6-5「最後の欠片」
五章「最後の欠片」
警察と傭兵といえば、まったく相容れないものだ。しかしヘスペリアは躊躇なく本部の前を走っていた若い警官を呼び止める。そしてうさんくさそうな顔をしている男をどうにか言いくるめ、内部と連絡をつけてもらえるように頼んでいた。
場は、混乱していた。
騒ぎの発生地点は警察本部内らしく、野次馬からは様々な憶測が飛び交い、その混乱を収めようとする警官達にもどこか焦りが伺える。
そして出入り口には常に数人の警官が警戒し、部外者の立ち入りを禁じていた。
ギーヴルは十中八九追い返されると踏んでいた。だが、十分も待たないうちに、中から現場責任者という男が現れた。しかも、妙に態度が低い。そして中に入りたいといったヘスペリアに対し、もみ手をしそうな勢いと妙な笑顔で、さあどうぞと案内する。
さすがにそれにはギーヴルも唖然とした。
それに対し、彼女は、
「コネと人脈の賜物」
と、あっさり言い切った。
男の態度から見て、とても信じられなかったが。
「ひどいな……」
ヘスペリアは眉根を寄せる。
辺りは血の海だった。
床から壁面に至るまで、おびただしいほどの赤が流れ、色を付けている。だがその血の持ち主は、既に運び出されたらしく、床には倒れた位置を示すテープが貼られているだけだった。
今いる留置場にたどり着くまで、四人分あった。
警官の一人が、手にしたクリップボードを見ながら渋面を作る。ちなみに、彼女らをここまで案内した者は、後は任せると叫んでさっさと出て行ってしまった。
「脱走者は、昨日の誘拐実行犯です。もっとも、名前もまだしゃべってませんよ」
「これを、ひとりでやったのか?」
ヘスペリアは、ぐるりを室内を見渡す。留置場は、出入り口はひとつで、監視する者が使う机がひとつと、椅子が数脚、そして廊下を挟んで両脇に計四つの房がある。今はそのどれもが空だった。
「まさか……といいたいところですが、どうでしょうね。一応、最低一人ないし二人は仲間がいたのではないか、というのが上の見解です。けど、これだけ血がペンキみたいにぶちまけられているのに、一人分の足跡も出てこないんで、こっちはお手上げですよ」
「目撃者と話がしたい、会えるか?」
その質問に、男は渋面を作る。
「できないなら、相手の特徴だけでも教えてもらえない? 人相書き作ってギルドでも手配しようと思うんだけど」
「いえ、それが……目撃者が、いないんです」
「まったくの、ゼロと?」
「はい。誰も……こんな事になっているのも気づいていませんでした。直接目視したであろう者は、全員あの有様です」
留置場から、他の警官の詰め所まで、一本の廊下がある。だが警察署の隅の方で、あまり人通りもない。そこを、たまたま近くを通りかかった者が、床を染める血に気づき、遺体を発見した。
被害者は、その時、監視役だった警官二人と、おそらく何か世間話でもしに行っていた同僚。そして、傷害で留置場に放り込まれていた男性一名。
脱走した女性は、仲間と共に廊下にある窓から外に向かって逃亡したと推測されている。
「つまり、相手が何人かもわからない、と。遺体も確認したかったけど、無理そうね。後で検死報告回してくれる。特に、凶器。妙なものだったら、すぐに教えて。使い手から、実行犯がわかるかもしれない」
言って、踵を返す。
先を歩き始めた彼女の後を、ギーヴルは小走りで追いかける。
「なんで、凶器のことだけ念押ししたんや?」
「蛇の道はなんとやら、ってやつでな。特殊な武器を扱う者の話は、自然とこちらの耳に入る。まぁ、傭兵なんて、犯罪者すれすれのラインにいる者達ばかりだからね」
それに、とヘスペリアは渋面を作る。
「邪魔をした警官だけならともかく、房の中にいた無関係の人間まで手にかけている。目撃者を出したくなかったのだろうけど、やりすぎだ」
