7-5「ガンスリンガー」
五章「ガンスリンガー」
カイゼル達は庭の一角に降り立った。
そこは先ほど飛び立ったときと同じ場所でもある。そこは少年曰く、マドカ専用の庭らしい。専属の庭師以外に他者の進入は認められない。そしてその庭師は異常に頑固な職人気質の年寄で、植物や花を愛でる事などしない少年などまったく意に介さず、ひたすら自分の良いように庭園を世話する事しか眼中にない。
今も片隅で動く背中が見えたが、こちらに顔を向ける様子もなかった。
(良いのか、これで……?)
空から子供が降ってきてもまったく動じないのは、単なる慣れなのか、本当に仕事しか目に入っていないのか。
何となくカイゼルは忍び足になってこそこそ進む。
その時、周囲の植え込みや柱の影から突然、五人以上の人間が現れた。
「な……ちょっと待てよっ!」
「あれ、お客様?」
「いいや。違うから茶は出さなくても良いぞ」
慌てふためくカイゼルを余所に、残り二人は動じる様子もない。その間に、侵入者は彼らをぐるりと取り囲む。
その全員が女性で、彼女達は軽く、動きを制限しない程度の武装に槍を手にしている。
穂先が陽光にきらめき、カイゼルは思わず後退った。
「おい……マドカ」
カイゼルは焦りを覚え、隣に立つマドカに小さく声をかけたが、少年は平然としたもので、
「やっぱり、駄目だったか」
と、呟く。
「い、一体、何がどう駄目だって言うんだよ!」
「いや、言ったろ。大神官がどうのって。決まったみたいだな、新しい奴」
「ほぉ……妙に落ち着いているな」
「だって午後からそれを決める会議だったんだよ。けど、オレはカイゼルと遊びたかったから、サボった」
「サボるなっ!」
「だってよぉ、もし会議なんて出てたら、カイゼルをあそこに連れて行く事はできなかったかも知れないだろ」
確かに、現状を見ればマドカがその会議に出ていた場合の結果も予想がつく。
「う……まぁ、それは、そうか……。けど、この状況をどーすんだよっ!」
「あー……。逃げとくか、とりあえず」
「とりあえずなのかっ! お前っ何も考えてないのかよっ!」
「えぇと、臨機応変ってやつだ」
「……人はそれを、無計画とか見通しが甘いと言うのでは?」
「お、さすがカイゼル。面白い事言うなぁ」
「面白いか? 今の状況で本当に面白いと思えるのか?」
カイゼルはくらりとめまいを覚え、思わずここにいない少女の姿が脳裏に浮ぶ。
だが、思い出に浸っている場合ではない。
「逃げるぞ。アテは……あるよな?」
「捕まらない自信ならあるぞ」
「 ……」
限りなく不安な言い回しだったが、今は突っ込みを入れている余裕はなかった。
そして、盛大な鬼ごっこが始まった。
まず庭中を走り回り、女達を翻弄したカイゼル達だったが、庭から出られた最大の功労者は、他でもない、庭師だった。
別に、主であるマドカを助けようとしたわけではなく、単に丹誠込めて育て上げた花を踏みつぶされた為、怒りも露わに手にした鎌を振り回して大立ち回りを演じたのだ。
予想外の反撃にひるんだ女達の間をすり抜けると、カイゼル達は庭から部屋を突き破る勢いで駆け抜け、さらに廊下や階段を爆走する。
しかし女達も負けてはいない、すかさず彼らの追撃にかかり、そしてその人数は、走行距離に比例して増えて行く。
「あいつら一体何なんだよっ! 普通、あんなに大挙して押し寄せて来るかっ?」
角を曲がる度に人数が増えている気がする。廊下の幅いっぱいに人が溢れ、運悪く出くわした僧侶が情けない悲鳴を上げて転倒する。
「……容赦なしかよ」
女達の勢いに、カイゼルは戦慄を覚える。
「あ、言い忘れてたけど、あいつらは教会の護衛部隊〈戦乙女〉だ。忠誠心いっぱいで腕っ節も強い女ばかりで構成されてるからな。ものすごく手強いぞ」
「……逃亡の決意を萎えさせるような解説をありがとう」
「ありがとーありがとー!」
カイゼル達の横を、少女がどういう脚力をしているのか、跳ねるような足取りで軽く追い抜かしていった。
「…………なぁ、マドカ」
「何だよ、カイゼル」
「飛んで逃げることは、可能か?」
「もちろん。何だ、気がついていなかったのか?」
マドカは器用なもので、走りながらも邪魔になった上着を脱ぎ捨てたりしている。カイゼルはそんな妙に余裕に満ちたマドカを横目で見ながら、少し自分が嫌になった。
マドカの言う通り、少女の特殊能力をうっかり忘れていたのだ。
「ちょっと……錯乱気味で、つい走り出したんだよ」
「まぁ、いつまでも走って逃げるなんて無理だしな。 リィ!」
「うんっ!」
前に出ていた少女が速度を少し落とし、カイゼルに向かって手を伸ばす。
その時……
「カイゼルっ!」
マドカははっとして顔を上げると、カイゼルの服を掴んで足を止めさせる。
角を曲がった向こうで、戦乙女の集団が待ちかまえていた。
彼女達は、細く長い鉄器を肩に担ぎ、その先端をこちらに向けている。
「おい、あれ、もしかして……」
カイゼルは学院の授業で実物を見た事があった。
「ギィカウ君主国から密輸した、小銃ってやつだ」
マドカは鼻で笑う。しかし状況はとても笑っていられるようなものではない。
廊下の真ん中で、膝立ちに一列で小銃を構えた女達。逃げ場は……窓でも破って外に飛び出すしかないだろう。
後ろの角から、大人数が走って来る盛大な足音も聞こえる。
「 マドカ、先に行って!」
少女が女達に向かって駆け出す。
そして戦乙女達は、容赦なく幼い少女に銃口を向け……一斉に引き金を引く。
「 やめろぉっ!」
