4-1「白藍の砦」
それでも明日はやって来る!④「王を呼ぶ柩」
第一章 白藍の砦
闇が落ちる中、時だけが過ぎ去って行く。
カイゼルは宿屋の寝台の中、何度も寝返りを打ち、まんじりともせずにいた。すでに階下にある酒場の喧噪も静まり、沈むような静寂が場に満ちている。カイゼルが宿泊している二人部屋には彼の姿しかなく、隣の寝台はシーツの乱れもなくきれいなままだった。
カイゼルは隣を恨めしそうに眺めていたが、やがて限界に達したのか、勢いをつけて起き上がる。適当に放り出してあった上着を羽織ると一階の食堂へと向かった。
専業の宿屋というものは意外に少なく、彼らが宿泊しているここもその例に漏れず、一階は酒場兼食堂になっている。だがさすがに夜も更けた為、客も帰宅するなり自分の取った部屋に戻るなりしていた。酒場は先ほどまでの騒ぎが嘘のようにがらんとし、厨房の方からは、片付けと明日の仕込みでも行っているのか、わずかに物音が聞こえるだけ。それ以外は足音を立てるのもためらうほどの沈黙が満ちていた。
そんな中、カイゼルは意識的に足音を殺しながらランプの灯るテーブルへと近づいて行く。
「……ギーヴル」
片隅のテーブルでは、ひとりグラスを傾ける男の姿があった。彼はちらりとカイゼルの方に目線を動かしたが、ただそれだけだった。
カイゼルはギーヴルの了承も得ずに向かいに腰掛けると、ひたと相手を見据える。
「なんや、飲みすぎんなとでも言いたいんか?」
訛りの強い、独特のしゃべり方をする男は酒の所為なのか、わずかにろれつが回っていない。だが夕食の後から飲み続けているにしては、ずいぶんとしっかりした酔っ払いだった。もしかすると、飲んでいると見せかけてどこかに出ていたのかもしれない。
だがそんな事は、カイゼルにはどうでもよかった。
「眠れんのか?」
「……あ、あぁ……うん」
歯切れの悪い返事をしてうなだれるカイゼルに、ギーヴルはそれ以上言葉をかけることなく酒を飲んでいた。やがて、瓶が空になったのでカウンターの方に向かったが、すでに厨房に人の気配はなく、そのまま空き瓶を手に席へ戻って来る。酒をあきらめて部屋に戻るのかと思ったが、今度は懐に手を突っ込むと、紙巻煙草を取り出す。
「……煙草、吸うんだ」
ギーヴルは煙草を口にくわえたまま、卓にあったランプを手に取り、器用に火を付ける。
「嫌いか?」
「そういうわけじゃないけど、初めて会った時は吸ってなかったと思って……」
最初の邂逅では、そもそもギーヴルも、彼らの前で煙草を吸う余裕などなかったのだろう。
「昔から吸うとったで。ただ、あいつ……トールが嫌がったから、控えとっただけや」
「先生が?」
堅物の教師で通っていた彼の、そんな普通の感覚にカイゼルは奇妙な親近感を覚える。と同時に、それに引きずり出されるように別のことを思い出した。
彼が今、育った場所を離れて旅に出ている理由は、そこから始まったから。
誘拐事件、教師の過去。そして、マテリアの暴走。
それらは一度は終息を見せた事件だったが、逆にそれがきっかけとなって別の事態を引き起こし、結果、カイゼルは住み慣れた場所を離れた。
そうやって、旅には出たのだが……実のところ、最終的な目的がすっぽりと抜け落ちたままになっていた。
何をしに、どこへ行くのか。
指針のないまま、流されるように旅路を行くのが現実だった。
いくつかは、わかっていることもある。カイゼルが皇都を離れることになった、本当の理由。推測だが、彼の自身の出生が原因らしい。
理由の一部を知る者は皇都に残り口を閉ざし、もうひとりは……
「おい、今度はだんまりか。煙草を吸い尽くすうちに話さんなら、ワイは部屋に帰って寝るで」
テーブルを挟んで向かいに座る男は、無愛想に言った。
ギーヴルとは皇都を出る時から旅の道連れとなったのだが、都市を出てから一度として彼自身の理由を聞かされたことはなかった。
なぜ、もう一度カイゼルの前に現れたのか。どうしてカイゼルと共に行くのか。
