表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/45

5-4「鏡の欠片」

第四章 鏡の欠片



翌朝、彼らは夜明けと共に屋敷を後にした。結局、ギーヴルは一晩経っても戻ってこなかったので、自動的に置いて行くことになった。老婆に伝言を頼んでは来たが、戻って来るとは到底思えなかった。

「……なんか、雰囲気に今ひとつ臨場感がないのはどうしてなんだ?」

「そりゃあ、ハイキング気分の人がいるからでしょ」

確かに、鼻歌混じりで先を行く彼女の背を見れば、それも納得できる。しかも彼らは弁当まで持っている。これでは昨日、丘の上の廃墟に出かけた時と変わらない。

「何も全員で来なくても」

ライは顔をしかめる。やはり子供ばかり大人数で行動するのが不安なのだろう。彼はこの中で唯一化け物を直に見ていない。三人から話しを聞いているだけなので、なおさら考え込んでしまうのだろう。

「あぁ、ライ。その点なら心配なく、駄目だと言ってもついて来る人間がいるからな」

「僕は巻き込まれただけなんだけど……」

「ついでだ」

「そんなっ! 人が死んでいるのに軽く言わないでよ」

昨日の事件で、男が一人死んだ。怪我ではなく、生命が奪われた事実は、少なからず彼らを圧迫していた。

「なら、俺だって死ぬかもしれない。軽くはないよ」

「……ごめん」

すっかり肩を落としてしまったヘーゼに、カイゼルはちくりとした痛みを覚える。それをごまかすように、カイゼルはヘーゼの肩に腕を回した。

「いいさ、俺だって恐いんだ。イリスやヘーゼがいた方が、正直、気が紛れる」

「戦力的にギーヴルがいないのは苦しいけどね」

「ん……。けど、今回に限って言えば、変わらないかもしれない。あの白い奴は、剣では倒せないみたいだから」

「カイゼルのマテリアだけが頼りか……」

「それも、期待するな」

「えぇっ!」

耳元で叫ばれ、カイゼルは思わず離れてしまう。

「そんな大袈裟に驚くなよ……。考えてもみろ、昨日の攻撃は効かなかったんだからな、同じ手で相手にしても勝てるわけがない」

全員に、昨日カイゼルが感じた違和感や考えは、すべて話してあった。そんな話を聞いても、彼らはついてきているのだ。

「ちょっと、悲壮ねー。倒すだの倒されるだの、穏やかじゃないわね」

「俺達の生命が懸かってるんだ、真剣にもなるだろ」

「違うわよ。ねぇ、そもそも私達は本当にドラゴンを倒す必要があるわけ?」

「は……?」

「え、そりゃあ、直接的には関係ないし、むしろ他人だけど」

「大体、これって人間の方が一方的に悪いわよ。先に相手のテリトリーを荒らしたのは人間なのに、悪者はドラゴンだなんて、押し付けがましいにも程があるわ」

「うわ、すごい正論……」

「しかしイリス、今回は猪退治とは違うんだぞ、下手をすればロッソ・ドラーゴ全体に関わってくるんだ」

「だから、ドラゴンにとって人間の理屈は関係ないわよ。ただちょっと反撃する力が強いからって、さらに力で押さえつけるなんて、お互い何も変わらないわよ」

「やけにドラゴンの肩を持つな、何か企んでいるのか?」

「失礼ね、純粋に興味があるだけよ。だって、今まで確認されていない存在が目の前にいるのよ、面白いわっ!」

「生命の危機も、面白いの一言で括っちゃうんだ……」

「確かに、被害が出たからといって、いきなり相手を潰すのは、乱暴過ぎるな。けど、どうやって解決するんだ? 平和的に話し合いか?」

「獣と話しあって実のある会話が展開できるのかな?」

「意思疎通ができるのが人間だけだなんて、それこそ思い上がりよ」

「ずいぶん柔軟な考え方を持っているんだね」

ライは、三人の会話に目を丸くしている。

「イリスはね……。でも、妙な所で聡いことを言うけど、反面、基本的な常識の一部がごっそり抜け落ちているんだよ」

「まぁ、話し合いで解決できるようなら、それにこしたことはないけどな」

「カイゼル、すっごく年より臭い発言だよ」

「ほっとけ」



湖に近づくにつれ、足取は次第に遅くなり、さすがのイリスも口を閉ざす。一行は葬式のように重苦しい空気を伴って進んだ。

だが、それもある一定の所まで来ると、今度は一歩ごとに別の考えが浮かんできた。

「……出て来ないな」

「もしかして、話し合いをしたかったのかな?」

「だと良いがな」

昨日のように、踏み入った途端に襲いかかって来ることを想定していたカイゼルは、いささか拍子抜けしてしまった。それでも気を抜けない状況であることは変わらないのだが、予想を裏切られると、逆にどういった行動をとって良いのかわからなくなる。

