来たな」

 カイゼルはティラハンを自分の後ろにかばう。マドカは相手の顔を見た途端、何か言いたげな表情をしたが、すぐ振り切るように頭を振る。

「守護が離れた今なら、俺を遮る者はいない」

「守護……?」

 その単語に呼び起こされたのは、猛烈な光にかき消される前に見た、あの人物。

 空色の髪と、宝石のように赤い瞳。

 人間にはあり得ない色彩の組み合わせだったが、不思議とその人に関しては、違和感を感じなかった。

 あの人とは一瞬の邂逅だったが、驚いた表情や何かを言いかけた口元などの細かい造作が、不思議と脳裏に焼き付いている。

 泣きそうに歪んだ顔で、必至に叫んでいた。

 そして光が消えた後、まるで白昼夢のようにその姿はどこにも見あたらなかった。

「隠れてこそこそか。情けねぇな」

 マドカの皮肉に、ファルゼンは鼻で笑う。なんとでも言えばいいとでも思っているのだろう。

「そうだ。誰がお前の言う事なんか聞くかよ!」

 カイゼルは叫ぶ。物騒な事が待ちかまえているとわかっているのに、黙って相手に従うような真似はできなかった。

 イリス達を置いてきた事が、よかったのか悪かったのか。とにかくこの相手には常識が通用しないのだ。こちらから打って出ようにも……いや、そもそも対等に抵抗できるだけの手段がない。

 カイゼルがどれだけ反抗しようとも、いずれは力でねじ伏せられてしまうだろう。

(けど……)

 カイゼルはちらりと背後を振り返る。

 盲目の少女が、自分の服の端を掴んでいた。そして隣には、不機嫌そうな顔をした少年もいる。

(守らないと……)

 漠然と、そう思った。

 口にすれば、マドカなど一笑に伏すだろう。そもそも、この男の目的はあくまでカイゼルだ。残る二人に手を出す理由はないはずだ。

(でも、約束……したんだ)

 自分はこの二人を連れて、この国から出る。

 その為には、ここでカイゼルが捕らわれたり、二人が傷つけられる事は避けなければならない。

(っ、今、ここで戦うしかない!)

 カイゼルは視線だけで室内を見回す。武器になりそうな物を探したが、よく考えてみればここにいる三人は、シンフォルン聖教国を制圧した反乱軍によって、半ば監禁状態にあった。そんな状況だ、部屋の中に刃物の類など最初からない。必死で代りになるものを考える。燭台ならあったはずだが、視界に入る場所には見あたらなかった。

(ギーヴルがいてくれたら……)

 思わず助けを期待して扉の向こうを見たが、誰も現れる様子はない。

 カイゼルの視線の意味を理解したのか、ファルゼンは凶器のように容赦のない笑顔を見せる。

「どうもまだ楽観的に考えているようだが、逃げたところでもう遅い。あれは既に覚醒している。今はなりを潜めているだけだ。すぐに、また動き出す……そして狙うのは当然、貴様だ」