くすんだ金髪に、ひょろ長い体躯をした男はどこか軽薄そうな印象を受けるが、付き合ううちにその認識を改めさせられていた。
「 答えは、出たんか?」
男の言葉に、カイゼルは硬い物が胸に当たったように息を詰まらせる。
「……まだだよ」
実はカイゼルと、幼馴染みのイリスとヘーゼ合わせて三人は、夕食の席でギーヴルともめていた。
騒動の原因は、ギーヴルが放った一言だった。
「自分が旅する理由もなくて、これからどうするんや」
ギーヴルは紫煙を吐き出すと、それの行く先を追って天井に目を向ける。
三人が旅をする目的、そして目指す場所はどこか。
単純だが、きわめて重要な問題になる。
結局、その場では答えが出ず、終いに男は彼らが結論を出すまで旅は一時中断だと言い出したのだ。
カイゼルは椅子の上で居心地悪げに身をよじる。やはり、三人で向かい合えばよかったと後悔した。
もっとも、その三人で言い合う間に話がこじれ、特にイリスが無意味に場を混乱させたのだが。
「理由とか、そんなのじゃなくて、今の状況は……その、ただ逃げているだけだと、思うんだ」
「だから、目的がいるんや。お前はどこに行って、何をするんや」
声と態度には追いつめるような勢いもなく、逆にのんびりとした物言いで、ギーヴルはため息のような煙を吐く。
「ギーヴルこそ、俺達をどこかに連れて行くつもりじゃなかったのか?」
皇都から出た後のギーヴルは、ある方向性を持って進んでいた。
西へ……西側へ。
その為には、大陸の中央を分断する巨大な淡水湖トル・トパァンを渡らなければならない。だが彼らの旅路は今のところ、その手前にある東側の港町ルチル・オーバルで止まっている。
「せやから、前も言うたと思うが、お前らを……正確にはお前を助けたんは成り行きや。ワイにはちゃんと、別に目的がある」
「なら、そのどこに俺が関わってるんだよ!」
ギーヴルの煮え切らない言動に、カイゼルは思わず語尾を荒げる。だが彼はカイゼルの剣幕もさらりと流してしまった。
「それくらい自分で考えんかい。文句があるなら、今すぐ旅なんてやめて家に帰るか?」
「そ、それは……」
「ま、すぐに騎士団に捕まって、今度こそ逃げられへんやろうな」
言って、ギーヴルは短くなった煙草を床に落として踏み消す。
「っ、そんなのは嫌だ。でも、俺がこの先に目的を見つけて答えがわかっても、それでどうなるんだよ!」
彼が自国の騎士団に追い回される理由。旅路の果てに答えを得て、それを手土産に戻ったとしても、それをどうやって説明して理解してもらうのだろう。
答えは知りたい。
だが、それ以上に……
「……家に帰りたいよ」
空気の抜けるような声しか出なかった。
皇都からこの港町まで至る間に、カイゼルの中にあった奇妙な高揚感も冷め切り、最近は何かにつけて考え込んでは衝動的に叫びたくなるような焦りを覚えていた。
カイゼルの精神状態はすっかり不安定になっていた。
「俺がいったい、何に関わっているんだよ……」
しぼむように机に顔を伏せるカイゼルに、ギーヴルはまったく頓着せずに席を立つ。
何も答えず、ギーヴルは二階に消えて行った。カイゼルはしばらくその場に伏せたままだった。
カイゼルは室内に射し込む陽光の白さに目を開けた。身体は寝台の端まで転がり、腕は片方床に落ちている。のそのそと起き上がると、隣にあったふくらみも動いた。布の端から、赤毛の束がこぼれている。
ここはカイゼルが昨晩いた部屋の隣だった。そこはイリスとヘーゼが二人で寝泊まりしているのだ。昨晩、部屋に戻りずらかった彼は、ヘーゼ達の部屋に潜り込んだのだ。扉を開けてもらうまでは一苦労だったが。
宿屋に大部屋の空きがなかったため、二組に別れることになったのだが、部屋割りは難航した。ただでさえイリスが普段から女性の権利とやらを主張して宿屋選びは難しいのに、今回はもう選ぶ選択肢もなかった。港町なので宿屋は多いのだが、彼らの懐具合にあった中からとなると難しいのだ。
ようやくヘーゼが起き上がる。と、そのまま頭から布を被り、座り込んだ格好のまま動かない。どうやら、起き上がったが意識はあまりはっきりしていないらしい。ぼんやりと宙に視線をさまよわせている。
