3-3「短い沈黙の後」
第三章 短い沈黙の後
扉が開き、彼女がいつもと変わらない様子で現れたことに、カイゼルは泣きたくなるほど安堵した。
「あらー。カイゼル、帰ったんじゃないの?」
イリスはわずかに意外そうな顔をしたが、泥まみれで傷を負っているカイゼルの様子に、詮索は後回しと考えたのか、カイゼルに中へ入るよう促す。
場所はヘーゼの家だった。隠れるという意味では、イリスのアパートの方が都合はよかったのだが、今、廊下の先を歩く彼女を見ればわかるように、イリスは滅多に自分のアパートには戻らないので先にヘーゼの屋敷に向かったのだ。
これでも下町の学校に通っていた頃は、彼女が自宅にいる確率は高かったのだが、訓練校に入学し、短期間しか戻らなくなった今は、料理などを作るのが面倒らしく、すっかりこの屋敷の居候と化している。だがヘーゼの両親は、子供が一人増えたところで何も気にしない。昨晩のようにカイゼルもよく泊まり込みで遊びに来ていた。
「ちょうどよかったわー。もう少ししたら呼びに行こうと思ってたの」
彼女は妙に上機嫌で、鼻歌混じりに歩いている。
「何でまた……」
イリスはカイゼルの言葉を待っていたように廊下の真ん中で立ち止まると、カイゼルに指を突きつけた。
「聞いて驚きなさい! なんと今日、シリカが結婚するのよ<」
「……知ってる」
派手なポーズのまま、イリスは硬直した。
微妙な沈黙の後、イリスはカイゼルの襟首をつかんで詰め寄る。
「どーして知ってるの! まさか、イリスちゃんも知らない裏情報満載の極秘ネットに参加してるとか?」
「してないって。さっき、モリオンに聞いたんだよ」
疲労と空腹の為、謎な言動に言い返す気力も湧いてこない。
「もしかして、その件で俺を呼び出すつもりだったのか?」
「それもあるけど、さっきシリカの所から使いが来て、招待状をくれたの」
「結婚式のか? 何でまた」
確かに知り合いだが、貴族の……しかも王族に近しい者達の式に参加できるような身分ではない。たとえ招待されたとしても、何となくその場に蠢く黒い部分が見えそうで、カイゼルはあまり気乗りしなかった。
「大体、もうすぐ日が暮れるぞ。もう終わったの間違いじゃないのか?」
「うーん。なんか、身内だけで簡単に済ませたいみたいよ」
「……その招待状を持ってきた使いは、俺の家にも行ったのか?」
そうなると、ここにいるのも危うくなる。だが相手が本気でカイゼルを追っているのなら、知り合いの家にいること自体が危険ということまで、カイゼルは気が回らなかった。
「断ってあげたわ。カイゼルの家までの道を聞いてきたけど、上手く教える自信もないし……。まぁ、迷うのがおちよ」
笑って言いながら、イリスは部屋の扉を開ける。今まで黙ってついて来たが、どうやら昨晩通された応接室とは別の部屋らしい。記憶の中にある場所から判断して、家族の私室がある棟の中の一室だろう。
「ただいまー」
明るく言って扉を開けたイリス。それに続いてカイゼルが入ると、思わず一歩引いてしまった。
夕暮れの光が射し込む室内は、テーブルやソファー、床に至るまで、色とりどりの服と、それらを引っぱり出した衣装箱で埋め尽くされていた。
そして室内にいたのは、二人の女性だった。
「お帰りイリス。あの馬鹿は捕まった?」
言って女性は、イリスの背後に立つカイゼルに目をやる。
「あらカイゼル、お久しぶりね」
「どうも、エリュティアさん」
軽く会釈すると、今度はもう一人の女性が足早に近づいて来た。
「ちょうどよかったわ。ちょっとうちの弟を捜してくださる? 多分、掃除用具入れあたりで泣いていると思うのですけど」
手にしているスカーフを引き裂くほどの勢いで握り締めている女性に、カイゼルは引きつった笑みで答える。
「またまた修羅場みたいですね、アイグレーさん」
右腕を押さえるカイゼルを見て、エリュティアはもう一人を手で制する。
「弟を捜すのも大事ですけど、まずは傷の手当をしましょうね」
にっこりと笑って手を取ると、カイゼルに座るよう促した。
カイゼルは湯浴みをして泥を落としてから、手当を受けた。
木箱から転げ落ちた際に、小さな擦り傷がいくつもできていた。それに加えて打ちつけた右腕が、わずかに腫れている。幸い、多量の出血を伴うような大きな怪我はなかった。
「骨に異常はなさそうですわね。念の為、明日にでも診療所に行った方がよろしいですわ」
傷口に消毒液を塗りながら、アイグレーが答える。
「服は洗濯しておきますから。あ、食事はこの部屋で食べます?」
「はい……。すいません」
上品な笑みを浮かべて出て行ったエリュティアの背を見て、カイゼルは小さく息を吐く。
彼女達はヘーゼの姉である。姉妹らしく、夕陽色の髪や顔の造作もよく似ている。だがヘーゼとは大分年が離れているらしい。詳しい年齢は聞いたことはないが、ヘーゼのすぐ上の姉であるアイグレーは既に二十代に達している。