「……俺が、魂の継承者だからか……」

 ファルゼンは、カイゼルの言葉に鼻を鳴らして笑う。

「まったく、馬鹿げた妄想だ。砕けた欠片を集め、魂を探して再び器に戻したとしても、死んでしまった者は甦りはしないというのに……。

 まぁ、限りなく低い可能性だが、一時的にでも蘇生はするかもしれん。それでも、しょせんは一度、滅びた存在。摂理を歪めてまで甦らせたところで、大して保たないだろう」

 吐き出す言葉は、どこまでも冷たい。

 カイゼルは震える声を抑え、精一杯の虚勢を張る。そうでもしなければ、わめいて暴れ出したい気分だった。

「けどあんたは、その馬鹿げた真似を利用するんだろう。……あんたのやりたい事の為に!」

「あいにく、こちらは大分疲弊していてな、利用できるものは、何でも使わなければならんのだ」

 肩を揺らして皮肉げに笑う仕草は人間くさいのに、この相手との会話は何かどこかすれ違う。

 どことなく疲労を覚えながら、それでもカイゼルは言葉を繋げる。

「目的って……理由は知らないけど、復讐ってやつだろ。そんな恨み、ぶつけるはその相手だけにしろよ! あんたの目的の為に、この大陸を消されてたまるかっ!」

 ファルゼン……その内に潜む存在は、地下に眠るものを揺り動かし、意図的に暴走状態に陥らせ……相手の力そのものを利用して、逆に死に至らしめようとしている。

 地上にあるものすべてを巻き込んで。

 その為の餌が、カイゼルだ。

「ふん、あれにくだらない話を吹き込まれたようだな」

 ファルゼンの口元が歪み、底の知れない影のようなものが彼の表情を冷ややかに彩る。そしてカイゼルとの間を一瞬で詰め、胸ぐらをつかみ上げた。

「っ、わぁっ!」

 いきなり宙づり状態にされたカイゼルは、手足を振り回して暴れたが、ファルゼンは容赦しなかった。

「もう、黙れ」

 片腕でカイゼルの身体を振り回すと、ファルゼンは無造作に手近の壁に彼を叩きつけた。

 カイゼルの身体は床に崩れ落ち、そのまま倒れた。気を失ったのか、動かない。

「なっ……てめぇ!」

 マドカが怒りに声を上げる。ランプを床に放り出し、叫ぶ。

「向かって来るつもりなら、殺すぞ」

 マドカはファルゼンの言葉が終わらないうちに、服の下から錐状の剣スティレットを取り出し、床を蹴って飛ぶようにファルゼンに迫る。

 勢いの乗った攻撃は、吸い込まれるようにファルゼンの胸に突き立った。

「……な、にっ」

 相手が避けもしなかったのは意外だった。だがそれが夢や幻でもない証拠に、スティレットは相手の身体を突き抜け、背中から切っ先がのぞいている。そして、マドカが身体を離すと、ファルゼンはそのまま床に倒れた。

 マドカは信じられない思いで、床に崩れた身体を呆然と眺める。

「エディ……?」

 スティレットを離した手と、倒れ伏した相手を交互に眺め、マドカは立ち尽くす。

 あまりにも、あっけなく終わってしまった。

 だから……

「ひどい奴だ……一度死んでしまったじゃないか……」

 聞こえてきた声に、マドカは大仰に身体を震わせた。

 驚きに、弾かれるように数歩下がる。

 そして少年の見ている前で、男は起き上がった。

「そ、そんなっ!」

「確かに心臓を貫いたと、そう言いたいのか? まぁ、狙いは正確だったが、あいにくとその程度では滅びないのでね」

 立ち上がると、そこで胸に刺さったままのスティレットに気づき、無造作に抜いて捨てる。剣が刺さっていた部位は、服に穴が開いているだけで血もにじんではいなかった。

「そろそろこの身体も限界でね、体液もほとんど残っていないんだ。あまり傷を付けないでくれ」

 少年に顔を向けるが、相手は彼の言葉を聞く余裕をなくしていた。目を見開き、恐怖に引きつった顔にいつもの大人びてすねたような様子はない。

 ファルゼンが音を立てて向き直ると、びくりと肩を震わせる。

 その様子をおかしそうに笑いながら、ファルゼンはことさらゆっくりと少年に近づき、細い首をつかんで乱暴に持ち上げる。

「んっ、ぐぅっ……!」

 呼吸が止まり、首が折れるほどの苦痛に思わず声がもれる。つま先立ちになって身体を支えようとするが、足の先は床に届かない。

「言ったはずだ、向かって来れば、殺すと」

 ファルゼンは開いている方の手で、マドカの上着を裂いた。胸が露わになり、そこに皮膚とは違う光沢を見つけ、ファルゼンは薄く笑む。

「……どうせ死ぬなら、最後に狂うほど苦痛を味わってから逝け」

 手のひらを胸の前に掲げると、そこから雷光のような光が弾けた。雷に打たれたようにびくりとマドカの身体がのけぞり、光が消えた後、ファルゼンはマドカを床に投げ落とした。

「……っ……ぁ……」

 と、床に落ちたマドカは自分の胸を押さえ、身体を折り曲げる。

    苦しい、痛い。

 胸をえぐられるような圧迫感と痛みに、マドカは床に爪を立ててあがく。少しでも苦痛から逃れたかったが、身体は言う事を聞かず、叫ぼうにも呼吸すらままならない。

 険しい顔を、幾筋もの汗が伝う。

 その様を前に、ファルゼンは笑っていた。マドカの引きつった顔を、苦痛にあえぐ姿を見て、喜んでいるのだ。

「痛むか、そうだろう。貴様は今、食われているのだからな」

「あ……ああっ……!」

 マドカは胸に手をかけ、そのまま残っていた服を破る。ほとんど上半身は裸になり、現れた部位は、異様な光沢に包まれていた。

 青白く輝く、透明な結晶。

 ガラスのような物質が、見る間に胸を覆っていく。

「散った欠片を探し、選別する〈目〉を得る為に、生きた欠片を埋め込む……か。馬鹿げている。この世界にはよっぽど死にたがりが多いらしいな」

 足下まで這うようにやってきた少年を、ファルゼンは何の躊躇もなく蹴り飛ばす。そして、声の調子を一筋も変えることなく、しゃべり続ける。

「もっとも、爪の先程度の欠片なら、浸食は受けても一度に食い尽くされる事はないというわけか。考えたものだ。もちろん、その適量がわかるまで、どれだけの同族が食われていったのやら」

