8-4「雪にさまよう蝶」
四章「雪にさまよう蝶」
机から半ばはみ出している大判の紙を見て、イリスは感嘆の息を漏らす。
「へぇ、これが地下道かぁ」
そこには細かい線と字が入り乱れ、様々な道を描き出している。
「こんなのよく持ち出せたね」
「あぁ、これは写しですよ。本物の上から紙を重ねて、私がその上からなぞって書き写した物です」
「またそんな芸の細かい事を……」
確かに、古い地下道の図面のはずなのに、紙は妙に新しい。しかも、地下道だけならまだしも、隙間に書き込まれた注意事項や走り書きまで見事に再現されている。自分なら途中で投げ出してしまうそうな細かい作業をこともなくやり遂げてしまった彼を見て、ヘーゼもまた息を吐く。イリスとは違い、微妙に呆れたものが含まれていたが。
「ご苦労様シリカ。けど、よく写せたね。しかもなんか、この辺に原本持ち出し禁止とまで書いてあるけど……」
「重要な物といっても、必要でない時は倉庫にしまいこんだままですからね。写した後で元通りにしまっておけばすむ話ですよ」
「ふーん……」
何故か彼が言うと、どんなに困難な作業でも、近所にお使いに行って来る程度の労力ですまされてしまいそうだ。
もちろん、これほどの地図を誰にも見つからずに写し取って来る作業が、言うほど簡単でない事はわかる。しかしシリカはその苦労を微塵も感じさせない。
(その辺が、大人って事なのかな……)
自分に出来ない事を、息をするように自然にこなしてしまう。その姿が妙にまぶしく、逆に何も出来ない自分が歯がゆくて、ヘーゼは憮然と押し黙る。
「地下道といっても、時代ごとに増改築を繰り返していますからね。内部は細かく分岐していますし、この地図も完璧なものではありませんから、これを参考に侵入して目的地へ辿り着くのは難しいでしょうね」
「ふぅん、じゃあその完全版ってどこにあるの?」
「それは教会内部に保管してあるそうです」
この地図には、肝心の教会にたどり着くまでの道程が空白になっている。
イリスはお手上げとばかりに天を仰いだ。
「やっぱり、そうは上手くいかないものね。それならいっそのこと、何か騒ぎでも起こらないかしら」
「え……何かって、なに?」
不穏な発言に、ヘーゼがびくりと肩を震わせる。
こういう言い方をする時は、決まってろくな事にならないと今までの経験が語っている。
「そうね、たとえば過激なテロとか。爆弾持って教会の前に集まって、早く門を開けないと爆破するぞって脅すのよ」
「…………そんな本格的に犯罪者の真似なんて嫌だよ」
「だって信者連中も、教会に祈りを捧げるのを我慢しているわけでしょ。ここら辺でその不満をあおってやれば、絶対に誰かが暴走を始めるものよ」
「もっと穏便にやろうよ」
「穏やかに行こうにも、こっちは身ひとつなのよ。他人を利用しなくてどうするの!」
ばんばんと机を激しく叩かれ、ヘーゼは情けなく頭を抱える。
「あぁ……言い方は間違っているけど、なんだか真理をついているよ」
「頼みの綱はいないんだから、もうこっちで好きにやらせてもらうわ。ちょっとヘーゼ、市場に行って、黒色火薬を買ってきてよ!」
「ちょっと待って、すでに頭の中には過激思想がいっぱいなの?」
待てと止める間もなく、イリスはさっそくその過激な行動を実行に移そうというのか、部屋に転がっていた空の瓶を嬉しそうに拾っている。
さすがにこれはしゃれにならないと思ったのか、シリカが口を挟む。
「イリス、落ち着いて下さい。焦る気持ちはわかりますが、無駄に騒ぎを大きくする必要もありませんよ。それより、頼みの綱とは? 何か案でもあるのですか?」
イリスは空の瓶と、ランプ用の油を持って振り返る。恐らくそれらは、放っておけば火炎瓶にでも姿を変えたことだろう。
「案っていうか、ギーヴルの他に、もう一人一緒に来た人がいるのよ。その人がなんだかすごいから、ちょっと当てにしようかなって思っていたの」
「具体的に何がすごいのかはよくわかりませんが。何か手段があるというのなら、私もその方に会ってみたいですね」
部屋の中には、二人組とシリカしかいない。そのシリカの希望に、ヘーゼとイリスは顔を見合わせる。
「うーん、なんかこの国には入りにくいからって隠れてるわ。ギーヴルならよく知ってると思う」
「そのギーヴルも、昼から出て行ったきりだけど」
「そうですか。それは残念ですね」
言いながら、シリカは立ち上がるとごく自然な動作でイリスの手から瓶と油を取り返し、彼女の手が届かない部屋の隅に置いた。
だがしかし、それでもイリスのかんしゃくが収ったわけではない。
「あーもうっ! カイゼルもなに呑気に捕まってるのよ。もう待ってるのも飽きたわ、やっぱりここは暴動でも起こさないと、退屈でたまらないっ!」
「……結局、そこなんだね」
「困りましたね」