「聞いて下さる。ヘーゼは本当、軟弱で困りますわ。今日もわざわざ弟の進路相談の為に、はるばるルチル・オーバルの支部から戻って来たというのに、あの子は姉の忠告も無視して逃げ回るばかり。本当にどうしようもない子ですわ」
アイグレーは消毒する手は休めず、だが盛大に溜息をつく。
ルチル・オーバルは、大陸の中央を分断する淡水湖トル・トパァンを渡る定期船が出る街で、対岸には同じようにルチル・マーキーズという街が存在している。この二つの街だけが、東側にも西側にも属さない、完璧な中立地帯になっている。交通手段が限られているこの大陸では、港を制圧することは、相手を制圧する為の最初にして最大の問題だった。その為、過去の戦争では、何度も激しい侵攻を受け、その度に港の機能そのものが危うくなるほどの被害を被った。戦争終結後も、復興作業に莫大な時間と資金がかかる為、それを考慮した当時の大国……西側ギィカウ君主国、東側アンティケィア帝国の両国は、完全な不可侵を条約で定め、それは後の百年間破られることはなかった。
二十年前、西側がルチル・マーキーズに侵攻するまでは。
「ヘスペリア姉様がいれば、この様な失態は防げたはずですのに」
長女は仕事で移動中だった為、連絡が取れなかったとアイグレーは嘆く。
彼女ら三人は、両親同様、傭兵支部に勤めている。だが一定の場所に留まらず、各地の支部を回り、事務や窓口、経理など、様々なところに顔を出す、なかなかに忙しい身の上だった。その激務を縫って弟の為にわざわざ帰郷して来るのだ、本来なら涙ぐましい姉弟愛が育まれそうな展開だが、カイゼルは彼女達が三人揃った時の恐ろしさをよく知っているので、素直に頷けないでいた。
「これ? 火傷の跡かしら」
アイグレーは消毒液を塗るうちに、何かに気づいたのか、じっと腕を眺めている。
「え……? あぁ、これか」
カイゼルは左手を挙げる。それは手の平から手首までを覆っている火傷の跡で、よくよく見なければわからないほど薄くなり、肌の色と同化している。
「昔からあったけど、火傷した記憶なんてないから……きっと、痣みたいなものだと思う」
そこでイリスが悔しそうに叫ぶ声が聞こえた。
「聞いてよカイゼル。せっかくお姉さま達が今晩の結婚式に着て行くドレスを選んでくれていたのに、ヘーゼってば我慢できなくなって飛び出したのよ!」
「そうか、それでこんなに散らかっているのか……。まぁ、それはともかく、後で俺が捜しに行くよ」
何に対して我慢ができなくなったのかは、この場では訊ねないことにした。
早めの夕食となった食事を、きれいに腹に収めてから、カイゼルはヘーゼを探して屋敷を歩き回った。
あの後、イリス達は服を選ぶのに夢中になり、カイゼルが転がり込んで来た事情など、お構いなしといった風情だった。昔から怪我をすればイリスやヘーゼに連れられてこの家に来ていたので、あまり気にしていないのかもしれない。だが説明しようにもカイゼル自身も何もわからないのだが。
「……やっぱり聞くならモリオンだろうけど、いきなり捕まりそうだからなぁ……」
信用のない言動だが、モリオンの職種を考えれば当然の反応だった。逆にシリカは何らかの力になってくれるという、確信めいたものがあったが、今晩式を挙げる人間に、そんな暇はないだろう。
「逃げたのは、失敗だったかな……?」
今さらながら後悔する。だがここまで来た以上、素直に銃士隊の詰め所に顔を出す気にもなれなかった。
考え事をしながら、それでも足は確固とした目的を持って進んでいた。
屋敷の離れにある、女中達が寝泊まりする部屋の近くにある扉から、地下室への階段を下りる。そこは掃除用具や女中の服などの雑品が置いてある部屋で、ここ以外にも何ヶ所かある。
「ヘーゼ。俺だ、カイゼルだ! イリスはいないから!」
呼びかけを数度繰り返すと、闇の中で動くものがあった。それを見てカイゼルは、入り口近くの棚に置かれていたカンテラに灯をともす。
「……よくここがわかったね」
「ヘーゼ、お前。隠れるならもう少し頭を使えよ」
乱雑に物が積まれた中を進むと、一番隅にある箱の後ろに赤毛の頭が見え隠れする。
「昔からパターンが決まってるからな。いい加減に覚えるよ」
「でも、いつも一番に僕を見つけるのはカイゼルだったね」
「そりゃあ、まぁな。イリスはお前を見つけるよりも、探す過程を楽しんでいる節があるからな……」
箱の上にカンテラを置くと、自分もその上に腰掛ける。
「で、今回は何が原因なんだ?」
「カイゼルー<」
がばぁっ、という擬音がついてきそうな勢いで、ヘーゼが箱の裏から飛び出して、カイゼルの腕にしがみつく。腫れている右腕をつかまれ、痛みに思わずヘーゼを張り倒しそうになったが、鉄の意思で耐える。
「お、落ち着けヘーゼ。な? と、とにかく離してくれ!」
「うわぁぁぁぁん! 僕はなんて不幸なんだぁぁぁぁ<」
わめき立てるヘーゼを、カイゼルは「イリスが来るぞ」の一言で黙らせ、お互い箱の上で差し向かいになって座る。
「……今回は、それか」
「うぅぅぅ……あんまり見ないで……」