「そやな……」
確かに、彼女の意見ももっともだ。
見られたから、殺す。
禍根を残さない、ある意味合理的なやり方だろう。
相手は、他者の命を奪う事に、何の痛痒も覚えないのか。それか、感情のすべてを押し込め、目的を遂行する事ができる人間。
「……あの女性は、そこまで過激な性質なのか?」
「ねーちゃんねぇ、どうやろ。熱くはなりやすいけど、どっか抜けてるところもあるしな。まぁ、らしくないといえば、そうでもある」
「仲間が実行したのか、それとも、らしくない真似をしてしまったのか……。どちらにしても、一番タチが悪い」
ヘスペリアはいらだちも露わに吐き捨てる。
「あいつら置いて来て、正解やったな」
出かける前の顔を見れば、ついて行きたいと相手が思っていた事は明白だった。それでもあそこまで胸の悪くなる光景を目の当たりにすれば、今度は別の騒ぎが起こっていただろう。
「私は一度ギルドに戻るが、お前はどうする? できたら、<彼女>の事を、もう少し詳しく聞きたいのだが」
「そやな……」
「子供達が心配なら、まぁ、今晩は大丈夫だろう。マキシももう戻っている頃だ」
「それも、あんたの勘か」
「そういうことだ。だが、今回は、別の予感もある」
「悪い方か?」
ヘスペリアは、黙って首肯する。
「あの子のことは、本当に小さい頃から知っている。可愛いと思っているよ。もっとも、向こうはどう考えているやら。それでも、もう一人の弟みたいなものだよ。……だが、今回の件は無謀もいいところだ。本音を言えば、このまま荷札つけて家まで送り返したいね。だが、そうもいかないのだろう? だから、頼む。あの子達を守ってやってくれ」
「なんで、ワイに頼むんや。さっきの話、聞こえてなかったんか?」
「それでも、助けに来たじゃないか」
ヘスペリアはすっぱり言い切る。彼は憮然とした顔をして、黙り込んでしまった。
そして……状況は、それ以上悪化する事も、好転する事もなく、一週間が経過した。
「あぁ……俺も料理洗濯がうまくなったよな……」
カイゼルは、手にした洗濯物のしわを取りながら、ひもにかけると洗濯ばさみでそれを固定する。
アパートの屋上には、いくつもの物干し台が置かれ、共用のスペースになっている。そこでヘーゼが籠に入った洗濯物を広げ、カイゼルに手渡し、彼がそれを干す、という作業を繰り返していた。
ヘーゼの足も、大分よくなってきたが、大事をとって、あまり動き回らず大人しくしている。
「手が冷たいなぁ」
「なんか、皇都より、こっちの方が季節が早く変わるみたいだね」
今日はよく晴れていて、日向に立っていると暖かく、気持ちがよかったが、それでも動き回っても大して汗をかく事もない。朝晩の冷え込みも厳しくなってきた。昨日も、そろそろ暖房器具の埃を払って出してこようか、という話が出てきたくらいだ。
「これだと、案外早く雪が降りそうだな」
「う~ん、そうだね。皇都だと、降ってもそんなに積もらなかったけど、やっぱり場所が違うと気候も違うねぇ」
ヘスペリアとの話では、雪が降って行動が制限される前に動く事になっていたが、この分だと、頭の中にある予定表をもう少し繰り上げなければならなくなりそうだった。
「それにさぁ、シンフォルンって、ここよりももっと北にある国だよね。これから冬本番なんだよ、向かっているうちに雪に埋もれるなんて嫌だよ」
「それもそうだな」
それでも、いくら知恵を絞ったところで、それで冬が遅くなるわけがない。カイゼルはあきらめたように息を吐く。
「なんかイリスが行程表を勝手に書いていたな。ちょっとその辺を見て、検討するか。あぁ、そうだ。ギーヴルはまだお姉さんのところから戻ってないのか?」
「うーん。でもそろそろ買い物に行くんでしょ? きっとぼちぼち戻って来るよ」
あの事件から一週間。大人達は事態をそれなりに重く考えたのか、自然とひとつの法則が出来上がった。