 本当に、考えもつかない事をする種族だ、とファルゼンは口元を歪めて笑う。膨れあがった醜い感情を抑えきれない、邪な笑み。

「それでも、内臓器官まで変質が進めば、もう助からん。やがて肺が侵され、呼吸が停止するだろう。それとも、心臓に達する方が早いか……。どちらにしろ、もう少し猶予がある。その間、異質な存在が体内を浸食し、じわじわと死んで行く感覚を味わうがいい」

 ファルゼンは喉の奥で軋るような笑声を上げる。

 鼓膜に突き刺さる不快な声に、マドカがうっすらと目を開けた。

「エディ……お前は、本当に死んじまったのか……?」

 途切れ途切れに吐き出される言葉に、ファルゼンの笑みがさらに深まった。

「この肉体を得る際に、器の情報は選別して意識領域に写したが、貴様の情報はどこにもなかったな」

 他人と入れ替わる為に、最低限個人としての記憶は己の中に刻み込んだ。不愉快な行為だったが、この世界の社会にとけ込むには耐えなければならなかった。

 その不快感を少しで軽減する為、不要と思われる情報は削除した。

 少年の顔が……その身を蝕む苦痛とは違う痛みに……微かに歪む。

「裏切られたと思っているのか? それはこの器に失礼というものだ。確かに、元の人格を無視して肉体を奪うのは、非道とそしられる行為だろう。だが、貴様の事を忘れているのは器であって、この俺ではない。忘れられる程度の扱いだからといって、この男を恨むのは筋違いだ」

 マドカは黙って腰の後ろに手を回すと、何かを床の上に捨てた。

 それは、古びたひとつの鍵だった。

「……鍵、返すよ」

 たとえ、この言葉が眼前の男をすり抜けていくだけだとしても、マドカはその向こうにいるはずの人物に向かって言葉を投げかけた。

「お前の知っている男は、とうの昔に死んでいる」

 男の声に、マドカは心中で頷く。

 ようやく理解できた。

 昔、本が好きすぎて図書館の司書になったが、仕事中もよく本に熱中して上司に小言を食らっていた気のいい男。

 教会内で居場所のないマドカに、逃げ場として機密文書部屋の鍵を渡してくれた男。

 誰も立ち入る事がないから、ここでゆっくりしていけばいい、と笑っていた。

 エデュラス。

 あの頃、彼には枢機卿なんていう重苦しい肩書きなどなかった。

 だがその男は、もう、どこにもいない。

 ここにいるのは、あの男の皮をかぶった偽物にすぎないのだから。

 誰にも知られずに、存在ごと葬られてしまった男。

 彼の死を、誰も知らない。

 だから……マドカは叫んだ。

「……お前が……お前がエディを殺したんだっ!」



 引き裂くような声を聞いても、男は眉ひとつ動かすことはなかった。男にとって、この世界に生きる者の言葉などどうでもよかった。

 だから、彼に突き刺さるように飛んできた声に対する感想は、一言だけだった。

「それが、どうした」

 必要であれば、この世界の人間など何人殺したところで何の痛痒も覚えない。

 むしろ、自分にその力さえあれば世界中の人間を根こそぎ滅ぼしてやりたいくらいだ。

 だが、無尽蔵の力はない。

 その為に、まるで人に寄生するようにして長い年月、この大陸をさまよい続けた。

 それも、もうすぐ終わるだろう。

 糸が切れたように動かなくなった少年を一瞥し、ファルゼンは気を失ったカイゼルに向き直る。

 だが、一緒にいる人物に彼は眉を寄せる。

 ティラハンが、カイゼルの腕にすがりつくようにしてそこにいた。微かに震え、元々白い肌がすっかり青ざめているというのに、腕にだけ異様なほど力を込めているのが端から見てもわかった。

 まるでその腕を放せば今すぐ死んでしまうとでもいうように。それは水に溺れている者が板をつかんで離さない様子にも似ていた。

 おびえきって、焦点の合わない目をさまよわせている少女に、ファルゼンは小さく息を吐く。

「……まぁ、いい。せいぜい賢く振る舞う事だ。そこのガキのように、苦痛と絶望に苛まれながら死にたくなければな」


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