一行はそんな、悶々とした気持ちを抱えながらも、無事に湖にたどり着いた。

湖の周辺は割と開けているので、差し込む日の光に湖面がきらきら光っている。大きさは、徒歩で一周して小一時間という所だろう。吹きつける風に、波のような波紋を描いている。

「ここに、マテリアが沈んでいるのか……」

「なんか信じられないね。鉱脈とかならともかく、水底の小石にそんなものが含まれているなんて」

「鉱脈ならあるよ」

ライの言葉に、全員が彼に注目する。

「ほら、向こうに遺跡が見えるだろう。あそこからこの湖に向かって一直線に、硝子谷が開けていた痕跡が残っている。今はほとんど風化しているし、上から木も生えているからわかりにくいけどね」

「巨人の爪痕……」

「どうしたんだ、ヘーゼ」

「ん……。あの遺跡って、ものすごく壊れていたよね。まるで、大砲の弾でも……いや、それ以上の何かが当たったみたいに」

 壁面も崩れ落ち、かろうじてそうだとわかる形状しか残っていなかった城の廃墟。

 だがカイゼルは、首をかしげる。

「待てよ。なら、そんなすごいものが硝子谷を作り、この湖に落ちてきたのか?」

現在まで、硝子谷のように特殊な地形ができあがった理由は解明されていない。定説がないぶん、様々な憶測が飛び交う分野でもある。その中ではヘーゼのように、『何か』が落下した際の痕跡だという主張も存在した。

「それが……あの化け物だと?」

「わからないけど」

ヘーゼの考えを、否定する要素は何ひとつ存在しない。むしろ、『異界から来た化け物』とでも括ったほうが、まだわかりやすい。

「まぁ、とにかく、その谷にあったマテリアが、この湖に集まってしまったと?」

まったく解明されない謎を前に、ライはひどくたよりなさ気に笑った。

「そう考えるのが妥当かな」

カイゼルは改めて湖に向き直る。

「異界の獣か……」

一体、何を思ってこんな場所に落ちてきたのか。

それとも、相手も予想していなかったのか。

だとすれば……

寂しい。一人は、嫌。

「え……?」

その時、カイゼルの目の前で何かが弾けた。

鼓動が急速に早くなり、息が詰まる。目の前の風景が遠ざかり、視界が狭くなる。

周囲の音が掻き消えた。

カイゼルが小さく叫んで息を呑む。視界が暗転し、次に、白く染め上げられる。

次にカイゼルが息を吐くと、突然、イリスの声や葉擦れの音が一斉に飛び込んできた。

思わず目をこすると、湖は何事もなかったかのように、静かに波紋を広げていた。

「カイゼル、どうしたのぼんやりして」

「え? あぁ……」

あいまいに答えて顔を上げる。と、その時、湖の水面が渦を巻き始めた。

カイゼルたちは驚きに後退る。水面はさらに盛り上がり、激しく水柱を吹き上げた。水柱は森の木よりも高く上がると、再び水面に落ちて行った。その瞬間、カイゼルたちは息を呑む。水柱の奥に、白い獣が鎮座していた。その足元は、波立つ水面の上にあった。

「出てきたな……」

「ど、どーするの! 話し合いに持ち込むの?」

恐怖のあまり、溺れている人間のようにしがみついてきたヘーゼに辟易しながらも、カイゼルは白い獣から視線を外すことはなかった。

白い獣は、そうと気づかせないほど静かな動きで立ち上がる。たてがみが風もないのに揺らめき、両眼はただ深く静かにこちらを見据えていた。

「できそうなら、そうしたいところだが……」

白い獣は、カイゼルの平和的な考えなど、無論知る由もなく……

静かに、攻撃を開始した。

「やっぱりこうなるんだー<」

耳元でわめきちらすヘーゼに肘鉄を食らわせて引き剥がすと、カイゼルは一直線に突進してくる白い獣に向かって左手を突き出す。

「離れてろ!」

「了解っ! 頼んだわよ」

イリスなど心得たもので、言葉もなく突っ立っていたライの腕をつかんで白い獣の進行上から避難する。ヘーゼを確認している暇はなかったが、それでもどうにか逃げたのだろう。カイゼルは勝手にそう判断して、左手に意識を集中させた。