事態に気づいたカイゼルが、少女を火線上から引き戻そうと手を伸ばす。
瞬間、ふわりと空気が変わる。いや、何か薄い膜が覆い被さったような感覚。カイゼルは自分に降りかかった奇妙な感覚に当惑する。
そして眼前に、奇怪な光景があった。
弾丸はすべて空中で停止していた。その様を見ていた者達全員が、何かに取り憑かれたように呆然とする。そして見えない壁の気配が消えたと同時に、支えを失った弾が床にバラバラと落下した。
そして……少女もまた、倒れ伏す。
カイゼルは思わず少女に駆け寄り、その身体に手をかける。少女は目を閉じ、ぐったりと力を失っていた。
「おいっ、どうしたんだよ! っ、もしかして、弾が当たったのか?」
だがどこにも出血している様子はない。
それでも動かない、目も開けない。
すっかり取り乱しているカイゼルの肩に、マドカの手が置かれる。少年はカイゼルに反してひどく冷静そうに見えた。
「こいつはあんまり戦闘には向いてないんだよ。ばてただけだ。……それに、こいつは死なない」
「なっ、どうしてそんな事が言えるんだ!」
カイゼルはマドカの態度に怒りを覚え、思わず叫ぶ。
いい加減にしろ、そう言いかけて、カイゼルは腕の中の異変に気づいた。
少女の姿が揺らめき、次の瞬間、その姿は砕けるように散り消え、そして……無数に散らばった細片は瞬時に集まると、彼らの前で別の姿を再構築する。
現れたのは、長身痩躯の人物だった。背を向けているので顔はわからないが、少女と同じ金髪をしている。
まったく事態がつかめないカイゼル……そして集まっていた女達の前で、その人は……首を回したり、腕を振り上げたりと簡単な柔軟を始めた。
「……よしっ!」
そして、何がよしなのか、ばさりと黒のマントを跳ね上げ、カイゼル達に向き直る。
「 あっ!」
カイゼルは振り返った顔を見て、思わず指さして声を上げたが、言葉の続きが出てこない。
「あの時の……えぇと……」
長身の割りに、幼い顔立ち。何より、男女の判断がつかない、中性的な雰囲気には覚えがあった。
しかし、カイゼルは首を傾げる。確かに顔や体型的な特徴は、ギィカウ君主国でカイゼルの前に現れた人物によく似ている。だが、特徴が似通っているだけで、髪や目の色が違う。それに目の前の人物はあの時の者と纏う気配が異なった。
どこか儚く、今にも泣き出しそうだった彼の人に比べ、目の前の人物は覇気と自信に満ちている。
その人は、カイゼルの慌てふためく様子に楽しそうな笑みを浮かべた。
「その様子だと、もう一人の僕には会えたみたいだね」
「え……もうひとり?」
「今は、説明よりもこっちの方が先かな」
その人は振り返りよう、腰に手を回して再び腕を掲げると、右手に銀色に輝く鋼の塊……銃が握られていた。
「さぁて……やりますかっ!」
そして事態について行けず、呆然としている女達に向かって銃の引き金を引く。途端、盛大な破裂音と共に、女達は小銃を弾かれ、または足や腕を押さえて転倒する。
前方の一団が無力化すると、即座に反転。彼らを追いかけてきた集団にもまた、同じように弾丸を容赦なく浴びせた。
全員が、わずか数秒で沈黙。それでも死に至るような傷を負った者はいないらしく、全員が床の上で苦悶の声を上げてのたうち回っている。
「さ、行くよ」
「……」
思わずカイゼルは、半歩後ろに下がってしまう。そしてマドカは、相手を警戒するようにじっとにらみ据える。
「やれやれ、そんなに不信感いっぱいの眼で見ないでよ、傷つくなぁ。せっかく助けに現れたんだからさ。今はとにかく逃げようよ」
しかし相手は、言葉の割りに態度はさっぱりしたものだ。
にっこりと爽やかに笑ってみせると、器用に銃をくるりと回して腰のホルスターにしまってみせる。
「僕はジクス。銃神のジクスっていえば、ちょっとは名の知れた傭兵だよ。……正確には、だった、だけど」
彼の纏っていた明るい空気に陰りが射す。しかしそれも一瞬の事で、その態度の落差に相手が当惑する隙も与えずあっさり笑ってみせた。
「まぁ、僕はもっと単純に、ガンスリンガーって呼ばれる方が好みだね」
「銃使い……ジクス……?」
聞き慣れない単語だが、意味は理解できた。
しかし、
(そのままだな……)
確かに似合っているが、ひねりが無さ過ぎるとカイゼルは思った。
そこから先は、ある意味カイゼル達の一方的な独走になった。
突如現れた自称・銃使いジクスは、出会った相手には片っ端から銃の引き金を引く。それでも、明らかに通りすがりの尼僧や僧侶には威嚇程度ですませていた。
まるで暴風のような勢いに、カイゼルは一緒に走りながら唖然としていた。
追いかけて来る戦乙女達にはバック走で銃を乱射し、脇から顔を出す者にはその頭上すれすれに弾丸を撃ち込んでみせる。気づけば彼らを追う者達はずいぶん数を減らしていた。
それでも未だに総本部内を走り回っているだけで、根本的な解決にはなっていない。ジクスはリィのように飛ぶ事はできないのか……銃を振り回す方が楽しいのか、そのような素振りはまったく見せない。
それ以外にも、気になる事は大量にある。
「あの……」
「何なに? 結構忙しいから手短にね」
「その銃……弾の補充とか、どうしているんですか?」
思わず敬語になってしまう彼だった。
そしてカイゼルの疑問ももっともで、見ている限り、相手は一度も弾倉の交換作業を行っていない。彼は銃に関して大した知識は持っていないが、それでも弾丸の補充なしに永続的に使用できる類の武器でない事はわかる。
しかし、
「え、そんなの秘密だよ」
