5-2「マテリアの成因」
第二章 マテリアの成因
「いや……面目ない」
すっかり冷めきった茶を流し込むと、彼は大分調子を取り戻したらしい。
「それにしてもすごい、本にもここまで使いこなしている人間の話なんて載っていなかったよ」
機嫌が良くなると、最初とは違い、喋り方まで柔らかくなってきている。
「そんなに、暴発する確率が高いんですか?」
「下手をすれば半分は外すね。流れ込む魔力を、人間の精神力では支えきれないんだ。魔器に魔力を調節する機能を付加する研究も進められているらしいけど、実用化には程遠いよ」
「なら、マテリアを破壊するほどの力が出ることは?」
「それも聞いたことはないなぁ。人間や建物が壊された例はいくらでもあるけど」
カイゼルとヘーゼは、思わず顔を見合わせた。
まさかここで、自分は今までに二回ほどマテリアを破壊したことがありますとは言えなかった。
「君はよっぽど才能があるんだね。訓練も相当積んでいるのだろう?」
「あーまぁ、それなりに……」
さらに、実は始めたのはほんの数週間前ですと白状したら、青年は再起不能に陥るかもしれない。
そんな心配など知る由もなく、ライはカイゼルの左手を取った。
「それに、この魔器も変わっている。リングレットに似ているけど、こんな型は見たことがない。ちょっと外してもらえないかな」
「それが……無理なんです」
カイゼル自身、何度か挑戦してみたが、鎖を切るわけにも行かず、腕輪を切断しようにも、あまりにもぴったりはまっているので工具を入れる隙間がない。
「本当だ。けど、溶接した跡もないし、どうやって付けた? 製造会社はわかる?」
「何か……天使からの贈り物らしいですよ」
以前出会ったマテリア使いの少年が、奇妙な発言を残していた。カイゼルは、まったく信じていなかったが、それでも、ただのブローチだった物が、一瞬にして形状を変えたのは事実だった。そこまでの経緯を青年に話す必要も感じなかったので、カイゼルは黙っていたが。
ライはしばらく外れない装飾品に悪戦苦闘していたが、やがて疲れたのか、ソファーに倒れ込む。
「……君たちは、マテリアがどうやって作られているか知っているかい?」
「いいえ」
「原石なら見たことあるけど」
薄く埃の積もった実験室で見た、石炭のような塊。それを眺めていた頃、今のような状況になるなど予想もしていなかった。そして場所は移り、知識を与えてくれる人間も変わった。
「基本的には、他の鉱物を加工することと大して変わらない。母岩中に包含された原石を真球に削り出す。魔女が使う水晶球のように、丸く」
カイゼルの左手を飾る石は、確かに真球に削られていた。今まで破壊してきたものも、同様だったのだろう。
「けど、技術が確立されているなら、どうしてそんなに高価になるんですか?」
ヘーゼの問いももっともだった。マテリアはそれひとつで城ひとつといわれるほど値が張る。おいそれと気軽に持てるものではない。
「それは、技術水準と産出量の問題だよ。鑑賞用の石を加工するには十分でも、マテリアとなると、研磨作業もダイヤが同じ石でしか削れないように、マテリア同士を使わなければならない。ただでさえ、貴重な鉱物なのに、ひとつ作るにはひとつつぶさなければならない。おまけに石を真球に削れる職人なんて、めったにいないしね」
「どうして、真球にこだわるんですか? 宝石なら、普通はそんな風に加工しないですよね」
宝石は、美しさを高めるためにファセットと呼ばれる、表面をたくさんの平面に区分してカットする方法が取られる。マテリアは、その逆を行い、元が透明な石なので、水晶かガラスのようで味気ない。
「色々と学説はあるけど、マテリア内部での力の反射を考えた際、一番均等になるため、というのが一般的だよ」
要は、今まで試した中で、たまたま真球に削られたものが一番成功したからなのだろう。
「難しいな……」
「うん。あのさぁ、カイゼル。そもそも、マテリアって何なんだろうね。鉱脈から掘り出されるにしても、見つかる場所に統一性がなさすぎる。それに……僕にはカイゼルの持っているマテリアは、今まで聞いたどの能力の枠にも当てはまらない気がする」
