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8-2「再会」

 二章「再会」



 シンフォルン聖教国。

 大陸の西側に存在する、二大大国のひとつ。

 北側の山脈を背にしてその裾野に広がる街は、国土としては東側の皇都よりも巨大である。

 ただ、人口密度の点は、皇都の三分の一以下だろう。

 国土のほとんどを、耕作地としてあてがい、街としての面積はごくごく狭い。

 上空から見ると、鳥が両翼を広げたような姿をしている国は、尾の部分が耕作地、胴体が街。そして、翼と頭部に当たる部分が、この国最大の特徴〈教会〉となる。

「それにしても、予測もつかない事って、いくらでも起こるんだね……」

 ヘーゼは身長の何倍もある壁を眺め、そう独りごちる。

 街のメインストリートにあたる通りは、そのまま教会へ通じる門への入り口と繋がっている。

 しかし今、教会への門は閉ざされ、簡易のバリケードと見張りの歩兵が行き交い、他者はうかつにその前を通る事も出来ない有様だった。

 国の中心部となる教会は、完全に閉ざされていた。

 ヘーゼは登るようなとっかかりのない壁面と、門を守る兵士とを見比べ、大きく息を吐く。

「本当、やってられないよ。まさか、目的地に着いた途端に国がなくなっているなんてね……」

 そう呟くと、彼は踵を返した。

 さくり、と足下の雪が音を立てる。

 夜明けまで降り続いた雪も、今はやんでいる。雪の白さにわずかな陽光が反射し、曇っていても妙に薄明るい。

 ヘーゼは雪を踏み砕きながら踵を返した。



 街への侵入……というか、建前上の移住を果たしてから、数日が経過していた。

 だがその間、彼らは行動を起こす事なく他の移住者達と暮らしていたのだ。

 動くにはあまりにも情報不足だったせいもあるが、正確に言うと、彼らは目的を果たす前に障害にぶつかってしまい、途方に暮れていた。

 旅団は遅くに出発したこともあって、旅の終りには雪が降り始め、多少の不便さを伴いながらもなんとか市壁の前まで到着した。

 そう……到着はしたのだが、そこでシンフォルン聖教国の者ではない兵士に追い返され、門の前で立ち往生してしまう羽目となる。

 原因は、彼らの到着数日前……ちょうど、雪の降る直前に起こった、教会内での争乱が原因で、国の内情はひどく混乱しており、移住者など受け入れられるような状態ではなくなっていた。

 しかし、受け入れられないから引き返せと言われても、これから寒さは厳しくなるばかり。そこを食糧の補給もなく、しかも大半が老人の旅団には不可能な話だ。

 そこでさすがに兵も哀れと思ったらしく、中の人間と話を付け、とりあえず保護という形で移民が認められた。

 彼らはまず、移民達が最初に集められる宿舎に寝泊まりし、国が落ち着いてから、しかるべき場所に住居をもらう事で話は落ち着いた。

 もっとも、国土の大半が耕作地となるシンフォルンは、逆に街中に家を持つ者は少なく、皆畑の近くに何軒かが集まって小さな村を作り、そこでひとつの集団がまとまって農耕を行う。そして、秋の収穫期が終わって雪が降る時分になると、街の市壁の中に入って冬を過ごす。そこでも、村での単位が適用される。

 ヘーゼ達も、このまま移民として話が進めば、どこかの村に振り分けられるのだろう。

 もっとも、彼らにそんなつもりは欠片もなかったのだが。

 しかし、ここで嫌がっても不審がられるだけなので、表面上は大人しく振る舞っている。

 イリスなど、宿舎の近くにある住居……村の人間が冬の間に住む、長屋のような家……にすっかり入り浸り、同い年くらいの子供達と混じって仲良くやっているようだ。

 そういう鷹揚さというか、状況へのなじみやすさは自分も見習った方がいいとヘーゼも思うのだが、それでも知らない場所に対する警戒心はなかなか薄れるものではない。

 まして、彼らはここに移住ではなく、別の目的を持ってやって来た侵入者なのだ。

 その為、ヘーゼも慣れないながら買い出しを請け負い、少しでも状況を知ろうとしているのだが、その作業は思うように進まない。

 街の人間に教会の様子を聞いても、彼ら自身、何が起こっているのか見当もつかないらしい。最初は大勢の人間の争うような声が聞こえ、轟音を立てて建物が崩壊するような出来事もあったらしいが、それも最初だけで後は静かなものだった。