あっさりかわされてしまった。
「カイゼル、こっちだ!」
マドカの声に顔を上げると、少年は廊下の行き止まりにある女性像の裏から手を振っている。どうやら像の後ろにある壁が、隠し通路になっているようだ。
彼ら全員が通路に身体をねじ込むようにして入ると、マドカはスライド式の扉を閉め、狭い通路を先に立って走り出した。
「……ここなら、まぁ、しばらくは見つからねぇだろ」
全力で走り通し、マドカもさすがに息を切らしている。カイゼルは行き先がわからなかった分、精神的にも疲労して声も出せない有様だった。
「よく見つけたね、こんな妙な場所」
少年二人とは対照的に、ジクスは汗もかいていない。興味深そうに自分達がいる場所を眺めていた。
そこは、小さな小さな庭園だった。建物と建物の隙間に作られたそこは、かなり変わった作りをしている。
まず、外側からこの庭を見る事ができない。周囲の壁面に窓はなく、しかも四方が背の高い建物なので、まるで谷間にいるような印象を覚える。見上げれば、ガラスのように光る太いロープ状のものがいくつも交差し、上空から射し込む光を反射して底まで届かせる仕組みになっていた。
そして、一見扉がないように見えるこの庭の出入り口は、端に置かれた女性像の裏の壁だった。そう、先ほど入った壁の隠し通路を進むと、この庭の出口に繋がるという寸法だ。
「昔、暇な奴が作ったんだろ。オレが見つけたときにはもう、ずいぶん人が出入りした様子はなかったぞ」
マドカの言葉通り、庭は雑草がはびこり、それはもう無惨なものだ。
「……で、これからどうする?」
カイゼルはようやく息も落ち着き、近くの飾り石に腰掛ける。
「どうするも何もなぁ……。オレは捕まっても、多分、オレの退位と新しいマドカの就任式が終わるまでは大丈夫だろうな。カイゼルは……まぁ、がんばれよ」
「…………無意味な声援をどうも」
へらへらと緊張感なく笑っているマドカに、カイゼルはもう怒る気力さえ出てこない。
それでもここでかくれんぼの鬼がやって来るまで潜んでいるわけにはゆかない。それでは先ほどの追いかけっこと同じだ。早急に何か考えて行動に移す必要があった。
しかし、マドカと同様ジクスもどこか緊張感が欠けているというか、今は呑気に壁面の彫刻を眺めている。
(本気で逃げるつもりがあるのか……?)
それこそ、鬼ごっこを楽しんでいるようにしか見えない。
カイゼルはこっそり息を吐いた後、マドカに向き直る。
「なぁ、これは俺の考えだけど……。いっそ、この国から出ないか? こうなった以上、マドカも、その……命が危ないんだろ? だったら、お前さえよければだけど、俺達の所に来ないか?」
マドカはきょとんと目を丸くする。
「オレが、お前と一緒に?」
「そうだよ。そりゃあ、色々問題はあるし、このまますんなり逃げ切れるとは思えないけど。でも、命がどうのって話を聞かされて、放っておけるかよ」
少年はぺたりと地面に座ってあぐらをかいている。そのままの体勢でじっとカイゼルを見つめていたが、
「……カイゼルは、馬鹿だな。すっげーお人好しすぎるぞ」
心底あきれたとばかりに息を吐く。
「言うに事欠いて、馬鹿扱いかよ」
カイゼルも馬鹿げた考えだとは自覚している。それに、たとえマドカが承諾したとしても、急に脱出路が開けるわけでもなく、状況は変わらない。
そこはマドカも突っ込んできた。
「大体、どうやって国外脱出なんてするんだよ。運良く総本部から出られても、外は畑ばっかりで身を隠すところもねぇ。おまけにシンフォルンは余所者に厳しいからな、知らない顔がいたら、すぐに通報されるぞ」
「…………どこの田舎だよ……」
見知らぬ人間が歩いているだけで異常だという考え方に、カイゼルはシンフォルン聖教国の閉鎖性を思い知った。
「えーと、それはその…………飛んで行くとか」
そこでちらりとジクスを見る。そこで相手はようやく話に加わる気になったらしく、こちらに近づいてきた。
そして、
「僕は無理だよ。残念だったね」
あっさり言い切られてしまった。しかも、爽やかな笑顔で。
「ま、やってやれなくはないけど、今はかなり制限がかかっているから、国どころか、市壁からも出れないと思うよ」
「制限……? 飛行距離が限られているとか?」
「ううん、もっと単純だよ。壁があって、出られないだけ」
思わずカイゼルは空を見上げたが、狭い空間があるだけだった。
「多分、見えないと思うよ。……本体が、寝ている間に身を守る結界だからね、僕みたいな欠片は簡単に出入りできないんだよ」
「は……?」
何か、妙な台詞だったが、深く聞く前にマドカが口を出す。
「そんな話はいい。それよりお前は何だ。リィはどこに行ったんだよ」
マドカはジクスに警戒するような目を向ける。だがジクスは平然とした態度を崩さない。
「うん? どっちも僕だよ。あのままだと、君達が危ないと思ったから、出て来ただけ」
「それならもう用は済んだだろ。リィを返せ」
「うわ、冷たい。命の恩人に向かって容赦ない」
「オレはお前が嫌いだ」
「はっきり言う子だね。……でも、君が嫌いなのは、僕じゃなくて、僕みたいな大人でしょ。だから、自分よりも幼い少女を望んだだけ。違う?」
「何だと……?」
マドカはジクスをねめつける。その場に言いようのない緊張が走ったが、ジクスは少年の突き刺さるような視線を断ち切る。
「まぁ、良いけど。君の過去話を掘り返す気もないし、そんな時間もなさそうだ。ちゃっちゃと言いたい事だけ言わせてもらったら消えるよ」