ヘーゼの姿を見て、カイゼルは大きく息を吐く。
有り体にいえば、ヘーゼは女装をしていた。明るい黄色のドレスに、同色のサテンリボンを頭に結んでいる。だがここに来るまで走り回ったせいか、かなり着崩れ、リボンなどほとんど取れかかっている。
「姉さん達の仕業か」
よくある、というほどではないが、ヘーゼはこうやって姉達の玩具にされることがしばしばあった。
「小姉さん、自分だけまだ未婚だからって、今日の結婚式でブーケを取って来いって……」
「ブーケって……あれは本人が取ってこそ意味がある物じゃないのか?」
それに、取って来るだけなら、わざわざ女装する必要はない。これではほとんど弟をからかう為に仕組んだようなものだ。最初に彼女達から聞いた進路相談の件は、事の理由に持ってきただけで、要は弟で遊びたかったらしい。
「カイゼルこそ、誰にやられたの?」
ヘーゼはようやくカイゼルの傷に気がついたらしい。
カイゼルはどう答えようかしばらく悩んでいたが、問いから逃げることも、誤魔化すこともできないと考え、ゆっくりと答える。
「ヘーゼ、いいか、落ち着いてよく聞いてくれ。俺は……いや、俺達一家は白扉騎士団に追われている」
「え、なに……?」
その言葉に、ヘーゼの顔が一気に青ざめる。
「俺は、父さんと母さんが捕まるのを見て、逃げ出した。だから、詳しい事は何もわからないんだ」
カイゼルは目線をそらし、切れ切れに話す。
「おかしいじゃないか。白扉騎士団は、確かに皇都の治安維持に乗り出すこともあるけど、それはあくまで赤嶺騎士団から要請を受けての話で……彼らが単独で民間人を拘束するなんて聞いたことがない!」
カイゼルは慌てふためくヘーゼを奇妙に冴えた目で見ていた。そこまでは彼も考えていた内容だった。だが想像にはまだ最悪なものがあった。
「白扉騎士団が動くとすれば、政治的な犯罪者や、王族に連なる者を襲った暗殺者くらいだよ」
「そう、そうなんだ……」
ヘーゼの指摘に、カイゼルは懊悩する。
「けど、そんな大それた理由なんて、俺には考えつかないんだ。……もしかすると。俺が知らなかった何かがあるのかも……」
「カイゼル!」
思考の淵に沈みそうになったカイゼルに向かってヘーゼは叫び、肩をつかむ。カイゼルは我に返ると同時に全身を揺さぶられ、驚愕で声も出せなかった。
「僕がカイゼルを信じてる、なんて言っても信憑性薄いかもしれないけど。でも、何か本当に理由があるにしろ、抵抗するのは当然だよ! だから、じっくり悩もうよ!」
「……つまり、泊まっていけと」
ヘーゼはようやく肩から腕を外す。
「僕はカイゼルを銃士隊や騎士団に突き出すなんてことしないから!」
「ヘーゼや、家族に迷惑がかかるかもしれないんだぞ?」
「またまたー。カイゼルの事だから、そんなのとっくに気づいてたはずだよ」
ヘーゼはけらけらと明るく笑う。
「……買い被りすぎだ」
カイゼルは憮然とする。確かに思いつかなかったわけではないが……一人になるのが、無性に恐かった。
自分は案外、騎士や兵隊には向いていないのかもしれないと、カイゼルはこの状況下では、恐ろしくどうでもいいことを考えていた。
「まぁ、逃げ回るのもどうかと思うけど。それに、父さん達のこともあるからな」
「仮にも国の治安を守る騎士が、民間人のカイゼルの両親を手荒に扱うとは思えないんだけど……」
「そう考えて、俺も安心したいよ」
両親のことが心配だったが、今のカイゼルにできることは何もない。それこそ、正直に近所の銃士隊詰め所に顔を出すくらいだ。
(いや、まだ、もう少しだけ考えることが残ってる……)
カイゼルは身体の力を抜く。そして先ほどよりも軽い調子で語りかける。
「俺が養子だって事は、前に言ったよな。……多分、今回の件は、俺の実父がらみだと思う」
「そ、そんなの、本人に聞けばいいじゃないか」
カイゼルは頭を振る。
「あの人は亡くなった。だから、俺達に手が回ってきたんだよ」
だが、これも予想でしかない。しょせんどこまで突き詰めて考えても、判断材料が少なすぎて、推論の域を出ない。
カイゼルは箱から飛び降りると、さっさと歩き出した。
「いつまでもこんな所にいてもしょうがないだろ? 帰るぞ」
「ま、待ってよ! こんな格好で置いていかないで!」
「さっきまでその格好で走り回ってたのは誰だよ」
カイゼルは呆れ顔で笑いながら、それでもヘーゼが追いついて来られるように歩みを遅くした。
そして、イリスの勢いがカイゼルに悩む時間すら与えてくれなかった。その勢いにヘーゼの姉二人までが加わった結果、彼は両親の行方を追う前に、礼服を着せられて放り出されてしまった。
「なぁんか、結婚式というより、ホームパーティね」
「まさか教会にも行かないとは……」
イリスとカイゼルは、扉の隙間から中の様子をうかがう。彼らがいるところは、シリカの実家だった。結婚式は、本当に身内だけで行うらしい。広間にはテーブルが運び込まれ、先ほどから女中がせわしなく動き、飾り付けを行っている。そして一階正面玄関前のホールでは、早々と集まった客が談笑している。だがその数は、これから増えるにしても少なすぎた。
