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6-3「枢機卿」

   三章「枢機卿」



 カイゼルは立ち止まると、眼前の建物を見上げる。

「……ここか」

 倉庫街は、その名の通り、同じような形をした建築物が並んでいる為、最初はどう進んでいいものかわからなくて途方に暮れた。

 それでも、しばらく歩き回るとイリスの調べた地図と合致する場所を見つけたので、そこからは楽に歩く事ができた。

 おそらくここが、相手の指定した二十四番倉庫に間違いないだろう。暗くてわかりにくかったが、大扉の上の方に、ペンキで二十四番と描かれているし、その扉も、わずかに開いている。

「…………」

 忙しなく打ち鳴らされる胸を押さえながら、カイゼルはゆっくりと扉に向かう。

 中の様子をのぞこうと、少し前屈みになって暗闇に目をやったその時、扉の隙間から腕が伸び、カイゼルの胸ぐらを掴むと力任せに中に引き込んだ。

「   っ!」

 そのまま床に叩きつけられそうになったが、寸前で身体は止まり、ゆっくり下ろされた。

 ぺたりとしゃがみこんでしまうと、後ろでカイゼルを引きずり込んだ男が扉を閉めてしまう。

「   いらっしゃい」

 声に、ぎくりと身を強張らせる。

 背後で扉はぴったり閉められ、男はカイゼルをせかすように肩を叩く。ようやく立ち上がったカイゼルは、倉庫の中程に立っている女を見た。

 赤い髪を高く結い上げ、丈が長めのコートを羽織っている。第一印象は、派手そうな感じだった。そして、他には複数の男達がいるのが見える。

 女の正体は、マナールだった。だが、その名をカイゼルが知るわけもなく、そして、共通の知り合いである男の姿もその場になかった。

 マナールはポケットに両手を突っ込み、どこか楽しそうな笑みを浮かべていた。

「ご苦労様。まさか、本当に来るなんてね。少しは疑う心とかなかったの?」

「……精一杯裏まで読もうと努力はさせてもらった。けど、わからなかったんでね。正面から来たんだ」

「正直ね。そういう子供らしい発想も、悪くないわ」

 くつくつと、喉を鳴らして笑っている。そんな相手の態度に、カイゼルは無性に腹が立った。

「で、あんた達の目的は何なんだ!」

「知れた事、あなたをシンフォルン聖教国まで連れて行くの」

「それはわかってる。知りたいのは、俺が何に利用されようとしているかってことだ!」

 マナールは艶っぽい笑みを見せ、ゆっくりとカイゼルに向けて手を差し出した。

「聞きたいなら、話してあげる。さぁ、いらっしゃい。あなたは賓客よ。面倒さえかけなければ、こちらで用意できる最高のもてなしで送ってあげるし、あなたの知りたい事も、道々話して聞かせてあげるわ。けど拒否するなら、目的地に着くまで木箱の中にでも詰めてあげるわ」

 カイゼルはマナールの伸ばされた指先を見ると、視線を笑っている顔に動かす。

 あの笑みは、絶対的な余裕を秘めた顔だ。

(ちくしょう…。冗談じゃない、このままだと俺は罠にはまりに来ただけの馬鹿だよ!)

