8-3「ティラハン」
三章「ティラハン」
彼女はゆっくりと扉を開けた。
そして廊下に顔だけ出して周囲の様子をうかがう。
誰もいない……ような気がする。
もっとも、いくら静かに動いても、さすがに扉が開けば誰かが気づくだろう。そして、その誰かがやってこないという事は、近くには誰もいないのだ。
勝手にそう結論づけると、彼女は後ろ手に扉を閉め、壁を這うようにしてそろそろと歩き出す。
そうやって歩かなければ……支えがなければ、自分は歩行する事も困難なのだ。
己の身体の欠陥に憤りと、それと同じだけのあきらめを抱きながら、彼女は非常にゆっくりとだがそこから逃げ出そうとしていた。
だが角まで来た途端、壁という支えがなくなった為、彼女はそのまま転倒する。幸い、この階には床に絨毯が敷き詰めてある為、大した痛みはなかった。
それより、早く立って歩き出さなければ。
誰かに、見つかってしまう前に。
「あの、大丈夫、か……?」
控えめに、だが突然かけられた声に、彼女は大げさに肩を震わせる。
(もう、見つかってしまったの……)
まだ自分のいた部屋からそう遠く離れていない。
(……ここまで、なの?)
やはり、自分には何も出来ないのだ。
後悔と絶望に苛まれている彼女に、声をかけた人物はためらいながらも正面に回って膝を折る。
「あのさ、どこか怪我でもしたのか?」
かけられた声、男性のものだが、ずいぶんと幼い。そのことに気づいて、彼女はゆっくり顔を上げる。
相手の姿を見たところで、自分に細かい造作までは判断できないのだが、どうやら彼女をあの部屋に押し込めた者達とは違うようだ。
だから、彼女は差し出された手に、おずおずと自分の手を重ねた。
(あれ、この人……)
カイゼルは、少女に手を貸して立たせながら、自身の記憶を反芻する。
(そうだ、マドカの代わりになる、新しいマドカだ)
神殿で、一度だけ見かけた事がある。
雪のような純白の髪、肌も同じように白い。だがその白は、悪く言えばどこか病的なまでの儚さを有している。
白児。
読みあさった本の中に、そんな単語があった。
「君は……」
その時、廊下の先で人の気配がした。複数の人間が話し、近づく足音に少女が再び身を縮める。
すっかり怯えて小さくなっている少女を見て、カイゼルの中で何かが動いた。
カイゼルは少女の肩を押し、自分が今来た道を戻ろうとする。
「と、とにかく話は後だ、こっちに来てくれ」
手を引いたが、その瞬間に少女の身体が傾く。やせ細った身体を支えながら、カイゼルはある事に気づく。
どうも目線がおかしい、いや、こちらを見てはいるのだが、少女と自分の目が合わない。わざとそらしているわけではないのだろう。
むしろ、銀灰の瞳はどこも見てはいない。
(そういえば、目が悪かったんだよな)
カイゼルは逡巡した後、彼女の手を取り、肩を支えるようにしてゆっくりと歩き出した。
戻った部屋の中には誰もいなかった。
いや、マドカが呼び出されて出て行った後、何もする事がなく、暇をもてあましたカイゼルは、周囲の様子を確かめるつもりで歩き回っていたところでこの少女に出会ったのだ。
「まぁ、とりあえず座ってよ」
椅子の前まで少女を導くと、彼女は大人しく座る。そこで自分も座ろうかと思ったが、どこに座れば話がしやすいのかわからず、そのまま無意味に部屋の中をうろうろしてしまう。
「えーと……」
間が保たなくなり、カイゼルは目線を泳がせる。
勢いで連れてきてしまったが、果たしてこれで良かったのだろうか。
だがしかし、悩んだところで答えは出ない。今の彼には状況を判断する材料が大きく欠けていた。
あの後……。
シンフォルンを乗っ取りに来た、とある男が言っていた。
その反乱軍の襲撃後、カイゼルは無罪放免というわけにはいかなかった。かといって、何かがあったわけでもない。部屋を移され、行動に制限がかかる程度で、ここ一週間ほどはすっかり放り出されている有様だ。