「確かに、そうだな」
炎・氷・地・風・精神・黒・白
以前の講釈では、そういう分類になっていた。
前半部分は、自然界に発生するものばかりなので、物質として具現化すれば当然、目に映る。体感することもできる。となると、残りの説明の付かない単語のどれかになる。
青年に説明を求めると、彼は困ったような顔をする。所詮、趣味に毛の生えた程度の知識では、そこまで高度な推考を行う域に達していないのだろう。
「それは、ほとんど便宜上の分類だよ。実際、マテリアで精神を破壊された者の大半は、術者本人か、魔法という有り得ない光景を目の当たりにして精神の均衡を崩した者のどちらかで、黒と白は、最近の説では表裏一体の能力で、どちらかに分けることはできない何か、となっているし」
「結構、あいまいなんだな」
「まだ研究は始まったばかりだからね。その前は、現行のマテリア研究者も失われた魔法王国にかかりっきりだったし。専門家がとにかくまだ少ない学問なんだ」
お手上げとばかりに手を挙げるライに、彼らは落胆の色を隠せない。どうやら、期待していたほどの成果は上げられそうになかった。
「魔法王国……ウトガルヅル、か……。本当に魔法を自由に使える時代なんてあったのか?」
「まぁ、近くにその末裔を名乗る男がいるんだから、少なくとも何かはあったはずだよ」
そんな、二人にとっては何のありがたみもない事実に、ライは目をみはる。
「民の末裔に会ったのか?」
「あ、えぇと、会ったというか、今もいるというか……」
「俺達と一緒にいた男が、自称、ウトガルヅルの生き残りですよ」
「そうか……人喰い竜なんておかしな名前と思っていたが、あの風習は本当だったのだな」
「風習?」
「ウトガルヅルの民は、必ず子供の名前を古代の神話から取って来るのだよ」
「そういえば、ヘルクラウト先生の本名も雷神だったな」
「何か、その名前をものすごく久しぶりに聞いたような気がする……」
二人揃って、強烈な授業の数々に想いを馳せた。色々と文句も言いたくなり、思わず涙が出そうになったが、すぐにそんな感傷に浸っている場合ではないと我に返る。
「と、どこまで行ったかな?」
「ウトガルヅルの民は本当に魔法が自由に使いこなせたのかっていう所」
誇大化された話しなら、いくらでも耳にしたことがある。ウトガルヅルの民は、空を歩くように飛び回り、手を使わず畑を耕したりものを作っていた。そして夜を昼に変えたり、どんな傷も癒してしまう。残っている遺跡も、初代ウトガルザ・ロキが一夜の内に荒野をオアシスに変えてその中に築いたとされている。
今は元通りの荒野に沈み、時と風に削られているが。
「そう、問題は、証言する人間が誰一人残っていないということ」
「そりゃあ、昔の話だし」
「だが、流亡の時代ほど前ではない。東側は当時、長く続いた戦乱のためにまともに機能している国家は他になかったが、西側にはすでにシンフォルン聖教国の前身となるノードが存在していた。言葉や文字もないほど昔でもないのだから、伝承のような形で民の間に伝わっていてもおかしくはないはず。だが、そこら辺の記録がやけにあいまいで、直系の子孫の中では外部の人間に聞いて初めて自分たちがそんな国の生き残りだったと知った者もいたそうだ」
「ねぇ、そもそもウトガルヅルってなんで滅びたんだっけ?」
「……知らないな。近くに生きた化石がいるのに、話題にもしなかったし」
「これにも、様々な説が入り乱れている。一番通っている話しは、天変地異説。自然の猛威の前に、一瞬にして国としての機能を失ったウトガルヅルの民は、混乱のために記録を取ることができなかった」
「けど、都市の遺跡は割とまともに残っていたけどな」
人が住む機能は失われても、街という入れ物は、長い歳月の後にもしっかりと生き残っていた。
「そこなんだ。水源が移動した跡はあるから、異常な渇水とも考えられたけど、それにしたところで一晩ですべての水が干からびて、農作物や植物が死に絶えることはない」