 焦りを覚えるカイゼル。

 少年の沈黙。マナールはその裏の感情に気づいているのか、さらに笑みを深くする。

 そして、周囲の男達がじりじりとカイゼルに迫り寄る。

「これはこれは……。ずいぶんと楽しそうですね」

 突然発せられた声に、カイゼルだけでなく、全員がその声の方角に顔を向ける。

 カイゼルが振り向いたその先に、一人の男が立っていた。

 年の頃は二十歳過ぎだろうか。視力矯正器具   眼鏡をかけ、白い、聖職者のような格好をしている。

 その青年は、場の雰囲気とは合わない穏やかな笑みを浮かべていた。

「お前はっ! 枢機卿っ?」

 叫んだマナールの声には、驚愕と……憎悪があった。

 他の者達も、似たような感情をこの男に抱えているらしく、一気に彼らの関心がカイゼルから離れてしまう。

 状況から放り出されたカイゼルは、険悪そうな彼らの間に挟まれてしまい、その突き刺さりそうな空気の中、思わず小さくなる。

 しかし枢機卿と呼ばれた青年は、そんな場の雰囲気を逆に楽しんでいるのか、のんびりとしていた。

「いいですねえ、その顔。私が突然現れただけで、誰もが馬鹿みたいに驚いて」

「どうやって入った。と、聞くのは愚問のようだな」

 マナールがちらりと見た先には、開けられた形跡のない扉があった。鍵はかけていなかったが、それでも、誰にも気づかれずに開けて閉めるという行為は不可能だろう。

(誰なんだ……)

 カイゼルは突然の来訪者に、混乱する。互いに顔見知りのようだが、マナール達の態度はどうにも相手に対して好意を持っているとは思えない。

 青年は線の細い顔に笑みを乗せ、男達の殺気などものともせず、ゆったりと近づいて来る。

「探しましたよ。待機命令が出ているというのに、勝手に国を出てはいけませんねえ。これは懲罰ものですよ」

 相手の言葉を、マナールは鼻で笑う。

「ファルゼン枢機卿ともあろう方が、わざわざ隣国まで我々を連れ戻しに来たのですか?」

「まぁ、よそで面倒を起こされても困りますので、そうしたいのはやぶさかでないのですが、いかんせん、こちらの馬車は、定員が少ないのです。あなた達全員を乗せて帰るなんて、とてもできませんよ」

「ならば、何をしに来たっ!」

「まぁ、後一人か二人なら、乗せてあげても良いですよ」

 青年……ファルゼンはわずかに顔を動かす。向いた視線の先には……場の流れに取り残され、動けずにいた、カイゼルの姿があった。

 それに気づいたマナールの顔に、さっと朱が走る。

「っ! 最初から、我々がこうすると知って泳がせていたのかっ!」

 ファルゼンは答えず、ずれた眼鏡を押し上げる。

 その落ち着き払った様子に、マナールもまた、多少の冷静さを取り戻したようだ。

「ふふっ……。そうね、踊らされた事は、ものすごく腹が立つけど、その為に教会の奥から枢機卿一人でのこのこ出て来るなんて、正直意外だったわ。けど、それはこちらにとっても好都合よ。衆目を気にせず、すましたあんたの顔に一発入れられるチャンスなんて、そうそうないからね」

 周囲に集まっていた者達が、それぞれに武器を取り、青年を取り囲む。それを見た彼は、眼鏡にかけていた手を下ろす。

 奇妙な笑いが、ファルゼンの顔に浮かんだ。

「……楽しい奴らだ」

 優しげな笑顔は消え失せ、どこか屈折したような表情を浮かべる。

「貴様らが、俺をどうにかできると、万にひとつでもその可能性を信じる、その愚かしさ……まさしく、喜劇そのものだな」

 失笑が漏れ聞こえる。ファルゼンは、嘲るような笑みと共に、言った。

「馬鹿な奴らだ。しかし、非常に残念だが、一人も生かしておくつもりはないのでね」

 ぞくりと背筋に走る悪寒を押さえ、カイゼルは唾を飲み込んだ。青年の表情や口調、すべてが最初と異なるものに切り替わっている。

 ファルゼンはおかしそうに唇を歪める。凄絶な笑みが、その顔に広がる。どんな悪鬼よりも、恐怖を誘う空気を纏っていた。

「朽ちて、消え去れ」

 彼は、場を一歩も動かなかった。

 だが、何かが動き出す。

 それらは、ファルゼンの周囲を囲んでいた男達を捉える。カイゼルもその断片を感じた。それは炎を前に体感する、熱気のような空気の流れに似ている。だが、熱もなく、色や匂いもない。