「うん……。僕一人じゃイリスを止められないよ」
ヘーゼは改めて、ここにいない少年の重要さを強く感じたのだった。
長屋を出た途端、後ろから着いて来る気配に気づいてはいたが、シリカはあえて何も行動を起こす事はせず、ただ歩き続けた。
そして歩くこと半時間。
彼は道の真ん中で足を止め、振り返る。
通りは馬車がすれ違えるほど広かったが、人通りはまったくない。その証拠に、降り積もった雪には彼以外の足跡はなかった。そして周囲には、やや寂れた感じの街並みが広がっている。廃屋らしき建物も目につくことから、区画ごとなんらかの理由で放棄されているのかもしれない。
いや、彼はここに人がいない事を……完全に無人ではないだろうが、少なくとも、人目につきにくい場所であることを、初めから知っていた。
この辺りの建造物は、都市の建築初期に建てられた物が多い為、老朽化が進み、崩壊の危険性のある建物が幾つかあった。その為、年明けには街区ごと取り壊す予定になっている。
そう、報告書には記されてあった。
「……ここなら、人に聞かれたくない話もしやすいですよ。もっとも、環境はあまりよろしくないですが」
シリカは笑って肩から落ちかけたマフラーを直す。今日もまた、シンフォルンはちらちらと雪が舞い散り、身体の末端はすっかり冷え切っていた。
シリカはゆっくりと周囲を見渡す。
放棄された街区にふさわしく、建物はほとんど例外なく窓や扉は外側から板で打ち付けられている。
これでは少しでも暖を取ろうと室内に潜り込む事も出来ない。
「あのう、寒いのでそろそろ帰りたいのですが」
言葉を発してから、ゆっくり十も数えた頃、すぐ近くの建物の影から、のっそりと男が出て来る。
「趣味の悪い奴や。人がつけ回しとると気づいて、わざわざ人気のない方に行くなんてな」
「ですが、それを理解しても尾行をやめなかったあなたも、同じようなものだと思いますよ。 ギーヴルさん」
「さん付けで呼ぶな、気色悪い」
ギーヴルはいらいらと眼前の男をねめつける。
(なんやねん、こいつ……。何が違うっていうんや)
この間、不意の再会を果たしてから疑問に思っていたのだが、この男は以前とどこか印象が異なっている。外見的な差異は髪の長さだが、そんな単純な違いではない。むしろ誘拐事件の時は、事前に外見的な特徴を聞いていただけで、実際に相手を目の前にしても、細かい造作までは意識を払っていなかった。
だから、ギーヴルが感じる違和感は、もっと別の箇所になる。だが考えても、それが何か理解できず、彼のシリカに対する態度は自然と棘が多くなり、しかも八つ当たりだとわかっている為ますます苛立っていた。
「……何か、話があったのでは?」
一瞬、思考に没頭していた事で現実の相手から注意がそれてしまっていた。
しかしシリカは一歩も場から動く事はなく、静かに立っているだけ。
それでもその一瞬の隙を相手に与えてしまった事に、ギーヴルは胸中で舌打ちする。
「別に、用ってほどでもない。強いて言うなら、お前のその出来すぎた登場が気に食わんだけや」
「私がここにいる理由を、子供達から聞いていないのですか?」
「聞いた。けど、納得は出来へん。……いや、きれいに理由がまとまりすぎとって、逆に不自然なんや」
「確かに、そうでしょうね」
シリカは穏やかに言って、ギーヴルに向き直る。
「私の行動が不可解だから、あなたが納得できるような理由が欲しいと、そう仰るのですか?」
彼はそこで言葉を切り、視線を泳がせる。そして再び顔を上げると、表情を改めた。
「ならば、私はあなたの質問に対し、沈黙を選びます」
彼の深みのある緑の瞳は、決して相手を見据えるような強さはない。それでも言葉に込められた拒絶の意志は、絶対だろう。
「……疑いたければ、勝手にしろって言うんか?」
シリカは硬い声で続ける。
「しかし、それではあなたは納得しないでしょうし、互いの行動に支障が出る恐れもありますのでこれだけは伝えます。私がここへ来たのは、請われたから。……以前にあなた方一族が、私を求めたのと同じ理由からですよ」
「 マテリア精製技術か」
その言葉を口にした事で、色々と甦って来る記憶の影を振り払うように、ギーヴルは乾いた笑みを浮かべる。
「ええその通りです。しかし、精製方法自体は、すでに技術が確立しています。私の依頼主は、そこからの発展を求めているのですよ」
「やったらここは、最適の実験場ってわけかい」
シンフォルン聖教国は、裏では大量のマテリアを発掘している。
ギーヴル自身、大して詳しくはなかったが、一応基礎としてその程度の知識はあった。
もちろん、そんな半端な知識でも、一般的には非公開の事実なのだが。
「なら、あんたは組織としては敵やけど、個人としては味方のつもりなんか」
「私は、あの子達を裏切ったつもりはありませんよ」