「病気とか? 中にはものすごい速さで伝染する、致死性のきわめて高いものもあるし」
「都市内部でそんなことが起これば、死体が山積みのはず。都市やその周辺部に、大量の人骨が見つかったという話しも聞かない。それも説のひとつだが、物的な証拠は何もない」
「ライ、あなたの考えは?」
話しを振られて、彼は顔をしかめる。
「……ものすごく、信憑性のない話しなら、ある。ウトガルヅルの民は、魔法を失った瞬間、それらに関するすべてを、忘れてしまったのではないかと……。だから、どうしてこんなところにいるのかもわからない。仕方がないから出て行った、という話だ」
「確かに、突飛すぎるな」
「集団記憶喪失症? できすぎてない?」
「馬鹿みたいな話だが、そう考えるとすべてつじつまが合うんだ」
「なら、どうして魔法は消えたんだ? 神様の気まぐれだと?」
「そこまでは、わからない」
「カイゼル、今は魔法王国の滅亡説を議論している場合じゃないと思うけど」
「そうだな、機会があったら本人に聞けば良いわけだし」
尋ねた所で素直に答えが返って来るとは到底思えなかったが。
そこで、まるで会話が切れるのを待っていたように、老婆が夕食の用意ができた事を告げに来た。そしてこれも狙っていたのか、ギーヴルとイリスの両名が、ほとんど間も置かずに戻って来た。
不意に大人数になった食事は、殺風景な食堂がそれだけで温度が上がったように感じさせた。イリスは妙に上機嫌で老婆を手伝い、老婆はこんなにたくさんの人間に料理を振る舞うのは何年ぶりだとしきりに興奮した様子だった。
カイゼルたちも皿に料理を盛るのを手伝い、ライはその間に地下の倉からワインを何本か持って来た。ただ一人、何もしなかったギーヴルは、食事を済ますとさっさと用意された部屋に行ってしまった。すでに片づけた後のゲームの話に頭が移っていた三人は、まったく気にした様子はなかったが。
場所は居間に戻り、老婆の入れた茶を片手に、子供三人は青年が出してきた年代物のボードゲームに興じた。ライは最初の一回だけ参加した後、見せたい物があると言って出て行った。
部屋に三人だけが残されると、カイゼルは隣で駒を進めるイリスに尋ねる。
「イリス、ギーヴルとどこに行っていたんだ?」
夕食の席では結局聞けず終いだったのだが、普段なら、自分の成果を誇張も含めて盛大に語り出すイリスがまったくその事に触れてこなかったので、カイゼルはかなり不安になっていた。
「あーそれは半分間違い。あたしはギーヴルとは一緒にいなかったわよ。後ろをついてきてると思ってたけど、いつの間にかいなかったから放り出してきたの」
「相変わらず、相変わらずなことをしているな」
どうせ最初から、この二人に協調性や団体行動を求める方が間違いだったのだ。
(なら、ギーヴルはどこに行ってたんだ? やけに不機嫌だったけど……)
彼が自分がいない間の行動を誰かに話して聞かせることも、請求するだけ無駄な行為だった。
「それよりも、どこで何をしていたか聞きたくない?」
「いや、別に」
カイゼルとしては、二人によって村に何らかの人的、もしくは物的な被害がないかどうかが気になるだけのこと。いくら良く思われていなくとも、自分たちから騒動の種をまきに行く必要はない。
「聞きなさい。なんと、村に情報収集よ! どーしてあんな目を向けられるのか気になるでしょ!」
「どうせ明日にはベルネに向かうんだし、関係ない村の内情を嗅ぎまわってもしかたないだろ」
「ところが、そうでもないのよ。出るのよ、この村はっ!」
「幽霊か? それとも猪が畑を荒らすのか?」
「カイゼルこの涼しい時期にそんな話しは止めようよー」
「いや、俺はあくまで一般的なことを言ったまでだ」
「……マテリアだよ」
顔を上げると、本や箱を抱えたライが戸口に立っていた。
「ロッソ・ドラーゴにはマテリアが出る場所がある」
青年は暗い面持ちで抱えていた物品を、机や椅子に置いた。
「本当なんですか?」
もし事実なら、ここの領主は領民に畑仕事を命じている場合ではない。上手くすれば、ひと欠片の原石で、一年分の農作物と同等の金銭が手に入る。