 騒動は完全に教会内部のみで行われ、わずかに逃げ延びた下働きの女中から話を聞いても、どうにも要領を得ない。

 それでも、教会の敷地内で毎日のように立ち昇る、いくつもの細い煙を見ていると、ヘーゼはひどく不安になって来る。

 何もわからないという焦りから、ヘーゼは思わず教会の門前まで来てしまった。そんなことをしても、カイゼルの様子が確認できるわけもない事は理解していたのだが。

 ヘーゼは息を吐くと考えを振り切り、買い出しの続きをするべく市場へと足を向けた。



 街に商店というものはなく、代わりに路商が並んでいる。その為、路商は通りの両脇に隙間なく並び、買い物客で場はごった返していた。

 すれ違う人達にもまれながら、ヘーゼはどうにかして市場から抜け出そうとしていた。目的のもの……宿舎の老人に頼まれた、細々とした日用品もどうにか手に入れる事が出来た。それ以外にも重たい袋がいくつも腕にぶら下がり、まともに歩けない状態だ。

 人の多さに閉口しながら、それでもどうにか市場の外れにさしかかった時、街の人々の中をすり抜ける、ひとつの影に気づいて歩みを止めてしまう。

「……あれ?」

 ヘーゼは思わず振り返った。

 見つけたのは、灰色のコート姿の男性。

 彼は器用に人並みをするりと抜けて行き、すぐにヘーゼと距離が開いて行く。

 だがヘーゼの目を惹いたのは、それだけではない。

 男は、見事な銀髪だった。

(シリカみたいだ……)

 思いながらも、即座に彼がこんな所にいるはずがないとその考えを否定する。

 と、その時、風が強く吹いてその人のマフラーがはためき、男はちらりと風が吹いてきた方向に顔を向けると、マフラーの端を押さえ、再び通りを足早に歩き出す。

「…………っ!」

 その横顔に、ヘーゼは思わず叫び出しそうになる。

 遠かったが、見間違うはずがない。

「まさかっ! 本当にシリカっ?」

 思わず走り出したが、市場の外れはひときわ人通りが激しく、シリカの姿を見失うまいと必死で人をかき分けたが、人混みを抜け、男が曲がった路地まで来ると、すでにそこには誰もいなかった。

 ヘーゼは息を切らしながら、妙に忙しない胸を押さえる。

「……なんで、シリカがここに…………」

 がらんとした路地には当然、なんの答えも落ちてはいなかった。



 結局、ヘーゼは日が暮れるまで街の中を探し回ったが、シリカは見つからなかった。

「だからっ! 本当にシリカがいたんだよっ!」

 あきらめて宿舎に戻ったヘーゼは、イリスに自分が見た人物について熱く語る。

「信じてもらえないのはわかるけど、絶対に見間違いなんかじゃないよ!」

 小さなテーブルを挟んで真向かいに座る、亜麻色の髪の少女は腕を組んで唸る。

「うーん、いるのは本当だとしてもよ。なんでこの国に来たの?」

「うっ……」

 最大の問題はそこだった。

 シリカは、東側の皇都に住居を持っている。わざわざこんな西側の、しかも観光も出来ないような国にいる理由など見当もつかない。

 それに関しては二人とも同意見。そして考えもつかない以上、そこで議論は終わってしまう。

「まぁ、シリカがこんな所にいる理由なんてわかるわけないか。じゃあ明日からカイゼルとシリカも一緒に捜しましょうよ」

「そうするしかないか……」

 話は、そこで落ち着いてしまった。

 しかし……。

 頭を抱えるような問題とは、いつも意外なところから解決するものである。



 明けて翌日。

 晩から降り出した雪は、明け方になって勢いこそ弱まったが、白い欠片はちらちらと石畳の道に落ちては積もって行く。

「寒い~」

 イリスは支給された、多少サイズの合わない防寒着の合わせをしっかりつかんで寒い寒いと繰り返す。

 しかし隣を並んで歩いているヘーゼは、イリスの言葉など聞こえていないとばかりにきょろきょろと忙しなく頭を動かし、通行人の顔すべてを見ようと躍起になっていた。

「ヘーゼ、がんばるのはいいけど、なんか変な人みたいよ」

「うん……。でも、早く見つけないと」

 そう口では言っても、ヘーゼ自身この広い街の中で、人一人捜し出す事の難しさはわかっているつもりだ。それでも、壁の中へ入る手段が見つからない現在、ここにいるはずのない人物を見つける事が、次へ進む為の突破口になるような気がしてならない。