「……うーん」
「眠いんだな」
言葉にならない返事をして、ヘーゼはぱったりと寝台に倒れ込む。
「おい、俺は朝飯を食いに行きたいんだ、起きてくれよ」
ヘーゼは三人の中では、一番寝起きが悪い。ただ今回の場合は、同室の者に責任があるようだ。
「お前、ちょっと神経質になりすぎなんだよ。いくらイリスでも、寝ている人間にいたずらをするような奴じゃないぞ」
逆にイリスは、一番寝付きが良く、朝なんて何もしなくとも自然に目が覚める。きゃしゃな身体とは裏腹に、あふれる活力が、発散する場を求めているのだろう。
「……って、あれ、イリスは?」
そこでようやくカイゼルは亜麻色の髪の少女がいないことに気づく。まだ寝ているのかと思ったが、隣の寝台はすでに空で、寝ているように見えたのは、シーツが膨らんでいたからだ。いくら早起きでも、用事もないのに行動するにはまだ少々早い時間帯だろう。
カイゼル自身、イリスがいつ出て行ったのかまったく見当もつかない。
「ヘーゼ、イリスがどこに行ったか知らないか?」
カイゼルはヘーゼから布を剥がしながら尋ねる。それに抵抗するような動きがあったが、起き抜けの力でかなうはずもなく、あっさりと布を持って行かれてしまう。
「ほらほら、とっとと着替えろよ」
「うー」
ぼさぼさになった赤毛をかき回し、ようやくヘーゼは起きる気になったらしい。よろめきながら寝台から降りて自分の荷物に向かう。
「なんか、イリスは遺跡に向かったみたいだよ」
「あぁ、昨日聞いたあれか。確かに好きそうだな、そういうの」
昨日宿屋の主人に観光名所を尋ねたところ、街外れの高台に行けと言われた。詳しくは宿の主人も判りかねたが、なんでも前時代の建物がいくつか残っているらしい。
「俺達も行くか」
カイゼルは深く考えずに言ったが、ヘーゼはあまり乗り気ではないらしい。
「僕は止めといた方がいいと思うよ。慣れない街で動き回って、いざって時に行動が起こせないのは困るし。それに、ギーヴルから離れると、カイゼルは……」
それは言外にカイゼルを狙う者の存在を示していた。そしてその危機を退けられる程度の戦闘能力を保持しているのはギーヴルしかいないという事実も。
だが皇都を出てから、そのような存在はまったく見受けられなかった。だからと言って、安心はできない状況にあるのには変わらない。
「……そうだな。なら、ギーヴルが起きるまで大人しくしておくか」
それもそうだと、カイゼルは寝台の端に座る。
「なら、朝飯はここの食堂にするか」
「……その事なんだけど、カイゼル」
ヘーゼはシャツに袖を通しながら、カイゼルからは背を向けて話す。
「昨日、安くておいしそうなパン屋を見つけたんだけど……」
そして、おずおずとした口調で提案する。
「イリスも食べずにふらついてると思うから、買って持って行かない?」
「……ヘーゼ。お前、今自分が言ったことをもう覆すのか?」
背中をにらみつけると、面白いくらいにヘーゼは動揺する。
「でも、でも、狙われてるって言っても、ここ最近、全然そんな素振りないし、せっかく他の街に来てるんだから、少しくらい観光して遊んでも大丈夫だよ。うん、それくらいの楽しみなら、許してくれるよ」
誰が、とはさすがにカイゼルも突っ込まなかった。代わりに立ち上がり、窓の方に向かうと立て付けの悪い窓を押し広げる。
「まぁ、要はギーヴルにばれる前に帰って来ればいいんだよな?」
「……なんか、問題の論点がずれてない?」
ギーヴルの側にいるのは、いざという時の安全策である。これでは教師の目を盗んで授業をサボる行為と大して変わらない。
「夜中まで飲んだ挙句、寝こけている方が悪いんだよ」
窓から進入してきた空気は、ずいぶん冷たいものだった。一瞬震えを感じ、急いで窓を閉めようとした時、視界の端に光るものが見えた。
「あれは……」
家々の隙間から見える地平線が、日の光を受けて輝いている。思わず身を乗り出して眺めていると、隣から、着替え終わったヘーゼが顔を出す。