手の甲、石と肌が触れ合っている辺りがぴりぴりする。まるで石と自分の神経が繋がってしまったようだ。

だがそれは、比喩などではない。カイゼルはマテリアという媒介を使って、『世界』と繋がりを持った。

世界は小さな支配者の前に、その正体をさらけ出す。それと同時に膨大な情報が彼に流れ込む。カイゼルはそのひとつひとつを完璧に制御していった。意識しての行動ではない。歩こうと思わなくても足が前に出るように、それは無意識下の統制。

供給された欠片たちは、カイゼルの脳裏にひとつの形として展開し、彼は構成を読み取ると、瞬時に引き金を引いた。

 放たれた力の奔流に、白い獣は正面からぶつかる。力に捕らわれ、激しく揺さぶられた白い獣は、いつかのように内側から弾けた。

「……まだだっ!」

砕けた欠片は互いを求めるように細い糸を伸ばし、繋ぎ合っていく。それだけではない、周囲に伸びた糸は、他の物質に触れた瞬間に溶けるようにひとつになった。そして繋がったものは、次々に形状を変えていった。

枝葉は枯れ落ち、岩は砕ける。

その度に、白き獣は元の輪郭を取り戻していく。

「あの糸を断ち切らないと……」

「糸? カイゼル、何いってるわけ?」

いつの間にかすぐ後ろまで来ていたイリスが、不可思議そうに小首をかしげる。彼女の眼に展開される光景は、どうやら彼とは違うものらしい。

カイゼルにはその原因がわかっても、イリスにはただわけもわからず葉が枯れていくだけだった。

湖面が波打ち、打ち付けられた水音は、獣の咆哮じみて聞こえた。

元の形状を取り戻した白い獣が、再び鎮座していた。

「ふ、復活した……あれは本物の幽鬼なのか? だとすれば、俺達はなんてものに手を出したんだ……」

ライは錯乱し、頭を抱える。だが彼の状態が、常人の妥当な反応だろう。

彼らには、カイゼルのように世界の構成は見えない。故に、まるで不死のように思えるのだろう。

「違う……。あいつは、周りから力を取り込んでいるんだ……」

世界を糧にして、幾度でも自身を補完してしまう。そんな存在に、同じ性質の力をぶつけても無意味だ。

悩んでいたのは、わずかな間だった。しかしその隙をつくように、白い獣はこちらに頭を巡らせ、ぞろりと牙の並んだ口を開ける。その奥に、何か光るものが膨れ上がった。

「なぁっ!」

慌てて逃げる一同。白い獣の吐き出した閃光が、大地を引き裂き、辺りを焼き尽くした。

一瞬にして燃え広がった炎を前にして、カイゼルは半狂乱になっていた。

「ちょっと待て、それはかなり反則だぞ!」

カイゼルは手足を振り回し、必死に逃げようとする。すでに他の者たちはどこにいるのかもわからない。

あんな圧倒的な攻撃力を前に、立ち向かう程カイゼルは無謀ではなかった。それでも白い獣は容赦も遠慮もなくまっすぐ突っ込んでくる。続いて、またもや閃光が放たれた。

視界が真っ白になるほど、圧倒的な光量。それは、太陽を直接見た時の光とは違う強烈さで、カイゼルの視神経を焼いた。

全身に焼け付くような痛みを覚え、カイゼルは思わず目を閉じた。

先ほど見た森のように、閃光に焼かれ、痛みを感じる間もなく炭になって大地を転がる。そんな想像をしていたが、衝撃は、いつまで経ってもやってこなかった。

恐る恐る目を開けると、光にやられたためか、視界はぼんやりとしていた。

それでも、目の前に立つ人物には気がついた。

「誰だ……」

倒れ込んだ体勢からでは、よくわからない。少しずつ頭を上げていくと、その人の向こうにたたずむ白い獣があった。

必殺の一撃を弾かれ、その人を探るようにも、呆然としているようにも見えた。

「あんたは、誰なんだ?」

カイゼルはゆっくり立ち上がると、もう一度、背を向けている人物に同じ質問を繰り返す。

「手を貸すよ」

その人は質問には一切答えず、事務的な口調でそれだけを告げると、ゆっくり前に歩き出した。

「え……待てよっ!」

カイゼルの中に、疑問が一気に膨れ上がる。

誰だ。どうやってあの閃光を防いだ。今から、何をするつもりなんだ?