そこでジクスはこほんとわざとらしく咳払いをするとしゃべりだす。
「さっきも言ったけど、僕はジクス。職業は傭兵。でも、それは昔々のお話だね。でもまだこの国がひとつだった頃に大活躍していたんだよ」
「……大活躍って……何百年前の話だよ」
「正確に言うと、僕はその何百年前の傭兵の人格を複製した存在で、その意識体。残り滓って言っても良いかな。僕の本体は今も別のところでがんばってるはずだよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
あまりにも一方的に話を進めるジクスに、カイゼルは思わず待ったをかける。
「過去の傭兵とか複製って……。何なんだよ一体っ! もっとわかるように説明してくれ」
困惑気味のカイゼルを見て、ジクスも己の説明不足に気づいたらしく、ごめんよ、と苦笑する。
「あはは、ごめんごめん。そうだよね、こっちの人間は、百年も生きないし、人格複製なんて、向こうでも誰もしなかったからね。実は僕もわかってないところが多いんだよ」
ははは、と何とも情けなく笑っている。
「簡単に説明するのは難しいけど、まぁ聞いてよ。これを言っておかないと、後で色々と面倒だからね。とにかく僕はジクスという傭兵からできたコピーだよ。僕達はね、本体からまったく同じ個性を作り出すんだ。出来上がったコピーは、二世でも、兄弟でもない、完全に同一の存在。能力的な上下はあるけど、過去の記憶は共有する。でも分かれた後は、状況に応じて変化してゆくけどね。僕は力は大したことないけど、姿を変える事ができる。……人格もね」
カイゼルの目の前で、ジクスの姿が散り砕け、少女の姿になって微笑むと、再び黒衣の傭兵に戻る。
小さい子だと、話をするには向いていないから、と言って、むっつり押し黙っているマドカを見たが、ぷいと向こうを向いてしまう。
「同じ人間って……それじゃあ、俺の会った人は……もしかして」
「当たりだよ、きっと。で、あっちが僕の原型。昔は向こうが傭兵ジクスだったよ」
「ずいぶん、今のあなたとは様子が違って見えたけど」
「そりゃあ昔と変わらない存在なんてないよ。僕はもう永遠にあの時のままだけど、もう一人の僕は分かれた後も様々な事を経験して、色々と考えたはずだよ。……僕ともう一人は、今では考え方も何もかも違うだろうね」
「……あなたは、一体……。ごめん、俺にはわからない……」
「うん、そうだね。僕のような存在、理解できなくて当然だよ」
ジクスは明るく笑うが、どこか諦めたような色がある。
「でもね、これだけは覚えていて。僕はね、君と同じ人間だよ。……違う世界に生きる人類っていう差はあるけど」
「…………」
カイゼルはもう、答える言葉を見つけられなかった。
そこでジクスは話を変える。
「あ、そうそう、先にこっちから質問するけど、地下のあれは見た?」
突然の事に、カイゼルは思わずうっ、と息を詰まらせる。
先ほど……そう、ほんの数時間前に見た光景は、すでにあまり思い出したくないものに分類されていた。
「……磔にされた、男の人のことか?」
「それもあるけどね。先に結論から言うと、その後ろにあったばかでかい結晶が、僕らのような複製体を生み出した総元締めだよ」
ジクスの言葉に顔を上げたのは、カイゼルだけだった。もしかするとマドカは、何もかも知り得た上で沈黙しているのかも知れない。
だが初めて事実を知ったカイゼルは、激しくうろたえる。
「あれが……あの水晶みたいなのが、元はあなたと同じ人間だって?」
「君達から見れば、確かに異常だろうね。でも僕達は……面倒だから、あれのことは初代とでも呼ばせてもらうよ。とにかく、初代は確かにあちらの世界では、人と呼ばれていた」
「……何回も話を遮って悪いけど、あっちやこっちの世界って、なんだ。余所の大陸のことなのか?」
今度はジクスが言葉を詰まらせる。どうやら、説明の順序を誤った事に気づいたのだろう。頭を抱えて悩んでいる。
「えぇと、説明が下手でごめんよ。元を正せば初代は空からやって来たんだよ。こっちではドラゴンって呼ばれてるみたいだね。星の海よりやって来た、招かれざる者達ってやつ」
「禁忌の獣……」
言葉の意味する範囲はとても広い。世間では、常識の範疇で説明できない現象や生物などはすべてドラゴンとされる。
「そのドラゴンは、この世界に何をする為に来たんだよ」
ほんの何気なく、思いついて言った質問だったが、相手には痛いところだったらしく、不意に視線をそらす。
「何しに来たというか……落ちてきたんだよ」
「は?」
「足を滑らせて、領域のほころびから転落してしまっただけ。本当に、来るつもりなんてなかったよ」
「落ちて、きた?」
「そう、ころってね」
そんな、落とし穴でもあるまいに。
しかし相手は、カイゼルの驚愕する顔を面白そうに眺めながら話を続ける。
「もっとも、落ちたら大抵はそこで死んじゃうよ。でも、たまに初代のように生き残ってしまうんだ。……そのまま永遠に眠っていれば全部丸く収まったんだけどね……。よりによって、この世界に落ちてまでもめ事を起こすとは思わなかったよ」
ジクスは、本当にやってられないとばかりに額を抑える。わざとなのか、どうにも緊張感の薄い語り口に、カイゼルは適当に相づちを打つしかなかった。
「長いから、省くけど、当時の初代はある人物にしつこく命を狙われていてね、ほとんど自殺まがいにこっちに逃げたんだ。でも、相手もこりずにこの世界に来ちゃったんだよ」