「事実だから、君たちみたいなよそ者は、なおさら歓迎されない」
どうやら彼らが感じていた視線は、被害妄想などではなく、本当に盗賊か何かに勘違いされていたらしい。
「でも、その割にはあんまり潤っているようには見えなかったねぇ」
のんびり駒を進めているヘーゼの言葉に、待ってましたとばかりにイリスが立ち上がる。
「よくぞ聞いてくれたわ、それはね……」
「探しに行った連中が、大怪我をして戻って来るので、採掘作業は実はほとんど止まっている状態でね」
イリスは披露しようとしたセリフをさえぎられ、そのまま硬直する。これでカイゼルかヘーゼなら、容赦ない言葉と鉄拳が飛んできた所だが、さすがに今日の宿の主にそんな大それたことはできなかったらしい。
「大怪我って……そんなに地盤の緩い洞窟なんですか?」
「いや、場所は穴の奥ではなく、湖の底でね」
青年はそこで首から下げていたものを取り出す。皮ひもの先に、黒い鉱物が結わえられていた。
「村を興した際に、当時の若い男たちが、湖に住むと伝えられる主の力をあやかろうと、一抱えの石を持ちかえった。これはその欠片だ」
「で、その石が原石だったと」
「俺が大学に通うためにベルネに下宿していた頃、友人がマテリアに興味を持つ俺を見て、原石みたいだから調べてやると言ってくれて……」
「それが、当たりだったと」
「これは何年くらい前のものなんです?」
「街道が整備され、村が興ったから……百年は経過していると思う」
「すでに石じゃなくて、御神体じゃないか」
「何でそんな物を持ってるわけ?」
「子供の頃……好奇心で触ろうとしたが、落としてしまって、その際に欠けた。俺は怒られるのがいやで、欠片をポケットに隠したんだ。結局、元の位置に戻す前に見つかって、怒られはしたが、村の守り神を破損したことは誰にも気づかれなかった」
「そしてほんの何気ない行動のおかげで、過去の悪業ばかりか、重大な問題を持ってきてしまったと」
「返す言葉もないよ……」
先ほどは気づかなかったが、どうやらこの青年も村人にはあまり快く思われていないようだ。あのカララという少女は別格のようだったが。
「そんな状況に、領主は何しているわけ?」
「……父は、マテリアの発掘には非常に強い興味を示している。だが事故続きで苛立っているらしい」
「水の中に潜るんだろ、そりゃあ地上とは勝手が違うからな」
「いや、大半の人間は湖にたどり着く前にやられる」
青年の言葉に、三人は顔を見合わせた。
「ここはそんなに狂暴な獣が出るんですか?」
「ただの獣じゃあない。誰も、その姿を確認できず、ただ大きくて白っぽいものが、陸と言わず水中でも襲いかかって来るらしい」
「うわぁ、やな話しだね」
「問題は、父がその話を村人の虚言と思って相手にしていないことだ。この分では、税を引き上げてでも強制的に発掘作業を続けさせるつもりだよ」
「まったく、目先の欲に捕らわれた人間は始末に終えないわね」
「おい、イリス。息子さんが目の前にいるんだから、少しは控えた言い方をしろよ」
「なによーそういう時こそ息子が父親を諌めるか、その地位から引きずり落として新しい秩序を打ち立てるのよ!」
「ここは末期の専制君主国家か!」
「上の締め付けが苦しい所は同じよ!」
「あ、と。確かお兄さんがいたはずですけど、その人は?」
「さぁ……父や兄夫婦には家を出てから会っていないので、何を考えているやら」
そんな、事務的とも取れる物言いに、三人はげんなりとした様子で肩を落とす。
「なんか、こういう肝心な所に対する無関心さは誰かに似ていないか?」
「あ、私もそう思う」
「マテリアを研究している所まで同じだよ」
「案外、調べてくれた友人ってシリカのことじゃないのか?」
思わず尋ねそうになったが、聞いたら何となく恐い答えが返ってきそうだったので、踏みとどまった。
結局、今日彼らが知り得たのは、村の近くにある湖ではマテリアとおぼしき原石が採れること。そのせいで領主と村人の間に溝ができていること。原因として、白い獣が邪魔をしている事と言った三項目だった。