「牧師くらいは来るのかしら?」
「それ位なら、やるだろ」
これ以上観察する要素もなくなったので、二人は扉から離れる。と、その時廊下の角からヘーゼが走って来るのが見えた。
「あ、イリス、カイゼル。シリカが呼んでるよ!」
シリカは三人を私室に招き入れると、常と変わらない笑みを浮かべる。ただ違うのは、礼服を着込んでいるという一点だけだった。
部屋には彼一人だけで、今晩の主役の一人である花嫁……オルローンの姿も見えない。これでシリカが普段着で現れたなら、誰も結婚話など信じなかっただろう。
「よく来てくれましたね」
「そりゃあね、招待されたからにはシリカの晴れ姿を見てあげようと思って」
「えーと、結婚おめでとう、と言うべきなのかな?」
「俺達はそれを言う為に来たんだろうが!」
カイゼルはヘーゼの頭を軽くこづく。だがシリカは気を悪くした様子はない。いつものように、あいまいに微笑むだけだった。
「ねぇ、シリカ。単刀直入に聞くけど、お嫁さんのことどう思ってるの?」
「お前! 直接的すぎるぞ!」
「だって、あんなモリオン二号のような、無愛想で根性の曲がってそうな女よ。シリカのことを思えば心配にもなるわ!」
「単に、イリスが気になるだけじゃないの?」
この場に本人達がいたなら、イリスの言動に対して何らかの実力行使に出ただろう。
「そうそう、モリオンならいませんよ。仕事が忙しいらしく、今晩は戻れないそうです」
彼はテーブルの上にあった茶器を出してくると、人数分のカップを並べる。
「お兄さんの祝い事なんだから、仕事なんて投げてでも帰って来ればいいのよ!」
口では文句を言いながら、イリスはてきぱきとシリカを手伝う。
「そうもいかないようですよ。なんでも、護衛対象の方々が、行方不明になったそうです」
「もしかして、ガーデンの人間か?」
カイゼルからその単語が出たことに、シリカはわずかに眉根を寄せる。
「えぇ、そうです。まぁ、モリオン一人では、監視にも限界がありますからね」
一瞬にして表情を戻すと、彼はカップに紅茶を注ぐ。
「ふーん……」
「それはそれとして、お嫁さんの話は!」
「まだ蒸し返すのですか?」
イリスに詰め寄られ、シリカは困ったように笑う。
「これは大事な事よ。いくらぼんやりしてるシリカだって、成り行きで結婚しましたなんて言ったら許さないんだから!」
「それこそ俺達が口を挟むようなことじゃないぞ」
そんな無意味な言い争いを前に、シリカは観念したのか、軽く息を吐く。
「……幼馴染みなんですよ」
「モリオンからは、親戚だって聞いたけど」
カイゼルは、昼間に町外れで聞いた話を思い出す。
「そうです。彼女の曾お祖母様と、私のお祖父様が姉弟なので、小さい頃はよく一緒に遊びました」
「……で、結婚の約束をした、と」
「それはまぁ、親同士の取り決めですが……正直に言えば、そんなに意外ではなかったんですよ」
答えるシリカは、らしくもなく心持ち照れくさそうに言った。そして全員分の紅茶をつぎ終わると、盆に乗せてイリスに渡す。
「もちろん、婚約が正式に決定した頃は、私は大学にいましたし、彼女も行儀見習いで国を出ていました。だからお互い何年もまともに顔も合わせていない状況でしたよ」
シリカは立ったまま紅茶に口をつける。服にしわが寄ることを気にしているのかもしれない。
「相変わらず貴族の考えることはわからんな……」
カイゼルはイリスからカップを受け取る。
「でも、悪く思ってない相手だったのに、その人を残して家出しちゃったんでしょう」
「……そこら辺は、痛いところですねぇ」
この三人は彼が国を離れていた理由をおおよそ知っているので、敢えてそのあたりは突っ込まなかった。
「よく彼女が待っていてくれたな」
「一応、国を出る前に、絶縁状は叩きつけて行ったんですけど」
シリカはのんびりと紅茶の香りを楽しんでいる。
「それって、十分ひどいぞ」
「シリカって、たまに突拍子もない行動をするよね」
「お嫁さんも変わり者なら、相手のシリカも十分奇抜なのよね」
「これなら何とかうまく行くんじゃないのか?」
「……相変わらずあなた達は、さりげなくひどいことを言いますね」
シリカは頬を引きつらせながら、それでも何とか笑っている。
「まぁ、不安材料は山ほどあるが、いきなり破局という事はなさそうだな」
「あー安心したらお腹空いちゃった。パーティはまだなの?」
「でも堅苦しい式の最中に食べるのは気が進まないよ」
「そう思って、あなた方は別室に食事を用意させていますよ。そろそろ準備ができているはずですが……」
「シリカってばさすがねぇ。行くわよ、二人とも!」
イリスはさっさと走って行ってしまい、ヘーゼがその後を追いかける。
「場所くらい聞いてから行けよ……」
「カイゼル」
歩き出したカイゼルを、シリカが呼び止める。
「何、シリカ?」