「けど、焦ってもしょうがないわよ。移住者の名簿の中に、シリカらしい人はいなかったんだし、私達二人だけじゃあどうしようもないわよ」

 午前中にヘーゼ達は役所に赴き、ここ一年あまりの移住者の名簿を見せてもらった。そこにはシリカの名前は記されてはおらず、役人に尋ねても銀髪の男性が移住した話は聞いていないと言われた。

「……やっぱり、見間違えたのかな」

 ヘーゼは息を吐く。

 考えてみれば矛盾点はいくつもある。即座にイリスに否定されなかったのが不思議なくらい、不可解な話だ。

「そんなに落ち込む事ないわよ。ほら、あそこにもシリカっぽい人が歩いてるし!」

「へー、そうなんだ。良かったよ、僕の見間違いじゃなくて……って! えっ?」

 ヘーゼは慌ててイリスの指さす先に顔を向ける。

 と、そこには昨日と同じ、灰色のコートに身を包んだ男性が角を曲がろうとしている場面だった。

「っ、ちょっと待ったぁっ!」

 ヘーゼは雪を蹴散らしながら腕を振り回して必死に駆け出すと、男が曲がった角に自分も滑り込む。

 その勢いのまま走り込んだが、細い路地のどこにも、男性の姿はなかった。

 昨日と同じ光景を前にし、ヘーゼの中に緩やかな不安がはいのぼって来る。

 故に、突然、背後からかかった声に心底驚いた。

「そんなに急ぐと危ないですよ」

 驚愕しながらもヘーゼは振り返り、相手の姿を見て、それこそ言葉を失った。それは一緒にいたイリスも同様だったらしく、二人はそろって目を丸くして眼前に立つ人物の姿を穴が空くほど凝視した。

「二人とも、どうかしましたか?」

 彼は穏やかに笑ってみせる。

 短く整えられた銀髪。翡翠色の瞳は宝玉のように美しく、柔和だ。

 彼らが国を出る前、最後に会った時から彼は何ひとつ変わっていないように見えた。

 その変化の無さ故に、彼の存在がどこか現実感のない幻想のように思え、彼らは戸惑いの声を上げる。

「ど、どうかしたじゃないよ。ほ、本当にシリカなの? てか、いつの間に背後に回ったんだよっ?」

 シリカは面白そうに笑うと、ひょいとヘーゼ達から見て左側を指さす。狭い路地の入り口あたりに木箱が彼らの身長以上に積み上げられている。

「ちょっと驚かせてみようとしただけなのですけど」

「これ、登ったの?」

 ヘーゼ達が路地に駆け込んで来るまで、ほんの数秒しかなかったはずだ。そのわずかな時間を使って彼らの視界から消えたように見せかけ、さらに音を立てないよう背後に降りたのだろう。

 そんな離れ業を披露した男は、あっけらかんと笑う。

「基本ですよ、基本」

「……何がどう、基本なのかはよくわからないけど……なんでシリカがここにいるのか聞いてもいいかな」

「はぁい、シリカ久しぶり! こんなところで会うなんて、奇遇ね」

 偶然ですまされる問題ではないのだが、イリスは最初の驚愕も捨て、シリカに軽く手を振っている。

「それは私も聞きたいところですよ」

 そこでシリカは何かを捜すように頭を巡らす。

「カイゼルは、一緒ではないのですか?」

「えーと……まぁ、それも含めて全部話すよ。雪も降っている事だし、とりあえずどこかに落ち着こうよ」

 言って、ヘーゼ達は歩き出した。



 落ち着く先といっても、見知らぬ国でそうそう都合のいい場所が見つかるわけもなく、ヘーゼ達は彼らが暮らしている宿舎まで戻る事にした。

 宿舎は倉庫のような外観の建物で、入って正面はちょっとした雑談や集会が出来るようなスペースになっている。奥は細い廊下を挟んで両側に部屋が並び、それぞれ薄い板壁で仕切ってある。しかし仮住まいである為か機能性優先で、板壁と扉が鉄格子なら、その様子はまるで刑務所のように見えただろう。