カイゼル達が出かけるときは、ヘスペリア達の内、誰かが一緒について回るというもので、夫婦は仕事の都合上、常にというわけにいかず、消去法でその仕事はギーヴルのものになった。
とはいっても、以前に旅をしていた頃と、実質あまり変わりないといえばそこまでの話だ。それに、今日のようにいないときもある。
「そうか、ならしかたないな、今日はイリスと行って来るか。日程を決めるのは、その後だ」
「うぅ……いっそ春までここでバイトでもして過ごそうよ」
「ヘーゼ、お前、単に先延ばしにしたいだけだろ」
「大当たり……」
先延ばし以前に、行きたくないのだろう。
カイゼルも、行けば必ず面倒事が待っているとわかって足を向けるのは、正直気が進まなかった。むしろ、ヘーゼと同意見だ。
「……まぁ、とりあえず……。今日の夕飯、どうする?」
「うーん、カイゼル、何が食べたい?」
「この会話も、飽きてきたな」
「主婦って偉大だよね……」
二人は急に情けなくなり、そろって晴れた空を見上げた。
イリスとカイゼルは、夕飯用の食材の他に、細々と足りない物品を買い足す為に、市場に出た。最初はいきなり四人も人間が増えた為、ヘスペリアが言うように、買ってもすぐに足りなくなって、下手をすれば朝と夕方、二回も買い物に出ていたが、一週間も経過すれば、色々と要領もわかってくる。
今は、あれこれよけいな物ばかり買おうとするイリスに声をかけて引き戻しながら、カイゼルはさくさく買い物を済ませて行く。
「おい、イリス行くぞ! こっちはもうすんだから……」」
と、不意に周囲のざわめきが薄れる。それに気づいて顔を上げると、混み合っていた大通りの人並みが割れ、そこから一人の女が現れる。
誰もが、彼女の姿に一瞬目を奪われていた。
「何、あれ?」
イリスが眉根を寄せる。
無理もない。女の姿は、あまりにも場違いに思えた。
黒く光る布地でできた、膝下丈のドレス。ふわりとカールした金髪を、レースやリボンで飾っている。顔の半分をベールで覆っている為、表情はよくわからなかった。
と、彼女とカイゼル達の間を、荷物を満載した手押し車が通過する。そこで女は、指先のない手袋に包まれた手を、優雅に振るって見せた。何かを手繰るような動きで。
「うわぁっ!」
悲鳴は、荷台を押していた男からだった。急に荷台の真ん中が切断され、破れた荷物から大量の穀物が道にばらまかれる。呆然としている男や、群衆の前で、女は再び腕を振るった。
今度は、周囲から次々と悲鳴が上がり、声を上げた者達がばたばたと倒れる。
全員、身体の一部をすっぱり切り裂かれ、突然の出来事に為す術なくのたうち回っている。異常な光景を見せつけられた場は、嵐のような混乱に陥った。逃げまどう者達、それに押しつぶされそうになる商品を守ろうと怒鳴り散らす男。怪我をした者をどうにか引っ張ろうとあがき、警察を、と叫ぶ声がする。
カイゼルとイリスは、あまりの出来事に呆然とし、声も出せなかった。
それでも、カイゼルは何とか足を動かし、イリスをかばうように前に立つ。
「逃げよう。多分、俺が狙いなんだ」
「カイゼル……」
イリスがすがるようにカイゼルの服の端を掴む。
女はカイゼルの姿を認めると、ゆっくり歩いて来る。もうその頃には、彼女の進路を妨害する者は、誰一人残っていなかった。
「あなた、つかまえる。でも、他いらない」
彼女は不健康そうな色で塗られた唇を歪め、笑う。
「だから、殺す」
カイゼルは次の瞬間、凍り付くような恐怖を覚えた。
女は腕を上げ、眼前で交差させる。そして十本の指をひらめかせ、一気に振り下ろした。
彼女の周囲にあった店やそこに並ぶ商品が、あっけなく分断される。だが、それをなすものの正体は見えない。
と、迫り来る破壊の中、わずかに光を反射する筋が見えた。
(糸……?)