「せやから、中へ入れる手引きくらいどうってことないと」
「そうですね」
素っ気ない返事だったが、そこにはこの場にいない子供達に向けた親愛がこもっていた。
だがギーヴルの中に、強い不満が募る。
どちらの敵でもないという事は、裏を返せば決して味方にはなり得ない。
目的があってカイゼル達に近寄った自分が言えた義理はなかったが、それでもこの男の中途半端な態度は、彼を苛立たせるのに十分だった。
「簡単に危ない橋を渡る奴も、信用出来へん」
しかしギーヴルの心情など見切ったとばかりに、シリカはきれいに笑って見せた。
「なんとでもどうぞ。あと、内部へ侵入するなら、もう一人の仲間も是非連れて来て下さい。私の主が、その特殊な能力に興味があるようなので」
その言葉の持つ意味が彼に浸透し、驚愕の表情を浮かべる前に、シリカは踵を返した。
彼女はただ待っていた。
立ち上がって行動を起こそうにも、この瞳は明暗とわずかな物の輪郭しか映さない。
彼の声が、足音が遠ざかって行く度に、自分はこのまま放り出されてしまうのではないかと危惧したが、彼は不安そうな顔をしているであろう自分に「すぐ帰って来るから」と言って去って行く。
そんな彼の顔かたちすらもはっきり見る事が出来ない自分の目が恨めしく、待つだけで自ら行動を起こせない自身が歯がゆかった。
ティラハンはまた、誰もいなくなった部屋で一人、小さく息を吐く。
「……?」
ふと、彼女は何かの気配を感じて顔を上げた。
気配……というより、わずかな息づかい。低く、浅く、それでいて早い呼吸音。ほんのわずかな雑音に紛れて消えてしまいそうなほどの、小さな音。
恐らく、視力をほとんど持たない自分だからこそ気づいた音。
目が不自由な分、彼女は音で周囲の情報を得ていた。
その経験が、何者かの存在を訴える。
場所は、ガラス戸の向こうにある庭。
誰かがうっかり開けたままだった。その為、外からの冷気が容赦なく忍び寄って来る。カイゼルが出て行く前に気づけば良かったのだが、誰もいなくなった事で、初めて冷ややかな空気の流れに感じた。
一応、彼女の側では暖炉が赤々と燃えているので、凍えてしまうような事はないだろう。
そう思って放置していたガラス戸の向こうに、その気配はあった。
「誰か……いるの?」
ティラハンは身じろぎもせず、声をかける。
途端、気配の主が息を止めるのがわかった。発見されるのを恐れ、息を潜めているのだ。
さて、どうしたものか。
考えたものの、相手が潜んでいる以上、彼女にはどうする事も出来ない。相手がこちらまで出て来るか、立ち去るか。とにかく、向こうから動いてもらわなければどうしようも出来ない。下手に彼女が動けば、家具の配置もよくわからない部屋の中だ、途端に何かに蹴躓いてその場で動けなくなってしまう。
それに、相手も隠れている以上、見つかりたくないのだ。そっしておいた方がいいのかもしれない。
勝手に納得していると、彼女の鋭い聴覚が複数の足音を捉える。
足音が聞こえる方向に顔を向けると、ぼんやりとだが何者かが近づいて来るのがわかった。
重たい足音と歩幅から推測して、相手は武装した男だ。
「おい、お前。女を見なかったか?」
その一人が、尊大な口調で言ってきた。
「女……?」
「あぁ、そうだ。若い女だ。この辺りに隠れているはずなのだがな」
その言葉から連想したのは、ガラス戸の向こうの気配。
恐らく、彼らが捜しているのはあの息づかいの主だろう。
だが……
「おい、見たのか、見なかったのか?」
ティラハンの沈黙に苛立つように、男が尋ねて来る。
「いえ……」
とっさに、どうしてそう答えてしまったのか、ティラハンにはわからない。
もちろん、「見たか」と問われて「見ていない」と答えるのは嘘ではない。彼女が知っているのはわずかな息づかいだけ。
それに、こんな荒々しく、不快な雑音を奏でる相手に、素直に答えたい気持ちにはなれなかった。
「……私は、目を患っております。ですから、例え目の前を何者かが通り過ぎても、わかりかねます」
「本当か?」
男の一人がティラハンの前に来て。指先を眼球に近づける。だが少女が身じろぎもしなかったのと、他の仲間が収穫なしと見込んで動き出した為、それ以上詮索せずに立ち去って行った。
「…………行きましたよ」
完全に足音が遠ざかった事を確認してから、ティラハンは相手に声をかけた。
「動くなら、今のうちです。私は……先ほど言った通り、目が悪いので、誰かが前を通ってもわかりませんから」
じっと待つこと数分。彼女はぼんやりと思考を遊ばせていたが、相手はその間、必死になって彼女の言葉の真偽を疑い、自分の行動を計算していたはずだ。
がさり、と動く気配がして、開け放たれたガラス戸からゆっくりと息づかいの主が入って来る。