 カイゼルと同じ疑問を白い獣も抱いたのか、わずかに後退りするような動きを見せた。だがこちらは警戒よりも、攻撃衝動が上回ったらしい。高々と前足を振り上げると、一気に閃光を吐き出した。

光にカイゼルの視界が再び奪われる。だが彼は、自らの保身を考えるよりも先に飛び出した。なぜそうしたのかは、わからなかったが。

「あっ……!」

その身体が、誰かにぶつかる。だが倒れ込む前に肩を支えられ、そのまま引き起こされた。

「今だよ」

とん、と軽く背を押され、カイゼルはたたらを踏む。

「今なら、世界との干渉を断ち切ってある」

カイゼルが振り返って何かを叫ぶよりも早く、そして有無を言わさず突きつけられた言葉にカイゼルはようやくはっきりしてきた視界で前を……地面に倒れた白い獣を見た。

何故、倒れているのか。干渉を断ち切ったとはどういう意味なのか、疑問は端からあふれて行くが、カイゼルはそれらをひとまず横に押しやり、左手を掲げた。

通常の視覚では捕らえることのできない衝撃が、白い獣を捕らえ、揺さ振り、何度か痙攣するような動きを見せた後、周囲に拡散していった。

今度は、他の力を取り込むようなそぶりさえ見えなかった。これが干渉を断ち切ったということなのだろう、とカイゼルは勝手に納得して振り返った。

何にしても、事情は当人に聞いた方が早いはずだ。

だがその考えも、即、打ち切られてしまったが。

「いない……」

その消えっぷりに舌を巻いていると、他の面々が顔をのぞかせてきた。どうやら、全員無事だったらしい。

早速走って来たイリスに、謎の人物について質問したが、あっさり否定されてしまった。

「誰だったんだ……」

「まぁ、細かいことは置いといて。事は解決したんでしょ」

「細かくないよっ! カイゼル、一体どうなっているんだよ」

ヘーゼは涙とすすでぐしゃぐしゃになった顔をしてカイゼルに詰め寄る。

「それは俺が聞きたい……」

「……だがひとつはっきりしているのは、湖に潜むものは、消えてしまったということか」

ライの沈んだ声音に、彼らは興奮気味の神経に冷や水を浴びせられたようになる。

そう、危害を加える存在が消えれば、村人たちはまたマテリアの発掘に駆り出されるのだろう。最終的には、多くの実りをロッソ・ドラーゴにもたらすだろうが、ここに至るまでにつけられた傷は、そう簡単にはふさがらないだろう。

「そこまで私達が知ったことじゃないわよ。さっさとあの腹の立つ村からおさらばしましょ」

「また、当人を目の前にしてそういうことは言わない」

「ギーヴル、結局どこに行ったんだろうねー」

「そっちこそ知ったことじゃないわ。出発までに戻ってこなかったら、捨てて行けば良いだけよ。役立たずはいらないわ!」

「うわ……」

「辛辣を通り越して、凄まじいね」

彼らは、それぞれに納得したりそうでなかったりもしたが……それでも、その場を後にした。



閃光が迸り、森の一角から炎と黒煙が立ち上ってくる。遠く離れていても、焼け落ちる木々の悲鳴が聞こえてきそうだった。

さらに何度も光が周囲を白く染め上げた。

そんな尋常ではない光景を、特等席で眺めている男があった。

湖を、ちょうど直線状に見下ろせる、小さな山。背景に崩れかけた石の城がそびえている。

ギーヴルは短くなった紙巻煙草を吐き捨てると、毒虫でもつぶすように、荒々しく踏み消した。見れば、同じようになった煙草の残骸が、周囲に散っていた。

この数だけでも、相当程度長い間この場に立っていたことがわかる。

彼はポケットを散々あさった後、煙草が切れていることを思い出し、舌打ちした。そしてぼろぼろの石壁に、背中を預ける。

「ずいぶん待たせてくれるで」

それに、ワイが近くにおったら絶対に姿を見せるつもりなんてなかったんやろう?