「あ、あれがトル・トパァンだよ。カイゼルは見るのは初めてだった?」
「そうだな」
皇都から出ること事態、希なことだった。だから話には聞いても、都市外にあった湖より大きい淡水湖の存在は今ひとつ想像がつかなかった。
「そろそろ、行くか」
それを合図に彼らは部屋を出た。廊下はこれでもかと慎重に歩いて階下に降り、宿屋から出た後は、全速力で走って行った。
買い物はパンだけではすまなかった。港町ということもあって、様々な物品が安く売られていた為、目移りした挙句に色々と買い込んでしまった。市場から出る頃には、朝食どころか昼食分も補えるほどの食料と、旅の消耗品を抱えていた。
「ちょっと買いすぎたな」
「余ったら、保存しとこうよ」
訓練校で習った知識も手伝い、彼らが買った物の大半は、日数の置ける保存食だった。
「イリス、腹減らしてるだろうな」
「案外、自分の分は何とかしてるかもね」
他愛のないことを話しながら歩いていると、やがて町並みは遠ざかり、雑木林に突入する。
「……ここを抜けた原っぱの向こうだって聞いたけど……」
雑木林は、街の外周を薄く広く囲むようにしてあるらしく、抜ける分には大してかからない。
林の外に出た途端、二人は思わず足を止めた。
「これが、遺跡か……」
丈の長い草に埋もれるようにして、それらはあった。石柱が斜めに傾き、削り出した岩石が、無造作に転がっている。人の手が加わって作り上げられたものだが、そのどれもがほとんど原形を留めず崩れ去っている。年月による風化もあったが、それらが示すのは、明らかに破壊の跡だった。
「戦争でもやったのか?」
「違うと思うよ。そりゃあ、何らかの争いはあったんだと思うけど……」
それにした所で、建物の基礎ごとえぐり出すような行為は、無意味だ。
狂暴なまでの破壊行為と、消え去った文明。その二つの言葉に、カイゼルは引っかかるものを覚えた。
「流亡の時代か……」
現在のような国家や自治都市が形成されるよりもはるか以前に栄えていた、いわゆる古代文明時代を指す。だが最大の謎は、それらが存在していたという遺跡や、生活の痕跡は、大陸のあちこちに存在してるが、それらのすべてがある時期を境に、まるで洗い流されたように消滅していた。
そこから現在までの空白は、未だに埋まらない。
様々な仮説が長い間論じられてきたが、どれもが確実性を欠いている。
何らかの大規模な自然災害によって、文明そのものが押し流されてしまった説が有力だった。
本当の理由は何にしろ、すべては消えてしまった。もしくは、消滅後の混乱の最中に失われてしまった。
いち早く混乱期から立ち直り、国家として機能したウトガルヅルも守秘性が仇となり、外部に何も伝えることなく都市は廃虚と化した。
「これも多分、忘れられた時代の一部なんだろうね……」
遺されたものは、何も語らない。ただ後に生まれた者が推測するだけ。
例えそれが、多分に歪んだ事実だとしても。
宿屋の主人に聞いた丘上の遺跡は、すぐにわかった。
草原の端に、石造りの塔がそびえているのが遠くからでもわかる。
だがカイゼル達は、丘の突端に傾いで建つ塔よりも、眼前に広がる光景に目を奪われていた。
湖が、横たわっていた。いや、視界のすべてが、それに埋め尽くされている。向こう岸など到底見えず、水面を反射する光が痛いほど突き刺さり、視界を白く染める。
広い、それはあまりにも広すぎた。知っている者からすれば、海の方がよっぽど広いのだが、カイゼルにとって、ここよりも大きい水溜まりが大陸を囲んでいるなど、考えつかなかった。
「……カイゼル、危ないよ」
袖を引っ張られ、我に返る。と、突然風が渦巻く音がして、カイゼルは目を下に向けた。
「な……!」
思わず引き込まれそうな感覚に襲われ、カイゼルは身を引く。丘の先は、そのまま垂直に切り立った崖になっていた。
「ふらふら歩いて行くからびっくりしたよ。カイゼルこそ寝不足じゃないの?」
心配そうに顔をのぞき込まれ、カイゼルはあいまいに返事を返す。