省かれたところが気になったが、今、ジクスが話そうとしている事柄とは直接関係がないらしく、それ以上深く話そうとはしない。
「相手はものすごい粘着質タイプでね。自分も死にかけてぼろぼろなのに、初代を追い回してさ。で、戦って、戦って……また、初代は生き残ったよ。向こうも、代償は大きかったね。肉体を失ったんだ」
「……?」
「あ、こっちだと肉体の死はそのまま滅びに繋がるけど、あっちの世界では肉体はあくまで魂の器に過ぎない。傷つき、破壊されても、魂さえあれば何度でも復活できるんだよ。ただし、こちら側には僕達の肉体を構築する為の素材が決定的に不足しているんだ。だから、こちら側で肉体を失えば、器を失った魂は消耗し、やがては滅びてしまう」
「それって……不死、ってことか?」
肉体を失っても、すぐに死ぬ事はない存在。
まるで、伝承にある〈神〉のようだ。
しかしジクスは頭を振ってカイゼルの考えを否定する。
「そうでもないよ。割と普通に死んじゃう。病気もするし、怪我が大きいと器を失った衝撃に耐えきれなくて滅びてしまうんだ」
カイゼルはどうにも納得できないといった顔をしていたが、ジクスは彼が理解できなくても構わないのか、苦笑気味に続きを話し出す。
「話はそれたけど、とにかく初代はこれで終わったって思って、眠ったんだ。世界を多く傷つけすぎたし、動き回る気力もなかった。やりすぎたよ、大陸を分断しちゃったし」
大仰なため息と、聞き捨てならないセリフにカイゼルは思わず聞き返す。
「大陸が、何だって?」
「あの大きな湖、トル・トパァンだっけ。あれは初代と相手が暴れた跡だよ」
カイゼルのいる大陸は、中央付近に巨大な淡水湖がうがたれ、長い間、人は対岸に同じ人間がいる事実を知らずに過ごしていた。
そして船舶技術の発達が、将来的に湖を挟んでの争乱の引き金となる。
しかし今は、戦争の講釈をしているときではない。
「湖に……じゃなくて、大陸にあんな大穴開けたって……?」
「直接やったのは初代じゃないけどね。戦っていたとき、初代が相手の捨て身の攻撃をさけて、行き場を失った力がどかん、ってね」
それで相手は身体が砕けて終り、と、ジクスの話す様子はどこまでも軽い。
かなり深刻で、重要な話のはずなのだが、どうにも過去の間抜けな失敗談でも聞いているような気分になってくる。
カイゼルは、ふと、ある事を思いついた。
というより、思い出したと言うべきか。
各地で見つかる、不可思議な現象に、この人物なら答えを出しそうな気がした。
「じゃあ、もしかして各地の巨人の爪痕も、何か関係が?」
大陸には、カイゼルの言うように、巨人がいたずらに地面を引き裂いたような裂け目がいくつも存在している。それらは地表がガラスのように変質し、マテリアを土壌に含んでいる場合もある。
そして案の定、ジクスはその質問に何の躊躇もなく答えた。
「あぁ、あれ。多分、その時のだと思うよ。他の誰かが落ちてきた時の衝突跡かも知れないけど」
「……何者だよ」
「だから、人間だって。むしろ初代なんて最弱に分類されるよ」
「湖に大穴開ける相手と渡り合って、最弱?」
「相手が本調子なら、大陸なんて消し飛んでいただろうね」
と、遠い過去を懐かしむようにあさっての方向に視線を向ける。
話の真偽はさておいて、湖ができる前の時代なら、彼の語る内容は一体いつの出来事なのか。
千年、もしかすると大陸の創世記にまで遡るかも知れない。
(わ、笑えないぞ、そんな話っ!)
突っ込みどころは山ほどあるが、そのどれもが地雷級の破壊力を持っている。うかつに手を出したら、痛い目を見るのはこちらだ。
「……で、その初代はやるだけやって寝たと」
カイゼルは引きつった顔をする。もう話のスケールが大きくなりすぎて、彼の手には負えない。
「うん、今となってはどうしてきっちり終わらせなかったんだろう……。あの時、相手を完全に滅ぼしておけば、後の問題も起きなかったのに」
「まだ、あるのか」
「むしろ、ここからの方が君達に関係あるよ。生き残った彼は、魂を入れる器を……それに代わるものを探した。対象になったのは、この世界の生物で、我々と良く似た それでいて、まったく違う存在、つまり、人間の肉体を使う方法を思いついたんだ。具体的な方法は知らないけど、元の人格を無視して無理矢理ね。それでも人の身体は全力を出すにはもろいし、自分の魂に適合する器を見つけるのも容易じゃない。けど、彼は初代と違って根性あったから、色々がんばっていたみたいだよ」
「いたみたいって! あんたは何をしていたんだ!」
「寝てたよ、ひたすらね。その時は、もう今と同じ場所……ここの地下にいたね。そして、そこには物好きな人がいた。初代を見つけて、さらに何を勘違いしたんだか、願いを叶えてくれるってさ」
「……失った、片翼か」
カイゼルは、ちらりとマドカに視線を向ける。だが少年は、声をかけられるのを避けるように、顔を背けてしまう。
「あの時、初代はね、一人で落ちたわけじゃなかったんだ。もう一人、一緒にいた人がいて、その人は……落下の衝撃に耐えきれずに、滅びた。初代はあの人を失った事で、どこか壊れたんだ。……失ったものを取り戻す、それしか考えられなくなるくらいに。当時の初代は、本当にあの人しかいなかった。生きる事そのものだったと言っても良い。だから、世界に散らばったあの人の欠片を探し出し、どこかに消えた魂を取り返そうと……。その為には、この世界に生きる存在すべてを犠牲にしても構わないと思うほどにね」
「あんたは……っ!」