彼は千里眼の持ち主ではない。ここからでは、何が起こったか、細かいことは何もわからなかった。それでも、その人が来ていたことだけは……理解できた。いや、感じていたという方が正しいか。

「……相変わらず、ガキには甘い奴やで」

ギーヴルは、その場にどっかりと腰を下ろす。まだ動くつもりはなかった。

あいつのことや、絶対にまた現れる。

……他人にだけは、死ぬほど弱い奴やからな。

見ていてどうなるものでもない。いや、見ていることもできない。ただ遠くで、気配を感じているだけ。その人はとても勘が良いから、自分の接近に気づけば、ものすごい勢いで隠れてしまう。

追いついても、確かにいたという過去が残っているだけ。自分はいつも、いない現在を噛み締めているだけなのだ。



死んだように静かな森の中に満ちているのは、重く、冷たい空気だけ。梟や狼が動く気配もなく、虫の声ひとつない。

焼け崩れた下草の上に、その人は唐突に現れた。そのまま、ためらいなく歩みを進め、湖の上に足を乗せた。水面につけられた足は、沈むことも、波紋を描くこともない。地面にいるときと、何も変わりはしなかった。

そんな不思議な来訪者に気づいたのか、湖の至る所が淡く光り出す。水の底に揺らめいていた光は、ひとつ、またひとつ水面を突き破って中空に浮かび上がる。それらはその人の前に集まり、鏡の破片のようにその人自身を映し出した。 

光に透ける、空色の髪。ゆるやかになびく外套。線の細い、どこかたよりなげな表情をしている。自分でも、それに気づいたのか、無理矢理口の端を釣り上げて笑みの形を作ってみせる。

だがそんな上辺だけの微笑も、すぐに消えた。

欠片たちはひとところに集まると、一度ばらばらに散った後、今度ははっきりとした形を作る。

それは消えたはずの白い獣だった。だがずいぶんと小さくなり、おびえた仔犬のように震えていた。

「……君は、ずっとここにいたんだね」

その人の意識内に、白い獣の意識が語りかける。いや、白い獣に人間のような意識はない。あるのは、子供のように単純な喜怒哀楽の感情だけだ。単純であるがゆえに、それが痛いほど伝わってくる。

「可哀想に。……寂しかったんだね」

中空で震える身体にそっと腕を伸ばし、目をつむる。その眼からは涙があふれていた。白い獣の感情が波のように押し寄せてきて、心を締め付けられるようだった。自身を呼ぶ声が、金切り声に近い。その痛みをさらに伝えようというのか、白い獣は全身から管を伸ばし、その人に絡ませる。管が自身に融合していっても、何も言わず、ただ緋色の瞳から涙をこぼす。