振り返ったカイゼルは、思わず身を強張らせる。理由は、シリカの表情だった。
彼が常に見せている微笑を潜め、ただ立っている、それだけでシリカの印象はがらりと変わってしまう。
硬質な、どこか人形を思わせる、冷たい表情。
カイゼルは思わず半歩後ろに下がる。
「……今日、白扉騎士団の団員が、三人死亡しました」
「そ、それは……」
カイゼルは慌てふためき、必死で言葉を探す。言い訳はいくつも浮かんだが、どれも今のシリカの前では、紙でできた盾ほどの効果もなさそうだった。
「死因は焼死。ですが不審な点が多数見られることから調査した結果、炎は攻性魔法……マテリアを使用して発生したものだという結論に達しました」
シリカの口調は機械的で、ただ事実を羅列しているだけに過ぎなかった。
「騎士団は、それまで追っていた者を、殺人の容疑者として追跡する方針を出しました」
「違う、俺は何もやっていない!」
カイゼルの叫びにも、シリカの表情は動かない。ただ無感動に見下ろしている。
「そりゃあ、逃げたけど、俺は怖かったんだ……!」
追われる理由を調べるという口実を付けて、カイゼルはただ逃げることを選んだ。
今になってカイゼルは、昼間の恐怖が甦ったのか、両腕で身体を抱きしめる。だから、肩に手が置かれた途端、反射的に身を引いてしまった。
「……誰も、あなたが逃げ出したことを責める権利はありません」
ゆるゆると顔を上げると、そこには氷を溶かすような暖かい笑みを浮かべたシリカがいた。
「シリカ……」
「ですが、これだけは覚えておいて下さい。今、確かに何かが動いています。そして、あなたはそれに深く関与している」
「シリカは、それが何かを知っているのか?」
「……わかりません。本当ですよ」
シリカは自分の答えに眉根を寄せるカイゼルに、ちょっと困った顔をしてみせる。
「ですが、色々と予想することはできますよ。例えば、白扉騎士団は皇都守護隊であって、赤嶺騎士団のように犯罪者を取り締まるわけではない。もちろん、現行犯は別ですが。そうなると、これは騎士団の意思というより……もっと別の、はっきり言えば上層の考えに騎士が使われたと考えるべきでしょう」
「じゃあ、俺を捕まえようとしているのは、騎士団じゃないのか?」
「そう考えて間違いないでしょうね。つまり、相手は騎士団を個人的に動かせる人物ですよ」
「そんなの、大貴族か王族くらいじゃないか!」
「確かにそうなりますね。こうなると、貴族という肩書きを持っている身としては、つらいところですが」
「いや、シリカを責めているわけじゃあ……」
「わかってますよ。むしろ、こちらとしてもどうにかして情報を得たいとは思っているのですが、なにぶん私は長い間、皇都を離れていたので、貴族同士の繋がりがほとんどないのです」
だからこそ、余計な策略を巡らせる為の人脈もなければ、入れ知恵をする馬鹿な仲間もいないと、今回の結婚話がトントン拍子に進んだのだと、シリカは自嘲混じりの笑みを見せる。
「おそらく、相手はカイゼルが今、ここにいることなどとっくの昔に気づいていますよ。だが、王族に連なる者の屋敷に踏み込むほど厚かましくはないようです」
「でも、俺はずっとここにいるわけにはいかないし……」
「私にわかるのは、事態は未だに流動的で、どこへ転がっていくのかまったく予測がつかないということです」
「そんな……」
カイゼルは唇を噛む。シリカに対し、どこかで自分を助けてくれるという期待があった。しかしその希望は断ち切られようとしている。
それに、逃げるよりも前に、もっと重要なことがあった。
「父さん、母さん……」
彼の両親は、彼が見ている目の前で連行されようとしていた。あの後、二人がどうなったのかまったくわからない。どこかに連れて行かれたのは間違いないだろう。仮にも国を守る騎士が、一般市民に対して手荒な真似をするとは……彼の中ではそう思えたが……
「あなたのご両親なら、大丈夫ですよ」
カイゼルの心配は、シリカの一言で打ち消された。
「え……?」
「騎士団には、民間人をいつまでも拘束しておく権限はありませんからね。しばらくは監視付きでしょうが……早ければ明日の朝には解放されるはずです」
「そう、そうなんだ……」
カイゼルは安堵の息を漏らす。後は、自分の行動次第だった。
「王族や貴族が絡んでるなら、いつまでも逃げ回るなんて無理だし……それに、父さんと母さんが無事なら、それでいいよ」
カイゼルは笑った。
「俺はこれから、銃士隊の詰め所に行くよ」
浮かんだ笑みは、自嘲と、多分に強がりが含まれていることはわかっていたが、それでも……笑っていたかった。
しょせん個人の前では、王族の抱える物量に立ち向かう術はない。カイゼルは自分がこの件から逃げ切れる可能性をひとつひとつ潰していった。
「やっぱり、素直に出て行った方が話しも早いと思うし」
それに、もしかすると単なる手違いで追い回されているだけで、逆に明日には騎士団の方から謝罪に来るかもしれない。