だが、考えている間はない、イリスを押してカイゼルは、場から逃れようと走り出した。
それでも不可視の武器の方が早い、それらはカイゼルに攻める位置をわざと知らせるように、周囲を切り裂きながら進んでくる。背後から迫ってくる破砕音に、カイゼルは焦りに息が詰まり、もつれそうになる足を何とか前に押し進める。
きぃん、と硬質な音が響いた。
不意に連鎖的に起こっていた破壊が止まる。
顔を上げると、ギーヴルが段平を顔の前に掲げた格好で立っていた。
彼は目を白黒させているカイゼルにいらだちの混じった声で叫ぶ。
「ぐずぐずすんな、はよ行けっ!」
「ギーヴル、何で……」
現れた事には驚愕したが、考えてみれば、買い物に行く時間帯も場所もほぼ決まっていたので、ギーヴルはアパートに姿の見えない彼らを追いかけて来たのだろう。
「ごたくはええから散れっ! 鋼糸使い相手にいつまでも他人かばってられへんのや!」
「鋼糸使い……?」
聞きなれない名称に、カイゼルは首を傾げる。
だがギーヴルは彼にそれ以上回答を与える事をせず、女に向かって走り出す。段平を振り回しながら。だが、でたらめに振り回しているように見えたが、剣の動きに合わせて、あの金属音が響く。
よくよく目をこらしてみれば、ギーヴルが段平で何かを弾く度に、わずかに極細の糸のようなものが光って見える。それらはすべて、女の手につながっていた。
どうやら今までの現象は、あの金属のような糸が引き起こしていたようだ。
ギーヴルは糸を剣で弾き、あるいは薄く服や髪を切り裂かれながら女に近づいて行く。
不意に、ギーヴルは前につんのめるような動きを見せる。と、段平がバラバラに分断され、手元には、握りとわずかな刃だけが残された。
「このっ!」
ギーヴルは舌打ちして役立たずになった段平の残骸を捨てると、一度相手と距離を置く。そうして彼は未だに動けずにいたカイゼル達に向かって顔も向けずに叫んだ。
「お前ら、まだおったんか!」
「ご、ごめん」
「ええから、その剣よこしてさっさと消えろ!」
ギーヴルは走って来ると、カイゼルが腰に履いていた剣を奪い、再び女に向けて突っ込んでいった。
「ギーヴル?」
「ちょっと、カイゼル。行くわよっ!」
「けど、あのままだと……」
「私達にできる事なんて、今はないのよっ! さっさと逃げて、警察でも傭兵ギルドでも、走り込んで助けを求めるの!」
イリスの言葉は、おそらく正しい。彼女の言う通り、カイゼル達が手を貸したところで、あの糸に切り刻まれて終わりだろう。
だがカイゼルは、イリスの手を払った。
「イリス、お前が行け。行って、ヘスペリアさんに伝えるんだ!」
「カイゼル……?」
「頼む、行ってくれ!」
イリスはまだ何か言いたそうにしていたが、それでも、踵を返し、走って行った。
カイゼルはそれを確認すると、左手の手袋を脱ぎ捨てる。そこには、銀色の装身具が収まっていた。腕輪と指輪をつなぐ細い鎖、その間を透明な石が揺れている。
世界で唯一魔法という現象を生み出す鉱石〈マテリア〉。
左手の器物に、そっと右の手のひらを重ねる。そこから、淡い波動が伝わってきた。
マテリアは、そこに在るだけではただの石でしかない。石を通して力を汲み上げ、収束し、目標に向かって撃ち出す。そこまでしてようやく力は世界に具現化する。
しかし制御は恐ろしく困難を極める。
ひとつ加減を間違えば、集めた力は即座に己に降りかかってくるのだ。
カイゼルは膨れあがった力をまとめ、そして方向を定める。
鋼糸使いに向かって。
次の瞬間、手の内より放たれた力は、一直線に疾走する。
「ギーヴル、伏せろーっ!」
カイゼルの叫びに、ギーヴルは弾かれたように動き、その場を転がる。