 だがそれらは炎よりも恐ろしいものだった。

 男達の身体がびくんと跳ねる。

 彼らは驚愕に目を見開き、己の身体に目を落とし、その変化に悲鳴を上げる。

 全員の皮膚に深いしわが刻まれ、頭髪は一瞬にして白く変わる。肌は水気がなくなり、目は乾いて落ちくぼむ。骨と皮ばかりになった姿で、それでも不明瞭ながら声を上げ、助けを求めるように腕を……呆然と驚愕に立ち尽くすマナールに向けて伸ばした。

 マナールとカイゼルだけは、その現象からは切り離されていた。

 彼女は、眼前で繰り広げられる異様な光景を瞬きもせずに見ていた。何かに怯えるように、全身を小刻みに揺らして。

(怖がっている……いや、違う)

 確かに、恐怖を感じているのだろう。しかしマナールの状態は、どこがずれているように思えた。

(何か……何かを、思い出している?)

 現在の光景を通じて、過去の何かに怯えている。

 彼女の恐怖の根元まではわからなかったが。

 そして……男達の身体が、痙攣しながら徐々に崩れ落ちていく。まるでその姿が幻であったように。

 後には、一人の人間としてはあまりに少ない塵が、はらはらと周囲に散った。

 マナールは散りゆくそれに、引きつったような悲鳴を上げる。不意に、ぷつりとその音が途切れたかと思うと、彼女はそのまま倒れた。

 その場は、意識を失ったマナールとカイゼルだけが残される。

 ファルゼンは床に残った塵をひとしきり眺めると、カイゼルに向き直った。

「ほぉ。この子供が、貴様達の生き残りをかけた鍵だったというワケか」

 ちらりと目を向ける先には、倒れ伏したマナールの姿があった。

「しかし今となっては、すべて手遅れだったな」

 呆然と立ち尽くすカイゼル。彼は頓着せず、ゆったりと彼に向かって歩を進める。

 と、唐突に破裂音が響き、彼らの間に何かが打ち込まれた。

 床に放射状に走ったひびを見て、カイゼルはようやく金縛りのように硬直していた状態から抜け出す。そして今度は響いた声に驚愕した。

「   それ以上っ、カイゼルに近寄るなっ!」

 見上げた先には、銃を構えたヘーゼの姿があった。

「ヘーゼ?」

 彼は倉庫の窓外から、こちらに銃口を向けている。窓は二階建てに相当する高さにあり、内側なら足場があるが、外からだとどうやってものぞけない位置にある。おそらく、積み上げられた荷物にでも乗っているのだろう。

「カイゼル、もう無理だよっ! 早く逃げてっ!」

「……そうしたいのはやまやまだけどな」

 ヘーゼの言う通り、さっさとこんなところから尻尾を巻いて逃げ出したい。

 ここから見ても、ヘーゼが怯えきった顔をしているのがわかる。震えているのか、銃口も上下にぶれていた。

「それよりも、お姉さんはどうしたんだよっ! ちょっと遅すぎないかっ?」

「え、と……今、イリスがちょっとね、おかしいな、ははは……」

「うつろに笑ってる場合かっ!」

 カイゼル達は、結局まともな作戦ひとつ練ることができず、アパートメントで無駄に時間を浪費していた。だが、多大な不安を抱えていたカイゼルの前に、調べものをするといって出て行ったヘーゼが、ヘスペリアと一緒に帰宅した。彼女曰く、何も聞かなくとも、弟の顔を見れば話を聞くよりも早く事が理解できるそうだ。

 そして、大まかな話と、例の紙を見せたところ、ヘスペリアは待ってましたとばかりに立ち上がった。

 どうも、傭兵ギルドに指定場所付近の倉庫一帯を所有している者から、最近、空き倉庫に何者かが出入りしているので、警護と、場合によってはその不審人物を追い出す為に力を貸して欲しいという依頼が来ていたらしい。

「近々下見に行こうと思っていたところだ、ついでに、血の気のある男達を集めて乗り込んであげるよ」

 言うと、楽しそうな顔で出て行ってしまった。

 そしてカイゼル一人が場に赴き、決定的な場面を集めた仲間で抑えるということになった。

 ……のだが、ヘーゼの慌てぶりを見ると、その傭兵達が、未だ現れていないようだ。おそらく、イリスが近くにいるはずの彼らを探しに走り、ヘーゼは内部の様子に焦りを覚え、思わず発砲してしまったのだろう。