今日のように何度か脱出も試みたが、大抵は寸前で誰かに押しとどめられてしまう。
それに、窓の外は雪景色。
今着ている服は、布量が多いので外に飛び出しても凍える事はないだろうが、こんな裾の長い格好では満足に動けない。
そして……逃げたとしても、自分は恐らく教会の壁すら乗り越えられないだろう。
(ったく、情けない話だよな)
このまま外部からの助けを待っているだけなんて、それこそ物語に出て来る囚われのお姫様だ。
思考に沈んでいたカイゼルは、衣擦れの音に顔を上げる。
そう、今この部屋にいるのは自分だけではないのだ。
少女は座った時と同じ体勢で、ただうつむいていた。
「あ、あのさ……」
カイゼルは普段相手にしている少女とは、まったく勝手の違う相手に戸惑いながらも話しかける。
「お腹、空いてない?」
とりあえず、焼き菓子の入ったバスケットを片手に近づくと、少女はためらいがちにうなずいた。反応があった事に気をよくしたカイゼルは、少女の膝の上にバスケットを置くと、自分も近くの椅子に腰掛ける。
「お茶くらい入れてあげたいんだけど、ちょっとそこら辺の自由がきかなくってさ。けど、もう一人が帰って来たら、もっとましなものが出せると思うよ」
「ありがとう……」
「え……うん……」
少女は指だけで焼き菓子のひとつを探すと、口元に運ぶ。
「昨日から、何も食べていなかったの」
「そう、なんだ……」
「もう私の事を構う人は、誰もいないから」
二人の間に沈黙が落ちる。
少女は数枚の焼き菓子を食べた後、顔を上げずに言った。
「私はティラハン。……あなたは?」
カイゼルは互いにまだ名乗ってもいない事に気づく。
「あ、ごめん。名前も言ってなかったな。俺はカイゼル。それと……今さらだけど、あそこから連れてきてもよかったの?」
ティラハンは頭を振る。
肯定とも否定とも取れない反応に、カイゼルは続ける言葉を見つけられない。
そして少女は表情に乏しい、どことなくぼんやりとした顔のまま、まるで世間話の続きのように言った。
「私、このままだと殺されてしまうわ」
穏やかに、むしろ平坦すぎる声音で告げられた内容が理解できるまで、わずかに時間がかかった。
「えっ……」
「この間、私を教会へ連れてきた人が処刑されたわ。だからきっと、次は私よ」
消えるように細い声には、微かだが怯えるような響きがあった。
そのまま、明確な表情を持っていなかった少女の顔に、ある種の感情が生まれる。複雑なその表情が象徴するのは、恐怖と絶望。
カイゼルは肩を震わせる華奢な少女を前に、どうする事も出来ずただ必死で考えた。
何かを言わなければ、それこそこの少女は今すぐ死んでしまいそうなほど怯えきっている。
「……そうだな、お前はもういらねぇからな」
それを言ったのは、カイゼルではなかった。
部屋に入ってきたのは、金髪を長く伸ばした少年だった。彼は猫のように吊り上がった目を細め、薄く笑む。
「残念だったな、オレの代わりにマドカなる予定だったのに、その計画もあっさりつぶれちまってよ」
だがその口調には、相手を労るような響きは欠片も含まれていない。
揶揄するような声音に、少女が身体を強張らせる。
「おい、マドカ。いきなりなんなんだよ」
「何って……。カイゼルが珍しく女なんて連れ込んでるから。ちぃっといじめてみたくなったんだよ」
けらけらと軽い笑声を上げるその様子に、カイゼルは微かな苛立ちを覚える。少年は明らかに、この少女に対し悪意を向けているのだ。
「そんな用無しより、こっちだ。サヤキがお前に会いたいから連れて来いって言われてんだ」
言って、マドカはカイゼルの返事を待たずに踵を返す。
カイゼルは少年を無視してこのまま部屋に残ってやろうかと一瞬考えたが、すぐにそんな行動は無意味だと悟る。
(行かなかったら、任意が強制になるだけの話だ)
そう考え、小さく息を吐く。
少女を部屋に残して行くのは気が引けるが、こちらもあの男にもう一度会ってみたかった。