「そんな事はないですよ。カイゼルさえその気なら、王族の影響下から抜け出してしまえばいいのです」
「……軽く言ってくれるけど、逃げたって何も解決しないじゃないか」
カイゼルはむくれる。逃げるにしても、何らかの目的は必要だった。だが今の状況では、それは答えからさらに遠ざかっているように思えた。
「よく考えて決めればいいのですよ。最も、正解なんてそんな近くに転がっているようなものではありませんけど」
「シリカって、手厳しいよね」
「まぁ、助言くらいならできますよ。例えば、私が知っている皇都からの秘密の脱出口とか」
「それって……暗に出て行けって言ってないか?」
シリカは不信感一杯の視線を受けてもまったく動じず、カップを置いて書き物机の引き出しを開けると、中から紙袋をひとつ取り出して戻ってきた。
「早速別れの餞別か?」
あいまいに笑って、シリカはカイゼルに紙袋を渡す。
「まぁ、そうかもしれませんね」
紙袋の中には手の平大の箱が入っていた。だがカイゼルはすぐに中を見ようとはしなかった。
「これがピンチを救う重要アイテムか……」
箱を開けようとして、そのままためらうように手を止める。
「中を見ないのですか?」
「んー……」
だがカイゼルは箱を元の通り紙袋にしまうと、きつく封をする。
「けど、こういう物は大抵、その時にならないと本当の意味はわからないんだろう?」
「わかったとしても、使うかどうかはあなた次第ですよ」
シリカは笑う。だがそこにあるちょっとした変化に、カイゼルは気づく。
「……シリカ、楽しそうだね」
「そうですか?」
「大体、シリカも騎士団に入るんだろ? モリオンに聞いたよ。だったらさ、俺を捕まえるのが仕事じゃないのか?」
「大丈夫ですよ。まだ正式に配属されたわけではないので、今の私はただの民間人ですよ」
そう言って笑ったシリカは、常よりもずっと幼く見えた。
「よし、帰るわよ!」
「え……?」
「またいきなりだな」
三人は別室で食事を取っていたが、それが終わりさしの頃になって、突然イリスは席を立った。
「どうせ堅苦しい結婚式なんて出ても、眠いだけよ。一応シリカに挨拶もしたんだし、もう帰っても誰も文句は言わないわ」
「でも……挨拶してない人なら他にも……」
「いいから、帰るわよ!」
イリスは未練がましくナフキンをいじっているヘーゼの襟首をつかむと、そのまま引きずって歩き出した。いつも唐突な行動を取る彼女だったが、今日はいつにも増して強引だった。
「あ、そうそう。帰りに私の家に寄るけど、構わないわね」
「はいはい。好きにしてくれ」
三人は手近にいた女中に退出することを告げると、有無を言わさぬ勢いで屋敷を後にした。
実を言えば、カイゼルは屋敷から出た途端に待ちかまえていた騎士団が自分を包囲するのではないかと勘ぐっていたが、角をいくつ曲がっても、待機している武装集団はなかった。
そうやって、周囲を警戒しつつ歩いているうちに、何も起らないままイリスの住居に到着した。
「さぁ、入って入って。散らかってるけど適当に進んでね」
言いながら、イリスはガス灯に明かりを点けに走る。その間にも、各所で何かが倒れ、崩れる音がする。
「相変わらずだな……」
「そうだね……」
彼らは彼女のアパートの惨状をよく知っているので、入り口からは一歩も動かずに明かりを待った。
ぱっと明るくなった室内には、息が詰まるほど物が積まれていた。一応、テーブルや椅子などの家具は置かれているが、そのどれもが、何やらよくわからない物達の下敷きになっている。その有様は、部屋というより、未整理な倉庫だった。
あちこちに異国の言葉で書かれた本が積まれ、額にも入っていない絵画が無造作に立て掛けてある。壁一面に吊るされたタペストリーも、他の雑品に埋もれてしまい、図柄は見えない。天井の高さまである歩兵槍に、洗濯物のように無造作に積まれた剣や盾。
まるで人が暮らすような部屋には見えない。これではイリスが他人の家に入り浸るのも無理なかった。
「二人とも、戦利品だかお土産だか知らないけど、少しは整理するなり故買屋に売るなりしてから次の旅に出てほしいわ」
イリスは文句を言いながら、扉の前に立て掛けてある絨毯を脇に倒す。どうやらその向こうの部屋に、目当ての物があるらしい。
「毎度思うが、この部屋、よく床が抜けないな」
結局カイゼルとヘーゼも手伝いに入る。
「そろそろやばそうだから、処分したいんだけど、勝手に売ると怒るのよね~。あの人達も何があるかなんてよくわかってないくせに」
「つまり、盗みに入られても被害がわからないと」
「実際あるかもしれないけど、本当に価値のある物を盗らないと、ただの無駄足よ」
素人目で見ても、値の張りそうな物はあるが、それ以上によくわからない物も多い。
「これも、異界の知識を記した古文書の写しらしいけど、書いてあることが読めないと、メモ用紙にもならないわよ」
イリスは床に投げ捨てられていた紙束を叩く。
「まさしく宝の持ち腐れ、だな」