「あーっ! カイゼルにヘーゼ、何しに来たの?」
不意に響く声に顔を上げると、塔の頂上にある窓から、イリスが顔を出している。
「何しにって……。イリス、腹減ってないか!」
上と下なので、会話も思わず叫んでしまう。
「何かあるの? すぐ行くから待ってて!」
言うと、ひとしきり窓の向こうで手を振ってから、少女は奥へ引っ込む。
「じゃあ、俺達も食べるか」
言って二人はその場に座り込むと、買い込んだ食糧を広げる。すぐにイリスも合流して、その場で朝食が始まった。
「イリス、ここで何か面白い発見でもあったか?」
「んー?」
カイゼルの問いに、イリスは口いっぱいの食べ物を飲み込んでから答える。
「別に。大体この塔は、遺跡じゃないわ」
「そうなのか?」
「造りが新しすぎるもの。せいぜい百年くらい前に遺棄された物よ。使用目的は、灯台みたいだけど」
イリスの視線の先につられて顔を向けると、丘の下、雑木林の向こうに広がる街が見えた。港には、船が行き交い、さらにその向こうには、現在使用されている灯台の姿があった。
「百年というと、帝国の物か」
彼らのいる東側には、古王国よりも後にひとつの統一国家が存在していた。
アンティケイア帝国。
戦乱を治めた英雄が興した帝国は、二百五十年ほどで幕を下ろし、現在は細かく領土が別れている。
「多分ね。けど、土台というか、基礎は古王国の物みたいだけど」
「よく見ただけでわかるね」
「簡単よ、塔と基礎の石じゃあ、材質が全然違うじゃない」
イリスが指差す方を見ると、確かに塔の根元部分とその上に乗っている部分とでは、色が違っている。使われている石材が違うようだ。
「基礎はそこら辺に転がってる柱と同じ石だけど、それ以外はきっと、新しく切り出したものよ」
「イリスって……すごいんだ」
ヘーゼに羨望の眼差しを向けられてもイリスは得意がる様子もなく、あっさりと断言する。
「全部親の受け売りよ」
「もしかして、イリスはここに来たことがあるのか?」
「うん、私もそんな気がしたから来てみたけど、正解だったみたいね」
イリスは珍しく考え込むような素振りを見せる。
「ずっと旅暮らしだったんだろ」
「まぁね。少なくとも、皇都に来るまでは定住したことなんてなかったわ」
しかし彼女の両親に限って言えば、現在も旅を続け、皇都にある家に戻って来ることはほとんどない。
「あの二人は知らない土地をふらついてる方が性に合ってるみたいよ」
「イリスなら、どんな場所でも大丈夫だよ」
ヘーゼは、少し遠くを見ながら食事を続けている。最近の彼は、少々やつれ気味だった。元々細身だったが、さらに痩せてきたようだ。
「まーね。お坊ちゃんには、こんな根無し草な生活なんて合わないでしょうねー」
イリスは笑いながら、器用にヘーゼに間接技を仕掛ける。カイゼルは黙って眺めていた。非情というよりは、悟ってしまったような無表情で。
「……あ、そうだわ」
ぎりぎりとヘーゼの首を締め上げながら、イリスは突然、何かを思い出したのか、少年を乱暴に脇に捨てる。
「思い出した……」
カイゼルはイリスの呟きを、半ば聞き流しつつパンをかじる。ヘーゼを介抱してやらなければと考えつつ。
「塔じゃなくて、遺跡の名前よ。確か……」
丘の向こうに広がる過去の残骸。それを指して両親が繰り返していた言葉が、イリスの脳裏によみがえる。
「白藍の砦」
宿屋に戻ったのは昼をずいぶん回った頃だった。結局、遺跡巡りからそのまま丘から港に回って船や市場を見物しているうちに、こんな時間になってしまった。
戻った三人は、早速それぞれ買った物を仕分けしていく。
真っ先に片付けを終わらせた、というか、ヘーゼに押しつけてしまったイリスは寝台に倒れる。
「そう言えば、ギーヴルはどうしたの?」
「僕達が出る前は、まだ寝ていたんだよねぇ」
話を振られ、カイゼルは親から無断外泊を咎められた時のように、露骨に顔をしかめる。
「あーその話は置いといてくれ。それよりも、これから俺達がどうするかを考えよう」