イリスが調べてきた内容も、大体似通っていた。考えてみれば、こんな状況下でよそ者にそう簡単に内情を喋るわけはない。
何となく、ゲームを続ける気にはなれず、かと言って、青年が持ってきたマテリアの資料や原石の標本を見るような状況でもなくなったので、その場はお開きとなった。
カイゼルは不思議な気分を味わっていた。まるで空気の底に沈んで行くような、奇妙な圧迫感が全身を包んでいる。
その場所は暗い。暖かいのか寒いのか、そんなこともわからない。手を伸ばしても触れるものはなく。足を踏み出せばそのままどこまでも落ちて行くような気がして、彼はその場に留まっていた。
それでも何かの音だけが、途切れ途切れに続いていた。
ねぇ
声が聞こえる。すぐ側にあるようで、どこでもないような遠くから。
どうしてそこにいるの? こっちにおいでよ。
おいでと手招きするように、腕が伸ばされる。
そう、自分の両腕が。
なぜと疑問に思うことはなく、彼は他人のものとなった身体の中で、奇妙な冷静さを持ってすべてを見ていた。
不安をかきたてる闇の一点に、ぼんやりと明かりが点る。それは本当に小さく、明滅を繰り返している。まるで蛍のように、淡く儚い光。
音は、続いている。
そこにいたって、いいことなんてないよ。
その人は手を伸ばす。拒絶されることを恐れてはいないが、同時に、どれだけ言葉を尽くしても何も変わらないことをどこか確信していた。
空しい呼びかけを繰り返した後、その人の確信を証明するように、光はゆっくりと消えて行った。
その人は深く息を吐く。一気に激しい徒労感が襲ってきた。どこで期待していて、その通りの結果が得られなかったことに落胆している自身に気づく。
そんな自分を切り捨てるように、光のあった場所とは正反対に歩き出した。
カイゼルを置いて。
振り返る事もできず、その場に在り続けたカイゼルは、無意識のうちに右手を左手に重ねた。無機質な器物に触れた途端、響いていた音の正体に気づく。何かが滴る音だった。
(水の音だ……)
そう、それは滴が水面を叩く音に間違いなかった。
「カイゼル、いつまで寝てるのっ! ご飯できてるわよっ!」
声と同時に毛布を剥ぎ取られ、カイゼルは一瞬状況がつかめなかった。顔を上げると、見知らぬ室内に、イリスが毛布を抱えて仁王立ちになっている。そこでようやく、ここがハーベイ家の客間だと言うことを思い出した。
「ほらほら、ヘーゼも起きてるわよ!」
三人の中で一番寝起きの悪いヘーゼに先を越されたとあっては、どうやっても起きなければならない。それにした所で、身体に圧し掛かる疲労感はぬぐえなかったが。
「昨日は調子に乗り過ぎたな……」
マテリアを使用した後は、異常なほど疲れてしまう。だがイリスの前で、昨日の大道芸を話すわけにも行かないので、カイゼルはのろのろとした動きで起き上がる。その途端、目が拾ったのは左手の器物。
起き上がった瞬間に、それまで覚えていたはずの夢の内容がきれいに消えてしまった。それでも、マテリアに目が引きつけられる。まるでそこに何か意味があるように。しばらく眺めていたが何も浮かばず、カイゼルはあきらめてベットから降りた。
「じゃ、先に行ってるから、早くね」
イリスは手早く毛布を折りたたんでベットの端に置くと出て行った。扉は開け放たれたままだが。
カイゼルは頭を掻きまわしながらそれを見ていたが、起き抜けの頭に適当な文句が出てこなかったので、とりあえず無視した。
部屋中に明るい光が満ちている。
確かに、こんなに太陽が昇っているのに寝ていては、せっかくの一日を無駄にしてしまう。それに、今日はベルネに向けて出発しなければならない。細かい予定は決めていなかったが、おそらく朝食をとったらすぐに出ることになるだろう。
……カイゼルの予想は、すぐに覆されたが。
「はぁ……? 化け物退治を手伝う?」
最初の一口を放り込む前に聞かされた言葉に、カイゼルは心底呆れた顔をする。
朝食の席には、珍しくギーヴルの姿があった。それを少しばかりいぶかっていれば、このセリフ。カイゼルは今すぐ暗雲が立ち込めて嵐でも来るのではないかと、思わず窓の外に目をやる。