カイゼルはジクスの胸ぐらを掴み上げる。相手は抵抗もせず、じっと彼を見つめ返す。
「何でそんな風に、他人の話みたいな顔ができるんだっ!」
「……僕と初代は、過去こそ共有しているけど、それは分かれるまでの話。後は違うものを見て、考えて、生きてきたよ」
カイゼルの顔に、怒りと嫌悪感を見つけ、ジクスは諦めたように息を吐く。それでも、口元の微笑は消さない。
「 けど、結局は同じことか」
「ずっと、寝ていれば良かったんだ」
「そうだね、君の言う通りだ。でも、初代は寝ながら一人で考え込んでいるうちに、色々と間違ったんだよ」
カイゼルはそこで未だにジクスにつかみかかったままだった事を思い出し、手を離すと数歩後退った。
しかしジクスはもう、カイゼルを見てはいなかった。いや、視界に据えてはいるのだろう。だが今の彼が感情を向けているのは、ここにいない存在だった。
「……馬鹿だよ。それであの人が甦ると、本気で考えたなんて。……本当、馬鹿げているよ」
「じゃあ、分かれたあんたは、何の為にここにいるんだ?」
何の為に……。
ジクスの唇が、カイゼルの言葉を反芻する。彼の人はようやく意識がこちらに戻ってきたのか、ゆるりと顔を上げる。
「僕は、過去の幻影だよ。あの日、ここに写り込んだ影……。実はね、君の前にもう一人、あの人の魂を宿す人間がいたんだよ。そこで僕は……初代に彼を、渡さなかった。そんな事できないって思った。だって、ずっと一緒にいた相棒なんだよ。だから……戦ったよ。結果は、見ての通りだけど」
ジクスは何の感情もない、空っぽの笑みを浮かべる。
「それでも……初代が勝ったわけじゃないよ。だって、あの人の魂を逃してしまったからね」
「それを、今、俺が持っているのか……」
カイゼルは、思わず自分の胸に手を当てる。
「当たり。でも、君はあくまで君自身だ。こんな馬鹿げた事に関わる必要なんてないよ」
言って、ジクスはゆったりとした動きで腰の銃を抜くと……
突然、一方の壁に向かって乱射する。
弾丸が壁をうがち、彫刻が無惨に崩れ落ちる。狭い場所に銃声が反響し、あまりの轟音にカイゼルは思わず耳をふさぐ。
そして壁は崩壊し、砕けた石材が薄い煙となって漂う中、陽炎のように風景が揺れた。
「……思っていたよりも遅かったね。ほとんど話は終わったよ」
揺らぎはひとつの輪郭を描き出すと、砕けて虚空に散る。残った空間は、細身の男性の姿を描き出す。
「ならば、もう退場しても良い頃合いだろう」
現れた人物を見るなり、ジクスは口元に不敵な笑みを浮かべる。
「まぁまぁ、こっちも積もる話があるんだし、ゆっくりやろうよ」
だがカイゼルには、そこまでの余裕がなかった。
「……ファルゼン」
苦々しく、侵入者の名前を呟く。
「あいつ……とうとう来たな」
「うん? 知り合い?」
「……あまり、知り合いに分類したくないけどね。そういうあんたも、知っている相手みたいだけど」
「んー、あの顔に覚えはないけど、中身はよく知ってるよ。初代を散々追いかけ回していたし、僕も前に一度、戦った事があるからね。粘着質の嫌なストーカーだよ」
「そして、あんたと同じ、ドラゴンか」
「ご名答。今の残り滓の僕じゃあとても太刀打ちできないよ。悪いけど、色々覚悟してね」
「……それはどうも」
ジクスは銃口を下げないまま、カイゼル達から離れるように動く。
そしてカイゼルは、あれだけの弾丸を受けても平気で立っているファルゼンに、心底嫌そうな顔をする。
「何でここが……って、聞くだけ無駄か」
「やれやれ、とうとうファルゼン枢機卿のお出ましか」
黙りを通していたマドカは、カイゼルの隣に立つ。
ファルゼンは少年を見やると、含みのある笑みを浮かべる。
「昨日はどうも世話になった。そして、こちらの計画に支障が出そうなので、その子供を回収に来た次第だ」
「カイゼルは、絶対に渡さないからな」
マドカは敵意もむき出しに、ファルゼンにくってかかる。
(何か……勝手に話が盛り上がっているな……)
守られる、という行為に、カイゼルは少し困惑を覚える。
「ずいぶんと勇ましいな。子供は大人しく絵本でも読んでいろ」
「生憎、外に出た方が絵本よりも面白い事が多いからな。あんたには世話になったが、もうこそこそ隠れている必要もないんでね。書庫の鍵は、そのうち返すよ」
「はて、何の話か。……あぁ、この器か。申し訳ないが、器の記憶など興味ないものでな。貴様との思い出など、俺は知らん」
カイゼルは、隣のマドカの肩がわずかに揺れるのを見た。
「エディ……」
そして少年のつぶやきは、恐らく彼意外誰も聞こえなかっただろう。
「僕としては、君に退場してもらいたいよ」
じりっと、間を計るマドカに、カイゼルは手を挙げて遮る。
「ちょっと待てよ。……俺はあんたに聞きたい。あんたの目的は何なんだ。この人は……いや、地下のあれは、あんたが命を狙う相手なんだろ。なのに、どうして俺を……そう、初代が望むような真似をするんだ」
カイゼルが最後の魂の欠片なら、彼を地下の存在に突き出して得をするのは、その初代だけだろう。
彼の問いにファルゼンは黙して答えず、代わりにジクスが苛立たしげに言った。
「違うよ。確かに手を貸しているように思えるけど、彼はそんな親切な奴じゃないよ。肉体を失って全力を出せなくなった今、彼ができる唯一の手だては、初代の暴走行為をそのものを利用する事だよ。何せ初代は、欠片探しに奔走するあまり、この大陸中に根を広げているからね。ちょっと力の方向を変えてやれば、そこからあふれ出るエネルギーが地上にどんな影響を与えるか……考えたくもないね。もし万が一、初代の願いが叶ってあの人が復活したとしても、途端に世界と心中なんて僕はごめんだね」