「本当に、無理矢理に話題を変えたね……」
ヘーゼは大きく息を吐く。だが、実際問題それもまた重要な課題だった。
「なーに言ってるの。ここまで来たんだから、そのシンフォルン聖教国に行って、カイゼルにちょっかいかけてきてる連中に一泡吹かせてやるのよ!」
明るくはっきりと、イリスは言い切った。しかも妙に上機嫌に枕を抱きしめて転がりながら。
その、一見明るいが実のところとても不穏な内容に、カイゼルとヘーゼはしばらく黙った後、ようやく吹っ飛んだ思考が現実に追いついたのか、嵐のように反論する。
「ちょっと待て! イリス、お前は事の重大さなんて、ちっともわかってないだろ! しかも無計画すぎるぞ!」
「言うのはそりゃあもう簡単だけど、それを実行するには多大な努力と大きな犠牲を払うんだよ!」
二人そろって寝台に乗り上げ、イリスに正論を……この場合は彼らの本心をぶちまける。
「あら、でも、それ以外に何か面白いことあるの?」
イリスはまったくこたえた様子もなく、むしろそんな反応を予想していたのか、楽しそうに笑う。
そんな無邪気な態度に気勢を殺がれた二人は、明後日の方を向いてうなる。
「いや……それはその……。相手の目的もわからないのに敵地に出向くのはどうかと……」
「それこそ聞かないとわからないわよ。どうせ襲ってくる下っ端も、本当のことは知らないものよ。それなら相手の出方を見て逃げ回るより、先手を打って殴り込みよ!」
嬉々としながら、枕を叩くイリス。
二人は、呆けたようにお互い別の方向に目線を向ける。
「常に先手、これがイリスの行動原則なんだろう……」
「常に他人を巻き込むことも、忘れちゃいけないよ」
ヘーゼは皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「あ、出発は船の切符が取れ次第にしましょうね」
彼らの言葉など、聞こえている距離なのにきれいに無視し、イリスはとても可愛らしく笑った。
カイゼルも反論しようとしたが、そこでふと、口から出そうになった言葉を飲み込む。
(イリスの言うことも、ある意味正しいよな)
このまま逃げ回っているだけでは何も変わらない。そして、変える為には向かっていかなければならない。
その為には、確かに、彼を狙っている者がいるとおぼしき場所へ向かうのが、一番早道のような気がする。
(一番危険が多い道、ってことでもあるけど)
カイゼルはひとつ息を吐く。
彼の中で、すとんと何かが落ち着いた。
このままイリスの言いなりになったように思われるのは、少々癪だったが、方法はそれしかないのだ。いや、そうしたいと彼自身も思ってしまったから。
ヘーゼは嫌がるだろうが、根気よく説得すれば最終的には折れてくれるだろう。そう結論づけたカイゼルの耳に、荒々しく扉を開け放つ音が響く。
「くぅぉらぁ! ガキども!」
扉をぶち抜く勢いで現れたのは、先ほどの話題の主、ギーヴルだった。
男は部屋の真ん中まで一気に突き抜けると、その場にいる面子をひとりひとり確認する。
「あら、やっと起きたの。もう夕方よ」
「誰がそこまで寝るか。……そうやない、お前ら、出かけるならワイに一言そう言うて行かんかい!」
「なによー。私達の旅に勝手について来てるくせに、保護者面しないでよ」
「宿代出しとんのはワイや!」
そんな、ここ最近……と言うよりも、旅を始めてからは日に何度も繰り返される、日課のようなやり取りを聞きながら、カイゼルとヘーゼは寝台の隅に腰掛ける。
その日課に少しでも関わろうものなら、絶対的な確率で、泣きを見るのは彼ら自身だった。
少女のきんきんした声が室内に反響する。
「隠れて行動するなって言うなら、ギーヴルだってそうよ。何か考えがあるなら勿体つけずにさっさと教えなさいって。それとも、よっぽどつまんない用事で私達を引っ張ってるのかしら?」
「うるさいわ。物事には順序ってもんがあんねん。そんな簡単に超重要事項を話しとったら世の中つまらんやろうが」