足音はほとんどしない。いや、むしろ軽すぎる。相手は恐らく女性だろうが、他の特徴として、この女性は靴を履いていない。靴下もないだろう、恐らく裸足だ。
こんな冷え込みの中、そんな状態で歩き回っていては、足は痛みを通り越して感覚もないだろう。
そこまで考えると、彼女の答え通り相手は女の声で話しかけてきた。
「どうして、助けたの?」
落ち着いた低い声。しかし今は、緊張の為かわずかにうわずっている。
「……どうして?」
彼女は女の言葉をオウム返しに繰り返す。
確かに、逃亡者をかくまうのは良くない。しかも、そのことが知れたら自身の身も危うくなる。今の自分もまた、処刑台の階段に片足を乗せているような状態なのだから。
だが……いや、だからこそ、同じように追われている女性を見捨てられなかった。
自身の行動に、一応の結論は出たが、ティラハンはあえて何も言わなかった。
しょせん、自己満足に過ぎないのだから。
女は沈黙に飽きたのか、ティラハンから離れて火の側に向かう。
「あんた、マドカね」
「……正確には、そのなりそこないです」
「あ、そう。どうでもいいけど。じゃあこっちも急ぐから」
言って、女は暖炉の前から離れ、元来たガラス戸の方へ歩いて行く、そして戸に手をかけると、思い出したように言った。
「……助けてくれて、ありがとう」
女はそれ以上何も言わずに出て行き、ティラハンもまた、誰にもその出会いを語らなかった。
「そろそろあきらめたらどうだ?」
からかうような声音に、カイゼルは一瞬動きを止めたが、すぐに目の前の図面に意識を戻す。
それは教会の……それも非公開となっている部分の図面だった。他の図面では大まかな建造物の大きさと、庭しか記されてはいないが、これは内部構造から抜け道までをほとんど網羅している。
ほとんど、としたのは、前回マドカに連れられて侵入したような隠し通路が図面を無視して存在しているからだ。
さすがに、本当に私的に作られた隠し通路の図面までは手に入らなかった。今手にしている図面も、マドカが持っていた機密文書部屋の鍵を使って手に入れた物。持ち出した事が知られたら、どうなるかわからない。
だがカイゼルはどうにかして、この複雑に入り組んだ建造物の概要を理解しようとしていた。
しかしそんな努力を払っても、相手はカイゼルに絡むのをやめない。
「そんな図面とにらめっこしたって、どうにもならねぇだろ。実際、何年もここにいるオレだって、入った事のない建物なんて腐るほどあるんだ。一夜漬けで覚えたって、途中で迷子になるのがオチだぜ」
「……少し、黙っていられないのか?」
「オレは親切で言ってるんだぜ。夜逃げしたあげく迷子になった相手を捜すのは大変だからな」
「マドカ、お前も来いよ」
「どうして? だってオレはこの国のマドカだ。どこに行くんだよ」
少年は悪戯を思いついた時のように、無邪気に意地悪く笑う。
「言ってる場合か。先の事はわからないが、とにかくシンフォルンから出るんだよ」
「出てどうする」
「マドカっ!」
声を張り上げるカイゼルに、マドカは落ち着けと両手を掲げる。
「怒るなよ。いいか、カイゼルは仲間と一緒にいる事が当たり前だ。だから、帰ろうとする。逆にオレはこの場所でふんぞり返っているのが日常だったんだよ。今さら外に出ても、何していいのかわかんねぇし、上手いことやって出られたとしても、そのことを奴らがほいほい見逃してくれるとも思ってねぇ」
「違うんだよ、マドカ。確かに俺の言う事は押しつけだろうよ。けど、俺はお前と一緒に行きたいんだ。自己満足だって笑われるだろうけど、俺は一人では行けないんだっ!」
「……あのなぁ、一人じゃ怖くて行きたくないならわかるけどよ、なんで〈行けない〉んだ?」
「言っただろ、自己満足だ。こんなわけのわからん状況に、お前一人だけ残して行けない。それだけだ」
「それなら、あの女を連れて行けよ。オレは一人でも大丈夫だ」
「マドカ……」
「情けない顔すんなよ。逃げたって、何も変わらねぇんだ。だったら、苦労して走り回って捕まるよりも、ここで最後まであがいてやるよ」
「ここで……あがく?」
「あぁ、オレはこの騒ぎが収まる頃には生きてねぇだろうけど、それを惨めだとは思わねぇ。……まぁ、ちょっとは残念だけどよ」
「俺はこんなところで終わりたくないんだ」
「だろうな。だから、お前は逃げてもいいんだぜ」
「違う。……いや、やっぱり俺は、あいつらのところに帰りたい」
背を向けて座り込んでしまったしまったカイゼルに、マドカはそれ以上言葉をかけなかった。
「……なんやねん」
ギーヴルは足を止めた。
彼がいるのは、放棄された街区の一角。
立ち止まった彼の足下。真新しい雪の上に、別の足跡がひと組残っていた。
足跡自体は別に、珍しい物でもなんでもない。
ただ、彼が気になった点はひとつ。
「なんで裸足なんや」