駆け抜けた力は女を捉え、数秒の間、女は抵抗するような動きを見せたが、それもむなしく後ろ向かって猛烈な勢いで吹き飛ばされた。
そして無人となった店先に叩きつけられ、その上を、崩れた商品が埋め尽くす。
「……やりすぎたかな」
いくらなんでも、女性相手に強烈すぎたかと、カイゼルが後悔していると、ギーヴルが歩み寄って来るのが見えた。
「相変わらずやなぁ、カイゼル……っ!」
と、ギーヴルの顔が強張る。視線が、彼の後ろを通過する。それに気づいたカイゼルは、振り返ろうとして、肩に置かれた手に動きを止められる。
「マテリアの制御、見事でしたよ」
そこに立っていたのは、眼鏡の男……ファルゼンだった。
青年はどこ、からかいを含んだ笑みをカイゼルに向ける。
「ちょっと失礼」
言って、カイゼルの左腕を取る。いきなりで、しかも逆間接に腕をねじられた為、カイゼルは苦痛に声を漏らす。
ファルゼンはカイゼルの声など無視して左手を眺めると、口元を歪める。
「そういうことか……」
その表情が意味することなど、カイゼルは知る由もない。腕を外そうともがくが、青年の力は存外に強い。
「くっ! このっ、痛いって!」
左腕の装身具……そこにはまっている石が、淡く光る。それを見たファルゼンは、苦々しげな顔をする。
「目障りだな」
ぱきり、とどこで乾いた音がした。
「離せぇっ!」
ファルゼンは唐突に腕を離す。カイゼルはふらりとよろめいたが、倒れることはせず、振り向き様に左腕を青年に向ける。
「吹っ飛べっ!」
力を集めようとした、その時。
違和感が、あった。
常のように、世界の流れに腕を突っ込むが、その反応が違った。
(流れが……おかしいっ!)
と、不意に、先程聞いた、小さな音がした。次いで、装身具の一部……鎖の部分が、砕けた。
「 っ!」
途端、集めかけていた力が、堰を切ったように漏れ出る。
あふれた力は一気に質量を増し、カイゼルをあざ笑うようにのしかかる。左手を突き刺し、腕、肩と這い上がり、全身を裂こうと広がっていく。
「うわぁぁぁぁっ!」
「カイゼル! 落ち着け、力を制御するんやっ!」
ギーヴルが、悲鳴を上げ続けるカイゼルの肩をつかむ。だが、身体に触れた途端、静電気のような痛みが走り、思わず手を離す。
「ちぃっ!」
その間に、装身具は力に耐えかね、腕輪の部分に亀裂が走り、指輪は砕ける。行き場を失った力が発光し、その度にカイゼルの身体を傷つける。
「おやおや、自滅かい?」
ファルゼンは、面白そうな顔をし、事を眺めている。
「てめぇ、なんか細工したんかっ!」
「邪魔だったからね。けど、このまま死なれても、困るな」
ファルゼンはカイゼルの側まで歩み寄ると、無造作に腕をつかむ。ばしばしと火花が散るが、まったく意に介した様子はない。
そして ファルゼンは、ギーヴルを見やる。
「お前も、もう不要だ」
彼とカイゼルの間で、暴走をはじめていた力が瞬時に形を成す。
収束した力は、撃ち出され、ギーヴルを貫いた。
ゆっくり後ろに向かって倒れていく姿を、カイゼルはただ見ていた。
どうと倒れた身体。じわりと赤黒い染みが、石畳の地面に広がっていく。
「ギーヴル……」
左手の器物が割れ、地面に落ちた。そして……マテリアもまた、砕け散る。
不意に脱力感に襲われ、カイゼルはその場に座り込んでしまう。
ファルゼンに腕を掴まれたままの格好で、カイゼルは動かないギーヴルの姿を凝視していた。
「……ギーヴル…………」
呼んでも、起き上がる気配はない。
呆然とするカイゼルに向かって、強く風が吹きつける。突風に、思わず目を伏せた。次に顔を上げたとき、カイゼル達の前に何者かが立っていた。
「な……」
唐突な出現。それには、覚えがあった。
西側に渡った後、ドラゴンの出現する湖で、その人は同じようにいきなり現れ、そして消えて行った。