「で、どうするつもりかな?」

 ファルゼンは、窓外のヘーゼに揶揄するような口調で言った。

「その銃で、俺を……人を、殺せるのか?」

 その言葉に、ヘーゼはびくりと身体を震わせる。

 ヘーゼの銃の腕前は、カイゼルもよくは知らなかった。それでも、先程は彼と青年のちょうど間に弾を撃ち込んで見せた。威嚇するだけなら、天井にでも発砲すればいい。それをしなかったということは、狙えば確実に命中させることができるからに他ならない。

 だが、床と人間は違う。

 ヘーゼは見ていて哀れなほどに、追いつめられた表情をしている。かたかたと震える銃口。

 ファルゼンは黙ってその様子を眺めていたが、やがて飽きたのか、ついと顔をそらすと、小馬鹿にしたように笑った。

 その時、青年の眼鏡の奥にある双眸と、カイゼルの瞳がかち合う。

 一瞬の交錯。カイゼルは電撃を受けたように身をすくませ、ファルゼンはわずかに目を細めると、唇の端を歪ませる。その表情が何を意味するのかを考える前に、彼は顔を動かす。

 ヘーゼの立つ、窓に向かって。

「   ヘーゼっ!」

 逃げろ、と叫ぶ。その声が終わる前に、カイゼルの背後から、銀光が駆け抜ける。

 撃ち出された光は、ファルゼンの肩口にざっくり埋まる。衝撃に青年の身体がよろめき、後ろに倒れて行く。

 ほぼ同時に、ヘーゼの立っていた辺りの窓が、壁ごと粉砕した。耳をつんざく爆音と、衝撃波に吹き飛んだ細かな建材が、激しく身体に当たる。

「うぅ……っ。ヘーゼ、ヘーゼっ!」

 舞い上がった粉塵の向こうに見えた窓は、ぽっかりと穴が開き、夜空がのぞいている。 

「大丈夫や。直撃はしてへんはずや」

 その声に、カイゼルは弾かれたように振り返る。

「ギーヴル……なんで、ここにいるんだ……?」

 ぽかんとした顔で見上げるカイゼル。それに対してギーヴルは、不機嫌そうな顔をしているだけだった。

「つべこべ抜かすな。   なんやねん……」

 後半は、カイゼルに向けられたものではなかった。

 見ると、ファルゼンは肩口にナイフを埋めたまま、涼しげな顔で立っている。二人分の視線に気づいたのか、彼はナイフに目をやると、何の躊躇もなく引き抜いた。それまで栓の代わりをしていたナイフがなくなった為、傷口から大量の血液があふれ、床を叩く。半身を赤く染めながら、それでも彼は平然とした様子でナイフを捨てた。

 からん、と乾いた音を立て、ナイフが床に落ちる。

 カイゼルはその音に、びくりと身体を震わせた。

(何なんだ……)

 眼前の存在に、カイゼルは薄ら寒いものを覚える。あれだけの傷と出血。普通なら、痛みでのたうち回るか、意識を失ってもおかしくはない。

 そして……先程から繰り広げられる、得体の知れない現象の数々。

 吹き飛ばされた壁。人間だった塵。それも、先の爆風で吹き飛ばされ、もはやどうなったのかもわからない。

(ヘーゼは……大丈夫なのか?)

 思わず、確かめに走り出したい衝動に駆られたが、場の雰囲気に、動けない。

 カイゼルは、手袋の上からその下に隠されたマテリアを掴んだ。

 対して、ファルゼンはこちらの様子など、まったく気にしていないような素振りで不敵に笑む。

 そして、再びあの穏やかな声でしゃべり始めた。

「どうやら……互いの思惑にすれ違いが生じている様子。あなた方は何か勘違いされているようですが、こちらはその子供を保護しにやって来たのです。そのように警戒されては困りますね」