その場にいる人間は、いつもの三人とギーヴルだけだった。他の二人が何のリアクションもないことを見ると、この話は先に聞かされていたらしい。
ヘーゼなど、すでに失神寸前だったが。
「どうしてそんな人道的な真似をするんだよ」
「なんや、いつもはえらい自分勝手な奴みたいに思われとるみたいやな」
「そうじゃないか……」
ここまでの道中、自分の意見が通ったのは果たして何回くらいあったのか、どうしても思い出せない。
「別に、村の奴等に許可を取ったわけやない。ワイとお前でどうにかするんや」
「へー……すでに数に入っているんだ」
この分では拒否権を行使しても、突っぱねられるだけだろう。
それでこの衝動が収まるわけはない。カイゼルは思わず席から立ち上がって叫んだ。
「ギーヴル、いくらなんでもそれは勝手すぎるぞ。確かにマテリアに関係しているなら、何か得られるものはあるのかもしれない。でも、俺には……今回の件が、どうしても必要なことだと思えない。何より、ギーヴルの意図がわからない。もしどうしても手伝って欲しいなら、俺が納得するような理由を言えよ!」
「意図に、理由かい」
「あぁ、そうだ」
カイゼルは一歩も退かないとばかりに、ギーヴルから視線を外さない。
「……そんなもんはあれへん」
「なんだって?」
「誰もが納得する、そんな高尚なもん考えて行動できるかい。ワイはワイの筋で動いとるだけや。気に入らんのやったらついてくるな。ワイも勝手にやらせてもらうで」
「そんな……ずるいぞ。そんなの、逃げているだけじゃないか」
「何とでも言え」
ギーヴルは話はそこで終わりとばかりに席を立つと、振り返りもせずに部屋から出て行った。
カイゼルはしばらくその場に突っ立っていた後、身じろぎもせずに二人に問いかける。
「イリス、ヘーゼ。……どうしようか」
すぐに非常に簡潔な答えが返ってきた。
「私は行くわよ。ヘーゼも見物したいって」
「言ってない、言ってないようっ!」
ここにも、拒否権を奪われた哀れな人間が一人。
ヘーゼの叫びを聞きながら、カイゼルは元いた席にすとんと腰を下ろした。
廊下に出た途端、不意に背後から静かな声が投げかけられた。
「申し出はありがたいけど、できたらやめてもらいたいな」
ギーヴルはライを見る。
「立ち聞きは感心せえへんで」
「ずいぶん深刻なことになっていたもので、入り損ねただけですよ」
「なんや、ワイらじゃ役不足やって言いたいんか?」
「逆ですよ。このまま採掘ができないことを化け物の責任にしておけば、父もいずれあきらめる。あんなものを危険を冒して掘り出す必要なんてないんだ。マテリアなんて、見つけるのではなかったよ」
「それこそ無理やろ。どれだけの埋蔵量があるんか知らんが、一度知ってしまった以上、確かめるまでは無理やな。そう、実際に手にとって見れないからこそ、邪魔が入るからこそ人間はそこに金塊が埋まっとる幻想を見る。あんたの親父さんをあきらめさせたかったら、そこには何の価値もないことを証明せなあかん。そして騒ぎを起こしたことを、自分のせいにして悔やむなら、己を責める前に何かしたらどうなんや?」
ギーヴルの言葉はよっぽど青年を打ちのめしたらしく、彼はそれ以上何も言わなかった。
結局、カイゼルは化け物退治に出かけることにした。ギーヴルの考えに乗ったわけではない。これはあくまで自分の好奇心とマテリアに関する知識を得るためだから。行かなければイリスが後でしつこいからと、繰り返し自分に言い聞かせて。
(他人のせいにして、俺って結構卑怯者だよな……)
自己嫌悪に陥っても始まらない。カイゼルは今、今朝から姿を見せない青年を探して屋敷内を駆けずり回っていた。先にのぞいた厩舎に昨日の馬はいたので、外に出て行ったということはないだろう。
「……あ、ライッ!」
彼はちょうど居間から出てきた所で、両腕に昨日の本と箱を載せている。カイゼルは足早に近づくと、有無も言わさず上に乗っている本を何冊か取った。
「手伝います」