「ごめん、ちょっと行って来るよ」
見えていないとわかっていても、カイゼルは少女の目の前まで来て膝をつく。ティラハンは不安そうな顔をしていたが、小さくうなずいた。
「じゃあ……」
立ち上がって歩き出したカイゼルの背に、微かに震えた声がかかる。
「私は……死にたくないの」
その言葉に、カイゼルは足を止める。
脆弱な声音。振り払って行くのはたやすかったが、声にはそうすることをためらうような、必死な響きが込められていた。
「浅ましいと思われても、生きていたい……。他の誰が望まなくても、私だけは私の命を惜しみたいの」
語尾はかすれ、震えていた。
「……そんなの、当たり前だろ」
誰だって……よほど悟りきった人間ならともかく……殺されるとなっては平静ではいられない。生きようと、生き延びようと死にものぐるいになる。例えそんな姿が、他者からは惨めで醜く見えたとしても、必死であがくだろう。
自分が同じように死を宣告されたら、泣きわめいて気が狂うほど暴れてしまいそうだ。
「俺だって、こんなところでぐずぐずしている暇はない。早く……早く出て行って、仲間の所に帰るんだ」
半ば独り言に近い言葉だったが、少女はカイゼルの声に顔を上げ、寂しそうに微笑む。
「仲間……あなたには、待っていてくれる人がいるのね」
切なそうに、泣き出す寸前のように、悲しそうな顔で笑う少女に、カイゼルの胸が痛む。
この少女には、帰りを待つ人や場所が存在しないのだ。
同情がなかったとは言えない。
ただ彼女のいる場所は、自分と良く似ていてる。だがそれでいて、決定的に大切なものが欠け落ちていた。
だから、その言葉が口をついて出てしまった。
「……君も、俺と一緒に来ないか? 今すぐとも、いつとも約束できないけど……俺は絶対にこの国から出て行く」
それだけを唇に乗せる。
「カイゼル…………」
ティラハンの瞳が大きく揺れる。
目の端に光る物が浮かぶと、彼女はそれを隠すように顔を手で覆う。
顔を伏せ、細い身体を震わせながら言った。
「……ありがとう」
まぶたの奥から再び現れた銀灰の瞳は、涙で潤んでいた。
「そんなこと、言ってもらえるなんて思っていなかったから……」
だから、とその先は言葉にならず、少女の瞳からぽろぽろと滴がこぼれ落ちる。
「ありがとう……ありがとう…………」
少女のつぶやきが繰り返し繰り返し聞こえた。
「すぐに帰って来るよ」
軽く肩に手を置いてから、カイゼルは少女を残して部屋から出て行った。
と、扉のすぐ脇でマドカがにやにやと意地悪そうな笑みを浮かべ、壁に背を預けて立っている。
「おいおいカイゼル。お前、誰にでもそうやって誘いをかけるのか?」
「……聞いてたのか。まぁ、いいけど。……俺は、お前も連れて行くつもりだからな」
「ふぅん。ま、期待しないで待ってるよ。それより、早く来いよ。あいつを怒らせると面倒なんだからな」
そして、呼び出された先で、彼を呼び出した当人は書類を読んでいた。
反乱軍……自らをそう呼称した男は、入ってきた子供達を一瞥すると、何やら含みのある笑みを浮かべ、読んでいた書類を机に戻す。
男……カナリ・セルリウス・サヤキは開口一番にこう告げた。
「君の生みの親に会いたくはないかね」
言葉が示す内容に、カイゼルは自分でも思った以上に動揺を表に出してしまう。
「おいおいサヤキ、あんまりいじめてやるなよ」
「生意気なお前と違って、この子は素直そうだからね。驚かせてみたくなったんだよ」
かつがれたと知って、カイゼルは怒りに顔を引きつらせるが、相手はその反応すらも楽しそうに眺めている。
「そう怒るな。私が君の両親の居場所を知っているのは本当だよ。君の事を調べていたんだ、両親にも興味を抱くのは当然だろう。しかし十年以上前の、非公式的な部分が多い件だ、正直資料が集まるか不安だったがね。だが結果は期待以上だったよ。思っていたよりもここは記録を豆に取るようでね、割と楽に集まった」