 彼らはあてがわれた部屋の中にシリカを押し込む。壁は薄いが、雪の降る中、外で立ち話をしているよりはよっぽどましだ。

 二段ベットが両側に二つ。真ん中に小さなテーブルと椅子が二脚あるだけの室内には、他に人影は見受けられない。

 そう、同行者の男の姿はどこにもなかった。

「ギーヴルはどこに行ったんだろ」

「またまたふらついているのよ」

 聞き慣れない名前に、シリカが首を傾げる。

「あーと、ギーヴルは僕達の旅に同行している人だよ。……多分、会った事はあると思うんだけど」

 あまりいい思い出でもないかもね、とヘーゼは乾いた笑いを浮かべる。

 そして彼は、離れていた間に起こった事を語り始めた。



「……それで、あなた達はシンフォルンまで来たと」

「まぁ、色々とあったわけだよ」

 ヘーゼはぬるくなった茶をすする。茶は共同の炊事場にあったものだが、香りがすぐに逃げてしまう安物で、湯に色を付けただけのような代物だ。

 まずヘーゼは国を出てからの経緯をシリカに語った。

 考えてみれば、シリカにはなんの相談もせず、半ば勢いのまま国を出てしまっていた。心配されたのかもしれない。そう思うと、今さらながら後ろめたい思いに駆られる。

「ずいぶんと面倒な状況に陥っているようですね。よく、ここまで無事に来られたものです」

「うん……僕もね、自分達の強運にものすごく感謝したりしなかったりするよ……」

 もっとも、運がなかった場合、故郷に戻れたのか、それとももっと予測のつかない最低な状態になっていたのか、そんな仮定の話は考えたところでまったく無意味だろう。

「私達はカイゼルの秘密を探して、で、今は誘拐されたカイゼルを追いかけてシンフォルンに来たんだけど、シリカはどうしてここにいるわけ?」

 急に話を振られ、シリカは少女に向き直る。

「私がここにいる理由ですか?」

「だって、ここって観光客は入れないし、商人も手続きが大変だっていうじゃない。それなのにシリカはここにいて、平然とお茶を飲んでるし。どんな裏手段を行使したのか、ものすごく気になるわ」

 イリスはシリカににじり寄ると、逃がさないとばかりに彼の肩に背中から両腕を回す。

 しかし、シリカの返答はあっさり一言で終わった。

「私は仕事で来ているのですよ」

 あまりにも軽い物言いに、子供二人はぱちぱちと瞬き、互いに顔を見合わせた後、首を傾げる。

「ふぅん、お仕事なの?」

「え……それって、どんな仕事?」

 不思議そうな顔をする子供二人に、シリカは躊躇することなく答える。

「まず、ここが他国の介入を拒む、閉鎖された国という事は知っていますよね。そして、構成されている国民の半数……下手をすればもっと多い割合で、元をたどれば移民なのです」

「へぇ、そんなに多いんだ」

 閉鎖的な割りに移民の受け入れを積極的に行う国だとは思っていたが、その割合は思っていたよりもずっと多い。

「移民とはすなわち、シンフォルンとは違う場所で育った者達です。当然、現地住民とでは考え方に差が出てきます。大抵は、徐々にその国の流儀に慣れ親しんで行くものですが、その差が争いの元になる事もままあります。さらには移民を希望してやって来たにもかかわらず、その差を埋める事が出来ずにいる者達も……残念ながら、存在します。私は……いえ、私達特務局の人間は、そういった者達を保護し、適切な措置を行う事を目的としています」

「特務局……か。けど、シリカはここの国の人じゃないのに、そんな事が出来るの?」

 むしろ、移民でもないのにシンフォルンにいる事自体、おかしな話だ。

「余所の国の慣習は、その国の者にしかわからないものです。他にもギィカウ君主国やマレグスンから派遣されて来た人達もここにはいますよ」

「派遣って、じゃあシリカはここに住んで、そんな面倒な事をやっているわけ?」

「移民ではないので、ある程度行動は制限されますし、ずっとというわけでもないですよ。任期が終われば出て行く事になります」

 同じ人間を長期間住まわせる事は、それだけ国の内情に詳しくなるという事になる。それを避ける為に、人員の回転サイクルを早くするのだろう。

「……もしかして、僕達が余所に手を回して移民なんかにならなくても、その組織に頼めばよかったんじゃ……」

 手続きに関しては、苦労したというほどでもないのだが、やはりだましているという事実が多少後ろめたい。もっとも、先にシリカと連絡を取る手段があったとしても、結局は何かを誤魔化して侵入する羽目になっただろう。