「……心中って……。今度は何が起こるんだよ」
「大穴ひとつじゃすまないだろうね。……これが彼の思いつく、最高の復讐方法だよ」
ジクスはファルゼンをきっとにらみつけると、口元に、相手を嘲るような笑みを浮かべる。
「他人の……それも、憎悪する相手の力を借りてまで、一体何の復讐だか」
途端、ファルゼンが激高する。
「貴様ぁっ、複製された薄っぺらい影がっ!」
閃光、次いで轟音が響き渡る。
膨大な熱量に膨れあがった空気が低く鳴動し、熱波が肌を焼く。
光に視界を奪われたカイゼルは、地面の揺れにとっさに対処できずに手をつく。石造りの建物が震え、彼の上にばらばらと剥離した細片が降り注ぐ。
「おい、カイゼルっ!」
声に顔を上げる間もなく、マドカに腕を引かれ、半ば無理矢理立たされる。
「呆けてる暇はないんだ、行くぞ」
「行くって……?」
そっちは出口ではない、と言いかけて、カイゼルは言葉を飲み込む。
もうもうと舞い上がる粉塵の向こうに巨大な穴がうがたれていた。周囲を壁に囲まれていた庭園は、その一角を完璧に砕かれ、外部にその全景をさらけ出す。
「……そうそう、早く行った方が良いよ」
ゆらりと粉塵の中からジクスが現れる。傷を負っているのか、身体が右側に傾き、足も引きずっている。
「僕はもう、保たないから」
言いながら……右腕が根本から落ち、地面に落ちた衝撃で砕けた。
まるで、ガラス細工のように。
「……っ!」
思わずカイゼルは悲鳴を上げそうになった。
落ちた腕は、急速に劣化してゆくのか、色彩を失ったかと思うと、石のように変化し細かく砕けてゆく。
「ごめんね、嫌なものを見せて」
声に顔を上げると、ジクスは半ばひびの入った顔に、変わらない笑みを浮かべていた。
「そうだ、もうひとつだけ聞いてよ。……彼の名前は、レキだよ」
「え……?」
「地下に磔にされている、彼の事だよ。僕の相棒だ」
なぜ、そのような事をカイゼルに伝えたのか。
その理由を尋ねる間もなく、カイゼルはマドカに引きずられるようにして、その場をから逃げた。
「さぁて、これで君も気兼ねなく全力でやれるかな。もし誤って、あの子を殺したりすれば……困るのは、君だし」
「ふん、いらぬ気遣いだ。だが礼はさせてもらう。貴様を粉みじんに砕いてな」
「ははっ、それはどうも」
ジクスの身体は、砕けた周囲から変質してゆく。ぱきぱきと音がするほどの勢いで、水晶のようなものが突き出し、割れた部位を補うように広がる。それでも、崩壊は止められそうになかった。
そして、追い打ちをかけるように、その足下が閃光を発したのは次の瞬間であった。
爆発、そして衝撃波でジクスの身体は軽々と吹き飛ばされ、瓦礫の山に突っ込んだ。
「……容赦ないねぇ」
打ち付けた身体は、無惨にひびが入っていた。
恐らく、起き上がっただけでバラバラに砕けてしまうだろう。
痛みは感じなかったが、それでも自分の身体が砕けてゆく音を聞くのはあまり気分の良いものではない。
ジクスは近づく足音に気づくと、残った左腕を……握りしめたままだった銃を掲げる。
しかし、相手に照準を合わせる前に、手首が折れ、肘まで砕けた。
「ははっ……最後の一発も食らわせてやれないなんて、ちょっと悔しいね」
「どうせ何も変わらん。大人しく滅びておけ」
ファルゼンは……その身内に潜む者は、悠然と歩いてくる。
ことさら余裕を見せつけるようなその足取りは、傷ついた獲物をなぶる加虐思考のそれだった。
ジクスは、眼で男の動きを追いながら、薄く笑う。
「……何がおかしい」
相手はジクスの態度に、己が馬鹿にされたとでも思ったのか、声が低くなる。
「僕に、君は……勝てない」
かすれた、あえぐような声。
「もう一人の、僕。……今はもう、名前も何もかも違うだろうけど、きっと、こう考えているはずだ……。あの子をレキのような目に遭わせたくはない。あれの馬鹿な真似も、君のせこい計略も……全部、つぶしてやるって!」
「っ、黙れ、黙れぇっ!」
絶叫と共に弾き出された力が周囲の瓦礫をえぐり、そのうちのひとつがジクスを直撃した。
軽く、乾いた音をたて、人の形をした存在は砕ける。細かな破片が夕刻の残照を受け、きらきらと輝いて散った。
「……っ?」
背後から上がった轟音に、カイゼルはびくりと身を震わせる。足下にかすかな振動が伝わってきた。
その衝撃に、がらりと瓦礫の一部が崩れ落ちる。
「早くしろよ、今のでどっかが崩れたぞ!」
マドカに急かされながらも、カイゼルは後ろ髪引かれる思いで瓦礫の山から慎重に飛び降りた。
ファルゼンの一撃がもたらした破壊は、カイゼルの予想よりも激しいものだった。建物の真ん中に大穴が空き、支えを失った部位が時間の経過と共に内側に向けて倒れ始めている。このままでは下手をすると、建物ごと崩れ落ちてしまうかも知れない。
そうなる前に、カイゼルとマドカは瓦礫の山を乗り越えて脱出を計っているのだが、これがまた、遅々として進まない。
とにかく足場が悪い。飛ぶように駆け抜ける、なんて真似はできそうにもない。
しかし、とカイゼルは首を傾げる。
「なぁ、マドカ。何かおかしくないか?」
「あぁん? おかしいなら、もう何もかもだろ!」
若干投げやりになっている様子のマドカだが、律儀に返事をしてくる。
「何で誰も来ないんだ?」
見渡しても、周囲に人の姿はない。ここまで派手な騒ぎが起これば、それこそ戦乙女の一個小隊でも出て来そうだ。