その足跡は、自分に比べて小さめで、しかも彼の言うように指の跡まではっきりと残っている。
それが彼の歩いている道を横切って、そのまま無人らしい建物の中に消えている。
ギーヴルは足跡と、やむ気配のない雪を交互に眺めてからその放棄された建物に近づく。扉は蝶番の部分から壊され、入り口に立てかけてあるだけ。しかし彼は扉ではなく、ぽっかりと空いた入り口の枠部分を丹念に調べ、自分の目線より上に付けてある、数本の刃物傷のようなものを見つけると、皮肉げな笑みを浮かべた。
「……さぁて、隠れとるのは誰や?」
ひとりごちると、彼は音を立てないように慎重に内部へと歩を進めて行った。
建物の中は真っ暗闇だった。
打ち付けられた窓の隙間から、わずかに日の光が入ってきているが、闇がわずかににじむ程度で何の役にも立ってはいない。
これでは目の前に誰かが立っていても判別できないだろう。床の上には埃が相応に積もっているようだが、この闇の中では裸足の足跡だけ器用に見つける事も出来ない。
早まったか、とギーヴルは思わず舌打ちする。
そのまま玄関から廊下に進むと、両脇に部屋があり、扉が外れていたのでちらりと中をのぞき込むと、建具もなく、壁紙すらも取り払われた無機質な壁と、柱だけがひょろりと立っているだけ。
再び顔を正面に向けると、廊下はそのまま奥まで続き、その途中に階段があった。
手すりを掴むと、ぎしぎしとあまり聞きたくないような音を発したが、登って降りて来る分には問題なさそうだ。
さて、登るかこのまま引き返すかと考えていると、彼の嗅覚に何かが引っかかる。
(焦げ臭いな……なんかが燃えとるんか?)
一瞬、これは自分を誘い入れる為の罠で、慌てて外に出た頃には建物が火に包まれているというトラップかと勘ぐったが、彼がこの道を通ったのは偶然であり、そんな凝った罠を仕掛ける余裕もないはずだ。
(それに、ワイを火あぶりにして誰が得するんや)
考えれば色々と候補は挙がっただろうが、彼はあえてそれらを全部無視して階上に急いだ。
足音には極力気を配ったが、それでも全体的に軋んだ建物だ。どうしても完璧とは言い難い。
そして二階に上がった途端、焦げ臭い匂いが強くなる。
ギーヴルは背負っている段平の柄に手をかけたが、こんな狭い場所では長大な重量武器を思うように振り回すことは出来ない。
あきらめて段平から手を離すと、彼はドアをひとつひとつ開けていった。
手前から、奥まで三つ。
一階と違って、二階は比較的まともな状態だった。クロゼットに、寝具のはがされたベット。
そして三つ目の部屋には、またもや彼を驚愕させる物があった。
「部屋の中でたき火かい」
一番奥の部屋、その中央に廃材を集めたたき火があった。もうほとんど消えかけているが、匂いの元はこれだろう。一応、他の物に燃え移らないように家具などは脇にどけてあるが、肝心の火を残したままではいつ延焼するかわからない。
そして火の周囲には、毛布と紙袋。恐らく、ここで食事して暖を取った者がいるのだ。
しかも部屋の中は外と違ってずいぶん暖かい。先ほどまでその誰かがここで火に当たり、何者かの……ギーヴルだが……気配を感じ、慌てて火の始末をして出て行ったのだろう。火は完全に消えていなかったが。
彼は無遠慮に歩を進めると、たき火の前に立つ。
「ワイは教会の神官でも、教会に侵攻して来た兵隊でもないで」
返答はない。
何者かが動く気配も感じられなかった。
沈黙に、ギーヴルはしかたなしに言葉を続ける。
「……足跡を残す、間抜けな蝶はどこや?」
「間抜け、ね」
ぎょっとして彼は振り返る。
相手を見つけるのに半秒もいらなかった。
「確かに今は、言い返せないわ」
彼が開け放った入り口に、女が一人立っていた。
しかも、外は雪が舞い落ちるような天気だというのに、女は下着同然の格好をしており、素足で埃まみれの床の上に立っていた。
「ちょっと、どいて。廊下は寒いの」
乱れた、妙に光沢の強い金髪をかき上げ、女はすたすたと室内に入り、床で丸まっていた毛布を拾い上げて肩にかける。
「お前……マナールか」
「そうだよ」
何か文句でもあるのかとばかりに憮然と言い捨てると、女はもう一度たき火を起こすべく、火種を燃えかすの中に放り込む。
ギーヴルは裸足の足跡の正体に舌打ちする。
彼女の名は、マナール。
このシンフォルン聖教国の教会で、実質的な戦闘部隊である戦乙女とは逆に、表には出ないような荒事や忌み事を解消する為の組織〈慈悲深き蝶〉の一員だ。
彼自身、色々と情報を得る為一時的に組織内に身を置いていた頃もあったが、カイゼルを捕獲しようと動いていた一団に紛れ込み、皇都でフェアリーの司祭を殺害する事で一方的に組織から離反した。
後にマナールとは、隣国のギィカウ君主国で再会した。
しかし……
(こいつ、警察署から逃亡した後、いったいどうやって国まで戻ったんや?)