「あら、知ってるなら情報公開はちゃんとしてよ。こっちは事の当事者がいるんだから。いつまでも本人だけが蚊帳の外だなんて、もやもやして気持ちが悪いわ」
イリスはギーヴルの剣幕など、そよ風ほども感じていない様子で起き上がり、ひたとギーヴルを見つめる。
「こっちだって、そろそろ大人しくギーヴルの言うことを聞くのも限界なんだから。いいからさっさと教えなさいよ。ここでもまだ何も明かすつもりがないなら、私達は今すぐにでも出て行くわ。ギーヴル抜きでね」
腰に手を当て、イリスは胸を反らして挑発するように笑う。その様を見ているだけで、少年二人は気が気ではなかった。
「そもそも、カイゼルのどこがそんなに重要なのよ。容姿も学校の成績も平凡、趣味は読書。特記事項はマテリアを使っての無差別攻撃と、どこを見てもそれほどすごくないわよ!」
真剣に力説する彼女の後ろで、二人の少年はげんなりとした顔をする。
「あのさぁ、最後の特記事項はどう考えても普通じゃないと思うよ……」
「って言うか、イリスは俺のことをそんな風に評価していたのか」
もっと突っ込めば、さらに恐い答えが返ってきそうだった。だがそれよりも前に、ギーヴルが口を挟む。
「そや。ヘーゼの言う通りや。普通の人間に、そんな大層な真似はできへん。しかも、マテリアそのものを破壊する、強大な魔力許容量……」
マテリアを、魔法を使える。そのことがどれほど重要なのかはカイゼルにはまだ理解できなかった。いや、もしかすると重要なのはそこではないのかもしれないが。
考えを巡らせたが、不意にギーヴルがカイゼルに向き直る。
「結論から言えば、カイゼル、お前の魔力が高いことは別に、お前自身の価値を高めるわけじゃあない。むしろいらん価値やな」
考えを読まれたようにあっさりと否定の言葉が出た為、カイゼルは唖然とする。
「じゃあ、いったい何が……」
「ワイかて詳しい話は知らん。全部教会の連中からの又聞きや。まぁ、お前の存在はずいぶん前から探しとったみたいや。けど、本格的に事が動き出したんは、ある男が死んでからや」
ある男……
その単語にカイゼルは顔色を変える。
変化は、たった一枚の書類が届いた途端に始まった。
彼の実父……いや、今の家族に自分を置いていった男……アンセム。
カイゼル自身、その事実は後から聞かされたことであり、男と顔を合わせたことも、まして話をする機会もなかった。そう、すべて彼の知らない所で事は起こり、理解できない内に状況は変化していった。
ずっと、そう、見えない場所で事は確実に蠢いていたのだ。
「名前までは知らんけど、とにかくそいつがお前の秘密を胸の内に抱えたまま死んでしもうたおかげで、今までおざなりやった調査が本格的に行われるようになったんや」
ギーヴルの口から実父の名称が出なかった事に、カイゼルは少しだけ安堵する。
「自分達で調べるのが面倒だから、知ってそうな人間が喋るのを延々と待っていたわけね、やる気あるのかしら」
「いくら重要でも、他にもやることが山積みなんやろう。もし向こうが本気なら、こんな所でのんびり世間話なんてできへんで」
「で、つまるところ、カイゼルのどこら辺が重要なのよ!」
「細かいなぁ。ここまで喋ったんや、続きはまた今度にしようや」
「全然まったく核心にたどり着いていないことを説明と言うなら、俺の秘密ってずいぶん安っぽいんだな……」
「カイゼル! ここであきらめちゃダメよ! この男、口ではこんなこと言ってるけど、思わせぶりな口調で誘ってきて、私達を何かやばいところに売り飛ばす気かもしれないわ!」
「ひぃぃぃ! イリス、それ本当なの!」
「間違いないわ!」
「くぅぉらぁぁぁ! 人を悪徳人身売買の元締めみたいに言うなぁ!」
カイゼルはすっかり混戦状態となった三人から離れ、一人窓外の風景に見入る。
すっかり日も落ちた街並みの中、そこから見える湖は、黒い床のようにしか見えなかった。
湖の向こうにある国。
そこへ行けば、ここで悶々としているよりはましな答えが手に入るのだろうか。
「……お前は何で聞かへんのや」