 しかしシリカの返答は、あっさりしたものだ。

「それは無理ですよ。私達はあくまで、移民達の問題を解決する為にいるのであって、入国手続きなどは出来ません。いえ、そういった権限は一切持っていませんので」

「あのさぁ、話を蒸し返して悪いけど、なんでシリカがそんな仕事をしているの? シリカは確か、騎士団に入ったんだよね?」

「その白扉騎士団内に、この特務局は存在するのです」

「……知らなかった」

 ヘーゼは皇都に生まれて育ったが、そんな特殊な機関が存在する事など知らなかった。

「私も、実際に任命を受けるまで存在を知りませんでしたよ。まぁ、確かに、表だって他国との交流を行っていない国に少数とはいえ人員を送り込むのです、存在が公になる事は、あまりよろしくないのでしょう。私も書類上では別の場所に勤務している事になっていますよ」

「……そこまでするんだ。よっぽど隠したいんだね」

「あ、ねぇねぇ。もしかしてシリカの初任務がこれなの?」

 ちょうどカイゼル達が国を出た頃、シリカは騎士団に正式入隊する直前だった。

「そうですよ」

「……いきなりこんな知らない国に飛ばされるなんて、シリカって、案外人気ないんだね」

 もし自分が同じ事を命令されたら、その場で辞表を書いていただろう。

「ですが任期は一年で終りです。それに、皇都にいてもあちらは平和ですからね。大した仕事も回って来なかったでしょうし、これはこれで良かったと思っていますよ」

「へぇ、シリカって前向きだね」

「確かに、実際にシンフォルンに入ってみるまでは多少は怖いと思っていましたよ。自国民以外を敵だと認識しているような国だと聞き及んでいたので、いつ後ろから刺されるかとひやひやしていました」

「まぁね。僕も毎日のように怪しげな儀式が通りで平然と行われているって思ってたしね。やっぱり、実際に見てみないとわかんないものだよ」

「そうよ! 私も入った途端に色々出来ると思っていたのに、ここってば他の街とそんなに変わり映えしなくてつまらないわ」

「色々って……一体」

 曖昧な言葉の裏に、あまり聞きたくないような事が隠されているような気がして、ヘーゼはそれ以上は突っ込まず、話題を変える。

「シリカはもうここに暮らして長いの?」

「そうですね。もうひと月ほどになりますか」

「一ヶ月も? 僕達が西側に渡った頃じゃないか!」

「あらぁ、いつの間にか追い抜かされていたのね」

「結果的に驚かしてしまいましたが、こちらも連絡を取る手段がなかったもので。まさかこんなところで再会できるとは思ってもいませんでしたよ」

「あ、そうよ! シリカもそんなに長くここで暮らしてるなら、この国の事も詳しいわよね。ねぇねぇ、教会の中は今どうなっているの?」

「それは……」

 シリカが言葉を発しようとした時、表からこちらに近づく足音が聞こえ、足音はヘーゼ達の部屋の前で止まると、相手はノックもなしに進入して来た。

 板戸を開けて姿を見せたのは、一人の男だった。

「なんや、客か」

 男はうろんげにシリカを眺めると、狭い部屋をぐるりと見回す。あてがわれた部屋は狭いので、大柄な彼が入って来るとかなりの圧迫感がある。本人もそう考えたのか、再び回れ右をして出て行こうとする。

「待ってよギーヴル! 話を聞いて行ってよ!」

 ヘーゼに呼ばれ、彼は顔を上げる。

 そこでギーヴルは初めて客の姿をきちんと見た。そして不躾な眼差しを向けた後、驚いたように客と子供達を見比べる。

「おい、そいつは……」

 シリカもまた、相手の正体に気づいたのか、穏やかに笑ってみせる。

「お久しぶり、とでもいうべきでしょうか」

 ギーヴルはわずかに表情に難色を浮かべた後、舌打ちしながらも部屋に残り、板戸を閉めた。



 ギーヴルとシリカ。

 この二人の出会いもまた、特殊だろう。

 簡単に説明すれば、前者が誘拐犯の一味で、後者が誘拐された少女の兄になる。

 だがしかし、誘拐事件の原因を知るには、もっと過去へと遡らなければならない。

 過去、皇都の南方にひとつの国があった。

 ウトガルヅルと呼ばれたそこは、世界で唯一魔法を持つ国であり、国としての豊かさも他の追随を許さなかった。しかも、当時の東側は戦乱の末期であり、まともに機能している国家自体がなかった時代。