彼が聞いた話では、組織は教会によって解体され、事実上消滅。そして残ったのは、自らの立場を守る為にギィカウ君主国まで逃亡したマナールと、数人の仲間達だけ。
その仲間も異常な手段で殺害され、マナールは地元警察に拘束されたのだが、署員の数名が殺害され、その混乱に乗じて逃亡。その後の行方は知れなかった。
「まさかマナールがここに隠れとるとはな」
「そんなに意外かしら。あんたもここがそうだとわかって入ってきたんじゃないの?」
「まぁ、確かに表の印見て、ここが組織の避難所やっていうことはわかっとったんやけど……他の奴なら、のしても平気やけど、マナールは後が怖いからな」
「そんなに三人目が強烈だった?」
マナールは意味深に笑う。
その表情に、何か薄ら寒い物を覚えたが、ギーヴルにはその正体が理解できず、彼女の顔をにらみつけることしか出来ない。
「なんやて……」
「ギィカウ君主国で会ったでしょう。黒いドレスの鋼糸使いに」
「あれが……あいつが、三人目の女やったんか」
三人目。
彼女は……いや、この女の身体には、複数の人格が同居している。
その三人の内、どれが主人格かは不明。もしかすると未だに現れていないのかもしれない。
そして黒いドレスの鋼糸使いに、ギーヴルは苦い思いをさせられた。
ギィカウ君主国で突然現れ、カイゼルを捕獲しようとその他の人間を巻き込んで大暴れしたのだ。しかも割って入ったギーヴルは相手の能力に翻弄され、結局はカイゼルの魔法で場を乗り切ったのだ。
「強烈も何も、鋼糸使いなんて相手したことなかったからな。なんであんたらはワイの苦手な武器ばっかり使うんや」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
「で、そろそろワイの質問に答えて欲しいんやけど」
「どうしてここに隠れているのかは、ここが隠れ家だから。隠れているのは、逃げたから。以上、他に質問は?」
「逃亡してきた割りに、足跡を消してないのはマイナスやったな」
いくらなんでも、あそこに足跡が残っていなければ彼も隠れ家の存在を思い出さなかっただろう。
「……どうせすぐに雪で消されると思ったのよ。いちいち足跡を消して行ってたら、ここに着く頃には凍傷で指を全部切り落とす羽目になったかもしれないわ」
毛布の隙間からのぞく足は、痛々しいほどに赤く腫れ上がり、ひび割れからはうっすらと血もにじんでいる。
「それは聞いとるだけで痛い話や。けど、やったらそんな薄い格好で出歩くなや」
「仕方ないでしょう。目が覚めたら、黒いぴらぴらしたドレス姿よ。脱ぐしかないわ」
「……別に脱がんでもえぇやん。凍えるで」
ギーヴルは肩を落とす。
話には聞いていたが、この三人の人格の内、二人は自己主張が激しく、それぞれの気に入った服しか着ない。しかも髪の色もその度に染め変えているらしい。
マナールは火のように赤い髪に、色気には乏しいが露出度の高い衣装を好む。
故に、今の下着のような格好は平気だが、髪の色が違う事がやたらと不満らしく、無意味に毛先をいじっている。
「でも、靴くらいはどこかで調達しないと、本当に凍傷になってしまいそうね」
ようやくぱちぱちと勢いよく燃えだした炎を木ぎれでかき混ぜながら、マナールはぼやく。
「靴も必要やけど、部屋の中でたき火はやめた方がええで」
「言ったでしょう、寒いのよ」
「一階に暖炉があったと思うたけど」
「暖炉で火なんか点けたら、煙突から煙が出て〈ここにいます〉って宣伝しているようなもの。それに、この部屋には簡単な仕掛けがある」
首を傾げるギーヴルに、マナールは壁際にあるクロゼットを指さす。
「あれね、背面の板と壁が抜いてあって。それで隣の部屋のクロゼットを介して出入りできるの」
「それでさっきも突然後ろから出て来たんか」
「子供だましみたいなものだけど、要は一瞬だけ相手の目を誤魔化してやればいい。相手が目標を見失った瞬間に、逃げられる」
そしてその子供だましに、ギーヴルは見事引っかかってしまったのだ。
ギーヴルは話がずれてきた事に気づき、もう一度同じことを問いかける。
「で、お前はなんで逃げとるんや」
疑問には、冷笑が返って来た。
「明日にでも自分の首と胴体がさよならするかも、と聞かされたら、大抵の人間は逃げ出すと思うけど」
「ならお前はどっちに捕まったんや。教会か、それとも反乱組織の方か?」