「出たな」
ファルゼンは急に高潮した様子で前に乗り出した。未だに腕を捕まれたままだったカイゼルは、一緒になって引きずられる。捕まれた腕の力も強くなり、カイゼルは骨がきしむような痛みに顔を歪める。
現れたその人は、ゆったりとした衣装を微風にはためかせている。
空を映したような色の髪が、伏目がちな顔を覆っている。背は高い部類に入るだろう。しかし、どうにも男女の区別がつかない顔だった。
幼さの残る顔立ち。華奢な体型と相まって、背の高い女性か、少年のように見える。
「ようやくお出ましか。いつもながら遅いな」
「 その子から、離れろ」
その人は、低く感情を抑えた声で言った。
「それよりも、後ろの奴の方が危ないと思うが。今ならまだ、助かるかも……」
「離れろっ!」
鋭い叫び。こちらにはっきりと顔を向ける。その瞳は真紅。
ファルゼンはその様子を眺め、次に、さもおかしそうに笑うと、カイゼルの左手をつかんで上半身を持ち上げ、もう一方の手で左腕のひじの辺りをつかむ。
大した力もかかっていないように思えた。だが、ごきりと嫌な音を立て、左腕がぐらりと揺れる。
骨が折れたのだ。
「 がぁぁぁぁっ!」
苦痛に、カイゼルはのたうつ。
「離れてやったぞ」
ファルゼンは、折れてしまった腕を放すと、酷薄な笑みを浮かべる。
その人は蒼白な顔でカイゼルに駆け寄り、抱き上げた。そして痛みに顔を歪める彼を見やると、ファルゼンに向かって怒気のこもった目を向ける。
「 何をするっ!」
悲鳴のような声。ファルゼンはその様子を楽しそうに眺め、笑声を漏らす。
「相変わらず、子供一人に甘いことだ」
「なぜ、ここまでするんだっ!」
その人の叫びに、ファルゼンは笑い出した。気が触れたのかと思うほどの唐突さに、相手も一瞬言葉を失う。
やがて、始まりと同じくぴたりを笑いを収めると、ファルゼンは言った。
「そう、その顔が見たかったんだ。貴様がそうやって、うろたえ、泣きわめいている姿をな」
「 っ!」
ごぅんと音がするほど猛烈に空気が動き、怒りのままに放たれた不可視の刃が、ファルゼンを切り裂く。
ファルゼンは全身をなます切りにされ、血を振りまいて倒れた。
「…………」
その人は、荒く息を吐いている。そして、己が行った行為に気づいたのか、不意に、泣き出す寸前のように顔を歪める。だがカイゼルが痛みに声を上げると、ようやく動き出した。
「ごめんね」
小さくいって、カイゼルの左腕に軽く触れる。それだけで、痛みが引いていく。いや、歪んだ腕が、徐々に元の形状を取り戻して行った。
それが一通り終わると、その人はカイゼルを地面にそっと横たえた。
「後で、もっときちんと治してあげる。今は……彼を助けないと」
「……待って。待ってくれ」
カイゼルは右手を上げて服の裾をつかもうとする。だが、その手はするりとかわされた。
「 ごめん」
顔も向けず、その人は足早に倒れたギーヴルの元に駆け寄り、カイゼルと同じように身体に手を触れさせる。
すぐにギーヴルの身体が、反応を見せる。指先が動き、とても弱々しかったが、やがて起き上がる。上半身を起こすと、目に入った人物の姿に、驚いたような顔を見せた。
そして……ゆっくりと、非常にもどかしい動きで、傍らに膝をついていたその人を、抱き寄せる。
その人は、自分から腕を回すことも、その手を解くこともなく、ただされるがままになっていた。
ギーヴルの右手が、何かを探すようにさまよう。その手は目的のものを見つけたのか、それをつかむと、静かに引き寄せた。
「……ギーヴル?」
なんで、今そんなものがいるんだよ。
カイゼルは、胸中にざわめくものを覚える。
その人はギーヴルの肩に顔を埋めるようにしている為、彼の行動に気づいている様子はない。
剣なんか、いらないだろ?