声に振り返ると、ギーヴルが暴れて乱れた髪を直しながら立っていた。残った二人……イリスとヘーゼは、今までとは別のことで乱闘になっていた。もちろん、一方的にやられているのはヘーゼの方だが。
「まぁ、確かに気になるけど……」
「怖いんか」
直球な物言いに、カイゼルは頭が落ちそうになる。
「……うん、そうだな。怖いと思うよ。でもそのうち、そんな事を言ってる余裕なんてなくなると思うけど」
「なら、忘れん内に一個教えといたるわ。お前は国に残っとったとしても、その内追い出されたはずや」
カイゼルは弾かれたように顔を上げる。
「お前は騎士団に追われたから国を出た。せやけど、それこそ奴らの作戦なんや。他国の領土で人間一人を捕まえるのは、お前が思うよりも難しいもんなんやで? やったらどないするか。簡単や、その相手を国と言う影響下から出してから捕まえてしまえばええんや」
「そんな、でも、俺達が行動する前に、白扉騎士団が俺を捕まえたら、そんな事は無意味じゃないか」
実際、かなり危険なところまで追いつめられた瞬間もあったが、そのどれもが自身や何者かの力で辛くも脱出している。
「あの追走劇も、作戦のうちやろう。そうやってお前を追いつめ、あくまで自分の意志で国を出るように仕向けたんや。その何とか言う騎士団にも、お前の敵はおるんやで。別行動に見せかけて、二つとも、ひとつの目的で動いとったんや」
「っ、白扉騎士団が……皇都守護隊の騎士が、シンフォルンと手を組んでるって言うのか!」
「全部が全部ってわけはないやろ。一部の馬鹿がそそのかされて、それを裏で操っとる奴がおるんやろう」
ギーヴルの推測が、カイゼルの胸に重くのしかかって来る。自身の今まで培った常識が、足元から削り取られて行くような気がした。
「もう、帰れないのか……」
「まぁ、あきらめろとまでは言わへんけどな」
ギーヴルは、カイゼルから背を向けて歩き出す。
「待てよ……」
そのすがるような声に、ギーヴルが扉に手をかけたまま振り返ると、そこには異様なまでに愛想良く笑顔を浮かべたカイゼルが立っていた。
「ちょっと待ってね」
そして、イリスも。
ヘーゼはイリスにのされ、情けなく床に伸びている。
「なんやねん、ガキども」
ギーヴルは貼り付けたような笑顔で自分を散り囲む子供達を、薄気味悪そうに見下ろす。
だが二人は不気味に笑うばかりで何も答えない。
そんな状況に、ギーヴルはすぐに耐えきれなくなった。やや大げさに手を振り回してから二人に対して声を荒げる。
「うっとおしいな、何が言いたいんやお前らっ!」
「話は横からなんとなく聞かせてもらったわ!」
イリスは腰に手を当て、びしっと人差し指をギーヴルに突きつける。
「こうなってくると、カイゼルが旅に出るのは必然だったわけ。そして、今もこれからも、カイゼルを狙って魔の手が迫るわ」
「魔って……何だよ、それ」
カイゼルの突っ込みを、イリスはきれいに聞き流す。
「そうなる前に、私達ができることは何? 尻尾を巻いてこそこそ隠れている不毛な時間は終り、これからは悪意と策略に満ちた敵地へ進行開始よ!」
「要するに、俺達はシンフォルン聖教国へ行くことに決めたんだ」
「そうよ! これで目的は決定! 西側に旅立つのは今よ!」
イリスが勢いよく床を蹴って高らかに宣言した。
そうやって、高飛車に笑っているイリスを尻目に、カイゼルは、いつものようにヘーゼの介抱にかかった。赤毛の少年を抱き起こしながら、カイゼルはここまで騒いで宿の従業員から苦情が来ないものだと感心する。安宿にありがちな、客の動向にあまり関心を払わない方針なのだろうか。
「そか。なら、ワイは先に夕飯もらうで」
「え……?」
他のことに気を取られていたカイゼルは、思わず聞き返す。顔を上げると、ギーヴルが面倒くさそうに部屋を出て行くところだった。
「ずーっと寝とったからな、腹減ってしゃあないねん」
じゃあな、と明るく言って部屋から出て行くギーヴルを見て、カイゼルは今さらながら、彼を無視して三人で旅に出る構想を立て始めた。