それが野次馬の一人もいない。
宗教国家は、野次馬なんて俗な行為は禁止されているのだろうか? と、カイゼルは勝手に想像を巡らせる。
「言われりゃそうだな。そろそろ夕刻の祈りの時間なのに、僧の姿がない……」
ふぅむ、と首を傾げながらもマドカは瓦礫の上から飛び降りて、平らな地面を踏む。
「何でだ?」
くるりと振り返った先には、まだ巨大な瓦礫の上で右往左往しているカイゼルがいた。
「……地元民がわからないのに、俺に尋ねるなよ」
ようやくカイゼルも、マドカの隣に飛び降りる。
やれやれと安堵の息を吐くカイゼルだったが、顔を上げて思わず硬直してしまった。
向こうで、カイゼルらを見ている者の姿を発見してしまったのだ。
男は側にいた何者かに声をかけると、そのまま駆け出して見えなくなった。
「……おい、見つかったぞ」
「そりゃあ、いつかはな」
当たり前だろう、とあきれた顔をしているマドカの襟首を掴み、カイゼルは周囲に視線を巡らす。
「だぁっ! とにかく何でも行くぞっ! このままだと一個師団の戦乙女が走って来る!」
半ば取り乱すカイゼルに、マドカはぼそりと告げる。
「……男の戦乙女はいないぞ」
「揚げ足取ってる場合かっ!」
「いや、だから……あいつら、教会の兵士じゃないぞ」
「じゃあ、どこのどちら様だよ」
「それは知らねえけど……。多分、もう逃げ回らなくても大丈夫だ」
「……常々思っていたが、マドカ、お前の言動の確証とか根拠は、どこから来るんだ?」
「あいつが来たんだよ」
だから、それは誰だと叫びそうになったカイゼルだったが……建物からあふれ出てくる人間の数に、硬直する。
一個師団には足りないだろうが、それでもかなりの兵が後から後から湧いて出る。
兵達は彼らのいる中庭に、きれいに整列してゆく。
一糸乱れぬ動きというのだろうか。
それにもマドカは驚く素振りも見せず、逆にあきれている様子だ。
「ほらな、あいつはこんな大げさな事が大好きなんだよ」
言って、顎で示す先に、こちらに真っ直ぐ向かって来る者がいた。
初老の……恐らく、五十に手が届きそうな年齢の男性だ。
厳めしいというほどでもないが、隙のない動きをする。そして男の服装や、彼に付き従う者達から察して、兵をまとめているのはこの男に相違ないだろう。
男はマドカの姿を認めると、途端にその表情がゆるむ。
マドカも男につられるようにして、笑った。
そして男の元に駆け寄ってゆくと、体当たりするような勢いで抱きついてみせる。男はわずかによろめくが、それでもしっかりとマドカの細い身体を受けとめた。
「久しぶりだな。……ずいぶん大きくなったものだ」
「当たり前だろ、何年ぶりに会うんだよ。子供の成長期を何だと思ってんだ」
男は埃まみれのマドカがすがりついても嫌な顔ひとつせず、汚れた金髪をなでてやる。
「違いない。それはそうと、予定が繰り上がったようだが、間に合ったか?」
「ギリギリだ……。もっとも、オレの事なんてとうに見限ってると思ったよ。ま、助けてくれるって事はまだ利用価値があるんだろうな」
「そうだな。反乱の流血は、後の禍根に響く。少ないにこした事はない」
「後でまとめて粛正した方が、いちいち追い回すより楽だし」
「ふん、変わらんな。お前の言う通り、後から死者の列に加わってもらう事になるかもしれんが、それで良ければ来い」
「あぁ、こんな面白い見せ物、側で見ていた方が楽しいに決まってる」
二人はそうやって、顔を見合わせて笑う。
いきなり展開された会話について行けなかったカイゼルは、おずおずと笑っているマドカに声をかける。
「あの、もしもし……。不穏な会話を楽しんでいるところ申し訳ないが、俺はどうなるんだ?」
会話を遮られ、そこでマドカはようやくカイゼルがいることを思い出したようだ。
「うーん、そうだな……」
マドカは首を傾げながら言った。
「お前はオレが死ぬまでなら守ってやるよ。だから、一緒に行こうぜ」
「……お前について行かなかったらどうなるかなんて、考えたくもないよ」
カイゼルの嘆きなど聞こえなかったのか、マドカは喜々として男の手を引っ張ってくる。
挨拶でもした方が良いのかと思い、カイゼルはわずかに構えた。
「そうそう、こいつはオレの親父だ。拾って養って、ついでに、マドカの地位もくれた」
しかし、マドカの何の屈託もない言葉に、カイゼルは倒れそうになる。
(こいつは……どうしてこうも怖い事をぽんぽん言うかな……)
場の雰囲気を考えないのか、それとも狙ってやっているのか。
頭をかきむしって叫びたい衝動にかられたが、人目もあるのでとりあえず押さえた。
男は興味深そうにカイゼルを上から下まで眺める。いささか不躾な視線だったが、カイゼルは不快さをなるたけ表情に出さないよう務める。
「君が継承者か。思っていたよりも、普通の子供だね」
そんな言葉が出る以上、相手はカイゼルについて……その正体に、何らかの知識を持っているのだろう。
不信感が顔に出てしまったのか、男はカイゼルを珍獣のように見るのをやめて向き直る。
「そうだな、私は君の事をよく知っているが、実際に会うのは初めてだね。私はカナリ・セルリウス・サヤキ」
そして男は、たっぷり一呼吸置いてから、こう付け加えた。
「そして、この国を乗っ取りに来た、反乱軍の指揮者でもある」
男は不敵な笑みを浮かべる。その表情に、マドカとの共通点を見た気がした。
【異邦の待ち人 終】
次回、それでも明日はやって来る!8「理想郷の簒奪者」へ続きます。