もっとも、ほこりまみれになって資料を漁ったのは部下だがね、と彼は苦笑気味に付け加える。
「重ねて聞くが、君は生みの親に会いたいかね」
「別に……」
動揺を隠す為、カイゼルは即答できなかった。
生みの親。
その単語がカイゼルに激しく揺さぶりをかける。
今でも、親といえば皇都にいる二人の顔が浮かぶが、それと事実を知りたいと思う気持ちは別のものだ。
サヤキはカイゼルの心の動きすら見透かしているとばかりに、薄い笑みを浮かべる。
「しかし、そこで会わせてくれと君に懇願されたとしても、それは無理からぬ話だ。母親は死亡しているし、父親はギィカウ君主国にいる。会わせるには少々無理があるかな」
「……え?」
カイゼルはサヤキの言葉に耳を疑う。
こいつは、何を言っているんだ。
亡くなったのは……そう聞かされたのは、父親の方だ。
彼の父となる男アンセムは、収監先の刑務所で死亡したという通達があった。
そこから、彼の運命は加速度的に変化していったのだ。
「驚いているようだね。そんなに君の知っている事実と違う事が信じられないのかい?」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、彼はもう一枚の書類を取り出す。だがすでに内容は暗記してしまっているのだろう、紙の表面を一瞥しただけですぐに言葉を続ける。
「皇都の記録では、君は今の両親との関係は養子となっている。そして、実父は育ての親の弟だ。だがこれも、半分しか正解ではないな。確かに記録上ではこれで間違いはないが、これをシンフォルンに残っていた記録と照らし合わせると、大きな矛盾が出て来る」
サヤキはそこで言葉を切ると、ゆっくりとした口調で告げる。
「君の実父、アンセムという名の男がこの地で子供を残したという事実はない。はっきり言えば、その男は君の生みの親から赤子だった君を預かり、今の両親に渡しただけだ。その行動に至った原因までは、わからなかったよ。相手になんらかの縁があったのか、それとも、仕事としてか。それでも君の養父は弟の言葉を信じ、預かった子供を養子にした。どうやら君達一家は、その男に家族ぐるみでだまされていたようだね」
沈黙が、部屋の中に潮のように満ちて行く。
カイゼルは足の震えを止める事が出来なかった。
しかし椅子も勧められぬまま、立ったまま会話をしていた為、彼を支えてくれるものは何もない。
カイゼルは大声で叫び出したい衝動に駆られるが、どうにかしてその感情を抑え込んだ。そしてわざとらしいとは自覚しながらも、大仰な動作で肩をすくめる。
「それなら、話は早い。俺はあんた達の探している子供じゃなかったんだよ」
鼻で笑うと、サヤキはわかっていないとばかりに頭を振る。
「手を見せてもらおうか」
「はぁ……?」
言葉の意味がわからず、カイゼルは思わず半歩後ろに下がってしまう。しかしサヤキはそれ以上言葉を付け足そうとせず、ただ黙している。
「……わかった」
カイゼルは沈黙に耐えきれず、観念して机の前まで歩を進めると、両手を差し出す。
サヤキはカイゼルの手のひらをじっと眺めていたが、不意に表情を緩める。
「考えたものだ。……いや、当然の処置か」
言いながら、彼はカイゼルの左手を取る。
「痛かっただろう。幼い子供に、ひどい事をする」
「……なんのことだよ」
サヤキはいぶかしがるカイゼルの顔を見て、得心がいったのか、指先でカイゼルの左手をなぞる。
手のひらから、手首にかけて、わずかに色の違う皮膚を。
「覚えていないのなら、しかたがない。これは、火傷の跡だ。君は恐らく生まれて間もない頃、皮膚のこの部分に大きな傷を負った」
軽く握られているだけなのに、カイゼルは男の手をふりほどく事が出来なかった。
火傷の跡。
物心ついた頃からあったそれ。両親に尋ねても、要領を得ず、あざのようなものだと聞かされ、自分もそれで納得していた。
いや、彼を育てた両親もまた、この傷跡の意味を知らなかったのだろう。