カイゼルは最後まで立ちはだかっていた木箱を引きずって移動させる。
「お疲れさん。二人とも、ちょっと待っててね」
イリスは手を振って扉の向こうに行ってしまう。中でも新たに雪崩が起きる音が聞こえてきた。
「ただいまー」
二人が由来のよくわからない敷物を広げて床に座っていると、イリスが何かを引きずる音と共に戻ってきた。
「……なんだ、それは?」
「ん、もう。見てわからない?」
イリスが持ってきたのは、リュックや鞄などだった。そのどれもが、中身の詰めすぎでパンパンに膨れている。
「旅には欠かせない、必須アイテムばかりを詰め込んだお得な旅行セットよ」
無意味に胸を張るイリスに、カイゼルは叫びを上げる。
「だから、何で今現在、そんな物が必要になるんだっ!」
「旅に出るからに決まってるでしょ。出発は明日の早朝、市門が開いてからね。それまではヘーゼの家で寝ましょう」
「出発時刻よりも、イリス、この携帯食料は捨てた方がいいよ。缶詰なんてふたが膨れてるし、乾パンはカビが生えてるし」
「携帯のくせに腐るなんて、根性ないわね」
「根性以前に、賞味期限を考えようよ……」
傷んだ食料と、そうでない物を分ける二人を前に、カイゼルは言葉を失っていた。
「お前達……もしかして……」
「三人で旅に出るから、よろしくね」
イリスが腐った缶詰を片手に、軽く手を振ってみせた。
「よろしくね、じゃないだろうが!」
詰め寄ろうとしたカイゼルを、一歩早く踏み出したイリスが指で止める。
「カイゼルっ! 私達が何も知らないと思ったら大間違いよ」
「な……なに言ってんだよ」
だがカイゼルはイリスの迫力と、自信に満ち溢れた態度にまともに顔色を変える。
「カイゼルの両親が捕まったり、白扉騎士団の団員が変死したり、とにかく今、妙なことに巻き込まれてるでしょ!」
「情報は、傭兵間のネットワークや、騎士団指令系統に探りを入れたんだ」
ヘーゼは冷静に、豆煮の缶詰の期限を調べながら答える。
「私達を出し抜こうなんて、かなり早すぎたわね!」
イリスはそこで、未だに持っていた缶詰をテーブルに叩きつける。その衝撃で、積み上げてあった本や紙束が、盛大な音をたてて崩れ落ちる。
「ねぇ、イリス。そこで疑問なんだけど……僕も旅について行く理由はあるの?」
常にセットで扱われる自身に対して、ヘーゼはどこか諦めたように尋ねる。
「理由も何も、団体行動は友情の必須アイテムじゃない!」
イリスはどこが不満なのかと言いたげな顔をする。だがその点に疑問があったのは、カイゼルも同じだ。
「見守るのもひとつの友情だと思うぞ。しかもその意見だと、俺は絶対に旅に出なければならないじゃないか」
「じゃあカイゼルはこのまま騎士団に追われて皇都を逃げ回るという、惨めで後ろ向きな生活を送るの? それならいっそ、新たな展望と刺激を求めて新天地に羽ばたいた方が、よっぽど有益よ」
「言っていることは何となく納得してしまいそうだが、解決策の見出せない逃亡に、将来性も展望もあったものじゃないと思うぞ。……ていうか、素直に出頭するっていう選択肢は最初からないのか」
「ん、もう。私達の友情パワーに照れてないで、素直にこの提案を受け入れなさい」
イリスはテーブルにあった缶詰を、笑顔でへこませる。中身があふれるまで、後一歩だ。
「最後の方、脅しが入ってるぞ……」
カイゼルはその場に棒立ちになったまま、諦めを通り越して、自暴自棄という言葉の意味を噛みしめた。
カイゼルは寝台の中で、数度寝返りを打つ。既に時刻は夜半過ぎになる。
あの後、ヘーゼの家に戻ったカイゼル達だったが、ヘーゼの姉達の熱烈な歓迎には辟易した。
「何というか、まるで今生の別れのような送別会だったな……」
どうやら旅に出ることに関して、ヘーゼは家族ぐるみで賛成されているらしい。その場にいなかったが、彼の両親が小躍りして喜ぶ様が、手に取るようにわかった。
「跡取り息子を鍛えたい気持ちはわかるが、ヘーゼの性格も考えてやれよ……」
それに、このままでは訓練校を中退になってしまう。せっかく士官学校に推薦も決まったかもしれないのに、ここですべてをふいにすることはない。
「……何も、全部捨てることはないよな」
カイゼルは身を起こし、考えることに疲れて重くなった頭を振った。そしてゆっくりと寝台から抜け出す。
周りを警戒しながら廊下へ出たが、幸い人気はなかった。
いくつかの回廊を抜け、階段を足音をたてないように苦労して降りる。そんなことを繰り返した後にようやく正面玄関まで辿り着いた。
扉の前で、わずかに躊躇した後、開ける為にさらに一歩踏み出す。
と、わずかに足に引っかかる物を感じたと思った瞬間、周囲にけたたましい音が鳴り響く。
「かぁかったわねぇ、カイゼル!」
音にも負けないほど張り上げられた声と、点ったガス灯にカイゼルは音とそれの仕掛け人の正体を知った。
もちろん、深く考えなくとも、こんな物を仕掛ける人間は知れている。
「……ずいぶん、時間がかかったんだろうな」