 だが、表情は、あまり改まってはいなかった。

 むしろ、丁寧な物言いと、他者を見下したような表情の差が、妙に癇に障る。

「枢機卿、とか呼ばれとったな。ここまで暴れとって今更、なに言うとるんや」

「それはこちらのセリフです。もとより、その子供は<球状の楽園>に籍を置く存在。いわば里帰りをしようとしているだけの話……邪魔をされるいわれはありませんよ」

 さも心外だとばかりに、彼は首を傾げる。

「一体、さっきから何の話だよっ!」

「君は、シンフォルンの子なのですよ。デリス」

 唇の端をつり上げ、ファルゼンは肩をすくめた。

「…………」

 カイゼルは何も言わない。いや、答えられなかった。

 頭の中で、青年の言葉が幾度もめぐる。

 さらに彼は、畳み掛けるように言葉を続ける。

「君は、シンフォルンに向かおうとしていた。違いますか?」

「   待て」

 ギーヴルが、カイゼルとファルゼンの間を割るように入って来る。邪魔をされたことに、彼はわずかに不愉快そうな顔を見せた。

「まだ、こいつを持って行かれるわけにはいかんのや」

「なぜそこまで必至になる。君にとって、その行動は何か意味があるのですか?」

 そこで青年は、何かを思い出したのか、不意に意地の悪い顔をする。

「それとも、奴を待っているのか?」

「……っ!」

 ギーヴルは、青年の言葉に驚いたような顔をする。

「   そこまでにしてもらおうか」

 からかうようなファルゼンに応じたのは、ギーヴルではなかった。

 声は、青年の真後ろからだった。

 鈍い破裂音が響き、彼の右腕が弾かれたように跳ね上がり、それを追って赤の飛沫が散る。

「足は撃たないよ。自分で歩いてもらわないといけないからね」

 ファルゼンはだらりと腕を落とす。右の袖からは、赤がおびただしい勢いで広がる。

 銃口を青年に押しつけ、ヘスペリアは静かに告げる。

「次は、左腕を撃つよ」

 ファルゼンがわずかに動こうとする、途端に彼女は、腰のホルスターからもう一丁の銃を抜き、素早く頭に向ける。

「うちの弟が吹っ飛ばされるのが見えてな。とりあえず、乗り込んできた」

「そうだ! ヘーゼは!」

 カイゼルの叫びに、ヘスペリアはそっけなく答えた。

「イリスが介抱しているぞ」

「え……イリスが……?」

 何となく、不安を覚えたが、今はそこを突っ込んで考えている余裕はなかった。

「さて、どうしようかね。腕もしびれてきたし、さっさと終わらせようか」

 ヘスペリアは、ファルゼンに銃口を向けたまま、さも面倒くさそうにしている。

「ほう、私とやり合うつもりかな」

「あんたとやるって? 勘弁してくれ」

 ヘスペリアは、銃口をファルゼンから外す。

「弾がもったいない」

 一歩下がり、彼女は正面の出入り口に顔を向ける。そこでは旦那のマキシがようやく重い扉をこじ開けて入って来るところだった。しかも、なにやら大きな荷袋を背負い、そこから剣の束や、色々と物騒な印象の物がのぞいている。

「けど、このまま帰すわけにもいかないね。そうだ、ギルドは忙しいから、警察にでも行ってもらおうか。安心しろ、ここの警察は、うちに比べて何倍も人道的だと評判だ」

「やめてくださいよ。経歴に傷が残るような真似は避けたいのでね」

 ファルゼンはとん、と軽く床を蹴る。それだけで、天井付近にまで跳躍した。それを見逃さず、ヘスペリアは二丁の銃を構え、ポイントしたのかも怪しいほどの早さで連射する。灼熱の弾丸は、中空の身体を捉え、肉をえぐり、身体にめり込む。飛び上がった時の緩やかさとは逆に、どぉんと音を立ててファルゼンの身体が床に沈む。

「ちょっと、ヘスペリア。殺したらまずいよ!」

「次だ」

 マキシは訳がわからないといった表情で、背中の荷物に刺さっていた剣を取り、彼女に差し出す。ヘスペリアは、鞘を彼の手の中に残して剣を抜き、素早くファルゼンの喉を刺し貫こうと、逆手にして突き下ろす。