 そんな混迷期の中、ウトガルヅルはまるで奇跡のように存在していた。

 しかし国が崩壊して数百年が経過した現在、かつての国土は荒野となり、末裔達がわずかに生き残るのみ。

 そして生き残った末裔達にさらなる圧力をかけた皇都に復讐するべく立ち上がったのが、ウトガルザ・ロキを名乗る者を筆頭に掲げた集団であり、ギーヴルもまた、その構成員の一人だった。

 結果として、誘拐……いや、少女の拉致もまた、計画のひとつでしかなく……マテリア精製技術を持ったシリカを使っての魔法王国復活計画は失敗し、事件は一応の終息を見せた。だが、この一件がなければ、カイゼル達はギーヴルと知り合う事もなかっただろうし、旅立ちの経緯すら変わっていたかもしれない。


「……久しぶりやな」

 不機嫌そうに言い放つと、ギーヴルは空いている寝台の上にどっかりと座り込む。

「で、あんたはどっちや」

「兄の方ですよ。シリカと呼んで下さい」

 シリカには双子の弟がいる。弟のモリオンもまた、部隊こそ違うが皇都では騎士団に籍を置いている。

 ギーヴルは自分で尋ねた割りに、大して興味なさそうな顔をして言う。

「あんたが何をしにここにおるのかは、後で聞かせてもらう。で、何か話の途中やったんやろ。続けろや」

「そう、教会の事だよ! 知ってる事を教えてよ」

「とはいっても、私は信者ではありませんし、言ったようにここでは部外者ですから、教会の壁の中には入れてもらえなかったのです。ですから私が見た事など他の方と大して変わりませんよ」

「うーん……、困ったな。せめてどうしてこんな事になったのか知りたかったのに。一体誰だよ、こんな時期にこんな面倒な事をやるのは」

 ヘーゼは頭を抱える。そこに、シリカが穏やかに割って入る。

「この時期だからですよ」

 彼は一同を見渡し、全員が注目しているのを見て後を続ける。

「反乱軍……仮に、争乱を起こした相手をこう呼びましょうか。彼らは、雪が降る直前に教会を制圧にかかりました。そして外部から他者が侵入できないよう、扉を閉ざして立てこもります。もちろん、市壁の外側から……周囲の森を突破して入る事は可能ですが、それには降り出した雪が邪魔になる。さらにこの国には、軍隊と呼べるものは存在しません。教会の神官二千人……そのごく一部に、戦闘訓練を受けた者がいるだけ。この国は、閉鎖性を取る代わりに、外部からの侵入に極端に弱くなってしまっていたのです」