カイゼルは自分が足に引っかかている紐から伸びる仕掛けに、大きく息を吐く。
それは薄い小さな板を紐にいくつも連ねた、いわゆる鳴子だ。だが問題は、その数だった。玄関ホールをそっくり取り囲むようにそれは付けられ、カイゼルが足を離した今も、うるさく鳴っている。それはもう、これでもかとばかりに。
「カイゼルが部屋に帰った後、それこそ寸暇を惜しむほどね」
イリスは玄関ホールの二階から、カイゼルを見下ろしている。
「一秒も惜しい瞬間って、こういう事を指すんだろうね……」
イリスの後ろの方から、ヘーゼがよろめきながら現れる。
「ご苦労さんヘーゼ」
「どうも、カイゼル……」
そんなやり取りをしている間に、イリスはさっさと階段を駆け降りてカイゼルの前に回り込む。
「ふっ、甘いわねカイゼル。こういう時は、窓から逃げるのが常識でしょう!」
「ここの家の窓は、一階でも格子がはまっているからな。窓からは出られないぞ」
なぁ、ヘーゼ。と目で同意を求める。
「ま、まぁそんなことは置いといて、どこへ行くつもりなの、カイゼル」
よほど鳴子が無意味だった事実を認めたくないのか、イリスはたたみかけるように言葉を並べたてる。
「まーさーか。私達を差し置いて、危険と無限の可能性を求めて羽ばたこうというの?」
「……もう、色々と面倒なんで、銃士隊の詰め所に行って、洗いざらい喋ってきます」
「そんなの駄目よ。カイゼルは私達と一緒に旅に出るんだから!」
襟首をつかんで揺さぶられるカイゼルだったが、いい加減、我慢の限界だった。
「だから、どうして俺をセット物扱いした上に、旅にまで出ることになってるんだよ!」
「三人まとめての方が、色々と便利よ。だから、一緒に未知なる世界への扉を叩きましょう!」
「……その便利さは、イリスにとって、の間違いだろうが」
カイゼルはやれやれと肩を落としながら、鳴子の紐を乗り越えて扉を開け放つ。
「言いながら、カイゼルもさっさと出て行こうとしないでよ」
ようやく追いついてきたヘーゼが、カイゼルの隣に並ぶ。
「ヘーゼ、イリスとまともに付き合っていたら、長くなるかややこしくなるかのどちらかだろう?」
「うぅ……あまりにも的確すぎて、反論できない……」
「じゃあカイゼルは、何で私達と一緒に行かないのよ!」
ヘーゼを押しのけ、イリスはカイゼルに詰め寄る。
「イリスやヘーゼを巻き込みたくなかったと、お約束のようにカッコよく言えば、イリスは納得するか?」
「大丈夫、何を言われても納得なんてしないから」
イリスはいつものように、妙に得意げに答える。その様に、カイゼルはもう、本当に何もかもがどうでもよくなってきた。
「ったく。それじゃあ意味がないだろうが……」
「とにかく、銃士隊の所なんかに行っても、この件は解決しないわよ」
「俺達で解決できる問題でもないと思うし。そもそも、手がかりすらないぞ」
「手がかりというか、とっかかりならあるわよ!」
「ほぉ……聞こうか」
カイゼルはとりあえず、扉を閉めてからイリスに向き直った。彼女はというと、いつものように得意げに胸を反らしてみせる。
「ずばり、カイゼルが狙われる理由。それは、カイゼルの出生そのものに秘密があるのよ! それなら、当人どころか両親も何も知らないはずよ」
ぴしりと無意味に指を突きつける格好をしているイリスを前に、少年二人は顔を見合わせ、目と口を丸くする。
「うわ……イリスにしては、まともなところを突いてるよ」
「ヘーゼ、俺も思ったが、今はまず聞こう」
カイゼルはヘーゼを手で押さえる。イリスは妙に陶然とした表情で、彼ら二人など視界に入っていないように言葉を続ける。
「あなたの実の……いいえ、血縁上の父親が、いったいどんな女性にあなたを生ませたのかは知らないけど、おそらくそこらへんが鍵よ。だから、この旅は、あなたの生まれた道を辿るという、とても素敵な行程になるわ!」
ここで舞台なら、派手な効果音でも流れてきそうだが、聞こえてくるのは、板きれ同士がぶつかる軽い音だけだった。
「ねえ、カイゼル。何か証拠の品とかないの? こう、すごい家紋の入った産着にくるまれていたとか、いわれのありそうな一品を添えられていたとか」
「いや、全然ないし……」
しかも、唯一の手がかりになりそうな、実父の残した手帳は自宅にある。
(それに、あの手帳が俺の出生の手がかりになるなんて、とうてい思えないし……)
ううむと唸っていると、ヘーゼが袖を引いた。
「このままイリスの説明を信じると、カイゼルってどこかの王族か貴族のご落胤になっちゃうよ……」
ヘーゼの指摘通り、イリスは王宮陰謀説など、いかにも適当そうな話しをはじめている。
「そんな出生の秘密は、俺が嫌だ」
「……どうする、カイゼル」
頭を抱えたくなりながら、カイゼルは重い息を吐く。
「どうせこの分だと、皇都を一度出るまで収まらんだろ。だから、イリスの遠足に適当に付き合ったら……戻るぞ」
しかし、彼らの遠足は、長い長い旅となる。