「っ!」

 細身の剣   レイピアは、身体ではなく床をえぐった。

 一瞬、ほんの、瞬きにも満たないような時間だった。

 その間に、ファルゼンの姿はかき消えていた。

「やれやれ……眼鏡が壊れてしまったよ」

 全員が、弾かれたように顔を上げる。壁際に、ファルゼンが立っていた。

 彼は先程撃たれたはずの右手で、レンズにひびが入った眼鏡を押し上げる。

「服も汚れてしまった」

 言う通り、全身が自身から溢れ出した鮮血によって染め抜かれている。

「……不死身なのか?」

 ファルゼンは肩の傷に加え、体中に穴が開いた状態で、平然と笑っている。

 カイゼルの呆然としたつぶやきに、答える者はなかった。

 ヘスペリアもまた無言で床を蹴り、瞬く間にスピードを上げると体勢を低く傾けながら、レイピアを突き出す。ファルゼンは左によけようとするが、その行く手を遮るように、矢が撃ち込まれる。

 マキシだった。彼は、射的武器の一種であるクロスボウで巧みにファルゼンの行く手をふさぐ。クロスボウは、威力と速度は高いが、矢を装填するまで時間がかかるのが欠点だった。だがマキシは、無駄のない動きで手を動かし、立ち位置を変えて矢を発射。間に合わなければダガーを放つ。その手のひらに収まるほどの短剣も、どこから出したのか見えないほどの早さだ。

 疾風のような勢いで、ファルゼンを追いつめるヘスペリア。その繰り出す技に、青年は先程のように何かを仕掛けることもせず、逃げ回るだけ。

 そして、ヘスペリアの剣がファルゼンを捉え、胸を刺し貫き、そのまま壁に縫い止める。

 壁面に激しく叩きつけられた身体。

 だが、がくりと項垂れていた頭が上がり、口の端から血の筋を流しながらも彼は言った。

「人間にしては、なかなかやるね」

 緑とも、灰色ともつかない瞳が、笑うと少し目尻が下がり、優しげな印象を与える。それでも、状況にはあまりにも不似合いな笑顔だった。

「大人しくやられてもいいが、まだ、この身体を手放すわけにはいかないのでね」

 ファルゼンは乱雑に剣を掴む。と、鋼の器物はそこからばきりと折れた。

「   っ!」

 ファルゼンは、驚愕するヘスペリアを尻目に、折った刃先を捨てる。

「さて、これでお暇いたします」

 そこで、何かに気づいたような顔をする。振り向いた先には、カイゼルがいた。

 その視線に、カイゼルはびくりを身を震わせる。その様子に、ファルゼンはさも面白そうに唇を歪める。

「こちらとしたことが、名乗るのを忘れていましたよ。私の名はエデュラス・ウル・ファルゼン。また近いうちにお会いしましょう。それでは、失礼いたします」

 ファルゼンは優雅に一礼すると、先程のように一瞬にして姿を消してしまった。

 ヘスペリアは、折れた剣先と、彼が消えた空間を眺めて息を吐く。

「……最初に、足を撃てばよかったな」

「いや、そういう問題じゃあないと思うよ」

 後ろから、旦那の疲れ切った突っ込みを受けてしまった。

 そしてもう一組、違う意味で疲労している者達があった。

 ギーヴルは、珍しく唖然とした顔をして、立ち尽くしている。

「……確かに、すごいねーちゃんやな」

 彼も何度か手を出そうとしたのだが、ヘスペリアの猛烈な勢い、そしてマキシとの連係プレーに為す術なく途方に暮れていただけだった。

「なんで管理職なんかやっとるんや……」

 同じように、何もできなかったカイゼルは、大きく息を吐いた。

「その疑問は、昔、ヘーゼと二人して叩きのめされたときに思ったよ。けど、お姉さん、なんて答えたと思う?」

「……聞かせろや」

「爪が伸ばせないから、嫌だって」



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