サヤキの話は続く。
「このシンフォルンには、陰惨な風習がたくさん残っていてね。そのひとつが、神の子として捧げられる者の身体のどこかに、神の印を刻み込むことだ。まぁ、早い話が焼き印を押すんだよ。それを、恐らく君を連れ出した男が皮膚を焼いて、印を消してしまったようだね。君を、普通の子供として育てる為に」
「こんな……こんな、あざみたいに古い傷跡が、なんの証拠になるっていうんだ!」
カイゼルは声を荒げ、手をふりほどく。サヤキは手を弾かれても、不快そうな顔も見せない。
余裕のある笑みが、カイゼルの神経を逆なでする。
「そうだね。証拠としては非常に不十分だ。他といっても……君の外見的な特徴なども記録とは一致するが、黒髪黒瞳の少年など掃いて捨てるほどいる。だがね、最大の証拠は、君自身がすでに何度も見せているんだよ」
「マテリア、か……」
「そうだ。核となる石をその身に持つ者は、マテリアとの相性が非常にいい。同じ石を用いても、他者と比べて効果が相乗的に高まる傾向がある。そしてもうひとつ、君の守護者の存在がある」
守護者。
その単語に、カイゼルは沈黙している少年を振り返る。先日までこの少年の後をついて回っていた不可思議な幼女を、マドカは守護者と呼んでいた。だが少年は注視されてもまったく無反応のまま、前方に視線を据え身じろぎもしない。
カイゼルはあきらめて男に向き直る。
「で、その守護者とやらがなんなんだよ」
「まぁ、面と向かってそう宣言されたわけでもないだろう。だが君の周囲に、明らかの他者と違う存在があったはずだ」
他者と異なる存在。
カイゼルは思わず顔をしかめる。
そう、彼はその守護者とやらの尋常でない力を目の当たりにした。
金の髪をした幼女。
同じく、金の髪の拳銃使い。
さらにギィカウ君主国でも、同じように超常的な力を有した存在と遭遇している。
いや、振り返ればもっと以前から、その者はカイゼルの周囲で存在を匂わせていた。
いた、確かにいた。
だからといって、相手が求める存在が自分なのか。
「…………」
疑問は、顔に出ていたらしい。サヤキがカイゼルの反応を見て、薄く笑む。
「守護者の存在は認めても、自分が該当者であるとは限らない、そう思っているようだね。だが、こちらの考えは逆だ。君を守る者がいる以上、君は我々の求める存在である、と。まぁ、このままだと互いに水掛け論だ。結論として、こちらが君を易々と手放す気にはならないという事だけ理解しておいてくれたまえ」
話は終りだと告げて、サヤキはカイゼルから意識を外す。
「行くぞ、カイゼル」
マドカが袖を引くが、カイゼルはそれを無視する。
「カイゼル?」
「……あんたは、何がしたいんだ」
サヤキは、その質問を待っていたとばかりにうなずく。
「言っただろう、この国を乗っ取りに来たと」
「その割りに、あんまり熱心なようには見えないけど」
「当然だろう。国盗りなんて、大して面白いわけでもない。出来たら一生そんな面倒事とは関わりたくはなかったね」
「だったら、どうして……」
「誰もやらないからだよ」
「…………ふざけるな」
「この回答は、面白くなかったようだね。では、言い方を変えよう。これは、いじめられっ子の報復なんだよ」
サヤキは口元を歪め、どこか酷薄そうな笑みを浮かべた。
「私もついこの間までは別の国で暮らし、そこでそれなりの地位にあった。それらを全部投げ打って出向いてやったんだ、せいぜいこの馬鹿げたお祭り騒ぎを楽しませてもらうよ」
「余所の国に攻め込むのが、お祭りだって? なら自分のいた国でやれば良かったんだ」
「だから、やっているのだよ」
サヤキは面白そうに笑って言った。
「私は元シンフォルンの人間だよ。珍しいだろう、シンフォルン生まれの者が、他国で暮らしているなど」
そこにマドカが楽しそうな様子で割って入る。
「カイゼル、こいつがどこの国に暮らしていたか、聞かないのか?」
「聞いてどうするんだ」