「捕まるもなにも、気づいたらシンフォルンに戻っていたわ。状況がつかめないうちに、その反乱組織とやらに捕まったけど、実際に処分の決定を下したのは教会。調べられて都合の悪いものは、さっさと始末してしまいたいらしい。突きつけられた罪状には、命令無視もあったけど、やった覚えのない項目が大半だった。……もう、蝶が飛ぶ季節じゃないのよ」
「やから勝手に越冬を始めたんか」
「けど、仲間は散り散り。この気候では壁の外に出られても、移動手段の確保もままならない。かといって、とてもじゃないけど春までこんな隠れ家ではしのげないわ。今晩中にもここを移動しないと危険だし」
「他にも隠れ家があるんか」
「そうよ。フェアリーは他と違ってほとんど独立的な権限を認められていたからね。命令系統も違うし、仕事柄、こういった隠れ家や非常事態用の連絡手段もある」
「……教会の壁を乗り越える、秘密の通路は?」
「もちろん、複数存在するわ。でも、もう幾つかは向こうに押さえられているだろうね」
「けど、お前はそのひとつから脱出できた」
「だから、自分が侵入する為に教えろと。悪いけど、自分も危ないのに、他人の為にほいほい情報を漏らすほど優しくないの」
「いいや、きっとお前の為にもなるで」
「どういう意味?」
「ワイが秘密の通路とやらを使って侵入しても、どうせ慣れてない場所や、すぐに見つかる。そうなったら騒ぎになって、逃げ出した蝶の一匹や二匹に構っとる暇はなくなるやろ」
「囮になってくれるわけ。けど、ずいぶん行き当たりばったりの作戦ね」
「ちょいと時間が限られとってな。早いところ行動に出んと、都合が悪いんや」
「ふぅん、また別の追っ手でもかかるの?」
「いや、寝た子が起きてしまうんでな。そいつが出て来たら、きっと騒ぎどころじゃなくなるで。なにせ加減を知らんからな。自分がどうなっても目的を果たそうと直進するだけや」
「……よくはわからないけど、まぁ、こっちだけ損をするわけでもなさそうね。教えてあげてもいいけど、条件がまずひとつ」
「なんや」
マナールはぐしゃぐしゃになった金髪をかき上げる。
「服と靴、早急に調達してきて」
夜。日が落ちてしまうとマドカは暇だった。
かといって、最近は昼間も特にやる事はないし、以前は日に三度欠かさなかった祈りの儀式も、すっかりご無沙汰している。
それを思うと、以前の儀式や形式に縛られた生活は、面倒だったがいい暇つぶしにはなっていた。
そして、唯一彼の相手をしてくれるはずの人物は、夕食もそこそこに何か考え込んでいる様子だった。
マドカはソファに深く腰掛け、足をぶらつかせていたが、何もしないでいるのにも飽きてきた為、背中しか見せない相手に声をかける。
「さっきから、何やってんだ?」
カイゼルの前には、ごちゃごちゃと文字の書かれた紙が散らばっている。先ほどちらりとのぞき込んだ時は、見せるほどのものではないとあしらわれてしまった。
カイゼルはペンの尻で頭をかきながら振り返る。
「んー? あぁ、マドカ、ちょうど良かった。聞きたい事があるんだ」
「脱出計画の相談か?」
「それに近いが、ちょっと違う。いや、そっちはしばらくお預けだ」
「? どういう風の吹き回しだ。仲間のところに帰りたかったんじゃないのか?」
マドカは思わず起き上がる。
先ほどまで、あれほどここから逃げ出す事に固執していたというのに、ものの数時間で考えが逆転している。
しかしカイゼルは、はにかんだように笑う。
「それはそうなんだけどさ……。ここからお前とティラハンを連れて逃げるのは、ちょっと無理そうだと思って、方針を修正する事にした」
「だから一人で逃げろって言ってるだろ。あの女には、後から迎えに来るって言っておけば大丈夫だ」
マドカはちらりと背後を振り返る。向こうの寝室は、ティラハン用にとカイゼルが明け渡した。その為、少年二人は長椅子で寝る羽目になってしまったのだ。具合のいい椅子だし、二人ともまだ子供なのでそこまで窮屈ではない。
それでも、マドカは少し不機嫌だった。寝室を取られた事などどうでもよかったが、あの白い女に好意は持てなかった。
いや、あの弱々しい女を気遣うカイゼルの姿を見ていると、わけもなく気分がささくれ立って来るのだ。
「そんな保証もないのに、約束なんて出来ないよ」
当然のように自分と女を同じ秤にかけるカイゼルも気に入らない。
(だから、一人でさっさと行ってしまえばいいのに……なんでこいつ、オレを連れて行く事にこだわるんだ?)