「ギー……」
言葉は、最後まで続かなかった。
カイゼルの上に、影が落ちる。
そして、剣をつかんだギーヴルは、逆手に持ち替えると、その人の無防備にさらした背中に向けて、一気に突き下ろした。剣は狙い違わずその人の背を貫き、さらに容赦なく埋め込まれた刃先は、ギーヴルの背から突き出る。
「……っ!」
その人の目が、驚きに見開かれ、問うような眼差しをギーヴルに向ける。
ギーヴルは、笑っていた。口の端を歪めた、陰湿な笑み。
「なに…………?」
「残念だったな」
背中にかかった声に、その人は不自由な体勢のまま、首だけを巡らす。
そこには、ファルゼンが立っていた。
「俺の方が、早かったな」
「っ、このぉ……」
その人が動こうとすると、剣にかかっていたギーヴルの手はぱたりと落ち、そのままぐったりと身体を預けてくる。
「どうも、長くはもちそうもないな。しかし、お優しいお前のことだ、その男を見捨ててまで、俺を止められるかな?」
その人は、何か言い返そうとして言葉に詰まる。二人を刺し貫く、その突き出た剣先から、鮮血が滴り落ちていた。
「なぜ、こいつがお前を剣を向けたのか、知りたそうだな」
ファルゼンは、自分の頭部を指さす。
「眼が、必要だった。俺だけでは、欠片は探しきれん。だから、こいつに手伝ってもらった次第だ。だが身体を乗っ取ったのは、ほんの一瞬のこと。残念なことだが、今の俺に二人以上を同時に支配下に置くことは難しいからな」
「欠片を……彼に、使ったのか!」
「当然だ。情報を中継する為には、必要だろう? まぁ、こっちの欠片も見つかったし、のこのこ出てきたお前に一泡吹かせてやることもできたからな。もう、眼は必要ない。暇なら、後でその欠片でも抉り出しておいてくれ、その程度を消されても、今更こちらは何の痛痒も覚えないがね」
「 っ、よくも、こんな真似を……」
「お前と違って、こちらは色々と制約が多いのでね。おっと、長話をして、また身体を傷つけられても困るからな。もらっていくぞ、最後の欠片」
「何、これ……」
ヘーゼは呆然としていた。
破壊された商店、散らばった物品の数々。
そして……未だに乾ききっていない、血痕。
「カイゼルは、どこに行ったのよ……」
イリスの問いに、答える者はない。
その場に何があったのか、ようとして知れなかった。
ただ、その声だけが……引き裂かれるような痛みを抱えた叫びが、辺りを支配していた。
倒れたギーヴルを抱える者は、彼らの見知った顔ではなかった。
それでも、声は彼らにも突き刺さる。
まるで魂が引き裂かれるような……そんな叫び。
慟哭。
何がその人をそうさせたのか、彼らには、まだわからなかった。
<欠片を継ぐ者 終>
次回「異邦の待ち人」へ続きます。