「……ありがとう、ちょっと説明する時間はなさそうだね」
「俺としては、あなたの話を聞いている方がよっぽど楽しいんですけどね」
「それはありがたい。ばあやもこの手の話は興味がないらしくてね、逆に部屋からよく追い出されたよ。不健康だって」
「そりゃあ、そうでしょね」
そのまま黙ってライの後をついて行っていたが、カイゼルは何も荷物運びをするために彼を探していたわけではない。出発するにあたって、家主である彼に挨拶に来たのだ。
三人で決めた計画として、村の人間に事を話すわけにも、まして彼自身を巻き込むわけにも行かない。なのであくまで旅に出るふりをして、その足で化け物がいる森に向かう予定になっていた。
「あのさ、ライ……」
「湖には、近づかない方がいいよ」
カイゼルは顔を上げる。青年は背を向けたまま歩みを止めることはない。
「話は、まぁ、全部聞いたから」
「そうなんですか……」
「でも、こっちに止める権利はないしね。むしろ、利用しているみたいで申し訳ないよ」
言って、彼は廊下の突き当たりまで来ると、正面にある扉に手をかけた。
案内された青年の部屋は、シリカの研究所と同様に乱雑に積まれた本や紙束、鉱石の塊で埋め尽くされていた。
「……すごいですね」
彼はケースに収められた石の切片を見ながら言った。
「それはこの近くにある硝子谷の物だよ」
「硝子谷にもマテリアが出るんですか?」
「簡単に見つけるなら、そこが一番だけど。だがもうカスみたいなものだから、かき集めてもまともな物はできないと思う」
カイゼルはケースを元あった場所に戻すと、ぐるりと室内を見回した。置いてある物はシリカの研究所と良く似ていたが、ここには何というか、人間の生活感がある。つまりマテリアを研究対象としてではなく、あくまで趣味として見ているのが良くわかった。雑多な物品に紛れて普通の小説や木製の動物模型が置かれていたりする。
「そこの棚なら、何か読みたい本があったら、持って行ってもかまわないよ」
つい、並んだ本のラインナップを眺めていると、おかしそうな顔をした青年がいた。
「いえ、悪いです。それに、荷物になりますし」
しばらく活字から離れていたので、大量の本を前にしてうずうずしていたのは事実だった。
「それなら、この辺のペーパーバックは? 軽いし、安いから読んだら捨ててしまえば良いよ」
カイゼルは青年の好意を押し切れず、四、五冊の本をもらってしまった。
「お勧めは上から二番目の奴かな。あ、『愚者の列』の古い版もあるけど」
「『愚者の列』……」
シンフォルン聖教国、『球状の楽園』の聖書。
その言葉は、カイゼルの中に重みを持って圧し掛かる。
青年は積みあがった本の中から、布張りの装丁をした小振りな本を抜き取って戻って来る。
「これって毎年のように内容が変わるからね、もう十年以上前の物だけど、今では削られた文章もあるから、読み比べると結構楽しいよ」
言って、カイゼルが抱える本の上に、それを追加した。
「……ありがとうございます」
「ごめんよ、こっちもゴミを押し付けたみたいで。そろそろ部屋を片づけないと、終いには全部捨てられそうだからね」
もう一度礼を言って踵を返したカイゼルの目に、ひとつの写真が目に入った。
暖炉の上に飾られた、セピア色の写真の中で、幼い子供を膝に乗せた女性の姿があった。女性は緩いウェーブのかかった髪を結い上げ、柔らかく微笑んでいる。
思わず立ち止まって眺めていると、声がかかる。
「母だよ。もう、亡くなったけど」
答えを聞かなくともわかるくらいに、ライはこの女性に良く似ていた。
「こんな話しをするのもどうかと思うけど、母さんは後妻でね、俺はその連れ子。だから、ハーベイ家の血筋ではない」
カイゼルは、何となく彼の親兄弟に対する無関心さが理解できた。
形式上は息子でも、血の繋がりがない以上、正式に家督を継げる可能性はなく、発言権もほとんどないのだろう。
家と言う枠の中で孤独な青年に、カイゼルは自身が養子と言うことも手伝って、奇妙な親近感を覚える。
それはほとんど、同情に近い感情だったが。