「まぁまぁ。こいつはな、カイゼルがいた皇都で暮らしていたんだぞ。ついでに言えば、オレも皇都で生まれたんだ」
カイゼルは思わず二人の顔を交互に眺める。
「まずサヤキが皇都に来て、そしてオレを拾ったんだ。オレを手駒として育て、シンフォルンへ送る。内部への繋がりを得る為にな」
「マドカ、おしゃべりなら部屋に戻ってからにするんだ。そんな、自慢話のように語ることではないのでね」
言いながらも、サヤキは笑っている。マドカもまた、同じ種類の笑みを浮かべていた。
この二人は、血縁関係はないが確かに親子なのだ。
いや、この場合は、計画の協力者……同盟者とでも呼ぶべきか。
その雰囲気に寒気を覚えたカイゼルは、踵を返す。
と、その背に声がかかった。
「あぁそうだ。君の所にいる娘だが、君の好きにしたまえ」
「……ティラハンのことか」
「後見人となっていた四公の一人も、先日処分したからね。正式にマドカとなっているならまだしも、位ももらっていないようでは、ただの娘だ。害もない以上、処分するのは可哀想だろう。こちらに迷惑をかけない程度に自由にさせてやる事だ」
「あんたにとって、利用価値がないから生かしておくのか」
「違うね、殺す価値もないだけだ。それに、社会的な弱者を処分すると、兵の士気が下がる。まぁ、君が勝手に連れ回す分には構わない、好きにしろ」
少年達が出て行って間もなく、部屋には一人の女が入って来る。
年齢は三十歳ほどだろうか。それより若いということはないだろう。ただ表情は少女のように無邪気だ。
「あら、子供達はもう帰ってしまったの」
残念そうに頬に手を当てる。その芝居がかった仕草が妙に似合っているが、サヤキはまったく取り合わない。
女の名はラティーナ・リエル・レムルス。
四公の一人だ。
しかし、その人数も今は激減している。
アサイラムとカーライルの二人は、すでに処刑済み。ファルゼンは行方不明ということになっているし、最後の一人は……裏切り者だった。
彼の話す〈計画〉に賛同し、他の神官達を陥れてサヤキら反乱軍の一派を教会内部へ導いたのも彼女だ。
だがラティーナは、罪悪感の欠片もないとばかりに無邪気に笑う。
「わたくしも石の子供を見てみたかったのに」
「ごくごく普通の少年だよ。本人は、あくまでそういうつもりらしいがね」
「普通、という言葉がくせ者ね。その基準はいつもどこから来るのか不思議だわ」
「今回の基準は、こちらに必要かどうかだ」
「だとすると、あの子は並以上という事になるのかしら」
「もっとも、その価値も〈風精〉が出た後では変わるかも知れん」
「……あなたの話を疑うわけではないですが、本当にそんな奇妙な人間が存在するのかしら」
「存在は確認済みだ。ただし、人間ではない。こちらと意思の疎通は可能だろうが、我々とは明らかに異なる知性を持った存在だろう。それに、君も枢機卿の立場なら、最終拝謁はすませているのだろう。その時に見ているはずだ」
最終拝謁。
その単語に、ラティーナは美しく整えられた眉を歪める。
「あんな不愉快なもの、思い出したくもない。ただの石くれが、生け贄の子供達を食らって肥え太る様は、見ていて面白いものではないわ」
「だが人は、異常なものにこそ神聖さを見出そうとする。故に、この国は存在するのだからね」
「おぞましいわ」
ラティーナは心底理解できないとばかりに、寒気を覚えた自分の身体を抱きしめる。
その様子に、サヤキは人を食ったような笑みを収める。
「君はこの国の有様を否定している。それ故の、裏切りか」
「これが裏切りですって? 私の行いを背信行為と呼ぶのなら、わたくし達が祈る神はどこにおられるのかしら。かび臭い地下に埋もれている、不気味な石くれ? それとも、誰も見た事がない天上世界かしら」
「確かに、あれを神と崇める神官達には辟易するよ」
「その通りですよ、あんな石くれをありがたがって生け贄なんて与える神官達がわからないわ」