「閉ざされた国だから、外敵との戦闘を想定していなかったっていうの?」

「それであっけなくやられちゃうなんて、なんだか本末転倒って気がするけど」

「じゃあ、結局僕達はここまで来て、何も出来ないの?」

「ある程度反乱軍が教会内部を片づければ、そこから隙は出来るでしょうが、今は向こうも体勢が整っていない為、侵入者をひどく警戒しているはずです」

「うーん、どこかに地下水路とか、秘密の抜け穴とかないのかしら?」

「そうですね。ないとは言いきれません。可能性のひとつとしては使える手段だと思いますよ」

 シリカの答えに、二人は顔を輝かせる。

 ほんの少しだけ、先が見えたような気がした。

「よし、その線で探してみよう!」

「私も協力しますよ」

「え、シリカも?」

「カイゼルが捕まっていると聞けば、呑気に仕事をしているわけにも行きませんよ。特務局の支部に戻れば、この国の大まかな地図くらいは手に入ると思います」

「やったぁ! シリカがんばってねっ!」

 イリスはシリカの背中に抱きつく。彼はそれを笑って眺め、そして少女の手をほどくと立ち上がった。

「それでは私は一度戻りますね。何かわかったら、すぐに知らせますので」

 言って、シリカは部屋を後にした。

 彼のいなくなった部屋の中、子供達は妙な熱気で興奮を隠せなかった。

「これで少しは前に進めるといいんだけど」

「シリカに任せておけば大丈夫よ」

 二人の嬉しそうな様子に、今まで会話に混ざってこなかったギーヴルが口を挟む。

「お前ら、やけにあいつを信用しとるみたいやな」

「まぁ、ギーヴルよりずっとつきあいが長いからね」

「で、その皇都におるはずの奴が、なんでこんな場所に出て来るんや」

「えーと、仕事だってさ」

 ギーヴルはその答えに納得できなかったのか、少しの間ヘーゼを見たが、それだけで何も言わなかった。



 シリカは特務局へ戻る前に、寄り道をする事にした。

 口では任務に不服がないような事を言ったが、実際問題、ここでの日々は退屈なものだった。同僚は自分を入れて五人。半年毎に一人か二人入れ替わる。人数もその時々で多少上下するが、基本的には片手の数で足りる程度だ。

 もっとも、それだけの人員で足りてしまうような任務なのだ。

 彼らが出向くような事件に発展する事など滅多になく、大抵は、それぞれの集団内で解決してしまう。余所者に話を回す事を嫌っている節も見受けられるのだが。

 結果、もてあました時間を同僚は無為に過ごしている。特に冷え込むようになってからは、外への見回り回数も減った。さらに雪が降り、教会内部での事件もあって、ほとんど外へ出ようとしない。こうして毎日街を歩き回るシリカに揶揄を飛ばしているほどだ。

 この騒動の結果によっては、自分達の足下を大きく崩されるかもしれないというのに。

 誰もが対岸の火事と思い、教会内部へ突如侵攻した集団の正体を知ろうともしない。内部での闘争なのか、外部からの侵入者による制圧なのか。侵入者ならば、どこの国の者なのか。

 壁の外の者達……いや、内部に残っている神官達にも、この騒動の正確な実態を把握している者はいないだろう。

 呆れるほどに、ここにいる人間達は、自分の生活以外には無関心な性質だった。

 だからこそ、融通が利いてやりやすいとも言える。

 彼は教会の壁近くへと足を進める。しかし目的地は壁の中ではない。壁の近くは外周部と違い、きちんと区画整理され、街の中に定住権を得た者達の住居が並んでいる。そこには皇都の貴族のような、広大な敷地の邸宅も数多くあった。

 そのうちのひとつ、ひときわ立派な屋敷の裏側に回り込むと、シリカは周囲を見回す。そうやって人気がない事を確認すると、軽く助走をつけて壁に向かって駆け出した。器用に壁面を垂直に蹴り上げて跳躍し、そのまま壁を乗り越えて敷地内へ着地する。

 裏口の扉は開いている。シリカはそのまま躊躇なく屋敷の中へ入ると、そのまま階上に向かって行った。



 部屋の主は、控えめなノックの後に入って来た人物の顔を見て、読んでいた書類を脇に置いた。

「あなたの情報通りでしたよ」

 なんの前置きもなく、挨拶すらそこそこに始まった言葉に不快感を見せる事なく、男は薄い笑みを浮かべる。

「その様子だと、子供達とは無事に接触できたようだね」

「えぇ、そうですね。私がシンフォルンにいる理由をひとまずは納得したようなので、これからの行動にも支障はないかと。ただ、報告書に記載されていた者全員の顔を見る事は出来ませんでしたが」