感情が、直に伝わってくる。

寂しい。哀しい。誰か……傍にいて。

白い獣は虹彩のない蒼い瞳を向けていた。その眼にも涙が浮かび、それは流れることなく空中に溶け込んでいった。

「そう……君も、生き残ってしまったんだね」

僕と、同じように。

領域の綻びから転落してしまった生命。本来なら、この地に叩き付けられた際に、砕けて死んでいた。それがどういう偶然か、死ぬことができなかったのだ。

一人ぼっちで過ごした日々の孤独。崩れていく身体と、打ちのめされて傷ついた精神。

心の隙間を埋めるために、これ以上自身の領域を侵されないために、他者を排除する牙と爪を作り上げた。

それが果たして罪となるのか。

「……僕たちは、何か罪を犯したわけではない。ここに生きていることが罪なんだよ……」

白い獣は、もう一度形を変え、小さな少女の姿となって声もなく泣き喚いた。

涙は後悔でも、罪の償いを求めるものでもない。ただ自身を哀れんで、慰めてほしいだけ。

弱い、弱い心。

「理解はできる。同情もしてあげる。でも、君はここにいてはいけないんだ」

少女は徐々にその輪郭が崩れていく、それにおびえるように、ふるふると頭を振る。

「君の側にいてあげたいけど……。ごめんね、僕にはやらなきゃならないことがあるんだ」

少女がまた泣き声を上げた。

傍にいて。

寂しい、痛い。……一人は、嫌。

「ごめん、ね……」

眼を閉じたまま、その眼に涙をあふれさせたまま、そっと少女に口づけた。

「僕は、駄目なんだ……」

君と一緒にはいられない。

もっと早く君に会いに来たかったよ。そうすれば、色々なことが話し合えたのに。

……僕たちにしか、話せないことが。

それが理解できたのか、限界だったのか、少女ははらはらと形態を崩し、やがてひと欠片の切片になった。

その人は欠片を両手で包み込むと、そっと胸元に抱き込んだ。

「やすらかに、お眠り……」

再び開いた手のひらに、欠片はなかった。

そして湖は光を失い、元の……そう、本来の姿を取り戻す。ようやく虫たちが鳴くことを思い出し、微風が緩やかに湖面を撫でて行き過ぎた。



翌朝、玄関先で荷物の分担を決めていたカイゼルたちの前に、ギーヴルは帰ってきた。

「あら、早かったわね」

「おぉ」

イリスの皮肉のこもった言い回しにもギーヴルは反応しなかった。代わりに玄関先に並んだ荷物を眺めている。

「ワイの荷物は?」

「処分してもらうように頼んだから」

「おいっ!」

「嘘だよ。でもおばあさんに預けてあるから、一緒に行くなら早く取りに行った方が良いと思うよ」

のろのろとした動きで歩き出したギーヴルの背を見て、カイゼルは息を吐いた。

「あの人、帰ってきたんだね」

ライが、入れ替わるように玄関から顔を出してきた。

「みたいです。どうもお世話になりました」

「逆だよ、面倒ばかりですまなかったね」

「それなりに面白かったから、平気よ」

「僕はとことん恐かったよ……」

昨日の騒ぎで、全員が多少なり傷を負った。特にヘーゼは、要領が悪かったのか、単なる不運だったのか、閃光に吹き飛ばされ、折れた木の下敷きになった挙げ句、火災に巻き込まれ、後一歩で蒸し焼き。そうならなくても煙で窒息死する寸前だった。

「……今回のことは、いい教訓になったよ」

ライの言葉に、カイゼルは黙って続きを待った。

「俺は、何もわかっていなかった。何もしようとはせず、ただ誰かがこの状況を変えてくれることだけを待っていた。……俺自身が、撒いた種だったはずなのに、いざ騒ぎになるとまるで他人事のように……そう、心のどこでこの状況を楽しんですらいた。マテリアについてもそうだ。結局、俺がやってきたことは、遊びの領域を出ていない。もっと慎重になるべきだった。村の人たちが冷たい目で見るのも、俺が領主の血縁者だからだと思っていた。それで納得していた。けど、違った。俺自身が領主を諌めもせず、何の責任も果たさず、傷ついて帰って来る人たちを見て、ただ安全な場所から同情するだけ。それは責任を果たしたその人に対する侮辱でしかなかった。……俺は愚かだ。どうしようもない愚か者だ……」

「……そう、ですか」

カイゼルには、何も言えなかった。

いくら悔やんでも、何も変わらない。事はすでに起こってしまった。

犯罪者が犯した罪の裏にどんな事情を持っていたとしても、犯罪は起こった瞬間から罪でしかないのと同じように。

 すべてはもう、起こってしまったこと。

カイゼルは、苦い息を吐いた。


彼らは、ギーヴルが一行に加わると、そのまま言葉少なにその家を後にした。

イリスの言ではないが、これから後のことを決めるのは彼らであって、自分たちの関わるべき話ではないのだ。

カイゼルは空回りする思考を断ち切るように、ギーヴルに声をかけた。

「ギーヴル、どこに行ってたんだよ。危うく置いて行かれるところだったんだぞ」

「あー? 勝手にすればえぇやろ」

相変わらずの言動に、カイゼルは肩を落とした。どうやら機嫌は直っていないらしい。

「……いや、そんなこと言ってると、イリスは本気で実行するぞ」

例え置いて行っても、逆にギーヴルが姿を消しても、用があれば自分から顔を出して来るのだろう。カイゼルは、何となく悟ってしまった。



その後の調査で、ロッソ・ドラーゴの湖に埋蔵されているマテリアの引き上げが再開された。

特に弊害もなく作業は進み、掘り当てられた鉱石はすべて、とある大学の研究施設に送られ、正式に鑑定調査が行われた。

その結果、送られたサンプルは、すべてただの石以外の何者でもなかったという事実に、村中騒然となり、矛先は当然、計画発案者の領主に向かった。

幸い、流血騒ぎだけは避けられたが、領主は責任を追及され、辞任。ロッソ・ドラーゴから立ち去った。

新たな領主は、追ってギィカウ君主国から通達されることとなった。

その事をカイゼルたちが知るのは……ずいぶん経ってからだった。





【それでも明日はやって来る!⑤ 白き灰の異獣 終】


 次回「欠片を継ぐ者」へ続きます。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