「そうぼやくな。あの石くれの欠片ひとつにどれほどの価値があるのか、君が知らぬわけはなかろう」
「でも、使用者の限られる兵器など、無意味だわ」
そう、いくら強大な力を秘めようとも、マテリアには重大な欠陥が存在する。
最大の問題が、その特殊さ故に、扱える人間が限られているという事実。これは訓練次第でどうにか出来るような問題ではなく、本人の生まれながらに持っている資質に大きく左右された。
だから、この世界に魔法は存在しない。
サヤキは嘲笑う。
「だからこそ、こちらもその使えない兵器に汎用性を持たせようと躍起になっているのだよ」
「開発の方はいかが?」
「順調だと言っておこう。そろそろ試作型も動かせるはずだ。こちらには優秀な技術者が……いや、現代の魔法使いが存在するからね」
「あなたが連れてきた、銀髪の坊やね。確かに彼のおかげで短期間のうちに研究は進んだみたいだけど……」
ラティーナはそこで一度言葉を切ると、眉根を寄せる。
「あの子、裏切るわよ」
「ほぅ」
「女の勘よ。あの子だけは、他の、あなたの理想に心酔しきって何も考えられなくなったでくの坊とは違うわ」
「誰が、誰を裏切ると?」
サヤキの笑みは、苦笑に近くなった。
「確かに、彼は私に絶対の忠誠を誓っているとは言い難い。だが、それはこちらにも言える事だ。私も彼の技術を信頼はしても、彼自身を信用していない。これではお互い、裏切りようがあるまい」
あっさりと語る男に、ラティーナは困惑したような様子だった。だがひとつ息を吐くと、あきらめたように言う。
「……本人が聞いたら、さぞかし喜ぶでしょうね」
「彼も、こちらの考えはすべて見抜いているだろう。それを踏まえてまだ利用価値があるから、表面上だけでも忠誠心を見せ、こちらもそれを信じているという演技をするのだ」
「あらあら、裏切りを前提とした関係なのね。面白いけど、わたくしは遠慮させてもらうわ」
言って、楽しそうに笑う。しかしすぐに何か思い出したようになる。
「そうそう。あなたも、そろそろうちの屋敷から通うのはやめて、こちらに拠点を完全に移したらどうです?」
サヤキは教会をほぼ制圧した現在も、最初の隠れ家であったレムルスの屋敷を住まいとしていた。
「いや、街中にいないと、色々と不便な点もあってね。もうしばらく居候させてもらうよ」
「それはかまいませんが、それこそあの銀髪の坊やをこちらに呼び戻せばすむ事では?」
「あれは好きにさせておけばいい」
言って、サヤキはもうラティーナの存在など眼中にないとばかりに、書類の山に手を突っ込んだ。
退出した後、廊下を歩くカイゼルの心中は、大雨が降る直前のような暗色に包まれていた。
黙って先を急ぐカイゼルに、マドカがあっけらかんとした声をかけて来る。
「なぁなぁ、カイゼル。そう落ち込むなよ、オレがいいこと教えてやるぜ」
「んだよ、だったらもったい付けずにさっさと教えろ」
カイゼルは苛立ちのままにマドカに邪険な言葉を投げつけるが、少年は気にせず笑って告げる。
「お前の仲間達、シンフォルンに来ているぜ」
その言葉に、カイゼルは足を止めて振り返る。
マドカはカイゼルの興味が自分に向いた事に、満足そうな笑みを浮かべた。
「え……それって、本当、なのか?」
マドカは力強くうなずく。
「あぁ。サヤキに言われたからな、間違いない。あいつには優秀な密告者がついているんだからよ」
「待てよ、俺にそれを喋っていいのか?」
「構わないさ。別に、オレだって箝口令を敷かれたわけじゃねえからな」
カイゼルはしばしマドカの顔を見つめていた後、再び歩き出す。足は相変わらず急いでいたが、先ほどの苛立ちとはまた別種の早足になっていた。
(大人しくしろっていわれたけど、あいにくとそう言われてはいわかりましたって言うほど、こっちは大人じゃないんだよ!)
先を急ぐカイゼルは、その背を眺めるマドカが、意味深な笑みを浮かべている事など、まったく気づく様子もなかった。