 シリカは一度、小さく息を吐くと後を続ける。

「〈風精シルフ〉はいませんでしたよ」

 その言葉に、男は皮肉っぽい笑みを見せる。

「よりによって、一番肝心な者に会えないとはね」

「こちらはあくまで偶然に再会したという設定になっています。他の同行者について尋ねるのは危険と判断しましたので、ひとまず保留としました」

「まぁ、そう急く事もなかろう」

 言って、男は背を向ける。退出を促している事を悟り、シリカは一礼すると踵を返した。



 男は椅子に深く身体を沈め、視線を部屋の向こうに転じる。

 明かりの届かない暗がりに、何者かの姿があった。

 シリカが立ち去った後に現れたのだが、新しい客は扉をノックする事も……むしろ、扉を開けて入って来るような真似も一切しなかった。

 唐突な訪問者に向かって、男は面白そうに声をかける。

「どうやら、君の期待には添えなかったようだね」

「いや、あれは確実にあの人間の周囲に存在している。こちらに感じ取れないよう身を潜めているだけだ」

「君がそういうのなら、それで正しいのだろう」

 深く息を吐き、彼は一度目を閉じると再び開いた。相手はまだそこに存在している。

 年の頃は二十歳過ぎの男だ。視力矯正器具をかけ、理知的な雰囲気を纏っている。

 だがそれが上辺でしかない事は、一度目を合わせた瞬間に悟った。

 底の知れない闇をのぞき込んだような感覚に、彼は不覚にも恐怖したのだ。

 頭のどこかが、相手を〈人〉ではないと、見かけが同じだけの、まったく異種だと警告した。

「……おかしな話だ、信仰を捨て去ってしまった頃に、奇跡のような現象を目の当たりにするとはね」

 彼……報告によれば、相手は四公の一人ファルゼン枢機卿らしい。行方不明者を捜索する際に作ったリストの特徴と一致しているし、本人に一度確認したところ、肯定する返事があった。

 あくまで、外面だけの話だが。

「まったく、取り逃がしたはずの四公の一人が人間でないなど、さすがに予測もつかなかったな」

 やれやれ、と多少わざとらしく肩をすくめる。

「勘違いするな、この肉体は貴様らと同じ物質だ。入れ物として使っているだけであって、貴様らの捜しているファルゼンという名の男は、とうの昔に精神的には滅びている」

「いくら説明されたところで、人間はあくまで見た目を重要視する生き物だ。魂や、肉体の話など、それこそ神官達にでもやらせておけばいい。それに、私は話が通じるなら、中身が人ではないと宣言されたところで、大した問題にはならないよ」

 今度は相手の失笑する気配があった。

「その違いを理解出来ん人間が大半だが、貴様は多少毛色が違うようだな」

「なに、人間は年を取ると、大抵の事には驚かなくなるだけだ」

「   以前に宣言した通り、こちらは人間同士の国盗り合戦など興味はない。勝手にやっていろ」

「そして、君がこちらの動きに関与しない条件は、あの少年を生かしておく事と、侵入者を放置する事……。もっとも、君がもたらしてくれた情報に比べれば、ずいぶんと安すぎる代価だったがね」

「……こちらの言葉が信用できないか?」

「そうだな、安すぎて、正直飛びついて手放しに喜ぶことは出来ない。こちらが安心しきったところで、悪辣な落と穴が待っているのはよくある手段だ……」

 男の言葉を、ファルゼンはほんの少しだけ眉間に皺を寄せて遮った。

「言ったはずだ、人間同士の争乱など、興味はない。私が条件を甘くしたのは、貴様がやろうとしている事が無意味だからだ。成立しない征服劇を、わざわざ邪魔する必要がどこにある。この地には、これからそんな真似を忘れるほどの災厄が降りかかり、生物はことごとく死に絶える。残念だったな、国盗りの夢がかなわず一生を終える事になって」

 すでにファルゼンの中で、男のやろうとしている事は過去形になっている。そしてその口調には、一片も労るような響きはなかった。例えどう反論しようとも、意に介さない、自分には関係ないとでも言いたげだった。

 しかし、ある程度の年齢を重ね、さらにひどく歪んだ生き方をしてきた自分にとって、「明日、世界が滅びます」と宣言されたとしても、驚く気にはなれない。神の御使い……目の前の存在は、まったく違ったが……が、厳かに最後を宣言したとしても、自分は相手の言葉を真摯に受け止め、平伏するような信仰心を失っている。

 たが、自分の目的を勝手に終わらされるのはしゃくに障ったので、男は次の言葉に軽い皮肉を込める。

「それは、高位の存在お得意の予言かね?」

 だがせっかくの皮肉も、相手に通じなければ意味がない。

「そんな甘いものではない。確実に起こる事だ。そうだな、逃げるなら今のうちだと忠告しておこうか」

 一方的に告げて、彼は消えた。

 いっそ、ここは爆笑するところなのだろうか、男は半ば本気でそう考え、一筋の空気も乱す事なく消えたファルゼンの立っていた場所を、黙って眺めていた。


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