仲間が来ている事は教えた。
すぐにでも自分の前から消えると思った。
いなくなって、仲間のところへ帰ろうが、途中で見つかって殺されようが、彼にはどうでも良かった。
ただ自分の前で、ほほえましい再会劇を見るのは嫌だったし、殺されてしまうのも同様に気分が悪い。
だから、いなくなって欲しい。
自分で見なければ、誰かに事実を告げられたとしても……それは起こった事であって、自身の体験ではない。
すべては想像であり、彼の真実は永久にわからないまま。
彼の本当の心は闇の中。
(あぁ、そうか……)
マドカはようやく、自分の苛立ちに気づく。
(オレはお前を信じたくないんだ……)
一緒に行こうと、当然のように自分の手を引っ張る彼が信じられなくて、マドカはカイゼルに自分から離れて行くよう仕向けた。
マドカの思惑通りにカイゼルが行ってしまえば、それでよかった。
そう都合良く行かなければ、彼はなんだというのだ?
真剣に自分の事を助けようとしているとでも言うのか?
「……だからさ、って、聞いてるのかマドカ?」
「んぁ? 聞いてない、なんだって?」
思考に沈んでいたマドカに、カイゼルは肩を落とす。
「あのなぁ、じゃあもう一度言うけど、俺は今の状況が知りたいんだ。そうすれば、ここから逃げる以外の選択肢が出て来るかもしれないだろう。だからお前に色々話を聞きたいんだ」
「面倒くさいな」
「観光して行けって言ったのは、マドカだろう。少しは協力しろよ」
どうやら机に散らばった紙は、脱出計画ではなく、自身の置かれた状況をまとめていたらしい。
「ふーん。で、何が知りたいんだよ」
「そうだな……」
カイゼルは顎に手を当て、考え込む。
「たとえば、あのサヤキって男のことはどうだ」
「サヤキか。んだよ、まずは敵を知ろうってのか」
まぁいいけど、とマドカはだらけきった姿勢から座り直す。
「オレもあんまり細かい事情は知らないけどよ、あいつは昔、シンフォルンで四公の一人だった。けど、なんか他の奴らによってたかって追い出されたらしいぜ」
「……だから、いじめられっ子の報復か」
「ん? あぁ、この間の話か。それはきっと方便だ。あいつはやられた事は忘れねぇけど、やり返す時は派手にやるタイプだし、ねちねち復讐に走るほど馬鹿じゃあない」
「けど、本当にこの国が欲しいのかな?」
「……さぁな。案外、引っかき回すのが目的かもな」
そこまでは知った事じゃない。
あの男が最終的に何を見据えていようとも、マドカにはどうでも良かった。
「あいつは国を追い出されて、そこから皇都に流れてきた。そこで貴族や王族にシンフォルンの情報やマテリアを手みやげにして貴族の位を買ったんだ。あっちではずいぶん豪勢な暮らしをしていたぜ」
「お前もあいつも、皇都にいたんだな」
「もしかすると、オレ達もすれ違った事くらいはあったかもな。それにカイゼルも皇都の人間なら、あいつの名前くらい知っているはずだ」
「え? そんなに有名人なのか?」
カイゼルは思わず身を乗り出す。その様子に、マドカは常のように意地の悪い笑みを浮かべる。
「聞いたらきっと驚くぜ。家名は買いとった貴族の名前を使っていたけど、サヤキって名前はそのままだったからな。あいつはな、皇都でサヤキ師団長って呼ばれていたぞ」
「え……師団長だって?」
皇都でその役職で呼ばれる人間は、三人しかいない。
そう、すなわち……
「皇都に存在する、三つの騎士団。その内のひとつ、白扉騎士団の師団長やっていたんだぜ」
「な、なんだってぇ!」
カイゼルは思わず悲鳴のような声を上げる。
「そんなっ、あいつが騎士団の……師団長? しかも白扉騎士団だって?」
皇都には赤嶺、黒帝、そして白扉の三つの騎士団が存在する。そして皇都守護隊である白扉がその立場上、もっとも栄誉のある職だと言われている。
その名声、権力とを兼ね備えた騎士団の、その長となる人物が、現在シンフォルンを掌握すべく乗り込んできた。
カイゼルもまた、国では訓練校に通い、少年らしい純粋さで騎士に憧れる部分があった。
その正義と理想の体現者が、今では逆に弱者を虐げる支配者となっている。
……いや、カイゼルも騎士のすべてが正義感に満ちあふれているとは思っていないし、その程度の分別は付く年頃だった。それに、その悪の支配者の名札を付けた男が、実際に無抵抗の人間を殺戮した現場を見たわけでもない。
それでも、カイゼルは自身の幻想を打ち砕かれたような気がして、ある意味自分の正体を聞かされた時よりも衝撃を受けていた。
「まだ、聞きたい事はあるか?」
肩を落とし、床に沈み込みそうなほど落ち込んでしまっているカイゼルに、マドカは半ば呆れたような声をかける。
「…………山ほどあるが、とりあえずちょっと待て」
本格的に自分の中の何かと格闘を始めて頭を抱えるカイゼルの姿を、マドカは愛玩動物を鑑賞するような気分で眺める。
そう、彼と一緒にいるのは面白い。
だから……あと少しだけ、彼の話につきあってみよう。




