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雨の日にそれは唐突に

作者: 藤井 硫

「なあ、折角の休日にこうして車まで借りて出掛けてるんだ。いがみ合いは辞めないか?」



"ざっ、ざっ" と一定のリズムを刻むワイパーが、二人の雰囲気を、いっそう落とし込む。



「別にわたしはいがみ合いをしているつもりは無いわ」


妻は私の方に首を向ける事無く、手元のガイドブックをアテも無くペラペラとめくっている。


妻の機嫌を取らなければいけなくなったのは、先週の事だった。

接待先で偶然会った学生時代の恋人とメールアドレスを交換し、お互いの近況を報告しあっていた。


社交辞令のつもりで食事に誘ったのだが、そのメールを妻に見られた。

携帯のアドレスや番号を変えないと離婚すると驚かされ、仕事先の事情もあるのだからそれは無理だ、と伝えると、「それじゃあ、あなたなりの誠意を見せてよ」

と言われ、何年か振りに伊豆へ旅行に行く事で折り合いを付けた。


なんとか機嫌を取り戻したのも一週間しか持たなかった。

タイミングの悪い事に深夜からの悪天候で朝から妻のテンションも一転、頭の上に傘マークが付いていると思うぐらい下がってしまった。


軽い冗談でも言って紛らわそうと「やはり雨女がいると違うな」と言った一言が傘マークの横に雷マークを付けてしまった。


レンタカーも宿も予約してしまったので、渋々出掛けたのだが、それからずっと妻は苛立つ感情の塊を私にぶつけている。



「大体貴方が天気予報をしっかり見て予定を組み立てないといけなかったんじゃない?誠意ってそういう事も必要なんじゃない?計画性が足らないのよ。付き合って最初のデートだってそう。何の予定も立てずに渋谷をブラブラさせられて。あの靴擦れの痛みは一生忘れないわ」


「まったくよく覚えているよな。第一、靴擦れの事なら僕のせいじゃないと思うけど」


「そういう事を言えるデリカシーの無さ。誰だって最初のデートはお洒落したいと思うじゃない。あの元彼女には紳士のように振舞っていたくせに」


「また蒸し返すのは辞めないか。それにあれは…」


反論しようとした時、妻が急に声を張り上げた。


「ちょっとそこのコンビニ!」

「なんだよ急に大声を」


「いいから、早く今のコンビニに戻って!」


渋々車を転回させ、コンビニの駐車場に車を停める。


「なんだよ、腹でも痛くなったのか?」


「猫」


「は?」

車を停めるやいなや、雨嫌いの妻が傘も差さずに車を駆け降りた。


妻はコンビニにおかれているゴミ箱の横にしゃがみ込んだ。


「なんだよ。気持ち悪くなったのか。水でも買ってこようか?」


肩越しに見えた"それ"は、私の顔を曇らせた。


「この雨の中、よく見つけたな」

「なんでこんなとこに…」


「まだ捨てられたばかりみたいだな。店員を呼んでくるよ」


「待って。この子、うちで飼わない?」


「いきなり何だよ。飼える訳ないだろ。第一、どんな病気持ってるかわからないじゃないかそいつ」

「それにこれから旅行に行くんだろ?連れて行けないよ」


「……行かない」


「は?本気で言っているのかい?宿だってもう…」

「私がキャンセル料払うから良いでしょ。このまま見捨てておけないもの」


一度言い出したら雷でも落ちない限り、主張を曲げない事は重々承知していた。


"それ"は捨て猫だった。

段ボールの中に、コンビニで売っていたであろうキャットフードと、毛布代わりのバスタオルが敷かれていた。

目も明かないような仔猫が、心細いのか強い雨の音が怖いのかブルブルと震えながら箱の隅で固まっている。


「ねえ、いいでしょ?」


怒りの感情を剥き出しにした先程の彼女の眼は、幾分涙ぐんでいるように見えた。


ふー、っと溜息をつき携帯を妻に差し出した。

「君が宿に電話しろよ。キャンセル料も払うんだろ」


「怒ってるの?」


「君が言い出したら聞かないのも分かってるし、このまま旅行に行っても後味が悪いだろ。取り敢えずキャットフードと、毛布の替わりになりそうな物を中で買ってくるよ」


「いいの!?」


「そこまで僕も鬼じゃないからね、車に乗せておいてよ」


「ありがとう!」

先程のしかめっ面が一気に女神の様に輝いて見えた。


「…ったく、お人好し過ぎるよ…」

キャットフードが陳列された棚を探している時にふと呟いた一言で気付かされた。




ああ、そうか。


だから私はこの人を妻にしようと決めたのだった。


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